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玄同放言巻之一上

     荏土 滝沢解瑣吉甫 著

[第一天象]蛭児進雄

書紀(神代巻)に伊弉諾尊伊弉冊尊大八州国及山川草木を生み給ひて更に日の神大日■雨に口みっつ下に女/貴を生み次に月の神月夜女尊を生み次に蛭児を生み次に素盞鳴尊を生み給ふ段、日の神月の神のうへは理よく聞えたれども蛭児素盞鳴は何なる神といふよしを誌されず。後に史を釈もの亦発明の弁なし。按ずるに蛭児は日子なり。天慶六年日本紀竟宴の歌に、蛭児をひるの子と詠り。(得伊弉諾尊、従四位下行民部大輔兼文章博士大江朝臣朝綱、加曽伊呂婆、阿波礼度美須夜、毘留能古婆、美斗勢■ニンベンに爾/那理奴、阿枳多多須志天)毘留能古、即日之子也。ひほ音通へり。日子は星なり。星をほしと読まするは後の和訓にして、(星辰は保斯能秘訶里、この訓はじめて仁徳紀に見えたり)当初星をひる子とも、約めてひこともいへるなるべし。かゝれば蛭児は星の神なり。星といふともその員多かり。是を何の星ぞといふに、蛭児は則北極なり。この故に、雖已三歳、脚猶不立、故乗之於天盤橡樟船、而順風放棄、といへり。論語(陽貨篇)孔子曰、子生三年、然後免父母之懐。その三歳まで立たざるものは、必■マゲアシに王/弱不具なるをいふなり。為政篇に又云、譬如北辰居其所、而衆星共之、註朱子曰、北辰北極、天之枢也、居其所不動也。げに北極は、人にして足立たざるものゝ如し。又天磐橡樟船に乗せて順風放棄といふよしは、易に■筮が上から陰陽陰/坎を水とし北とす。事文類聚(前集天部)、載三五暦紀云、星水之精也、といへるを攷据とすべし。古事記に、鳥之石楠船神見えたり。樟も楠も、船に造るに勝へたるものなり。石は木性の堅きをいふ。鳥は鷁首をいふなるべし。本草綱目(木之一)樟集解、陳蔵器曰、江東■舟に同/船、多用樟木県名予章、因木得名、又楠集解に、寇宗■夾の人が百/曰、江南造船、皆用之、其木性堅、而善居水、といへり。天磐橡樟船には、樟字を仮借し、鳥之石楠船神には楠字を配当たる、記者の用心亦思ふべし。かくて日の神を天下の主とす。天子は一人の爵称なり。猶天従一従大也。人の世となりては天皇と称奉る。(令義解、儀制令曰、天子祭祀所称、天皇詔書所称、皇帝華夷所称、陛下上表所称、太上天皇譲位所称、帝乗輿服御所称、車駕行幸所称也)皇は君なり。その徳、天つ日の如し。よりて皇子及皇臣、すべてこれを日子と唱へ、皇女皇后及皇臣の妻子を、すべて日女と唱ふ。例せば書紀(神代巻)に、天津彦彦火瓊々杵尊とあるを、古事記には天津日高日子番能爾々芸命に作り、天稚彦を天若日子と書けるが如し。加以古事記には甕主日子神、阿遅志貴高日子根神、日子穂穂手見命等(共見上巻)、みな日子に作りて彦と書けるは稀なり。彦は日子の仮字なれば、これらは古事記を正しとすべし。亦書紀(神武紀)に、日臣命あり。ひる子日臣、並に臣子の義なり。後世に至りては彦及姫とのみ書ども、罕には古義の存するあり。続紀(高野天皇後紀)に、多可連浄日女あり。(天平神護二年十二月戊申、叙位云々、授正五位下多可連浄日女従四位下)又光仁紀に安曇宿禰日女虫あり。(天応元年二月壬辰、授従六位下安曇宿禰日女虫従五位下)この他なほあるべし。異朝の制度も亦これと相似たり。尚書(洪範)曰、天子作民父母、以為天下王也。白虎通(爵論)云、所所以称天子者何、父天母地、為天之子也。易曰、伏羲氏之王天下也、爵有五等以法五行、或有三等者、法三光。(今按、易当作易緯、易経無此文、蓋出易緯)三光は日月星なり。前にもいへる如く、日子と日女とは貴人の称呼なるものから、君臣うちまかして唱たり。こゝをもていと多かり。白虎通(五行論)に君有衆臣何法、法天有衆星、といへるに合へり。漢土には天王及天子と唱へ、皇国にて日神日子尊と称奉りし。共に至尊の爵称にして、その義おなじ。されば人の世となりても、宝位を天日嗣と唱ふ。古歌に至尊を神としよめるも同一理なり。(大君は神にしませば云々と詠めるうた、万葉集にあまた見えたり)今の俗は、姫を貴人の称呼なりとしれるのみ。彦(即日子の仮字)にもこの義あるよしをしらず。日女は大日■雨に口みっつ下に女/尊にはじまり、日子は蛭児を権輿とす。日■雨に口みっつ下に女/も日女も、その義異なることなし。万葉集(第二)、日並皇子尊(天武皇子)、殯宮之時、柿本人麻呂歌に、天照日女之命云々と詠みたる是なり。かゝれば姫と書、彦と書るは、後に漢字を配当たるのみ。字義に和訓を被て見るべし。又宋邵康節言曰、天昼夜見、日見于昼、月見于夜、而半不見、星半見、半不見、尊卑之等也、天為父、日為子、といへり。これらは彼処の博士さへ亦日子の義をいふに似たり。又按ずるに素盞鳴尊は、辰の神なり。風俗通(霊星条)、引賈逵説云、辰之神為霊星、故以壬辰日祀霊星、金勝木、為土相也。よりておもへらく、素盞は布佐なり。通と布と横音かよへり。古人すとつを打ちまかせて用ひたる例多かり。布左は房なり。房は房星、星の名なり。礼記(月令)曰、十月日在房、これなり。爾雅(釈天)曰、天駟房也、註竜為天馬、故房四星、謂之天駟、又云、大辰房心尾也(房心尾三星名)、註火心也、在中最明、故時候主焉。(心星にも愚攷あり、この次にいふべし)説文(巻二)辰下に云う、震也、三月陽気動、雷電振、農時也、又曰、辰房星、天之時也。これらによりて辰を時とし、星の名とす。辰は日月の交会する所なり。説文(巻四)又云、星万物之精也。その万物の精なる故に山川草木化生て後に四象の神たちは化生給ひしといふ。理よく合へり。(この段は古事記をあはせ考ふべし)かゝれば素盞鳴を、房雄の義とせんも、亦よしなきにあらずかし。この神化生たまひしとき、有勇悍以安忍、且常以哭泣為行といへり。かゝれば辰の震なるよしにも、進雄々しき義にも称へり。陽は声を発し、陰は声なし。飛鳥混虫みな如此なり。故に斑固曰、(白虎通情性論)喜在西方、怒在東方、又曰、東方物之生、故怒、とへり。亦是彼神化生給ひしとき、常以哭泣為行、といふにかなへり。書紀一書の説には神素盞鳴尊とし或は速素盞鳴尊とす。古事記には建速須左之男命とす。神は神速、建は勇悍、速は勁捷の義なり。彼漢人の東方房辰は、民の田時たり。季春には陽気動き雷電振ひ草木怒生といふに合へり。書紀に、日の神と素盞鳴尊と、おのおのその御田頃に播種し給ふ事あり。これらも右に引くところの文を照て考ふべし。同書に、素盞鳴尊、結束青草、以為笠蓑、乞宿於衆神、といふこと見えたり。こは書紀一書の説なり。宿は星のやどりなり。又止宿の義とす。宋永享捜採異聞録(巻二)云、二十八宿宿、音秀、若考其義、則止当読如本義、若記前人有説如此、説苑弁物篇曰、天之五星、運気於五行、所謂宿者、日月五星之所宿也、其義照然。(この書全四巻、凡四十一頁、収めて稗海にあり)又五雑組(天部)にも、星宿の宿、音夙なるべきよしをいへり。今按ずるに、史記天官書に、房為天府、といへり。亦是止宿の義あり。かゝれば或は播種し、或は乞宿の事、辰の神の所行にかなへり。将角■氏のした一/亢房心箕尾の七星は、東方の星なり。火を心とす。心は東方の星といへども、辰巳に位せざることを得ず。辰巳は竜蛇なり。八岐大蛇の事亦おもふべし。故に史記(天官書)曰、大星天王也、前後星子属。索隠曰、洪範五行伝曰、心之大星天王也、前星太子、後星庶子。これ心星に両星あり。大蛇に八岐の頭尾あり。二は偶の首。八は偶の尾なり。二二を四とし、二四を八とす。その義、是おなじ。太史公曰く、大星不欲直(中星欲明忌直也)直則天王(即心星)失計、房為府、曰天駟、其陰右驂、旁有両星、曰矜、北一星曰■土に温泉湯気ワカンムリ牟/。大蛇の段、すべてこれらの文義に合へり。八岐大蛇がきられしは、件の心の大星が計を失ふといふもの是歟。かくてその尾頭より天叢雲の剣出でしは、彼天王と太子は亡せて、その庶子が継ぐに似たり。又房の旁なる両星、矜は奇稲田姫、■土に温泉湯気ワカンムリ牟・アツ/はおん子大巳貴神にこそをはすめれ。正義引星経曰、鍵閉一星、在房東北、掌管籥也、といへり。(籥与鑰通)こは大巳貴神、且く天下を管領し給ひし事に合へり。亦日の神と素盞鳴尊と、御中わろかりしよしは、これも亦史の天官書に、火犯守角、則有戦、房心王者悪之、といへるにかなへり。曾氏十八史略宋紀(仁宗紀)曰、真宗得皇子已晩、始生、昼夜啼不止、有道人言能止児啼、召入、則曰、莫叫莫叫、何似当初莫笑、啼即止、盖謂、真宗嘗■竹したに侖と頁/上帝祈嗣、問群仙、誰当往者、皆不応独、赤脚大仙一笑、遂命降為真宗子、在宮中好赤脚、其験也、といへり。この事小説に係るといへども、素盞鳴尊生ませしとき常に哭泣給ひしこと粗相似たり。この他なほ和漢の書を引きつけて、とくべきよしなきにあらねども、余りに細しからんはいともかしこし。抑諾册両尊、日の神月の神を生み、次に星と辰の神を生み給ひつ。於是日月星辰の四象の神たち化生給ひき。易(繋辞上伝)曰、大極生両儀、両儀生四象、とは是これをいふなりけり。抑この一編は、とし来秘蔵の説なれども、目を賤むるもの多かるべし。又世にいふ夷の神は蛭子ならずは彦火々出見尊なるべきよし、先板烹雑記にいへり。かくて今茲この一巻を創するころ、世にあらはれたる物に、又そこらのことをいへるあり。火々出見尊の一条は、またくおのれが考とおなじ。{玄同放言巻一上}

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