本資料の作成に当たっては、杏庫之介さんから多大な御教示を戴いた。底本は、岩波文庫新版である。

 場所・回・回タイトル・挿絵タイトル・登場人物名(挿絵に表記分)の順。漢文の場合は、原文と登場人物名の間に書き下し文を附した。★が筆者註、▲は表記外漢字、■は伏せ字、●は不明部分である。なお、原文は赤、書き下し文は緑、註は青で表記した……と言いたい所だが、MS−WordでHTM化したために比較的新しいIE以外では色分け表示が出来ない場合がある。予め、ご了承頂きたい。

 

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八犬士伝序

初里見氏之興於安房也徳誼以率衆英略以摧堅平呑二総伝之于十世威服八州良為百将冠当是時有勇臣八人各以犬為姓因称之八犬士雖其賢不如虞舜八元忠魂義胆宜与楠家八臣同年談也惜哉載筆者希於当時唯坊闌R記及槙氏字考僅足識其姓名至今無由見其顛末予嘗憾之敢欲攻残珪自是常畋猟旧記不已然猶無有考据一日低迷思寝▲(黙のレンガが目)▲(目に徳)之際有脚自南総来語次及八犬士事実其説与軍記所伝者不同敲之則曰曾出于里老口碑敢請主人識之予曰諾吾将広異聞客喜而退予送之于柴門下有臥狗在門傍予忙乎踏其尾苦声倏発于足下愕然覚来則南柯一夢也回頭覧四下茅茨無客柴門無狗吠言熟〃思客談雖夢寐不可捨且録之既而忘失過半莫奈之何竊取唐山故事撮合以綴之如源礼部弁竜根于王丹麓竜経如霊鴿伝書於滝城擬張九齢飛奴如伏姫嫁八房倣高辛氏以其女妻槃瓠其他不遑毛挙数月而草五巻僅述其濫觴未創八士列伝雖然書肆豪奪登諸梨棗刻成又乞其書名予漫然不敢辞即以八犬士伝命之

  文化十一年甲戌秋九月十九日 洗筆於著作堂下紫鴦池

                              蓑笠陳人解撰

はじめ里見氏の安房に興るや、徳誼を以て衆を率い、英略を以て堅を摧き、二総を平呑して之(これ)を十世に伝う。八州を威服して、よく百将の冠たり。この時に当たりて勇臣八人あり。おのおの犬を以て姓とす。よりて之を八犬士と称す。その賢は虞舜の八元に如かずといえども、忠魂義胆は、よろしく楠家の八臣と年を同じうして談ずべし。惜しいかな、筆に載せる者、当時において希(すくな)し。ただ坊闌R記および槙氏が字考の、僅かにその姓名を識るに足る。今に至りて、その顛末を見る由なし。予、かつて之を憾(うら)む。あえて残珪を攻めんとす。これより常に旧記を畋猟して已(や)まず。しかるもなお、考据あるはなし。一日低迷して寝を思う。▲(黙のレンガが目)▲(目に徳)の際、客の南総より来るあり。語を次ぎて八犬士の事実に及ぶ。その説は軍記に伝うる所と同じからず。之を敲けば則ち曰く、かつて里老の口碑に出たり。あえて請う、主人が之を識(しる)せよ。予曰く、諾と。吾まさに異聞を広げんとす。客は喜びて退く。予、之を柴門の下に送る。臥狗ありて門傍に在り。予が忙乎として、その尾を踏めば、苦声倏(たちま)ち足下に発(おこ)る。愕然として覚め来れば則ち、南柯の一夢なり。頭を回して四下(あたり)を覧れば、茅茨に客なく、柴門に狗吠なし。ここに熟々(つくづく)客の談を思えば、夢寐といえども捨つべからず。まさに之を録せんとす。既にして忘失するもの半ばに過ぐ。之をいかんせんとするに、いかんともせんすべなし。竊(ひそか)に唐山の故事を取りて、撮合し以て之を綴る。源礼部が竜を弁ずるがごときは、王丹麓が竜経に根(もとづ)く。霊鴿の書を滝城に伝うるがごときは、張九齢の飛奴に擬す。伏姫の八房に嫁するがごときは、高辛氏の以てその女を槃瓠に妻するに倣えり。その他にも毛挙に遑あらず。数月にして五巻を草す。僅かにその濫觴を述べて、いまだ八士列伝を創せず。しかりといえども書肆は豪奪して諸を梨棗に登す。刻成りてまた、その書名を乞う。予は漫然として、あえて辞せず。即ち八犬士伝を以て之に命(なづ)く。

  文化十一年甲戌秋九月十九日 筆を著作堂下の紫鴦池に洗う

                            蓑笠陳人解きて撰

 

★面倒だから原則として序には註を付けない。ただ今回は、特別に「虞舜八元」を取り上げる。虞舜は古代中国の伝説的な帝王だ。「史記」の「五帝本紀」巻一に、「黄帝居軒轅之丘而娶於西陵之女是為▲女に螺のツクリ/祖▲女に螺のツクリ/祖黄帝正妃生二子其後皆有天下其一曰玄囂是為青陽降居江水其二曰昌意降居若水昌意娶蜀山氏女曰昌僕生高陽有聖徳焉帝崩葬橋山孫昌意之子高陽立是為帝▲瑞のツクリにオオガイ/▲王にオオガイ/也……中略……而玄囂之孫高辛立是為帝▲學の子が告/帝▲學の子が告/者高辛者黄帝之曾孫也……中略……高辛生而神霊自言其名施利物不於其身聡以知遠明以察微順天之義知民之急仁而信修身而天下服取地之財而節用之撫教万民而利誨之暦月日而迎送之明鬼神而敬事之……中略……而摯代立帝摯立不善崩而弟放立是為帝尭……中略……富而不驕賢而不舒黄収純衣▲丹に影のツクリ/車乗白馬能明馴徳……中略……尭曰蹉四獄朕在位七十載汝能庸命践朕位獄応曰鄙徳忝帝位尭曰悉挙舅戚及疎遠隠匿者衆皆言於尭曰有矜在民間曰虞舜……中略……舜受終於文祖文祖者尭大祖也……中略……尭知子丹朱之不肖……中略……尭崩三年之喪畢舜譲辟丹朱於南河之南諸侯朝観者不之丹朱而之舜獄訟者不之丹朱而之舜謳歌者不謳歌丹朱而謳歌舜舜曰天也夫而後之中国践天子位焉是為帝舜虞舜者名曰重華……中略……於是尭乃試舜五典百官皆治昔高陽氏才子八人世得其利謂之八▲リッシンベンに豈/高辛氏有才子八人世謂之八元〈賈逵曰元善也索隠曰左伝高辛氏有才子八人伯旧仲堪叔献季仲伯虎仲熊叔豹季狸〉此十六族者世済其美不隕其名至於尭尭未能挙舜挙八▲リッシンベンに豈/使主后土以揆百事莫不時序挙八元使布五教于四方」。長々と引用したけれども、「八元」が登場する条は最後の数行だけだ。モノには文脈というものがあるから、こうなってしまった。ご容赦いただきたい。要するに、傑物であった帝尭は不肖の息子に位を譲らずに民間から舜を起用した。舜は一旦は承知するものの、いざ帝位を嗣ぐべき時が来ると尭の息子に位を譲ってしまう。しかし人々は舜のもとに集まり、尭の息子を見放した。舜は漸く天命を悟って、帝位に就くを潔くする。帝位への抜擢に先立ち尭は、舜の才能を確認するために見習いとして官を務めさせた。このとき舜は優れた十六人の人物を任用した。うち八人が高辛氏の子である「八元」だった。八元の職掌は「布五教于四方」とあるが、別に宣教師になったり学校の先生になったりしたのではあるまい。他の八人が「主后土以揆百事」であるから徴税などの実務を担当したと思われるので、一方の八元は典礼や朝廷内の各種調整を行ったか。八犬伝流に解釈すれば、「婦幼のねふりを覚す」ことが務めであったか。また、尭の治世態度を述べた部分で自分は贅沢をせず倹約したと述べているが、それを「白馬に乗らなかった」ことなどで表現している。白馬に乗ることを、驕慢の典型としているのだ。八犬伝序盤で、白馬は「白妙の人喰い馬」山下定包の驕慢を示す。そして何より興味深いことは、八元が高辛氏の子供たちであった点だ。八元の父・高辛氏は、敵に攻めら苦し紛れに口走った「敵将を討ち取った者を婿とする」との約束を果たさざるを得ず、遂に娘を犬に娶せた帝である、とは此の序末尾近くで明かされている。勿論、里見義実を高辛氏とイコールだと言うのではない。義実はもとより八犬伝の登場人物は多種多様な過去の物語を背負っている。多面体たる義実にとって高辛氏は、一側面に過ぎない。因みに高/辛/氏に擬せられた義実は此の序文中で源礼部と表現されており、礼部は治部省の唐名だけれども、史料中で里見義実は刑部なんだが、太平記なんかの見出しに現れる治部大輔は、既に「MockingBird」で書いたように足利高氏なんだけれども、まぁ、此処では深く考えないようにしよう。ところで筆者の手元にある「史記」は、上総鶴牧藩校修来館が作った増訂史記評林の影印本だから〈……〉で示した註は、其れに拠る

 

世にいふ里見の八犬士は犬山道節{乳名道松}犬塚信乃{乳名志之}犬坂上野{乳名毛野}犬飼見八{乳名玄吉}犬川荘佐犬江親兵衛{乳名真平}犬村大角{乳名角太郎}犬田▲(サンズイに文)吾{乳名小文吾}則是なり。その名軍記に粗見えて本貫終始を審にせず。いと惜むべき事ならずや。よりて唐山高辛氏の皇女槃瓠{犬の名なり}に嫁したる故事に倣ふて個小説を作設因を推果を説て婦幼のねふりを覚すものなり。

肇輯五巻は里見氏の安房に起れるよしを演亦是唐山演義の書その趣に擬したれば軍記と大同小異あり。且狂言綺語をもてし或は俗語俚諺をまじへいと烏呼しげに綴れるは固より翫物なればなり。

この書第八回堀内蔵人貞行が犬懸の里に雛狗を獲たる条より第十回義実の息女伏姫が富山の奥に入る条までこれ全体の発端なり。しかれども首尾具足して全体を闕ことなし。二輯三輯に及ては八人ンおのおの列伝あり。来ん春毎に嗣出して全本になさんこと両三年の程になん。

                                  蓑笠陳人再識

 

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第一輯口絵

浪中得上龍門去 不歎江河歳月深

浪中、龍門を上り去るを得。歎ぜず、江河歳月の深きを。

里見治部大輔義実

 

からうすに つきおしてるや なにわえの はたれもからし かにかくによは 著作堂

金碗八郎孝吉

 

★万葉集巻第十五由縁有る雑歌「蟹のために痛みを述べて作る」(角川文庫版三九〇八。従来三八八六)を元にしている。天皇の宴会に呼び出された蟹が宮に行き縛り上げられ、楡の葉を搗いたものと塩汁を塗りたくられ目にも擦り込まれ、美味い旨いと食われる様を蟹の側から歌ったものだ。万葉集には此の手の歌も多い。幼稚純朴な笑いが其処にあったか、何かの事件の被害者側の気持ちを蟹に仮託して代弁したものだととるかは、読者の精神状態に依る。いつも鬱屈している筆者は後者だ。馬琴も自分の歌で下の句、「世知辛いものだ、色々あって世の中は」と換えて歌っているから、後者の立場だろう。また、第四回、全身漆で爛れた孝吉に蟹の汁を塗り服用させ、治癒に成功する里見義実のエピソードを暗示してもいる

 

周公恐懼流言日 王莽謙恭下士時 若使当年身便死 至今真偽有誰知 白居易読史詩

周公、流言を恐懼するの日。王莽、下士に謙恭する時。もし当年にして身、便ち死なしめば、今に至り、真偽を誰か知る有り。

山下柵左衛門尉定包・神余長挟介光弘が嬖妾玉梓

 

何事をおもひけりともしられしな ゑミのうちにもかたなやハなき 衣笠内府

堀内蔵人貞行・朴平・無垢三・杉倉木曽介氏元・安西三郎大夫景連・麻呂小五郎信時

 

★夫木和歌抄巻第三十二雑部十四の一五一〇五にあり。ただし新撰和歌六帖第五帖一八二六「なにごとをおもひけりともしられしなゑみのうちにもかたなやはなき」。ちなみに本稿で歌の後に附記している番号は、特に断らない限り角川の国歌大鑑に拠る。衣笠内府は藤原定家の門弟である衣笠家良。藤原氏近衛流。正二位大納言忠良の男で母は大納言藤原定能女。大納言基良の弟に当たる。新撰和歌六帖第五帖の選者の一人

 

深宮飽食恣▲(ケモノヘンに争)獰 臥毯眠氈慣不驚 却被捲簾人放出 宜男花下吠新晴 元貢性之詩

深宮に飽食の▲(ケモノヘンに争)獰を恣にす。毯に臥し氈に眠り、慣れて驚かず。却って簾を捲かれ、人に放り出さる。わすれ草のもと、新晴に吠ゆる。

伏姫・里見義実の愛犬八房

 

★読本「七・七バランス」シリーズで述べたように、挿絵は本文にない隠微な情報を隠し持っている。八犬伝の本文外で馬琴が言っているように、絵師には女性とあれば美人に描く習性があるらしい。また、絵師によって理想とする美人は微妙に差があるものの、総べて〈引目鉤鼻〉の伝統から大きくは逸脱していない。八犬伝の挿絵も絵師によって女性の顔立ちは異なるが、大雑把な年齢階層による類型化こそあれ、個々人の描き分けは顕著ではない。近世後期、肖像画こそ、かなり写実的になってはいたが、挿絵に就いては、絵師の裡なる女性像に強く拘束されるものであるからして、仕方のないことだ。例えば現在の漫画でも、さほど顕著に個々の登場人物を描き分けてはいないであろう。事情は同じである。しかしさて、着物の模様となれば、より描き分けは容易だ。牡丹・桜・梅・麻花・青海波・千鳥格子などなど、八犬伝の挿絵に登場する文様は、かなり詳細かつ多様に描かれている。筆者の趣味は写真なのだが、カラー写真なら色で誤魔化せるので人の目を惹くことがより容易なのだが、黒白写真となれば構図/文様センスがモノを言う。一色刷が原則である挿絵では、構図と文様でこそ、読者の目を楽しませなければならない。八犬伝挿絵でも、文様は等閑視できなかったであろう。まるで歌舞伎役者の如く趣向を凝らした衣装を纏う八犬伝の登場人物たちだが、特に女性に注目したい。筆者は女好きなのである。さて、第一輯口絵に於いて指摘せねばならぬ事は、伏姫・信乃・玉梓が、共に桜模様の衣装を身に着けている点だ。馬琴自ら、伏姫と信乃が共に犬に乗る場面は、両者の繋がりを示すものだと語っている。二人には、共通点がある。此の事を口絵は、着物の模様で示していると考えられる。ならば、伏姫と玉梓が共に桜模様の着物を身に着けていることは、二人が深い関係にあることを示していなければならない。但し、二枚の着物は、対称的でもある。即ち、伏姫の着物は白く、玉梓の着物は薄墨をかけて黒くなっている。共に桜模様でありながら、白/陽と黒/陰なのだ。同じ表象/桜を持ちながら、対称的である。此の関係は、取りも直さず、伏姫と玉梓の位置関係を物語っているだろう。共通し且つ対称。此の様な関係は、戸山妙真と八百比丘尼妙椿の間にも見られる。妙真は在家の烏婆夷であり、妙椿は剃髪した比丘尼だ。共通し且つ対称である。「真」はマコトであるが、本質/natureから直截に表現されるモノ、ぐらいの意味だ。「椿」は植物……ではなく「椿説弓張月」の「椿」であって「珍」に庶い。「椿事(ちんじ)」)とは、天然自然が順調に運行しておれば起こり得ぬことが起こったことをいう。本質/nature/自然から逸脱した現象を指す。「真」と「椿」は、対称であって、しかも、シンとチンで音が通じている。共通かつ対称である両者は、或る登場人物に深く関係していく。妙真は孫の親兵衛を溺愛し、妙椿は親兵衛に祟り且つ親兵衛に滅ぼされる。筆者は「七・七バランス」シリーズで、妙真と妙椿の共通・対称性に着目し、〈母なる者の両義性〉に思いを至らせた。妙真は親兵衛にとって一般的もしくは〈善い母親/祖母〉(但し、ちょっと甘め)だ。一方、妙椿は親兵衛にとって〈悪しき母親/祖母〉である。〈常識的〉な方々から感情的な反論を受けそうだから具体的かつ詳細に書いたりはしないが、「五行大義」にも、母は凶、と明記している。母は子を、拘束するからだ。親兵衛は、大人への加入儀礼、言い換えれば子供世界からの脱出儀礼として、拘束する者即ち〈母なる者〉を滅ぼさねばならなかった。犬士の尊属で、生き残っていた者は妙真だけだ。他は殺されたり病死したり行き倒れたりしている。唯一残った妙真は、他ならぬ親兵衛に滅ぼされなければならない。ただ、そうなると色々と差し支えがある。読者の大きな支持は得られないだろう。故に、妙真から悪しき側面を分離、悪役・妙椿として登場させ、親兵衛と敵対させたのだ。そもそも妙真は親兵衛にとって実世界に於ける祖母だが、犬士の父たる八房の乳母は玉面嬢/妙椿であるので、両者の親兵衛に対する身等関係は庶い。また此と似たような関係に、政木狐と箙大刀自の対比があるが、長くなるので、また今度。とにかく、伏姫と玉梓が〈共通し且つ対称〉の関係ならば、妙真・妙椿の関係が大いに参考となる。有り体に言えば、「共通し且つ対称」の関係にあるとは、根を同一にしつつ分化した複数の存在、だ。陽も陰も、混沌から分化したものだ。伏姫と玉梓は……と、口絵に目を転ずれば、伏姫の足下には牡丹形の模様が付いた巨犬・八房、玉梓の足下には牡丹模様の衣装を着けた山下定包がいる。「闇からの発生」で「人」と「犬」が対語の関係にあることを示したが、対語とは〈対称の関係〉である。同じく牡丹を身に纏う、人と犬とは、「共通し且つ対称」の関係である。八房と定包もまた、「共通し且つ対称」の存在であることが解る。同一なる者から分化した、共通かつ対称の存在が並び置かれ、読者に提示される。此の口絵を前提として、八犬伝は幕を開ける

 

正夢と起き行く鹿や照射山 東岡舎羅文

金鞠大輔孝徳

 

★列子卷第三周穆王篇「前略……鄭人有薪於野者偶駭鹿御而撃之斃之恐人見之也。遽而藏諸隍中覆之以蕉不勝其喜俄而遺其所藏之處遂以為夢焉順塗而詠其事傍人有聞者用其言而取之。既歸告其室人曰向薪者夢得鹿而不知其處吾今得之彼直真夢矣。室人曰若將是夢見薪者之得鹿邪▲(ゴンベンに巨)有薪者邪今真得鹿是若之夢真邪。夫曰吾據得鹿何用知彼夢我夢邪。薪者之歸不厭失鹿。其夜真夢藏之之處又夢得之之主。爽旦案所夢而尋得之。遂訟而爭之歸之士師。士師曰若初真得鹿妄謂之夢真夢得鹿妄謂之實彼真取若鹿而與若爭鹿室人又謂夢仞人鹿無人得鹿今據有此鹿請二分之、以聞鄭君。鄭君曰▲(クチヘンに喜)士師將復夢分人鹿乎、訪之國相。國相曰夢與不夢臣所不能辨也欲辨覺夢唯黄帝孔丘今亡黄帝孔丘孰辨之哉且恂士師之言可也……後略」。これは老荘思想の得意技、〈夢だと思っていた感覚が本当に夢だったのか、それとも目覚めている筈の現在の感覚が夢なのか〉とのドグラマグラだ。樵(きこり)が木を伐りに行き鹿を得た。樵は鹿を芭蕉葉で隠し帰ってきたが、自分では其れを夢だと思った。夢ならば鹿は得られておらず、得られていないから失うこともない。樵は経緯を詞にして歌い歩いていた。歌を聞いた者が山に行き、芭蕉葉で隠した鹿を得た。樵は、得た筈の鹿が歌を聞いた者に奪われた夢を見て、取り返しに向かう……。無限に続く〈夢〉のループ、合わせ鏡の無間地獄。しかし考えてみれば、天/陽も地/陰も、共に混沌から生まれた。夢と現ウツツ、峻別する必要が抑もあろうか

 

八犬士髻歳白地蔵之図

平居勿恃(悖カ)汝青年趁此青年好勉旃

平居、恃むなかれ汝が青年。此の青年に趁りて好く努めよや

犬塚信乃・犬江真平・犬村角太郎・犬坂毛野・犬田小文吾・犬川荘介・犬飼玄吉・犬山道松・

あげまきのあとだにたゆる庭もせに おのれ結べとしげる夏草 定家卿和歌

丶大和尚

 

★漢詩・和歌とも同様趣旨で、「少年時に自ら勉め強くなる」ことを勧めている。直前の挿絵では老荘的な達観が描かれていたために夢幻の狭間に遊んだ読者は、急に世俗的な教訓歌で現実に引き戻される。哲学/夢想と世智/現実を急に移動した読者は、改めて夢想と現実の差が紙一重だと気付く。だって、一瞬にして移動できる〈距離〉しかないのだ。さて、挿絵背景で歌われた教訓歌だが、此は何も現在に於けるような〈勉強〉は勧めていないだろう。第一、挿絵自体は犬士が勢揃いして丶大と遊んでいるのだ。丶大の目つきが何だかエロくイヤラシイが、誰が狙われているかと言えば、当然、美少女信乃だ。信乃に決まっている。何故なら、筆者だったら当然、信乃か毛野を狙うからだ。河童頭の現八は絶対ヤだ。……いや、そうではない。挿絵タイトルには「白地蔵」いはばカクレンボ/とあるが、挿絵自体は「子とろ子とろ」いはば数珠繋ぎオニゴッコ/の様子を描いている。幼少期、喧嘩とか戦争ごっこと並び、カクレンボ・オニゴッコは主要な遊戯だ。関東各所に潜在している犬士たちを、鬼である丶大が見つけて回るストーリーは、カクレンボだ。だから口絵のタイトルは「白地蔵」になったんだろう。しかし絵は「子とろ子とろ」だ。簡単にルールを説明すると、一人の鬼が、その他の子供を追う。その他の子供は各々前の子供にしがみつき、数珠繋ぎになる。先頭の子供は親だ。鬼は最後尾の子供を捕まえようと走り回る。先頭の「親」は最後尾を取られまいと鬼の前に立ちはだかる。後ろの子供達は「親」の背後に急いで回り込んで鬼から逃れようとする。だから丶大は当然、最後尾の信乃を狙っているのだ。別に桜模様の着物を剥ぎ取ってアンナことやソンナことをしようとの、不純な動機ではない。別にイヤラシイ下心なんてない。しかし、何故に筆者は毛野をも狙うのか? 何故なら、丶大も狙っているかもしれないからだ。だって、男の子よりも美少女の方が好いだろう。……いやいや、そうではなく、毛野も最後尾なのだ。此の「子とろ子とろ」は如何やら変則らしく、道節を先頭に現八・荘介・小文吾・角太郎・親兵衛・信乃の順で繋がっているのだが、毛野一人だけが横から角太郎の辺に接続している。一列になっていないのである。女メが一人交じる北斗の七つ星、童女ワラワメ添いて具足するらん。北斗七星は近くに見える輔星と併せて八星として認識されてもいた。毛野が、他の七人とは稍異なる性格を帯びていると考える論者は従来からいる。筆者にとっても毛野は〈特別な存在〉だが、「他の七人とは稍異なる性格を帯びている」事情を、口絵は視覚化しているか

 

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第一回

「季基訓を遺して節に死す 白竜雲を挟みて南に帰く」

義実三浦に白龍を見る

里見よしざね・杉倉木曽之介氏元・堀内蔵人貞行

 

★龍の一部が見えている。本文には「契あれば卯の葉葺ける浜屋にも竜の宮媛かよひてしかな」仲正家集/勿論、背景には八幡神話が存在している。日本武尊の孫にして神功皇后の息子である応神天皇が八幡であるとは、馬琴の時代には常識であった。里見義実は八犬伝冒頭で、執拗なほど源頼朝に擬せられている。八幡は源家の氏神であり八犬伝中、義実にも八幡神の擁護がある。「八幡愚童訓」などで応神の母・神功皇后は、朝鮮半島を侵略する際に、美人の妹を龍宮に遣わして海の干満を自在に起こす双玉を借りた。引き替えに胎内に在る子を、龍王の婿もしくは愛人として差し出す約束をした。干満の玉を使って日本軍は大勝し、神功皇后は降伏した相手の王を「ほほほほほっ、お前は犬よ、犬なのよぉぉぉっっ。はぁはぁ、じょっ女王様と、お呼びぃぃっっ」と罵りつつハイヒールで踏みにじった。いや、ハイヒールは嘘だが、朝鮮王を犬呼ばわりして貶めたとは、愚童訓ほかに書いている。鎌倉武士の遊び/訓練であった、「犬追物」逃げる犬を騎射するゲームは、犬を朝鮮軍に擬したものといぅ説も近世には流布していた。干満の玉を借りる代わりに応神を龍王に差し出す「契り」が貞行の歌である。龍王の娘が海辺の白屋に訪ねて来て、応神を姦した状況を歌っている。即ち此処で義実は、頼朝を飛び越えて八幡神/応神に擬せられている。だったら貞行と義実は……とまでは気を回さなくても良い。いや、半分は気を回しても良いかもしれない。義実が応神なら、貞行は龍に関係していると考えても面白い。しかし貞行と氏元が「股肱の臣」なら、どちらかが「股の臣」となるが、うぅむ、「股の臣」とは何をする家来なのか……とまで考える必要は全くない。ところで八幡は、伊勢と並んで「二祖宗廟」とされ最高の格式を以て朝廷に遇された。実は真の初代天皇は応神であるとの説は古くからあった。だいたい、干満の呪文を操り兄の海彦を服従せしめた山彦が龍宮の姫と姦して出来た子と、其の姫の妹すなわち叔母が交合した結果が、神武天皇だ。日本の建国には「龍宮」との交渉が重要な意味合いを持っているのだが、応神も龍宮と深い関係に陥っている。応神の祖父・日本武尊は、死に結果する東国侵略の途中、安房洲崎沖辺りで海神の怒りに触れ難破しそうになったが、嬬である弟橘姫が犠牲として没した為に、漸く難を逃れた。海を制御するため水底に沈んだ弟橘姫と、海を制御する龍宮の干満双玉は、無関係だろうか。リフレイン、照応や伏線や下染めが好きな馬琴が日本神話を書いたとしたら、応神付近の物語を、遙か過去に始点を移動し、応神前史として手を変え品を代え繰り返し描いたかもしれない。即ち、日本書紀と似たものとなったことだろう

 

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第二回

「一箭を飛して侠者白馬を▲(リッシンベンに呉)つ 両郡を奪ふて賊臣朱門に倚る」

落羽岡に朴平無垢三光弘の近習とたたかふ

山下定かね・那古ノ七郎・杣木ノぼく平・洲さきのむく蔵・天津ノ兵内

 

★背景に地蔵を載せた「供養塔」。七郎の胸の紋は描き込まず

 

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第三回

「景連信時暗に義実を阻む 氏元貞行厄に館山に従ふ」

景連信時義実を威す

安西かげつら・麻呂のぶ時・里見よしざね・杉倉氏元・堀内貞行

 

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第四回

「小湊に義実義を聚む 笆内に孝吉讐を逐ふ」

白箸河に釣して義実義士にあふ

里見よしさね・堀内貞行・杉倉氏元

金碗孝吉夜里人をあつむ

金まり八郎

 

笆内に孝吉酷六を撃

金まり八郎・しへた毛こく六

 

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第五回

「良将策を退て衆兵仁を知る 霊鴿書を伝へて逆賊頭を贈る」

瀧田の城攻に貞行等妻立戸五郎を追ふ

里見よしざね・金まり八郎・堀内貞行・妻立戸五郎

 

鈍平戸五郎便室に定包を撃

岩熊どん平・妻立戸五郎・山下定かね

 

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第六回

「倉廩を開きて義実二郡を賑す 君命を奉りて孝吉三賊を誅す」

賞罰を締にして義実玉梓を誅戮す

玉つさ・定かねが首級・戸五郎が首級・どん平が首級

 

氏元勇を奮て麻呂信時を撃

杉倉氏元・麻呂信時

 

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第七回

「景連奸計信時を売る 孝吉節義義実に辞す」

一子を遺して孝吉大義に死す

杉倉氏元・金まり八郎・里見よしさね・百姓一作・上総の大介・玉つさ怨霊

 

★賞を辞して金碗孝徳が唐突に切腹した事件を、「春秋左氏伝」の描く晋文公/重耳説話に登場する介之推に擬する論者もあるか。「晋侯賞従亡者介之推不言禄禄亦弗及也。推曰献公之子九人唯君在矣恵懐無親外内棄之天未絶晋必将有主主晋祀者非君而誰天実置之而二三子以為己力不亦誣乎竊人之財猶謂之盗況貪天之功以為己力乎下義其罪上賞其姦上下相蒙難与処矣。其母曰盍亦求之以死誰▲對のしたに心/。対曰尤效之罪又甚焉且出怨言不食其食。其母曰亦便知之若何。対曰言身之文也身将隠焉用文之是求顕也。其母曰能如是乎与汝偕隠。遂隠而死」/僖公廿四年。実は、この話の前段として、放浪から凱旋した重耳を幾人かの者が訪ねてくる。旧法を犯してまで苦境にあった重耳を援助した者達だ。当初は敬遠していた此らの恩人を、遂に重耳は賞する。このように積極的な申し出を以て賞を得た者たちに続いて、介之推のストイックに過ぎる説話を載す以上、後者が強調されている。介之推の論理は〈天の意思が重耳を晋公の座に就けたのであり人為の介在は意味を成さない。故に人為を施したといって賞を求めるは、無価値なものによって賞を受け取ることであり、盗みに等しい。重耳も人々も、此の天の理を理解していない。だから当然、自分は禄を求めることはしないし、重耳たちと同じ空気を吸うことさえ厭わしいので、世俗から隠れて生きることにする〉ぐらいだろう。実を言えば、放浪生活の中で重耳は何度か暗殺されかけた。其のうち幾度かは、〈天に愛され晋公に就くであろう重耳を犯せば重い天罰が降る〉との論理によって暗殺者が思い止まっている。重耳を守っていたものは、〈天の意思が重耳を守っている〉との幻想もしくは預言であった。此の論理は、介之推ら、重耳に忠節を尽くした者達の主張でもあったろう。そういえば、重耳が晋に帰還する直前、亡命当初から従っていた子犯が袂を分かつて遁世する。子犯は重耳から預かっていた璧を返して去ろうとするが、重耳は黄河に壁を投げ捨て子犯の前途を祝福する。実は此の子犯こそ、逃亡当初に重耳が狄でヌクヌクと安住しようとした折、重耳を酔い潰した挙げ句に拉致して無理遣り逃亡生活を続けさせた張本人である。従者たちの論理からすれば、重耳の意思に反していようが如何しようが、重耳は晋に戻って公とならねば、天の意思に背くことになるのだ。総ての反論、重耳の意思すら踏みにじって、従者たちは重耳を晋に戻すべく尽力した。天の理を主君に遵守させることこそ、本来的な忠であり義である。そして、自ら主張していた文脈に、自らを従属させることは、信である。従者たちは、天の理を強調し続けなければ自らの主張してきたことを全うできないと、考えてしまったのだろう。だが例えば一旦は重耳のもとを去った子犯は、いつの間にか舞い戻って上将軍に納まっている。結局、介之推が死ななければならなかった理由は、〈重耳が介之推のことを忘れていた〉からに尽きる。積極的に褒賞を求めることは天の理の成果を盗むことになるので出来ない。このことを母に説明する中で、重耳が馬鹿だと悪口を叩いた。当時は君臣関係が、組織への従属ではなく個人的関係の側面が強い。主君個人を否定することは君臣関係の解除に繋がる。現在の従属関係とは決定的に異なる点だ。介之推は、故に出奔せねばならず、伯夷の如く死ななければならなかった。こう考えてくると、里見義実から賞を与えられようとする孝徳は、自ら言うように二君に仕えることを潔しとしない潔癖さ故に、切腹したと解釈したくなる。が、八犬伝に於いて、暗愚の君を見放して良将に雇われ直すことは是認されている。政木大善をはじめとして、枚挙に遑がない。孝徳は死ななくても良かったのだ。孝徳が死ぬためには、〈二君に見えること自体が否定されるべきだ〉との論理が必要となる。そんなこと言ってたら、道節だって現八だって切腹しなければならなくなるし、だいたい孝徳自身が、裁きの場で玉梓に対し釈明している。孝徳に切腹しなければならない理由は、実はない。にも拘わらず切腹した理由は、挿絵に描かれている。従来は例えば、自らの裡に矛盾を生じた孝徳が切腹するに至り、其の様を何処からか現れた玉梓怨霊が快さげに眺めている、との解釈があった。しかし、上記の如く、八犬伝では、登場人物は口先では色々言うけれども、実の所は二君に見えること自体を決して否定してはいない。孝徳は、〈魔が差して、ついつい切腹しちゃった〉のだ。或いは、〈一時的に誤った論理に取り憑かれて切腹しちゃった〉のである。「誤った論理」とは即ち、玉梓の論理だ。玉梓は裁きの場で、〈武士は二君に見えず、女は二夫に見えない、と言われているが、孝徳はじめ神余の旧臣たちは里見義実に従うに至り、二君に見えている。ならば女である自分が神余光弘から山下定包に乗り換え二夫に見えたことも、責められるべきではない〉と陳述する。孝徳が説き破った如く、玉梓が責められるべき罪の中核は、光弘から定包に乗り換えたことではない。しかし、玉梓としては、陳述したことこそ、自らの違法性棄却事由であった。自分が断罪されるならば、二君に見えた者も罪せられねばならない。抑も話が食い違っているのだが、其処の所を理解できるほど賢明ならば玉梓は元々罪をつくらなくて済んだ。愚かさ故の誤解だが、玉梓は如何やら、此の誤った論理に孝徳を陥らせることに成功した。如何やったかは分からないのだが、〈誤った論理に孝徳を陥らせた〉ことは確かだ。何故なら、挿絵では、玉梓怨霊が、将に割かれた孝徳の腹中から漂い出ているからだ。何処からかやってきて孝徳の切腹を眺めているのではなく、正に孝徳の腹の中に潜み切腹と同時に漂い出てきたのだ。挿絵に於いて、明確である。当時、意思は脳ではなく腹に在ると考えられていた。孝徳の意思に玉梓は入り込んでいたのだ。取り憑かれ意思を狂わされたからこそ孝徳は、しなくても良い切腹をした。この様な事情を、挿絵は示している。更に云えば、犬士らには何者も侵入していない。孝徳には隙があったのだろう。少なくとも逃亡先の屋敷で娘の濃萩を姦するほどには、隙があった

 

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第八回

「行者の岩窟に翁伏姫を相す 滝田の近邨に狸雛狗を養ふ」

玉つさ怨霊

伏姫を相て異人後難を知る

伏姫

瀧田の近村に狸狗児を孕む

堀内貞行

 

真野の松原に訥平大輔を逐ふ

金まり大すけ・かぶ戸とつ平

 

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第九回

「盟誓を破て景連両城を囲む 戯言を信て八房首級を献る」

戯言を信じて八房敵将の首級を献る

里見よしさね・杉倉氏元・里見よし成・伏姫

 

義実怒て八房を追んとす

伏姫・八ツ房・里見よしさね

援引事実 昔高辛氏有犬戎之寇帝患其侵暴而征伐不克乃訪募天下有能得犬戎之将呉将軍者賜黄金千▲(カネヘンに益)邑万家又妻以少女有畜狗其毛五彩名曰槃瓠下令之後槃瓠俄頃銜一頭泊闕下群臣怪而診之乃呉将軍首也帝大喜且謂槃瓠不可妻之以女又無封爵之道議欲報之而未知所宜女聞以為皇帝下令不可違信因請行帝不得已以女妻槃瓠槃瓠得女負而走入南山石室中険絶人跡不至経三年生六男六女槃瓠因自決妻好色衣服製裁皆有尾其母後以状白帝於是迎諸子衣裳▲(文に欄のツクリ)斑言語侏▲(ニンベンに離のツクリ)好入山壑不楽平曠帝順其意賜以名山広沢其後滋蔓号曰蛮夷今長沙武陵蛮是也』又北狗国人身狗首長毛不衣其妻皆人生男為狗生女為人云見五代史

 

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第十回

「禁を犯して孝徳一婦人を失ふ 腹を裂て伏姫八犬士を走らす」

一言信を守て伏姫深山に畜生に伴はる

やつふさ・伏姫

 

八犬士伝第二輯自序

稗官新奇之談嘗含畜作者胸臆初攷索種々因果無一獲焉則茫乎不知心之所適譬如泛扁舟以済蒼海既而得意則栩々然独自楽視人之所未見識人之所未知而治乱得失莫不敢載焉世態情致莫不敢写焉排簒稍久卒成冊猶彼舶人漂泊数千里至一海嶋邂逅不死之人学仙得貨帰来告之于人間也然如乗槎桃源故事衆人不信之当時以為浪説唯好事者喜之不敢問其虚実伝▲(シンニョウに台)数百年則文人詩客風詠之後人亦復吟哦而不疑嗚乎書也者寔不可信而信与不信有之自国史絶筆小説野乗出焉不啻五車而已屋下加屋当今最為盛而其言▲(ゴンベンに灰)諧甘如飴蜜是以読者終日而不足秉燭猶無飽焉然益於其好者幾稀矣又与夫煙草能酔人竟無充飲食薬餌者無以異也嗚乎書也者寔不可信而信与不信有之信言不美可以警後学美言不信可以娯婦幼儻由正史以評稗史乃円器方底而已雖俗子固知其難合苟不与史合者誰能信之既已不信猶且読之雖好又何咎焉予毎歳所著小説皆以此意頃八犬士伝嗣次及刻成書賈復乞序辞於其編因述此事以塞責云

文化十三年丙子仲秋閏月望抽毫於著作堂南▲(片に聰のツクリ)木▲(キヘンに犀)花蔭

                         蓑笠陳人解識

稗官新奇の談、かつて作者の胸臆に含畜す。はじめ種々の因果を攷索して一も獲ることなきときは則ち茫乎として心の適(ゆ)く所を知らず。譬えば扁舟を泛(うか)べて以て蒼海を済(わた)るがごとし。既にして意を得れば則ち、栩々然として独り自ら楽しむ。人のいまだ見ざる所を視(み)、人のいまだ知らざる所を識(し)る。しこうして治乱得失あえて載せざることなく、世態情致のあえて写さざることなし。排簒やや久しうして、卒(つい)に冊を成す。なお彼の舶人が漂泊数千里にして一海嶋に至り、不死の人に邂逅して仙を学び貨を得て、帰り来りて之を人間に告げるがごとし。しかれども乗槎桃源の故事のごとき、衆人は之を信ぜず。当時、以て浪説と為す。ただ好事の者は之を喜ぶ。あえてその虚実を問わず。伝えて数百年に至れば則ち、文人詩客が之を風詠す。後人もまた復た吟哦し、しこうして疑わず。ああ、書はまことに信ずるべからず。しこうして信と不信と之あり。国史の筆を絶ししより、小説野乗出る。ただ五車のみならず、屋下に屋を加う。今に当たりて最も盛んとなる。しこうしてその言の▲(ゴンベンに灰)諧は、甘きこと飴のごとし。是(これ)を以て読者は終日にして足らず。燭を秉(と)り、なお飽くことなし。しかれども、その好む者に益あること幾(ほとん)ど稀なり。また、それ煙草はよく人を酔わしむれども竟(つい)に飲食薬餌に充ることなきに与(ひと)しく、以て異なるはなし。ああ書は、まことに信ずべからず。しこうして信と不信と之あり。信の言は美ならず。以て後学を警(いまし)むべし。美言は、信ならず。以て婦幼を娯(たの)しますべし。もし正史に由(よ)りて稗史を評すれば乃(すなわ)ち、円器に方底(蓋カ)するのみ。俗子といえども、もとよりその合わせがたきを知る。いやしくも史と合せざれば、誰かよく之を信ぜん。既に已(すで)に信ぜずして、なおかつ之を読む。好むといえども、また何ぞ咎めん。予が毎歳著す所の小説は、皆この意を以てす。ちかごろ八犬士伝を継ぎ出す。刻成るに及びて書賈の復た序辞をその編に乞う。よりてこの事を述べて以て責めを塞ぐと云う。

文化十三年丙子仲秋閏月望 毫を著作堂南▲(片に聰のツクリ)木▲(キヘンに犀)花蔭に抽く

                 蓑笠陳人の解き識(しる)す

 

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八犬士伝第二輯口絵

酔ぬともいはれぬ春の花さかり さくらも肩にかかりてぞゆく

軍木五倍二

春風のやしなひたてしさくら花 またはるかぜのなそちらすらむ

犬塚番作・手束

 

★試記・酔ぬとも言はれぬ春の花盛り、桜も肩に懸かりてぞ往く/春風の養い立てし桜花、また春風の名ぞ散らすらん/共に抵抗力の少なそうな相手/この場合は「女性」なる共通点がある/にも暴力を発動し得る性格が語られているが、両者は対称的に描かれている。共通点がある一瞬の場面をそれぞれ切り取り、此の「対称」を際立たせている。

 

遠泉不救中途渇 独木難指大厦傾

遠き泉は中途の渇きを救わず、独木では大厦の傾くを指(ささえ)ること難し。

奴隷額蔵

 

★本文にも引かれている譬え。第四回「大厦の覆んとするときに一木いかでこれを挂ん」光弘に諌言を容れられなかった孝吉が出奔する折の心境。第十五回「大厦の傾くとき一木をもて挂がたし」匠作が番作に村雨を託すときの詞中

 

いせのあまのかつきあけつつかた思ひあはびの玉の輿になのりそ

一万度太麻・犬塚信乃

 

★試記・伊勢の海女の担ぎ上げつつ片思い、鮑の玉の輿にな乗りそ/鮑は一枚貝なので、〈対する相手がいない〉即ち〈片思い〉を象徴する。鮑貝の内側は虹色に輝き美しいため、真珠貝や青貝などとともに装飾として用いられた。漆面に嵌め込むと「螺鈿」となる。高級な装飾で、「あわびの玉の輿」とは、螺鈿模様の輿であるか。かなりのレベルの「玉の輿」を暗示すると共に、それが「片思い」である悲劇をも意味しているか

 

三保谷かしころに似たる破傘 風にとられしと前へ引く也

 

★試記・三保谷が錣に似たる破傘、風に取られじと前へ引くなり/源平屋島合戦を描く平家物語巻十一には、後の人口に膾炙する名場面が詰まっている。例えば、源氏方の那須与一が遠矢で船上の扇を見事に射落とした場面は、合戦のくせに雅で暢気な場面だ。戦争というより何かの遊び/ゲームの如き状況を描く。が、続く「弓流」で読者/聴取者は、現実に引き戻される。与一の弓術に感じ入ったか、平家の船上に齢は五十ばかり黒革威の鎧着て白柄の長刀を持った武士が舞い始める。平家方としては、まだ戦端の火蓋を切っておらず、エール交換の段階だったのだろう。が、源氏方の総大将・義経は無情にも、船上で舞う武士を与一に射殺させた。平家方はシンと静まりかえる。やがて平家方三騎が浜に乗り上げ、「仇寄せよ」と決闘を申し込む。義経は冷静に、「馬づよならん若党どもはせよせてけ散らせ」。下知に応じて飛び出したは、「武蔵の住人みを(三保)の四郎同藤七同十郎上野国の住人丹生の四郎信乃国の住人木曽の中次」の五騎であった。うち先駆けの三保谷十郎は馬を射られ地に墜ち小太刀を構えるが、平家の武士は大長刀。十郎、不利を覚って背を見せ逃げ出す。平家の武士は右手を伸ばし、「甲のしころをつかまんとす。つかまれじとはしる。三度つかみはづいて四度のたび、むンずとつかむ。しばしぞたまッて見えし、鉢のつけいたよりふつとひつきッてぞにげたりける」。十郎は、残る四騎が見物している所まで帰り、乱れた呼吸を整える。件の平家武者は追いもせず「長刀杖につき甲のしころをさしあげ大音声をあげて日ごろは音にも聞きつらん、いまは目にも見給へ。これこそ京わらんべのよぶなる上総の悪七兵衛景清よ、と名のり捨ててぞかへりける。続いて義経を主人公とした「弓流し」の段となる。……平家物語は好きなので、つい長く引用したが、「錣引き」は、「壇浦兜軍記」などの浄瑠璃や、謡曲などに取り上げられている。但し、シコロ引き其の物を中心的テーマとしているのではなく、平家滅亡/没落の悲哀を描くダシ、〈皆さんお待ちかねのハイライト〉として用いられている

 

巻舒在手雖無定用舎由人却有功

巻舒、手にあり。用舎は定なきといえども、人によりては功あるも却(しりぞ)く。

土田土太郎・網乾左文二郎・交野加太郎・板野井太郎

 

また色のおとしつくして又さらに 見るこそよけれ新の月影

浜路

 

★試記・また色の落とし尽くして、また更に、見るこそ佳けれ新の月影/虚飾を取り去った上で更に虚色を拭い去り、初めて新月の玄妙な美しさが解る。仏典などでも、夜毎に月の形が変わる理由を、それぞれ別の月が天の宮から出たり入ったりするからだと説明していたりするが和漢三才図絵は、地動説ながらも、月の満ち欠けは一つの惑星が太陽の光を反射する際に出来る影が原因だと論じている。太陽・地球・月の相対位置関係に依る、とのレベルでは現在の科学と一致する。「新月」もしくは其れに近い月齢で、完全に見えなくなるのではなくて、極めて淡く円形が浮かび上がっている状態を、「虚花」浜路に喩えたか

 

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第十一回

「仙翁夢に富山に栞す 貞行暗に霊書を献る」

馬を飛して貞行瀧田に赴く

この画の解第十六張の背に見えたり

堀うち貞ゆき

 

霊書を感して主従疑ひを解

よしさね・貞ゆき・よしなり

 

★書は「如是畜生 発菩提心」

 

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第十二回

「富山の洞に畜生菩提心を発す 流水に泝て神童未来果を説く」

草花をたづねて伏姫神童にあふ

伏姫

 

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第十三回

「尺素を遺て因果みづから訟 雲霧を払て妖▲(クサカンムリに嬖のツクリ、下に子/あやしみ)はじめて休」

妙経の功徳煩悩の雲霧を披

金まり大すけ・玉つさ・神変大菩薩

 

★神変大菩薩/役行者が厳かに立ち、傍らには満ち足りて穏やかな表情の玉梓。怨霊が解脱した瞬間だ。此を以て、玉梓の怨みは解消する。しかし後に里見家および犬士たちに、数多のマガツミが襲いかかる。余波は如何とも為し難い。蛇口を閉めれば水は落ちない。しかし盥に一旦落ちた水は波を広げ続ける。蛇口を閉めた途端に波立つ水面が急に治まったりはしない。〈余波〉とは、そういうものだ。玉梓怨霊は、一旦発動してしまった以上、色々と影響を及ぼす。「八百比丘尼」なる名称設定からすれば八百年程度は生きた狸なんだろうが、霊獣・玉面嬢を呼び寄せた。其れとは知らぬ里見家は、玉面嬢を祀ることなど思いもよらず、結果として新たな怨みを発生させた。玉面嬢は、玉梓が解脱しようが関係ない。玉梓怨霊は伏姫をして八房の子を懐胎せしめた。懐胎しちゃたのだから、後戻りは出来ない。そして、其れから発生した因果が、番作・亀篠の葛藤など其れ以前に発生していた因果と絡み、また新たな因果を発生させていく。関東連合軍対里見家の大戦で多くの因果は解消される。そして里見家が滅亡して、総ての因果は真に終息/収束し、無に帰する

 

肚を裂て伏姫八犬士を走らす

ほり内貞行・里見よしさね・金鞠大すけたかのり・伏姫・おさめつかい・をとめ使

 

★本文では霧が晴れ、富山の奥へと進んだ金碗大輔だが、伏姫切腹は急使たる柏田・梭織の名前からして天照皇大神の岩戸隠れに擬せられていることは明らかであり、此の後に犬士たちの〈暗黒時代〉が幕を開ける。八犬伝後半、田力雄神から名をとったと思しき田税兄弟が登場したかと思えば、神隠しに遭っていた親兵衛が里見義実を救出する輝かしい再出を果たす。岩戸が開き、再び世界に光が差し始める

 

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第十四回

「轎を飛して使女渓澗を渉 錫を鳴してヽ大記総を索」

使女の急訟夜水を渉す

堀内貞行

 

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第十五回

「金蓮寺に番作讐を撃つ 拈華庵に手束客を留む」

怨を報ひて番作君父の首級をかくす

大塚番作・にしごり頓二・牡蛎崎小二郎

 

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第十六回

「白刃の下に鸞鳳良縁を結ぶ 天女の廟に夫妻一子を祈る」

山院に宿して番作手束を疑ふ

庵主蚊牛・たつか・大塚番作

 

庚申塚に手束神女に謁す

たつか

 

★背景に道標、「庚申塚」「左り岩屋道」。犬に乗る女性が注目を集めるニハチ第十六回挿絵だが、思えば第八回挿絵で役行者が初めて登場した。折角の「八犬伝」だから、此の回ぐらいまで八の倍数だと気にしてしまう。果たして此は、重要な場面だ。偶々だろうけども。実は筆者、此の挿絵を余り好きではない。画面に隙がある。犬に乗る女性・手束・子犬が互いに離れすぎており、且つ各々小さい。写実的ではあるかもしれないが、やや説明的なキライがある。ただ、熟女・手束の腰つきが、絵師の手柄か。番作さんには悪いけれども、ついつい目がいってしまう。流石は、一億人の恋人・信乃の母親だ。さて、犬に乗る女性が伏姫として、犬/唐獅子に乗る所から、文殊菩薩に擬する論がある。また、弁天・吉祥天女だとする説もある。筆者が過去の日本を見る場合の視点は、多神教もしくは汎神論であるので、何連の論も正解であり誤答であると考えている。伏姫の〈正体〉は、八犬伝本文が明記しているように、観音菩薩だ。それ以外には、あり得ない。但し筆者の立場からすれば、日本の神々は揺らぎつつ各種仏格と習合されており、仏格同士も揺らぎつつ痴漢可能なほど接近している、ってぇか置換可能だ。一対一の対応を考えると、無理がある。本地と垂迹の関係も一律ではなく祀る寺社に拠り規定が異なるし、仏格同士の因位などの相互関係も一律とは言い難い。神々それぞれの輪郭はブレており、時に依り場所に拠って入れ替わる。これを筆者は、「神々の輪舞ロンド」と表現してきた。例えば、八幡神は一般には阿弥陀仏と習合されているが、馬琴が縁起を書いた豊後・両子山では観音とかすっている。密教では、阿弥陀が濁世に於いて観音として現ずると考える。八幡→阿弥陀→観音の置き換えは、余りにも容易である。一方、伏姫が天照皇大神と密接な関係にあると読本では執拗に述べてきたが、天照は観音の垂迹と考えられる場合もある。しかも岩戸に隠れたときには白い狐の姿であったとも伝えられている。善玉の超大物・政木狐が八犬伝後半で登場するが、彼女と河鯉孝嗣の関係は、伏姫と犬士なかんづく親兵衛との関係とダブっている。弁天と吉祥天女は混淆していたが、共に女性神である所から、博く女性っぽいと考えられていた観音と密接な関係を有していた。神格もしくは仏格を高次元の存在と考えれば分かりやすい。観音は如来に次ぐ存在・菩薩だから、天や王より高い次元だと仮定できる。高次元の存在が低次元に現れるとき、同時に別の場所・異なる形で存在し得るだろう。観音が、同時に異なる場所で、吉祥天女・弁天と違った形で出現することは可能なのだ。ってぇか、其の様なことが出来る存在が、観音菩薩なのである。それに抑も観音は〈変態菩薩〉なのだ。いや、「変態」と言っても、日本に於ける男色の祖とされていた弘法大師空海が斯道の佳さを仕込まれた相手・文殊師利菩薩ではない。文殊は「師利菩薩」すなわち「しり菩薩」であるから鶏姦を司る、との冗談から派生した近世の俗説なのだが、文殊は智恵の神だし、天然自然の媚びを以て堅物・小文吾さえ蕩かす毛野に決まっている。抑も男色を「変態」と呼ぶことは宜しくない。えぇっと、だから、観音は三十三の化身を以て衆生を教化することになっているので、変態が沢山あるのだ。近世には、西国・阪東・安房などの観音霊場巡り「三十三箇所」が博く行われた。三十三観音なんてのもあって、数合わせの為の無理遣りとしか思えないのだが、多くの観音が捏造されている。結局、伏姫は八犬伝に明記されているように「観音」なのだが、抑も一神教ではないのだから、仏格を固定化して窮屈に考えることはない。神仏に於いては、多対多の緩やかな関係性をこそ、認識すべきだ。また、犬に乗っているから文殊とは限らないし、玉を持っているから吉祥天女だと考えることも危険だ。犬/獅子に乗っていたら伏姫になるのなら、三十三観音のうち「阿▲麻のしたに玄▲齒の右に來/アマダイ」観音も獅子に乗っている。別名は無畏観自在菩薩である。観音の徳のうち、施無畏の側面を切り取り独立させた者だ。 施無畏とは多分〈彼我の差を認識することによって起こる恐怖心・警戒心というものを全く持たずに相手と一体となるほど親身の慈愛を注ぎ難しい教理を相手が最も理解し易い形で提示する〉智恵と勇気と博愛の複合概念ぐらいではないかと思っている。如何しても「智恵」が先立つよう感じられる文殊より、やはり観音の方が伏姫には似合っているのではないだろうか。そしてまた、玉を持つ仏格は、枚挙に遑がないほどだ。其の内で注目に値する者は、やはり薬師如来ではないか。実は吉祥天女は、薬師の眷属である。だいたい筆者は印度のダイナマイトバディむちむち女神のヤクシーがお気に入りだ。まぁヤクシーは夜叉女なんだが、薬師は観音、薬王、弥勒、無尽意、勢至、薬上、文殊、宝蓮華の八菩薩を引率している。また、光背に七つの分身すなわち善名称吉祥王如来、宝月智厳光音自在王如来、金色宝光妙行成就如来、無憂最勝吉祥如来、法海雷音如来、法海勝慧遊戯神通如来、薬師瑠璃光如来を背負っている。像となれば「七仏薬師」と呼ばれる。安房鋸山・日本寺には、巨大な七仏薬師の磨崖仏が安置されている。現存する者は昭和四十四年の作だが、原型は天明年間に完成したらしい。八犬伝では五百羅漢が言及されており、房総随一の仏地とされている、あの鋸山だ。所謂十二神将も、薬師の眷属だ。薬師は法隆寺金堂壁画に描かれていたぐらいで、古く信仰されていた。勿論、筆者は此処で伏姫と薬師を重ねようというのではない

 

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第十七回

「妬忌を逞して蟇六螟蛉をやしなふ 孝心を固して信乃瀑布に祓す」

思ひくまの人ハなかなかなきものをあハれ子犬のぬしをしりぬる

犬塚しの・亀笹・はま路

 

★試記・思い隈の人はなかなか無きものを、あわれ子犬の主を知りぬる/思い隈ある心の行き届いた人は、なかなかいない。それに引き替え感慨深いものは、子犬が主を知って深く交感していることだ。「犬は主を知る」との俗語があるように、犬は忠実な動物とされていた。ただ、「子犬のぬしをしりぬる」の「子犬」は信乃を指しているが、「ぬし」は、伏姫はじめ里見家を意味していないことには、注意を要する。信乃はまだ里見家と自分の繋がりを知らない。ただ信乃は、女性として育てられながらも武芸・学問を磨いており、里の子供たちと付き合うこともしなかった。即ち、環境/感情に流されることなく、若しくは与件たる子供達の集団に対する本能的凝集力を無視し、恐らくは父・番作の薫陶に依ろうが、既に漠然たりとも抱いている理想に甚だ忠実であった。故に此の場合、「ぬしをしりぬる」は、〈理想に忠実〉ほどの意味となろう。更に言えば、「忠」が対象個人へ無批判・無条件に向けられているのではなく、あくまで主体本人の理念と照らして発動すべきものであったことが解る。このような「忠」は、八犬伝では早く里見季基・大塚匠作の言動に共通して見られる。同時に、結城合戦から義実が離脱し足利成氏と敵対したこと、信乃が里見家部将として成氏と敵対し且つ大戦後まで村雨を返さなかったことが、少なくとも八犬伝世界中、決して不忠とされない行為であると了解される。一方で、信乃は大戦時、房八の血で染まった衣を放さず、房八の息子・仁を救う。再生の恩/負債を踏み倒してはいない。既存システム内の〈死んだ無意味なルール〉としての「忠」ではなく、血の通った自由意思をもつ主体個人たる人間としての「忠」を、信乃は示している

 

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第十八回

「簸川原に紀二郎命を隕す 村長宅に与四郎疵を被る」

牝を追ふて紀二郎糠助が屋棟に挑む

犬塚番作・しの

 

★猫の紀二郎は、番作切腹の契機をつくる呪われた猫だ。また、第四輯口絵に続き馬琴狂題として「一犬当戸 鼠賊不能進矣 犬乎犬乎 勝於猫児似虎」とあり虎に似た縞模様の猫が犬と敵対し打ち負かされる存在と規定されており、且つ、第七輯冒頭で偽一角を評した句に「子をおもふ夜の鶴よりかしましや 妻思ふ宿の雉子猫の声」とある。紀二郎猫が与四郎犬に殺されるに至った経緯は第十八回にある。〈番作が背門近き荘客糠助が厠の屋根に友猫と挑てをり……中略……友猫にいたくカマれて堪ざりけんコロコロと輾びつ丶厠のほとりへ撲地と落〉ちたことが直接の原因とされている。発情期の猫が、「友猫」に挑んで却って噛まれ屋根から転げ落ちたのだ。前出、偽一角に対する評が、〈発情期の猫は五月蠅い〉ぐらいの和歌っぽい狂歌となっていることから、紀二郎猫と似一角の山猫が、互いに繋がった存在であることが解る。なるほど、偽一角が一角を殺し擦り替わった動機は、美しい妻を寝取らんが為であった。きっと発情期だったのだろう。一方、紀二郎と紛らわしい名前に、直塚紀二六がいる。彼の場合は猫ではなく、あくまで〈本家〉のキジであって、鳥だ。蜑崎照文の娘「山鳩」と結婚したところから判る。紀二郎と紀二六は、まったく逆の存在だろう。但し、名を共通しつつ逆であるとの、対称関係にある

 

怨をかへして蟇六小ものを労ふ

庄官ひき六・かめささ・小ものがく蔵

 

★犬一匹との戦いで殊更に武張った様子を見せる蟇六の小人ぶりを示す

 

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第十九回

「亀篠奸計糠助を賺す 番作遠謀孤児を託す」

番作遺訓して夜その子に村雨の太刀を授

番作・しの・犬塚番作

帯雨南禽楚知春北入燕

帯雨、南禽は楚に春を知り、燕に北入す

 

★古代中国世界に於ける最南の国・楚で渡り鳥は、二十四節気の立春の次・雨水の頃に春潮帯雨、春が来たことを察知して、最北の国・燕へと向かう/春が来ると旅立つ鳥を、信乃に擬したか

 

つるき大刀さやかに出る月のまへに 雲きれて行むら雨の雲 玄同

 

★冤を呑んで死ぬなら愁嘆場となる筈だが、自らの切腹を、信乃を守り且つ信乃の巣立ちへの策謀と位置づける番作にとっては、己の存在感と機能を十全に発揮すべき晴れ舞台となる。番作は蟇六の犠牲者/行為対称ではなく、逆に、利害を察し自由意思によって積極的に行為を選択した行為主体なのである。勿論、此の冷徹さの背景には、信乃を思う熱い心が在る。まるで驟雨の如く見通しの利かない混沌たる世界で、ただ母に父に孝を尽くしながら自らを鍛えてきた信乃が、果たすべき目的を見つけ自らを主体とする人生を始める。父の自死によって彼は孤独となったが、後顧の憂いもなくなった。ただ、視界を遮る驟雨を切り払った水気を制御する剣・村雨を帯び独り、輝く月に向かって足を踏み出す

 

自殺を決て信乃与四郎を斫る

しの・亀ささ・ひき六

 

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第二十回

「一双の玉児義を結ぶ 三尺の童子志を演」

七歳の小児客路に母を喪ふ

犬川衛二が妻・荘之助

 

★非常に劇的な図。見上げる母親の顔に無念さが滲む

 

八犬伝第三輯叙

門前有狂狗其酒不沽而主人不暁猶且恨酒之不沽痴情若是者謂之衆人衆人有清濁猶酒有▲(酉に票)与▲(酉に央のしたに皿)也而清者其味淡薄雖酔易醒濁者其味甘美而酩酊矣奚思今者之衆懼後者之寡也是故瞿曇氏説法以為有地獄果天堂楽於是不思後者懼矣又何貴耳者之衆不賤目者之寡也是故南華子斉物論以為禁争訟於是貴耳賤目者愧矣然若彼寂滅之教媚者衆悟者弥〃寡矣宜其媚者口誦経而不能釈其義其迷者心祈利益而不知所以欲之凡如之之禅兜難度無有其功昔者震旦有烏髪善智識推因弁果誘衆生以俗談醒之以勧懲其意精巧其文奇絶乃方便為経寓言為緯是以其美如錦▲(カネヘンに嘯のツクリ)其甘如飴蜜蒙昧蟻附不能去焉既而所有之煩悩化為尿溺遂解脱糞門則不覚到奨善之域暫時為無垢之人云不亦奇乎哉余自少愆事戯墨然狗才追馬尾老於閭巷唯於其勧懲毎編不譲古人敢欲使婦幼到奨善之域嘗所著八犬伝亦其一書也今嗣其編三而刻且成因題数行於簡端嗚呼狗児仏性以無為字眼人則愛媚掉其尾我則懼▲(リッシンベンに呉)吠帝堯冀為瞽者猟煩悩狗以開一条迷路閲者幸勿咎其無根

文政元年九月尽日          蓑笠漁隠

門前に狂狗あれば、その其酒は沽われず。しこうして主人は暁(さと)らず。なおかつ酒の沽われざるを恨めり。痴情とは是の如き者。之を衆人と謂(い)う。衆人に清濁あるは、なお酒に▲(酉に票)と▲(酉に央のしたに皿)あるがごとし。しこうして清(す)めるは、その味淡薄にして酔うといえども醒め易(やす)し。濁るは、その味の甘美にして酩酊す。奚(なん)ぞ今を思う者の衆(おお)くして、後を懼(おそ)るる者の寡(すくな)きか。この故に瞿曇氏は法を説きて以て地獄果天堂楽ありと為す。これにおいて後を思わざる者も懼る。また何ぞ耳を貴ぶ者は衆くして、目を賤まざる者の寡きか。この故に南華子は物論を斉(ひとし)うして以て争訟を禁と為す。これにおいて耳を貴び目を賤しむ者も愧(は)ず。しかれども彼の寂滅の教えのごとき、媚びる者は衆くして、悟る者はいよいよ寡なし。宜(むべ)なり。その媚びる者は口に経を誦すれども、その義を釈(と)く能(あた)わず。その迷う者は、心に利益を祈れども、之を欲する所以(ゆえん)を知らず。およそ之のごときの禅兜は、度するといえども、その功あるはなし。昔、震旦に有烏髪の善智識あり。因を推(お)し果を弁ず。衆生を誘うに俗談を以てし、之を醒ますに勧懲を以てす。その意は精巧、その文は奇絶。乃ち方便を経と為し、寓言を緯と為す。是を以て、その美は錦▲(カネヘンに嘯のツクリ)のごとく、その甘きこと飴蜜のごとし。蒙昧の蟻は附けば去ること能わず。既にして有る所の煩悩は、化して尿溺となり、ついに糞門を解脱するときは則ち、覚えずして奨善の域に到り、暫時にして無垢の人になると云う。また奇ならずや。余は少(わかきとき)よりして愆(あやまち)て戯墨を事とす。しかれども狗才の馬尾を追いて、閭巷に老いたり。ただ、その勧懲において、毎編とも古人に譲らず。あえて婦幼をして奨善の域に到らしめんとす。かつて著わす所の八犬伝は、またその一書なり。今その編を嗣ぐこと三たびにして、刻はまさに成らんとす。よりて数行を簡端に題す。ああ狗児の仏性は無を以て字眼と為す。人は則ち媚びてその尾を掉(ふ)るを愛す。我は則ち▲(リッシンベンに呉/あやま)りて帝堯を吠えんことを懼る。冀(こいねが)わくば、瞽者の為に煩悩の狗を猟して以て一条の迷路を開かん。閲(けみ)する者は幸いに、その無根を咎むることなかれ。

文政元年九月尽日          蓑笠漁隠

 

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八犬伝第三輯口絵

田単破燕之日 火燎平原 阿難示寂之年 煙和両扞

田単の燕を破る日、火が平原を燎す。阿難の寂を示すの年、煙が両扞を和さしむる。

犬山道節忠与

★田単が燕を滅ぼしたとき火炎が原を焼き尽くしたとは、第百六十五回下に信乃の唇を借り「昔唐山戦国の時、燕斉両国の闘戦に斉の将田単が一夕火牛の謀を以尤く敵に勝ける故事あり。火牛は聚合し牛の角毎に蕉火を結附て放ちて敵を驚し其乱る丶を撃しなり。又我大皇国にては源平両家の闘戦に木曽冠者義仲が義旗を北国に揚げし時、平家の方人斎明が亦火牛の謀をもて富樫太郎宗親と林六郎光明が籠りし城を夜伐して戦ひ利ありし事由は阿弥陀寺本平家物語巻の第十三に具なり」とあり、猪で代用したエピソードでも登場する。阿難に就いては、大唐西域記の巻七に「濕吠多補羅伽藍東南行三十餘里。▲歹に克/伽河南北岸各有一▲アナカンムリに卒/堵波。是尊者阿難陀分身與二國處。阿難陀者如來之從父弟也。多聞總持博物強識。佛去世後繼大迦葉。任持正法導進學人。在摩▲偈のニンベンがテヘン/陀國於林中經行。見一沙彌諷誦佛經。章句錯謬文字紛亂。阿難聞已感慕増懷。徐詣其所提撕指授。沙彌笑曰。大徳耄矣。所言謬矣。我師高明春秋鼎盛。親承示誨誡無所誤。阿難默然退而歎曰。我年雖邁為諸衆生生欲久住世。住持正法。然衆生垢重難以誨語。久留無利可速滅度。於是去摩▲偈のニンベンがテヘン/陀國趣吠舍釐城。度▲歹に克/伽河泛舟中流。摩▲偈のニンベンがテヘン/陀王聞阿難去。情深戀徳。即嚴戎駕疾驅追請。數百千衆營軍南岸。吠舍釐王聞阿難來。悲喜盈心。亦治軍旅奔馳迎候。數百千衆屯集北岸。兩軍相對旌旗翳日。阿難恐鬥其兵更相殺害。從舟中起上昇虚空。示現神變即入寂滅。化火焚骸骸又中折。一墮南岸。一墮北岸。於是二王各得一分。舉軍號慟。倶還本國。起▲アナカンムリに卒/堵波而修供養」とある

 

剣術の極秘は風の柳かな

犬飼見八信道

 

★こと剣術にかけて犬士の代表とされていると思しき現八の師匠・二階松に就いては後述する

 

酢もあらばいさぬたにせん網さかな えびとかにはの船て味噌すれ

荘客糠助・大塚蟇六

 

★「網さかな」は、居候の信乃を、蟇六が〈捕らえている〉と意識していることを示すか。信乃から見れば、〈覚悟の上で入り込んでいる〉となろう。蟇六にとって小憎い信乃は、ズタズタにして酢味噌で和えヌタにでもしたい相手であったか。実際にヌタにするのではなく、村雨を取り上げ、酷い目に遭わせたいとは願っていただろう。「かには」は蟹だが、第二十四回に神宮カニハ河の船上で村雨を擦り換えた計略を云う。肉とミソをあらかた取った後に、ややミソの残った蟹の甲羅/舟で味噌を擦り、味と風味を付ける調理をも連想させて言葉を繋いでいる。「えび」は字数合わせだが、蟹同様に伊勢海老程度の大型海老の殻/舟を使い、味噌に風味付けする調理法があったか

 

軒のつまに あはひの貝の片おもひ も丶夜つられし雪のしたくさ

簸上宮六・奴隷背介

 

★試記・軒の端に、鮑の貝の片思い、百夜吊られし雪の下草/記紀にも鮑は、例えば天皇の食事として鰹と共に登場しているが、万葉集に「伊勢の海女の朝な夕なに潜くといふ鮑の貝の片思にして」角川文庫二八〇八とある如く古くから、恐らく一枚貝であるためだろうが、片思いを象徴している。読本でも取り上げた日本武尊伝説エピローグ・景行天皇淡水門行幸で出てくる二枚貝・白蛤が、武尊と弟橘姫の彼岸に於ける再会・抱擁を暗示していると対称である。また、鮑は乾燥させて熨としたり高級食材として使われるので、「吊られし」はスンナリと流れ読める。とはいえ、百夜も吊るされる筈はなく、此は片思い故に相手に放置されている状態を示している。更に、小野小町が深草少将を〈百夜休まず通ってきたら逢ってあげる〉と誑かし、九十九夜目に片思いの少将を悶死せしめた説話も関係しているのだろう。「雪の下草」は不細工なクセに純情可憐な荘介を思い出させもするが、此の場合は同じ不細工でも宮六を指していること自明である

 

出像二頁浅倉伊八刻

 

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第二十一回

「額蔵間諜し信乃を全す 犬塚懐旧青梅を観る」

額蔵を将て亀篠犬塚が宿所に到る

がく蔵・かめささ・せ介・ぬか介・しの

 

★小さくて判然とせぬが、亀篠の着物は花柄だ。此の模様は記憶に留めておきたい。どうも亀篠が気に入っている普段着だと思える

 

青梅か香は亦花にまさりけり(鳥のしたに几)  巳克亭鶏忠

犬川がく蔵・犬塚信乃

 

★桜は花を愛でるが、梅・桃は香りを楽しむ印象が強い。姿よりも、人物から漂う〈格〉とか気品を評価する謂いか。どうも荘介の容貌を褒める言説は見当たらないのだが、彼の性格は確かに梅の芳香の如く立派な者であると思う。また、伏姫・信乃は〈桜〉模様の衣装から、花こそ愛ずるべき者、佳人であるとの設定だろうが、梅模様の衣装を着ける浜路は、beatifulといぅよりは可憐さ純真さが強調されているように思う。桜と梅の違いである。大塚を去る決意を胸に信乃が見上げる梅は、浜路を象徴すべきだ。梅は散って青梅に芳香を遺す。浜路は死して信乃の心に芳しくも切ない記憶を遺す。同時に梅は、仁義礼智……八行の字を現じて犬士が八人いることを預言していた。また梅は、梅星/星梅紋となって星と連関することで宇宙を経由し、天神/菅原道真まで行き着く。更に、読本で述べた如く、史料に拠れば、源頼朝の守護神である鶴岡八幡宮司は大伴姓であったため梅紋であったけれども、二代目宮司が藤原姓に組み込まれ牡丹紋を用いることとなる。元々は梅であった牡丹が八幡神を守護し奉戴する存在となる。宮司の紋に於ける、梅→牡丹の変遷は、八犬伝を読む上で、特に興味深い史実である

 

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第二十二回

「浜路窃に親族を悼む 糠助病て其子を思ふ」

豊嶋の一族管領家の三将と池袋に戦ふ

煉馬平三衛門倍盛・植杉刑部・千葉ノ介より胤

 

木からしはまたふかねとも 君見れははつかしのもりにはのそふもなし  信天翁

はまぢ・犬塚信乃

 

★試記・木枯らしは復た吹かねども君みれば羽束師の杜に葉の添ふもなし/「はつかしのもり」は、伏見にある羽束師神社の森であり山城国の歌枕となっている。京の出入り口に当たるから、送迎の場でもあったようだ。新古今集巻第九離別に載す行尊「思へども定めなき世のはかなさにいつを待てともえこそ頼めね」八七九は、詞書に「五月晦ごろに熊野へ参り侍りしに羽束といふ所にて千手丸が送りて侍りしに」とある。千手丸とは恐らく寺の稚児だろうが「千手」なんだから観音に擬すべきgirlishな美少年であったろうか。その美少年が「何時お戻りになるのですか」と涙ぐみ縋り付いてくるのを「えぇっと、修行のことだから何時までかかるか分からんよ」と振り払い逃げ出す……ふぅん、流石は行尊、修験の密教僧だけのことはあるな。高野六十那智八十。このような別離の場所が、「羽束師の杜」なのである。また、まるで取り残された千手丸が歌ったが如き、後撰和歌集巻十恋二に題しらずとして「わすられて思ふなげきのしげるをや身をはづかしのもりといふらん」六六四恋人に見放されて嘆き募る身を「羽束師の杜」と云っている。勿論、新古今と後撰では時代が隔たりすぎているので、直接の応答ではなかろうけども。さて、これらの歌を前提とすれば、浜路の歌も別れを前提としていることが諒解せられる。即ち浜路の歌は「心は冬、木枯らしが吹いているわけでもないのに、離別の地という羽束師の杜の木々は、信乃様を見るだけで別れの予感に身も細り、着けた葉も総て落ちてしまうほどです/いいえ二人は既に許婚の身、いっそ肢体に纏わる葉を取り去り一糸纏わぬ姿で信乃様に添えば考え直してもらえるだろうか」と、嬉し恥ずかし、夜這いの歌にまでハッテンし得る。これを可憐な乙女心と見るか、凄絶なる女の情念と見るかは、個人の自由ではあろう

 

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第二十三回

「犬塚義遺託を諾く 網乾謾歌曲を売る」

糠助が懺悔物語窮客稚児を抱きて身を投んとす

 

★八犬伝の終盤が近付いたとき、馬琴の友人が歌を寄越し序に加えられた。糠助・現八の関係を〈鳶が鷹を生んだ〉みたいに表現しているが、権勢を誇る、しかも小人の村長が疎んじている番作さんとあからさまに交際した糠助は、かなり積極的な善人であると評価できる。剣術に於いては実子・現八と比べるべくもないが、真の勇気は確かに糠助も持っていたと思われる。ただ、挿絵では、やはり恰好良くない

 

艶曲を催して蟇六権家を管待す

ひき六・いさ川庵八・ひかみ宮六・あぼし左母二郎・亀さ丶・ぬるて五倍二・はまぢ

 

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第二十四回

「軍木媒して荘官に説く 蟇六偽りて神宮に漁す」

苦肉の計蟇六神宮河に没す

左母二郎・土太郎・ひき六・信乃

 

★一億人の恋人・信乃がセミ・ヌードを曝しセクシーな腰つきで読者を誘惑する注目の画像である。が、其れよりも注目すべきは、左母二郎の着衣だ。左母二郎は此処でしか着ていない。模様からして、どうも亀篠の普段着のようだ。前近代日本の衣装は、柄・模様は別として、構造としては男女共用だ。愛人同士が襦袢を替えるなんてのは、和歌にもある。現代で考えれば女性用パンティと男性用トランクスを取り替えることに当たるが、当時は共通しているから違和感がないのである。さて神宮河の場面に先立ち、亀篠が単独で、独り暮らしの左母二郎宅を訪れている。村雨を擦り替える相談だが、二人きりの一軒家で「更に額をうち合せて」囁く。「思はず時を移せしかば亀篠は遽しく別を告て走り出」て家に戻った。正に、此の密会の後に、左母二郎は亀篠の普段着を身に纏っている。勿論、実際に左母二郎が亀篠と着衣を交換したとは思わない。神宮河の船上で、左母二郎は蟇六と隣り合わせだ。いくら何でも無理がある。しかし挿絵は読者に見せるものであって、登場人物同士で見るものではない。作中事実ではなかろうが、亀篠の着衣を左母二郎に着せることで、二人の間に性的な交渉があったことを暗示していると思われる。性交渉は理義を超えた関係を生み出しがちであり、それ故に理義を蔑ろにする行為の依頼・実行の仲介を果たし得る

 

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第二十五回

「情を含て浜路憂苦を訴ふ 奸を告て額蔵主家に還る」

菅家

なけはこそわかれを惜しめ鶏のねの聞えぬさとのあかつきもがな

額蔵・はま路・信乃

 

★日本武尊は死地・東国に赴く折、叔母・倭姫命を訪ねた。菅原道真は太宰府左遷の途中、河内・土師寺の叔母・覚寿尼を訪ねた。読本で触れた如く、道真の祖先は土器作りを職掌とし埴輪を殉死の風習に換えた土師氏である。一族の勢力圏内にあった叔母の寺ぐらいしか身を休める場所がなかったか、叔母に情愛を感じていたか。如何でも良いが、私が二十歳以上若ければ別嬪の叔母を渇仰したであろうし、恐らく今でも心に淡い思い出を抱いていたであろうが、残念なことに私には叔母も別嬪の親族もいない。山川出版社「大阪府の歴史散歩(下)」は、「鳴けばこそ別れを憂けれ鳥の音の鳴からむ里の暁もがな」と別離の朝を怨んだ歌を道真が詠んだものだから、地元では鶏を飼わなくなったとの昔話を紹介している。道真に同情したか、それとも怨霊に目を付けられることを厭うたか。恐らく何連にも偏った個々人が混在していたであろうが、前者と理解しておく。このエピソードは有名で、「菅原伝授手習鑑」にも取り上げられており、此処では「鳴けばこそ別れを急げ鶏の音の聞こへぬ里の暁もがな」とあり、やや変わっている。此処でも、「(前出歌)と詠じ捨、名残はつきずお暇と立出給ふ御詠歌より。今此里に鶏なく。羽た丶きもせぬ世の中や」と、土師の里では鶏が絶滅している

 

童子の孝感旅魂▲(マダレに苗)食す

 

★名所の観光地化。此のことで塚の周囲は清掃されたろうし供え物も捧げられたであろう。仕掛けた荘介には経営プロデューサーの才能があったようだ。詐欺とも言えるが

 

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第二十六回

「権を弄て墨官婚夕を促す 殺を示して頑父再▲(酉に焦/ジヤウ)を羞む」

自殺を示して蟇六浜路を賺す

亀ささ・ひき六・はまぢ

 

★亀篠の着衣は、神宮河で左母二郎が着ていたもの。いつの間にか取り返したらしい

 

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第二十七回

「左母二郎夜新人を畧奪す 寂寞道人見に円塚に火定す」

順寂を示して寂寞火坑に自焼す

寂寞道人肩柳

 

山前の黒夜四凶挑戦す

はま路・左母二郎・井太郎・加太郎・土太郎

 

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第二十八回

「仇を罵て浜路節に死す 族を認て忠与故を譚る」

名刀美女の存亡忠義節操の環会

額蔵・はま路・道松忠与・左母二郎

 

★非常に象徴的な挿絵。まず村雨の切っ先から昇る水気に龍が描かれている。叢雲ムラクモ剣すなわち素盞鳴が八岐大蛇から取り出した神器との関係を強く主張しているようだ。また、木の股から覗く荘介の右手に輝く玉。後の決闘で道節の肩から飛び出した玉か、それとも荘介の玉が仲間に感応しているのか。時間的にズレた場面を一枚に描くは常套、かつズレた場面からの要素を持ち込むもあり得る手法。ちなみに、筆者は浜路の絵で今回が一番好きだ。別に残虐趣味があるのではない。他の絵は甘ったるい表情で何とも締まらないが、今回は決然たる気が漲り生気が横溢している。いい女の顔だ。惜しむらくは、最期の場面であること

 

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第二十九回

「双玉を相換て額蔵類を識る 両敵に相遇て義奴怨を報ふ」

沽んかな 草におさめる 露の玉  玄同

額蔵・道松

 

★挿絵・口絵の中で、犬士の玉を露に喩えるものが幾つかある。草は「ソウ」であり荘介に通じる。「沽んかな」は「買わんかな」と読みそうになるが、売買とは即ち交易であるから、「沽(かえ)んかな」と読んでおく。また、或いは「涸れんかな」の誤写か。その場合は、直接には「露の玉」が消えることを示していよう。しかし、句や歌の技巧では、或る語が直後の語を導き出したり密接に繋がることを上とする。「涸んかな」は草にも係ると見るべきだろう。また、草に収められた露の玉が「涸んかな」では、忠玉が紛失することになってしまう。枯れると見れば、枯渇、乾くことであり、乾かすものは火である。道節が火気であることを暗示していると考えても、面白い

 

隠▲(匿のしたに心)の悪報蟇六亀篠横死す

ひかみ宮六・ひき六・ぬる手五ばい二・かめさ丶・せ介

 

★天網恢々疎にして漏らさず、と言いたいところだが、流石に八犬伝は一筋縄ではいかない。天に代わって蟇六・亀篠を誅した宮六・五倍二は悪心を動機としていた。そのため荘介が偶々仇を討つことになるが、荘介は捕らわれ緊縛され責められ辱められることになって、一部読者を悦ばす

 

帰村の夕はからずして仇を殺す

亀さ丶・ひき六・宮六・額蔵・五ばい二

 

★殺戮の現場で新たな殺戮を繰り広げる荘介

 

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第三十回

「芳流閣上に信乃血戦す 坂東河原に見八勇を顕す」

君命によつて見八信乃を搦捕んとす

犬塚信乃・犬飼見八

 

★対牛楼の殺戮・円塚山の火遁と共に余りにも有名な場面。複数の雑兵が転落しているのだろうが、一人の男が落ちる様を連続写真で見せるような工夫が、動感を強調しており、秀逸

 

八犬伝第四輯叙

狗之守夜也性矣敬主識主也亦性矣諺曰跖狗吠堯此非其狗之罪臣子之於乱朝善守其職而無私者亦当若是何者殷三賢不忠於西伯然周不敢罪之故孔子曰君難不君臣不可以不臣父雖不父子不可以不子蓋此干箕子等之謂歟由是観之其性所捷雖狗無以異人也嗚乎与夫食君之禄而令父母愁夫妻相虐兄弟為讐遠旧迎新▲(ケモノヘンに言)々呀々走利者大有径庭宣国有賢相則無姦佞之賓家有良狗則無窺▲(アナカンムリに兪)之客於是四隣可不勉而衛比屋可高枕而睡也是余之為八犬伝所以寤蒙昧抑〃取義於茲其書若干巻既刊布于世頃又継編至於第四集刊刻之際書肆山青堂屡〃来而徴序甚急毎編有自序今不可辞因附増数行以塞譴云

文政三年庚辰冬十月端四書于著作堂西廂山茶花開処

                       飯台 曲亭▲(ムシヘンに覃)史

狗の夜を守るは性なり。主を敬い主を識るも、また性なり。諺(ことわざ)に曰(いわ)く、跖が狗は堯に吠える。此(これ)は、その狗の罪にあらず。臣子の乱朝における、善(よ)くその職を守りて私(わたくし)なき者は、また、まさに是のごとくなるべし。何となれば、殷の三賢は西伯に忠ならず。しかれども周はあえて之を罪せず。ゆえに孔子(くし)曰く、君は君たらざるといえども、臣は以て臣たらざるべからず、父は父たらざるといえども、子は以て子たらずんばあるべからず、と。けだし比干箕子らの謂(い)いか。是によりて之を観(み)れば、その性の捷(すぐ)るる所は、狗といえども以て人に異なるはなし。ああ、夫(か)の君の禄を食(は)みて、父母をして愁えせしめ、夫婦はあい虐し、兄弟は讐(あだ)と為り、旧を遠ざけ新を迎え、▲(ケモノヘンに言)々呀々として利に走る者に与し。大に径庭あり。宣なり。国に賢相あれば則ち、姦佞の賓なし。家に良狗あれば則ち、窺▲(アナカンムリに兪)の客なし。是において四隣は勉めずして衛るべし。屋を比(なら)べるものともに、枕を高くして睡るべし。是は余が八犬伝を為(つく)りて以て蒙昧を寤さんとする所なり。そもそも義を茲(ここ)に取れり。その書の若干の巻は既に世に刊布す。頃(このころ)はまた編を継ぎて第四集に至れり。刊刻の際(あいだ)、書肆山青堂が屡〃(しばしば)来りて序を徴すること甚だ急なり。毎編に自序あり。今、辞すべからず。よりて数行を付け増して以て譴を塞ぐと云う。

文政三年庚辰冬十月端四 著作堂西廂の山茶花開く処に書す

                       飯台 曲亭の史(ふみ)に▲(ムシヘンに覃/しみ)すもの

 

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八犬伝第四輯口絵

身体有痣 玉面無疵 英奇蓋世 功名共随  守忍菴題

身体、痣あり。玉面、疵なし。英気は世を蓋(おお)い、功名は共に随う。

犬田小文吾・板扱均太・塩浜鹹四郎・牛根孟六

 

★馬琴が後の部分で文句を言っているが、小文吾が設定通りの大兵肥満として描かれることは少ない。人気がなかったからだという。良いじゃないか、太ってても

 

尚義推類 遺訓思親 旧怨所解 殺身為仁  ▲(頼のしたに鳥)斎老人

義を尚(たっと)びて類を推(お)し、遺訓に親を思う。旧怨の解く所、身を殺して、仁を為す。

山林房八郎・修験道観得

 

★悪ぶった房八郎と「観得」。男の子には不良に憧れる時期がある。不良が実は善玉で、真面目そうな奴が悪役だとの設定は、現在でも少年漫画に多く見られる

 

節婦如竹 其子捷親  信天翁

節婦、竹の如し。その子、親に捷(まさ)る

沼藺・大八

 

★「竹」は実は「升」だが近世の通例として置換可能←単に誤字頻発字?

 

蕭々夜笛 鶴鳴湖湘 惟貞是烈 哀而不傷  芳流舎

蕭々たる夜笛、鶴は湖湘に鳴く。これ貞、これ烈。哀にして傷(やぶ)らず

戸山妙真・大先達念玉

 

★夫に先立たれて烏髪の在家仏教者/優婆夷となった妙真と、妻となるべきであった既婚者が死ぬ直接の契機をつくり僧となった丶大を対比する。八犬伝の口絵は、何か共通する者・対称的な者を並び描いている。此の場は愛する者と死別し出家したとの繋がりで並べ置くか

 

命惟雖薄 神霊自扶  琴嶺處士

命は惟(これ)薄しと雖も、神霊は自ら扶(たす)く。

古那屋文五兵衛   

 

★遍路服に坂東三十余箇所。三十三箇所は、観音霊場を巡り功徳を積む行為。観音が主宰する世界は南方海底にある補陀落だが、補陀落信仰のメッカ・熊野を中心とする西国三十三箇所が有名。幕府開闢以降、江戸が発展して阪東三十三箇所も盛んとなった。阪東三十三箇所は、八犬伝でお馴染みの那古観音を打ち止めの補陀落浄土として設定している。那古寺は、伏姫が籠もった富山から役行者ゆかりの洲崎神社に向かう行程の、ほぼ中間点だったりもするし、「那古」七郎は小文吾と親兵衛の祖先でもある。縁起では、行基菩薩が海中から出現した柳の霊木を刻んで千手観音としたとある。弟橘姫かもしれない。また安房にも一国単位の観音巡礼が設定されていた。安房三十四箇所、である。出発点は、那古寺だ。那古寺を後にした巡礼は、「房総第一の仏地」(百八十勝回中編)鋸山の日本寺(八番)で弟橘姫が入水した海を眺望し、富山に登って福満寺(十二番)に詣で、延命寺(二十四番)を経由、最西端の観音寺(三十番)で折り返す。三十三番・観音院で打ち止めかと思ったら更に北上して、何故だか「三十四番」大山寺(滝本堂)まで行かねばならない。大山寺が、安房観音霊場の結局なのだ。さて、今回の挿絵では三十三箇所とせず「三十余箇所」としているが実は、安房一国霊場の如く「三十四箇所」になる。三十三箇所を三度回ると九十九回で区切りが悪い。三巡目には、別に設定された三十四箇所目を回って、合計百にする荒技が生み出された。だからこそ、「三十三箇所」と明言できず、文五兵衛も「三十余箇所」としているのだろう。文五兵衛の巡礼は、阪東三十三番札所、正に己の出自たる「那古」を目指すものである。此の様な意味合いが、文五兵衛の遍路衣装に込められているのだろう。……でもまぁ三十三箇所とか八十八箇所で設定されている行程は、かなり長距離に亘るから、三度も何度も回らなくて良さそうなものだが、巡礼は多く巡れば巡るほど利益がある〉とされていた。巡った回数が多くなれば、先達とか大先達とか〈階級〉が上がる。これら先達に率いられて巡礼は歩いた。このため霊場付近の宿屋は先達と契約し、宿泊客を連れてきて貰う。先達は契約した宿に泊まるよう行程を組む。また、現在でも何度も回った証の金色だか何色だかの札は高値で売買され仲間内の自慢となる。余剰生産が少なく生活に余裕がない段階もしくは戦乱で領域間の通行が困難な場合には、余程の覚悟がなければ巡礼などに出掛けられない。前提として仏教が社会に根付いていなければならないが、経済段階が或程度は発達し、領域間の交通が比較的容易になった近世に、巡礼が流行し、前述した如き霊場を拠点とした巡礼の市場システムも作られた。多く回れば回るほど御利益があるとの俗信も、宗教的な発端はあったろうけど、宿屋や先達や寺院の経済的必要に後押しされ一般化したのではないか。とにかく近世に於いて、巡礼はメジャーな観光であり、大衆小説たる八犬伝に取り入れられたことには、納得がいく。ひいては、観音信仰が、さほど切実でないものも含めて、かなりポピュラーであったことをも示している。大山寺・那古寺・養老寺など、観音霊場を巡る如きストーリーの一側面をも示しているか

 

魚目混玉 蕭艾紊蘭  雷水散人

魚目が玉に混じる。蕭艾が蘭を紊(みだ)す。

簸上社平・新織帆大夫

 

一犬当戸 鼠賊不能進矣 犬乎犬乎 勝於猫児似虎

一犬の戸に当たりて、鼠賊の進む能わざる。犬や犬や、虎に似る猫に勝つ。

ぬばたまの夜をもる犬は猫ならで あたまのくろきねずみはばかる

▲(頼のしたに鳥)斎閑人狂題

 

★「あたまのくろきねずみ」は人間、なかでも悪人や盗人を指す隠語っぽい俗語

 

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第三十一回

「水閣の扁舟両雄を資く 江村の釣翁双狗を認る」

うち落す鼓のさえや桐一葉  東岡舎羅文句

犬飼見八・犬塚信乃

 

★信乃の紋が桐である所から、芳流閣から落ちる信乃を描いていると判る。素人には鼓に音を立てさせるだけでも難しいとされているが、音すなわち空気の波動によって桐葉が落ちることもあろう。但し、打ち手は凄まじい気迫を繰り出す一流の武芸者でなければならない。即ち、二階松山城介の高弟・現八である。ところで「二階松山城介」は恐らく、剣術を集大成した者、ぐらいの意味を持たされている。剣術を兵法とも呼ぶが、兵法三大源流と呼ばれる流派がある。新当流・塚原卜伝に繋がる天真正神流を創始した武芸者は飯篠山城守家直、中条流創始者は中条兵庫助長秀である。中条流は佐々木小次郎も関係しているが富田流に繋がる。もう一つの源流が、愛州移香斎久忠の陰流だ。陰流は、柳生新陰流へと展開する。やや牽強付会めくが、「山城介」は飯篠山城守と中条兵庫助の折半か。もしくは、高名な剣豪の山城介あるか。ところで「二階松」だが、紋には其のようなものがある。しかし、出版統制に敏感、細心な馬琴のズラしを幾つも見てきた我々は、文字通りの「二階松」だけに拘るわけにはいかない。似た紋に、「二階笠」がある。名称だけでなく、形も似ている。そして、此の「二階笠」を用いた武芸の一族は、確かに在った。柳生である。因みに、柳生は菅原道真を祖としている。寛政重修諸家譜巻第千三十四菅原氏柳生には「家紋 和礼茂香 二階笠 雪篠」とあり「家伝に二階笠はもと坂崎出羽守直盛が家紋なり。直盛生害の丶ち彼家の武器を宗矩に賜ふなり。かつ其紋をもつて副紋とすべきむね仰をかうぶるといふ」。また更に言えば、柳生が二階笠紋を使い始めたことに就いて、面白い俗説がある。夏の陣で大坂が落城したとき、徳川家康の孫・千姫は豊臣秀頼の妻として、城と運命を共にしようとしていた。が、孫娘だけは助けたい家康が、姫を助け出した者を婿にすると言い出した。応じたのが、坂崎出羽守直盛であった。直盛は火傷を負いながらも見事、千姫を救出した。しかし家康は約束を守らず、姫を本多下総守忠刻と結婚させた。千姫が忠刻に一目惚れしたという。怒った直盛は千姫の行列を襲い掠奪しようとしたため切腹を命じられることとなった。その時、説得には友人・柳生宗矩が派遣された。直盛は説得に感動し、切腹を受け容れた。二人の契りの証にと、宗矩に二階笠紋を使ってくれるよう願った。あくまで俗説であり信憑性は低いが、近世に於いて既に東照大権現・家康もしくは二代将軍・秀忠を悪役側に仕立てている点が興味深いし、何より、千姫を嫁にやるからと騙された直盛が、八房にダブる

 

かかまるにへら(かカ)たく見ゆる世の中に 馬鹿々々しくも すける釣かな  信天翁狂題

文五兵衛

 

★腰が屈まるほどの高齢となり、せっかく平和に暮らしていたのに、釣りを好んだために、玉は転がり込んでくるわ、犬士たちの事件に巻き込まれてしまって、馬鹿馬鹿しいことだ。ぐらいに、取り敢えず解釈しておく。「狂題」とあることから、本気の評でないことは明らかであり、文五兵衛が馬鹿馬鹿しいというのではない。ちなみに、「へらたく」ではなく「経がたく」とも読めそうだが、「屈まる」との対比の妙を求め、敢えて「へらたく/平たくの転訛」と見る

 

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第三十二回

「▲(キヘンに沙)▲(キヘンに羅/もがり)を除て少年号を得たり 角觝を試て修験争を解く」

小文吾任侠犬太を拉ぐ

もかりの犬太・小文吾

 

八幡の社頭に両修験角觝を試る

大先達念玉・山林ふさ八郎・犬田小文吾・修験道観得

 

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第三十三回

「小文吾夜麻衣を喪ふ 現八郎遠く良薬を求む」

暗夜の敵蘆原に小文吾を抑留す

小文吾

 

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第三十四回

「栞崎に房八宿恨を霽す 藁塚に犬田急難を緩す」

庭訓を守て小文吾狼藉を忍ぶ

ふさ八・小文吾・くわんとく

 

帆大夫途に小文吾を搦捕んとす

文五兵衛・小文吾・新織帆大夫・荘官だん内

 

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第三十五回

「念玉戯に笛を借る 妙真哀て嫁を返す」

三奴辟易妙真来訪

三奴、辟易す。妙真、来訪す。

孟六・小文吾・から四郎・均太・戸山の妙真

 

姑▲(オンナヘンに息)の哀別夜笛憂を増しむ

念玉・小文吾・ぬい・大八・妙真

 

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第三十六回

「忍を破りて犬田山林と戦ふ 怨を含て沼藺四大を傷害す」

白刃交るとき小児謬て▲(アシヘンに易)殺さる

房八・大八・ぬい・小文吾

 

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第三十七回

「病客薬を辞して齢を延 侠者身を殺して仁を得たり」

妙薬の効信乃回陽す

妙真・房八・小文吾・信乃・ぬい・大八

 

文五兵衛夜水中の光を撈

文五兵衛

 

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第三十八回

「戸外を戍りて一犬間者を拉ぐ 徴書を返して四彦来使に辞す」

現八勇力三間者を鏖にす

孟六・犬飼現八・均太・小文吾・から四郎・照文

 

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第三十九回

「二箱に斂めて良儔夫妻を葬る 一葉を浮めて壮士両友を送る」

朝露砕玉豪傑に送らる

犬飼現八・丶大法師・蜑崎照文・犬田小文吾・犬江親兵衛・犬塚信乃

 

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第四十回

「密葬を詰て暴風妙真を挑む 雲霧を起して神霊小児を奪ふ」

奸智を逞して舵九郎妙真を落さんとす

かぢ九郎・妙真・文五兵衛・照文

 

★あくまで文学解釈の方便であり、現実からは独立していると予め断っておく。体毛の話だ。八犬伝前半で、毛深い者は悪役だ。後に、石亀屋次団太など、善玉でも毛深い者が登場するが、全般として、善玉は悪玉より体毛が薄く、肉体もスマートだ。悪役の方が、男性ホルモンが多く分泌しているらしい。ところで、我々は、同様な文化を既に知っている。男どもでさえ、美しい少年を崇拝していた古代ギリシアだ。俗に言う「プラトニック・ラブ」は、古代ギリシアの不細工な哲学者が美少年に誘惑されたとき、何だか綺麗事をぬかして、まぁ自分の不細工さを自覚していたから積極的になれなかったぐらいのことだろうが、肉の契りを敬遠した故事をもとにしている。古代ギリシアの性風俗を写した当時の、所謂、黒絵式陶器では、少年と成人男性の区別は肉体の輪郭と髭の有無ぐらいのもので、成人男性でも体毛の表現は薄いし、生殖器も少年の如き短■包■に限っている。攻めている念者と、受けている稚児の生殖器が共に、■小■茎なのである。日本の近世春画が成人男性の生殖器を異常なまでに巨大化しているとは逆と言えるし、西洋人が日本を侵略しなかった真の理由は、〈男としての劣等感〉だったとする史家もあり、実際に日本を知る英国人がそのようなことを記している文書も残っている。が、挿絵を見る限り八犬伝に於いて善玉は、淡泊そうなアイドル系の痩身無毛型だ。対して悪役は、タンパクはタンパクでも蛋白質豊富で、より逞しく毛深く、欲深い。古代ギリシアでも、通常描かれる成人男性・少年は、前述の如くアイドル系だが、性的放埒の象徴たるサチュロスは、より逞しく毛深く、獣的だ。端的に言えば、〈不健全な精神は健全な肉体に宿る〉ともなろうか。此は、肉体と精神を分割して考える傾向から、生み出された表現であろう。「プラトニック・ラブ」だ。恐らく八犬伝もしくは当時の日本の考え方も同様だったのではないか。とはいえ、いきなりには童子神信仰にまで飛躍したくはない

 

諸善窮阨衆悪途に起る

より介・文五兵衛・照文・親兵衛・かぢ九郎・妙真

 

舵九郎を屠戮して神霊一犬士を隠す

依介・照文・文五兵衛・妙真・かぢ九郎・犬江親兵衛

 

★悪役が虐殺される場面。前にも述べたが、仏教神は、ただ優しいだけの腑抜けではない。如来・菩薩も必要があれば明王・天となって暴虐の側面を表し、毅然として悪に立ち向かう。如来・菩薩そのものは形あるモノといぅよりは概念そのものであるから、彼等が悪と戦う場合には、概念と概念の戦いであって、智恵・理論が武器となる。が、俗世に権化した場合には、実力行使を伴う。太陽神観音・伏姫は、今回は雷で舵九郎を股裂きにした。後には、摩利支天河原に猪を漂着させて管領軍への火計を支援した。まるで大黒天の眷属、ダキニーの如きだ

 

八犬伝第五輯序

余常以謂有遊乎世者有為世所遊者遊乎世者適於自所適不適於人所適是以楽在内無竭也為世所遊者適於人所適不知自所適是以徴其楽於外以自苦焉若狂接与遊于歌詠荘周遊于寓言左思司馬相如遊于文場杜甫李白遊于詩詞羅貫笠翁遊于伝奇小説雖所遊不同而其楽一致亦悪踏人之足跡哉蓋鸞鳳不群飛葛藤不独立葛藤也者吾欲払之鸞鳳也者不可得而為友雖然人世一夢中其所遊非華胥必南柯寤寐在我何遠之有能知是楽而後遊者心之欲与不欲無相不楽遨乎遊乎余固也久矣今茲端月本編脱藁曁▲(厥にリットウ)人告成即是言為序

文政五年陽月上澣      蓑笠漁隠

余は常(かつ)て謂(おも)えらく、世に遊ぶ者あり、世に遊ばるる所の者あり。世に遊ぶ者は、自ら適く所に適き、人の適く所に適かず。是を以て楽み、内に在りて竭(つ)きず。世に遊ばるる所の者は、人の適く所に適きて、自ら適く所を知らず。是を以て、その楽しみを外に徴して以て自ら苦しむ。狂接与の歌詠に遊び、荘周の寓言に遊び、左思司馬相如の文場に遊び、杜甫李白の詩詞に遊び、羅貫笠翁の伝奇小説に遊ぶがごとき、遊びは同じからざるといえども、その楽しみは一致す。また悪(いずく)んぞ人の足跡を踏まんや。けだし鸞鳳は群れ飛ばず、葛藤は独りにては立たず。葛藤なる者、吾は之を払わんとす。鸞鳳なる者、得て友たるべからず。しかりといえども、人の世は一夢の中。その遊ぶ所は華胥にあらざれば必ず南柯に寤寐するに我は在り。何の遠きこと之あらん。よくこの楽しみを知りて後に遊ぶ者は、心の欲すると欲せざると、往として楽しまざるはなし。遨や遊や、余が固なること久し。今茲(ことし)の端月に本編は藁を脱しぬ。▲(厥にリットウ)人の成るを告ぐるに曁(およ)びて即(すなわ)ち、この言を序とす。

文政五年陽月上澣      蓑笠漁隠

 

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八犬伝第五輯口絵

くしら射る海のさち雄かしらま弓 張りあるこころいさ引て見ん  ▲(頼のしたに鳥)斎

丁田町進・神宮▲(矛に昔)平

 

★試記・鯨射る海の幸雄が白真弓、張りある心いざ引いてみん/白真弓は白木の質素な真弓だが、万葉集二八九「天の原、振り放け見れば白真弓、張りて懸けたり、夜道は佳けむ」など、引き絞った形から三日月の異称となっている。椿説弓張月も念頭に過ぎったか。弓の弦を鳴らすは古代以来いまに続く宮廷に於ける魔払い呪術であるが、「白真弓」が魔を撃つ場面は江戸人士に馴染みであった。読本「道草」でも触れた「安達ケ原」である。京に住む公家の乳母が、愛する若君の病を癒すには胎児の生肝が必要だと教えられ、生肝取りの旅に出る。岩手の安達ケ原に住み着き、旅の宿を乞うた妊婦の腹を割く。妊婦は、出奔した母を捜していたと打ち明け、死ぬ。妊婦の懐にあった守り袋は、件の乳母が娘に与えたものであった。我が子の腹を割き惨殺した乳母は、鬼女となる。いや、若君への妄執を抱き生肝取りを決意した瞬間に既に鬼女となっていたのだが、もはや後戻りできず真性の鬼女と変じた。何年かして乳母の家に宿を借りた熊野僧・東光坊祐慶は、乳母の秘密を知ってしまい命を狙われる。逃げ出し、追い詰められ、覚悟を決めて背に負っていた荷物から如意輪観音を取り出し祈る。鬼女は眼前まで迫っている。と、如意輪観音が虚空へと飛び上がる。宙高く、白真弓を引き絞り、鬼女を射殺した。東光坊は其の地に落ち着いた。天台宗・真弓山観世寺である。熊野は、馬琴が縁起を書いた九州・両子山と同様に天台修験の一大拠点であった。東光坊も其の名からして修験者であったようだが、彼の持仏・如意輪観音は、月の化身であったか。空に懸かる三日月が「白真弓」となって破魔の矢を放ち、鬼女を射抜いたのだ。空想科学動画にしたって、気の利いた場面である。日本の昔話にはSF顔負けのスペクタル映像が満載だ

 

釣竿のいとも直きをあけてみて まかれるをおくはりはしたかへ   玄同▲(クサカンムリに合にニジュウアシ)

小厮依介・暴風舵九郎

 

★試記・釣り竿の、いとも直きを上げて見て、曲がれるを置く、針はしたかえ/釣り竿が真っ直ぐだから魚のかかっているわけもないのに上げて見る、逆に曲がっている釣り竿は置いたまま、全く分かっちゃいないな、ところで、先の糸に針はつけているのかい。悪事を働くわけもない心直き者を邪推し疑い、自分の悪事には無頓着、この様子では、針を付けていないと魚が釣れぬ道理も分かってはおるまい。舵九郎の性格

 

おくれしとおもひ おも荷を草まくら 旅ゆく君におひつつあはむ  閑斎

十条尺八郎・単節

 

★試記・遅れじと思ひ重荷を草枕、旅行く君に追いつつ逢わん

 

馬の背をいくともしはし夏の雨ふれや駅路のすすしくそなる  蓑笠隠居

曳手・十条力二郎

 

★馬の背を行くとも暫し夏の雨、降れや駅路の涼しくぞなる

 

くもりなきまれひの道煮かがみもて てらしてえらめ人のよしあし  彫窩楼

竈門三宝平・卒川菴八・越杉駄一郎

 

★試記・曇りなき稀日の道に鏡もて、照らして選め人の善悪/八犬伝終盤、カーテンコールの如く主要登場人物が口絵に描かれる。そのとき「王佐の器」たる信乃は鏡を持っている。王のもとには様々な人間が群がる。其れらを、人間関係とか何とかで目を曇らすことなく明鏡止水、捌くことも「王佐の器」だ。毛野の智は、唯物的な思考で限りない可能性を生み出す。戦術家の機能だ。信乃の場合は、人間に対する深い洞察を伴う文系の知性を持っている

 

もみちする秋の野山に松はかりひときはいろのかハらさりけり  著作堂

荘役根五平・音音

 

 

★試記・紅葉する秋の野山に松ばかり、ひときわ色の変わらざりけり/秋が深まり寒々としていく時の流れの中で、多くの樹木は葉の色を変えてきた。その中で、常緑樹の松だけは、変わらぬ色を保っている。音音の、変わらぬ心を表している

 

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第四十一回

「木下闇に妙真依介を訝る 神宮渡に信乃▲(矛に昔)平に遭ふ」

三犬士船を神宮の渡につなぐ

ヤス平・犬塚信乃・犬田小文吾・犬飼現八

 

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第四十二回

「夾剪を▲(テヘンに庶)て犬田進退を決む 額蔵を誣て奸党残毒を逞す」

額蔵を誣て社平等残毒を恣にす

いさ川菴八・額蔵・丁田町ノ進・背介・ひがミ社平

 

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第四十三回

「群小を射て豪傑法場を▲(モンガマエに市)す 義士を渡して侠輔河水に没む」

法場を脇して三犬士額蔵をすくふ

犬飼現八・菴八・五倍二・額蔵・犬田小文吾・犬塚信乃・社平

 

★木に吊され救われる荘介は後に、吊された船虫を救う。稗史七則を以て見れば、余りにも気の長い「照応」

 

戸田河に四犬士ふたたび窮厄を免る

額蔵・現八・信乃・小文吾・町ノ進・尺八・力二郎・ヤス平

 

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第四十四回

「雷電の社頭に四雋会話す 白井の郊外に孤忠讐を窺ふ」

定正途に近習をして売剣の人を問しむ

扇谷定正・竈門三宝平・妻有六郎・薪六郎助友・松枝十郎・犬山道節

 

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第四十五回

「名刀を売弄して道節怨を復す 窮寇を追失ふて助友敵を換ふ」

名刀を閃して道節定正を刺す

妻有六郎・竈門三宝平・松枝十郎・犬山道節・扇谷定正

〈英泉画〉

 

四犬士再厄白井の城兵と戦ふ

現八・信乃・小文吾・荘助・おほた助友

道節月下に父の讐を撃

竈門三宝平・犬山道節

〈英泉画〉

 

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第四十六回

「地蔵堂に荘助首級を争ふ 山脚村に音音旧夫を拒む」

石塔を斫て荘助道節を走す

姓名未詳・犬川荘助・犬山道節

〈英泉画〉

 

荒芽山の麓に▲(矛に昔)平旧情婦を訪ふ

音音・ひとよ・ヤス平

〈英泉画

 

★闇に二つの人魂が浮かんでいる。ヤス平が手にする包みには「杉」の文字。此は道節が討った越杉駄一郎遠安の首を死骸の袖で刳るんだもの。挿絵では、八犬伝に限らず登場人物の着衣に姓名の一字を入れて標識とする手法がある。読者は挿絵を見れば、ヤス平が抱いていた尺八・力二郎の首級が、道節の携えていた荷物と入れ替わっていることを了解する仕懸け

 

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第四十七回

「荘助三たび道節を試す 双玉交其主に還る」

枯草おのづから燃て山川愕然たり

犬山道節・犬川荘助・音音

 

★荘介が点けようとして燃えなかった火だが、埋め火により自然と点火する。暗黒に在った犬川荘介と犬山道節が三度目の対面、互いに驚く。山川は犬山と犬川。また、「山/天あま」「川」の組み合わせは、赤穂浪士が討ち入りの際に闇で同士討ちを避けるため用いた、合い言葉として有名だ。本来なら仲間同士であるのに闇夜、図らずも敵対してしまった荘介と道節の「愕然」と穿つも興あるか

 

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第四十八回

「駄馬暗に両夫妻を導く 兄弟悲て二老親を全す」

秋の野への虫にも似たりしづの女のひるは馬おひよるハはたおり

ひく手・ひとよ・音音

 

★試記・秋の辺の虫にも似たり賤の女の、昼は馬追ひ夜は機織り/暇なく働く女性を示すか

 

忠魂義膽既往を話説す

ひく手・力二郎・音音・尺八・ひとよ

 

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第四十九回

「陰鬼陽人肇て判然 節義貞操迭に苦諌す」

陰鬼啾々として冥府に皈る

音音・ひく手・ひとよ・ヤス平

〈英泉画〉

 

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第五十回

「白頭の情人合▲(丞の下に己)を遂ぐ 青年の孀婦菩提に入る」

樵夫を将て根五平音音等を搦捕んとす

道節・ひく手・ひとよ・音音・ヤス平・根五平・丁六・ぐ助

〈英泉画〉

 

五犬士一刀に捕手の兵を鏖にす

犬飼現八・犬田小文吾・犬川荘助・犬塚信乃・犬山道節

〈英泉画〉

 

八犬伝第六輯有序

予所著八犬伝一書此秋夕冬夜戯墨曩謬為書賈山青堂所刊布雖未足使楮価踊貴而於書賈頗有羸余焉旦暮以此為揺銭樹云自是之後屡〃続稿而至第五輯時山青堂耽於他事乃不果俛仰之間光陰荏苒越歴四五年矣今茲書肆涌泉堂購得前書刻版又揣刻一日令山青堂為介告諸予乞代続梓誅求数四諄諄不已予為其言有理漫然頷之将創余稿以充銷夏之料然無有宿構也偶〃其所有皆忘之矣因沈吟構思然後費燈油者毎夜一二盞漸費至一二升則稿了一巻弥〃費▲(シンニョウに台)斗許之夜稿了者総五巻其第五巻楮数最多遂釐之以為二本編纂共六本手稿竟完矣輒授之于涌泉堂以登於梨棗其書画二工依故出像則柳渓二子所画浄書乃田谷両筆録之閲五六月而書画尽成嗚呼涌泉堂性太急自克促工而無虚日及▲(厥にリットウ)人告成又乞顔予之自序於簡端業在倉卒際不遑含毫且回思即便述本輯稍久而出世趣代序以塞其責

文政九年菊月中澣書于著作堂雨▲(片に聰のツクリ)

                           曲亭▲(虫に覃)史

予の著す所の八犬伝の一書は、此(これ)秋夕冬夜の戯墨たり。曩(さき)に謬(あやま)りて書賈山青堂の刊布する所と為る。いまだ楮価をして踊貴たらしむるに足らずといえども、書賈に頗(すこぶ)る羸余あり。旦暮、此を以て揺銭樹なりと云う。是よりの後、屡〃稿を続け、しこうして第五輯に至れり。時に山青堂は他事に耽りて、乃ち果さず。俛仰の間、光陰荏苒し、越(ゆう)に四五年を歴(へ)たり。今茲、書肆涌泉堂が前書刻版を購(あがな)い得て、また刻むを揣(はか)り、一日山青堂をして介とし諸を予に告げて代わりて梓を続けんことを乞う。誅求すること四たびを数え、諄諄として已(や)まず。予その言の理あるが為に漫然として之に頷き、まさに余稿を創りて以て銷夏の料に充(あ)てんとす。しかれども宿構あるはなし。偶〃そのある所も皆之を忘れたり。よりて沈吟して構思して、しこうして後に燈油を費やすこと毎夜一二盞、漸く一二升を費やすに至れば則ち、一巻を稿了し、いよいよ費やして斗ばかりに至るの夜、稿し了(おわ)る者すべて五巻。その第五巻の楮数は最も多し。ついに之を釐(さ)きて以て二本と為す。編纂すれば共に六本。手稿は竟に完し、輒(すなわ)ち之を涌泉堂に授け以て梨棗に登らしむ。その書画二工は故(ふる)きによりて出像は則ち柳渓二子の画する所、浄書は乃ち田谷の両筆と之を録す。五六月を閲(へ)て書画尽(ことごと)く成れり。ああ涌泉堂の性は太(はなは)だ急なり。自ら克(よ)く工を促して虚日なし。▲(厥にリットウ)人の成すを告ぐるに及びて、また予が自序を以て簡端を顔(いろど)らんことを乞う。業は倉卒の際に在り。毫を含みて思いを回(めぐら)す遑(いとま)あらず。即ち便(すなわ)ち本輯のやや久しくして世に出る趣を述べて序に代えて以て、その責めを塞ぐ。

文政九年菊月中澣 著作堂の雨▲(片に聰のツクリ)に書す

                           曲亭▲(虫に覃)史

 

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八犬伝第六輯口絵

高哉犬坂勇且好謀避冤在胎変生剿仇

高きかな、犬阪。勇にして且つ謀を好む。冤を避け胎に在り、変生して仇を剿す。

犬坂毛野胤智

 

★「変生」からすれば、生まれるべき性を変え仇を討つため男となった、と読める。毛野が、小文吾を誑かすほどの色香を放つ原因は此れか

 

●あるをひき傀儡まはしの箱南れや手(た)まはなれたる胸のからくり

女田楽旦開野

 

★枠外に「馬加くら弥五・渡部綱平・占部すゑ六・いなき・たまくら・若党金平・しもべ品七・あさやの村長・畑上語路五郎・若党銀吾・かもめ尻の並四郎・あひ原夢之助・鈴子・戸まき・おほ田助友・坂田金平太・向井貞九郎・柚角九念二・千葉より胤」/試記・あら惜しき傀儡まはしの箱南れや玉離れたる胸の絡繰り/第一句は誤写か

 

佞似賢者 巧惑衆愚 ▲(石に武)▲(石に夫)混玉 懼紫奪朱

佞にして賢に似たる者は、巧みに衆愚を惑わす。▲(石に武)▲(石に夫)と玉を混じ、紫の朱を奪うを懼(おそ)れる。

馬加大記常武所図壮年之像也・粟飯原首胤度

 

★論語・陽貨の「悪紫之奪朱」。奸佞な者が評価され、人々が惑わされている。詰まらない者が、まともな者に紛れ込み不当に権を握ることこそ、恐るべきことだ

 

は芸て来るつふりにはちぬ無分別くさり松魚の人を酔する

籠山逸東太縁連・船虫

 

★試記・禿げてくる頭に恥じぬ無分別、腐り鰹の人を酔わする/頭が禿げてくるほどの歳になりながら不相応の無分別、腐った鰹に当たって朦朧となっているのか、理義に蒙くなっている

 

▲(豊に盍)而節操 命薄情篤 劈身仆讐 返璧▲玉

艶にして操を節す。命薄うして情は篤し。身を劈(つんざ)き讐を仆(たお)す。(返璧に)璧を返し、玉を埋(うず)む。

節婦雛衣

 

★試記・「返璧埋玉」の書き下しは難しい。返璧は、地名のタマガエシと〈璧を返す〉二重の意味を持たされているようだ。〈返璧に玉を埋む〉と書き下せば、雛衣が礼玉を呑み込んだ場面で終わってしまう。それでは評にならぬから、意地でも玉を〈返す〉所まで引っ張らなければならない。引っ張ると、今度は〈返す〉所で止まらず、〈玉を埋む〉ことになってしまう。礼玉を返した後に埋めるものは、是、雛衣の遺体だ。「璧」は玉だが、「玉」は璧より意味が広く、璧の方が玉より格上の印象もある。此処では璧を礼玉、玉は万物の美称と解して雛衣そのものを指すと考える。原文が四言絶句であるとの形式から考えても、転句と結句は対語、対称形であるべきだから、「劈身仆讐/身を劈き讐を仆す」に対応するためには、「壁を返し玉を埋む」と考えた方が素直だろう

 

露を玉とあさむくとてもはちすさく水沼におとしいれら礼はせし

犬村大角礼儀小字角太郎

 

★枠外に山の神・土地の神・ヤツ党東太七編に出つ・キツ足ハツ太郎七へんに出つ・犬村かもりのり清・ひやう六・犬村かもりが妻・行徳の古那屋の隣人・しもへはか内七編に出づ・一角が後妻まど井・角太郎か実母まさか・もす平・スダマ・とくろの洞の冤鬼・胎内くぐりの妖怪・若たう尾江内七編に出づ・玉坂飛伴太七編に出つ・月蓑団吾七編に出つ/試記・露を玉と欺くとても蓮咲く水沼に陥れられはせじ/此処では変態……変体仮名を原字ではなく平仮名で表記することを原則としたが、此の句の場合は礼玉・大角の評であるので故意に「れ」とすべきを「礼」とした。他意はない。「蓮咲く水沼」は、蓮は美しい花であり仏教もしくは如来を象徴していると考えられるので、見た目美しく優しそうだが実はドロドロの深い沼で落ちたら命まで奪われる、ぐらいに解しておく。上の句は、実体がないわけではないが儚い露を高貴な玉だと欺く如く、外見だけ似た偽一角およびオタメゴカシ船虫の虚偽を、最後には見抜くことを歌っている

 

坊賈之捷利素其所也而猶有甚焉者若拙著常世物語三国一夜物語二書其刻版係于丙寅之燬或為烏有或亡其半曩一賈豎補刻常語之闕又翻刻一夜語然不告諸予乞校訂擅改易常語書名及出像而令是如新著是以多不与旧本同加之其文誤衍亦多拙劣不遑毛挙也初予不知之客歳涌泉堂購得常語補刻之梓而乞予校訂於是予駭嘆久之無所漏憤譬如汚衣之油屡〃洗乃耗本色▲(シンニョウに台)今又莫奈之何且也一夜語翻刻雖未得見新刷而推思之則亦不与旧版同可知也顧廿余年前戯墨吾豈敢懸念耶但見売名之憾不得無言也因贅数行於簡端余楮

                     曲亭主人再識

坊賈の利に捷(さと)きは、素(もと)よりその所。しかるもなお甚だしきあり。拙著の常世物語三国一夜物語の二書のごとき、その刻版は丙寅の燬に係りて、あるいは烏有となり、あるいはその半を亡(う)せり。さきに一賈豎は常語の闕(か)けたるを補刻し、また一夜語を翻刻す。しかれども諸を予には告げず校訂を乞わず。擅(ほしいまま)に常語の書名および出像を改め易(か)えて、是をして新著のごとくならしむ。是を以て多く旧本と同じからず。之に加えるに、その文は誤衍また多し。拙劣たること毛挙に遑あらず。はじめ予は之を知らず。客(さる)歳に涌泉堂が常語の補刻の梓を購い得て、予に校訂を乞う。是において予は駭嘆すること久しうして、憤りを漏らす所なし。譬えば衣を汚す油のごとし。屡〃洗えば乃ち、本色を耗(おと)す。今に至りて之をいかんともするすべなし。かつ一夜語の翻刻は、いまだ新刷を見ることを得ざるといえども、しかれども推して之を思えば則ち、また旧版と同じからざるを知るべし。顧うに廿余年前の戯墨、吾あにあえて懸念せんとするや。ただし名を売らるるを見るの憾、言なきことを得ず。よりて数行を簡端の余楮に贅す。

                                       曲亭主人再び識す

 

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第五十一回

「兵▲(豚のツクリ二つの下に火/セン)山を焼て五彦を走らす 鬼燐馬を助て両孀を導く」

落人を奇貨として野武士等放馬を撃つ

小文吾・野武士・野武士・野武士・ひく手・ひとよ

 

★尺八・力二郎の冤鬼が登場する荒芽山の場面を閉める此処で、馬が蘇生し、富山へと繋ぐ。遺された者達は、再びリアルな世界で生きることになる

 

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第五十二回

「高屋畷に悌順野豬を搏にす 朝谷村に船虫古管を贈る」

並四郎が短鎗何ぞ小文吾が一拳に及ざる事を知らん

なみ四郎・小文吾

 

残賊空衾を刺て立地に元をうしなふ

小文吾・船むし

 

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第五十三回

「畑上謬て犬田を捕ふ 馬加竊に船虫を奪ふ」

両手を束縛せられて小文吾船虫を蹶挫ぐ

小文吾・船虫・畑上語路五郎・より胤

 

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第五十四回

「常武疑て一犬士を囚ふ 品七漫に奸臣を話説す」

小文吾抑留せられて常武に謁す

柚角九念次・坂田金平太・小文吾・卜部季六・臼井貞九郎・渡部綱平・馬加常武

 

品七が昔物語粟飯原首胤度讒死の処この本文ハ三の巻にあらハす看官よろしく合せ見るべし

くせもの・くせもの・あひ原おひと・こミ山逸東太・槍もち津久兵衛・若たう金吉・若たう銀吾

 

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第五十五回

「馬大記賺言して道に籠山を窮せしむ粟飯原滅族せられて里に犬坂を遺す」

品七が昔物かたり粟飯原胤度が家族死を賜ふところ

馬加大記・むすめたまくら・いなき・あひ原夢の介

 

★余りにも酷い場面だが、幕と刑吏の着衣に千葉家の紋である月星が大きく描かれている

 

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第五十六回

「朝闢開野歌舞して暗に釵児を遺す 小文吾諷諌して高く舟水を論ず」

女楽を聚合て常武小文吾をもてなす

小文吾・卜部すゑ六・すずこ・戸まき・つねたけ・あさけ野・くら弥吾

 

★第五十五回挿絵、毛野の家族が死ぬ場面で千葉家の月星紋が強調されていたが、今回の宴席に侍る馬加大記の妻の着衣にも月星紋が見える。小文吾と大記の間に置かれた重箱にも、月星紋があしらわれている。八犬伝の設定では大記も元は千葉庶流だから月星紋を使っていても、さほどは不思議ではない。しかし此処では、主家に憚らず乗っ取りを謀る大記の下心を示していると見ておく。それより筆者は旦開野の細くしなやかな腰つきが気になる

 

桃花の釵児よく刺客を撃殺す

小文吾・すゑ六

 

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第五十七回

「対牛楼に毛野讐を鏖にす 墨田河に文吾船を逐ふ」

対牛楼に毛野讐をみなころしにす

犬坂毛野・つな平・くら弥吾・馬加常たけ・貞九郎・九念次・毛野・戸まき・すずこ・金平太

 

船を逐ふて小文吾旧故に邂逅す

毛野・小文吾

 

★妙にスリムな小文吾の精悍な横顔は、毛野への想いを語って余りある。情熱的な念者の目だ。こういった場面で小文吾が肥満体だと、まぁ愛らしくはあるが、ちょっと似合わないかも

 

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第五十八回

「窮阨初て解て転故人に遭ふ 老実主家を続て旧憂を報」

市川の宿に依介小文吾を管待す

附記つけてしるす

是よりして下第五の巻の終りまで渓斎英泉画

みを・依介・小文吾

 

★依介が手にする団扇に「大」字。犬江屋の「犬」字か。古那屋は「古」を紋章としている

 

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第五十九回

「京鎌倉に二犬士四友を憶念す 下毛州赤岩庚申山の紀事」

網苧の茶店に現八鵙平が旧話を聞く

もず平・犬飼現八

 

★現八の胴に犬紋が見える。初出。背景の長閑な農村風景は、優れた風俗画となっている。亀に紐を付けて引く童が愛らしい。ところで、「和漢三才図会」巻第四十三 林禽類に記された鵙の条を引用する。「クウクウと鳴く。俗に、この姑苦とも聞こえる鳴き声により、姑に苦しめられて死んだ女性が、化したものとされている」。雛衣が姑・船虫に虐待されていることを語る人物の名として「鵙」平は相応しい。また、「礼記」月令でも、鵙は火気が旺ずることを告げる鳥であり、火気の犬士・大角が偽の父親と義母・船虫の抑圧を跳ね除けて自由の身となることの予兆となる男の名としても、「鵙」平は相応しい

 

諌を拒で一角庚申山第二の石橋を渡る図

 

★兎園小説と、ほぼ同様の図

 

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第六十回

「胎内▲(アナカンムリに賣)に現八妖怪を射る 申山の窟に冤鬼髑髏を託ぬ」

妖怪を射て現八冤鬼に逢ふ

犬飼現八

 

★如何でも良いが、現八の烏眼が小さすぎて猫みたく見える

 

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第六十一回

「柴門を敲きて雛衣冤▲(キヘンに王)を訴ふ 故事を弁じて礼儀薄命を告ぐ」

返璧の柴の戸に現八雛衣が怨言を竊聞す

現八・ひなきぬ・犬村角太郎

 

船虫奸計犬村が閑居を訪ふ

現八・角太郎・船むし・赤縄しん田の氷六

 

★氷六は、月下氷人を元としているのだろうが、余りにも心許ない。第五十九回の挿絵で何故だか亀が登場していたが、今回は田で鶴が遊んでいる。ちなみに近世の黄表紙など大衆文学は、お年玉のように袋に詰められ正月に発行されたりした。本自体が縁起物、とまでは言わないが、目出度いものを挿絵に潜ませたのは、挿絵に慣れた絵師の遊び心か。今回描かれている鶴は番ツガイのようなので、一旦は悲劇に終わる雛衣の愛が実は朽ちず、里見の姫の姿を借りて再び大角と結ばれる縁の深さを暗示しているか

 

八犬伝第七輯有序

世有奇才然後奇書出焉有奇書然後奇評附焉朱元晦曰好人難得好書難得非但好人好書之難得好評亦不易得何者人之好悪不一加之学之深浅才之優劣各有用捨焉是故所読書同而其所取不同譬若彼金聖歎水滸伝評読者駭嘆称▲(玄に少)以余観之未可尽為▲(玄に少)也聖歎尚如此而況其他乎近見好奇之士評稗史徒捜索其瑕疵批之以理義便是円器方蓋更鮮有不損作者面目或聞余言嘲之曰稗説▲(ニクヅキに坐)記無用之冗籍費工災桜安足道哉嗚呼憎無用者不知用之所以為用也人之一身無貴無賤所起臥不過一席然多席為無用之物廃之可乎無用者有用之資也余不貴虚文所好乃経籍史伝旧記実録已矣而毎歳所著莫非稗史小説所以然者何也書賈揣利以求於余余欲著之書書賈不願刻既已著無益恁地書也三十有八年于茲潤筆以購有用之書則用之与無用不可得而分別也宜乎大声不入里耳稗史雖無益於事而寓以勧懲則令読之於婦幼可無害矣且也鬻之者与書画剞▲(厥にリットウ)刷印製本諸工咸以衣食於此抑不亦泰平余沢耶乃者八犬伝復続稿▲(シンニョウに台)于第七輯毎輯有自序読者罕矣又唯述愚衷於端楮為知音解頤

文政十年丁亥冬十一月之吉                      曲亭主人撰

世に奇才ありて、しかる後に奇書出ず。奇書ありて、しかる後に奇評附く。朱元晦曰く、好(よ)き人得がたく、好き書も得がたし。ただ好人好書の得がたきのみにあらず。好評もまた得易(やす)からず。何となれば、人の好悪は一ならず。之に加うるに、学の深浅、才の優劣も、おのおの用捨あり。この故に読む所の書は同じくして、しこうしてその取る所は同じからず。譬えば、かの金聖歎が水滸伝の評は、読む者が駭嘆し▲(玄に少)と称(たた)う。余を以て之を観れば、いまだ尽(ことごとく)く▲(玄に少)と為すべからず。聖歎さえ、なお此(か)くのごとし。況(いわん)やその他をや。近ごろ好奇の士の稗史を評するを見るに、ただその瑕疵を捜索して之を批するに理義を以てす。弁(すなわ)ち是、円器方蓋。更に作者の面目を損せざることあること鮮(すくな)し。あるひと余が言を聞きて之を嘲りて曰く、稗史▲(ニクヅキに坐)記は無用の冗籍、工を費やし桜に災いす、いずくんぞ道(したが)うに足らんや。ああ無用を憎む者は、用の用たる所以を知らず。人の一身、貴きなく賤しきなし。起臥する所は一席に過ぎず。しかれども多席を無用の物と為して之を廃して可ならんや。無用は有用の資(たすけ)なり。余は虚文を貴ばず。好む所は乃ち、経籍史伝旧記実録のみ。しこうして毎歳に著す所は稗史小説にあらざるはなし。しかる所以は何ぞや。書賈は利を揣りて以て余に求む。余が著さんと欲する書を、書賈は刻むを願わず。すでに、すでに無益恁地の書を著すや茲に三十有八年。潤筆を以て有用の書を購えば則ち、用と無用とは得て分別すべからず。宜なるかな。大声は里耳に入らず、稗史は事において無益といえども、しかれども寓するに勧懲を以てすれば則ち、乃を婦幼に読ましめて害なかるべし。かつや乃を鬻(ひさ)ぐ者と書画剞▲(厥にリットウ)刷印製本の諸工は咸(みな)以て此に衣食す。そもそも、また泰平の余澤ならずや。乃者(このごろ)八犬伝、復た稿を続けて第七輯に至れり。毎輯に自序あり。読む者は罕(まれ)なるか。またただ端楮に愚衷を述べて知音の頤(おとがい)を解く。

文政十年丁亥冬十一月之吉                      曲亭主人撰す

 

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八犬伝第七輯口絵

一念所興 四知応怕

一念の興る所 四知は怕れに応ず。

 

雲とのミ見てやハやまんさくら狩わけ入る山のかひはありけり

武田信昌・甘利兵衛堯元・奴隷▲(巾に厨)内

 

★漢文の句は余りに処世的なので略す。雲とのみ見てやは止まん桜狩り、分け入る山の甲斐はありけり。雲だとばかり思っていては、満開の桜を見逃すことになる。甲斐の山は、分け入る甲斐がある。桜も恥じらう浜路姫を見つけることが出来るのだから。後撰集巻三春下に「み吉野の吉野の山の桜花、白雲とのみ見えまがいつつ」一一七がある。遠くの山で広大に花盛りを誇る桜を、山にかかる白雲に喩えたか。或いは、山の一部が満開で春風に散らされた桜花で白く曇っている様を伝えるか。とにかく、咲き誇る桜を雲に喩えるは旧来の修辞

 

愀然相照鏡中 亦有与吾同憂

愀然とあい照らす鏡の中、また吾と同じき憂いあり。

 

★しょんぼりとして鏡を覗けば、自分と同じ憂いを浮かべた者が居る。当たり前のことを言っているに過ぎないが、敢えて詩にすると深みがでる。憂いの時に人は孤独である。他者の干渉を排除する傾向を示す場合がある。しかし実は、独りで居たいわけじゃない。自分のことを本当に理解してくれる者ならば、StandByMe、傍に居て欲しい。とは言え、所詮そんなもん、居るわけがない。と鏡を見れば、自分と同じ憂いを浮かべた、自分が居る。自分だけは、今の自分の気持ちを分かってくれる。本来なら、自分以外の者に理解してもらうことで初めて癒しが得られる。自分は独りではないと確認することこそが救済の道なのだけれども、それすら期待できないほどの深く孤独な憂いの中では、唯一自分を理解してくれる自分を、他者の代用とするしかない。完全に矛盾しているのだが、敢えて矛盾とせず自らの裡に慰めを求めねばならぬ絶望的な孤独。……との感興を詠っているのだろうが、前後の両浜路が互いに鏡像の関係にあることをも示している。「鏡像」と言っても、容姿に就いては恐らく、さほどは似通ってはいない。似通っていないにも拘わらず共通していることこそ、重要なのである。即ち、物質的な共通性ではなく、霊的スピリチュアルな共通性こそが、必要なのだ

 

牡鹿鳴く礒山ちかみ小夜ちとり おのか友とや呼ひかはすらむ 著作堂

浜路・浜路

〈英泉〉

 

★牡鹿鳴くは秋の季語。千鳥は冬だが、鳴き交わす鳥として引き出されたか。前の浜路の紋は蛾のようだ。中国にも、死者は七日目に蛾や蟷螂になって生前好んでいた場所に現れる、との俗説があったやに記憶する。裾の枯れ薄は、幽霊の舞台装置か

 

 

由来汝之紅手拭 勝似妖狐戴髑髏

汝の紅手拭の由来、妖狐の髑髏を載せるに似て、勝る。

 

★「紅手拭」は、化猫を表すとともに、血脈/親子の関係を暗示している。「紅手拭」と「髑髏」とを併せれば、現八が、一角の髑髏に大角の紅い血を滴らせ親子の証拠としたことをも包み込む。直接的には化猫たる偽赤岩一角を、そして間接に真実の親子の誤魔化しようのない繋がりを表す。さて、紅手拭と化猫の関係であるが、長州岩国の巷説を採った「岩邑怪談録」第二四話「普済寺猫踊の事」に「普済寺といふ禅寺の猫、或日の夕飯後に、赤手拭を口にくはへて出ければ不思議に思ひ、小僧、跡につけて行見れば、琥珀といふ所の草原にて、猫ども数々集りて、踊りをおどりける。暫く踊りて、猫ども踊りつかれて帰りざまに、又明日の晩に出逢ひておどらんと、人の如く物いひて別れける社奇怪なれ」とある。猫が化けるに紅手拭いを用いるには、何か典拠あるか。「岩邑怪談録」は「天保年頃ノ老人」である岩国藩士広瀬喜尚翁/通称仁兵衛/が書いた。八犬伝は、どうやら「岩邑怪談録」に若干先行する。故に馬琴が「岩邑怪談録」を参考に、「化け猫」と「紅手拭」の関係を持ちだした者でないことは明らかだ。但し、「岩邑怪談録」は巷説を採ったものであり創作でない点から逆に、少なくとも天保頃に岩国で「赤手拭」と「化け猫」を関連づける発想があったことを示しており、また巷説とは人間なるメディアによって伝播するために、岩国以外、例えば江戸でも流布していた可能性は否定できない。巷説の流布は時間・地域ともに幅をもつものであり、「岩邑怪談録」の存在は、遅くとも天保頃までには、赤手拭猫の話が発生していたことを示すのみである。やや消極的な証明しか出来ないが、上記の如く筆者は考えている。「岩邑怪談録」に就いては、でちょさんに御教示いただいた

 

子をおもふ夜の鶴よりかしましや 妻思ふ宿の雉子猫の声

仮一角にせいつかく・赤岩武遠あかいハたけとほ・赤岩牙二郎あかいハがじらう

 

★既出。偽一角と、信乃に仇為す紀二郎猫との共通性を明かしている/「夜の鶴」は、白居易の「五弦弾」中の句「夜鶴憶子籠中鳴」などに見られる。鶴が子供思いであるとの通念が背景にあるようだ。他に子供思いの動物には猿があり、「断腸」は、子猿を喪った母猿の思いを謂う。更に云えば、子を思う母のココロは、「夜の鶴、焼野の雉子(きぎす)」と二種の鳥を並べて表現することがある。死すべき〈雛〉の〈衣〉となって守り抜こうとする母雉子の哀しさと強さを示す。焼野の雉子は、焼け野原で見つけた雉の黒こげ焼死体の陰に雛が守られている、との表現。偽一角の評句は、此の「夜の鶴、焼野の雉子」の「雉子」を「雉子猫」に換えることにより、雛衣の強さと、一角を殺して妻を奪った偽一角の邪さを対比強調する技巧を用いている。そう言えば、太平記、八犬伝にも引かれ挿絵にも登場する高師直が塩谷判官の妻に横恋慕する挿話の悲劇は、「焼野の雉子」に集約されている。忠義の臣・塩谷判官高貞の美しい妻に高師直は言い寄るが袖にされる。怨んだ師直は主君の尊氏・直義に塩谷を讒言する。危険を察知した判官は暦応四年三月二十七日暁、「ふたごころ有るまじき若党三十余人」を率い、妻と子には「身に近き郎等二十余人」を属けて京から逃げ出し、本国の出雲へと向かう。しかし妻子の一行は播磨の陰山で二百五十余騎の追っ手に捕捉される。「塩冶が郎等ども今は落ちえじと思ひければ輿をば道のかたはらなる小家に舁き入れさせて向ふ敵に立ち向ひ、おしはだぬぎ散々に射る。追手の兵ども物具したる者は少なかりければ懸け寄せては射落し抜いてかかれば射すゑられて、やにはに死せる者は数を知らず。かくても追手は次第に勢重なる。矢種もすでに尽きければ、まづ女性幼き子どもを刺し殺して腹を切らんとて家の内へ走り入つて見れば、あてやかにしをれわびたる女房の、夜もすがらの涙に沈んで、さらずともわれと消えぬと見ゆる気色なるが、膝のそばに二人の子をかき寄せて、これやいかにせん、とあきれ迷へるありさまに、さしもたけく勇める者どもなれども落つる涙に目も暮れて、ただ惘然としてぞゐたりける。さる程に追手の兵どもま近く取り巻いて、この事の起りは何事ぞ。たとひ塩冶判官を討つたりとも、その女房をとりたてまつらでは執事の御所存に叶ふべからず。相構へてその旨を存知せよ、と下知しけるを聞きて、八幡六郎は判官の二男の三歳に成るが母に懐き付いたるをかき懐いてあたりなる辻堂に修行者のありけるに、この幼き人なんぢが弟子にして出雲へ下しまゐらせて御命を助けまゐらせよ。かならず所領一所の主になすべし、と言ひて小袖一重ね添へてぞとらせける。修行者かひがひしく受け取つて、子細候はじ、と申しければ八幡六郎限り無く悦んで元の小家に立ち帰り、われは矢種の有らん程は防き矢射んずるぞ。御辺たちは内に参つて女性幼き人を刺し殺しまゐらせて家に火を懸けて腹を切れ、と申しければ塩冶が一族に山城守宗村と申しける者内へ走り入り持ちたる太刀を取り直して、雪よりも清く花よりも妙なる女房の胸の下を、きつさきに紅の血をそそき、つつと突きとほせば、ああつ、と言ふ声かすかに聞えて薄衣の下に臥したまふ。五つになる幼き人、太刀の影に驚いて、わつ、と泣いて、母御なう、とて空しき人に取り付きたるを山城守心強くかき懐き太刀の柄を垣にあてもろともに鍔もとまで貫かれて抱き付いてぞ死ににける。自余の輩二十二人今は心安しと悦んで髪を乱し大膚ぬぎに成つて敵近付けば走り懸かり走り懸かり火を散らしてぞ切り合ひたる。とても遁るまじき命なり、さのみ罪を造つては何かせん、とは思ひながら、ここにて敵を暫くも支へたらば判官少しも落ち延ぶる事もや、と、塩冶ここにあり、高貞これにあり、首取つて師直に見せぬか、と名のり懸け名のり懸け二時ばかりぞ戦うたる。今は矢種も射尽しぬ。切り傷負はぬ者も無かりければ、家の戸口に火を懸けて猛火の中に走り入り二十二人の者どもは思ひ思ひに腹切つて焼けこがれてぞ失せにける。焼けはてて後、一堆の灰を払ひのけてこれを見れば女房は焼け野の雉の雛を翼にかくして焼け死にたるが如くにて、いまだ胎内にある子刃のさきに懸けられながらなかばは腹より出でて血と灰にまみれたり……」。先行していた高貞は此の後、郎等たちが次々に果たす壮絶な犠牲によって出雲までは逃げ延びるが、権勢を誇る師直の追っ手が迫り恩賞の触れを出すと親類縁者知人までも高貞を狙うようになる。逃げ場を失った高貞は山に籠もって一戦を交えようとするが、其処に郎等の一人が馳せ参じ、妻子の死を告げ、腹を切る。絶望した高貞は、馬上のまま切腹して果てる。太平記巻第二十一「塩冶判官讒死のこと」

 

一妻両夫 黒白云判

にハとりのぬれてねくらに帰らすは 暮るにたてじ春雨の門

淫婦夏引いんふなひき・四六城木工作よろきむくさく・泡雪奈四郎秋実あハゆきなしらうあきさね

 

★試記・鶏の濡れてねぐらに帰らずば、暮るに立てじ春雨の門/陰の気が満ち下草を濡らす雨が降る。其の陰気に当てられ濡れた二羽の鶏を共に一つの寝所に招き入れる積もりなのか。まだ鶏が帰ってこないからと言って、日が暮れたというのに、門を閉じていない。門は家の防備/貞操を示し、ひいては陰門/女性器を指す。夏引が夫・木工作ありながら、奈四郎と肉欲の関係にあることを示していよう

 

〈英泉〉

 

苫舟のおなしなかれにすみ田河 こころくまなき月の夜の友  著作堂

出来介・あま崎十一郎てる文・重出五のきみ

 

★試記・苫舟の同じ流に隅田川 心隈なき月の夜の友/浜路姫は鼓を構えている。鼓と言えば、能である。人商人に攫われ奥州へ行く途中で死んだ梅若丸を追い、都から下ってきた狂女/母の物語「隅田川」と無関係ではあるまい。攫われた子/梅若は悲劇の死を遂げ、狂女ならぬ浜路は安房から攫われ目出度く生還する。二つの物語の対比によって、八犬伝のエピソードを際立たせようとしているのか、それとも、浜路姫は浜路に乗っ取られ、元の浜路ではなくなっている/死んでいることを示しているのか? ←弓張月・白縫と寧王女の関係。それとも、在原業平が名句「名にしおはばいざ事とはむ宮こどりわが思ふ人はありやなしやと」古今和歌集四一一/を思い出せば、別れて来た愛しい人/信乃への慕情を示しているか

 

冰輪冷艶擅清光 銀漢斜添雁一行 船倚枯葭桜樹岸 人忘栄利宿鵞傍

斑姫哭子狂何甚 在五思京諷詠芳 月色今宵千古似 秋寒徹水覚風霜

 

   九月十三夜墨水賞月即事

                        玉照堂主人

氷輪は冷艶として清光を擅(ほしいまま)にす。銀漢に斜めに添う雁が一行。

船は枯葭桜樹岸に倚し、人は栄利を忘れ鵞の傍に宿す。

斑姫の子に哭するや何ぞ甚しき。在五の京を思える諷詠は芳し。

月色は今宵、千古に似る。秋寒く水徹りて風霜を覚ゆ。

   九月十三夜に墨水に月を賞し事に即して

                        玉照堂主人

 

★斑姫は「班女」即ち、梅若を追ってきた母を指す。在五は在五中将すなわち阿保親王アホシンノーとは読まずアボシンノウと読むが通例/の息子にして希代の色男・伊勢物語の主人公たる在原業平の通称。前出「名にしおはばいざ事とはむ宮こどりわが思ふ人はありやなしやと」で有名か。班女は墨田河畔に留まり尼となって梅若の菩提を弔った。寺は江戸・向島の木母寺であって、都鳥の名所・橋場から向島まで墨田河原は、桜の名所。「桜樹岸」は、此の辺りであろう

 

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第六十二回

「船虫奸計礼度に説く 現八遠謀赤岩に赴く」

返璧の庵に船虫禍胎を贈る

現八・角太郎・氷六・ふなむし・ひなきぬ

 

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第六十三回

「短刀を携来て縁連師家を訪ふ 衆兇と挑みて信道武芸を顕す」

縁連使して短刀をうしなふ

よりつら・ハッ太郎・飛伴太・東太・一角・団吾・現八

 

勇を奮て現八よく五兇を挫ぐ

牙二郎・一角・ひばん太・団吾・よりつら・現八・ハッ太郎・東太

 

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第六十四回

「現八単身にして衆悪と戦ふ 縁連・牙二郎、信道を逐ふ」

衆兇挟て夜現八を害せんとす

よりつら・ふな虫・牙二郎・東太・ひばん太・現八・をは内・▲(はか)内・団吾・ハッ太郎

 

牙二郎逸東太双で角太郎を詰

ひなきぬ・牙二郎・角太郎・よりつら・現八・一角・船むし

 

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第六十五回

「▲(オンナヘンに息/よめ)に逼て一角胎を求む 腹を劈て雛衣讐を仆す」

金玉瓦礫はじめて判然

よりつら・一角・牙二郎・船虫・角太郎・現八・ひなきぬ

 

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第六十六回

「妖邪を斬て礼儀父の怨を雪む 毒婦を丐て縁連白井に還る」

邪魔人畜悉皆頓滅

土地の神・山の神・ひな衣なきから・現八・逸東太・ふなむし・山ねこ・角太郎・猯まミ・貂てん・牙二郎

 

★陀羅尼系の真言か

 

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第六十七回

「礼儀義家禄を捨つ 船虫謀て縲絏を脱る」

名を改めて大角留別の小集す

犬飼現八・犬村大角・村長・村をさ・氷六

 

★此処で大角が着けている紋は、後に使う蔦紋ではないようだが、杏葉牡丹でもないように見える

 

笛の音によるてふ鹿ハあし引の 山のさち雄を妻とし惑ふらむ  ▲(頼のしたに鳥)斎

船虫・逸東太

 

★笛の音に誘き出されるという鹿は、あし引きの山の猟師を配偶の牝だと誤解して惑う。猟師は牝の声を模した鹿笛で、牡鹿を誘き寄せることは古来民俗として知られている。この場は船虫が猟師、縁連が牡鹿。因みに牡鹿の牝呼ぶ声はアハレとされ、秋の歌に繁く詠まれている。かなり性欲の強い動物と思われたか。鹿角は精力増進薬として、現在でも用いられている。荷物に逸東太の名

 

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第六十八回

「穴山の枯野に村長秋実を救ふ 猿石の旅宿に浜路浜路を誘ふ」

甲斐の道中に信乃奈四郎を懲す

をバ内・犬塚信乃・あハ雪な四郎・よろぎ木工作

 

有花不語春鳥寄声有水無意蟾蜍遺環  蓑笠題

花ありて語らず。春鳥、声を寄す。水ありて意なし。蟾蜍は玉を遺す。

出来介・なびき・はまぢ・信乃・木工作

 

★花が咲いているが、彼は何も語らない。代わりに春鳥が声を寄せてくる。水には、意ココロなんてない。蟾蜍が、玉を遺す。後の浜路は何も語らず、代わりに前の浜路が語りかけてくる。信乃には下心はないが、木工作は浜路を信乃に娶せようとする。即ち、此の歌は、後の浜路を花、前の浜路を春鳥、水を信乃、蟾蜍を木工作に喩えている。花とは眼前にある〈形を持った者〉即ち、後の浜路だ。春の花が語りかけてくるように感じるが、実は、姿の見えない鳥/前の浜路の囀りに違いない。前の浜路が後の浜路に憑依して、信乃への思いを言い募る場面である。しかし水気の犬士・信乃には下心なんてない。にも拘わらず木工作は信乃を見込んで浜路に娶せようとし、結局は横死するのだが、玉なる後の浜路を遺す。玉は万物の美称であると同時に、犬士達の身分証明である。玉は、犬士を象徴すると言い得る。犬士が玉に象徴されるなら、犬女も玉で象徴されて何の不都合やある。雛衣も「玉」と言い換えられていた。ところで読本には何度か書いたが、蟇は土気である。和漢三才図絵に蟾蜍が土精であると書かれてあると、執拗に書いてきた。五行の理に於いては、土克水、土は水を堰き止める機能を有している。此の挿絵に続く第六十九回のタイトルは、「仕官を謨りて木工作信乃を豪留す」である。正しく、信乃は木工作に〈堰き止められる〉のだ。其処まで考えると彼の苗字「四六木」が、〈四六の蝦蟇〉から来ているであろうと察しもつく。なお、読本で述べた如く、此の場で夏引が身に着けている着物の模様は、亀篠の普段着と同様だ。一方、後の浜路の着物は、前の浜路が死の直前に着ていた物と同様である。着物の模様によって、夏引・後の浜路と亀篠・前の浜路の関係が、同様のものであると知れる。ただ、全く総てが同様であるのではなく、蟇六と木工作が対称的な人物像であることから、単純な反覆によって足踏みするのではなく、物語は捻れて前進していく

 

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第六十九回

「仕官を▲(ゴンベンに莫/はかり)て木工作信乃を豪留す 給事を薦て奈四郎四六城を撃つ」

拙工不成自又破之

拙き工(たくら)み成らずして、自ら又これを破る。

 

★奈四郎は権威をカサに着れば相手が従うものだと、恐らく自分を基準にして考えたのだろうが、娘・浜路の幸せを願う木工作は、信乃こそ婿にと考えているので、従わない。しかも詰られた奈四郎は怒りに任せて木工作を射殺する。温厚そうな木工作が、喧嘩腰で口説した理由は、挿絵にしか描かれていない。即ち、余りに鳥獣を殺したために、獲物の怨霊に祟られ、言わずもがなの言葉が口を衝いて出たのだろう

 

禽獣の怨霊ハ文外の画なり看官宜意をもて解すべし

かや内・奈四郎・をバ内・木工作

 

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八犬伝第七輯巻之五に附記す闘牛並に小狗の略説

闘牛は原西羌の戯なり。西陽雑爼境異篇云亀茲国元日闘牛馬駝為戯七日観勝負占一年羊馬減耗▲(クサカンムリに繁)息也といへり。是より先に三国の時、魏の曹植が牛闘の詩に、行彼山頭▲(炎に欠)起相▲(テヘンに唐)突、といひしは二牛の自然に闘へるなり。事は太平広記又野客叢書{十二}に見えたり。又淵鑑類函{巻四百三十五牛部}に仇池筆記を載て、牛闘尾入両股間、といへり{闘牛竪尾図経識者指摘見五雑爼}又昭代叢書{巻二十六}竹枝詞の附録土謡部苗人を詠ずる詞に、身被木葉挿鶏頭銅鼓家家賽闘牛、といふ句あり。注に、歳時召親戚▲(テヘンに過)銅鼓闘牛於野▲(圭にリットウ)其負者祭而食之、といへり。唯牛のみにあらず、西域には闘羊闘▲(壱のヒなしに石木)駝さへあること右の如し。されば又瀛海勝覧云、勿魯謨斯国羊有四種大尾綿羊重七八十斤其尾闊一尺余▲(テヘンに施のツクリ)地重二十斤狗尾羊如山羊尾長二尺余闘羊高二尺七八寸前截毛長▲(テヘンに施のツクリ)地後半剪浄頗似綿羊角彎向前上帯小鉄牌好闘好事者養之賭博為戯{類函}、か丶る事を鑿出さば猶いくらもあるらんを大かた似たる事なれば此に許多せず。又按ずるに、周末戦国の時、角觝の戯を為れり。憶に秦晋北燕なンど胡国に近かりし諸侯彼闘牛に擬して、この戯を作れるならん。正字通角字注に、角觝戯名觝通作抵六国時所造両々相当角力相抵漢武元封二年作角觝戯史記李斯伝作▲(穀のノギヘンが角)抵張騫伝作角▲(抵のツクリ)、と見えたり。

{▲(穀のノギヘンが角)觝の▲(穀のニギヘンが角)史記李斯伝音学西京雑記巻三秦末有白虎見於東海黄公乃以赤刀往厭之述既不行遂為虎所殺三輔人俗用以為戯漢帝亦取以為角觝之戯焉又按述異記云秦漢間説蚩尤氏耳髯如剣戟頭有角与軒轅闘以角觝人人不能向今冀州有楽名蚩尤戯其民両両三三頭載牛角字相觝漢造蓋其遺製也又闘牛の事は事物紀原巻九にあり。考ツべし}

角は競なり。觝は抵なり。唐山の俗語に言葉戦を角口といふ、その義これと同じ。角觝は力士牛頭を戴き両々相当り相抵て勝負をなせり。その形勢宛闘牛に似たり。是則今の角力の権輿なり。闘牛は本邦にもむかしより越後州古志郡二十村に在り。人多くこれを知ざるのみ。吾友鈴木牧之は越後魚沼郡塩沢の里長なり。いぬる庚辰年春三月二十五日予が為にその地に赴きて闘牛を観て手づから図説を為りておこしたり。牧之云二十村は地方の▲(テヘンに総のツクリ)名なり。闘牛の地所は定りたることなし。毎歳三四月の間雪の消果るに及びて寅申の両日の吉辰をえらみてこの事あり。土人は牛の角突と唱ふ。原是件の村々の城▲(ツチヘンに皇)なる十二権現の祭祀によりてこの戯を興行すといへり。この闘牛の光景は本輯第七の巻に載たればこ丶に具にせず。左の図と合し見るべし。原図は牧之の筆するもの、紙中甚闊して且二三頁あり。そを縮図して漏さず▲(衣の上下間に臼)めて欄▲(氏のしたに巾)一ト頁の中に尽せしは画者渓斎の筆力に成れり。上古には陸奥はさらなり越後近江さへ夷俗に擬せられて夷長を置せ給ひしよし国史に見えたれば、この闘牛の戯はいとふりたる風俗の波及にこそあるならめ。昇平既に久しうして辺鄙も文物に乏しからねば今は東奥北越の尽処までも夷めきたる事はなきに此闘牛の戯の偶越後に遺りしは古俗を知るの端崖ならずや。▲(ニンベンに尚)崔安潜をして世に在しめば神遊して見まく欲するなるべし{崔安潜好看闘牛見五雑爼人部三}

因にいふ、ちぬは{ちひさいぬの略辞なりと閑田▲(田に井)筆に見えたり}払菻狗の種類なり。一名は哈叭狗一名は馬鐙狗又これを▲(ケモノヘンに過のツクリ)といふ。唐高祖武徳中高昌{国名}献狗高六寸長尺能曳馬銜燭云出払菻中国始有払菻狗{唐書適要}天朝は則淳和天皇の天長元年渤海国より契丹{国名}の▲(ケモノヘンに委)子を献りぬ{▲(ケモノヘンに委)通作▲(ケモノヘンに過のツクリ)}類聚国史{殊俗部}云淳和天皇天長元年四月丙申覧越前国所進渤海国信物並大使貞泰等別貢物又契丹大狗二口▲(ケモノヘンに過のツクリ)二口在前進之これ天朝に異邦の小狗あるはじめなるべし。▲(ケモノヘンに過のツクリ)子も払菻狗に類せる矮狗なり。天宝遺事云天宝末云云上夏日嘗与親王碁令賀懐智独弾琵琶貴妃立於局前観之上数子将輪貴妃放康国▲(ケモノヘンに過のツクリ)子於坐側▲(ケモノヘンに過のツクリ)子乃上局局子乱上大悦といへり。これらによりて▲(ケモノヘンに過のツクリ)子の小狗たる事を想像るべし。払菻狗は稲若水の本草綱目別集に留青日札肇慶府志呉県志を引て考証あり。若水云今之矮爬狗即古小狗之種蓋与中国狗交而漸高大者也。馬鐙狗長四寸可蔵之馬鐙中{留青日札摘要}番狗長毛▲(マダレに卑)脚身絶小高四五寸為哈叭狗来自京師最貴{肇慶府志}犬小者有金獅▲(モンガマエに市)獅{呉県志}今按ずるに近来この間に畜る小狗は絶小きもの稀なり。今の小狗に八種あり。そを鬻ぎて生活になるもの丶俗呼を聞くに所云八種は、つまり・ちやんぱげ・かぶり・小かしら・しかばね・りうきう・さつまたね・まじり、是なり。つまりは、その毛つまりて長からぬをいふ。ちやんぱげは占城毛なるべし。かぶりは、頭毛長く垂れて面上を掩ふをいふ。小かしらは、頭ちひさく眼大なるもの、これを上品とす。しかばねは、鹿骨なり。痩てその脚長きもの下品なり。りうきうは、琉球より来たる小狗なり。さつまたねは、琉球狗とこの土の小狗と尾りて生れるをいふ。この故にその耳垂れずして形円かり。まじりは、小狗と地狗とまじはりて生れるをいふ。又紅毛狗と尾りて生れるもあり。紅毛狗は、地犬よりちひさし、穀食せず或は魚鳥或は琉球芋もてこれを養ふなり。強て飯を食しむれば稍大きくなれり。この他小狗を養ふにくさぐさの口伝あり。且常に用ふべき薬方、子を産する時のこ丶ろ得など、いと多かり。これらのよしを書きつめて好るものに示さばやと思ひつ丶さる暇のあることなければ久しうして得果さざりき。こはその崖略のみなれど八犬伝の名にしおふ小狗の事しも漏さじとて諳記のま丶にしるすになん。

   文政十年丁亥冬十一月大寒前六日

                                蓑笠老逸

 

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第七十回

「指月院に奸夫淫婦を伴ふ 雑庫中に眼代戍孝を捕ふ」

昼無住院に竊憩して奈四郎夏引と密談す

なひき・な四郎・をバ内・むが六

 

★むが六の背後に然り気なく斑犬が寄り添っている

 

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第七十一回

「冤尸を検して尭元姦を知る 禅院に寓して旧識再会す」

鼠璞非璞兎絲非絲其名同而其物異也

鼠璞は璞にあらず。兎絲は、絲にあらず。其の名は同じうして、其の物は異なるなり。

慎之慎之出於爾返於爾者也

慎めや慎めや、爾に出て、爾に返るものなり。

信乃・はまぢ・出来介・なひき・出来介・たか元

 

ふたつみつひとつになるや露の玉 以作者少時所吟發句為賛

はまぢ・念戌・俗同宿・住持・仮眼代・信乃

 

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第七十二回

「三士一僧五君を敬ふ 信乃・道節甲主に謁す」

応仁の昔かたり三才の息女鷲に捕らるところ

 

石禾の寺に信昌二犬士を知る

道節・ちゆ大・信乃・たかもと・のぶまさ

 

 

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第七十三回

「仇を謬て奈四郎頭顱を喪ふ 客を留て次団太闘牛に誇る」

五の君を送る道中に信乃はからずして仇を撃つ

五の君・てる文・道節・信乃

主を賊して媼内更に亡命す

をバ内・奈四郎

 

自若として小文吾暴牛を駐む

うし力士・牛力士・いそ九郎・牛力士・牛りき士・小文吾・うし力士・牛力士

 

 

八犬伝第八輯自序

曲亭主人江戸隠士也。別号多有。名平居綴文処為著作堂。其次名小書斎為▲(頼のしたに鳥)斎繙国史旧録奇文諸雑書時号彫窩閲儒書仏経諸子百家之書時号玄同自序於稗史小説時号蓑笠耽戯筆時号曲亭編児戯小策子時称馬琴下俚巴人其曲不高和者弥〃衆是以馬琴曲亭二号著于世云{曲亭山名見漢書陳湯伝及大明一統志馬琴取野相公索婦詞句以命之相公詞曰才非馬卿弾琴未能身異鳳史吹簫猶拙見菅原為長十訓抄}

十訓抄作者名見徹書記物語 是他有雷水狂斎半關M天翁愚山人数号約一十二号皆臨時随意莫弗書矣或笑其別号之多主人乃弁之曰古人有表字而無別号或称本貫或以所居地名相呼耳近世別号始自儒流間亦有堂閣楼台精舎草庵則名此而号某堂某楼主人此後世有別号所以至二三不足怪矣時好名者相羨以為雅事因無其堂閣楼台亦自号某堂某楼主人夫有名而無実是為虚名与身倶亡不伝于後世雖有十数号与坊賈記本銭字号一般非但文人墨客有別号貴賤有家号又有綽号万物有方言多異名至諸家本草乃薬物異名最煩多非学而得焉識別殆不輙故老氏曰名可名非常名漆園亦曰名実之賓名実両忘始可知非常之名也由此観之余之有十数号猶無也古之高人許人聞名不許人見面余胡為望高人然措身而不思名比肩措稗官者流而意織筆耕不▲(澤のツクリに攵)造化小児与之為狡獪也豈思名者所庶幾能察是意者可倶評稗史焉未得是意者何憑知作者之観世写情有寓言以奨忠孝戯謔中弁貞淫猶且正是非昭法戒又善懲隠▲(匿のしたに心)禁窃盗之旨哉雖然集虚仮之詞而綴虚仮之文事之与文素所無之徴諸華胥乎抑〃討於南柯乎胸中有物則求之于内胸中無物則求之於外内外撮合然後許多脚色出焉於戯噫▲(クチヘンに喜)誰徐悟立談之旨於言外世人多不思之好閲稗史者啻喜虚仮之詞之奇中出奇且有千情万形可笑可悲可怒可罵之闇合已矣不閲者不択巧拙又唯謂虚仮之詞之誣世惑俗一毫無益於名教而擯斥之至甚焉者焼琴烹鶴其故何也為膠柱不解不悟幻境為仙家除此之外厭常喜怪是故徒好聴鬼而不楽観鬼昔者葉公好画竜而懼真竜当時呈画竜者賞矣致真竜者黜矣余亦為婦幼呈画竜也久矣尚幸不能致真竜焉此拙編所以行于今儻有与余同愚者而思及于此乃観画竜如観真竜其油然有所感而粛然知所懼一日有客余対客腐談如前条時八犬伝第八輯全稿方成欲序未果即次是言代序以顔于簡端

     天保三年如月望               蓑笠漁隠撰

                                 董斎盛義書

曲亭主人は江戸の隠士なり。別号は多くあり。平居して文を綴る処を名づけて著作堂と為す。その次に小書斎に名づけて▲(頼のしたに鳥)斎と為す。国史旧録奇文諸雑書を繙(ひもと)く時には彫窩と号す。儒書仏経諸子百家の書を閲する時は玄同と号す。自ら稗史小説に序す時は蓑笠と号す。戯筆に耽る時は曲亭と号す。児戯の小策子を編む時は馬琴と称す。下俚巴人は、その曲高からざれば和す者いよいよ衆し。是を以て馬琴曲亭の二号にて世に著すと云う。{曲亭は山の名なり。漢書陳湯伝および大明一統志に見えたり。馬琴は、野相公の婦を索(たず)ぬる詞句を取りて以て乃に命す。相公の詞に曰く、才は馬卿にあらざれば、琴を弾ずること能わず、身は鳳史に異なりて簫を吹くこと、なお拙(つたな)し、菅原為長の十訓抄に見えたり}

{十訓抄の作者の名は徹書記物語に見ゆ}この他には雷水・狂斎・半閨E信天翁・愚山人の数号ありて約(およ)そ一十二号。皆、時に臨み意に随いて、書せざることなし。あるひと、その別号の多きを笑う。主人は乃ち之を弁じて曰く、古人には表字ありて別号なし。あるいは本貫を称し、あるいは居る所の地名を以て相呼ぶのみ。近世の別号は、儒流より始まる間、また堂閣楼台精舎草庵あれば則ち、此を名づく。しこうして某堂某楼主人と号す。此、後世に別号ありて二三に至る所以、怪しむに足らず。時に名を好む者は、相羨みて以て雅事と為す。よりて、その堂閣楼台なきも、また自ら某堂某楼主人と号す。それ名ありて、しこうして実なし。是を虚名と為す。虚名は身とともに亡びて後世に伝わらず。十数号ありといえども、坊賈の本銭を記す字は一般に与し。ただ文人墨客の別号あるのみにあらず。貴賤に家号あり。また綽号あり。万物に方言ありて異名多し。諸家の本草に至りては乃ち、薬物の異名は最も煩多にして学びて得るにあらざれば識別は殆(ほとん)ど輙(たやす)からず。ゆえに老氏の曰く、名の名とすべきは常名にあらず。名は実の賓と名実の了ながら忘れて、はじめて非常の名を知るべし。漆園もまた曰く、名は実の賓、名実を両ながら忘れて、はじめて非常の名を知るべし。此によりて之を観れば、余が十数号あるも、なお無きがごとし。古の高人は名を聞くことを許して面を見ることを許さず。余は胡(なに)が為ぞ高人たらんを望むや。しかれども身を惜しみて名を思わず、稗官者流に肩を比(なら)べて、しこうして意を織り筆に耕して、造化の小児これと与(くみ)して狡猾を為すことを▲(澤のツクリに攵/いと)わず。あに名を思う者の庶幾する所ならんや。よくこの意を察する者は、ともに稗史を評すべし。いまだこの意を得ざる者は何に憑(よ)りてか作者の世を観じ情を写すに寓言を以て忠孝を奨し戯謔の中に貞淫を弁じ、なおかつ是非を正し法戒を昭(あきら)かにし、またよく隠▲(匿のしたに心)を懲らし窃盗を禁ずるの旨あることを知らんや。しかりといえども虚仮の詞(ことば)を集めて、しこうして虚仮の文を綴る事と文は、素(もと)より之なきの所、諸を華胥に徴(あらわ)さんか、そもそも南柯に討(たず)ねんや。胸中に物あれば則ち、内に之を求め、胸中に物なければ則ち外に之を求む。内外を撮合して、しかる後に許多の脚色は戯れに出ず。戯(ああ)噫▲(クチヘンに喜/ああ)、誰か徐に立談の旨を言外に悟らん。世の人の多くは之を思わず。好みて稗史を閲する者は、ただ虚仮の詞の奇中に奇を出すを喜ぶ。かつ千情万形の、笑うべく悲しむべく怒るべく罵るべき闇合あるを喜ぶのみ。閲せざる者は、巧拙を択(えら)ばず。またただ虚仮の詞の世を誣(しい)して俗を惑わし一毫も名教に益なしと謂いて、しこうして之を擯斥す。甚しきに至りては、琴を焼き鶴を烹る。その故は何ぞや。膠柱を解けざるが為に幻境の仙家たるを悟らず。此を除くのほか常を厭いて怪を喜ぶ。この故にただ鬼を聴くことを好めども、しこうして鬼を観(み)ることを楽しまず。昔、葉公の画竜を好みて真竜を懼る。当時、画竜を呈する者は賞せられ、真竜を致す者は黜(しりぞ)けらる。余りもまた婦幼の為に画竜を呈すること久し。なお幸いに真竜を致すこと能わず。此、拙き編の今に行わるる所以。もし余と愚を同じくする者ありて、しこうして思いここに及ばば乃ち、画竜を観ること、それ油然として感ずる所ありて、しこうして粛然として懼るる所を知らん。一日、客あり。余は客に対して腐談は前条のごとし。時に八犬伝第八輯は全稿まさに成れり。序せんと欲して、いまだ果たさず。即ちこの言を次ぎて序に代え以て簡端に顔とす。

     天保三年如月望               蓑笠漁隠撰す

                                 董斎盛義書す

 

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八犬伝第八輯口絵

京北割居長氏之母 垂簾聴訟賞罰赳赳 良佐竊憂魚龍出留 雖権似欺君焉有咎 玄同

京の北に割居する長氏の母、簾を垂れ訟を聴き賞罰赳赳、良佐の竊(ひそ)かに憂えて魚龍を留から出す、権(はかり)て君を欺くに似ると雖も咎あらんや

箙大刀自ゑびらのおほとじ・稲戸津衛由充いなのとつもりよりミつ

 

あきさめのもる夜わひしもうつはりの くすしは袖をぬらすものかは

童子▲タケカンムリに隔)子酒顛二どうじかうししゅてんじ・鮫守礒九郎さめのまもりいそくろう

 

★試記・秋雨の漏る夜侘びしも打つ鍼の、医師は袖を濡らすものかは

 

覆車横路 燕雀得時 不知▲(隼に鳥)鶻 博且充飢  著作堂

覆車の路に横(よこたわり)て燕雀、時を得たり。知らず、▲(隼に鳥)鶻の打ちて且(しばし)の飢えに充つるを。

丁田畔五郎豊実よぼろたくろごろうとよさね・馬加蝿六郎郷武まくハりはへろくろうさとたけ

 

西ひがし入る日と月を引わけてすまひくつれのすすめ色時

石亀屋次団太いしかめやじだんだ・百堀鮒ひやくほりふなざう・泥海土丈二どろのうみどぢやうじ

 

★試記・西東、入る日と月を引き分けて、相撲崩れの雀色時/雀色時とは夕暮れか。中年に至り人生の夕暮れを迎えた次段太を謂うか

 

人而獣性 牝牡相憐 野狐鼠怪 屠戮可駢  ▲(頼に鳥)斎

人にして獣性、牝牡相憐れむ、野狐と鼠怪、屠戮駢すべし

荻野井三郎おぎのゐさぶらう・悪僕媼内あくぼくおばない

 

うき秋を虫になかれておミなへし なみたか露にぬらす袖垣

氷垣残三夏行ひがきざんざうなつゆき・操野重戸みさをののおもと・落鮎余之七有種おちあゆよのしちありたね

 

★試記・憂き秋を虫に鳴かれて女郎花、涙か露に濡らす袖垣

 

いはのやのかにまろおぢが八犬伝をめでよろこびてよみける八うた

 たをやめの花のたもとにおひたてと こ丶ろは雲をしの丶をす丶き

 あたうちてたのみよりつるとこしろの めくみもかへす犬川の波

 これやこのやしなひとりていぬかひの ありておやには似さりけむ蜂

 もゆる火の中にのかれて犬山の わさすてつるも心たかしや

 きえぬへき露のしら玉神も手に とりてもていぬえにはふかしな

 おひか丶る犬田のくろのすまひ草 したにくちたるゐのくつちかな

 おほろけのかりの色かはをみなへし あたをもつくし花のひと丶き

 いぬむらのかきねのくす葉うらみをも かへせる露の玉やうれしき

蟹麻呂者伊勢松阪人殿村常久一称也別号巌軒善研究国学而所発明不尠矣是以其著宇通保物語年立千種根左志各一巻有之皆刻于家然性謙譲而不遊於名利間是故其書雖刻成而自非知音之友未嘗与諸人嗚呼可惜焉文政十三年庚寅秋七月十六日病没享歳五十二是歌易簀之前月所咏云因附録簡端楮余

                                   蓑笠漁隠再識

蟹麻呂は伊勢松阪の人たる殿村常久の一称、別号は巌軒。よく国学を研究し、しこうして発明する所、尠(すくな)からず。是を以て、その著す宇通保物語年立と千種の根左志おのおの一巻あり。皆、家に刻す。しかれども性の謙譲にして、しこうして名利の間に遊ばず。この故に、その書は刻の成るといえども、しかれども知音の友にあらざるより、いまだかつて諸人に与えず。ああ惜しむべし。文政十三年庚寅秋七月十六日に病没す。享歳は五十二。この簀を易える前月に咏ずる所と云う。よりて簡端の楮余に附録す。

                                   蓑笠漁隠再び識す

 

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第七十四回

「牛を▲(ウシヘンに牛/とどめ)て悌順答恩銭を辞ふ 朸を御して磯九残雪窖に墜つ」

相川の畷路に次団太賊男女をとらえんとす

本文見十九張右

賊男・次団太・ぞく婦

 

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第七十五回

「酔客を▲(シンニョウに旱/おふ)て小文吾次団太に遇ふ 

 短刀を懐にして仮瞽女犬田を按摩す」

つかさめの守りかたなに手をおふてよみにいそくはをこのしれ人

すほ太郎・すほん太・牛さいばん・荘客か丶えの百せう・いそ九郎・僮僕とうぼくのめしつかひ・次団太・牛さいばん・小文吾

 

★試記・柄鮫の護身刀に手を負うて黄泉に急ぐは烏乎の痴れ人/鮫守礒九郎の愚かさを指摘するために、「柄鮫の守り刀」を詠む。護身刀は男が腰に差すものではなく、女性が懐に忍ばせる懐剣を想起させる。女性に隙だらけで近付き、殺される愚

 

短刀を閃して賊婦小文吾を刺んとす

女あんま・小文吾・次団太・下女

 

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第七十六回

「庚申堂に侠者賊婦を囚ふ 廃毀院に義任船虫を送る」

荘介古▲(マダレに苗)に船虫をすくふ

犬川荘介・次団太・ふなむし・ふな三・土丈二

 

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第七十七回

「衆賊を尽して酒顛旅舎を脅す 内命を伝へて由充二客を招く」

賊隊に紛れて荘介衆賊を殺戮す

しゆてん二・小文吾・次団太・ふな八・荘介・どぶ六

 

片貝の別館に二犬士捕捉らるるところ

荘介・いなの戸津もり・小文吾・荻野井三郎

 

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第七十八回

「北母自賞罰を恣にす 東使双で首級を賜ふ」

訪問起居東使謁北母時歓借公道復私怨

起居を訪問して、東使が北母に謁す。時に公道を借りて私怨を復すを歓ぶ。

 

えびらの大刀自・いなの戸よりみつ・犬田小文吾・馬加さとたけ・犬川荘介・丁田とよさね

 

★大刀自の背後に控える美少女は、男の小姓に当たる。凛々しく、ちょっと気になる

 

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第七十九回

「家廟に斎して良臣異刀を返す 茶店に憩ふて奸佞落葉を試す」

夏さむきすはの水うみ氷らねと とき風わたる波のかよひ路

かまくらゐざり・さがミ小ぞう

 

★試記・夏寒き諏訪の湖凍らねど、逸き風渡る波の通い路/後述するが、諏訪湖とくれば狐だろう。毛野と縁ある河鯉家は、忍岡の狐を擁護した。諏訪は信乃のみならず、もう一人の美少女・毛野とも縁が深い

 

乞児を斬て郷武名刀を試す

さがみ小ぞう・さとたけ・かまくらゐざり・とよさね

 

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第八十回

「残仇を斬て毛野荘介と戦ふ 伝来を舒て小文吾両雄を和ぐ」

左 名刀を売弄して奸党命を喪ふ

右 家伝疑ひを解て旧刀旧主に返る

馬加さとたけ・さがミ小ぞう・丁田とよさね・毛野・小文吾・荘介

 

小文吾路撃豊実こぶんごみちにとよさねをうつ

小文吾・とよさね

東使を▲(ソウニョウに旱)て荻野井凶変を聴く

にこ介・萩の井三郎

 

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第八十一回

「荻野井返命して偽刀旧主に還る 三犬士再会して宿因重て話表す」

この段の本文これより下第十五張に見えたり

小文吾・荘介

 

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第八十二回

「青柳の歇店に胤智詩歌を題す 穂北の驟雨に礼儀行嚢を喪ふ」

千住堤に大角二賊を拗拉ぐ

ぬす人・大角・ぬす人

 

八犬伝第八輯巻第五附録

江戸麻生長坂のほとりなるまみ穴は、いと名だたる地名なれば知らざるものなし。沾凉が江戸砂子に雌狸穴と書たり。雌狸をマミといふ義は何に拠れるにや、こ丶ろ得がたし。貝原益軒の大和本草には猯をマミとす。

篤信云マミ、ミタヌキトモ云。野猪ニ似小ナリ。形肥テ脂多ク味ヨクシテ野猪ノ如シ。肉ヤワラカ也。穴居ス。其四足ノ指各五ツ恰如手指。猟師穴ヲフスベテ捕之。行クコト遅シ。▲(ケモノヘンに灌のツクリ)ハ猯の類ナリ。狗ニ似タリ。並ニ穴居ス。

といへり。又本草網目{五十一獣之二}▲(ケモノヘンに灌のツクリ)の下に、

稲若水和名を剿入れマミとす。李時珍云猯猪(ケモノヘンに灌のツクリ)也。▲(ケモノヘンに灌のツクリ)は狗▲(ケモノヘンに灌のツクリ)也。二種相似而略殊。狗▲(ケモノヘンに灌のツクリ)小狗、尖啄矮足短尾深毛褐色皮可為裘領。

といへり。か丶れども和名をマミといふ獣はなし。益軒若水の二老翁、一は猯をマミと訓し一は▲(ケモノヘンに灌のツクリ)をマミと読せしは、訛によりて訛を伝ふ世俗の称呼に従ふものか。今按ずるに▲(ケモノヘンに灌のツクリ)は和名鈔に載せず。猯は和名ミなり。和名鈔{毛群部}猯の下に、引唐韻云

猯{音端又音旦和名美}似豕而肥者也本草云一名▲(ケモノヘンに灌のツクリ)▲(ケモノヘンに屯){歓屯二音}

といへり。独野必大本朝食鑑に和名鈔を引てをミと読たり。必大云、

猯頭類狸狸状似小猯体肥行遅短足短尾尖啄褐色常穴居時出窃瓜果本邦処処山野有之人多不食惟言能治水病予昔略見状然未試之則難弁▲(のみ)

といへり。これらの諸説を参考るに近来世俗のマミといふ獣はミを訛れるに似たり。是則猯なり。又田舎児は、これをミタヌキといふ。その面の狸に似たればなり。何まれミとのみ唱よからぬ故に或はマミといひ或はミタヌキといふにやあらん。か丶れば麻布なるまみ穴も、むかし猯の棲たる余波なるか。遮莫猯は大獣にあらず。よしやその穴ありとても、地方の名に呼ぶべくもおもほえず。且猯をミタヌキと唱るは本づく所あり。是その頭の狸に似たればなり。又猯をマミと唱るは拠ところなし。何となれば猯に真偽の二種なければなり。因て再案ずるに麻布なるまみ穴は、元来猯の事にはあらで▲(鼠に吾)鼠ならんかと思ふよしあり。▲(鼠に吾)は和名モミ、一名ムササビなり。和名鈔▲(鼠に吾)鼠の下に引本草云、

▲(鼠に田みっつ)鼠{上音力水反又力追反}一名▲(鼠に吾)鼠{和名毛美俗云無佐佐比}兼名苑注云状如▲(ケモノヘンに爰)而肉翼似蝙蝠能従高而下不能従下而上常食火烟声如小児者也

か丶れば▲(鼠に吾)鼠の和名は毛美なれどもいとふるくよりむさ丶びとのみ唱たるにや。歌にはモミとよみたるものなし。万葉集第三、むさ丶びは木ぬれもとむとあし引の山のさつをにあひにけるかも、とよめるにて知るべし。しかれども古言は多く田舎に遺るものなれば昔東国にては▲(鼠に吾)鼠ををさをさ、みみといひしならん。その証は今も日光山の頭にて▲(鼠吾)鼠の老大なるものをモモングワアトいへり。モモンはモミの訛りなり。グワアはそが鳴く声なるべし。さてこの▲(鼠に吾)を下野にては、も丶んぐわあと唱へ武蔵にてはまみとといへるにやあらん{まみはもみなり。マモ音通へり}。然らばむかし麻生長坂のほとりには人家もあらで樹立ふかく昼もいと闇かりける比は▲(鼠に吾)鼠などの栖べき処なり。故にまみ穴の名の遺れるにや。今も世人の小児を権すになべても丶んぐわあといふなり。▲(鼠に吾)鼠の形はいともいともおそるべきものなればまみ穴の名の高かりけるも{今はこの穴なし}是等によりて思ふべし。縦その穴に▲(鼠に吾)鼠などの棲たることはあらずとも、いとおそるべき穴なれば土俗これをもみ穴とも又訛りてまみ穴とも呼なしたるにあらんかし。まみ{即もみなり}は則魔魅にも通ひて是おそるべきの義なり{今もおそるべきものを、も丶んぐわあといふがごとし}。猯をまみといふよしは方言なるか知らねども考る所なし{安永七年の夏両国の頭にて観せたる千年もぐらといふものは即猯なり。予も観たり。▲鼠に偃のツクリ/鼠にはあらず}。然るを若水の▲(ケモノヘンに灌のツクリ)をまみと和訓せしは、猯と▲(ケモノヘンに灌のツクリ)とは似たるものにて共に穴居を做すなれば猯の和名をミといふに対へて▲(ケモノヘンに灌のツクリ)をまみといふにや。しからずばまみのまはまねにて、猯をまなぶの義なるべし。又愚説の▲(鼠に吾)鼠は鼠類なり。穴居する物ならずといふとも怕るべきの義に憑らば、この名なしとすべからず。とにもかくにも麻生なる、まみ穴を真名に書ば▲(鼠に田みっつ)鼠に作りて怕るべきの義となさば妥当なるべし。江戸の地名を誌せるものに、かばかりの考だもなきは遺憾の事ならずや。抑本輯第七巻に、まみ穴の事あれば此に愚考を附録して下帙の引に代るのみ。

   天保三年壬辰夏五月中浣                   蓑笠漁隠識

 

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八犬伝第八輯巻第五口絵

憂邦婦徳 心猿美▲(クサカンムリにルマタ)佞老▲(サンズイにム月)憑駿才

邦を憂う婦徳の心猿(さかし)き。奸を▲(クサカンムリにルマタ/か)るに老▲(サンズイにム月/けん)、駿才に憑(たの)む。

河鯉権佐守如かハこひごんのすけもりゆき・蟹目前かなめのまへ

雨をしるけものゝ穴にとしふりて雲なすわさは魔魅のまかわさ

(雨を知る獣の穴に年経りて雲なす技は魔魅の禍業)

冠松鬼四郎かむりまつのおにしらう・魔魅穴鵞▲(魚に單)坊まミあなのがぜんばう

 

猫兒可愛木天蓼柯犬子看匹夫欺黠豪

猫兒は木天蓼柯を愛すべし。犬子は匹夫の黠豪を欺くを看る

 

ふりわけてささの葉たをれ鈴のもり竹しはのうら遠くなりゆく ▲(頼の下に鳥)斎

 

★試記・振り分けて篠の葉倒れ鈴の森、竹芝の浦遠くなりゆく

 

穂北小才二ほきたのこさいじ・石亀屋嗚呼善いしかめやのをこぜ・氷垣世智介ひかきのせちすけ・仁田山晋五にたやましんご・五十子善悪平いさらこのさぼへい

 

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第八十三回

「得失地を易て勇士厄に遇ふ 片袖禍を移して賢女独知る」

夏行怒て二犬士を斬んとす

なつゆき・おも戸・小才二・現八・せち介・大角

 

★此処で夏行の紋は分かりにくい

 

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第八十四回

「夜泊の孤舟暗に窮士を資く 逆旅の小集妙に郷豪を懲す」

野渡の歇船に現八夜両敵と闘ふ

大角・未詳・現八・未詳

 

四犬武勇を顕して夏行有種を懲

信乃・河太郎・のら平・大角・道節・現八・なつゆき・ありたね

 

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第八十五回

「志を傾けて夏行四賢を留む 夢を占して重戸讖兆を説く」

夏行有種四犬士を歓待す

なつゆき・おも戸・道節・ありたね・信乃・現八・大角

 

★床の間に兎の置物がある。第八十三回で分かりにくかった夏行の紋が、正面揚羽蝶であることが明らかとなる。重戸の着衣にも、揚羽蝶。揚羽蝶は道節の紋だが、夏行は信乃の祖父・匠作の弟子。しかし養子・有種の実父は練馬家臣。道節は対関東管領戦の後にも穂北荘のことを気にかける。ただ、信乃の女装は柄が大きな正面揚羽蝶。有種の着物柄は卍だが、仏教/密教/修験道まで連想すれば、豪荊が浮かんでくるけれども、其処までは言わない

 

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第八十六回

「道節再復讐を謀る ヽ大巧に妖賊を滅す」

笠を深くして道節敵城の虚実を覘ふ

道節

 

あつま路に名をのミうつす水鳥のかものあふひの岡の辺の池

ちゆ大・たね平・しま平

 

★試記・東路に名をのみ移す水鳥の鴨の逢う日/葵の岡の辺の池

 

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第八十七回

「天機を談じて老獣旧洞を惜む 蕉火を照して勇僧猯穴に入る」

二賊を▲(ソウニョウに旱)ふて丶大老翁老婆に遇ふ

風九郎・たね平・しま平・ゑもん二・ちゆ大

 

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第八十八回

「湯嶋の社頭に才子薬を売る 聖廟の老樹に従者猴を走らす」

湯嶋の社頭に薬賈人坐撃大刀を抜く処

 

鮒三が越路の物かたり次団太夜奸淫を捉ふ

をこぜ・次団太・土丈二・物四郎・ふな三

 

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第八十九回

「奇功を呈して義侠冤囚を寧す 秘策を詳にして忠款奸佞を鋤く」

夥兵を找めて守如物四郎を搦捕んとす

ゐあひ師もの四郎・もりゆき・かねめのうへ

 

★毛野には天神が似合う

 

塩浜閻魔堂しほはまのゑんまだう

此ところの本文ハ巻の八の下のはじめに見えたり

帳八・しやくゑもん・ふなむし

 

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第九十回

「司馬浜に船虫淫を鬻ぐ 閻羅殿に牛鬼賊を劈く」

目前地獄もくぜんのぢごく二兇就戮じけうりくにつく

冥府の鬼四郎が牛鬼・信乃・おバ内・小文吾・道節・ふな虫

 

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第九十一回

「鈴森に毛野縁連を撃つ 谷山に道節定正を射る」

胤智単身にして大敵を撃つ

かまとやすなり・毛野・よりつら

 

八犬伝第九輯自序

在昔自室町氏走鹿諸侯割据不稟武断於幕下大以駢呑小強以威服弱是以蝸角力戦無所不勉狼貪蚕食各不知厭当是之時田夫植矛而耕▲(耕のヘンに云)山婦掛弓而紡織人情都賢勇悍不厚於忠孝好名忘死屠城薪骨以為愉快且也毎莅軍陣為勇名以知于敵改姓異名欲不与衆同者間有之所謂若鵜北花氏吉見八谷党里見八犬士尼子七馬九牛十勇介大内十杉党上杉十五山党朝倉十八村党及山中狼之介野中牛助不遑枚挙也其名所載軍記事実多不詳素是史闕文歟以類想像此則暴虎憑河勇已矣蓋戦国澆漓士風武勇有余而文学不足徒▲(ニンベンに昌)異好奇為俗如此鳴▲(虎のアシが乎)野哉野哉文武猶花実也未見其花悪得其実耶故孔子曰有文備者必有武備若夫其勇有余而一文不通則其行侏離譬如沐▲(ケモノヘンに爰)之戴▲(目のしたに免)与彼楚人兇暴又何異焉由此思之三綱無道乱離世行似▲(ケモノヘンに竟)梟者雖有記伝実録而不足見矣是吾所以作八犬伝也然而今之所伝非古之八犬士事也非古之八犬士之事猶且曰里見八犬士其故何也野史用心仮彼名而新其事於是乎善可以勧悪亦足懲果乎君子尋文外隠微而解悟奨導深意婦幼代一日観場而不覚春日秋夜之長云因茲刊行書賈利市三倍不思作者之閑与不閑年〃徴月〃責所彫鏤五十有余巻于此既而至第九輯意匠漸疲腹稿有限結局団円且近抑〃童蒙等身之書於稗史所罕閲者僂指可復俟輯末之出焉

  天保五年長月之吉 題于著作堂東園 菊花深処    蓑笠漁隠

                                      董斎盛義書

在りて昔、室町氏の鹿を走らせしより、諸侯割据して武断を幕下に稟けず、大は以て小を駢呑し、強は以て弱を威服す。是を以て、蝸角の力戦し勉ざる所なし。狼貪蚕食、おのおの厭(あ)きることを知らず。この時に当たりて田夫も矛を植え、しこうして耕▲(耕のヘンに云)し、山婦も弓を掛け、しこうして織を紡ぐ。人情、都(すべ)て勇悍を賢とし、忠孝に厚からず。名を好み死を忘れ、城を屠(ほふ)り骨を薪にし、以て愉快と為す。かつや、軍陣に莅(のぞ)むごとに勇名を以て敵に知られんが為に姓を改め名を異にして、衆と同じからざるを欲する者、間(まま)之あり。いわゆる鵜北の六花氏、吉見の八谷党、里見八犬士、尼子の七馬九牛十勇介、大内の十杉党、上杉の十五山党、朝倉の十八村党および山中狼之助野中牛助のごときは、枚挙に遑あらず。その名を載する所の軍記に事実は多く詳らかならず。もとより是、史の闕文か。類を以て此を想像すれば則ち、暴虎憑河の勇のみ。けだし戦国澆漓の士風か。武勇ありて、しこうして文学は足らず。ただ異を▲(ニンベンに昌/とな)え奇を好んで俗と為すこと、かくの如し。ああ野なるかな野なるかな、文武はなお花実たるべし。いまだその花を見ず、いずくんぞその花をや。故に孔子は曰く、文備あれば必ず武備あり。もしそれ、その勇ありて一文に通ぜざれば則ち、その行いは侏離。譬えば沐▲(ケモノヘンに爰)の▲(目のしたに免)を戴くがごとし。かの楚人の兇暴と与し、また何ぞ異なるか。此によりて之を思えば、三綱に無き乱離の世。行いは、▲(ケモノヘンに竟)梟に似たる者は、記伝実録にあるといえども、しかれども見るに足らざるなり。是、吾が八犬伝を作る所以なり。しかして、しこうして、今の伝わる所は、古の八犬士の事にはあらず。古の八犬士の事にあらずして、なおかつ里見の八犬士と曰(い)う。その故は何ぞや。野史の用心に彼の名を仮(か)りて、しこうして、その事を新たにす。是においてか、善を以て勧むべく悪もまた懲らすに足る。果たせるかな、君子は文外の隠微を尋ねて、しこうして奨導の深意を解悟し、婦幼は一日の観場に代えて、しこうして春の日秋の夜の長きを覚えず。よりて茲に刊行の書賈は利を市に三倍す。作者の閑と閑ならざるとを思えば年〃徴して月〃責めらる。彫鏤する所、此に五十有余巻たり。既にして第九輯に至れり。意匠は漸く疲れて、腹稿に限りあり。結局団円は、まさに近づかんとす。そもそも童蒙等身の書、稗史においては罕なる所なり。閲する者は指を僂えて復た輯末の出るを俟つべし。

  天保五年長月之吉 著作堂東園の菊花深き処に題す    蓑笠漁隠

                                      董斎盛義書く

 

佐渡相川人石井夏海氏者予故人也山海隔絶不相見二十有余年于此客歳偶々有鴻翅其書曰貴著八犬伝一書新奇絶妙世人所知我孤島亦年年流布雖老圃▲(舟に肖)公樵夫鉱匠而未閲為羞如僕秉燭不知飽愛玩与米石一般因而為庶幾附驥之僥幸呈閲賤咏二三(長歌一反歌三)伏乞賜筆削見許載諸後輯則生平望足矣於戯旧故情願不可辞然若其長歌無余楮可録即取二三短歌以附載焉歌曰

家くにの盾にやたりのすぐれ人夜をもるのみの門のいぬかは

いにしへの犬のはなひし糸ならむ筆もて綾につづる君かな

こがねなす君がことの葉なほみまく穴めでたしとほりす佐渡人

右夏海氏所咏其第二歌則取今昔物語載白犬呑繭而鼻中吐糸故事(与本伝第七輯目録欄内所図蚕繭紙糊狗即同意)

                                   蓑笠陳人又識

佐渡相川の人、石井夏海氏は予が故人なり。山海隔絶して此に二十有余年、相見(まみ)えず。客る歳、たまたま鴻翅にその書ありて曰く、貴著の八犬伝一書は新奇にして絶妙たること世人の知る所たり。我が孤島にもまた年年流布す。老圃▲(舟に肖)公樵夫鉱匠といえども、いまだ閲せざるを羞とす。僕がごときも燭を秉りて飽くことを知らず。愛玩すること米石と一般なり。よりて、しこうして、附驥の僥幸を庶幾(こいねが)う為に、賤咏二三(長歌一反歌三)を閲に呈す。伏して乞う、筆削を賜え。諸を後輯に載するを許さるるときは則ち、生平の望み足る。戯れに旧故の情願を辞すべからず。しかれども、その長歌のごときは余楮に録すべきなくんば即ち、二三の短歌を取りて以て載に付せよ。歌に曰く、

家邦の盾に八人の優れ人夜を衛るのみの門の犬かは

古の犬の鼻びし糸ならむ筆もて綾に綴る君かな

黄金なす君が言の葉なほ見まく穴愛でたしと掘りす佐渡人

右夏海氏の咏ずる所その第二歌は則ち今昔物語に載す白犬が繭を呑みて鼻中に糸を吐く故事を取る(本伝第七輯目録欄内、蚕繭紙に糊にて図えが/く所の狗と即ち同意なり)

                                   蓑笠陳人又識

 

 

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八犬伝第九輯口絵            

神童甫九歳 筋力捷成人 不羨甘羅敏 勇且唯得仁  著作堂

神童はじめの九歳、筋力は成人に捷る。甘羅の敏を羨まず。勇にして且つ唯仁を得る

犬江親兵衛仁いぬえしんひやうまさし・砥時願八業当とときぐはんはちなりまさ・平田張盆作与冬へたはりぼんさくともふゆ

 

★甘羅は、史記巻七十一樗里子甘茂列伝に登場する。因みに樗里子は秦の恵王の弟で、「滑稽多智」の人であった。人は彼を「智嚢」と呼んだ。軍事的才能があったらしく、幾度かの戦いに勲功を上げている。次代の武王の時、甘茂と共に左右丞相となった。さて甘茂は下蔡の人で学問を修めて恵王に仕えた。左丞相となるが、昭王の時、讒により罪を得て亡命した。優れた人物であったため秦も呼び戻そうとしたが、優れすぎて亡命先の国に「秦の丞相に返り咲かれては迷惑」と妨げられた。結局、魏で客死した。此の甘茂の孫が甘羅である。甘羅は甘茂亡き後、十二歳にして秦の丞相・文信呂不韋に仕えた。王は政、後の始皇帝の代になっていた。甘羅は自ら志願して趙への使者たらんと言う。丞相らは反対したが、甘羅は頑として使者になるという。秦王政も許し、甘羅は趙へ赴いて、忽ちにして五城を割譲させた。条件は秦に燕からの人質を帰させることであった。契約は成り、友好関係にあった秦と燕は袂を分かつ。秦の支援を失った燕を趙は攻略し三十城を得て、うち十一城を秦に渡した。甘羅は上卿に列せられ、祖父・甘茂の田宅を賜った。十二歳で戦国の世の外交に成果を上げた甘羅を「羨まず」すなわち嫉妬しない仁は、それ以上の敏才を持っている……が、まぁ、司馬遷は史家だから残っている史料以上の事は口に出せないものの、「甘羅年少然出一奇計声称後世雖非篤行之君子然亦戦国之策士也」とか何とか、グズグズ言っている。私家版口語訳をするならば、「黒幕は呂不韋か始皇本人か。既に強大となった秦と敵対するより、自分より弱い燕を趙が攻めたくなる気持ちを利用しやがったな。まず五城、成功報酬として十一城、合わせて十六城を秦は座して手に入れた。趙は差し引き十四城の増。差は広がったわけだ。恐らく趙は、地理上不利になる城を割譲してはいないだろうが、規模や収穫で極端に劣る城のみ渡して超大国・秦の怨みを買う愚は犯すまい。結局、秦が一番得をしたことになるが、んなもん、誰だって思い付く。要は、秦が燕との盟約を破棄するイーワケが欲しかったからこそ、君子たることを要請されない十二歳のガキを引っ張り出したんだろうが。生意気盛りのガキに、さりげなく入れ智恵しといて、表向きは軽く反対する。ムキになって凝り固まったら、自分で思い付いたように信じ込むだろうし、使者に行ってカマをかけられても一途に言い募るだけで、背景までは察知されまい。勿論、甘羅の祖父・甘茂の声望あってこそだろうが。あぁあ、大人って、ヤだねぇ」ほどになろうか。こんなの羨んだら、少なくとも江戸庶民には、嗤い物にされたのではないか?

 

 

しら波のよるへの礒にかひハあれとみるもあやふきあまのおとなひ  雷水

八百比丘尼妙椿はつひやくびくにミやうちん・蟇田権頭素藤ひきたごんのかミもとふじ

 

★試記・白波の寄る辺の磯に貝はあれど、見るも危うきアマの訪ひ/盗人を意味する白波から海の歌にしつつ、アマは海女だが尼にかける

 

創業尚義守文弥賢富有房総九世延延  ▲(頼の下に鳥)斎散仙

創業の義を尚(たつと)び文を守りて弥(いよいよ)賢、富を房総に有(たもち)て九世延々たり。

里見義成朝臣さとミよしなりあそん・杉倉武者助直元すぎくらむしやのすけなほもと

花さかぬみやまかくれの姫ゆりのくしたまは世にあらはれにけり  玄同

伏姫神霊ふせひめのくしたま・東六郎辰相とうのろくらうときすけ

 

★試記・花咲かぬ深山隠れの姫百合の、奇し霊は世に顕れにけり

 

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第九十二回

「二犬路を分ちて一犬を資く 

 孤忠▲(カネヘンに鹿そ下レンガ/クツワ)に携りて衆悪を訟ふ」

畔を隔て二犬士奸党を鋤く

荘介・かずを・やすなり・小文吾・しん五

 

縁連を斬て毛野又猛虎と戦ふ

毛野・よりつら・たけとら

 

定正怒て守如を鞭つ

定正・もりゆき

 

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第九十三回

「轎に坐して守如主を救ふ 川を隔て孝嗣志を演ぶ」

現八大角双で大敵を破る

現八・大角・仁本太・おり平

品革の原に道節定正を▲(ソウニョウに干)ふ

道節・みさきち郎・高四郎・定正

 

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第九十四回

「高畷の板橋に道節戦馬を放つ 五十子の城に信乃姓名を留む」

忠孝を感賞して二犬士孝嗣を諭

毛野・道節・たかつぐ

 

信乃計五十子の城を火攻す

守門頭人・信乃

 

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第九十五回

「頭鎧を梟て忠与凱旋す 鼓盆の悼み定正過を知る」

晋五を誅して七犬士倶に帰帆す

大角・荘介・現八・信乃・小文吾・道節・しん五・扇谷定正

 

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第九十六回

「管領讒を容れて良臣を疑ふ 郷士義に仗て大敵を俟つ」

百金の餽遺道節土兵に酬ふ

ありたね・おも戸・大角・荘介・なつゆき・道節・信乃・現八・毛野・小文吾

 

この処第二輯に見えたる伏姫自殺の明年長禄三年の談也

功臣を集めて義実意見を示す

東の六郎・堀内貞行・あら川清すみ・杉倉氏元・よしさね

 

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第九十七回

「良将征せずして地を二総に広くす 兇賊心なくして自積悪を訴ふ」

高梨職徳市に但鳥業因を▲(テヘンに南)捕ふ

もとのり・なりより

八まん山・をぐら山・黒主山

 

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第九十八回

「盗人の従者偸走りて盗に戮さる 賊巣に宿りて強人難を免る」

赤阪の客店に素藤卒八を逐ふ

もとふぢ・そつ八

 

紙戸を隔て素藤夜旧党の密談を偸聞す

ぼん作・ぐはん八・つむ二郎・いら九郎・もとふぢ

 

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第九十九回

「素藤鬼語を聴て黄金水を施す 遠親邪説に惑て館山城を閙す」

素藤巧に館山の城を奪ふ

わん九郎・ほん膳・もとふぢ・とほちか首級

 

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第百回

「旧党招に応じて土民益憂ふ 返魂術を異にして美人弥奇なり」

浮雲の富素藤酒色に耽る

もとふぢ・あさかほ・夕かほ

願八盆作剪徑して旧好の書を得たり

ぐわん八・ぐすけ・ぼん作

 

妙椿夜返魂香を焼く

もとふぢ・妙ちん

 

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第百一回

「老尼計を薦て旧祠新に葺る 逆将人を樹にして公子衛を喪ふ」

素藤諏訪の神社に義通を擒にす

ぐわん八ぼん作がある処左とおなじからずしかれども別に図しがたきゆゑに左に出せり

ぼん作・ぐわん八・よしミちきミ・もとふぢ・のりかつ・あつむね・かげよし・ほんぜん

 

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第百二回

「伏姫霊を顕して敗損を補ふ 義成兵を制めて家訓を聴く」

両社の神主路に怪異に遇ふ

葉門・宇佐の神主

 

ひくやいかに妻恋ふ雉子にあつさ弓子ゆゑによるのさわはたつとも

このところの本もんは本巻十九ちやうの右に見えたり

よしなり・友かつ・たかむね・ぐはん八・よしミち・ぼん作

 

★試記・ひくや如何に、妻恋ふ雉子に梓弓、子故に夜の沢は立つとも/「ひく」は「引く」とすれば、雉が子を思って鳴いた故に所在を知った射手に、子を思って鳴く雉に弓を引けるかと問いかけることになる。しかし、歌は其処に留まらず、「退く」ともなって、子/義通の命が惜しければ兵を退け、と里見軍を脅す意味が浮かび上がってくる。雉は子供思いである、とは前出

 

 

ときすけ一騎からめてよりはしり来

辰相

 

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第百三回

 「里見源老公富山に亡女を弔ふ 犬江親兵衛高峯に勍寇を拉ぐ」

神童再出世して厄に老侯に謁す

出来介・おち八・また五郎・しん兵衛・よしさね・くさ四郎

なミ六

 

八犬伝第九輯中帙附言

本伝は文化十一年甲戌の春書賈平林堂{弓張月の版元}の為に第一輯の腹稿を思ひ起せしに平林堂頽齢既に七旬長編の刊行做し果さん事心許なしとてそが夥計の書賈山青堂に譲らんと請ひしかば予その意に儘して当時稿本五巻を山青堂に取らしけり。かくて書画▲(奇にリットウ)▲(厥にリットウ)の工成りておなじ年の冬始て世に見はる丶こととはなりぬ。十三年丙子の春正月第二輯五巻を続出すに及て世評いよいよ喝采看官亦復後輯の出るを俟こと一日千秋の如しといふめり。是よりして後山青堂多欲の故に他事に耽ると聞えしかば刊行等閑の年間これあり。第三輯護岸は文政二年己卯春正月続出し第四輯四巻は三年庚辰冬十二月発販し第五輯六巻は六年癸未春正月続出しにけり。第一輯を刊行の年よりしてこ丶に至て十ケ年になりぬ。然ば毎編出るを俟つ丶看官渇望せざるはなく掌球撫玉に異ならず。その時好に称ひしもの今昔無比と聞えながら刊行の書肆が等閑なる贏余を他債の為に果して本銭続ずなりにけん。新旧五輯の刻板を涌泉堂に売与へしかば第六輯より下続刻の書賈替りて第六輯五巻{五の巻を釐て上下とす。本輯即六巻なり}は十年丁亥春正月涌泉堂が刊行しけり。第五輯発販の年よりして中絶こ丶に五ケ年なりき。かくて第七輯七巻はおなじ年の冬十一月稿本既に成るものから涌泉堂も亦本銭続ず。その上帙四巻は書林文渓堂の資助によりて十二年己丑の冬十月廿九日に発販せしを当時予はさりとも知らず下帙三巻は十三年春正月辛くして続出すことを得たり。しかるに亦涌泉堂も等閑にして理義を思はず始よりして校閲を一字も作者に乞ざりければ傭書▲(厥にリットウ)人の為に謬れて稿本と同じからざるも多くあり。況七輯発兌のよしを報ることもなかりしかば予はその例に違へるを咎めて云云といひし折、書林永寿堂文渓堂等為に勧解るに怠状をもてしつ丶陪話数四に及びにけるをなほ聴ざらんはさすがにて、いふかひもなく已にけり。か丶りし程に涌泉堂は後輯の刊行に微力足るよしなければとて第一輯より七輯まで所蔵の刻板を沽却せしかば大阪の書林某甲は購得てもて去にきと聞えたり。然而第八輯より以下の刊行は文渓堂が購受て続出す事になりしかば本伝新旧の板家扶は江戸大阪と両家になりぬ。第五輯より下ここに至て刊行の書肆の替りし事前後都て四名なり。且いまだ結局に至らざるにその板分れて七輯までは遙に浪速に售遣られて予は毫ばかりも識らざりける彼地の書肆の蔵板になりけるを思へば一奇といはまくのみ。識者はこの折眉を顰めて江戸の花を失ひぬとて嗟嘆しけるもありとか聞にき。遮莫なほ幸ひに第八輯より下は江戸の書肆が刊行すなる文渓堂の所蔵になれ丶ば作者の面を起すに似たり。栄辱得失物皆▲(しか)なり。本伝にのみ限らんや。是等によりても有為転変の速なるを思ふに足れり。かくて第八輯は江戸の書林文渓堂が刊行しつ丶天保三年壬辰の夏五月二十日に上帙五巻{四の巻は上下二巻なれば即五巻なり}を発販し下帙五巻{八の巻を上下二巻とす}は四年癸巳春正月続出し第九輯上帙六巻は今茲乙未春二月二十日に発兌しぬ。中帙七巻は今番出せり。又下帙七巻は明年丙申か遅く成るとも秋冬の時候までには必よ続出して大団円になさまく欲す。か丶れば六輯以下の分巻共に六十八巻一百二十八回にして竟に全部たらんものなり。抑策子物語のかく長やかに続るはこの書の外にいまだ見ず。天もし作者に惷寿を借してこの筆すさみあらざりせば二十余年の久しきに飽こともなくよく堪てこの結局を世の人に見することはかたからんを命あり時ありて円団将に近からんとす。あな▲(リッシンベンに灌のツクリ)し、あなめでた。稗官冥利に称ひけんと思ふも烏許の所為にぞありける。

この書第五輯までは一帙五巻を一輯とす。第五輯の六巻なるは四輯の足らざるを補へるなり。しかるに第六輯より以下は涌泉堂等が乞ふに儘して或は六巻を一輯とし或は七巻を一輯とす。かくて第八輯に至りては文渓堂の需る為に十巻二帙を一輯とす。そを第五輯までの如く毎輯五巻ならんには十三四輯に至るべし。然るを九輯に約めしは文渓堂の好にあなれど今さら思へばこもよしあり。八は陰数の終りなり。八の下に十あれども十は一にかよふをもて陰数の終りとせず。九は陽数の終りなり。か丶れば八犬英士の全伝、局を九輯に結ぶことその所以なきにあらずかし。

吾嘗唐山の稗史を見るに水滸西遊伝の如き是大筆の手段といへども水滸は一百八箇の豪傑その人極めて多ければ史進魯智深楊志武松等全伝開手の豪傑なるに梁山泊に入りしよりその勢ひ始に似ず。倶に軍陣に莅むの外はありといへどもなきが如し。況百八人ならぬ者は始ありて終なく俗に云立滅せざるは稀なり。又西遊記は三蔵師徒孫猪沙と是四名のみ。その人極めて寡ければ其事相似て且重複多かり。水滸にも亦重複あり。長物語は覚ずして彼重複の瑕疵あること年来みづから筆を把て是等の苦海に堕落せざれば所以ありけりと悟るに由なし。最烏許がましき説話なれども本伝は始より用意をさをさ加減あり。廼水滸百八人の百を除きて八犬士あり。又加るに八犬女あり。且里見侯父子と丶大と倶に一十九人。是を一部の主人公とす。か丶ればその人多からず又その人寡からず。水滸の多きと西遊の寡きには似るべくもあらず。この余も忠臣義士はさらなり彼泛々の者といへども始あれば終あり。中途にして立滅せし者一人としてあることなし。看官徐に結局まで見ば作者の用意を知るよしあらん。

唐山元明の才子等が作れる稗史にはおのづから法則あり。所謂法則は、一に主客、二に伏線、三に襯染、四に照応、五に反対、六に省筆、七に隠微、即是のみ。主客は此間の能楽にいふシテ・ワキの如し。その書に一部の主客あり、又一回毎に主客ありて、主も亦客になることあり、客も亦主にならざることを得ず(どちらを主に書くか、視点を何処に置くか、などか040703)。譬ば象棋の起馬の如し。敵の馬を略るときはその馬をもて彼を攻我馬を喪へば我馬をもて苦しめらる。変化安にぞ彊りあらん。是主客の崖略なり。又伏線と襯染は、その事相似て同じからず。所云伏線は後に必出すべき趣向あるを数回以前に些墨打をして置く事なり。又襯染は下染にて此間にいふしこみの事なり。こは後に大関目の妙趣向を出さんとて数回前よりその事の起本来歴をしこみ措なり。金瑞が水滸伝の評注には▲(イトヘンに宣)染に作れり。即襯染とおなじ。共にしたそめと訓むべし。又照応は照対ともいふ。譬ば律詩に対句ある如く彼と此と相照らして趣向に対を取るをいふ。か丶れば照対は重複に似たれども必是同じからず。重複は作者謬て前の趣向に似たる事を後に至て復出すをいふ。又照対は故意前の趣向に対を取て彼と此とを照らすなり。譬ば本伝第九十回に船虫媼内が牛の角をもて戮せらる丶は第七十四回北越二十村なる闘牛の照対なり。又八十四回なる犬飼現八が千住河にて繋舟の組撃は第三十一回に信乃が芳流閣上なる組撃の反対なり。這反対は照対と相似て同じからず。照対は牛をもて牛に対するが如し。その物は同じけれどもその事は同じからず。又反対はその人は同じけれどもその事は同じからず。信乃が組撃は閣上にて閣下に繋舟あり。千住河の組撃は船中にして楼閣なし。且前には現八が信乃を▲(テヘンに南)捕んと欲りし後には信乃と道節が現八を捉へんとす。情態光景太く異なり。こ丶をもて反対とす。事は此彼相反きておのづからに対を做すのみ。本伝にはこの対多かり。枚挙るに遑あらず。余は倣らへて知るべきのみ。又省筆は事の長きを後に重ていはざらん為に必聞かで称ぬ人に偸聞させて筆を省き或は地の詞をもてせずしてその人の口中より説出すをもて脩からず。作者の筆を省くが為に看官も亦倦ざるなり。又隠微は作者の文外に深意あり。百年の後知音を俟て是を悟らしめんとす。水滸伝には隠微多かり。李贄金瑞等いへばさらなり唐山なる文人才子に水滸を弄ぶ者多かれども評し得て詳に隠微を発明せしものなし。隠微は悟りがたけれども七法則を知らずして綴るものさぞあらん。及ばずながら本伝には彼法則に倣ふこと多かり。又但本伝のみならず美少年録侠客伝この余も都て法則あり。看官これを知るやしらずや。子夏曰小道といへども見るべき者あり。嗚呼談何ぞ容易ならん。これらのよしは知音の評に折々答へしことながら亦看官の為に注しつ。

予が毎に編る策子物語の写本はさらなり、彫果る折巻々を校閲せざることはなけれど刊行の書肆として性急ならぬ者なければ作者のこ丶ろに儘せぬ事多かり。且その巻々は己が綴れる文どもなれば眼に熟れてまだ忘れぬをなお幾回も読復せば誤写ありとても心つかで暗記の随に読る丶から動もすれば検遺して後に悔しく思ふ事尠からず。総て刻本は書画倶に人に誂へて板下にてふ物を調へぬれば筆その板下に訛舛なきことを得ざるなり。是に加るに▲(厥にリットウ)人の誤刀あり。半頁十一行なるも真名毎に傍訓あれば真名と仮名と二行になりて半頁二十二行に等しき。その文字幾百なるを知らず。然るを熟たる眼にて最も急迫しく校閲しぬれば検遺す誤脱多かりしを事過ぎたるは姑閣きぬ。本輯上帙六巻にも筆工の誤写ありしを出販の後に見出しにき。そをひとつふたつ左に録す。一の巻{廿八丁背七行}荊荷、当に荊軻に作るべし。荷は誤写なり。二の巻{十五行背五行}正行、当に正儀に作るべし。六の巻{九丁背十行}雛肚、雛は皺のあやまりにて筆工の手にたがへるを校閲の折検遺したり。この余てにをはの錯へるは輯毎になきはあらず。第一輯は殊に多かり。啻この本文のみならず本輯上帙の引に孔子家語を引て、有文事者必有武備といふべきを誤て文備に作れり。又第八輯の自序に荘子を引て、名者実之賓とある、者の字を脱されたり。是より先にも自序に誤写あり転倒あるを後に至て見出せしはいかにせん、悔ども及ばず。発販の後、その板に埋材などして彫更るは六日の菖蒲十日の菊にて長視栄なき所行なれば梓行の書肆が歓ばず。承引ながら等閑にて竟に果さずならぬは稀なり。遮莫その訛謬あるも多かる本文はさることながら漢文の自序などは二三頁に過ざるに、そをしも校合のゆき届ぬはいかにぞやと思ふ人もあるべけれど序目は巻々を稿じ果ていと後に綴りぬれば刊刻も随て最太う後れしを本文摺刷の折などに急迫して校閲しぬるをもて熟読重訂の暇なければ二三頁の物といへども検遺さざることを得ず。且出像などに至ては蛇足の為に動もすれば作者の画稿と違ふもあれど改め画かせんはさすがにて、そが儘にして閣くも多かり。看官作者の苦界を知らねばそも稿本の訛謬なめりと思はぬは稀なるべし。いにしへの人のいへらく書を校するは風葉と塵埃にしも異ならず。随て払ひぬれば随て又これあり。書として孰か誤写なからむ。況遊戯の策子をや。吾亦ふかく懸念せず。そは知る人ぞ知るべからむ。褒貶毀誉を度外に置て具眼の指摘に儘すのみ。

予が著したる物の本、或は合巻と唱る絵冊子のふりたる板家扶を購求めて恣に画を新にし且書名を改めてそを新板に紛しつ丶翻刻して鬻ぐものありと聞にき。そは勧善常世物語三国一夜物語化競丑三鐘などの事は嚮に本伝前輯の簡端に既にいへり。近属又括頭巾縮緬紙衣三巻を重刻して椀久松山物語と書名を改め出像を新しくせしものあるを見き。その書は文化三丙寅年書賈住吉屋政五郎の需に応じて世が綴りたるなれば今に至て三十許年の春秋を歴ぬる旧作なれど知らざる人は惑されて新板ならんと思ふもあるべし。且書名の更ざまも甚なる狡児の所為なりけん。椀久松山物語と改めしは作者の用意を得ぞ知らぬ寔に烏許の点竄なるかな。夫椀久は▲(女に票)客なり又松山は宥恕なり。縦その小伝を為るともその書に命くべきものにあらず。是を作者の用心とす。か丶る意味だもしらずして放なる更改は荘子に所云、倏忽が混沌を損ふと亦何ぞ異ならん。只是嗟嘆に堪ざるものなり。又高尾船字文{中本五巻}は寛政七乙卯年予が始て綴し策子物語なればいとをさなしとも拙くて今さらに又見るに得堪ず。嘔吐もしつべきものなるを去歳の冬そを重刻して端像を新しくせしもの出たり。▲(しか)るもその翻刻本には再板としるしたれば椀久松山物語のごとき世を欺くに優すよしあれども倶に作者に重刻の義を告ず恣に画を更或は書名を更て窃に蝿頭の微利を欲するか。人を人とも思はざりける皆是賈竪の所行にぞ有ける。よりていぬる比その再板本を予も閲せしに自序の落款にをかしき事あり。そは題於雑貨店帳合之暇としるせし是なり。雑貨は唐山の俗語にて此間にいふ高麗物の類なり。四十余年の昔といふとも予は高麗物を鬻ぎし事なし。便是当年の洒落にて都て稗官者流の肚裏には種々無量の意材あり。譬ば雑貨高麗物の品類最も多きに似たれば扨云云としるせしが廼当時の洒落にて識者の笑を取る為なれども其も流行に後れてはをかしからぬのみならで看官疑惑ふべし。然ば件の船字文は水滸焚椒録などを此彼と撮合して綴做たるものながら四十年前の拙作にて疎文いふべうもあらざるを翻刻して世に出されては穉き折せし手習葉子を老後に汝が手蹟ぞと売弄せらる丶に異ならず。いと恥しきものにしあれば翻刻本は原刻と文の錯へるやさもなきや予はよみ見るも▲(リッシンベンに頼)ければ古児琴嶺が在世の日今茲の春二三月の比にやありけん、命じて旧本と比校させしに処々に誤脱あるのみ、大かたは違はずといひにき。よしや写し僻めずとても今さら疎文をいかがはせん。看官これを思ひねかし。又大師河原撫子話といふ合巻の絵策子も予が旧作にて今より三十一年已前文化二年乙丑の冬▲(田に井)書堂が刊行せしを今亦画を重刻して新板の如くにしつ丶鬻ぐものありと聞にき。是等も作者に告ざりければ思ひかけなく人伝に聞にき。この余も予はいまだしらぬ烏許の重刻さぞあらむ。吾在世にすら書肆等が恣なる事かくの如し。なからん後はいかなるべき。そも浮たる名の所以にはあれど、名を売らる丶こそうるさけれ。近世明和安永年間風来山人{平賀鳩渓}が戯墨の策子太く世に行れしかば、その身後に至りても偽作せしもの多く出たり。今をもて昔をおもへばわがうへにのみあらざりける。こ丶に虚名の昨非を知りて嗟嘆のあまり懐を述たる吾ゑせ長うた反歌あり。こも亦要なきすさみながら録してもて箴とす。歌にいへらく、

あだし世に あだし世わたる あだし名の あだにしたて婆

 

はづかしき こ丶ろあさ瀬の 水くきは  ちびたる筆と

すみ田河  いざこととはん 人しあれば なしとこたへて

 

夏の夜は  ほたるあつめし まどの外に 杖をもひか伝

な丶そぢの 真金にあらぬ  あだしふみ つづれさせてふ

むしよりも はかなかりけり あめつちの むすびの神の

あやまちか かくまでをこの しれ人を  うみいだしけん

ゆゑよしを いはまくすれど くちなしの 花のみめでて

山ぶきの  実のありとしも 得ぞしらぬ あだし世の人

あながまや あだしこの名を としあたま あだにしられし

 

身をいかにせむ

反歌

かくれてもなほあだなりきみの笠の名はあらはれしあめのしたはも

天保六年といふとしのはつきをまりふつかにしるしつ

                        蓑笠漁隠

 

八犬伝九輯序

懿哉八犬之英士起八方也▲(玄に少)哉一顆之霊玉護一身也仁義礼智救柔挫剛忠信孝悌補君討讎抑〃離散有時行会有日八士不盍簪者殆二十余年終同帰一州而威名不朽然当時載筆者未具粤肇有演義書是蓑笠翁所編述筆端波瀾与彼水滸三国演義拮抗自是書一出于世而人人方知犬士所以為犬士可謂奇且盛矣余叨賦拙詩以為証詩曰

犬姓俊雄都八人 倶惟里見股肱臣 

乾坤到処曾無敵 ▲(アシヘンに卓)▲(アシヘンに楽)蓑翁稗史陳

                      琴▲(タケカンムリに頼)閑人題

懿(よ)きかな八犬の英士、八方に起(おこ)れり。▲(玄に少/妙/みょう)なるかな、一顆の霊玉、一身を護る。仁義礼智は柔を救い剛を挫く。忠信孝悌は君を補い讎を討つ。そもそも離散しつるを時ありて行きて会す。あるひと日く、八士の盍簪せざること殆ど二十余年、終(つい)に同じく一州に帰す。しこうして威名は朽ちず。しかれども当時に筆に載せるは、いまだ具(つぶ)さならず。粤(ここ)に肇て演義の書あり。是、蓑笠翁の編述せる所にして、筆端波瀾、かの水滸三国演義に拮抗す。この書一たび世に出て、しこうして人人まさに犬士の犬士たる所以を知れり。奇にしてかつ盛なりと謂うべし。余は叨(みだり)に拙詩を賦して以て証と為す。詩に曰く、

犬姓の俊雄は都て八人。倶に惟、里見股肱臣たり。乾坤の到る処に曾て敵なし。▲(アシヘンに卓)▲(アシヘンに楽)たること、蓑翁の稗史に陳ぶ。

                      琴▲(タケカンムリに頼)閑人題す

 

 

 

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八犬伝第九輯中帙口絵

義顕於衰世之国孝出自忠信之家  ▲(頼のしたに鳥)斎散仙

義は衰世の国に顕(あらわ)る。孝は忠信の家より出(い)ず。

政木大全成嗣まさきだいぜんなりつぐ・安西出来介景次あんさいできすけかげつぐ・荒磯南弥六ありそのなミろく

風さハく安房のありそのよひやみにしほみちぬらむちとりなくなり 玄同居士

(試記・風騒ぐ安房の荒磯の宵闇に、潮満ちぬらむ千鳥鳴くなり)

 

忠直無人助皇天錫慶祥  雷水痴叟

忠直に人の助けるなし。皇天の慶祥を錫(たま)ふ。

田税戸賀九郎逸時たちからとがくろうはやとき・天津九三四郎員明あまつくさしろうかずあき

 

★忠直の者が苦況に陥るとは則ち、奸佞の者が大勢を占め権を握っている状況だということだ。当然として、忠直は孤立無援である。ただ天のみが扶ける

 

夏ころももえぎの麻のあさましやたかいつはりのもしと見すらむ  狂斎

里見御曹司義通さとミおんざうしよしみち・吾嬬前あづまのまへ

 

★試記・夏衣、萌葱の麻の浅ましや、誰が偽りの文字と見ずらむ

 

なこの浦秋のとま屋になかむれば さハるものなき月のかけよし  雕窩老人

奥利狼之助出高おくりおほかミのすけいでたか・浅木碗九郎嘉倶あさきわんくらうよしとも・苫屋八郎景能とまやのはちらうかげよし

 

★那古の浦、秋の苫屋に眺むれば、障る物なき月の影佳し/影佳し→景能の賛。那古や苫屋などの海に関する語彙を鏤める技巧

 

混混荒川智計広言行不濁称清澄  愚山人

混々たる荒川。智計広くして、行きて濁らず。清澄(せいちょう)と称(たた)う。

荒川兵庫助清澄あらかはひやうごのすけきよすミ・登桐山良干のぼきりさんはちよしゆき・浦安牛助友勝うらやすうしのすけともかつ

 

★荒川清澄の賛

 

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第百四回富山之余波

「老侯に謁して親兵衛神助を訟ふ 奇特に驚て刺客等各帰順す」

老侯杖を住めて四刺客の招を聴く

出来介・また五郎・くさ四郎・さくわん・しん兵衛・よしさね・かひ六郎・おち八

 

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第百五回富山之余波

「各山霊有り枯樹復花さく 逃客路無し老侠俘を献る」

かきりあるさる世のつひのたき丶そとおもひしかれ木花さきにけり

花さきのうば・花咲の翁・親兵衛

 

★試記・限りある然る世の終の薪ぞと思ひし枯れ木、花咲きにけり

 

山路に迷ふて南弥六生拘らる

花咲のおきな・なミ六・花さきのうば・かれ木にはなよめ・かれ木に花よめ

 

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第百六回大山寺春宵

「青海波を牽して景能稲村より来たる 黒闇夜を犯して曼讃信館山に赴く」

里見老侯嶮岨を凌ぎて富山峰上の観音に賽す

てる文・かひ六・しん兵衛・よしさね・花さきノ翁

くわんおん堂

 

馬を走らして親兵衛星夜大山寺を出づ

親兵衛・花咲の翁

 

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第百七回館城之着落

「犬江親兵衛活ながら素藤を捉ふ 里見御曹司優に陣営に還る」

館山の城に犬江親兵衛衆兇を威服す

もとふぢ・ぐわん八・力士・親兵衛・わん九郎・ほん膳・ぼん作・力士・力士

 

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第百八回館城之着落

「義成仁を旨として刑を寛くす 貞行主に謁して克を奏す」

義通に倶して犬江親兵衛賊徒を国守の陣営に牽く

しん兵衛・もと藤・かげよし・よしみち・わん九郎・本ぜん・ぐわん八・盆作

 

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第百九回妖怪之巻 

「八百尼山居に敗将を誘引ふ 浜路姫病牀に冤鬼に魘はる」

人不入山に素藤妙椿に逢ふ

もとふぢ・妙ちん

 

浜路姫の病牀に侍女等物怪を見て駭怕る

 

はまぢひめ

 

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第百十回妖怪之巻

「反間の術妙椿犬江を遠ざく 妖書の▲(山に下に目、右に辛で両方の下に子/わざはひ)仁妙真に辞別す」

みなか鳥安房のうらわのぬれきぬハあまが流せしうき名なるらむ

しん兵衛よしなり

 

★試記・しなが鳥、安房の浦わの濡れ衣は、アマが流せし浮き名なるらむ/「み」は恐らく「し」の転訛もしくは誤字ではないか。「しなが鳥」なら「安房」の枕詞として角川文庫・万葉集一七三八にあり。海の歌に寄せ、あまは「海女」だが実は尼/八百比丘尼を指す。「しなが鳥」は第九輯下套下引に載す篠斎の長歌にもある

 

今日相逢今日別難殫一語涙漣漣

しん兵衛・妙しん

今日に相逢うて今日に別る。一語を殫(つ)くし難く、涙漣漣たり。

 

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第百十一回館山後巻

「妖尼庭に衆兵を聚む 素藤夜旧城を襲ふ」

良干奮激して素藤を罵る

おほかミの介・もとふぢ・妙ちん・ほん膳・わん九郎・ぼん作・ぐわん八・よしゆき

 

★よしゆきの鎧の胴に花桐の紋。当初は信乃の紋であった筈だが、信乃は五三桐を用いるようになっている

 

逸時景能脱虎口はやときかげよしここうをまぬかる

かげよし・はやとき

 

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第百十二回館山後巻

「君命を稟て清澄再叛の賊を伐つ 機変を旋して素藤牛狼の囚を易ゆ」

魔風を起して妙椿清澄を破る

妙ちん・もとふぢ・ぐわん八・友かつ・きよすミ・はや友

 

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第百十三回妖怪後巻

「三▲(カクシガマエに今)の瓶里見侯を醒す 一級の首南弥六を愆つ」

善悪も知らず三人烏夜に挑む

かたゐ・はまぢひめ・妙ちん・なミ六

 

★富山の方から犬に乗ってきた女性は、恐らく伏姫だろう。親兵衛を連れ去ったときと同様だ。が、同様ならば妙椿を雷の一撃で片付けることは出来なかったのか。まだ討つべき時ではないと判断したのか

 

南弥六義侠素藤を撃つ

この処の本文ハ第百十四回の初段に見えたり

わん九郎・まか六・しやがん太・なミ六・本ぜん・でき介・ぼん作・ぐわん八・狼之介・もとふぢ・偽清澄の首級・妙ちん

 

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第百十四回釈疑之巻

「義侠元を▲(ヤマイダレに狭のツクリの下に土)て廓名を遺す 神霊魔を懲して処女を全す」

千慮の一失里見侯重て開悟す

よし成・あづまの前

 

怕崇軻遇八換首級た丶りをおそれてかぐはちしゆきうをかふ

かぐ八

 

霊狗庭に浜路姫を将て還す

はまぢ姫

 

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第百十五回遭際之巻

「前面岡に大刀自孝嗣を救ふ 不忍池に親兵衛河鯉を釣る」

刃を住て谷中二大刀自に謁

えびらの大とじ・谷中二・たかつぐ・せん作・しん兵衛

 

不忍の池の畔に孝嗣親兵衛と戦ふ

まさ木・たかつぐ・しん兵衛

 

南総里見八犬伝第九輯下帙之上附言

有人云在昔里見氏は安房に起りて後に上総を略し又下総をも半分討従たりき。有恁ば安房は小国なれども其発迹し地なるをもて今も世の人推並て安房の里見といふにあらずや。然るを叟は這書に名つけて南総里見とす。便是本を捨て只その末を取るに似たり。故あることか、いかにぞや。と詰問れしに予答て云否、子が今論ずるよしは後の称呼に従ふのみ。上れる代の制度を考るに安房は素是総国の郡名なり。▲(シンニョウに貌)古天富命更求沃壌分阿波斎部率往東土播殖麻穀好麻所生故謂之総国{古語麻謂之総也今為上総下総二国是也}阿波忌部所居便名安房郡{今安房国是也}と古語拾遺に見え古事記並に書紀景行紀に東の淡水門を定め給ふよし見え且景行五十三年冬十月天皇上総国に到給ひて淡水門を渡り給ふよし見えたり。しかるに元正天皇の養老二年五月乙未上総なる平群安房朝夷長狭四郡を割て安房国を置給ひしに聖武天皇の天平十二年十二月丙戌安房国を元のごとく上総国に併せ給ひき。かくて孝謙天皇の天平宝字元年五月乙卯安房国旧に依て分立らる丶よし書紀又続紀に見えたり。是よりして後は安房と上総と二国たるに論なし。さばれ安房も初は総国なり。当時里見氏の威徳を思料るに土人相伝へてその封域をいへる者二百二十七万国とす。房総志料第五巻安房の附録に是を否して里見九代記に拠るに里見の領地は義尭より義弘へ伝へし所、安房上総並に下総半国是に加るに三浦四十余郷あり。此彼を合しても七十万国には尚充ざるべきに土人の口碑に伝る所は何等に本づきていへるにか、といへり。縦七十万国に充ずとも大諸侯と称するに足れり。然れば起本の国といふともかくの如き小説には褊小の安房をもて里見の二字に冠すべからず。▲(しか)りとて又房総と倡へなばなほ三浦四十余郷あり。因て南総といふときは、その地広大に相聞えて唯上総にのみ限るにあらず。這書に載する里見父子は賢明当時に無双なれば南方藩屏第一の大諸侯たるよしを看官にしもおもはせんとす。作者の用意素よりかくの如し。知ず僻言ならんかも。

本伝第九輯は初の腹稿より巻の数いと多くなるをもて第九十二回より第百三回までの六巻を九輯の上帙とし第百四回より第百十五回までの七巻を中帙の上下とし今板第百十六回より第百二十五回までの五巻を下帙の上とす。是より下にも尚物語多かれば亦復十巻を両箇に釐て下帙の中、下帙の下として明年二度に続出すべし。

八犬士及八犬女の端像{俗に是を口画と云}は第二輯三輯より冉々に是を出して今さら遺漏なしといへども或は総角の折の姿を写し或は微賤の折の趣にていまだ其真面目を見するに足らねば今又こ丶に是を出せり。しかるも惟伏姫は生前死後の神体まで曩に端像に出し丶かば茲には省きて七犬女を重出す。そが中に浜路沼藺雛衣は既に鬼籍に入りたれば、その墨色を異にして綉像同じからざらしむ。又彼神女の賛詞の如きは琴▲(タケカンムリに頼)君子の麗藻あり。因て丶大を賛する五絶と倶に亦簡端の余紙に録しつ

天保七年丙申秋九月下澣立冬後の一日

                                              蓑笠漁隠識

 

南総里見八犬伝第九輯下帙之上口絵

磨剣不忘親寛仁王佐器堂堂好男子到処伏奸吏  賛犬塚戍孝

剣を磨き親を忘れず、寛仁にして王佐の器、堂々たる好男子、到る処に奸吏を伏す

寒蝉懸▲(虫に喜)網新月落円陵▲(丙のしたトマタ)託同名女貞魂結赤縄  賛浜路

寒蝉の▲(虫に喜)網に懸かり、新月は円陵に落つ。斃れて同名の女に託し、貞なる魂は赤縄を結べり。

犬塚戍孝いぬつかもりたか・前後両浜路ぜんごのりやうはまぢ

 

幼稚養村荘義心凌毒手在泥不染泥市上耀人口  賛犬川義任

幼稚においては村荘に養われ、義心は毒手を凌ぐ。泥に在りて泥に染まらず。市上、人口に耀く。

依義失双実逢霊全両英誰知仙境住老樹受恩栄  賛音音         

義に依りて双実を失い、霊に逢い両英を全きにす。誰か知る仙境に住むを。老樹、恩栄を受く。

犬川義任いぬかわよしたふ・音音おとね

 

赳赳忠魂子積年凌百憂英風誰敢敵一箭貫金兜

赳々たる忠魂子、年を積み百憂を凌ぐ。英風、誰か敢えて敵するや。一箭、金兜を貫く。

変姿知幾処智勇最冠州牛閣返重恨鈴森討久讐  賛犬山忠与犬阪胤智

姿を変え幾処を知る。智勇は州に最も冠たり。牛閣に重恨を返し、鈴森に久讐を討つ。

犬山忠与いぬやまただとも・犬阪胤智いぬさかたねとも

 

剣法阪東一勇威不可当拾骸庚申嶺補孝赤嵒郷 賛犬飼信道

剣法は阪東一にして、勇威は当たるべからず。庚申嶺に骸を拾い、赤嵒郷に孝を補う。

一時離両羽恩恵六年間歓喜且憂苦共維倚富山  賛妙真

一時は両羽に離れ、恩恵六年間。歓喜かつ憂苦、共に維(これ)富山に倚(よ)す。

犬飼信道いぬかひのぶみち・戸山妙真とやまのミやうしん

 

一拳撲野猪双手駐▲(ウシヘンに力)▲(ウシヘンに介)謙遜不曾誇其名轟世界  賛犬田悌順  

一拳にして野猪を撲ち、双手にして▲(ウシヘンに力)▲(ウシヘンに介)を駐む。謙遜して曾(かつ)て誇らず。其の名、世界に轟く。

心血成良薬眼前救一雄悲風花落処不料得神童  賛沼藺

心血を良薬と成し、眼前に一雄を救う。悲風の花を落とす処、料(はから)ずも神童を得る。

沼藺ぬい・犬田悌順いぬたやすより

 

駄馬倒山路姉妹咫尺間若非神妙助争得到仙寰

駄馬の山路に倒れるとき、姉妹は咫尺の間にあり、若(も)し神妙の助けあらざれば、争いて仙寰に到るを得ん。

又仙山逢舅姑夜徑見亡夫姉妹依神助相倶設鳳雛  賛曳手単節姉妹

又、仙山に舅姑と逢い、夜徑に亡夫を見る。姉妹とも神助に依り、相倶(とも)に鳳雛を設ける。

単節ひとよ・曳手ひくて・十条尺八じうでふしやくはち・十条力二郎じうでふりきじらう

 

 

璧返黙摩居遺刀刺怪獣有文有武威誰又出其右  賛犬村礼儀

璧返に黙し摩して居り。遺刀にて怪獣を刺す。文あり武威あり。誰か又その右に出る。

 

★摩は数珠を揉む行の姿を謂うか

 

一朝遇謗疑薄命無由救伏剣顕貞心走珠殲猛獣  賛雛衣

一朝にして謗疑に遇い、薄命は救うに由なし。剣に伏せ貞心を顕わし、珠を走らせ猛獣を殲す。

犬村礼儀いぬむらまさのり・雛衣ひなきぬ

 

及時開左手神助免危窮六歳富山住幼拳救老侯  賛犬江仁

時に及び左手を開く。神の助けて危窮を免がる。六歳を富山に住し、幼き拳で老侯を救う。

犬江仁いぬえまさし

 

賛里見伏姫

経勲従猛狗 紅涙満羅裳 花乱富山雨 落英薫八方

勲を経て猛狗に従い、紅涙は羅裳に満つ。花乱れて富山は雨、英落ちて八方に薫る。

 

賛丶大法師

猟銃却成辜 法衣長避俗 歴遊二十年 終綴八行玉

猟銃却って辜を成す。法衣にして長く俗を避く。歴遊二十年、終に八行の玉を綴る。

 

右拙賛一十七首▲(クチヘンに刀)題本輯簡端以款於四方君子雅鑑

                 琴籟▲(ムシヘンに單)史

 

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第百十六回

「賢士重て犬士を知る 政木肇て政木を詳にす」

政木の老媼が懺悔話説和奈三政木夜剪徑に▲(ゴンベンに虎)さる

まさ木・わな三

 

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第百十七回

「恩に答て化竜升天を示す 津を問て犬童風濤に悩む」

池水を巻騰して異龍洪雨を降す

政木茶店親兵衛復与孝嗣憩まさきのさてんにしんべゑまたたかつぐといこふ

まさ木・しん兵衛・たかつぐ

 

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第百十八回

「両国河原に南客北人に逢ふ 千千三畷に師弟姦婬を屠る」

三観鼻に上風乱妨にあふ

 

あらそひなをさまれる世のかたつふり

此のにもわたせ両国の橋

いさん太・したつゆ・上風・すて吉・しん兵衛・たかつぐ

 

★試記・争いな、治まれる世の蝸牛、此の荷も渡せ両国の橋

 

慎之慎之出於汝返於汝者也

慎めや慎めや、汝に出て汝に返るものなり。

どぢやう二・次団太・をこぜ・ふな三・はや八

 

★次団太が嗚呼善と泥鰌二を斬る様を地蔵が眺めている。地蔵は冥府の裁判官/閻魔と縁が深い。同体と見るべきであるので、次団太の行為は、私刑ではありながらも、許されるべきだとの主張であろう。江戸期には、庶民であっても妻と間男との不倫現場に遭遇すれば殺害することが容認されていた。実際に殺害するよりも、首代として三両とか五両を受け取り示談で済ませる場合が多かったという。但し、同様の私法が夫の不倫で妻に認められていたかと言えば、そうではない。近世の男女関係が、片務的/差別的だとする論拠として持ち出される

 

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第百十九回

「来路を説て次団太驥尾に附く 余談を尽して親兵衛扁舟を促す」

鴨のあしのみしか夜なから鶴の脛もかくやきらまくをしきまとゐは

ふな三・次団太・たかつぐ・しん兵衛

 

★試記・鴨の足の短夜ながら鶴の脛も斯くや切らまく惜しき円居は/「荘子」駢拇篇第八「彼至正者不失其性命之情、故合者不爲駢、而枝者不爲跂、長者不爲有餘、短者不爲不足、是故鳧脛雖短、續之則憂、鶴脛雖長、斷之則悲、故性長非所斷、性短非所續、无所去憂也」鴨の脚が短いからと継いでみたり、鶴の脚が長いからと切ってみたりしても、仕方がない。短いも長いも、生まれついての性質であり、無理に矯正しようとしても、意味がない。此の挿絵の場合は、有名な荘子の句を踏まえてはいるが、単に長短の対比を技巧的に表現したのみ

 

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第百二十回

「命令を伝て使臣征伐を正くす 一葉を献じて窮士前愆を償ふ」

五十三太素手吉夜船長の家を脅す

すて吉・いさん太・たかつぐ・次団太・ふな三・しん兵衛

 

★捨吉が持つ「東」字をあしらった提灯の出自は不明

 

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第百廿一回

「天資神祐石門牢戸を劈く 犬江親兵衛魔を破り賊を夷ぐ」

館山落城賊徒伏誅す

ぞく兵・ぞく兵・ぞく兵・よしゆき・友かつ・ぞく兵・はや時・まか六・かげよし・ぞく兵・ふな三・次団太・ぞく兵・ぼん作・本膳・たかむね・ぞく兵・ぞく兵・ぞく兵・ぞく兵・はや友・狼之介・ぐわん八・ぞく兵・きよすミ

 

妙椿を対治して親兵衛二たび素藤を擒にす

しん兵衛・もとふぢ・妙ちん・ぞく兵・たかつぐ・ぞく兵

 

★楼閣の第一層か、「槐安」との額がある。八犬伝にも幾度か表記のある「南柯の夢」は別称「槐安の夢」だ。淳于生なる侠客が酔い潰れた夢に「大槐安国」へ招かれ王女を妻とし太守を経て宰相となる。妻を亡くした後、王は淳于生が謀反を起こすのではないかと疑い、槐安国から追放する。淳于生が戻った先は自宅であった。日の傾きも眠る前と、さほど変わっていない。長く槐安国に暮らしたと感じていたが、一睡の夢であった。さて挿絵の端に描き込まれた「槐安」なる文字は、素藤が大名となりつつも道を誤り程なく亡んだ虚しさを表現しているのか、それとも後に仙境へと逃避する親兵衛たちの生涯全体から見て、八犬伝に描く前半生を「槐安の夢」の如く儚いものだと理解するか……八犬伝は此の場面から後も、まだ続く。差し当たっては、前者としておこう

 

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第百廿二回

「勲功を譲りて親兵衛法会に赴く 賞禄を後にして安房侯寒郷を温す」

清澄等の諸士親兵衛と共に地道の石門及荒磯の首塚を視る

次だん太・高むね・しん兵衛・清すミ・はや友・はや時・かげよし・いさん太・すて吉・いけとりの賊徒・阿ミ七・まか六首・わん九郎首・たかつぐ・もとふぢ・よしゆき・ぼん作・狼の介・ざふ兵・ふな三・ほん膳・ぐわん八・友かつ

地道の門・あり堂塚

この出像ハ百廿二回中の条々を合して一緒に画きぬ故に一頁にして数か事をかねたり

 

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第百廿三回

「小乗楼に一僕故主に謁す 丶大庵に十僧法筵を資く」

依介水行に与四郎を送る

かこ・より介・よ四郎・ミを

 

★依介が提げる箱と、蔵らしき建物の屋根に、第五十八回と同様の「犬」字紋

 

丶大庵法筵代香使及七犬士来会この本文ハ第百二十四回のはじめに見えたり

小文吾・現八・荘介・毛野・大角・道せつ・ちゆ大・信乃・てる文・

 

★犬士らの上下に紋が描かれている。現八は宝珠、小文吾は「古」、大角は蔦、毛野は月星、荘介は篠だが上部を潰している。恐らく「篠竜胆」でっも誤って彫った後に急遽、訂正したか。道節は左横向きの揚羽蝶、信乃は五三桐、照文は名代として大中黒。現八の宝珠は今回限り。直前の挿絵で犬江屋の紋が「犬」字紋となっている。「古」那屋→小文吾の紋、から考えれば、「犬」江屋→親兵衛の紋、との類推が可能だ。犬士で唯一、此の場に姿を見せていない親兵衛にこそ「犬」字紋は与えられるべきだったのか。赤岩に赴いた現八に「犬」紋を与えていたことを忘れていたのか。そうかもしれない。しかし、犬紋を親兵衛に譲ったとしても現八は、犬士の身分証明「宝珠」を紋とすべき最重要の存在ではある

 

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第百廿四回

「師命を守りて星額遺骨を齎す 残捨を受て▲(ヤマイダレに加の下に肉/カ)僧禍鬼を告ぐ」

名刀名将暗に狙公を拯う

ちよぼ七・すゑもと

 

草菴を自焼して七犬士敵を分つ

代四郎・信乃・ちゆ大・てる文・大角・荘介・道節・毛野・小文吾・九徒弟・せいがく・現八・しふ司・ひがん太

 

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第百廿五回

「逸疋寺に徳用二三士と謀る 退職院未得名詮諫て得ず」

緇素を聚会て徳用魔談を凝らす

みとく・けんさく・とく用・ひがん太もとより・まくらの介はやとし・しふ司つねかど

 

南総里見八犬伝第九輯下帙中巻第十九簡端贅言

本伝は文化十一年甲戌年第一輯五巻を綴り創しより今茲天保八年丁酉年に▲(シンニョウに台)りて無慮二十四の春秋を歴たり。其間、作者の腹稿或は流行に拠り或は昨の我に▲(厭に食)て趣を易文を異にして体裁同じからざるもあるべし。そを何ぞといふに始は只通俗を旨として綴るに敢奇字を以せず。この故に行毎に仮名多くして真名寡し。六七輯に至りては拙文唐山なる俗語さへ抄し載て且意訓をもて彼義を知しむ。要なき所為に似たれども世に独学孤陋にて唐山の稗史小説を読まく欲する諸生あらば其筌蹄になれかしと思ふ作者の老婆親切なりけり。こ丶をもて行毎に真名多くなりて字の数さへ覚ず始に弥増たり。抑曲学にて要なき書を好みて多く綴りぬる余が如きゑせ(似而非)文は半表半裏の筆に成れり。そを知ざるにあらねども畢竟文字なき婦幼の弄びにすなる技にしあれば故りて風流たる草子物語は取て吾師に做すべくもあらず。又彼唐山なる稗官小説の大筆にして奇絶なるも、その文は模擬に要なし。然ばとて坊間に写本にて行はる丶軍記復讐録の類なるは俗の看官もすさめざるべく、余も素より綴まく欲せず。この故に吾文は枉て雅ならず又和にもあらず漢にもあらぬ駁雑杜撰の筆をもて漫に綴り創しより世人謬りて遐け棄ず。そが中に本伝は、いと甚う時好に称ひて憶ずも一百四五十回の長物語に做りにけり。

こは年来吾机案上の工夫にて憖に切磋琢磨せる自得の戯墨なるものから、かくの如くにあらざれば唐山なる稗説の趣を写すに由なし。然ばにや彼は文華の国なれば俗語といへども出処ありて悉字義に称へり。但正文と異なる所以はその用同じからざるよしあり。譬ば正文に慚愧といへば即恥る義なるを俗語には且忝しといふ義にも用ひたり。又工夫は考索思量の義なるを俗語には空虚閑暇の義とす。工は空の省文にて夫は助語なれば則空なり。こ丶をもて俗語の和訓は、その処によりて異同あり。然るを原を極めずして此間に抄録したる俗語をのみ見て取用れば大く義理に違ふことあり。筆の次にひとつ二ツいはん。水滸西遊などに在を於の如く像を如のごとく似のごとく、則を唯のごとく読するは、其文に法則あり、叨に用るにあらず。似を読て如とすなるは、似飛に涯り、則を読て唯のごとくすなるは不則一日に涯り像を読て如となせども如之といふには用ひず。況教の転じて叫に做れる{教は令なり}、尿の転じて鳥になれる{人を罵る時にいふ}、底の転じて地に做り又転じて的になれる、一朝に解尽すべくもあらず。

我大皇国は▲(シンニョウに貌)古の久しきより、をさをさ言魂を宗とし給ひて文字の制度はなかりしに応神天皇の御時に初て漢字を伝へしより後の世に至りては人の詞はさらなり源氏物語などにすら音訓うち任したる文あれば、なほ後々には和漢駁雑の文章の必いで来ぬべき勢ひなり{太平記などを見て思ふべし}。そを又一転して仮名文に唐山の俗語さへ諳記の随取用ひぬる余がゑせ文を国学及漢学の博士達、▲(ニンベンに尚)その眼に触る丶もあらば、この駁雑を嘲▲(口に遽のツクリ)ふて云云といはるべからん。遮莫唐山にて俗語もて綴れる書に正文あり方言あり、しからざれば用をなさず。又儒書方書仏教は、正文なるべき者なれども、そが中に俗語あるは二程全書朱子語類。俗語をもて綴りしは奇功新事、傷寒条弁、虚堂録、光明蔵の類なほあるべし。先輩既にこの弁あり。恁れば彼が文華なるも言魂の資を借ざれば文を成すに如意ならず。矧亦大皇国の文章は和漢雅俗今古の差別あり。然るを今文場に遊ぶ者孰かよく貫通せん。いとかたしとも難からずや。

意ふに古昔の草子物語、竹採・宇通保・源氏物語なども作者勉てその詞をあなぐり撰てもて綴れるにはあらざるべし。必是当時大宮人の常語方言さへそが随に載ためれど古言はおのづから鄙俗ならず且宮嬪の詞に雅俗うち任したるもあれど{海人藻芥及真淵の草結などを見て思ふべし}才子才女はその品殊にて且能文の所為なれば後世和文の山斗たり。恁れば昔の草子物語は此にも俗語もて綴れるを思ふべし。和漢その文異なれども情態をよく写し得てその趣を尽せる者俗語ならざれば成すこと難かる、彼我同く一揆なり。然ばとて今此間の俚言俗語の転訛侏離の甚だしきを、そが儘文になすべからず。余が駁雑の文あるは、この侏離鄙俗を遁れんとてなり。

しかるに近世建部綾足が西山物語及び本朝水滸伝{一名吉野物語}は、をさをさ古言もて綴るものから就中本朝水滸伝は、その趣浄瑠璃本とかいふものに似たる条ありて、今の俗語もまじりたれば木に竹を接たるやうにて且時好に称ざりけん、僅に二編にて果さざりけり{第二編は写本にて伝ふ}。又村田の翁が筑紫船物語は今古奇観第二十六なる蔡小妲忍辱報讐{拍案驚奇にも此と相似たる物語ありてその文同じからず。蓋別話なり}といふ一編を皇国の故事に翻案して古言もて綴れるなり。然しも能文の所為なれば必初学の為に資助になるよし多からむ。惜むべし、この翻案半分にて翁は簀を易にき。いかで門人に続出す者ありて原本の局を果せかしと吾一知音は呟けり。そも国学者流にて且和漢の稗史さへ愛る余力あればなり、とばかりにして俗の看官は、いまだその書を知らぬもあるか、行はる丶こと広からず。只勧懲を旨として書読む事を好ざりける世の婦幼にもよく読するは余が如きゑせふみにもあるべからん。

稗官野乗は鄙事なり。是を好とは思はねども本伝結局遠からねばいはで已んはさすがにて、こ丶にも筆を費して百年以後の知音を俟べく今より後の嘲▲(口に遽のツクリ)議論を解ばやとおもふばかりに丁酉の秋八月念六日東園黄白の木犀花馥郁たる南檐の下にしるす者は著作堂の癡老

                                    蓑笠漁隠

 

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南総里見八犬伝第九輯下帙中巻第十九口絵

将種自賢賞罰法天  賛成朝

将種は自ずから賢、賞罰は天に法(のっと)る。

小山大夫次郎朝重こやまたゆふじらうともしげ・結城判官成朝ゆふきはんくわんなりとも

おかめとも見えぬ仏を人とはば きえずやむねにあり明の月  賛浄西法師

瞽僧浄西めしいはうしじやうさい・兇僧徳用けうそうとくよう・かたく名しふ司・をさき枕之介・ねおひのひがん太

 

★試記・拝めども見えぬ仏を人問はば、消えずや胸に有明の月/目の不自由な浄西が「消えずや胸にあり、明の月/有明の月」。虚偽の表情や動作を見ない分だけ浄西は人の真実を能く理解していただろう。ところで従来の八犬伝読みにも浄西法師に蝉丸の影を見る者がいる。蝉丸は、「本朝列仙伝」巻二に登場する。「蝉丸(扶桑隠逸伝 鴨長明無名抄 佐国目録 百人一首抄)蝉丸ハイツレノ処ノ人ト云コトヲ知ズ。頭童ニシテ。カタチ僧ニ似タリ。草庵ヲ会坂ノ関ニ結ビテ。往来ノ人ニ食ヲコフ。能和歌ヲ詠ジテ。ミヅカラ楽ム。世ニ盲目ナリトイフハ。誤ナリ。コレヤコノ。行モカヘルモワカレテハ。シルモシラヌモ。相坂ノ関。トヨミシ歌ノ序ニイヘルハ。相坂ノ関ニテ。往来ノ人ヲ見テ。ヨメルトアレハ。盲目ニハアラズ。後ニ仙人トナリテ。行処ヲシラズ。関ノ明神是ナリ」。此からすれば、童子の如き僧侶であるから、影西の姿もチラつく

 

棄却顕職富貴聚身人間孝子釈氏忠臣  賛僧正影西

顕職を棄却し、富貴は身に聚まる。人間(じんかん)の孝子、釈氏の忠臣。

権僧正影西ごんそうじようえいさい・渥美郡領隣尾伊近あつミのぐんりやうとなりをこれちか

 

汝是西浜漏網魚豈知東海有余且

汝、是(これ)西浜の網に漏れし魚。豈(あ)に東海の余且あるを知らん。

今純友査勘太いますミともさかんた・海龍王修羅五郎かいりやうおうしゆらごらう

 

★夜郎自大、身の程知らずの悪党を評す

 

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第百二十六回

「仮捕使三路に兵を行る 義兄弟両林に悪を懲す」

大角一棒人馬を倒

もとより・大角

現八僧俗二虜を牽く

現八

 

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第百二十七回

「丶大庵の厄に親兵衛伴を喪ふ 石菩薩の前に信乃応報を悟る」

天助人力窮厄を解く

はやとし・しん兵衛・てるふミ・代四郎・ちゆ大

 

徳用謬て道人を棒殺す

信乃・とく用・てらをとこ

 

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第百二十八回

「犬士露宿して追隊を迎ふ 老僧袱を▲(寒いの〃の替わりに衣/かかげ)て冥罰を示す」

八犬士を逐て朝重結城より到る

みやひをハめつらんいく世ふる瓦 硯にせよとすみれさきけり  漁隠

小文吾・さう介・けの・げん八・てる文・大かく・ちゆ大・道せつ・よ四郎・しの・しん兵衛・てる文くミこ・てる文ともひと・きじ六・ともしげともひと・ともしげ

 

★試記・雅男は愛ずらん幾世経る瓦、硯にせよと菫咲きけり

 

惴利酔て剛九郎を斫らんとす

ごう九郎・はやとし・げぢよ

 

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第百二十九回

「忠僕死に事る霊仏の起本 孝子京を去る伝燈の法脈」

忠孝の父子路傍小堂の仏前に乞食す

浄西・えいさい

 

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第百三十回

「里見侯白浜に旅襯を葬る 大法師穂北に客情を果す」

市河坂に丶大照文貞行の迎るに逢ふ

しもべ・くミこ・くミこ・くミこ・くミこ・きじ六・ちゆ大・てるふミ・わかたう・さだゆき・小みなとたん生寺

 

丶大に謁して重戸十念を受

小文吾・しん兵衛・ありたね・よ四郎・於も戸・どうせつ・しの・げん八・てるふミ・大かく・さう介・けの・ちゆ大

 

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第百三十一回

「八行の霊玉光を良主に増す 九歳の神童氏を花営に請ふ」

滝田稲村の城に八犬士里見両侯に拝見す

仁第一・義第二・礼第三・智第四・忠第五・信第六・孝第七・悌第八・ときすけ・うぢもと・ちゆ大・てるふミ

 

★各犬士の紋は親兵衛が「杣」字、荘介は判別不能、大角は蔦、毛野は月星、道節は左向き揚羽蝶、現八は「犬」字、信乃は桐、小文吾が「古」字

 

妙真饗饌して八犬士を歓待す

代四郎・みづしめ・二世尺・花咲のうば・枯樹新婦・枯樹新婦・二世力・妙しん

 

★画面右下隅に鰹らしき魚一尾

 

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第百三十二回

「金碗後無して更に後あり 姥雪望を失て反て望を遂ぐ」

折にあへば波のそこなる沖の石もしほのひかたにあらハれにけり  玄同

代四郎・てるふミ・しん兵衛

 

★試記・折に逢へば波の底なる沖の石も潮の干潟に現れにけり

 

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第百三十三回

「客船を哄して水冤鬼酒を沽る 波底に没みて海竜王仁を刺んとす」

苛子崎に四九二郎客船を鑑検す

舟あきひと(だんご・にしめ・にごり酒・あまさけ)四九二郎・かこ・さと見の泊船

 

修羅五郎大洋に新兵衛と挑む

よ四郎・しん兵衛・しゆら五郎

 

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第百三十四回

「苛子の海中に与保千金を▲(テヘンに労)る 蕃山の窮難に照文一将に逢ふ」

前凶後吉蕃山遭際(ぜんきょうこうきつはやまのゆきあひ)

四九二郎・きじ六・代四郎・さかん太・てる文・これちか・ざふ兵・吸四郎・さとみのくミこ・はた馬・てる文のくミこ・土左衛門・正かく坊・ふぐ六・しやち七

 

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第百三十五回

「渥美浦に便船紀二六を送る 管領邸に禍鬼親兵衛を抑む」

蜑崎の宅に荘介目萌三と面談す

てる文のつま・きじ六・さうすけ・もえざう・さくわん

 

花の御所に仁照文義尚公に拝見す

てる文・しん兵衛・まさもと・まさなが・よしひさ公

せんじ・みぎやうしよ

 

★親兵衛の紋は、思いっきり「杣」字。照文は、三つ帆。蜑崎なる苗字、十郎が水練の達人であったことなどから海に縁がありそうな照文だが、果たして、紋も海絡みであるようだ

 

八犬伝第九輯下套下引

余性也僻常非同好知音不交也是以微躯生於江門而交遊罕于江門唯遠方有二三子在所謂和歌山篠斎南海黙老松坂桂▲(片に聰のツクリ){名ハ久足}是已約這個三才子毎見余戯墨諸編相喜評定寄之于余以問当否為娯楽故郵書来往不為遠千里譬如▲(燕のレンガが鳥)去雁来春秋不虚今茲逮本伝結局三才子逆聞之或詩或▲(ゴンベンに哥)各詠所其長祝頌是書有始有終句々皆金玉不但増拙著之光耳褒賞幾過分矣雖慚愧不知所閣然不可蔵秘篋且為▲(ムシヘンに覃)▲(アナカンムリに果)也即便附載於此以代小序云時戊戌端月

                                      蓑笠漁隠      

余が性や僻めり。常(かつ)て同好の知音にあらざれば交わらず。是を以て、微躯を江門に生して、しこうして江門に交遊することは罕なり。ただ遠方に二三子あり。いわゆる和歌山の篠斎南海黙老、松坂の桂▲(片に聰のツクリ){名ハ久足}、是のみ。およそこの、この三才子は余が戯墨の諸編を見るごとに、相喜びて評定し、余に之を寄し、当否を問うを以て娯楽と為す。故に郵書の来往は千里を遠しとせず。譬えば▲(燕のレンガが鳥)去り雁来りて春秋の虚しからざるがごとし。今茲、本伝の局を結ぶに逮(およ)び、三才子逆って之を聞きて、あるいは詩あるいは▲(ゴンベンに哥)おのおのその長ずる所を詠じて、この書の始めありて終わりあるを祝頌す。句々は皆、金玉のごとし。ただ拙著の光を増すのみならずして、褒め賞すること幾(ほとん)ど分に過ぎたり。慚愧するといえども、閣く所を知らず。しかれども秘篋に蔵してかつ為▲(ムシヘンに覃)▲(アナカンムリに果)となすばからず。即ち、すなわち此に附け小序に代えると云う。時に戊戌の端月

                                      蓑笠漁隠

 

頃者聞本伝団円、寔可羨称也。因題短韻一律、以寄于著作堂梧下

                                       黙老半漁

発研新史褒称周 都鄙競需俟速郵 繍口錦心優水滸 狗譚猫話圧西遊

毫鋒靡敵芳流閣 文焔摩空円塚丘 騒客雅人比拱璧 珍篇何復有朋儔

このごろ本伝団円となるべきを聞く。まことに羨称すべきなり。よりて短韻一律を以て著作堂梧下に寄す。

                                       黙老半漁

新史を発研し周を褒め称う。都鄙ともに競い需(もと)めて速郵を俟つ。繍口錦心、水滸に優れる。狗譚猫話、西遊を圧す。毫鋒にて敵を靡かせたる芳流閣、文焔にて空を摩したる円塚丘。騒客雅人とも拱璧と比ぶ。珍篇また何ぞある、朋に儔あれ。

 

   里見八犬伝をほむる長歌                  小津久足

筆の海    机のしまに   いさりする  人はおほけど   海幸は     得がてにすとふ

文の苑    詞のはやし   かりくらす  ひとはあれども  山幸は     いとりかねとふ

しかれども  わがせの君は  朝よひに   蓑笠きつ丶    海さちも    その山さちも

ものさはに  とり得てあれば みのかさに  かくれもあへず  世にひろく   名はあらはれて

人みなの   よろこぶ書を  家の名の   あらはしつくり  むねにみち   牛に汗する

まきまきは  世にはびこりて こもまくら  たかき人たち   しづたまき   いやしき人も

みやびをも  をとめのとも丶 おふなおふな めでよろこびぬ  いやひろく   よろこぶ中に

鳥が啼    あづまの国に  いにしへに  有けることの   くすはしき   こと丶いひつく

かの見ゆる  里見の家を   まもりたる  八の犬とふ    氏人の     つたへをしるす

書はしも   世にぬけ出て  天の下    ゆすりとよもし  新しき     年のはじめに

うぐひすの  初音はあれど  梓弓     春にしなれば   さきいづる   花はあれども

つかの木の  いやつきつきに このふみの  いづるをまちぬ  かくばかり   たへなるふみの

石の上    ふるきむかしゆ 今までに   ありとはきかず  いまよりの   千年の後に

たれしかも  あらはしいでむ 文国と    名におふ国に   いにしへゆ   其名聞えて

かずかずの  星のかたちを  おりなせる  そのからにしき  しきしまの   やまとの国に

このふみに  いかでかしかん このふみに  あにまさらめや  このふみを   めづる人らは

このふみの  名にあふ犬の  家内を    まもるがごとく  よそにはも   出しもやらず

家人の    なづるごとくに かたはらを  手はなしもせず  あく時の    あらずといへば

鳥の跡    それにはあらぬ 犬の跡    いやとほき世に  のこらざらめや

     反歌

  唐錦大和にしきをおりまぜてあやにおもしろくつづる書はも

  骨をかへかたちうばひてから鳥をくひふせし犬はゆ丶しきろかも

 

    八犬伝跋文にかへてよめる長歌みしか歌   篠斎野叟

事繁き   塵の世よそに  かろらかに  かくれ蓑笠   かくろひて からのやまとの

ふみの海  あさりおきなと あけくれに  机の小船    うけすゑて 筆の釣竿

手にまかせ うまぬすさびの 年月に    やがてあまたの 巻を成す  いにしへいまの

物語    かれとこれとを とりもかへ  あると無きとの なかそらに たつのたかとの

海の市   くしくあやしく めづらしく  たへにたくみに こまやかに 思ひ構へて

さらに又  にはよき波路  まさみちの  よきをば勧め  横走る   浦の蘆蟹

あしきをは 懲らししめして ねもころに  さとすこ丶ろは 幾千尋   不覚もしつく

真白玉   詞の玉藻    数々に    あかすあかれす もてはやし 磯山さくら

ゑる板に  春あたらしく  さく花を   誰も待つ丶   いそめぐり 中にも是は

かたりこと 殊に長かる   しなが鳥   安房の洲崎に  光り出し  八つのくしたま

その玉の  やつらの文字を なのりそは  海の浜藻の   それならで 富山に根ざす

いのこ草  犬の氏なる   とりとりの  たけをますら雄 さまさまに 勇みすぐれて

まめやかに 厚きおこなひ  いづれとも  まさりおとらず とりよろふ やたりのつたへ

あら玉の  としの緒長く  巻長く    つらねつらねて 今ことし  玉まろらかに

数またく  ぬきとめよせて 緒を結ひ   みがく光りの  いよ丶世に かかやきわたる

八つの玉  四方にめで見ぬ 人はあらしな

 

  かの星の百まり八つのそれよりも此くし玉やひかりまさらむ

     ○

蓑笠漁隠曰、所録前後▲(遙のツクリに系)客歳到来遅速而已非選択以為伯季也江湖繙閲百君子其熟思之

                                          董斎盛義書

蓑笠漁隠曰く、録する所に前後は、客歳において到来の遅速によるのみ。伯季を為すに選択を以てするにあらず。江湖に繙き閲する百君子、それ熟(ふか)く之を思え。

                                          董斎盛義の書す

 

    読書自嘆

休向世間訴不平、疎狂聊爾錯人情、談来未了書中趣、空為浮名過此生

                                          琴嶺興継稿

世間に向かうを休(や)め不平を訴う。疎狂たりて聊爾(かりそめ)に人情を錯す。談じ来りて、いまだ書中の趣を了(お)えず。空しきかな、浮き名を為して、この生を過ごす。

                                          琴嶺興継の稿

 

★世間の人間関係から自由な立場をとり、社会矛盾を指摘する。ぶっきらぼうな書きざまで、人間関係とやらに絡め取られてしまいがちな人情を、ちょいと煙に巻く。話は進んできたものの、物語は、まだ終わっていない。人生を生きるに、このように浮き名を流して過ごすことは、空しいのではないか

 

蓑笠漁隠又曰、是詩故児弱冠時所偶作曩撈遺篋而得之雖題詠非犬士之事然其要似夙知吾意衷而有所志因録備遺忘蓋彼之短命不見是書結局而逝矣不得無遺憾也

                                          盛義

蓑笠漁隠また曰く、この詩は故児の弱冠たる時にたまたま作るものなり。さきに遺篋を撈(さぐ)りて、しこうして之を得る。題詠は犬士の事にあらざれども、しかれどもその要は、吾が意衷を夙く知りて志す所あるに似る。よりて録して、遺忘に備う。けだし彼が短命、この書の結局を見ずして逝きぬるか。遺憾なきことを得ざるなり。

                                          盛義

 

 

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口絵

奇貨忘神祐讒聞禁使臣欲譴蛇足過驚虎魄傷人  題政元及巽風            

奇貨に神祐を忘れ、讒を聞き使臣を禁む。蛇足の過を譴せんとして虎魄の人を傷るに驚く。政元及巽風に題す

管領政元くわんれいまさもと・竹林巽風たけはやしそんふう・直塚紀二六ひたつかきじろく

 

大刀つくるたくみのともハはた加にて打のはせと母きる物はなし  半聞(閑カ)人

堀内雑魚太郎貞住ほりうちざこたらうさだすミ・鍛冶子再太郎かぢこさいたらう・田税力助逸友・小森倶一郎高宗

 

★試記・大刀作る匠の友は裸にて、打ち延ばせども着る物はなし

 

赤壁阿瞞勢勿負焼殫艨艦有周郎  題阪東四将四大夫

赤壁に阿瞞勢ひ負(たの)むこと勿れ艨艦を焼きつくす周郎あり  阪東四将四大夫に題す

山内顕定やまのうちあきさだ・巨田助友おほたすけとも・足利成氏あしかがなりうじ・長尾景春ながをかげはる・大石憲重おほいしのりしげ・扇谷定正あふぎがやつさだまさ・千葉介自胤ちはのすけよりたね・横堀在村よこほりありむら

 

姫小まつ結はば八つの玉さ丶き誰かてにとりてねの月そ満らむ  ▲(頼のした鳥)斎

里見後の八犬女の中五の君浜路姫の端像ハ既に前輯に出たれバ今略之

女一君静岑姫いちのきミしづねひめ・女二君城之戸姫にのきミきのとひめ・女七君小波姫しちのきミをなミひめ・女六君栞姫ろくのきミしをりひめ・女四君竹野姫しのきミたけのひめ・女三君鄙木姫さんのきミひなきひめ・女八君弟姫はちのきミいろとひめ

 

★試記・姫小松結はば八つの玉ささき誰が手にとりて子の月ぞ満らん/子月とは十一月だが、十二支の始まりの月でもある。一年の周期は、陽が徐々に強まり午に於いて旺さか/んとなるが同時に陰が増勢に転ずる。此の陰気が最も強く陽が最も弱い状態にある時が、子だ。陽気が最も弱い時こそは気がプラスに転ずる秋トキだ。同時に陰気は下降線を辿り始める。故に句にある「子の月ぞ満」とは、近世後期から「七五三」を行うようになった吉日であり、陽へのエネルギーが最大となるよう期待される十一月十五日を指すであろう。これが八犬士が里見八姫と見合い……御簾を隔て不可視の状態だったから「見合い」と言えないが、まぁ見合いをした期日とも思う。但し、本文からは期日を断定できない。また、婚礼は翌年二月下旬に行われる

 

本伝出像の人物に面貌の老たると弱く見ゆると本文に合ざるあり。看官疑ひ思ふべければ聊爰に論弁す。譬ば金碗大輔孝徳入道丶大法師は嘉吉元年辛酉の秋父孝吉の自殺の時彼身は甫の五歳なり。恁而長禄二年に至りて伏姫富山に事ありし日孝徳死刑を宥められ祝髪行脚の僧になりしは乃二十二歳の時なり。是等の年紀は第十五回に夙く作者の自注あり。今これをもて僂れば文明十年戊戌の夏丶大が行徳なる古那屋にて信乃{時に十九歳}現八{時に二十歳}小文吾{時に二十歳}親兵衛{初名は真平時に四歳}等に邂逅しける時丶大は四十二歳になりぬ。是より又六稔を歴て文明十五年癸卯の夏丶大が宿望成就の日八犬士を相伴ふて安房へ帰り来にけるは年四十七の時にて五十にはいまだ至らず。本文にはその折々に年紀を具に誌さねども創よりして推考へなば看官紛れあるべくもあらず。▲(しか)るに第七十三回なる甲斐の指月院の段{前柳川重信画}よりして吾如意ならぬ処をいはば丶大の面貌翁備て六旬許の老僧に似たり。後にこれを画く者其を亦本にせざるもなければ弥老て相応しからず。

又蜑崎照文は長禄元年にその父輝武が富山川に溺死しし時いまだ彼名を出さねども必是少年なるべし。是よりして二十二年を歴て文明十年戊戌の夏照文行徳にて出世の時齢は三十有余にて丶大には弟ならむに是より後光陰は才に六稔の程なるに出像の面貌翁▲(骨に尭)て五十あまりの人に見ゆめり。

又八犬士の内中犬田小文吾は髫歳より角觝を嗜て大漢なるよしは本文に粗見えたり。▲(しか)るに出像は凡庸にて自余の犬士に殊なりとは見えず。惟第六輯の画工英泉のみこの意をや得たりけん。第五十八回に小文吾が市河にて依介夫婦に再会の段の出像には全身肥満の大漢を画きしに看官は前々なる出像に眼熟れて妙とせず。こも只▲(隠のしたに木)るに過たりといはまし。

又扇谷定正は修理大夫持朝の季子なり。此管領は享徳年間よりして鎌倉扇谷の館に在ししかば時の人相称えて扇谷殿といひけり。かくて定正鎌倉を退くの後明応二年十月五日に卒りぬ。享年五十二歳。事実は鎌倉管領九代記に詳なり。因て定正卒去の年道節信乃等が復讐は定正四十二歳の時なり。然るをこの段の出像には定正の面貌最弱かり。吾一知音の細評にその弱かるを疑ふて云云と問れしよしあり。

但この差錯のみならず人に誂へてものしぬれば不如意なる事多かれども就中今論つらふ人々は本伝中なる有名にて殊に尤き者なれば見巧者なるは疑ふて其をしも作者の愆なめりといはざることを得ざるべし。然りけれども人はうち見によらず其齢より面貌の老たるあり弱きもあれば只管に年歳を数へてその面貌の合ざるを訂さば反て理評にならむ。況本伝は画工一筆にあらず。各作者の画稿に拠て潤色して誉を取まく欲す。こ丶をもて婢妾までも画くに美人ならぬはなし。画工と作者の用心の同じからぬを知るに足らむか。

畢竟遊戯三昧なる出像は婦幼の与にして和漢稗史の花なれども是ある故に作者の趣向をはやく知らる丶をいかがはせむ。花を愛るは実を思はず、実を嗜るは花をも観るめり。誠に好みて善読者は必文を先にして後に出像を観るといふ。画に縁りて事の趣を夙く悟れば読見る時に興薄からむを▲(澤のツクリに攵)へばなり。現看官にも用心あり。有るが中にて恁る知音は世に又多く得易からねば漫に戯房をうち開して出像の上にまで自評しつ。人の疑難を解くよしは本伝結局大団円に遺憾なからしむ為なりかし。

 

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第百三十六回

「政元権を弄びて正副使を分つ 犬江別に臨て忠良僕を借る」

親兵衛機に臨て意見を密談す

げぢよ・わかたう・しん兵衛・てる文・代四郎

 

★此処でも照文の紋は、三つ帆

 

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第百三十七回

「能弁軍記を講じて餅を薦む 窮鳥旧巣に還りて巧に囀る」

太平記巻の第二十二高師直塩谷高貞の正室の出浴を偸見る処

師直もろなほ・手引のおうな・小婢めのわらハ・塩谷正室ゑんやのおくがた

 

二六郎酔狂摂家の従者と力戦す

とどむるや小田にまわる水車いぼしり虫の身をバはからむ

関白もちミち公・二六郎

 

★試記・止むるや小田に回る水車、蟷螂虫の身をば測らむ/如何でも良いが、画面中央やや右よりの従者は、〈外人ポーズ〉をとっている

 

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第百三十八回

「士卒矛盾して自家を防ぐ 餅書教に因て秘密を告ぐ」

太平記巻の第四備後の三郎高徳桜樹に詩を題する処

けいごの武士・たかのり

 

★児島備後三郎高徳が樹に天莫と書いているが、これは「天莫空勾践、時非無范蠡」と書く途中。「呉越同舟」との俚諺を生むほど憎しみ合った春秋期中国の両国の物語を下敷きにしている。って云ぅか、太平記巻四「備後三郎高徳が事付けたり呉越軍の事」は高徳なんて放っといて、呉越の話が大部分を占める。だいたい高徳、後には南朝の忠臣として頑張り抜くが、デビューの此処では、なかなか間抜けなオジサンだ。鎌倉幕府との戦いを決意した後醍醐帝は、笠置に籠もるが破れた。朝廷に心を寄せる高徳も時を同じくして兵を挙げたものの、頼みにしていた楠正成も赤坂で自害したと聞き/風評に過ぎず正成は後にも大活躍する/途方に暮れた。しかし帝が隠岐に流されると聞いて、途中で帝を奪還しようと思い立った。一族と共に備前・播磨の境、船坂山の頂上で待ち伏せした。帝を護送する一行が余りにも遅いため調べてみると、別のルートを採ったことが判明。美作の杉坂まで急行し待ち伏せするが、既に帝は先に進んでいた。諦めた同族は散り散りになって、高徳を置き去りに自荘へ戻った。善い奴だから皆も心動かされ言うことを聴いてやったものの、此処まで図に当たらなければ、呆れて当然だ。それでも高徳は、せめて帝に自分の忠義を知って貰おうと、監禁場所へ如何にか潜入し、挿絵の句を書き付けた。間抜けなオジサンの負け惜しみに過ぎないが、〈間抜け〉と〈忠〉は、道節を見ても解るように、親近性が高い。高徳は、如何にも太平記好みの人物だ。此の間抜けオヤジの句から始まり、長々と呉越説話が続く。太平記は時々こういうことをする。馬琴の蘊蓄披露癖も太平記に影響されてか。勾践は血気にはやって、愚かにも敵に捕らえられた挙げ句、再起のため敵王の尿道結石を舐めた後の越王。范蠡は、捕らわれている越王の為に肺肝を砕き奔走した忠臣。手紙を入れた魚を越王の牢に放り込んで励ましたりしている。太平記が再び利用される親兵衛の京都滞在記第百三十八回で、親兵衛が変態管領に囲われたとき紀二六に手紙入り餅を差し入れさせた。呉越の話は、別嬪の誉れ高い西施も越王の愛人だし、会稽山とか肝を舐める男とか有名な話がテンコ盛りである

 

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第百三十九回

「五条の頭に代四郎憂を啓く 撃剣の場に親兵衛武芸を見す」

第一戦親兵衛海伝を懲す

かいそひ・かいそひ・しん兵衛・じつけんし・じつけんし・かいでん・なほみち・まさのり・ひろまさ・かいでんもんじん・しゆひつ・また六・しゆひつ・まさもと・かい伝もんじん・第二ばんたてぬき・たてぬきもんじん・たてぬきもんじん

 

★「しゆひつ」は恐らく鎌倉幕府官職名である「執筆しゅひつ/書記」を念頭に置くか

 

第三戦親兵衛直道景紀を懲す

かいそひ・直みち門人・しん兵衛・なほみち・かげとし

 

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第百四十回

「犬江仁名を華夏に揚ぐ 左京兆恩を東臣に厚くす」

第五戦犬江親兵衛兇禿を懲らす

しん兵衛・かいそひ・かいそひ

 

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第百四十一回

「悪報明を失ふと更に懺悔を事とす 神助▲(オンナヘンに戸/ネタミ)に因て反て冥罰と成る」

薬師院村に巽絵額を売る

うるハしのちご・やくしまゐりのたび人・たび人・たつミ・おとこ(看板に「御あつらへ御好次▲第の略字)

 

一▲(缶に尊)を費して樵六夫妻を和ぐ

おとこ・しやう六・たつミ

 

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第百四十二回

「両滅を誣て辰巳誑簡を貽す 故事を尋て政元名画を疑ふ」

残忍吹毛求疵短慮窮賊智出

たつミ・うるハしのちご・しよう六

 

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第百四十三回

「虎眼に点して巽風公文庁を閙す 衆口を▲(澤のツクリに攵/いと)ふて京兆禄斎屋を誅す」

画虎是不画巽風喪元(ぐわここれぐわならずそんふうかうべをうしなふ)

政もと・きんじゆ・また六・有司・やうし・かげとし・力士・力士・力士・りきし・力士・力士・りきし・そんふう・力士・りきし・よ市・力士・力士・力士・りきし・まさのり・力士

 

申明亭に行客巽風の積悪を詳にす

まさのり・そんふう首級・たびびと

 

★裁きの場には、閻魔の本体である地蔵が登場する

 

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第百四十四回

「犬江前諾して関符を請ふ 澄月が一謀五虎を殲す」

邸中の騎馬仁紀二六に逢ふ

わかさむらひ・わかさむらひ・しん兵衛・きじ六

この小出像(こさしゑ)の本文(ほんもん)ハ第百四十五回(くわい)につまびらかに見えたり

 

香車大く進ミて歩兵に攫はる

み丶九郎・なほミちすけたち・なほみちすけたち・なほみちともひと・かん八・まさのり・なほみちすけたち・たてぬき・ちへさく・あし平・さねたか・なほみち・かげとし

 

★藻洲千重介はいるが「ちへさく」は不明。「ちへすけ」の誤写か

 

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第百四十五回

「五頭を献りて衆奸卒数頭を喪ふ 脚小を櫃にして悪師徒手足を断る」

悪窮逢虎害天罰豈応愆

とくよう・ふびきひめ・けんさく

 

南総里見八犬伝第九輯巻之二十九簡端或説贅弁

嚮に友人告ていへらく或云本伝第九十九回素藤鬼語を聞く段より第百四十九回一休画虎を度する段まで事々物々怪談鬼話ならぬは稀なり。且上に十二地蔵の利益あり、下に薬師十二神の霊異あり、又前に狸児の怪談あり、後に画虎の怪談あり。其事都て重複を免れて互に相犯さずといへども大凡看官に怪談を好むと好ざるとあり。其怪談を好ざる者は必飽く心地すべしといへり。この言当れりやと問れしに、予答ていへらく、否否然らず、唐山大筆なる稗史に縁てもて是を思ふべし、彼鬼話怪談の多かる独西遊記のみならず譬ば水滸伝の如きも又是怪談をもて趣向を建たり、見るべし、始に石碣一百十箇の魔君を走する事あり、終に石碣一百八箇の魔君を治めて遂に宋朝の忠義士に做せしは彼が一部の大趣向にて作者の隠微こ丶に在り。{予嘗水滸隠微発明評一編あり今亦贅せず}。且羅真人公孫勝の仙術戴宗が神行樊瑞高廉が幻術及九天玄女の霊験冥助皆是多く怪談に渉れり。そは左まれ右もあれ本伝も亦始より鬼話怪談をもて趣向を建たり。豈啻九十九回以下のみならんや。所云始に役行者の利益あり、又伏姫腹を劈て竟に八犬士出世の張本になれる奇談あり。是よりして後、多く怪談に渉る者事皆勧懲の意もてせざるはなし。就中地蔵薬師の霊応利益は世の怪談に惑へる婦幼及事を好む雅俗をいかで竊に覚さんとて叮寧反覆してもて綴りたり。然るを怪談多しといへるは右もていまだ覚ざるか、弁ずるともいふかひなかるべし。抑怪談に雅俗の差別あり。不及ながら予が綴る怪談は勧懲にあらざる者なし。こ丶をもて世に在る所の怪談と相似て同じからざるをよく見る者は予が言を俟ざるもあらむかし。この故に吾常に云、吾漫に物の本を綴り初しより此に五十余年なり。実に無益の技なれども已に老煉に至りては、いよ丶ますます精くして十二分にせざるはなし。然るを看官は只三分四分のみ二三の同好知音の評も六七分の上を出ず、其心を用ひ力を入る丶処、精粗同じからねばなり。しかるに近曾人ありて予が旧作なる俊寛僧都嶋物語を評して八犬伝を除くの外是を第一の佳作とすといへりは私言のみ。予は決して諾なはず。但予が諾なはざるのみならで十目の視る所、大かたは同じかるべし。人各褒貶を其好憎に儘するは必公論ならぬものから誉られて歓ぶはなべて人の情なれども己が如き僻者は誉られてなかなかに恥かしき事あり否なる事あり。いまだ己を知ずして、いづくにぞよく人を知らん。或は▲(石に武)▲(石に夫)の美きを負むが為に光を瑞玉に争まく欲し或は瑣々たる小鶏彼距を挙て力を封牛に比まく欲するが如きは是予が恥る所なり。

友人又告ていへらく、或云本伝第百三十一回八犬士稍全聚ひて倶に安房へ徴れて里見の家臣になるといふ段、是宜く大団円なるべし。是るを又金碗の姓氏の事を説出して京師の話説十八九回あり。{第百三十一回の末より第百四十九回に至れり}。こは疣贅にあらずや、といへり。嗚乎又此等の言あるか。本伝に京師の事を説く十数回は是始よりの腹稿なり。然るを疣贅とせらる丶はよく思ざる故にこそあらめ。そを何とならば八犬士倶に安房に到りて里見の家臣になるのみにて犬江親兵衛を除くの外七犬士等かくの如くにして可ならんか。且京師の話説微りせば俗に云田舎芝居に似て始より説く所、東八州の事に過ぎず。然では話説広からで大部の物の本に足ざる所あり。譬ば水滸伝の如きも七十回の後招安の事及京師の話説あり。こ丶に至て一百八箇の魔君皆よく変じて宋の忠義士になれり。▲(ニンベンに尚)是等の事なくて七十回にて局を結ばば彼一百八人は梁山泊嘯聚の強人のみ。何をもてよく勧懲にせんや。是に由てこれを観るに水滸伝百二十回は羅貫中が一筆なるに疑ひなし。然るを又彼金瑞は七十回以下を誣て続水滸伝として反て酷く▲(ゴンベンに山)りたり。他が如きは水滸の皮肉を知れるのみ、骨髄を得たる者にあらず。然ば有人の臆断に本伝百三十一回を団円にせば宜しからむといひしと又金瑞が水滸七十回を強て結局にしたると日を同くして論ずべし。そも吾惷寿桑楡の暮景に至るをもて看官なべて本伝の結局をいそぐ故にこそありけめ。予もいそがざるにあらねども腹稿尚余りあるを芟遣捨んはさすがにてこの九輯下帙の下乙編十巻を分巻十五冊にして稍大団円に至る者なり

○筆次にいふ。本輯巻の二十九第百四十七回犬江仁が三関を破るの出像に画工謬て作者の稿本に違へて仁が馬上に敵の雑兵を礫に捉て擲つ為体に画きたり。第百二十七回左右川の段の出像に仁が跪て両手に敵の雑兵を捉抗たる処と又第百四十回の出像に仁が馬上に徳用を抓抗たる処あれば此彼重複にて且馬上の人礫は仁に相応しからぬを看官必難ずるもあらむ。又云画工是を聞て聊改めしを作者に見せざりければ知らでこの義に及べり。右の一条は削去るべし。

     天保十年花月念八

                                         曲亭主人識

 

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南総里見八犬伝第九輯巻之二十九口絵

松柏如君子 美人似春花

松柏は君子の如く、美人は春花に似る。

 

秋篠将曹広当あきしのせうさうひろまさ・再出雪吹姫ふぶきひめ

わすれ草わすれすに買へ大津画の鬼のしこ草もあふミ野の花  半閑人

大杖入道稔物おほつゑにうどうねんぶつ・根古下厚四郎鴿宗ねこしたあつしらうはとむね・老松湖大夫惟一おいまつこたいふこれかず

 

★「鬼のしこ草」は謡曲大江山に出てくる巨大な草

 

昔年同気相求処今日同憂奚不憐

昔年には同気相求めし処、今日の同じき憂いに奚(なん)ぞ憐れまざる。

箕田馭蘭二円通みのたぎよらんじミつみち・根角谷中二麗廉ねつのやちうじうらかど・廉吉彫ユ之

 

虎と見て射ぬる矢たねやのこりけむ今もたつ野の石竹の花  ▲(頼のした鳥)斎

一休和尚いつきうおせう・義政公よしまさこう

 

★試記・虎と見て射ぬる矢種や残りけむ、今も立野の石竹の花

 

君酔甚多言壁垣維有耳

君は酔えば甚だ言を多くす。壁垣に維(これ)耳あるぞ。

君酔へば甚だ言多し 壁垣維(これ)耳あり

小才二こさいじ・世智介せちすけ

ホリレン

 

すみ田川すミわひて渡りやすからぬ世をうき橋ハ昔なりけり  著作堂

千代丸図書助豊俊ちよまるずしよのすけとよとし・下河辺荘司行包しもかうべせうじゆきかね

 

★試記・隅田川、住み侘びて渡り易からぬ世を浮き橋は昔なりけり

 

本輯下帙の下所云下套の乙号編は五巻にていまだ足らず。因て十巻にして局を結べり。この内中巻の卅一と卅四五六は楮数いと多かり。こ丶をもて釐て上下各二冊とす。共に是十五冊なり。其十五冊の中五冊夙く彫果るを先出せり。右の第百五十三回以下も必続て出すと云。看官亦復僂待つべし。

 

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第百四十六回

「白河山に代四郎小姐を救ふ 談講谷に親兵衛大蟲を射る」

諸悪勿作衆善奉行

諸悪、作(な)すなかれ。衆善、奉行せよ。

くミこ・くミこ・けんさく・くミこ・くミこ・きじ六・代四郎・とくよう・くミこ・ふぶきひめ

 

★きじ六の胴には、一つ帆の紋。照文は三つ帆の筈であり、きじ六本人の紋か、それとも絵師の錯誤か、変更か

 

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第百四十七回

「紀二六月下に真刺に逢ふ 親兵衛湖上に三関を破る」

神箭差ハず虎妖対治せらる

しん兵衛

 

親兵衛単騎にして撃て三関令を走らする

はとむね・しん兵衛・これかず・大杖入道

ひとつ松・からさき明神

 

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第百四十八回

「頓智の▲(テヘンに爭)従者妙に利く 奸詐の悔執権還を送る」

大津の駅稍尽処に親兵衛政元に辞別す

五近習・ははかべ十郎・これかず・はとむね・まさもと・ねんぶつ・きんじゆ・きんじゆ・きかん太・よ四郎・しん兵衛・きじ六

 

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第百四十九回

「石薬師堂に賢少年朝賞を辞ふ 東山の銀閣に老和尚驕君を醒す」

馬を走らせて広当親兵衛を追ふ

ひろまさ・とも人・とも人・とも人・くミこ・くミこ・くミこ・代四郎・しん兵衛・くミこ・きかん太・きじ六

良薬苦口樹・石薬師堂

 

一休偈を説て画虎を度す

熊谷▲(ケモノヘンに爰)二郎・よしまさ公・いつきう・ぼん石天然がび山・一色とき馬

 

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第百五十回

「照文二書を捧て東藩に還る 両侯衆議を聴て京信を寛す」

八犬士姓氏勅許に就て照文賞禄を賜り丶大等共侶に両侯に拝見の処

小文吾・毛野・道節・てるふミ・現八・大角・荘介・信乃・清すみ・ときすけ・ちゆ大・よしさね・よしなり

 

★此処での紋は、道節が正面揚羽蝶、毛野は月星、小文吾が「古」字、現八が「犬」字、大角が蔦、荘介は雪篠、信乃が桐

 

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第百五十一回

「七犬兵を煉り夢想三使を行(→遣)る 定正将を連て水陸大軍を起す」

七犬士海辺に水戦を教煉す

八丁ろぞふ兵・よしみち・なほもと・三ばん手・はやとき・しの・どうせつ・小文吾・けん八・さうすけ・ざふ兵・大かく・ぞふ兵・ぞふ兵・毛野・八丁ろざふ兵

 

義通君の山猟に七犬士よく人馬を調煉す

より介の事ハ第百五十二回にありあハせて見るべし

よしミち・なほもと・どうせつ・小文吾・げん八・さう介・しの・より介・大かく・けの

 

すめばひなもおのつからなるみやこ鳥足とはし場のあか伝ゐるらむ  著作堂

せんさく・やちう次・なし八・せち介・なし八つま・小才次

 

★試記・住めば雛も自ずから成る都鳥、足と橋場の飽かで居るらむ/江戸名所図絵で橋場は都鳥の名所

 

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第百五十二回

「憲重憲儀聚兵使を同くす 行包在村忠奸諫を異にす」

憲重使して顕定の第に到る

あき定・たかさね・のりしげ

 

正庁に成氏両冢臣の意見を問ふ

しなかハ七郎・もちみ一郎・ゆきかね・なりうぢ・ありむら

 

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第百五十三回

「毛野計を呈る八百八人 丶大命を聴く善巧方便」

毛野大角延命寺の方丈に造る

大かく・けの・ねんぢゆつ・ちゆ大

 

南総里見八犬伝第九輯巻之三十三簡端附録作者総自評

稗官野史の言風を捕り影を逐ふ。架空無根、何ぞ世の人に裨益あらん。其要は只春の日に独坐の睡魔を破るべく秋の夕に寂寥の鬱陶を▲(翳の羽が巫)すに足るのみ。是をもて漢土に斉諧異苑の二書あり。国朝に浦嶋子伝続浦嶋子伝あり。便是和漢小説の鼻祖戯墨の嚆矢といひつべし。是より以降彼も我も其才に匱しからず。宇都保源氏物語の艶にして且花多かる水滸西遊記の奇くて且巧なる其文絶妙句句錦繍寔に是稗史の大筆和文の師表なるものから只其足ざる所をいはば源語は事皆淫娃に過て反て勧懲に詳ならず。水滸は勧懲隠微にしてよく是を悟る者なし。うち見は強人の義侠に過ずぎ。是も亦惜むべし。其大柢を知るも知ざるも又善読得ぬるも読得ざるも南倍▲(低のツクリ)戯墨を事とせる己が如き曲学者流は皆其顰に倣まく欲りして糟を舐り垢脂を拈る、和漢今昔幾人ぞ。其才あるは骨を換胎を奪ふて傑出なる大筆殆世に罕にて多かるは其骨を換ず胎を奪はで▲(クニガマエに勿)▲(クニガマエに倫のツクリ)呑なれば似て非なる者武を接ぐ、今に至て衰へず。蓋其筆の遠祖、伝へて稗史物の本に聖なる所以にあらずとせんや。抑古昔の文人才子の稗史物の本を作り設るに必古人の姓名を借用して胡意其事を異にす。譬ば源氏物語の光君竹採物語の赫奕姫{昔赫奕姫といふ美女三人あり。詳に吾放言に載たり。見るべし}。水滸伝の宋江等三十六人及彼晁蓋高▲(ニンベンに求)等西遊記の三蔵法師曲曲にいふまでもなし。足ざる者は意匠もて作り設て要に充つ。未生の人も亦多かり。水滸伝なる地殺七十二人西遊記なる孫悟空▲(コロモヘンに楮のツクリ)悟能沙悟浄及諸魔君の如し。毛挙るに遑あらず。

又憶ふに稗史は胡意其歳月を具にせず。是将作者の用心にて正史と同じからざるを示すなり。然ば本伝に名を出しし北条長氏の事などを見て思ふべし。彼長氏の伊豆より起りて小田原なる大森実頼を伐走らして其城に拠りしは明応三年の事にて本伝に所云文明十五年より一元十二箇年後なり。然るを本伝には当時の事とす。況安房の里見氏の山内扇谷の両管領と兵を構し事などはあるべくもあらず。か丶る事猶多かり。しかるに本伝の正史に合ふ処はさらなり作設けし条にも年号をしるししは本意に違ふに似たれども只看官の与に某の事は某の年より某の年までと意識の栞に做ししなり。然るを柱に膠せる者は虚実の間に遊ぶを知らで世を誣し俗を惑すとて憎み論ずるは腐爛に庶かるべし。毛鶴山が琵琶記の評に其伝奇なる蔡▲(邑に温泉湯気みっつ)にして後漢の蔡▲(邑に温泉湯気みっつ)にして後漢の蔡▲(邑に温泉湯気みっつ)にあらず、おのづから是別人なりと見るべしといひしは、婦幼の疑ひを解くに足る老実者の言に似たり。只琵琶記の蔡▲(邑に温泉湯気みっつ)のみならず西廂記なる鶯鶯の類伝奇にも多くありて古人の姓名を借用しぬる者此間の能楽降りて歌舞伎浄瑠璃本の如し。看官誰か実事とせんや。明の謝肇▲(サンズイに制)がいへらく、今の人稗史小説を見て其年紀事実の正史に合ざるあれば云云といふ者あり。かくの如くならんには正史を読に不如。其事の実に過ぎたるは閭巷の小児を悦するのみ。士君子の為に道に足らずといへり。寔に是扈言なり。

しかるに近属雄飛録の作者其書の中に本伝の実録と年紀合ざるを咎めて甚しく誹りしを予は烏滸しく思ひしのみ。歯に掛るに足ざれば当時解嘲に及ざりしを今思ひ出ければ筆の次に聊いふなり。然れば上に解く如く本伝なる里見父子並に八犬士てふ善士等は昔の里見氏にして昔の里見氏ならず。昔ありける八犬士にて昔ありける八犬士ならず。且本伝の歳月も則昔の歳月にて亦是昔の歳月ならず。いはでもしるき架空の言、畢竟遊戯三昧にて毫も世に裨益なし。這裨益なき技に幾春秋の意匠と倶に多く人工を費して老の至るを知ずやありけん。本伝都て百七十回、杖にはならぬ筆ながら只旦暮につくづくと幾遍物をおもへども思ひ難つ丶脚曳の山鶏の尾のしたり尾の、したり貌なる長物語は烏滸がまし。この烏滸人の烏滸のすさみにあなれども欲するよしは善を勧め悪を懲しつ世間に教ならして頑なる女子童蒙翁媼達の迷津の一筏にもなれかしとての所為なれば戯墨に筆を把り初ける。吾少壮の昔より懋て久しうなる随に六史九経女教女訓の貴きを手にだも触れず聖教賢晦の忝きを夢にだも知らぬ婦女子の予が綴れる物の本をのみ好て読こと年来になる儘に稍仁義八行の人身に在る道理をも不義隠▲(匿に心)の身を亡す所以をもおのづからに弁知りて近隣き人の女の子輩に教るまでになりにきとて其歓びを人伝に云云といはれしことあり。こは切てものことにして本意に称ひぬ。さりながら世の諺に云鰯の頭も深信によればなるべし。然ば是等の人の為に猶諄反して解くべきよしあり。

大凡稗史物の本に古人の姓名を借用するは上にもいひしことながら昔の孝子順孫忠臣貞女を誣て悪人に作り易べからず。其善悪を転倒せば縦新奇といふといへども勧懲に甚害あり。譬ば本伝なる金碗八郎孝吉は故君の為に怨を復して且二君に仕へず自殺しける義烈の士なり。又山林房八は身を殺して仁を為しし義侠の良民なり。倶に未生の人なれども是等を弑逆窃盗の大悪人に作り易られんは予が甘ぜざる所なり。稗史伝奇の果敢なきも見るべき所は勧懲に在り。勧懲正しからざれば▲(ゴンベンに毎)淫導欲の外あらず。或は善人不幸にして悪人の惨毒に死辱を曝す事なども作者宜く憚るべし。こも勧懲に係ればなり。因て意ふに和漢今昔学得たる奇才子あり。未君子の大道を得聞ざる才子あり。其才は是一なれどもいまだ学ばず又思はず遂に君子の大道を知ずして勧懲正しからん事は最難しともかたかるべし。

この故に予常にいふ。この故に予常にいふ。唐山にて大筆なる稗史の作者は皆能学得て君子の大道を知ざるはなし。▲(しか)るに其稗史中に淫奔猥褻の段間これあり。見て悟らざる者は作者時好に媚て這醜情を写したりとのみ思へり。豈然らんや、しからんや。其淫奔なる者は残忍兇悪の男女にして善人にはこの事なし。譬ば水滸伝に武太郎の妻潘金蓮が西門啓と奸通の醜態を写し又揚雄の妻潘巧雲が裴如海と奸通あるが如し。潘金蓮潘巧雲西門啓裴如海等は毒悪惨刻罪死を容ざる▲(ケモノヘンに竟)▲(号に鳥)虎狼の大悪人なり。這姦夫淫婦等が不義の淫欲に▲(身に耽のツクリ)りぬるを看官羨しく思はんや。便是勧懲に係る所後の姦淫を戒る作者の隠微を猜すべし。是よりして下冷山平燕を師として才子佳人の奇遇を作り設たる者近日舶来の小刻に特に多かる。好逑伝柳鶯囀の如きは僂尽すべくもあらず。孰も相似て時好に媚ざるにあらねども然しも只其真情を写して淫奔猥褻なる筆を要せず。則是本伝なる信乃と浜路の情態を見て思ふべし。其情態に好人と歹人の差別あるよしは又本伝なる籠山縁連と船虫と竹林巽と於兎子の如し。皆是水滸に潘金蓮西門啓等を作り設てもて邪淫の戒になしし心操に同じ。況や美少年録なる陶朱之助が荒淫の甚しきを予が筆には似げなしと看官思はば予が本意にあらず。那朱之助は後に陶晴賢と成登るべき弑逆の大悪人なり。他が少年なりし時淫奔なるを羨て誰か晴賢たらんことを願ふべき。是も亦勧懲に係るよしあるを思ふべし。只善にもあらず悪にもあらぬ貴介の公子閨門の麗人及び市井の男女の闕隙を鑚り相援きて野合の淫楽の痴情を宗と写す者は▲(ゴンベンに毎)淫導欲ならざることを得ざるべし。そは予がせざる所なり。

昔孔子の詩を削るや、猶淫娃の詞を遺して芟も尽さざりけるは後の戒を垂る丶なり。又心誅の文法をもて春秋を作るに及びて乱臣賊子は怕れしと云。果敢なき稗史物の本なりとも、学問の余力もてせる真の作者はこの心操を見すもありけり。しかるに本伝なる定正顕定成氏の如きは皆暴悪暗愚の君ならぬも酷く貶して作り做ししを看官訝しく思ふもいあるべし。彼定正顕定は其先世に主君持氏を弑し且乱世の蔽に乗して京都将軍の命令をもて持氏の幼息春王安王を生拘り害して且故君の職を横領しける不義逆悪の行ひあり。定正顕定は其児孫として大職を承続ぎながら徳を脩めて先世の罪を償まく欲せず屡成氏を攻伐走して君臣順逆の義を見かへらず剰扇谷定正は最後に仇の誣言を信容れて持資入道道灌を誅ししより兵権いよいよ衰へて子孫凋落せざるを得ざりき。こ丶をもて本伝には貶してもて愚将とす。又成氏の如きは冤家の為に立られながら時務を知ず、叨に憲忠を誅して鎌倉を追出され滸我に移りて其城をも顕定に攻破られて千葉に寓居したれども仁義をもて家を興すことを知ず。先父持氏の弑逆に逢るは乃祖尊氏の下剋上の余殃なるを悟らざりしは不賢なり。こ丶をもて貶たり。意衷は清の逸田叟が女仙外史に所謂春秋心誅の筆に倣ふといはんは烏滸がましかるべけれども、この余も本伝に褒貶あり。そは知る人ぞ知るべからむ。

又本伝に経文聖教を雑識ししを人或は訝咎めて物の本にはあるべくもあらぬに、かくては経文聖教を慢侮しぬるか僻事なりとて嗤ふ賢もあるならば、そは予が志と異なり。本伝は新奇の小説なれども其仁義を説き善悪を弁ずるに至りては虚実の二あるべくもあらず。いまだ四書五経を一語一句も学得ざる婦幼も本伝を愛読序に肇て其経文聖語の尊きを知るよしありて且感じ且悟りて学びの道に志す人しもあれ、と思ひぬる。只是老婆親切もて言儒経にすら及びたり。なでふ聖語を慢侮せんや。用捨は看官の随意なるべし。

 時己亥の秋▲(サンズイに七したに木)月著作堂の南窓に静坐して本伝の作者みづから評

 

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南総里見八犬伝第九輯巻之三十三口絵

賢童在里巷 貝宮莫佳人

賢童は里巷に在り。貝宮に佳人なし。

安西就介景重あんさいなりすけかげしげ・人魚にんぎよ

 

★本朝列仙伝巻三「白比丘尼(神社考)」に「若狭ノ州ニ白比丘尼トイヘル尼アリソノ父ハシメ。或山中ニイリテ。仙人ニアヘリ。トモニアルトコロニツレタチユケハ。人間ヲヘタテシ。別ノ世界ナリ。仙人トキニ。一物ヲアタヘテイフヤウ。コレハ人魚ナリ。コレヲ食スレハ。命ヲノヘテ。老ズト。父ウケテ家ニカヘリ。衣服ヲキカヘケルトキ。女ウケトリナヲストテ。袖ノ裏ヨリ。人魚ノヲチタルヲ見テ。スナハチトリテ。コレヲ喰ケルガ。ツイニ長生シテ。四百余歳ノ寿ヲ得タリ。世ニコレヲ白比丘尼トイヘリ 神社考ニ。人魚ヲ肉芝かと評せリ。肉芝トハ千歳イキタルヒキカヘルノコトナリ。ソレニハカシラニ。角ヲ生ジ。腹ニ丹色ナル文字ソナハレリ。コレヲナヅケテ。肉芝トイフナリ。ツ子ニ山中ノ精気ヲクラヘルモノナリ。人若コレヲトリテ。食スレバ。仙人ニナルナリト。抱朴子トイフ書ニイデタルヲ。本草網目ノ蟾蜍ノ註ニ引タリ。昔妃▲羽のしたに舁の臼なし/トイフ人。西王母トイヘル仙女ニアフテ。長生不死ノ薬ヲ得テ。カヘリケルヲ。其妻嫦娥トイフ者。ヒソカニヌスミトリ。コレヲ服シテ。ツイニ飛行自在ノ仙人トナリ。月宮殿ニ飛入シト事文類聚前集巻之二ニ見ヘタリ。白比丘尼ガ。ヒソカニトリテ食シタルモ嫦娥ニコトナラズ」とある。なお、貝宮は所謂〈竜宮城〉。「文妖」と呼ばれた元末江南の詩人・楊維禎の「龍王嫁女辭」に、「小龍啼春大龍惱、海田雨落成沙炮。天呉擘山成海道、鱗車魚馬紛來到。鳴鞘聲隱佩鏘琅、▲(王に橘のツクリ)姫玉女桃花妝。貝宮美人笄十八、新嫁南山白石郎。西來態盈慶春婿、結子蟠桃不論歳。秋深寄字湖龍姑、蘭番廟下一雙魚」とある

 

友はみなつはさをさめてねる小田に あたもる雁のひとりさかしき  ▲(頼のした鳥)斎

武田左京亮信隆たけたさきやうのすけのぶたか・磯崎増松有親いそさきましまつありちか

 

★試記・友は皆、翼収めて寝る小田に、仇守る雁の独り賢しき/一旦は関東連合軍の呼びかけに応じた武田信隆が実は里見に寝返る意図を秘めていることを示すと同時に増松の父・南弥六が偽清澄の首級を提げて蟇六に降り暗殺を期した孤忠を暗示する。悪に対する〈裏切り〉は戦術/方便として認められるとの倫理観を示している

 

野狐香餌斃 何待犬牙傷

野狐は香餌に斃る。何ぞ犬牙に傷らるるを待つか。

小湊目堅宗こみなとさくわんかたむね・東峰萌三春高とうみねもえざうはるたか・天嵒餅九郎あまいハもちくらう

 

★野狐香餌斃は政木狐の夫が鼠の胡麻油揚げに釣られて殺されたことを云うか。狂言「狐釣り」にある如く、近世には、狐は知性をもちながらも、罠の餌に強く惹かれ葛藤を生ずると設定されていたと思われる

 

たちもせめなかすはありと人しらし 山ほと丶きす雪のしら鷺  愚山人

鱆船貝六郎繁足たこふねかひろくらうしげたる・朝時技太郎あさときわざたらう

 

★試記・立ちもせめ、鳴かずば在りと人知らじ、山不如帰、雪の白鷺/飛び立つならまだしも、鳴かなければ在ると人は分からない、山不如帰や雪に紛れる白鷺は、間諜を歌う

 

〈廉吉彫ユ之〉

 

勁風盪艦 甘雨洗干

仁田山晋六武佐にたやましんろくたけすけ・大石源左衛門尉憲儀おほいしげんざゑもんのぜうのりかた

 

せんあくの池の無何有(むかう)にゐつ岡を貌姑射の山と箱鳥そなく  著作堂

天津九三四郎員明あまつくさしらうかずあき・貌姑姫はこひめ

 

★わかあしの池の無何有にゐる岡を貌姑射の山と箱鳥ぞなく、とも。箱鳥は郭公だが、世間知らずの箱の中の鳥/貌姑姫を指すのだろう。貌姑射山は仙境。世間知らずの者は、大したことないモノでも、絶対的存在だと感じてしまう。興味深いことは、貌姑姫も河堀殿も、伏姫や音音ほど明らかな正義感を見せないが、悪役としては描かれていない点。犬士に多大な迷惑をかける箙大刀自さえ、馬琴は完全な悪役としては描いておらず、〈許容できる愚かさ〉ほどの扱いに止めている。一般に、女性で目立つ悪役は玉梓・船虫・亀篠・夏引ぐらいのもので、この四人だけが応報されている。裏を返せば、「応報」が完全な悪役か否かの境界線となる。別に馬琴が、頗るつきの女好きで甘い態度をとりたがる暗愚の男であったとも思えない。女性に甘いというよりは、恐らく根拠もなく何となく、女性なる抽象的な概念に対して暗黙の信頼/甘えを寄せていたのではないか。……もぉ馬琴ちゃんったら、甘えん坊なんだから!

 

〈ホリ百次郎〉

 

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自評余論

或云近曾文人の好事なる江戸を東都と書て是に国字を施してアツマノミヤコと読せたるあり。遮莫みやこは皇居の地をいふべし。武蔵は古より皇居の地にあらぬに、みやこと称するは仮事なりと云国学者流の弁論あり。そは翁も知れるなるべし。然るを翁の作れる物の本毎に東都曲亭云々と録したり。こも仮事にあらずやと詰れるに予答ていへらく然なり、皇居の地をみやこと称するはみやところ{宮所}の略省なり。是に都字を借用したるは漢土にて天子の居る所を都といへばなり。か丶れども都の字義は猶多かり。正字通に天子所居曰都又十邑曰都又邑都名相通周礼距国五百里為都又総也聚也皆也歎美辞也凡言倶者曰都又麗也濶也と注したり。学者の知る所なれば具にせず。只其要を摘むのみ。是に由てこれを観れば和漢其差あるものから都の和訓みやこのみならずスベテといふにも用ひたり。すべては則都会の義なり。然ば東都と書てアツマノミヤコと読するこそ仮事なりといはれけめ。己は東都を字音にて則是トウトと読て東の都会といふ義に用ひしなり。かくはいへども唐山に東都西京の称呼あり。又天朝にて中葉より南楽を南都としもいへば東都を字音の随に読むとも都をみやこの義なりと思ざる者なからんや。然るを都会の都とすなるは牽強傅会なりといふ理論あらんか知らねども其頭の論議は物によるべし。抑吾作れる物の本は皆是無根の小説にて面正しくもなき技なれば作者の本貫を録するに胡意江戸といはずして則東都と称したり。この故に名号も曲亭主人と自称して玄同▲(頼のしたに鳥)斎としも云一二の雅号をもて著さず。予が別号のいと多かる其が中に馬琴曲亭の二称は始よりして戯墨にのみ用ひ来れる賤号なり。名号にすらこの用心あり。地名にも亦この心なからんや。ある人などて猜せざりける。予が編集玄同放言この余も真面目なる随筆には必姓名を見はして則江門と録したり。敢請世間億兆の君子物によりて予が用意にこの差別あるを思ふべし。吾少かりし時愆て只この一技に羈されしより名利の奴になりぬべき名の不可を今悔て及ばず。既にして痛く老たり大部かくの如き物の本を二たびは作りかたかるべくかばかりの事だにも今この或問微りせば後の人吾用意を悟らで必論するもあらんと思ふばかりに自評と倶に又この編を附記してもて後の譏嘲を解まくす。多弁は徳の害なりといふ文中子の為には恥べし。

○前板{第九輯巻の二十九、百四十六回より巻の三十二第百五十三回まで}五冊にも亦校訂の遺漏あるべしとは思へども今この五冊を稿じ果るまで前板いまだ彫尽さず才に一二冊成を告しを倉卒に披閲しぬるのみ。何ぞ今再訂に由あらん。そは又後板巻の三十六第百六十二回の簡端に録すべし。

                                             自評余論終

 

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第百五十四回

「百中売卜両将を倡ふ 風外風術巽二を招く」

高畷に両管領水路を浦人に問しむ

ひやくちう・うら人・うら人・うら人・しげかつ・のりかた・さだまさ・あきさた

 

谷山に風外房総の便路を指南す

さだまさ・しけかつ・のりかた・あきさだ・ふうぐわい・百中

 

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第百五十五回

「豊俊時を得て恩赦を請う 妙真愁愬して軍役に入る」

信乃小文吾夜音音等と密談す

ひとよ・ひくて・妙しん・りきじ・しやく八・おとね・小ぶんご・しの

 

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第百五十六回

「貞行奧に託て穉子を留む 毛野明に察して死囚を免す」

堀内の書院に智玉忠義信と倶に豊俊を鞫問す

さたすミ・は四郎・とよとし・げん八・どうせつ・さうすけ・けの・さだゆき・おとね〈・ひとよ〉

 

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第百五十七回

「上総の民孝義再恩を稟く 安房侯仁心軍令を定む」

仁義八行の徳以無理の大敵を待つ

げん八・小ぶんご・さうすけ・どうせつ・しの・けの・おち八・あみ七・ましまつ・くさ四郎・きよすミ・よしゆき・ともかつ・はやとも・たかむね・もえざう・さだすミ・なほもと・かひ六郎・ときすけ・さくわん・よしなり・よしみち

 

★此処での犬士の紋は、毛野が月星、信乃が五三桐、道節が正面揚羽蝶、小文吾が「古」字、現八が「犬」字、荘介が雪篠

 

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第百五十八回

「滝田の三士生拘を献る 扇谷の間諜仮使を導く」

三士路に技太郎を捕ふ

さふ兵・かひ六・わざ太郎・さくわん・もえざう・浦をとめ

 

猿八友勝と猿楽して餅九郎を釣る

妙しん・ひとよ・友かつ・さる八・もち九郎

 

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第百五十九回

「助友忠諌父の志に代る 信隆機変族の兵を借る」

定正怒て助友を斬らんとす

のりかた・さだまさ・のぶたか・すけ友・ぎよらん二

 

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第百六十回

「衛士相挑両枝の花 名将許容る内応の質」

女流を留めて憲儀豊俊の諜書を受く

ざふ兵・もち九郎・のりたか・ざふ兵・おとね・ひくて・しん六・友かつ・妙しん・ひとよ

明相(あけすけ)清英(きよひで)怪(あやしミ)て信有等(のぶありら)を生拘(いけとる)

 

あけすけ・のぶあり・きよひで・ともひと・ともひと

 

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第百六十一回

「重時異同両姓に逢ふ 義任藁人三勇を先にす」

鍛鉄以為刀剣冶心宜為武士

鉄を鍛え以て刀剣とす。心を冶して宜しく武士たるべし。

しげとき・さい太郎・ぼけ八

 

★稲荷を祀っている←鍛冶の神

 

この出像の本文ハ上下共第百六十二回に在り後板出るに及て詳なるべし

かず世・小文吾・みつかど・ざふ兵・ざふ兵・なりすけ・さい太郎・しげとき

今井河原の柵

 

八犬伝第九輯巻之三十六簡端附言

稗史小説の巧致たるやよく情態を写し得て異聞奇談人意の表に出るに在り。独軍旅攻伐の談に至りては里巷の小児を悦するのみ、士君子の為に道に足ず。譬ば水滸伝の如きも七十回より下に招安の事ありて宋江盧俊義等其徒一百人宋朝の為に遼を伐ち方臘を征するに至りては是を七十回までの新奇巧致の筆に比れば頗劣れるに似たり。こ丶をもて金瑞は七十回までを施耐庵の作として七十回より下百二十回までを羅貫中の作とし誣て続水滸伝とす。毛鶴山が如き善小説伝奇を見る者といへども猶金瑞が誣を信容て其七十回より下を続水滸伝といひしはいかにぞや。吾嘗こ丶に見るよしあり。抑水滸伝一百二十回は羅貫中が一筆に成る所其証文多くあり。然るに彼小説を評定したる李贄金瑞等いへばさらなりこの他明清の文人墨客水滸をいふ者多かれども一人として彼作者の無量の隠微あるを悟れるなし。この故に吾亦戯れに水滸の隠微を発揮国字評して命けて拈花窓談といはまくす。然りけれども老眼年々に衰邁して今は筆硯不如意になりぬ。果すべきや否を知ず。そは左まれ右もあれ本伝第九輯に至りては二三十回皆車旅攻伐の事ならざるはなし。羅貫中の大筆なるすら修羅闘諍は余韵始の如くならず。況や己が如き▲(車に全)才もて本伝力戦の談までも看官の飽なくなさんは最難しとも難かる技なり。遮莫水滸は征伐二度に至りて百八人の義士多く戦歿して最後に宋江李遶等毒を仰ぎて死に至れり。看官遺憾しく思ふめれど、こは勧懲に係る所果敢なく局を結べるは則作者の用心なり。然れば本伝は用意彼と同じからず、この力戦の故をもて里見十世の栄を開く花あり実あり約束あり。且性情仁義の致す所、実に是大団円の歓びを尽すに足るべし。看官本伝の水滸に模擬せし所これあるを知ども作者の用心始より水滸に因ざるを知らぬも多からむ。然るをこ丶にも後世金瑞に相似たる評者あらば九輯軍旅の二三十回を誣て続八犬伝として吾筆ならずといふもあらんか。夫隠たるを求め怪を述作る小説野乗の果敢なきも其大筆に至ては筆作者の隠微あり。是を弄ぶ者は甚多く是を悟る者の得易からぬは昔も今も同じかるべし。この故に吾常にいふ、達者の戯墨を評する五禁あり。所謂仮をもて真となして備らんことを求る事評者只其理論をもて好む所へ引つくる事作者の深意を生索にして只其年紀などの合ざるを見出さまく欲するは俗に云穴捜の類なる事前に約束ある事の久しくなるまで結び出さざるを待かねて催促しぬる事神異妖怪は始ありて終なく出没不可思議なる者なり。然るを其出処来歴を詳にせまく欲りし其消滅して終る所の安定ならん事を求るは惑ひのみ。作者の本意にあらざる事大凡この五禁を知りてよく吾戯墨を評する者あらば、そは真実の知音なるべし。寔に無益の弁なれども人我泰平の余談によりて飽まで食ひ温に被て文場にさへ遊ぶ者米銭をいはずして唔譚に春の日を銷しぬる。彼も一時なり此も亦一時なるべし。抑吾戯墨物の本の殊に時好に称ひしは弓張月及南柯夢胡蝶物語小冊子は傾城水滸伝新編金瓶梅この他猶あるべし。就中本伝は世の人いと喋々しきまでに愛覆りて弄ぶ随に江戸及浪速なる戯場にて屡是によりたる戯箪の出しを見き。又大阪にて浄瑠璃に作れるあり。其院本は長編にて四冊ばかり出たりとか聞にき。況錦絵には八犬士を画きたる者京江戸大阪にて年々に彫りて今も猶出すめり。只是のみにあらずして諸神社の画額及燈籠にも犬士を画ざるは稀なり。或は箆頭店の布簾新製の金欄鈍子或は煙包団扇紙鳶小児の肚被にすら画きしを見き。然ばにや、閭巷軍記の岐坊講釈にも、をさをさ本伝を読てもて世渡りに做せるありとぞ、人の告るに依て知りぬ。其時尚に称ふことかくの如きに至れるは我ながらうち驚くまでにいと怪くもある哉。己戯墨に遊びしより無慮こ丶に五十年、客舎に盧生の枕を借らでも稍覚むべき比なれば細字は▲(リッシンベンに頼)く不如意になりぬ。然ば本輯又五巻を稿じ果さば其折則硯の余滴に戯墨の足を洗まく欲す。筆硯読書皆排斥して徐に余年を送るに至らば静坐日長く思慮を省きて復少年の如くなるべし。

  天保十一年肆月小満後五日

                          蓑笠漁隠

 

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八犬伝第九輯巻之三十六口絵

賢而事賢譬以魚水

賢にして賢に事(つか)えること、魚水を以て譬える。

大樟村主俊故おほくすすぐりとしふる・盾持▲杖朝経たてもちけんじやうともつね

 

★蜀の劉備と孔明の関係を「水魚の交わり」と謂う

 

鳥けものたけきはあれとぬしをしる心さかしき犬にしかめや  愚山人

上水和四郎束三うハみすわしらうつかみつ・赤熊如牛太猛勢しやぐまにょぎうだたけなり

 

★試記・鳥獣、猛きはあれど、主を知る心賢しき犬に如かめや

 

神明有祭祀之俗 仁君無不敬之臣

神明に祭祀の俗あり。仁君に不敬の臣なし。

荒川太郎一郎清英あらかハたろいちらうきよひで・印東小六明相いんとうころくあけすけ

 

沖津波風をさまりてゆるきなき君か世まもるいハむろの神  ▲(敕のした鳥)斎

朝寧ともやす・小幡木工頭東良をはたむくのかミはるよし・白石城介重勝しろいしぜうのすけしげかつ・朝良ともよし・憲房のりふさ

 

★試記・沖津波風治まりて揺るぎなき君が世護る岩室の神

 

火牛勝万馬 勍風何▲(ニンベンに且)水

火牛の万馬に勝つ、勍風、何ぞ水を浅くするか

真間井樅二郎秋季ま丶のゐもミじらうあきすゑ・継橋綿四郎高梁つぎはしわたしらうたかやな

 

たつになるきつが(なカ)身ふたつこ丶のつの尾上の松といつれ久しき    半閑人

木曽三介季元きそのさんすけすゑもと・狐龍精石こりやうのせいせき

 

★試記・龍になる絆身二つ九つの尾上の松と何れ久しき/第一回に於いて早くも里見義実は中国・春秋期の覇者・晋文公/重耳に擬せられている。どうも「春秋左氏伝」は馬琴の愛読書だったようだが、文公は日本でも人気のキャラクターだ。信乃と同様に自らの入浴シーンを仲間に見せびらかし契りを結びに至る深窓令嬢タイプの別嬪・大角の挿話は、重耳が異人である証拠を見ようと或る者が欲情……浴場を覗く場面と無関係ではなさそうだし。重耳の各種エピソードは、江戸人士周知のものであったろう。重耳は端的に言えば、貴公子でありながら二十年近い放浪を余儀なくされた挙げ句、故郷に戻って覇者となった劇的人物だが、此の放浪を支えた者こそ、忠なるかな忠、信なるかな信、二匹の狐であった、といぅのは冗談だけれども、狐兄弟が重耳を重耳たらしめたってなぁ本当の話だ。晋の名臣・狐突の息子・狐毛と狐偃である。さて、重耳と違って義実の〈放浪〉は結城合戦後の数日に過ぎないが、後の二十年ばかりは国主でありながら起伏あり、〈放浪〉と同値の生涯とも言える。関東管領軍を撃退し、初めて安堵する。重耳に擬せられる義実を支えていた者は、杉倉木曽介氏元と堀内蔵人貞行であった。こう考えると、登場人物設定に当たる口絵賛で「狐龍精石」政木狐/と木曽三介季元が並べられている点は、まことに興味深い。口絵の人物評には、対称的な複数を描くもの・対決する二人を描くもの・同類を纏めて表現するものがあるが、此の第九輯下帙下編上の六枚のうち他五枚は何連も、同類を纏め表している。狐龍・季元も同類とすれば、共通項は「狐」であろう。即ち、季元を狐とすれば父の氏元も狐であって、氏元は、重耳に擬せられている義実が〈放浪〉するときに従った狐、狐毛もしくは狐偃に擬することが可能となる。狐毛は地味なので多分、狐偃なんだろうが……、但し、氏元を狐として、木曽もしくは杉倉なる木曽の山名を「狐」に結び付けた馬琴の意図は、現時点で筆者に妙案はない。木曽は山深く、狐の話には事欠きそうにないが、或いは、十返舎一九が取り上げた〈木曽の狐膏薬〉あたりか。……長くなりついでだ、狐といえば犬士中、天然自然の媚びを以て、堅物ばかりの犬士さえ誑かしたるは天晴れ至極、それもその筈、女の変生、一億人のdesired旦開野犬阪毛野胤智、諏訪の八百八狐の、狐火まつわる大軍師……に就いて語らねばなるまい。いや、直接に毛野の話題ではない。諏訪の話だ。明和三年作とされる「本朝二十四孝」である。作者は、希代の浄瑠璃作家・近松半二……だけではなくって三好松落・竹田因幡・竹田小出・竹田平七・竹本三郎兵衛と盛り沢山だ。盛り沢山は、作者だけではない。武田信玄親子、長尾/上杉謙信親子、山本勘助、北条氏時、足利十二代・十三代将軍、斎藤道三など戦国名士たちがウジャウジャ出てくる。しかも伏線張りまくりでウカウカしてると蹴躓き、ワケが分からなくなる代物だ。互いに化けて化かし合い、やや唐突ながらも次々に登場人物が正体を現していって最後に川中島合戦の名場面、信玄・謙信の一騎打ちまで遣らかすが、史実なんざ糞食らえ、「そんな話は聞いていない」って無責任なドンデンガエシ活劇なんだが、非常にビジュアルで、しかも目まぐるしい程にテンポが良い。夜長の友に最適な一作だが、ネタをばらすと興味は半減、ストーリーに就いては読んでいただくとして、えぇっと、「本朝廿四孝」には最重要のアイテムとして「諏訪法性の兜」なる妖しいものが登場する。此の兜は諏訪社の宝器で、八百八の狐が守護しているって設定。狐は諏訪の使である。一途な女性が恋人のため法性の兜を携え、まだ狐が走っていない/安全なほどには固まっていない、諏訪湖の氷上に月夜、裾を乱し鬢解れさせ汗ばみ喘ぎ、しかして決然と駆け抜けていく。其の凄絶たるエロティシズムたるや、まことに秀逸である。浮世絵なんかでは、此の女性・八重垣姫の腰と云わず肩と云わず、白狐がウジャウジャ纏わり付いていたりするけども、文中では、「兜を取て押戴。押戴きし俤の・若しやは人の咎んと。窺ひおりる飛石伝ひ。庭の溜の泉水に。映る月影怪しき姿。はつと驚き。飛退しが。今のは慥に狐の姿。此泉水に映りしは。ハテめんよふな。とどきつく胸。撫おろし撫でおろし。怖々ながらそろそろと。差覗く池水に。映るは己が影計。たつた今此水に映つた影は狐の姿。今又見れば我俤。幻といふ物か。但迷ひの空目とやらか。ハテあやしや。と右つ左つ。兜をそつと手に捧げ覗けば又も白狐の形。水にありあり有明月。不思議に胸も濁江の。池の汀にすつくりと。眺入て立たりしが。誠や当国諏訪明神は。狐を以て使はしめと聞きつるが。明神の神体に等しき兜なれば。八百八狐付添て。守護する奇瑞に疑なし。ヲ丶夫れよ。思ひ出したり。湖に氷張結むれば。渡初する神の狐。其足跡をしるべにて心安ふ行来ふ人馬。狐渡らぬ其先に渡れば氷に溺る丶とは。人も知つたる諏訪の湖。たとへ狐は渡らず共。夫を思ふ念力に。神の力の加はる兜。勝頼様に返せと有る。諏訪明神の御教。ハア丶忝なや。有難や。と兜を取て頭にかつげば。忽姿狐火の。爰に燃え立ち彼所にも。乱る丶姿は法性の。兜を守護する不思議の有様……後略」巻四。諏訪神と狐の関係のみならず、水の不可思議な鏡が憑依したモノの姿を暴き映し出す様など、なかなか参考になる

 

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第百六十二回

「悌順慈善生口を流す 荘介信義三舎を避く」

荘介対陣して射て旌の緒を断つ

さうすけ・かげしげ・のぶしげ・つまありまた六・よりミつ・をぎの井三郎

 

★荘介の幟は雪篠

 

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第百六十三回

「荘介伏を設て夜将衡を擒にす 小文吾勇を奮て鷲熊を撃つ」

今井の夜戦に寄隊敗績す

よしゆき・まさひら・としふる・ともつね・まさつね・むらとり

 

鷲▲(周に鳥)非不強羆熊非不猛惟不如是犬之真勇

鷲▲(周に鳥)は強からずにはあらず。羆熊は猛からざるにはあらず。惟(た)だ是(これ)犬の真勇に如(し)かざるなり。

赤熊によぎう太・小文吾・上水和四郎

 

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第百六十四回

「残兵刃を奪ふて窮君を売る 水軍艦を寄せて敗将を載す」

小文吾小梅に自胤を破る

としふる・ともつね・小文吾・よしゆき・たるぬき・ざん兵・よりたね・ざん兵・ざん兵・とも久・もろのり

 

一歩を譲りて小文吾旧恩を復す

小文吾・しげとき・よりみつ・ともよし

 

荘介鎗をもて撻て且憲重を生拘る

荘介・のりしげ・のぶしげ・かげしげ・いるまの九郎・まつ山五六・つじ七・きと介

 

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第百六十五回

「一虜を挟て現八橋梁を断つ 火豬を放て信乃戦車を焼く」

顕定駢馬三連車を作る

たかさき八九・ぎよしや・きりふの五六・ぎよしや・もりさね

〈英泉画〉

 

 

長阪橋に現八単騎にて大敵四万を懲退す

げん八・もとゆき・しげかつ・なりうじ・ありむら・あき定・のりふさ

〈英泉〉

(現八の旗指物は「犬」字)

 

 

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第百六十五回下

「既出」

岡山の囲に顕定戦車を連ねてもて軍威を振ふ

あきさだ・しげかつ・げん八・ぐきやう二・なほもと・しの・はや友

 

摩利支天河原に西妙流猪を憐む

しづのをとめ・たじ兵衛・さいミやう・むら人

 

火猪の大功信乃現八双で寄隊を破る

現八・しの・あきすゑ・たかやな・あき定

 

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第百六十六回

「衆侠を以孝嗣源公子を援く 西使を果し来て仁景春を敗走らしむ」

義通善射勍敵を斃す

白はま十浪・よしミち・あさひなさん弥・白井の兵・白井の兵・白井の兵・白井の兵・白井の兵・しらゐの兵〈・七らう二郎〉

 

孝嗣大に景春と戦ふ

じだん次・たかつぐ・ふなざう・すて吉・いさん太・白井の兵・白井の兵・白井の兵・かげはる・白井の兵・白井の兵・白井の兵

 

犬江親兵衛騎馬大河を渉す

きかん太・しん兵衛・よ四郎・きじ六・めぬ九郎・だん五・きしや五郎

 

八犬伝第九輯下帙下套之中後序

智は知なり。人生れて耳目の及ぶ所物として知ざるはなし。知るといへども其理を極めて是を弁ずるにあらざれば智の要を為さず。格物致知は則学者の先務なり。雖然是を知る而已にして慧なき者は悟るに由なく才なき者は智を致すこと得ならず。この故に智慧と云才智と云。仏説に所云般若は智慧なり。智と慧と具足して悟るべく致すべきを才と云。智慧も亦大なる哉。蓋智と慧と相佐けて用を做すや譬ば人の身に魂と魄と有るが如し。魂は則心神なり魄は則神系なり。人の心の欲する所魄の資助にあらざれば手を動し足を運し動静云為坐臥行止一も其如意ならず。智慧と才幹と相佐けて善致すことあるも是理りをもて知るべき而已。

然るに智に上智あり邪智あり。上智は良善の事に用ひて毫も奸悪の事に移らず。進退必度に称ふて動くといへども跌かず。是を賢才睿智といふ。才は智の垂なる者なり。是を以難しとす。才なく智なきは則下愚なり。又邪智は奸悪の事に用ひて仁義の心なく進むを知りて退くことを思はず動くときには人に害あり。奸民盗児の才あるは多く是なり。或は又良知にして心正しく博く学び得て奇才あれども命凶にして用ひられず且勢利に附かず富貴を羨まず同好同志の友稀なれば但いにしへの聖賢を師とし友として隠居放言春日秋夜を長しとせず常に書を著して、もてみづから其智を籠にしぬる者あり。元の羅貫中清の李笠翁是に庶とせんか。是より下唐山にて云稗官者流国俗の云戯作者是なり。そが中に彼大筆と陋筆あるは猶白狐と野狐あるがごとし。桂も柴も一縢に人見て並て狐と呼べども白狐は野狐の野に遊ばず功徳無功殊なればなり。然るを柱に膠せる村学究は玉と石とを択も得せず或は那才を忌み或は彼名を▲(女に冒)む者其書に出ると聞く毎に遮りに眉をうち顰めて是等の漢かくの如き学問ありながら何とて儒になりて章句を誦し子弟に教て真の道を伝へざるや。只是意匠を費し紙筆を費し多く梓棗に災して世を誣ひ俗を惑せる是憎むべし厭ふべしと呟くも間これあり。是等は腐乱の偏見而已蓋博く学得て退きて戯墨に遊ぶ彼大筆なる作者は然らず。

大凡経籍言葉章の学びは和漢の先哲叮寧に注疏して学者を教導くものから世俗は皆教を厭ふて無用の空言を歓び或は又奇を好みて人の好歹を聴まく欲す。こ丶をもて達者の戯墨に遊べるや、事を凡近に取て誼を勧懲に発し空言以塵俗の惑ひを覚す者水滸西遊三国演義平山冷燕両婚交伝の五奇書あり。文章巧致奇至妙其深意を推考れば則斉諧を鼻祖として反て三教の旨に違はず釈氏の所謂善巧方便五百の阿羅漢二十五の菩薩の功徳に伯仲すといふとも過たりとすべからず。しかれども水滸の如きは彼土なる具眼の者もよく其深意を悟れるなし。況や此土の俗客婦幼は漢文俗語を一行も読得べきにあらざれば通俗解詁の一書なきは其書舶来して久しくなりぬるも其趣を覘ふに由なし。只俗客婦幼のみならず、をさをさ戯墨を事としぬる名人達もよく唐山の俗語を読得て師としぬるや否を知らず。吾其冊子を一巻だも取て閲せざればなり。但作者の用心は寧勧懲の二字にあり。然るを淫娃を旨とせる者時好に媚時好に称ふて書肆の▲(黒土オオザト)を賑せるは吾羨ざる所なり。因て昨の非を知るよしあり。

寛政文化の間に吾戯墨なる臭冊子てふ合巻物の画本にはいと恥かしきまでにいかにぞやと思ふもなきにあらず。然れども近曾は年々に吾編次ぬる合巻物の本は新編金瓶梅を除く外一書も新作あることなければ小利を欲する似而非書肆等が吾旧作なる物の本を恣に再板して画を新くし書名を更めたるもあり更めざるも皆新板と偽り記して看官を欺き作者を蔑如にしぬるあり。是等はいかなる心ぞや。既に去歳の冬も文化中吾旧作なる賽八丈てふ絵冊子の画を更めて恣に翻刻して新板と偽り記ししもの出たりと聞えしかば吾是を詰りて新板の二字を削らせにき。然るを其書肆今茲も亦懲りずまに文化三年丙寅の春出たる吾旧作大師河原撫子話てふ画冊子を又恣に再板して本文の画を減し端像二頁を附増て像賛をさへ書加え詞書をも増減して画は旧刻に由らず事皆恣にして是を新板と偽り記ししを告る者あるにより速に其偽を咎めて云云といはせしかども素より利の為に理義を弁知らぬ烏滸の痴漢なれば只強情を事として亟に承伏せずと聞えたり。畢竟児戯の冊子なれば恁る僻事をせらる丶とも久しく世に胎るべくもあらず。三十五年前の旧作なれば今の婦幼は欺れて新板なりと思ふもあらむ。又吾旧作なる物の本を多く蔵めたる壮佼達はふるしといふとも必知るべし。然るを一時の瞋怒に乗して彼烏滸人の己が自恣傍若無人にて理義も廉恥も弁知らぬにしうねく懲さんは大人気なしと思ひ棄てものせざれども実に是憎べし。彼も此も吾虚名を愆り知らる丶戯墨久くなりぬれば名号をしも誣て売らる丶烏滸の僻言を見も聞もしぬるうるさ丶よ。

本伝既に末三巻六回になりにたり。速に局を結びて四方の看官に彼杣木樵る斧の柄の朽しを知せまく欲りす。然らでも老眼衰▲(目に毛)して編述不如意になりたれば爰に戯墨の筆を絶つべし。嚮に画工佐藤正持が武北の旅舎にて八犬士を画きて贈り来せしに題する歌

     根はひとつ 葉ずゑはやつにおく露のあはにつどひて玉となりぬる

粟と安房とは同訓にて盧生が夢は五十年又吾戯墨も五十年只一炊の隙ならで嗚乎久しい哉吾衰へたる。吾夢にすら思ひ寐の腹稿将に尽さまくす。後序に代たる口状は老の諄言ながながしとて飽れやすらむ。已なむ已なむ。

   天保十一年陽月      

 

                                           蓑笠漁隠

 

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八犬伝第九輯下帙下套之中口絵

性美而名亦艶汝是佳人後身  愚山人

性は美にして名もまた艶、汝これ佳人の後身

潤鷲手古内美容うるはしてこないよしたか・振照倶教二弘経ふるてりぐきやうじひろつね

 

あされともあハてぞかへるわか鷹の 夢には何をまつのしけ山  ▲(頼のした鳥)斎

梶原后平二景純かぢハらごへいじかげすみ・長尾太郎為景ながをのたらうためしげ

 

非是穿兪之鼠輩当為知王之狗党  信天翁

是(これ)穿兪の鼠輩にあらず。当(まさ)に王を知る狗党たるべし。

二四的寄舎五郎やつあたりきしやごらう・須々利壇五郎すすりだんごらう

 

★狗党は字面からして相当に悪印象で〈ごろつき〉ほどの意味だが、語感から孟嘗君の多彩な食客を意味する鶏鳴狗盗の狗盗を思い出させる。党はPartyであり一つの旗印の下に集まった集団ぐらいの意味だから、王を知る〈狗の仲間〉となろう。馬琴得意のダブル・ミーニング

 

沖の石をさしあけ潮に影みちて たへなるちなみ(ちからカ)もちの夜の月  半閑人

三浦陸奥守義同みうらむつのかミよしあつ・三浦暴二郎義武みうらあらじらうよしたけ

 

★試記・沖の石差し上げ潮に影満ちて、妙なる千波望の夜の月/これも文庫本印刷の都合で読めない部分があるのだが、筆者は写真が趣味で少年の頃は夕焼けだというだけで心切なくなり撮りたくなったものだけれども、海の千波/無数の細波が銅色に輝き且つ暗く落ちる油絵タッチのコントラストは、如何しようもなくアハレなるものだ。千波は美しい。銀には魔を払う力があり貴人の箸には銀箔を施して毒を察知しようとしていた日本なる民俗に於いて、銀なる月は、猥雑なる虚飾を拭い去り、世界を形/影だけにする。千波/細波が形成するグレーと暗黒の小刻み且つ揺らめく模様は、心を固まらせ鏡の如くする。或は己を責め或は自ら励まし、とことん素直にさせる聖なる夜景を詠めば、斯くの如きか。趣味を離れて「ちから」と読めば、天命による力/里見勢が海の向こうから押し寄せ三浦の城を落とす様を写すとも。海族・三浦ゆえに海に縁する歌を詠むか

 

臨難苟不免瓦礫場片玉葱韮中▲(クサカンムリに恵)蘭  蓑笠漁隠

難に臨みて苟も免がれず。瓦礫場の片玉、葱韮中の▲(クサカンムリに恵)蘭。

箕田源二兵衛后綱みたのげんじひやうゑのちつな・河堀刀祢かハほりとの

 

も丶あまりやそちめくりに書つめて人に見せぬるゑみのくさはひ  曲亭陳人

山鳩やまはと・里見次麿実尭さとミつぐまるさねたか

 

★試記・百余り八十路巡りに書き詰めて人に見せぬる笑みの草這い/馬琴は二百以上の作品をものしたとされるが、七十を過ぎた此の時点でも執筆…口述? を続けていた。十年を単位として七十を超せば八単位目であり、「八十路巡り」と謂うたか。やや卑下した自評

 

里見八犬伝、一百八十一回、以多歳苦楽将尽稿、因而自賛曰。

知吾者其唯八犬伝歟

不知吾者其唯八犬伝歟

伝伝可知可知、伝可痴可知(上ノ伝以下十一言読以音)

敗鼓亦蔵革以傚良医

  辛丑孟春

                         七十五翁 蓑笠又戯識

里見八犬伝。一百八十一回、多歳の苦楽を以てまさに稿を尽くさんとす。よりて自賛して曰く、

吾を知る者は、それただ八犬伝か。吾を知らざる者も、それただ八犬伝か。ででかちかちでかちかち(上の伝以下十一言は音を以て読む)

敗れ鼓もまた革を蔵して良医に倣う。

  辛丑孟春

                         七十五翁 蓑笠また戯れて識す

 

★「吾を知る者は、それただ八犬伝か」余りにも有名な馬琴の詠嘆である。此の句を聞けば、或いは「孟子」巻六縢文公章句下「世衰道微邪説暴行有作臣弑其君者有之子弑其父者有之孔子懼作春秋春秋天子之事也。是故孔子曰知我者其惟春秋乎罪我者其惟春秋乎」を思い出す人も多いだろう。史記世家伝の孔子条にも、同様の台詞はある。そしてまた「第五才子書施耐菴水滸傅卷之一」の「聖歎外書序一」には、「無聖人之位則無其権、無其権而不免有作、此仲尼是也。仲尼無聖人之位而有聖人之コ、有聖人之コ則知其故、知其故而不能已於作。此春秋是也。顧仲尼必曰知我者其惟春秋乎罪我者其惟春秋乎」がある。ちなみに「孟子」は「(呂氏)春秋」を孔子の作としているが、現在では否定されている。さて、史官を務めたこともあるという孔子は周時代の歴史を描いた春秋に惚れ込んでいたようだが、それは偏に、春秋が人の世の理を教えているかのように思ったからだろう。当時の状況を幼稚なパワーポリティックスで分析することも当然、可能だ。力強き者が克つ。当たり前のことだ。力強き者とは例えば巨大な軍備を有つ者だが、何故に巨大な軍備を有つに至ったかといえば、天然自然気候資源災害など地の利も影響するけれども、物理的条件を同一対照とすれば、より多くの人の心を集めた者が強くなる。より多くの人の心を掴むためには例えば物資の豊富な分配も有効だが、これとて物理的条件を同一対照とすれば……と唯物的に論を重ねると独り〈人のココロ〉そのものの理コトワリが残る。確かに現在の世界には多様な価値観が存在する。価値観とは、ココロの形とも言える。そして世界は前提として各地各所で物理的状況を異にする。「価値観が違う」と聞けば人のココロの在り様が、個々人で全く根本を異にするかの如く思えたりするけれども、実は置かれている物理的状況にココロの表層が影響されて多様な変態を示しているに過ぎず、根本たる所の者は、実は人によって代わり映えする程の差がないかもしれない。そして、根本とする所のものは、「善」もしくは「仁」かもしれない。此の「かもしれない」を極端なまでに信じ切り断定すれば、孔子の一丁上がり、となろうか。衣食足って礼節を知る、とは論語にある句だ。上記の如く考えるとき、初めて史家は過去を見詰める勇気を得る。時を共有する個体間でさえ表皮によって絶対的に隔絶されている。いわんや時空を越えて、人は人を理解することが出来るのか? この単純素朴な不安を払拭するための信念が、史家の最低条件であり、孔子には孔子流の信念があったのだ。当時の史書には、冷徹なパワーポリティックスによって強き者が弱き者を虐待する様がテンコ盛りだ。が、そのような中にあって一部の者は理想を失わずに苦闘し、そのうち一部の者は権を握り平和な時代を築いた。背後に無数の挫折が隠されてはいるが、ごく一部でも挫折を乗り越える者がいた、その存在証明が、当時の「史」であったように思う。愚かさも弱さも散々に書き連ねつつ、〈人〉には理想を抱く力もあると主張する者こそが、「史」であった。孔子にとっては「春秋」の描く「理想」が、趣味にピッタリ合致したのだろう。言い換えれば、孔子の「理想」そのもの、現実的な状況/環境をも含めて描いた者が、「春秋」であった。故に初めて、「理想」たる「春秋」のみが、孔子を「知り」そして「罪する」ことが出来る。これは、馬琴に言わせれば、八犬伝をはじめとする「稗史」に庶い。通念としては、「史」は客観性をもたねばならぬ。このことは、近世でも同様である。実現していたか否かは全く別の話だが……。事実を理想に則って選択・強調したものが孔子の「春秋」なら、理想に則って事実を創作・捏造・歪曲することが馬琴の「小説/稗史」であった。では、馬琴の詠嘆、「知吾者其唯八犬伝歟不知吾者其唯八犬伝歟」は、八犬伝が馬琴の理想そのものであると言っているのか。……そんなワケがない。孔子の場合は、自分の理想と「春秋」がピッタリ合致したからこそ、「知我者其惟春秋乎罪我者其惟春秋乎」なんである。自分を理解しているだけでなく、自分が理想を外れたときには罪する/引き戻すことさえ出来て、はじめて〈ピッタリ合致〉していると言える。孔子の場合は、自らの〈枠〉が「春秋」と合致しているからこそ、其処から出られない。此の過剰な〈自律〉こそ、孔子が「聖人」たる所以だ。しかし馬琴の場合は、「不知吾者其唯八犬伝」との後半がある。即ち、馬琴の〈枠〉は八犬伝を軽々と超えている。……それにしても変だ。それまで馬琴は本文で或いは序で、八犬伝は「婦幼」の為に掲げる理想の光だと何度も口角泡飛ばす勢いで述べている。にも拘わらず急展開し、「まぁ世の中、八犬伝みたいには行かないわな」みたいに言われたんじゃぁ、読者は良い面の皮だ。鯱張って高論を長々と捲し立てた挙げ句に、「……って、みぃんな嘘! てけってってってん」とヒョコヒョコ退場しようと言うのか、七十五歳翁・馬琴。そうではない。先立つ「第九輯下套下」序で馬琴は、先立った息子・興嗣の詩を載せている。「休向世間訴不平…」だ。此の詩自体は八犬伝に向けたものではないが、馬琴には「小説に昇華して高い評価を受けてるけど、結局は世の中に拗ねてるだけじゃん。近所に友達も居ないし」ぐらいに聞こえたんだろう。心当たりがあったに違いない。老境に至り、漸く大作の結局が近付いた。友人たちは世辞にも誉める言葉を贈って労ってくれている。旧友は、是非とも自分の句を掲載してくれと擦り寄ってくる。頑固爺も得意になっただろう。其処に「世の中に拗ねてるだけじゃん」。口走った者は、若死にした息子である。目の前にいるなら親子喧嘩して日記に怒りをブチ撒け終わったかもしれない。が、死者は絶対的存在である。裸の王様が、七十五歳にもなって裸にひん剥かれたことを悟ったら、心中如何ばかりか、察するに余りある。……「休向世間訴不平」の詞はテクストに過ぎない。「世の中に拗ねてるだけじゃん」、此の答えは馬琴の胸中にこそあった。八犬伝で理想を描いた馬琴は、理想と相反するモノをも包含してしまっている馬琴だ。「知吾者其唯八犬伝歟不知吾者其唯八犬伝歟」である。私は馬琴を「世の中に拗ねてるだけじゃん」とは思っていない。人には、それぞれの才能/得意分野がある。馬琴は革命屋ではない。しかし現実の矛盾/人のココロからの乖離を鋭く衝いていることこそ、馬琴の才である。これは他の何人も能く成し得なかったものだ。馬琴、あんまり自分を責めるんじゃぁないよ……と筆者も「稗史/事実の捏造」を気取ってみた。てけってってんてん。失敬

 

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第百六十七回

「奔馬北るを逐て犬江暴雛禽を籠にす 再戦場に親兵衛五知己に会す」

親兵衛馬上に為景を擒にす

為かげ・しん兵衛

 

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第百六十八回

「三陣を衝突して霊豬再功を奏す 旧恩を報答して戍孝前言を全うす」

霊猪二たび神力を見す

なりうじ・伏姫神霊

 

征箭を飛して信乃怨を復す

しの・もとゆき・あり村(信乃の衣布に「義士山林房八之紀」)

 

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第百六十九回

「野坑を擡出されて親兵衛賜を受く 風葉を帚除して諸勇士立談す」

底不知野に信乃親兵衛を救ふ

しん兵衛・やすのり・かげすミ・しの

 

信乃松下に君命を親兵衛に伝ふ

すて吉・じだん太・いさん太・ふな三・あきすゑ・しん兵衛・しの・たかつぐ・よ四郎・はや友・きじ六・きしや五郎・なほもと・げん八・だん五郎

 

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第百七十回

「神薬施し得て敵兵再生す 現八箭を抜て水死の将を活す」

箭斫川に現八敵将を▲(医のしたに巫)す

かこ・げん八・ざふ兵・水死の武者・ざふ兵・かこ

 

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第百七十一回

「神変を操りて伏姫猶子の初陣を華やかにす 旧君に謁して信乃父祖の忠義を詳にす」

成氏擒になりて夜三犬士に吊慰めらる

げん八・しん兵衛・しの・なりうじ・けいごの武士・けいごの武士・けいごの武士

 

親兵衛孝嗣等を領て今井の柵に造る

 

なり介・としふる・しげとき・小文吾・ふなざう・さう介・たかつぐ・じだん太・だん五郎・しん兵衛・きしや五郎

 

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第百七十二回

「定正水路に大兵を行る 音音江中に一船を焼く」

音音身を殺して仁田山が柴薪船を燔く

おとね・しん六

 

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第百七十三回

「数艘を借て大角義武を▲(テヘンに圭/ささ)ゆ 降旗を建て豊俊定正を愚にす」

 

大角謀て艨艦を借る

よしたけ・大かく・よしあつ

 

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第百七十四回

「万里一水道節小仇を射る 八百八人毛野大敵を鏖にす」

道節恋戦して朝寧を射る

きよひで・あけすけ・友かつ・たかむね・どうせつ・とよとし・けの・すゑもと・はるよし・もちうミ・のちつな・ともふさ・ひろもと・定正・のりしげ

火攻の功成て毛野又東良を虜にす

 

★此の場面の毛野は、ちょっぴり源九郎判官義経が入っているようだ。弓を流すか、八艘を跳ぶか

 

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第百七十五回

「南弥六霊を顕して子を祐く 礼儀時を失ふて時に為すこと有り」

増松勇を奮ふて両勍敵を撃

おち八・はるしげ・くさ四郎・あミ七・ちかのり・まし松・なミ六霊

 

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第百七十六回

「禍福反覆して三士功を同くす 追兵屡逼りて忠臣主を拯ふ」

義武を擒にして大角新井の城に逼る

貞住・大角・よしたけ・むづ九郎・よしあつ・八郎

 

河崎河原に道節大に助友と戦ふ

すけとも・道節

 

八犬伝第九輯巻四十六簡端附言

本編の題目は先板巻の四十五までの総目録の下に夙く附出せしはいかで看官に結局までの趣を知らせまく欲しし僻所為にて彼六回は当日腹稿の大概を挙たるのみ。其後本編を編るに及びて予思ひしより長くならざることを得ず。然ども一巻毎に定数ありて作者の自由に做しかたければ已ことを得ず一回を釐て或は上下或は上中下とい二回三回に分ちて其数に合せたり。抑一回を釐て二回三回に做すことは唐山の稗史小説にこの例なし。只源氏物語に若菜の上下ありといへども本伝は源語に倣はず。専唐山の稗史に憑る兀自文渓堂の性急にて半冊稿じ畢れば随て奪ひ去りて浄書▲(厥にリットウ)人の手に逓与す故に後に至りて不都合なきことを得ず。先刊刻なる所の五巻を発販せんとていそがるれば這簡端の余紙にしも事情を略記してもて其責を塞ぐ而已。

  天保十二年辛丑秋長月之吉

 

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第百七十七回

「一顆の智玉途に一騎の驕将を懲す 四個の保質反て両個の保質を捉る」

  附録目「建柴の道場に毛野守如の墓に謁す 湯嶋の茂林に道節三隊の敵を破る」

敗将頭髻を切てみづから首級に易

さくわん・葉四郎・さる八・のりかた・定正

 

大茂林浜に海苔七音音を救ふ

おとね・のり七・のり七女房

 

五十子の城に四勇婦大功を成す

もち九郎・おと祢・わざ太郎・ひくて・はこ姫・ひとよ・妙しん・河堀殿

 

智玉長く駆て敵城を抜く

みやつかへの女ばう・つな坂四郎・のりかた・かたむね・友かつ・妙しん・とよとし・けの・おと祢・たかむね

 

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第百七十八回上

「有種恥を雪て郷党を復帰す 丶大水陸に衆鬼を済度す」

道節途に三城の残兵を破る

きよひで・あけすけ・道節・ざつき・阿太郎・やちう二・くろ四郎・りきん太・あさ市・ぎよらん二

 

有種豪荊夜忍岡の城を抜く

かうけい・ありたね・かうせい・かうてき・せんさく

 

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第百七十八回下

「里見の諸将士稲村に凱旋す 安房侯博愛隣国の窮民を賑す」

水陸道場施餓鬼の功徳窮民冤鬼抜苦与楽す

は四郎・かたむね・さる八・大ぜん・しの・しん兵衛・ちゆ大・さう介

 

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第百七十九回上

「照文帰東して房総福多し 東西和睦して両国津を開く」

十二敗将稲村の城に幽せらる

もりさね・よりみつ・のりしげ・たねひさ・ためかけ・よしたけ・よしあつ・ともやす・よりたね・のりふさ・なり氏・ともよし

 

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第百七十九回中

「義成十二敗将に面ず 助友秘封一匣を受く」

稲村の城に義成勅使諚使を迎ふ

しらはま十郎・あさひな三弥・七らう二郎・さい太郎・法六郎・まし松・代四郎・なり介・しけとき・もえ三・かひ六郎・たかつぐ・さだゆき・はやとも・きよすみ・なほもと・ときすけ

 

其二

けん八・よしみち・しの・とうせつ・しん兵衛・よしなり・小文吾・さう介・てるふミ・大かく・けの・ひろまさ・なほちか

 

★此処での犬士の紋は、親兵衛が「杣」字、信乃が五三桐、道節が左向き揚羽蝶、現八が「犬」字、小文吾が「古」字、大角は蔦、毛野は月星、荘介は篠だが篠竜胆にも見える

 

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第百七十九回下

「戍孝孝を全して故君に別る 孝嗣義に仗りて旧主に辞ふ」

四犬女功成りて衛を両夫人に解く

ひく手・ひとよ・おとね・妙しん・かハほりどの・かしづきの女ぼう・はこひめ

 

孝玉孝を全ふして遺訓を果す

犬つかしなの・もちみ一郎・しなかハ七郎・なり氏

 

理義を詳にして孝嗣故主に辞ふ

伴わかたう・のりかた・しもべ・ともわかたう・しもべ・しもべ・たかつぐ・ともわかたう・たねとも・すけとも・はるたつ

 

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第百八十上

「一姫一僧死生栄貴を等くす 孝感力芸詠歌奇異を賛す」

金蓮寺の門前に戍孝局平に逢ふ

つぼ平・ただとも・もりたか・まさのり・まさし・やすより・ちゆ大・のぶみち・よしたう・たねとも

 

拈華庵に悌順勁力を見す

あん主・あま・犬村・犬田・犬阪・つぼ平・犬飼・犬川・てる文・犬塚・犬江・犬山

 

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第百八十中

「義成功臣を重賞して八女を妻す 初段」

富山姫の神遷座行列

ちゆ大・大かく・げん八・とうせつ・ぶんご・さう介・しん兵衛・しもつけ・しなの(幟二本に「富山姫御祭礼」)

〈英泉〉

 

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第百八十下

「義成功臣を重賞して八女を妻す 後段 信隆旧城に還任して罪過を免る」

翠簾を隔て八犬士赤縄を援

のぶみち・やすより・まさのり・よしたう・ただとも・もりたか・たねとも・まさし・清すみ・ときすけ

 

★此処での犬士の紋は、信乃が五三桐、道節が正面揚羽蝶、荘助が雪篠、小文吾が「古」字、現八が「犬」字、大角が蔦、毛野が月星、親兵衛が「杣」字

 

其二

八小姐天縁良対を得ぬる処

ろう女・ひなぎ姫・きのと姫・しづを姫・竹の姫・いろと姫・をなみ姫・しをり姫・はまぢ姫

 

★思い沈む浜路と、そんな浜路を振り返る鄙木。「其の一」に於ける、見つめ合う信乃と大角、に対応する。此の二組に就いては、天の采配以外の何者でもない。引き離された者達は、姿を変えてでも、再び巡り会わなければならない

 

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第百八十勝回上

「狐竜化石を貽して丶大蝉脱す 八行璧を反して八行十世に伝ふ」

附録目 此段不釐回 但有附録目已

  「信隆宗盈古江に孝嗣に逢ふ 政木大全論弁和漢を引く」

金光寺の門前に狐龍正覚を示す

たかつぐ・のぶたか・畑なつ作・江田宗みつ

 

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第百八十勝回中

「延命寺に義成牡丹花を賞す 富山の窟に念戌遺題の歌を見る」

義成延命寺の書院に牡丹を観る

まさし・ちゆだい・たねとも・まさのり・のぶみち・よしなり・ねん戌・よしたう・もりたか・やすより・ただとも

 

★此処での犬士の紋は、親兵が「杣」字、毛野は月星、大角は蔦、現八は「犬」字、荘介は雪篠、信乃は桐、小文吾は「古」字、道節が正面揚羽蝶

 

丶大を▲(ソウニョウに干)て親兵衛念戌富山に到る

しん兵衛・ねんじゆつ・ちゆ大・ふせ姫神

 

★岩戸の句は本文にもあり。伏姫を四天王が取り囲み守護している

 

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第百八十勝回下 大団円

「犬士退隠して天命を楽む 諸将の得失其尾を備にす」

後の八犬士倶に父の山居を訪処

犬田小文吾・犬飼げん吉・犬村角太郎・犬川かく蔵・犬阪毛の・犬山道一郎・犬塚しの・犬江しん平

 

八犬仙山中遊戯図

犬村老仙・犬阪老仙・犬川老仙・犬塚老仙・犬江老仙・犬田老仙・犬飼老仙・犬山老仙

〈英泉〉

 

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回外剰筆

「頭陀枕中を話説す四十八城 稗史本伝を大成す二十八年」

里見十世十将綉像

第一義実よしさね・第二義成よしなり・第三義通よしみち・第四実尭さねたか・第五義豊よしとよ・第六義尭よしたか・第七義弘よしひろ・第八義頼よしより・第九義康よしやす・第十忠義ただよし

 

安房国名所図

画工英泉安房に遊歴せし日に写し得たりといふ真景是なり

 

頭陀二たび著作堂に来訪す

廻国ずだ

 

★額に「仁者寿 隆生」、掛け軸にある「写し見たる鏡に親のなつかしきわか影なからかたみとおもへば 作者旧詠 董斎書」は、秀句