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南総里見八犬伝第九輯巻之二十九簡端或説贅弁

 

嚮に友人告ていへらく或云本伝第九十九回素藤鬼語を聞く段より第百四十九回一休画虎を度する段まで事々物々怪談鬼話ならぬは稀なり。且上に十二地蔵の利益あり、下に薬師十二神の霊異あり、又前に狸児の怪談あり、後に画虎の怪談あり。其事都て重複を免れて互に相犯さずといへども大凡看官に怪談を好むと好ざるとあり。其怪談を好ざる者は必飽く心地すべしといへり。この言当れりやと問れしに、予答ていへらく、否否然らず、唐山大筆なる稗史に縁てもて是を思ふべし、彼鬼話怪談の多かる独西遊記のみならず譬ば水滸伝の如きも又是怪談をもて趣向を建たり、見るべし、始に石碣一百十箇の魔君を走する事あり、終に石碣一百八箇の魔君を治めて遂に宋朝の忠義士に做せしは彼が一部の大趣向にて作者の隠微こ丶に在り。(予嘗水滸隠微発明評一編あり今亦贅せず)。且羅真人公孫勝の仙術戴宗が神行樊瑞高廉が幻術及九天玄女の霊験冥助皆是多く怪談に渉れり。そは左まれ右もあれ本伝も亦始より鬼話怪談をもて趣向を建たり。豈啻九十九回以下のみならんや。所云始に役行者の利益あり、又伏姫腹を劈て竟に八犬士出世の張本になれる奇談あり。是よりして後、多く怪談に渉る者事皆勧懲の意もてせざるはなし。就中地蔵薬師の霊応利益は世の怪談に惑へる婦幼及事を好む雅俗をいかで竊に覚さんとて叮寧反覆してもて綴りたり。然るを怪談多しといへるは右もていまだ覚ざるか、弁ずるともいふかひなかるべし。抑怪談に雅俗の差別あり。不及ながら予が綴る怪談は勧懲にあらざる者なし。こ丶をもて世に在る所の怪談と相似て同じからざるをよく見る者は予が言を俟ざるもあらむかし。この故に吾常に云、吾漫に物の本を綴り初しより此に五十余年なり。実に無益の技なれども已に老煉に至りては、いよ丶ますます精くして十二分にせざるはなし。然るを看官は只三分四分のみ二三の同好知音の評も六七分の上を出ず、其心を用ひ力を入る丶処、精粗同じからねばなり。しかるに近曾人ありて予が旧作なる俊寛僧都嶋物語を評して八犬伝を除くの外是を第一の佳作とすといへりは私言のみ。予は決して諾なはず。但予が諾なはざるのみならで十目の視る所、大かたは同じかるべし。人各褒貶を其好憎に儘するは必公論ならぬものから誉られて歓ぶはなべて人の情なれども己が如き僻者は誉られてなかなかに恥かしき事あり否なる事あり。いまだ己を知ずして、いづくにぞよく人を知らん。或は■石に武/■石に夫/の美きを負むが為に光を瑞玉に争まく欲し或は瑣々たる小鶏彼距を挙て力を封牛に比まく欲するが如きは是予が恥る所なり。

 

友人又告ていへらく、或云本伝第百三十一回八犬士稍全聚ひて倶に安房へ徴れて里見の家臣になるといふ段、是宜く大団円なるべし。是るを又金碗の姓氏の事を説出して京師の話説十八九回あり。(第百三十一回の末より第百四十九回に至れり)。こは疣贅にあらずや、といへり。嗚乎又此等の言あるか。本伝に京師の事を説く十数回は是始よりの腹稿なり。然るを疣贅とせらる丶はよく思ざる故にこそあらめ。そを何とならば八犬士倶に安房に到りて里見の家臣になるのみにて犬江親兵衛を除くの外七犬士等かくの如くにして可ならんか。且京師の話説微りせば俗に云田舎芝居に似て始より説く所、東八州の事に過ぎず。然では話説広からで大部の物の本に足ざる所あり。譬ば水滸伝の如きも七十回の後招安の事及京師の話説あり。こ丶に至て一百八箇の魔君皆よく変じて宋の忠義士になれり。■ニンベンに尚/是等の事なくて七十回にて局を結ばば彼一百八人は梁山泊嘯聚の強人のみ。何をもてよく勧懲にせんや。是に由てこれを観るに水滸伝百二十回は羅貫中が一筆なるに疑ひなし。然るを又彼金瑞は七十回以下を誣て続水滸伝として反て酷く■ゴンベンに山/りたり。他が如きは水滸の皮肉を知れるのみ、骨髄を得たる者にあらず。然ば有人の臆断に本伝百三十一回を団円にせば宜しからむといひしと又金瑞が水滸七十回を強て結局にしたると日を同くして論ずべし。そも吾惷寿桑楡の暮景に至るをもて看官なべて本伝の結局をいそぐ故にこそありけめ。予もいそがざるにあらねども腹稿尚余りあるを芟遣捨んはさすがにてこの九輯下帙の下乙編十巻を分巻十五冊にして稍大団円に至る者なり

 

○筆次にいふ。本輯巻の二十九第百四十七回犬江仁が三関を破るの出像に画工謬て作者の稿本に違へて仁が馬上に敵の雑兵を礫に捉て擲つ為体に画きたり。第百二十七回左右川の段の出像に仁が跪て両手に敵の雑兵を捉抗たる処と又第百四十回の出像に仁が馬上に徳用を抓抗たる処あれば此彼重複にて且馬上の人礫は仁に相応しからぬを看官必難ずるもあらむ。又云画工是を聞て聊改めしを作者に見せざりければ知らでこの義に及べり。右の一条は削去るべし。

天保十年花月念八

曲亭主人識

 

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南総里見八犬伝第九輯巻之二十九口絵

 

【秋篠将曹広当が駅鈴を握っている。吹雪姫が巻物を持って座っている。画虎の掛け軸か。左の画面では親兵衛に破られる三関の守人、大杖意鬼入道稔物・根古下厚四郎鴿宗・老松湖大夫惟一。絵の周りは桐葉か】

 

松柏如君子美人似春花

 

松柏は君子の如く、美人は春花に似る

 

秋篠将曹広当あきしのせうさうひろまさ・再出雪吹姫ふぶきひめ

 

わすれ草わすれすに買へ大津画の鬼のしこ草もあふミ野の花半閑人

 

大杖入道稔物おほつゑにうどうねんぶつ・根古下厚四郎鴿宗ねこしたあつしらうはとむね・老松湖大夫惟一おいまつこたいふこれかず

 

★「鬼のしこ草」は謡曲大江山に出てくる巨大な草で「オニノシコクサ」だが、万葉集で登場する鬼乃志許草{/鬼之志許草}は「シコノシコクサ」、不忘草の異名ある紫苑ともされている。第一句の「忘草」と対となる。よって歌は、「忘草{/萱草}忘れずに買え大津画の鬼のしこ草{/不忘草}も近江野の花」となる。大津絵の鬼を例えば広く行われている、鬼の寒念仏を描いたもの、とすれば当然、中身と外見が裏腹であるとの意味が出てくる。そして大江山の「鬼のしこ草」は鬼の棲む山に相応しい巨大な草なのだが、可憐な紫苑でもある。裏腹である

★今昔物語巻三十一「兄弟二人殖萱草紫苑語第廿七」は悲しくも優しい物語だ。

 

     ◆

今昔。■数字欠/ノ国■数字欠/ノ郡ニ住ム人有ケリ。男子二人有ケルガ。其ノ父失ニケレバ。其ノ二人ノ子共恋ヒ悲ブ事年ヲ経レドモ。忘ル事无カリケリ。昔ハ失ヌル人ヲバ墓ニ納メケレバ。此ヲモ納メテ子共祖ノ恋シキ時ニハ打具シテ。彼ノ墓ニ行テ涙ヲ流シテ。我ガ身ニ有ル憂ヘヲモ歎ヲモ。生タル祖ナドニ向テ云ハム様ニ云ツヽゾ返ケル。而ル間漸ク年月積テ。此ノ子共公ケニ仕ヘ。私ヲ顧ルニ難堪キ事共有ケレバ。兄ガ思ケル様。我レ只ニテハ思ヒ可■一字欠/キ様无シ。萱草ト云フ草コソ其レヲ見ル人思ヲバ忘ルナレ。然レバ彼ノ萱草ヲ墓ノ辺ニ殖テ見ムト思テ殖テケリ。其ノ後弟常ニ行テ。例ノ御墓ヘヤ参リ給フト兄ニ問ケレバ。兄障ガチニノミ成テ不具ズノミ成ニケリ。然レバ弟兄ヲ糸心疎シト思テ。我等二人シテ祖ヲ恋ツルニ懸リテコソ。日ヲ暗シ夜ヲ曙シツレ。兄ハ既ニ思ヒ忘レヌレドモ。我ハ更ニ祖ヲ恋ル心不忘ジト思テ。紫苑ト云フ草コソ。其ヲ見ル人心ニ思ユル事ハ不忘ザナレトテ。紫苑ヲ墓ノ辺ニ殖テ常ニ行ツヽ見ケレバ。弥ヨ忘ルヽ事无カリケリ。此様ニ年月ヲ経テ行ケル程ニ。墓ノ内ニ音有テ云ク。我レハ汝ガ祖ノ骸ヲ守ル鬼也。汝ヂ怖ルヽ事无カレ。我レ亦汝ヲ守ラムト思フト。弟此ノ音ヲ聞クニ。極テ怖シト思ヒ乍ラ。答ヘモ不為デ聞居タルニ。鬼亦云ク。汝ヂ祖ヲ恋ル事年月ヲ送ルト云ヘドモ替ル事无シ。兄ハ同ク恋ヒ悲テ見エシカドモ。思ヒ忘ル草ヲ殖テ。其レヲ見テ既ニ其ノ験ヲ得タリ。汝ハ亦紫苑ヲ殖テ。亦其レヲ見テ其験ヲ得タリ。然レバ我レ祖ヲ恋フル志ノ懃ナル事ヲ哀ブ。我レ鬼ノ身ヲ得タリト云ヘドモ。慈悲有ルニ依テ物ヲ哀ブ心深シ。亦日ノ内ノ善悪ノ事ヲ知レル事明カ也。然レバ我レ汝ノ為ニ見エム所有ラム。夢ヲ以テ必ズ示サムト云テ。其ノ音止ヌ。弟泣々ク喜ブ事无限シ。其ノ後ハ日ノ中ニ可有キ事ヲ夢ニ見ル事違フ事无カリケリ。身ノ上ノ諸ノ善悪ノ事ヲ知ル事暗キ事无シ。此レ祖ヲ恋ル心ノ深キ故也。然レバ喜キ事有ラム人ハ紫苑ヲ殖テ常ニ可見シ。憂ヘ有ラム人ハ萱草ヲ殖テ常ニ可見シトナム語リ伝ヘタルトヤ{昭和六年版新訂増補国史大系巻十七}。

     ◆

 

息子二人が父を偲び、墓参りしては、生前の父にした如く悩み事を打ち明けていた。父離れできない稚児のうちは良かったが、二人とも成長して官人となった。私事にかまけてはいられないと思った兄は、父を忘れる決心をして、忘れ草/萱草を父の墓の辺に植えた。父のことを忘れ公務に専念した。弟は、そんな兄を疎ましく思い、自分は父のことを忘れまいと、墓の辺に不忘草を植えた。おかげで決して父のことは忘れなくなった。あるとき弟が父の墓参りをしていると、墓の中から声が聞こえた。「私はオマエの父の死体を守っている鬼であるが、父のことを忘れずに墓参りを続けているオマエに感心した。私は鬼の姿となってしまっているが、慈悲心は持っているのだ。毎日、その日のうちに起きることどもの善悪吉凶を予め夢で示してやることにしよう」。鬼の言葉は実現し、弟は夢で其の日に起こることの善悪を知ることになった。父への思いが深かったからこそ得た超能力である。

……此処までを仏教説話として読めば、先祖供養の大切さを喧伝しているように思える。僧侶か葬儀屋の差し金かもしれない。先祖の祀りを絶やさぬようにとの、儒教道徳を教えているようにも読める。きっと文部科学省の……いや、当時に文科省はなかったか。まぁとにかく、父のことを忘れない弟が、其の日に起こる事の吉凶を予め知る超能力を得て、佳い目を見るって話の筈なんである。しかし今昔物語が示す教訓は、「辛いことがあったら忘れ草を見て忘れ、嬉しいことがあったら忘れないように不忘草を見て過ごしましょう」なのである。兄弟の話は、いったい何だったのか。此の教訓では、父の死をウジウジ思い悩まずに忘れて仕事に専念した兄の決断が、正しかったことになる。いつまでもクヨクヨしている弟は、間違っているのだ。

ならば、「其の日に起こる事の吉凶を予め知る超能力」は弟を不幸にしたと考えねばならぬ。なるほど、凶事も回避できる性格のものならば良い。しかし避けられぬ凶事を予め教えられたら、実現するまで絶望のうちに過ごさなければならない。吉事も、いきなり湧いて起こるから、驚きのうちに強烈な喜びを感じられるのかもしれない。例えば、付け狙っていた美少女が「実は以前から御慕い申し上げていました」なんて云ってくることが予め解っていたら、興醒めかもしれず、感激も少なかろう。「お慕い 慕い、したい、したい……俺も、したい!」ぐらいの駄洒落は予め準備できるかもしれないが、余り益はなさそうだ。却って美少女に嫌われるかも知れない。しかも、物陰で宜しく致すところで、忍び寄ってきた恋敵に殺されることが予め解っていたら、行為不能となるかもしれぬ。却って美少女に嫌われるかも知れない。

そんなこんなで物語の本筋と、末尾に取って付けられた教訓がチグハグであるが、話を進める。此の物語が示すものは、呪物としての萱草/忘草と紫苑/不忘草の存在、、である。また副産物としては、恐ろしい鬼の姿となっても慈悲心を抱く者の存在、があろう。

此の物語を補助線とすれば、「わすれ草わすれすに買へ大津画の鬼のしこ草もあふミ野の花」は、チグハグの歌である。まず、「忘草」と歌い始める。逆転し「不忘/忘れずに買え」と続く。此処までが起承、そして転じて「大津画の」となる。大津絵には藤娘もあるが、鬼{おに}もある。大津絵の鬼、すなわち「鬼の寒念仏」は、信仰心の篤い僧侶が為すべき寒念仏を、信仰の敵であるはずの鬼が行うチグハグさが、主題だろう。上記物語の鬼も、鬼なのに慈悲心を持っていた。下の句は、「鬼のしこ草」と恐ろしげな名を付けられている紫苑も、実は可憐な野草であると暴露している。チグハグである。

★万葉集巻四{相聞}の七二七に、「大伴宿祢家持贈坂上家大嬢歌二首離絶数年復会相聞徃来」として「萱草吾下紐尓著有跡鬼乃志許草事二思安利家理」がある。「忘草吾が下紐に著けたれど鬼のしこ草異にしありけり」であるが、有名な歌の割に解釈が難しい。「鬼のしこ草」を「忘草/萱草」と解するむきもあるが、筆者は採らない。歌の前提は「離絶数年にして復た会して相聞往来す」である。そして次の七二八が「人毛無国母有粳吾妹子与携行而副而将座/人も無き国もあらぬか我妹子と携わり行きて副いてをらむから」だ。坂上家大嬢は家持の妻であるが、別離の後に結ばれたのだろう。「誰もいない国に行って二人で暮らそう」{七二八}、駆け落ち以外の解釈は難しいけれども、歌はコスチューム・プレイみたいなもので虚構の場合も多いから、油断ならない。単に、ロミオとジュリエットごっこをしているだけかもしれないのだ。でもまぁ虚構であっても七二七・七二八は連続した一つの世界で歌われているとして解釈する。

 

     ◆

何かの事情で引き裂かれた二人が再会した。深刻かつ浪漫濃厚な場面である。男は云う。

「貴女と別れたとき、とても辛かった。萱草って知ってますか。忘草とも呼ばれるもので、これを見れば辛いことを忘れられると云われているのです。貴女と別れたとき、私は下紐に、此の萱草を……ほら、こうやって結び付けました。貴女を、貴女のことを忘れるために」

「そ、そんな……あれ あんた、それ、萱草ぢゃなくって……もしかして紫苑なんじゃない」

「へ 」

「萱草は黄色いのよ。此れって薄紫ぢゃん。ぜんぜん形も違うし」

「紫苑 うわあああっっっっ、はっ恥ずかしいぃぃぃぃっっ、どっチクショォォォ、このっこのっ、鬼の醜草めっ」紫苑に八つ当たりする家持。

「ひゃひゃひゃっ、しかも紫苑は不忘草って呼ばれてるのよ。丸っきり逆ぢゃん!ばぁぁぁぁかっ。ぎゃははははははっっ」

「そっかぁ、あははははっ、下紐に着けて貴女の事をシタイと慕う下半身に忘れさせようとしたんだけど……それで貴女の事が忘れられなかったんだぁ」

「ぎゃはははははははははっっ、はひぃ、ひぃ、くっくっくっ、笑わしてくれるねぇ。焼き餅……ぢゃなかった、家持くん。ふふ、それで、アタシの事、本当に忘れなかった」

「うん。だって、不忘草を見てたんだもん。ずっと。ずっと……」家持が甘えかかるように坂上家大嬢を抱き締める。相手に油断させ母性本能を擽る天才なのだ、此の男は。優しく抱き返してしまう自分に気付いた大嬢が呆れたように顔を上げ、

「あんた、わざと間違えて……嵌めたわね」

「いいえ、填めたいんです」

     ◆

 ……冗談である

★三国志。疑われて突破する関羽

 

【箕田馭蘭二円通が根角谷中二麗廉を縛り上げている。左の画面では一休和尚が翳す鉄鉢から生じた雲気の中に虎が現れている。後ろ姿の足利義政が見上げている様子。絵の周りは菊花紋】

 

昔年同気相求処今日同憂奚不憐

 

昔年には同気相求めし処、今日の同じき憂いに奚ぞ憐れまざる

 

箕田馭蘭二円通みのたぎよらんじミつみち・根角谷中二麗廉ねつのやちうじうらかど・廉吉彫ユ之

 

虎と見て射ぬる矢たねやのこりけむ今もたつ野の石竹の花■頼のした鳥/斎

 

一休和尚いつきうおせう・義政公よしまさこう

 

★試記:虎と見て射ぬる矢種や残りけむ、今もたつ野の石竹の花

★父の敵である虎を射殺した{ように見えた}少年の矢が石竹{/唐撫子}になったというファンタスティックな話が、曽我物語は五郎の会話に挿入されている。

     ◆
李将軍が事
さても鎌倉殿は合沢原に御座の由聞こえしかば、此の人々も駒に鞭を添へて急ぎける。道にて十郎言ひけるは、名残惜しかりつる古里も一筋に思ひ切りぬれば心の引きかへて先へのみぞ急がれ候ふぞや。時致聞きて、さん候、思ふ程は現すぐれば夢にて心の儘に本意を遂げ浮き世を夢に成しはてて早く浄土に生まれつつ恋しき父名残惜しかりつる母かく申す我等まで一蓮の縁とならん、とて、ひつ掛けひつ掛け打ちて行く。やや有りて十郎申しけるは、我等が有様を物にたとふれば寒苦鳥に似たり、如何にと言ふに大唐しくう山に雪深うして春秋をわかざる山なり、其の山に頭は二つ身は一つ有る鳥有り、彼の山には青き草無ければくふべき物無し、然れば其の頭右を取らんとし右の頭は左を取らんとする、悲しみの涙を餌食として命をのぶる鳥也、我等も敵の手にやかからん敵をや手に掛けんと思ふ憂き身のながらへて、いつまで物を思はまし、此の度はさり共、と申しければ、五郎聞きて、弱き御例へ仰せ候ふ、何によりてか空しく敵の手にかかり候ふべき、本意を遂げて後は知り候はず、其れはともかくも候ひなん、事長く候へ共、昔、大国に李将軍とて猛くいさめる武勇の達者有り、一人の子の無き事、天に祈る、哀れみにや、妻女懐妊す、将軍喜ぶ所に女房言ふ様、いきたる虎の肝こそ願ひなれ、将軍、安き事とて、多くの兵を引きつれ野辺に出でて虎をかりけるに、かへつて将軍、虎にくはれて失せぬ、乗りたりける雲上龍、鞍の上空しくして帰りぬ、女房あやしみて、将軍、虎にくはれけるや、と問へば、竜、涙を流し膝ををりなけ共適はず、我が胎内の子は父を害する敵なり、生まれ落ちなば捨てんと、日数をまつ所に、月日に関守無ければ程無く生まれぬ、見なれば男子なり、いつしか捨つべき事を忘れ、取り上げ名をかふりよくと付けてもてなしけり、名将軍の子にて胎内より父虎にくはれけるを安からずに思ひ、敵取るべき事をぞ思ひける、光陰矢の如し、かふりよく、はや七歳にぞなりにける、或る時、父重代の刀を差し角の槻弓に神通の鏑矢を取り添へ馬屋に下り父の乗りて死にける雲上龍に曰く、汝、馬の中の将軍なり、然るに父の敵に志深し、父の取られける野辺に我を具足せよ、と言ふに、黄なる涙を流して高声にいばえけり、かふりよく、大きに喜びて彼の竜に乗り馬に任せて行く程に、千里の野辺に出でて七日七夜ぞ尋ねける、八日の夜半に及びて或る谷間に獣多く集まりねたり、其の中に臥長一丈余りなる虎の両眼は日月を並べたる様にて紅の舌を振り伏しければ、肝魂を失ふべきに、然る将軍の子なりければ是こそ父の敵よと矢取つて差しつがひよ引きてはなつ、過たず虎の左の眼に射たてたり、少し弱ると見えければ、かうりよく、馬よりとんで下り腰の刀を抜き虎を切らんと見ければ虎にては無し、年へたる石の苔むしたるにてぞ有りけり、斯様の志にて遂に敵を打つ、今の世に石竹と言ふ草、かふりよくが射ける矢なりとぞ申し伝へたる、然れば弓取りの子は七歳になれば親の敵を打つとは此の心なり、志に依り石にも矢のたち候ふぞや、此の心を歌にも詠みけるとぞ、虎と見て射る矢の石に立つ物をなど我がこひの通らざるべき。
十郎聞きて、や、殿、歌は然様なりとも祐成にあひての物語、など我が敵打たで有るべき、と語れかし。実にや、折による歌物語、悪しく申して覚ゆるなり、歌はともあれ、かくもあれ、此の度は敵打たん事安かるべし、老少不定の習ひなれば我等は悪霊とも成りて取るべきにや、とたはぶれて、鞭を打ちてぞ、急ぎける{曽我物語}。
     ◆

史記は李広が累代弓術を伝える家に生まれた豪傑とし「広出猟、見草中石、以為虎而射之、中石没鏃、視之石也。因復更射之、終不能復入石矣。広所居郡聞有虎、嘗自射之。及居右北平射虎、虎騰傷広、広亦竟射殺之」との逸話を伝える。また、「広子三人、曰當戸・椒・敢」とある{巻一百九李将軍列伝第四十九}

 

【酒樽に肘をつき湯呑を前に何か語る世智介と松明を持つ小才二。共に旅装。絵の周りに篠葉。画面左は編み笠を手にして立つ千代丸図書助豊俊と座って刀を立てる下河辺荘司行包。絵の周りに篠葉と五弁花。石竹か】

 

君酔甚多言壁垣維有耳

 

君は酔えば甚だ言を多くす。壁垣に維れ耳あるぞ

 

小才二こさいじ・世智介せちすけ

 

ホリレン

 

すみ田川すミわひて渡りやすからぬ世をうき橋ハ昔なりけり 著作堂

 

千代丸図書助豊俊ちよまるずしよのすけとよとし・下河辺荘司行包しもかうべせうじゆきかね

 

★試記:隅田川、住み侘びて渡り易からぬ世を浮き橋は昔なりけり。源頼朝は反平家の兵を催し武蔵に入るとき、隅田川に船を浮かべ浮き橋として渡った。但し歌は、勢いのある決起の時を過ぎ去った昔とし、浮き/憂き、と変換して憂き世/浮き世の住みにくさに繋げている

 

 

 

本輯下帙の下所云下套の乙号編は五巻にていまだ足らず。因て十巻にして局を結べり。この内中巻の卅一と卅四五六は楮数いと多かり。こ丶をもて釐て上下各二冊とす。共に是十五冊なり。其十五冊の中五冊夙く彫果るを先出せり。右の第百五十三回以下も必続て出すと云。看官亦復僂待つべし

 

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第百四十六回

 

「白河山に代四郎小姐を救ふ談講谷に親兵衛大蟲を射る」

 

【青面金剛庚申堂。堂前で血を出す堅削と毛深い徳用が組子に捕らえられている。紀二六が指図している。胴の紋は帆。雪輪紋の胴を着けた代四郎が堂に上がり、袂で顔を覆う吹雪姫に声を掛けている。最前と唐櫃の位置が変わっているが意味は無いだろう】

 

諸悪勿作衆善奉行

 

諸悪作すなかれ、衆善奉行せよ

 

くミこ・くミこ・けんさく・くミこ・くミこ・きじ六・代四郎・とくよう・くミこ・ふぶきひめ

 

★「諸悪勿作衆善奉行」は大団円「八犬仙山中遊戯図」で犬阪毛野が書いている。庚申堂ならではの、天罰覿面

 

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第百四十七回

 

「紀二六月下に真刺に逢ふ親兵衛湖上に三関を破る」

 

【鹿ケ谷。走帆に乗った親兵衛。弓を握っている。発射直後か。松の根元で左眼を射られた虎が仰向けに倒れ藻掻いている。空に六日ほどの月、親兵衛の笠が舞っている】

 

神箭差ハず虎妖対治せらる

 

しん兵衛

 

★親兵衛を戌、走帆を午、画虎を寅とすれば、火気の三合となる。三合とは、十二支を時計回りに配置し、互いの角度が百二十度になる三つを謂う。子の三合{子・辰・未}が水気、卯の三合{卯・申・亥}が木気、午の三合{午・戌・寅}が火気、酉の三合{酉・丑・巳}が金気である。中央の土気はない。此の場面は、極めて強い陽気を発している筈だ。二週間ほどの後、洲崎沖海戦で里見勢は火計を用いて関東連合艦隊を殲滅する。

ツイデに云えば、五行説には「衝」なる概念もある。上記の「合」が互いに助長し激化する関係とすれば、「衝」は互いに否定し合う関係だ。戌と辰すなわち、犬と龍が「衝」である。合は互いに百二十度の関係と云ったが、衝は百八十度の関係なのだ。衝は、不幸な出逢いといえる。八郎/伏姫/観音・龍と玉梓/八房/犬が出逢って、共に死んだ。八郎と玉梓は、其の様な関係であったのだ。当初は不幸な出逢いであった関係が、生を替えるうち浄化され昇華していく過程が、抑も八犬伝であるかもしれない。最悪の事態を、長大な時間を懸けて、救済する試みと云ってよかろう。現実にはあり得ない、単に【祈り】次元の物語に過ぎないかもしれないが、其れこそ稗史の真骨頂ではあるまいか

 

【親兵衛が馬上から雑兵の腰帯を熊手で引いている。頭上に二人放り上げられている。馬の背にしがみついて逃げる老松湖大夫惟一。右手から一隊を率いた根古下厚四郎、対岸に大杖入道が老松の救援に駆け付けている】

 

親兵衛単騎にして撃て三関令を走らする

 

はとむね・しん兵衛・これかず・大杖入道

 

ひとつ松・からさき明神

 

★唐崎明神と一つ松、となれば愛護若である。彼に纏わる物語は凄惨極まりない。最後に百八人の縁者が次々淵に飛び込むは御愛敬として、愛護若は極めて美少年であったが継母の讒言により緊縛され責め苛まれ、叔父のもとへ逃れ行けば寄って集って打擲され、帰ろうとして山里を通れば中年女{姥}に罵られ打ち据えられて辱められた。若は屈辱に耐えかね自殺した。とにかく美少年が虐待されまくるだけの話なのだ。救済は一切ない。しかも継母の讒言というのが、若を憎んでのことではない。美しい若に懸想して何度も恋文を送ったが、若が夫に密告せぬための用心であった。継母は猿と戯れる若を見て欲情したのだが、いったい若は猿と何をしていたのであろうか。いや抑も、若は親の命と引き替えに長谷観音から授かった子であった。若が三歳になったとき両親の何連かが死ぬことと引き替えに授かったのである……が、若が十三歳になっても両親は健在であった。実母は長谷観音が嘘を言ったのだと若に話した。長谷観音は怒り狂い、実母を殺した。

愛護若は猿を飼っていた。継母に讒言され緊縛され桜の木に吊られた彼を、猿が助けようとするが果たせない。死んだ母が鼬の姿で一時的に甦り縄を切ってやった。鼬は、叔父のもとへ逃れよと告げて、姿を消した。いや母が生き返ろうとしたとき、適当な人間の屍が見当たらず、あり合わせた鼬の死骸に乗り移ったのであった。もう滅茶苦茶な話なんである。叔父である僧侶を頼って比叡山に登ると、天狗だと疑われて弟子どもに袋叩きにされた。命からがら逃げた若は、穴生を通りかかる。生け垣の桃を取る。姥が現れ、若を杖で打とうとする。若は麻畑に隠れる。ますます怒った姥は若を打ちまくった。これまで男どもに散々打擲されてきた若であるが、姥に打たれたことを此の上ない屈辱に感じた。小指を噛み切って血染めの遺書を認め、淵に身を投げて死んだ。途中で三人ほどの善人に出会い飯を貰うが、殆ど不幸だけに彩られた最期であった。そして愛護若が自殺したと知って関係者が次々同じ淵に身を投げて死に、継母は簀巻きにされて川に沈められた。とはいえ勧善懲悪ではない。若に仇を為した者だけでなく、情けをかけた善人たちも次々に死ぬのである。いったい何が言いたいのか解らない。結局、美少年が理不尽に打擲され陵辱されて自殺するだけの話である{東洋文庫「説教節」}

 

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第百四十八回

 

「頓智の■テヘンに爭/従者妙に利く奸詐の悔執権還を送る」

 

【親兵衛が立ち、やや腰を屈めて辞儀している。右手に立位の細川政元。波々迫部十郎真忠、五近習、大杖意鬼入道・根古下厚四郎・老松惟一が控えている。親兵衛の脇に口をへの字に曲げ怒った表情の代四郎と平静な紀二六。漕地喜勘太もいる。中央に目が白抜きになっている虎の掛け軸。画虎の上下に鳳凰の絵】

 

大津の駅稍尽処に親兵衛政元に辞別す

 

五近習・ははかべ十郎・これかず・はとむね・まさもと・ねんぶつ・きんじゆ・きんじゆ・きかん太・よ四郎・しん兵衛・きじ六

 

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第百四十九回

 

「石薬師堂に賢少年朝賞を辞ふ東山の銀閣に老和尚驕君を醒す」

 

【石薬師。秋篠将曹広当が馬上で扇を広げ親兵衛に背後から呼びかけている。親兵衛も騎馬。左右に代四郎・紀二六・漕地喜勘太が付き添っている】

 

馬を走らせて広当親兵衛を追ふ

 

ひろまさ・とも人・とも人・とも人・くミこ・くミこ・くミこ・代四郎・しん兵衛・くミこ・きかん太・きじ六

 

良薬苦口樹・石薬師堂

 

【銀閣、足利義政の居室。熊谷■ケモノヘンに爰/二郎と一色■馬に央/馬が伺候している。床の間に目が白抜きの画虎。掛け軸に龍模様。義政の周りに雑多な物】

 

一休偈を説て画虎を度す

 

熊谷■ケモノヘンに爰/二郎・よしまさ公・いつきう・ぼん石天然がび山・一色とき馬

 

★表装を替えたのか、最前は鳳凰だったが今は龍。鳳凰は皇后、龍は皇帝を表すが

 

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第百五十回

 

「照文二書を捧て東藩に還る両侯衆議を聴て京信を寛す」

 

【稲村城広間。上座に総髪の義成。傍らの台に宣旨と御教書。東辰相と荒川清澄が控える。照文が下座に参上。左右に親兵衛を除く七犬士が居流れる】

 

八犬士姓氏勅許に就て照文賞禄を賜り丶大等共侶に両侯に拝見の処

 

小文吾・毛野・道節・てるふミ・現八・大角・荘介・信乃・清すみ・ときすけ・ちゆ大・よしさね・よしなり

 

★此処での紋は、道節が浮線蝶、毛野は月星、小文吾が「古」字、現八が「犬」字、大角が蔦、荘介は雪篠、信乃が桐

 

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第百五十一回

 

「七犬兵を煉り夢想三使を行(→遣/る定正将を連て水陸大軍を起す」

 

【水戦大演習。荘介と小文吾が騎馬で海に乗り入れている。馬上の信乃と道節が浜から眺めている。現八と大角が騎馬で浜を駆けている。荘介の進行方向の小島には騎馬の毛野が既に上陸している。沖には千鳥】

 

七犬士海辺に水戦を教煉す

 

八丁ろぞふ兵・よしみち・なほもと・三ばん手・はやとき・しの・どうせつ・小文吾・けん八・さうすけ・ざふ兵・大かく・ぞふ兵・ぞふ兵・毛野・八丁ろざふ兵

 

★此の時分に里見家にとっての明確な仮想敵国はない筈だが、里見義成は水陸の大軍事演習を思い付いた。しかも「教ずして戦しむ、是を棄るといふと云、経文あるを等閑にして、よく思はずは後悔あらん、既に初冬に幾日もあらず、宜しく民に戦闘を習すべし、この義上総の諸城主へは徇示して促したり、当国は汝等七名七隊に備へて民に教へよ」であった。読みようによっては、【国民皆兵制】である。しかも当たり前の前提として語っている{まぁ「皆兵」と云っても恐らく成年男子に限るのだが}。

義成の根拠は論語の子路第十三「善人教民七年、亦可以即戎矣。以不教民戦、是謂棄之{善人、民を教えること七年、また以て戎に即かしむべし。教えざるを以て民を戦わしむ。是、之を棄つると謂う}」である。善人といっても、単に賢い人ぐらいの意味で、朴訥で正直な人なんかではない。七年間の軍事教育を施せば民を兵に育て上げられるが、もし軍事教育を施さないまま兵として徴用しても為す術無く敵に殺されるだけだ、ぐらいの意味であろう。日本でも律令では戸籍に載す正丁から一定の割合で徴兵する規定があったけれども徴兵後に訓練した。全人民もしくは男全員に軍事教育を施し戦争に備えるなどということは近代に至るまで日本では実現しなかった{愛媛県松山市の済美など旧制女学校には軍事教練を行う所もあった}。

ってぇか近世に於いて、武士階級以外に充分な武装は認められていなかった。反乱防止である。幕末の嘉永年間、備中松山藩の山田方谷による里正隊が創設され、文久三(一八六三)年には吉田松陰の草莽崛起論を継承した高杉晋作の奇兵隊が登場した。但し此等は例外的な存在であり、国民皆兵の理念が八犬伝当時に普及していた筈もない。

勿論、穂北の開拓者氷垣残三の言葉を借りれば、「今戦国の沿習にて耕すものも刀を跨へ耘るものも戟を携へ」{第八十三回}とあり、武装農民も馬琴の戦国イメージにはあり得た。大名に日常的には仕えない武士、郷士なる階層も登場する。郷士の収入は、犬塚番作のように手習いを教えたり、赤岩一角のように武芸の道場を経営したりする以外、所有農地からの収穫が元になっていただろう。小作から収奪する豪農の側面も持っていたと思われる。徳用が率いていた時分の逸疋寺は、戦国期の石山本願寺や各地の一向一揆の如く、僧兵を擁していたようだし、誼筴院の豪荊や弟子たちは武装していた。武力は侍階級が独占していたわけではない。とはいえ、関東連合軍側では郷士・野武士が催促に応じる応じないは個々の判断によっていたと思われ、強制動員ではなさそうだ。実際には戦国大名が人民を戦争に徴用動員する場合もあり得たが、一般に平時から組織的な教練を行っていたとは考えにくい。

また八犬伝世界では、特異な例として、武装農民が集住する穂北荘がある。彼等の場合、大名の徴兵に応じるための武装ではなく、自衛のためであった。氷垣残三と落鮎有種と関わりのある兵たちが集まって建設したとの特異性が背景にある。農地の外部から寄生する藩ではなく、内部で自給自足する{元}武士の共同体であった。対して里見家の民に対する軍事教練は、八犬伝世界の中でも独特な領内総動員を前提としていると思しく、かなり異彩を放っている。義成の然り気ない一言は、武士階級による武力独占を丸っきり否定してしまっている。此れは即ち、論語を引用してはいるものの、幕藩封建体制の否定に外ならない。尤も、近代以後の【国民国家】イメージとは異なるであろうが、回外剰筆には井田法への言及もあり、馬琴が古代に理想を仮託したとも考えられるが、とにかく眼前の幕藩体制には矛盾を感じていたのだろう

 

【山狩り演習。道節が弓を携え馬で猪・兎を追っている。轡を並べた荘介は鎖分銅を手にしている。大角が馬上から鎖分銅を鹿の角に絡めている。騎馬の毛野が弓矢で狙っているのは狐。小高い場所で馬上から里見義通が犬士らの様子を眺めている。現八・信乃・小文吾が上下姿で侍る。依介も少し離れた場所で控えている】

 

義通君の山猟に七犬士よく人馬を調煉す

 

より介の事ハ第百五十二回にありあハせて見るべし

 

よしミち・なほもと・どうせつ・小文吾・げん八・さう介・しの・より介・大かく・けの

 

★大角が鹿の「角」に鎖分銅を絡めているのは馬琴の洒落っ気か。河鯉孝嗣に縁のある毛野が狐を狙っているのも興味深い

 

【墨田河原、蟻屋梨八宅。世智介と小才二が旅装のまま寛いでいる。胴の紋は「垣」字。氷垣からか。二人の前に取り皿と箸。湯呑みも一つ見える。大皿には魚が載る。手前に五合ばかり入りそうな徳利。梨八は笑顔で湯呑みを手にしている。いける口か。妻は後ろ姿だが夫の方に顔を向けている。門の外に険しい表情の谷中二・専作。捕手も三人ばかり】

 

すめばひなもおのつからなるみやこ鳥足とはし場のあか伝ゐるらむ著作堂

 

せんさく・やちう次・なし八・せち介・なし八つま・小才次

 

★試記:住めば雛も自ずから成る都鳥、足と橋場の飽かで居るらむ/江戸名所図絵で橋場は都鳥の名所

 

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第百五十二回

 

「憲重憲儀聚兵使を同くす行包在村忠奸諫を異にす」

 

【山内上杉顕定邸。扇谷上杉定正の家老大石石見守憲重が山内上杉家の執事斎藤左兵衛佐高実と向かい合っている。憲重の紋は三日月。火鉢の脚は獅子。衝立には白波逆巻く磯にとまり翼を広げた鷲。華頭形の障子窓を隔てて聞き耳を立てる顕定。紋は順当に竹雀】

 

憲重使して顕定の第に到る

 

あき定・たかさね・のりしげ

 

【許我御所正庁。上座に足利成氏。横堀在村が控えている。考え込んでいる表情。大石憲儀が説得を試みている。御簾を隔てて下河辺荘司行包と望見一郎】

 

正庁に成氏両冢臣の意見を問ふ

 

しなかハ七郎・もちみ一郎・ゆきかね・なりうぢ・ありむら

 

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第百五十三回

 

「毛野計を呈る八百八人丶大命を聴く善巧方便」

 

【延命寺方丈。立てた膝に衣を掛けているか炬燵に入っている丶大が看経の途中、振り向いている。傍らに書二册。大角と毛野が庭から訪ねてきている。念戌が腰を屈めて出迎える。手前にある木は梅か】

 

毛野大角延命寺の方丈に造る

 

大かく・けの・ねんぢゆつ・ちゆ大

 
 
 

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