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八犬伝第九輯巻四十六簡端附言

 

本編の題目は先板巻の四十五までの総目録の下に夙く附出せしはいかで看官に結局までの趣を知らせまく欲しし僻所為にて彼六回は当日腹稿の大概を挙たるのみ。其後本編を編るに及びて予思ひしより長くならざることを得ず。然ども一巻毎に定数ありて作者の自由に做しかたければ已ことを得ず一回を釐て或は上下或は上中下とい二回三回に分ちて其数に合せたり。抑一回を釐て二回三回に做すことは唐山の稗史小説にこの例なし。只源氏物語に若菜の上下ありといへども本伝は源語に倣はず。専唐山の稗史に憑る兀自文渓堂の性急にて半冊稿じ畢れば随て奪ひ去りて浄書■厥にリットウ/人の手に逓与す故に後に至りて不都合なきことを得ず。先刊刻なる所の五巻を発販せんとていそがるれば這簡端の余紙にしも事情を略記してもて其責を塞ぐ而已。

天保十二年辛丑秋長月之吉

 

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第百七十七回

 

「一顆の智玉途に一騎の驕将を懲す四個の保質反て両個の保質を捉る」

 

【馬の傍らに立つ扇谷上杉定正が振り返っている。既に頭髻を切っているのか。大石源左衛門憲儀が跪いて、胡座の鮠内葉四郎と向かい合っている。前屈みに立ち定正を見詰める小湊目。サル八が横に控えている】

 

附録目「建柴の道場に毛野守如の墓に謁す湯嶋の茂林に道節三隊の敵を破る」

 

敗将頭髻を切てみづから首級に易

 

さくわん・葉四郎・さる八・のりかた・定正

 

【浜辺で気を失った音音が地元住民に抱き起こされている。住民の一人は音音の手首を持ち脈を測る仕草。浮屠家海苔七が立って呼び掛けている。海苔七と別の一人が腰簑。海苔七の妻は家の囲炉裏端で火を使っている。海辺に千鳥が群れ飛ぶ】

 

大茂林浜に海苔七音音を救ふ

 

おとね・のり七・のり七女房

 

【五十子城内奥座敷。具足姿の音音が薙刀を揮う。朝時技太郎の首が飛ばされている。首のない体が驚きの仕草。傍らに火縄のついた銃。銃を担いだ天岩餅九郎が額に手を当てている。これも驚きの仕草か。貌姑姫の背後から曳手が胸の辺りに手を回し抱き締めている。単節は貌姑姫が右手に握る短刀をもぎ取ろうとしている。妙真は姫に向かい合って座り説得の様子。奥で腕を広げ河堀殿が、これまた驚きの仕草】

 

五十子の城に四勇婦大功を成す

 

もち九郎・おと祢・わざ太郎・ひくて・はこ姫・ひとよ・妙しん・河堀殿

 

【五十子城。座敷に床几を立てて座る毛野。左右に妙真・音音が侍る。浦安牛助友勝は縁側に。小森但一郎高宗は庭に。綱坂四郎・大石憲儀が庭先に引き据えられている。小湊目堅宗が憲儀の縄の端を持って控えている。女房たちが跪いている】

 

智玉長く駆て敵城を抜く

 

みやつかへの女ばう・つな坂四郎・のりかた・かたむね・友かつ・妙しん・とよとし・けの・おと祢・たかむね

 

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第百七十八回上

 

「有種恥を雪て郷党を復帰す丶大水陸に衆鬼を済度す」

 

【根角谷中二麗廉が雑兵と組み合っている。箕田馭蘭二は雑兵に組み敷かれている。布留川浅市・韮見利金太・丁田畔四郎・当場阿太郎・反橋雑記が逃げる。道節・荒川清英・印東明相が轡を並べて追っている。道節は弓を携えている】

 

道節途に三城の残兵を破る

 

きよひで・あけすけ・道節・ざつき・阿太郎・やちう二・くろ四郎・りきん太・あさ市・ぎよらん二

 

【忍岡城攻防戦。里見勢が門を破って乱入。穴栗専作が正面から師椀坊豪菁に斬られている。有種は槍を使っている。誼莢院豪荊・突面坊豪的も敵を追う】

 

有種豪荊夜忍岡の城を抜く

 

かうけい・ありたね・かうせい・かうてき・せんさく

 

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第百七十八回下

 

「里見の諸将士稲村に凱旋す安房侯博愛隣国の窮民を賑す」

 

【水陸施餓鬼。小湊目堅宗が床几に腰掛けている。左右にサル八と葉四郎。沖には、丶大の舟に併走する親兵衛。並んで後続する信乃・政木大全。丶大の左手から直角に近付く荘介。海面から多くの玉が飛び出し輝いている】

 

水陸道場施餓鬼の功徳窮民冤鬼抜苦与楽す

 

は四郎・かたむね・さる八・大ぜん・しの・しん兵衛・ちゆ大・さう介

 

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第百七十九回上

 

「照文帰東して房総福多し東西和睦して両国津を開く」

 

【稲村城内に捕らわれた十二敗将。足利成氏の頬はブルドッグ。三浦義武と長尾為景は前髪姿。ほかは総髪。稲戸津衛由充のみ月代部分疎ら。年のせいか】

 

十二敗将稲村の城に幽せらる

 

もりさね・よりみつ・のりしげ・たねひさ・ためかけ・よしたけ・よしあつ・ともやす・よりたね・のりふさ・なり氏・ともよし

 

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第百七十九回中

 

「義成十二敗将に面ず助友秘封一匣を受く」

 

【絵は下手から始まり四頁続き。老人となった堀内貞行が上座に向かっている。上座に里見義成・義通が横向きに並び、其の前後に八犬士が揃う。照文も控えている。三宝の上に折れた矢。勅使代の秋篠広当と諚使の熊谷二郎左衛門尉直親のみ床几に腰掛けている。若干、広当が高め。座高の関係か】

 

稲村の城に義成勅使諚使を迎ふ

 

しらはま十郎・あさひな三弥・七らう二郎・さい太郎・法六郎・まし松・代四郎・なり介・しけとき・もえ三・かひ六郎・たかつぐ・さだゆき・はやとも・きよすみ・なほもと・ときすけ

 

其二

 

けん八・よしみち・しの・とうせつ・しん兵衛・よしなり・小文吾・さう介・てるふミ・大かく・けの・ひろまさ・なほちか

 

★此処での犬士の紋は、親兵衛が「杣」字、信乃が五三桐、道節が左向き揚羽蝶、現八が「犬」字、小文吾が「古」字、大角は蔦、毛野は月星、荘介は篠だが篠竜胆にも見える

 

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第百七十九回下

 

「戍孝孝を全して故君に別る孝嗣義に仗りて旧主に辞ふ」

 

【五十子城奥座敷。上手に貌姑姫と河堀殿が並ぶ。女房三人が横手に控える。妙真・音音・単節・曳手が対面】

 

四犬女功成りて衛を両夫人に解く

 

ひく手・ひとよ・おとね・妙しん・かハほりどの・かしづきの女ぼう・はこひめ

 

【国府台城座敷。書院か。上手に足利成氏。月代あり。脇息に手を掛けている。望見一郎・科革七郎が控える。信乃は一郎・七郎に向かって何か云っている。袋入りの村雨を持っている。驟雨を降らせる黒雲から稲光の如きものが縁側まで差している】

 

孝玉孝を全ふして遺訓を果す

 

犬つかしなの・もちみ一郎・しなかハ七郎・なり氏

 

【話しかけてくる大石憲儀を立ったまま睨み返す上下姿の政木孝嗣。二人の伴若党・三人の僕は呆れた表情。憲儀の伴若党は恥ずかしそうに俯いている横顔。海上の舟に小幡木工太郎東震・巨田助友・毛野】

 

理義を詳にして孝嗣故主に辞ふ

 

伴わかたう・のりかた・しもべ・ともわかたう・しもべ・しもべ・たかつぐ・ともわかたう・たねとも・すけとも・はるたつ

 

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第百八十上

 

「一姫一僧死生栄貴を等くす孝感力芸詠歌奇異を賛す」

 

【金蓮寺。天秤棒に二つの瓶をつけた息部局平が跪いている。対面した信乃が背を丸め驚いている。つられたか道節も驚きの仕草。腕組みする小文吾を大角が見詰める。現八は局平を直視。荘介は傲然と何か考えている様子。胤智は局平を凝視。前髪姿の親兵衛は生意気そうな顔。伴人たちも考え込む】

 

金蓮寺の門前に戍孝局平に逢ふ

 

つぼ平・ただとも・もりたか・まさのり・まさし・やすより・ちゆ大・のぶみち・よしたう・たねとも

 

★此処で犬士は諱

 

【小文吾が岩を持ち上げている。大角が扇を半ば開いて応援。親兵衛は面白そうに見詰めている。庵主と妻は驚いている】

 

拈華庵に悌順勁力を見す

 

あん主・あま・犬村・犬田・犬阪・つぼ平・犬飼・犬川・てる文・犬塚・犬江・犬山

 

★此処で犬士は名字

 

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第百八十中

 

「義成功臣を重賞して八女を妻す初段」

 

【富山への祭礼行列。鳥居の手前に「富山姫御祭礼」の幟二本。神輿の屋根には三巴。犬士は上下姿で騎馬。丶大も騎馬】

 

富山姫の神遷座行列

 

ちゆ大・大かく・げん八・とうせつ・ぶんご・さう介・しん兵衛・しもつけ・しなの

 

英泉

 

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第百八十下

 

「義成功臣を重賞して八女を妻す後段信隆旧城に還任して罪過を免る」

 

【御簾の下から紐が八本。左右に荒川清澄と東辰相。現八の二重瞼が潤んでいるよう。信乃と大角は見つめ合っている。毛野は笑顔。親兵衛は真剣】

 

翠簾を隔て八犬士赤縄を援

 

のぶみち・やすより・まさのり・よしたう・ただとも・もりたか・たねとも・まさし・清すみ・ときすけ

 

★此処での犬士の紋は、信乃が五三桐、道節が浮線蝶、荘介が雪篠、小文吾が「古」字、現八が「犬」字、大角が蔦、毛野が月星、親兵衛が「杣」字

 

【御簾の下から八本の紐。端に姫の名を記した名札。俯く浜路に鄙木が振り返っている】

 

其二

 

八小姐天縁良対を得ぬる処

 

ろう女・ひなぎ姫・きのと姫・しづを姫・竹の姫・いろと姫・をなみ姫・しをり姫・はまぢ姫

 

★思い沈む浜路と、そんな浜路を振り返る鄙木。「其の一」に於ける、見つめ合う信乃と大角、に対応する。此の二組に就いては、天の采配以外の何者でもない。引き離された者達は、姿を変えてでも、再び巡り会わなければならない

 

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第百八十勝回上

 

「狐竜化石を貽して丶大蝉脱す八行璧を反して八行十世に伝ふ」

 

附録目此段不釐回但有附録目已

 

「信隆宗盈古江に孝嗣に逢ふ政木大全論弁和漢を引く」

 

【金光寺門前。狐の頭をした蜷局巻く蛇様の石。政木孝嗣がしゃがんで見詰めている。武田信隆・畑夏作通豊・江田九一郎宗盈が並び立っている】

 

金光寺の門前に狐龍正覚を示す

 

たかつぐ・のぶたか・畑なつ作・江田宗みつ

 

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第百八十勝回中

 

「延命寺に義成牡丹花を賞す富山の窟に念戌遺題の歌を見る」

 

【延命寺。前髪を落とした親兵衛が牡丹を愛でている。毛野は一輪手折っている。念戌と丶大が向かい合って縁に控えている。総髪の里見義成が座布団に座っている。太刀持ち小姓が侍る。六犬士が三方を囲んでいる】

 

義成延命寺の書院に牡丹を観る

 

まさし・ちゆだい・たねとも・まさのり・のぶみち・よしなり・ねん戌・よしたう・もりたか・やすより・ただとも

 

★此処での犬士の紋は、親兵が「杣」字、毛野は月星、大角は蔦、現八は「犬」字、荘介は雪篠、信乃は桐、小文吾は「古」字、道節が浮線蝶

 

【石窟の扉に「古ゝもまたうき世の人のとひ来れはそらゆく雲に身をまかせてん」。万里小路藤房の原作。親兵衛の見詰める先に雲気。石窟から棚引いている。上に伏姫と四天王、そして丶大。丶大は穏やかな笑顔。念戌が祈っている】

 

丶大を■ソウニョウに干/て親兵衛念戌富山に到る

 

しん兵衛・ねんじゆつ・ちゆ大・ふせ姫神

 

★本文で親兵衛は富山まで行っていない。読本にも縷々書いてきたように、藤房の歌は太平記などにも載るが、建武新政権に絶望した彼が行方を眩ますときのもの。偃王を滅ぼした理不尽なるオカルト王/穆王の物語が太平記の背景にある。穆王は八頭の駿馬をもっており、此れを活用して偃王を滅ぼした。白氏文集によれば、八駿は房星の化現であった。偃は、伏と同義である。穆王は其れまで服属していた偃王ら周辺民族と敵対し、離反させた。結局は周王朝の弱体化させるきっかけとなった張本人である。理不尽により民心が離れていったのだ。藤房は、御仲間成果主義で側近のみ優遇する後醍醐帝を諫めたが容れられず、行方を眩ませた。後に丶大が里見家を諫めるべく姿を現すことを考え併せれば、此の時点で里見の仁気は薄らいでおり、凋落の兆しを見せていたことになる。盈れば欠ける。天然自然の理であったかもしれない

 

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第百八十勝回下大団円

 

「犬士退隠して天命を楽む諸将の得失其尾を備にす」

 

【犬士二世が山道を歩いている。心なしか筆線が雑なように感じる。画面の奥には庵で共同生活している老人たちの影】

 

後の八犬士倶に父の山居を訪処

 

犬田小文吾・犬飼げん吉・犬村角太郎・犬川かく蔵・犬阪毛の・犬山道一郎・犬塚しの・犬江しん平

 

【鶴に餌を遣る現八。書を閲する小文吾。瓢箪から犬を出している荘介。巻物を開いて読んでいる大角。「諸悪勿為衆善奉行」と書く毛野。岩に腰掛け笑顔で幣を振り上げる道節。子犬を抱き上げ頬擦りする信乃。瓶を持ち上げ信乃に見せようとしている親兵衛】

 

八犬仙山中遊戯図

 

犬村老仙・犬阪老仙・犬川老仙・犬塚老仙・犬江老仙・犬田老仙・犬飼老仙・犬山老仙

 

英泉

 

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回外剰筆

 

「頭陀枕中を話説す四十八城稗史本伝を大成す二十八年」

 

【義実を初代として里見家当主十代。七代まで鎧姿。八代が鎧の上に着衣を纏い九代は太刀を帯びするが鎧は纏わない。十代は礼服】

 

里見十世十将綉像

 

第一義実よしさね・第二義成よしなり・第三義通よしみち・第四実尭さねたか・第五義豊よしとよ・第六義尭よしたか・第七義弘よしひろ・第八義頼よしより・第九義康よしやす・第十忠義ただよし

 

★七代までが戦国期、八代の頃に織豊政権が成立し、九代は関ヶ原を経験し十代は大阪陣の頃に改易された。安房里見家の存続期間は、戦国期から徳川政権確立までの時期に当たる。時代相を大まかに表現しているのか

★安房里見家は忠義を以て断絶した。忠義は江戸随筆で「ばか」とまで評された。前田侯が鼻毛を伸ばし馬鹿のふりで幕府を安心させ家を存続させた話は有名だが、断絶したところをみると、忠義は真の馬鹿だったのかもしれない。里見代々記に描かれた忠義を見ると、なるほど「ばか」だ。十八歳で結婚するが、嫁に付いてきた近習を気に入り寵愛した。従来からの家臣は、新参者が出頭しては面白くなかっただろう。忠義は舅の頼みで鉄砲を貸したとき、口封じをいようと鉄砲足軽らを呼び出し、顔に水を掛けて回った。家臣を馬鹿にした忠義の幼稚な行為も、新参者の入れ知恵だと考えられた。怒った家臣たちは浪人となった。また忠義は、ちょっとしたことで家臣を罪し、放逐した。忠義は、無駄な存在だと、非人たちを皆殺しにした。領内の鶴谷八幡宮には祖先の足利義実{安房里見家は二引両を家紋としており足利流だとする声もあった}が奉納した宝剣があったのだけれども、忠義は手元の刀と入れ替えた。直後から八幡宮は鳴動し、城の内外で変事が相次いだ。家臣たちは、宝剣の入れ替えも、新参者の入れ知恵だと言い合った。

そうこうするうち、正木大膳家に国替の命令が下った。実は国替ではなく、罪人として備前に流されてしまった。続いて忠義に、江戸に来いとの呼び出しが掛かった。慌てて忠義は飛び出すが、大手の坂まで来ると、馬が急に打ち震えて死んだ。忠義は黒白二頭の名馬をもっており、白を右王、黒を来佐馬と呼んでいた。死んだのは、白の右王であった。忠義は来佐馬に乗り換え江戸へ急いだ。江戸屋敷に到着すると、幕府からは、登城せず伯耆に行けと命じられた。配流である。舅へ鉄砲百挺を貸した罪による。

此の記述で忠義は、暗愚である。新たに里見家へ入った妻の近習の言いなりになり、十二万石を棒に振った。妻から実家へ鉄砲を貸すようにとの口添えもあったのだろう。愛妻家と云えなくもないが、暗愚な愛は、褒められたものではない。忠義が妻を愛していることを利用し思う様に藩政を左右する新参者は、八犬伝の山下定包を思い出させる。新参者の言いなりになり、ちょっとしたことで家臣を罪し放逐する忠義は、神余光弘であろうか。また、乗った白馬が変死したことが改易の前兆として描かれている点も面白い。

八犬伝では神余光弘が【死の狩猟】へ赴く折、「光弘の馬ゆくこと十町あまりにして暴に病て拍ども進まず前足折て撲地と臥せば」{第二回}と、出発直後に乗馬が急死してしまった。山下定包が自分の白馬を提供した。光弘は機嫌を直して先に進んだ。那古七郎・天津兵内は「乗馬の暴に斃れたる、吉祥なりとは覚ぬに」と引き返すよう勧める。勿論、此れは凶兆なんぞというものではなく、定包が光弘を自分の身代わりとして、杣木朴平・洲崎無垢三に殺させるための仕込みであった。ではあったが、光弘と里見忠義の行為は、乗馬が急死したため馬を乗り換え破滅へと向かっていく、との次元で共通している。八犬伝で光弘が馬を乗り換えた条は、定包の御為ごかしな計略に乗せられて破滅する様を集約したものでもある。忠義が馬を乗り換える条は、彼の暗愚が遂には祖神の怒りを呼び、破滅の前兆の一つとして描かれている。且つ【乗り換え】が旧臣から新参者へと寵愛を移したことをも象徴しているか。里見代々記では、白馬「右王」が急死し黒馬「来佐馬」に乗り換えたことになっている。里見九代記では、急死した馬の名は「明星」、乗り換えた馬を「北様」としている。北様は、北が水気/太陰であることからの名付けであろう。明星は、闇夜に照り輝くものだから、白馬でもあったろうか。里見九代記の「明星」から「北様」への乗り換えも、里見代々記と同様、白から黒、明から暗への乗り換えを暗示していよう。明とは旧来からの忠臣たち、暗が奸佞な新参者、ぐらいの意味を含まされているかもしれない。

結局のところ、八犬伝の神余光弘は、里見九代記などに載す里見忠義の暗愚を写し込んだものである可能性が発生する。山下定包は簒奪者であり正当な統治者ではない。暗愚な神余光弘から名君の里見義実へ統治権を移動させるための存在に過ぎない。即ち暗愚とはいえ一応は正統王権である神余家から直接に義実が領土を奪うことを、馬琴は躊躇ったのだ。一旦は定包に簒奪させ、簒奪者を罰する体裁を整えてから、徐に義実は領土を獲得する。しかし本来「罰する」のならば、神余家の復興が目指される筈だが、一族である金碗八郎は義実を奉戴する。光弘が暗愚であること自体、神余家の命運が尽き、統治権を喪ったことを意味していた。神余家が復興する必要はない。そして八犬伝で光弘の乗馬が急死する作中事実が、里見九代記などに載す里見忠義の乗馬急死からインスピレーションを得たものであるとするならば、其れは無限のループをも読者に想定せしめよう。偉大なる名君/里見義実の創業も、時を経て劣化し神余光弘と同様の暗愚に陥って、滅び去る。即ち、神余光弘が滅ぶさまは、里見家が後には滅亡することを、読者に思い浮かばせる仕掛けとなっていようし、組織の滅亡は、いつも同様であることを示唆していよう

 

     ◆

第九代忠義公

第九代四位侍従里見忠義公は御歳九才にて義康公に後れ給ひ家臣岡本堀江板倉抔より後見にて守り育て奉り慶長十六年には御年十八歳に成らせ給ふ。或日御母君四人の家老を被召御相談有けるは、忠義君も早婚礼頃に至れり我親類織田相模守氏長か娘を迎へとらは一家も離れす末々の頼にも成らん皆々には如何思はるゝそ、と問給ふ。何も此儀尤君の御為にも成候半、と同意申ける。頓而迎取て御前にそ奉定ける。御付人には印藤采女正同姓河内介両人、御前の近習たり。角て年月経る内に印藤采女御機嫌に入て出頭類なかりけり。古来の家老諸家中、頭を可揚様もなし。然るに十九歳の御時夏の頃、御舅君相模守殿へ鉄炮百挺送り遣されけるとかや。諸家中誰共に樫と知る者もあらさるに或日、弓鉄炮の足軽共を一人も不残、白砂へ被呼付仰られけるは、汝陰にて人の噂を咄しすると聞たり重て左様の事あらは一々仕置に申付るそ、とて水弾にて人々の面へ水をはしき懸け給ふ。人々罷立て私語合へりけるは、是こそ彼の鉄炮の事なるへし、か様に威勢を振廻下々の口を留んとの巧にや、是も今度渡り申候新家老印藤目か君へ教へ申たるに疑なし、とて見伝へ聞伝へ兎角此城に永々居たらは必定危うきあらんとて他国より渡りし能侍とも大方浪人したりける。又是も印藤か計にてやあらん、非人は国の費へ成とて国中の非人一人も残らす打殺し給ひける。斯悪事を被成けれ共、古来の家老押へ申事も不叶、其職に空く居を恥、且は行末を思ひやりて家老の内にも浪人する者もあり。纔の事にも御立腹ありて扶持離さるゝ者もあり。諸事印藤か業とて牙咬ぬ者なかりけり。角御心持給はゝ御世如何あらんと堅唾を呑て日を送りける。又色々の凶事共顕れける。是も印藤か奉勧けん、鶴谷八幡宮へ御先祖足利義実公の奉納有し宝剣を癸丑八月上旬の頃、申をろし守家か打たる腰の物を代りに立させ給ける。其夜、八幡宮俄に震動する事夥し。又甲寅六月中旬の頃、御城の廻り真中深さ二丈余りもや有らん所に一夜の内に稲一叢生出たり。往来の者、怪異の事に思ひ立留りて見る事夥し。日数廿日計過て大き成穂二十本抜たり。七月廿日過迄も有けるか、いつ枯るともなく失にけり。是等只事にあらすと上下危み思ひける。又元和元年丁卯正月元朝の御祝に御座敷の盃台、人も碍らす風なとの吹倒すにもあらて、くわら/\と砕け倒れけるとかや。御前に有合頭衆給仕人計見たる事なれは外様へは隠し包しとなん。同五日の朝は御台所の大釜呻り吼る事夥し。又十一日の御具足祝には座敷なる大火鉢炭火に赤き菌三つ四つ生出たり。是も有合もの共計にて、あらはに云はさりける。去年よりの事とも多かりけるか、同年八月上旬に江戸より上使あり。正木大膳殿へ国替可申とありけれは大膳殿急き出府せられけるか、江戸より直に備前国へ預け人に成て下り給ひける。押付九月上旬には忠義公へ上使あり。早速参着可有との事なれは一時も早出府あらんとて御支度有。常に秘蔵せさせ給ひける馬右王来左馬とて黒白二疋の馬あり。何も劣らぬ名馬なりける。先白の馬右王に被召、御城の大手の坂迄出させ給ひけるか馬右王俄に身振せしか辻跌して倒れ伏し忽に死にけり。頓て黒の来左馬に被召て御出あり。昼夜御急きありて八日暮に江戸屋敷へ当着なされける。明る九日に御使者下りて渡城に不及、伯耆国へ配流被仰付。其故は其方舅相模守陰謀の企あり。其方一味同身にて鉄砲百挺被送由露顕明白也と被仰渡、忠義公にはあつと計御返答有て御色変らせ給ひける。此日如何成日そや、安房里見九代の相続、元和元年丁卯九月九日、忠義公廿二歳にて国除せられ一家落し給ひける……後略{里見代々記}

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四位侍従忠義公の事

元和元年の秋、大膳殿を国替とて備前国へ御預。五月中旬、忠義公を伯耆国へ流罪。相模殿と同罪の故なり。御前は相模殿御息女、家老は板倉堀江印東黒川也。此公落去の事は新家老印東采女出頭の故に譜代の諸士悉く述懐奉公せしなり。又非人は国の費なりとて悉く打殺す。又相模殿と一味の事は諸士は知らざれとも其事に付、御威勢に可順かを心みん為に或時は水はしきを以て諸士の顔に水をそゝき見給ふ事、如何なる間、新出頭次第にはひこり譜代の士は次第に浪人す。又相模殿へ鉄炮百挺遣されし事并陰謀の事、江戸へ早々知れし事は彼浪人共の咄よりひろまりしならんか。又怪き事は寅の年、安房の八幡宮へ御先祖より御納めなされたる宝刀を申下し替りに高家の御腰物を被納に宮殿鳴動せし事おひたゝし。卯夏、御城の堀に稲一かふ生ひ出たるを諸人群集して見物す。同九月、忠義公、江戸へ出府。其時、北様に明星とて二疋の名馬あり。明星は辻跌して死す。故に北さまに召て御出あり。又鬼門の方に向て大巌院といふ浄土宗を建られたるも不吉の事なりといふ……後略{里見九代記}

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一、十世忠義。元和元年大坂落城以後九月中旬故有て忠義伯州へ配流。正木大膳事は備前州へ御預となる(按、忠義室は大久保相州侯の女也)。此時家老板倉堀江印東荒川四人斬首。又忠義安房国八幡へ大祖義実納し刀を守家の刀と引替納む。其夜神殿鳴動することをびたゞし。又忠義江戸発足の日明星といふ馬故なくして死す。是則亡国の兆なるべし……後略{房総志料}

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【安房鳥瞰図】

 

安房国名所図

 

画工英泉安房に遊歴せし日に写し得たりといふ真景是なり

 

{頭註}

爰に写す所ハ伊戸村平太浦より布良まで一ト目に見る処ハスノサキのかげになりたるて以也

布良のいそのうしろに根本タキロハかくれてみえずノジマガサキハ見ゆるなり

洲崎とハ云ずスノサキと云り

洲ノ崎ヨリ川名伊戸坂足小沼堺野大石中里布良

メラノイソ一里余海へ出る

根本滝口

是より神余へ入る道ありて安房郡也

嶋崎ヨリ朝夷郡なり

白浜挟珠院へ至る

土人の説に国司明神ハ里見義豊をまつるといふ

正木ヨリ府中本織延命寺へ出る

一部ヨリ二部

富山(とみさん)へ至る

今ハトヤマと云ずトミサンと云り

古の国ハ多々良より元名までハ鋸山のかげになりたるていなり

村の名を順に志るせるのミ

凡行程二十余里と縮図せるものなり

白ハマノジマガ崎

 

 

 

【馬琴宅。襖と馬琴の袖に八本矢車紋。馬琴の傍らの机に本が積まれているようだが、布を被せている。布に宝珠と巻き貝の模様】

 

頭陀二たび著作堂に来訪す

 

廻国ずだ

 

★額に「仁者寿隆生」、掛け軸にある「写し見たる鏡に親のなつかしきわか影なからかたみとおもへば作者旧詠董斎書」は、秀句

★最終に当たる第十九編の裏表紙は、日月・「犬」字・「杣」字・雪篠・五三桐・浮線蝶・蔦・「古」字紋が下半分に描かれている。表は同じ意匠で、上部に大中黒が五つ横並び

 

   
 
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