◆傾城反魂香
白きを後と花の雪、白きを後と花の雪、野山や春をゑがくらん、聞に北野の時鳥、はつねをなきし其むかし、清涼殿に立られし、馬の障子のゑ、夜ごとに出て萩の戸のはぎをくひしも金岡が、筆のすさみの跡たへず、伝はる家や画工のほまれ、狩野四郎二郎元信、たんせいの器量古今に長じ、心ばへよきオトコぶり。親の絵筆の彩色に、生れつき成びなん也。此はぶんきのやよひの空、天満天神のつげ有て、越前ノ国気比のうらへと、旅ばをり、我は笠きて大小の、柄にも袋きせるづつ、でつちがこしの白山も、こぞのみどりにかへる山、山のいただき青々と、雪にうつらふさかやきの、ゆのお峠の孫ぢやくし、もりこぼしたる花重、かさねかさねしはたごやが、なさけもあつきかんなべの、つるがの浜にぞ着給ふ。四郎二郎一ぼくを招き、ヤイうたの介、外の弟子にもかくし此所に下りしこと余の義にあらず、近江ノ国の大名六角左京ノ大夫頼賢殿と申は、佐々木源氏のはた頭、高嶋のやかたとて、けいづ所領ならびなき大将成が、将軍家の御意を受、本朝名木の松の絵本をあつめらる。然るにあふ州武隈の松と云名木は、いにしへ能因法師さへ、跡なくなりしと読たれば、名のみ残つてしる人なし、我是をかきあらはし、ほまれをゑさせ給はれと、天満天神をいのりし所に、武隈の松を見んと思はば、越前ノ国気比のはまべに行べしと、あらたにれいむを蒙れ共、それはみちのく、こ丶はこしぢ、何をしるべに尋ぬべき、あはれ里人の来れかし、物とはんとぞよばはる丶。所の者の御用とは、都人にて有げに候。御尋有たきとは何ごとにてばし御座候、御らんのごとく都の者、天神のをしへによつて松を尋るしさい有、此所にこそ名高き松の候らめ、をしへて給はり候へとよ。是は思ひもよらぬことを承る物哉、此北国ににてお尋有ふならば、越前布越前綿、もしは実盛の生国なれば、お供のやつこの髭にぬる油ずみなどのお尋も有べきに、名高い松とはさすがやさしき都人、先当国の名木は、西行が塩こしの松、あそふの松若が物見の松、かねが崎には義貞の腰かけ松、山のを山松庭のを庭松、門には門松、酒にははま松、こえたはこえ松、ねぢたはねぢ松、わり松たい松、ぬつぽり松、我等がむす子に岩松長松と申みどり子も有、庄屋の名は松兵衛、わかい時にはすまふ取、あか松ぶちわつた様にござ有しが、今老松になられて力ももとよりさがり松、腰もかがんでゐざり松ゐざり松と所の人はよび候。ヤア誠に天神の御告と有に思ひ当つた、当所つるがの町に名高き松の御座候。これぞ京にも類なしと心をかけぬ人もなき、色よき松の候が、もし左様の松にてはござなく候か。実にゆき丶もしたふとは疑ひもなく我らが尋る名木よ、急いで見せて給はれかし、いつも夕ぐれごとには此所へ顕はれ出給ひ候。ヤアヤアはやあれへ御出候。我らはお暇給はり候べし。御逗留の間御用のことは承り候べし。頼み申候はん。心へ申て候。高き名の松の門立立なれて人待がほのくれならん、町はつるがのかけ作り、まぶこそ塩のみちひきなれ、誰をかも、しる人にせん、此さとの、松と成しも親の為、うられかわれて北国の、土けのしづの里なれど、よねのそだちは上田の、すいそんなしの太夫職、名を遠山とよばれしも、人にのぼれの恋の坂、おろしあゆみの道中は、花の立木の其ままに、ぬめり出たるごとくなり。うたの介、是申見ごとな者がそれそこへ、それそれといへば四郎二郎、ヤアなんと松が見へたか顕れたか、うつしとめんとふつと立、女郎にはたと行当り、是は扨、松かと思ふてはまつた、本の松を尋て見ん、でつちこいと行ちがふ、袖をひかへて是申、此遠国の我々と、京のくるわの松様達とくらべさんすがふかくの至り、しかしぶすいなおかたには、松と見られて嬉しうなし、杉といはれてはら立ず、桑の木共ゑの木共、こなさあに似合たあほふの木共見さんせと、むだことなしのいひ捨ては、ゐなかよねとて笑はれず、御きげんそこねし御尤、実々松とは太夫様、我れはわるふ心へて、不調法な御あいさつ、まつぴらまつぴらおわびこと、是を御えんにお知人に成ましたし、下拙ことはかの丶四郎二郎元信と申わづかの絵書、去御かたより武隈の松の図を仕れとの仰、則天満天神のむさうに任せ、此所にて名有松と尋しを、太夫様と取ちがへ、是はかふも有ふこと、御了簡ついでにおつきあひもあまた也。願ひのかなふ便もあらば、御せわ頼み奉ると思ひ入てぞかたらる丶、女郎はつとかほを詠め、扨はかの丶四郎二郎元信とは御身の上か、耻をつ丶むも時により、何をかくさん、わしことは、土佐の将監光信が娘成が、父は一とせ勅勘受、今浪人のうきとせい、此身に沈むは申さず共、すいして泣て下さんせ、扨武隈の松の図は、土佐の家のひでんの絵本、もらすことは叶はね共、ゆふべふしぎや、天神様の夢の告、かのと云絵師下るべし、武隈の松を伝授せよ、父が出世のたねならん、と見たはまざまざまさ夢と、かたりもあへぬに四郎二郎、かん心かんるいきもにそみ、天を礼し地を拝し、くはい中の絵筆ゑぎぬをひろげ、サア遊ばせ御伝授頼むと悦びける。いかにも伝へ申さんが、親のゆるしもなき中に、筆取ことはいかが也、アア何とせん、げに思ひ付たり、あの御供の人の立姿を松の立木になぞらへ、笠をえだはの笠となし、こ丶にてまなび見せ申さん、それにてうつしとめ給へ、是そこなやつこ様、こ丶にござんせ、やとひましよ、ないないない手ふる頭をふる年ふる松の、松根によつて腰つきも、千年のみどりうつせしは、作意なりけり、先歌人の見立には、一本松を二木共、三木とつらねしことのはの、それは老木の松がえなれど、うつすわか木のやつこのやつこのやつこの、此ひざのふし松のふし、前へぢすりの下枝に、ぬつと出せしかた足は、慮外千万千貫枝、筆捨枝や久かたの、あまつをとめのかたくま枝や、こしかけ枝の三がい松、月にさはらぬ枝々の、さざれ小枝の松かげを、サア沖こぐ舟のほの、ほの見へて、さすかひなには寿福の枝、治むる手には不老の枝、たれて雪見のひかへの枝、是々これこれ、ずつとのびたるながしの枝、松は非情の物だにも、つたへし心のいろはなを、さながら青々條々として、松のいき木のいきいきと、わかやぎ立てる其ふぜい、かのは一てんちがひなく、書つらねたる筆せい、何れをうつしゑ何れを立枝まがひつべうぞ見へにける。元信家の幸甚たり、早速帰り本くはいとげ、此報をんには御身の上の、父御のことも請取申、万のお礼は本国よりと、立帰るを是申、神の告に任せ、しからは恩にはかけず末かけて、情を思召すならば、必外に内儀様、持てばし下んすな、やつこ殿頼みます、何が扨何が扨、天神様より太夫様、押付おふたりれんりの松、中に立たる此松は、嶋だい持ての取結び、千年万年万々年、とぢ付ひつ付松やにの、はなれぬ中とぞことぶきし。されば江州高嶋のやかた左京ノ大夫頼かた卿、さんきんの上洛有。執権不破ノ入道道犬、同嫡子不破伴左衛門宗末、国を預る留守居也。
御家のゑかきはせべの雲谷、あはただ敷入道親子が前に手をつかね、近比過言に候へ共、某ことは雪舟のてきでんとして代々の御ふち人、此高嶋のお屋かたにて、絵筆を取て誰人か、拙者か上につき申さん、然るに此度かのとやらん申二さい、武隈の松を書しとて、過分のをん賞を下され、こさんをふみ付御前にはびこり、剰今日はおくがたへ召れ姫君様よりお料理を下さる丶と承る、殿様の御るすたがゆるしてすい参、御家老の仰一国にいはい申者はなし、きつとお仕置然るべし、とぞさ丶へける。道犬うなづき、つ丶とよれ雲谷、惣じて此四郎二郎めは相役なごや山三が取持にて召出された、山三は元来お小性立、前がみの酒林で殿をゑはせし男げいせい、口ばしのきな小すずめが、家老並につらなりゐをふるふ、其山三めを甲にきて、のさばり廻る四郎二郎、我々親子がにらめ共、こと共思はぬきつくはいさ、其方とても同前たり、又をとの姫君いてふの前は、御あい子なれ共わきばら故、御だい所を憚り給ひ、田上郡七百町の御朱印を付られ、京都有徳の町人か、由緒有御家中へも下されんとの御内意故、某嫁に申請、此伴左衛門に縁辺し、七百町をぬしづかんと、あてはめ置た物、姫君狩野めに心を通はし、今日みつみつ祝言有とも、奥目付より聞たれ共、御意とあればせんかたなし、御在京の其間は、山三めもるすなれば、きやつが方人する者なし、少しにてもあやまりをずい分見出せ聞出せ、慮外をせば打ころせ、御るすの間国中は、某がさばき也、此不破と云鰐が見入て余り程はあらせまい、ためして見たいあらみはないか、一の胴か二の胴か、望んでをけといひければ、雲谷甚ゑつぼに入、政道ただしき御家老様、お屋かたのしん柱と、ついせいたらだら見ぐるしし。かくとはしらず四郎二郎、桜の間に伺公し、姫君いてふの前様より、御かけ物を仰付られ、持参仕候御取次頼み奉ると、いへ共入道伴左衛門じろりと見たる斗にて、返答もせずねめ付る。ヤアしれ者よ、そばには雲谷いか様我に手をとらするたくみ有、立帰るもふかく也、幸々奥へ通路の鈴の綱、ふりはへひけば鈴の音、おふとこたふる女のこゑ、宮内卿とて中老の局立出ヤア狩野殿か、姫君様は御待かね、お直の御用も有とのおこと、ヤアヤアこちへと有ければ、畏て四郎二郎いらんとすれば、伴左衛門こゑをかけ、まてまてまて、お家の掟を知ずんば、なぜ物頭には伺はぬ、しつてそむくか不届千万、上より御ゆるしなき時に、刃物をたいし奥方へ参ることきんぜいとの御条目、あれ大小もいで、引ずり出せ、当番当番、とよばはれば、宮内卿いや是は私ならず、姫君様より殿様へ御伺ひ、則京よりなご屋山三殿の指図にて、奥へ召る丶四郎二郎、なんのおとがめござらふと、いへ共さらに聞入ず。おるすを預る家老のみ丶へ、承らぬ御意なれば殿の御意でも叶はぬこと、それ伴左衛門もいでとれまつかせと立あがる。四郎二郎も身がまへして、すがらばきらんず眼ざし、左右なくもより付ず、サア、わたせわたせと詞でおどす斗也。時に奥よりおこし本、つかつかと出、是々いづれもお姫様より御意が有、四郎二郎にはじきに御用のことあれ共、丸ごしでなければ奥へ通さぬ御はつと丶あれば、ぜひに叶ず姫君様、此所へ御出との仰也。四郎二郎は御用人、其外の男のぶん、雲谷は云に及ず、御家老殿を始御前へは叶はぬ、皆おひろまへ立ませい、立ませいとの横柄さ、道犬親子無念ながら、つ丶と立て、サア雲谷、姫君の御前へは、男たる者罷出ず、男でもないやつ原に、侍のじぎ無用のさたと、四郎二郎に刀のこじり打あて打あて、はかまのすそ、ふみた丶くつてにらみ付、お次の間にぞ出にける。御るすといひ女中の辺、なをおんびんにこと共せず、御好のかけ物、梅にあは雪雉山鳥、仕つて候と、紐をといてかけ丶れば、此由披露いたさんに、サア先ゆるりとお茶しんじやと、局は奥にあいあいと、あいそうらしき声々の、男のそばへよることは、常になしぢのたばこぼん、落雁かすてらやうかんより、くはしぼんはこぶこし本の、まんぢうはだぞなつかしき。物におくせぬおのこなれ共、女中の色にめうつりして、気をとられたる折ふし、十八九成わきつめの、うしろ結びもかく別に、銚子盃前にをき、しとやかに手をついて、私は姫様のおぐし上、藤ばかまと申者、しみじみお咄しませいとの御ことぞや、御存の通お手かけばらのお姫様、御だい様への憚りにて、大名高家のお望みなく、心次第縁次第と、田上郡七百町、御朱印にぎつて殿好み、つれないはそなた様、いつぞやより色々と、おちの人お局、口のすい程す丶めても、どふでもお受ないとのこと、おいとしや姫君は、余りのことに恋こがれ、私をおねまへめし、ヤイ藤ばかま、せめてのことに、そち也と、四郎二郎と名を付て、心ゆかしにだいてねよ、そちもおれをだきしめて、姫かはいひといふてくれと、もがきごとがおいとしさ、とんと下紐打とけて、ねる程だく程しめる程、ふたりの心せく斗、どちらぞ男になりたいと、いふてもなひてもかなはばこそ、なふ大名の手わざにも、有べき道具のたらぬのは、ひよんな物とておむつかる、みづからにいなせの片時、聞切参れとのお使、わたしも一分立様に、お返事なされとのべにける。元信ひたひを畳に付、みやうがに余る仕合ながら、度々お返事申ごとく、諸傍輩のそねみと申、欲心にまぎる丶こと、世間のあざけり、よし御きげんにちがひ改易仰付らる丶とて、御恨候まじ、御受とては成がたし、よき様に御取なし頼入、とぞ云切たる。ハ丶アにべもなふ埒あいた、いかにとしても上つかたへ、左様な慮外申されまじ、少し物に品付て、始より約束の女房有と申なば、おむねのはる丶ことも有、去ながら、其女房は何者と、ごどをつかる丶念の為、今こ丶で私とふうふかための盃して、とつと前から藤ばかまと、けい約有と申さば、いかな主でも大名でも、此道斗はせんがせん、此談合はどふござんしよ、ヲ丶ウ幸望む所、サア盃仕ふ、いやいやいやいや、我とてもかりにはいや、仏神かけてのめをとぞや、せい文せい文、絵筆をとらぬ法もあれ、これじやこれじやといだき付、近比嬉しい忝し、是祝言の盃と、一つ受て元信に、妻の盃いただくさほう、儀式はかたふと四かい波。こし本中がうたひつれ、奥よりお局嶋だいに、七百町の御朱印箱、姫君の御祝言三国一とぞ祝ひける。四郎二郎がてんゆかず、逃げんとするをいだきとめ、藤ばかまとはかり名ぞや、みづからこそはいてふの前、せい文立の盃いやはならぬとの給へば、いや我らの名ざしは藤ばかま、外につまは是なしと、なをいぢばればこし本衆、そんならほんの藤ばかま、早ふ早ふとよび出す。お茶の間のきり、か丶五十余りのあつげしやう、三平二満の口べに、しなだれか丶るゑしやくがほ、是がなんの藤ばかま、しやちらごはい皮ばかまと、どつと笑ひのどやくやまぎれ、つきせぬいもせと成給ふ。
か丶る所へ不破ノ伴左衛門、宗末雲谷をともなひ、遠慮もなく座上にずつかとなをり、是四郎二郎、汝いか成野心にか、お屋かたを調伏し亡ぼさんとの存念有、きつとせんぎをとぐべき旨、父道犬が下知、申分ケ仕るか、すぐになはをかけふかと、はやなはたぐつて見せかけけり。四郎二郎ちつ共さはがず、せめて形の有ことには、申わけも有べし、御屋かた調伏とは此方のいひわけより、先御とがめのせうこ、承らんとぞこたへける。雲谷下座より、こりやこりや、せうこは某よ、惣じて絵書のひみつにて、絵をかいて調伏すること、人はしらじと思へ共、此雲谷が見付た、此かけゑはわぬしが筆、梅に山鳥雪に雉、抑当家は高嶋の御屋かたと号す、山へんに鳥とかいては島とよむ文字也、梅のこずゑに山鳥の高々ととまりしは、これ高嶋にあらずや、雉にほろ丶のこゑ有て、雪はふるとの心有、よみくだせば高嶋ほろぶる調伏、狩野とはかりの野とかけり、姫君と心を合せ、屋かたをほろぼし、一国をおのれが狩り場の野原にせんずる表相、重罪のがれずなはか丶れと、取付所をひつぱずし、むないたはたとけたをすまに、飛か丶る伴左衛門が、まつかう刀のつかにてはつしと打、すぐにぬかんとする所を、かくし置たる取手の者、十手八方かなぶちを、ぶち立ぶち立ねぢふせて、たか手小手にいましめ、くろ書院の床柱に、思ふさまにしばり付、姫君の御朱印を、うばひとれとむらがるを、女中手々に枕鑓、長刀にて引つ丶みかこひふせげば、あまさじとおくをさして追つめける。こしかけにひかへしうたの介、かくと聞よりたまられず、かけ廻つてもおくがたの、かつ手はしらず中口の、明ずの門くだけてのけと、とびらをた丶き、狩野ノ四郎二郎元信が弟子、うたの介之信と云ざうり取、主といひ師匠也、しぬる道なら共にしなん、高が絵書のでつちづれ、こはいことも有まい、相手の首取分のこと、ひらけよ明よと貫の木も、おる丶斗にふみた丶き、鳥居立にぞまたがつたる。元信内より、うたの介か満足した、身にあやまりなき上に慮外をして、姫君の御身のあやまち気遣し、帰れ帰れとよばはれば、ア丶慮外と云もことによる、明ずはふんでふみやぶると、わめきちらせば雲谷不破、うたの介を打ころせと、引かへして門の貫の木、はづす所をつけ入に、雲谷が小びたひずつばと切さげたり。あいつた丶とをどりあがり、二人ぬきつれ打かくる。あなたへ追つめこなたにさ丶へ、城下をさして切出る四郎二郎、じだんだふんで、エ丶佞臣共むざむざとはしぬまい、親よりつたへし一心の、絵筆はこ丶ぞと観念し、右のかたにはを立、ふつ丶ふつ丶とくひやぶり、口に我身のちをふくみ、ふすまどに吹かけ吹かけ、口にて虎をぞかきたりける。れんもくらいゐの眼の光り、いかり毛いかりふいかり爪、千里もかけんいきほひ也。道犬は姫君の行がた尋ね廻りしが、先絵書めからしまはんと、たちをぬかんとせし所に、俄に吹くる風さはぎ、絵にかく虎は形をげんじ、牙をならしてほゑか丶る。道犬もがう力者、くみとどめんといどみあふ。虎はたけつて爪をとぎ、あたりをけたて丶もみあひしが、もとよりふしぎの猛獣、道犬がゑりたぶさ、ひつくはへ打かたげ、くるりくるり、くるくるくる、くるりくるりともつて廻り、一ふりふつてなげければ、へいを打越しき石に、つらをすつてぞ打付らる。虎はいさんで元信のいましめをかみ切、せをさしむけてそばへたり。元信頓而心付、はかまのも丶だちしぼり上、ひらりとこそはのつたりけれ。虎は千里のあし早く、風にうそふく身もかろく、追来る敵を追ちらしかけちらし、ほりもついぢもをどりこへ、飛こへはねこへかけり行、ぶかんぜんじが四すいのとら、李将軍は虎をくむ、絵にかく虎をうごかすは、古今一人のつたも一人、天下一人一筆の、ほまれは世にぞ残りける。
げに獣君の、一霊山野にはびこり草木をふみおり、田はたをあらすことな丶めならず。近郷の百姓声々に、三井寺の後から藤の尾迄は見届た、此山科の藪かげへ逃こんだに極つた、皮に疵を付ずにた丶き殺せぶち殺せと、取どりわめき評定す。庵の内より棒ついて、小提灯さげたる男、ヤア何者じや人の軒、うての殺せのとはうさん也、とぞとがめける。いや是は矢橋あはづの百姓共、此比しがらき山から虎が出てあれる故、隣郷が云合せ、此やぶへ追っこんだ、さがさせて下されと、口々によばはれば、侍あざ笑ひ、やい虎と云獣が、日本に出たためしなし、十方もないこと、夜盗をし入の手引か、此庵をだれとか思ふ、土佐の将監光信と云絵師、仔細有て先年勅勘を蒙り、此所にひつそくし、将監年は寄たれ共、某は門弟修理の介正澄と云者、ゆだんはせぬと棒ふり廻しいさかふこゑ。将監ふうふ障子を明、聞た聞た、天地の間に生ずる物、有まい共極めがたし、諸共さがせと鎗熊手ひつさげひつさげ、ゑいゑいごゑ、松明ふつてかり立る。一むら竹の下かげに、そりやこそ物よと火を上れば、あれにあれたる猛虎の形、人に恐る丶気色なく、せをたはめてぞ休みゐる。将監横手を打て、あらふしぎや、がんひの筆の竹に虎の筆勢に少しもまがふ所なし、是は誠の虎にあらず、名筆の絵に魂いつて顕はれ出しに極つたり、然も新筆今是程にか丶ん人は狩野ノ祐勢が嫡子四郎二郎ならでは覚えなし、いづれにもせよ証拠には、足跡有まい。物はためしと百姓共、わか草分ケて尋れ共、虎の足がたあらざれば、かき手もかき手目利もめき丶、前代未聞の名人やと、心なき土民等も、拝む斗に信をなす。修理の介、七足さつて師匠を拝し、ア丶有がたや此虎を見て、ゑの道の悟をひらき候、其しるし、我筆さきにてあの虎を、けしうしなひ申べし、名字名乗をさづけ、御ゆるしを受度候と懇望あれば将監悦び、ヲ丶けふより土佐の光澄と名付べしと、ゐんかの筆をあたふれば、修理はいただきすみを染、虎のすんにさし当、四五けん間を置ながら、筆引かたにしたがつて、頭前脚後脚胴よりおさきに至る迄、次第に消て失けるは、神変術共いひつべし。百姓共舌をまき、孫子迄の咄のたね、なふあの上手な絵書殿に、よいお山を十人程かいてもらひ、かねもふけがしたいといへば、ひとりが聞て、ヲ丶冬年おめにか丶つたら、借銭乞の帳面を、こ丶からけしてもらはふ物、お暇申と打笑ひ、在所在所へ帰りけり。こ丶に土佐の末弟、浮世又平重起と云絵書あり。生れ付て口吃り、言舌あきらかならざる上、家貧て身代は、うすき紙子の火打箱、朝夕の煙さへ、一度を二度に追分ケや、大津のはづれに店がりして、妻はゑのぐおつとはゑかく、筆の軸さへほそもとで、登り下りの旅人の、わらべすかしのみやげ物、三銭五銭の商ひに、命も銭もつなぎしが、日かげの師匠をおもんじて、半道余りをふうふづれ、よなよな見まふぞ殊勝なる。おつとはなまなか目礼斗、女房そばから通主して、まだ是はおよりませぬ、誠にめつきりとあた丶かに、日も永ふなりまして、世間は花見の遊山のと、ざはざはざはざは致しまする、こなたは山かげ御牢人の、おつれづれをいさめの為、よめなのひたしにとうふのにしめ、さ丶ゑでも致しまして、せき寺か、高観音へお供して、春めく人でも見せませふと、めをと申てゐますれ共、心で思ふたばつかり、道者時分でみせはいそがし、せんだく物はつかへる、仕ごとにははかいかず、日がな一日立ずくみ、何をするやらのらくらと、急げばまはるせたうなぎ、ただ今ぜぜからもらひまして、練貫水の大津酒、ゆめゆめしうござりますれ共、此春からお仕合がなをつて、鰻の穴から出る様に、御世にお出なされませ、ほんにつべこべつべこべと、わたしがいふことばつかし、こちの人の吃とわたしがしやべりと、入合せたらよい比な、めをとが一組出来ませふ、ア丶おはもじやと笑ひける。北のかた聞給ひ、ヲ丶よふこそ祝ふてたもつた、こよひはきめうなこと有て、修理は名字をゆるされ、土佐の光澄と名乗ぞよ、そなたもあやかり給へとあれば、又平時節と女房を、先へをし出しせをつき我身も手をつきかうべをさげ、訴訟有げに見へければ、女房心へす丶み出、誠に道すがら百姓衆の咄を聞、身は貧乏也かたわ也、おと丶弟子に土佐をなのらせ兄弟子は、うかうかといつ迄浮世又平で、藤の花かたげたお山絵や、鯰をさへた瓢箪の、ぶらぶらいきてもかひもなしと、身をもんでの無念がり、尤共哀共つれそふ我らの心の内、申も涙がこぼれまする、おく様迄は申せしが、おじきの願ひは此じせつ、今生の思ひ出し丶ての後の石塔にも、俗名土佐の又平と、御一言のおゆるしは、師匠のおじひと斗にて、涙にむせび入ければ、又平も手を合せ将監を、三拝した丶みにくひ付泣ゐたり。将監もとより気みじかく、ヤア又しては又しては、かなはぬことを吃めが、こりや将監は禁中の、絵所小栗と筆の争にて、勅勘の身と成たるぞ、今でも小栗にしたがへば、富貴の身とさかふれ共、一人の娘に君傾城のつとめをさせ、子をうつてくふ程の、ひんくをしのぐは何故ぞ、土佐の名字をおしむにあらずや、修理は只今大功有リ、をのれに何の功が有、琴棊書画ははれのげい、貴人高位の御座近く、参るは絵書、物もゑいはぬ吃めが、推参千万、似合ふた様に大津絵かいて世をわたれ、茶でも呑で立かへれと、あいそうなくもしかられて、女房は力をおとし、こなたを吃にうみ付た、親御をうらみさつしやれと、頼みなくなく又平も、我咽ぶえをかきむしり、口に手を入、舌をつめつてなきけるは、ことはり見へてふびん也。
時にやぶの内よりも、将監殿光信殿とよばはつて、いた手おひたる若者、縁先によろぼひ立、狩野の弟子うたの介、御見忘れ候か。げにもげにもうたの介、先こなたへとざしきにいれ、承れば四郎二郎殿、雲谷不破が悪逆にて、なんにあひ給ふだんだん、つぶさに聞、気遣しと有ければ、さん候、某も供仕雲谷と、た丶かひか様に深手をおひ候、頼み切たる名古屋山三殿は在京、元信あやうく候しが、漸のがれ落うせたると承る、こ丶になんぎの候は、姫君いてふの前、元信をあはれみ、七百町の御朱印を持て落給ひしを、敵うばふて下の醍醐にかくれし由、二度姫君屋かたへうつし、御朱印うばひかへさでは、ながく絵師のかきん也、それがし手負の身は叶ず、御かせい頼み申さん為、忍び参り候と、かたりもあへぬに、将監皆聞迄に及ず、狩野と土佐は一家同前、力に成て参らせん、され共きやつらと太刀打はいツかないツかなかなふまじ、姫君にもけがあらん、どふぞ弁舌のよき人に、御屋かたの御意といはせ、たばかつて取かへす分別がござらふ、何れもいふて見やれと、ひたひに小じわ、ほう杖つき、各小くびをかたふくる、又平何ぞいひたげに、妻の袖引せなかつき、指ざしすれ共合点せず。しんきをわかし女房を、引のけつ丶と出、師匠の前に諸手をつき、つをのみこんで、此うつ手には拙、せしやが参り、姫君もゴウ御朱印も、ウ丶丶丶丶丶うばひ取て帰りましよ。将監きつと見、ヤアめんどふな吃め、しあんなかばにじやま入る、そこ立てうせぬかしと、しかられてもおぢるにこそ、イヤ膝共談合と申、口こそ不自由なれ、心もうでも天下にこはい者がない、拙者が分別出し、叶はぬ時はゑん正すけ定、あつちへやるかこつちへ取か、首がけのばくち、命のさうばが一分五厘、浮世又平と名乗ては、親もない子もない身がら一心、命ははきだめの芥、名はしゆみせんとつりがへ、倅の時からきうこうなし、命にかへて申上るも、師匠の名字をつぎたい望ばつかり、拙者めを遣はされ下されませ、申シ申シさりとては、御承引ないか、吃でなくはかうは有まい、エ丶丶丶丶丶うらめしい、咽ぶえをかきやぶつてのけたい。女房共、去とはつれないお師匠じやと、こゑをあげてぞ、泣ゐたる。将監なをも聞入なく、かたわのくせの、述懐涙不吉千万、相手に成てははてしなし、是々修理の介、御辺向つてしあんをめぐらし、うばひかへし来られよ。畏つたと云より早く、刀ぼつこみ立出る。又平むんずとだきとめて、マ丶まんまんまつてくれ、師匠こそつれなく共、弟子兄弟の情じや、此又平をやつてくれ、殿共いはぬスツす丶すつすつすり様。こりや又平、某やたけに思ふても、師の命は力なし、こ丶をはなせ。イ丶丶丶いやハ丶丶丶丶丶はなさぬ。はなさねばぬいてつくぞ。ツ丶つきコ丶丶丶丶丶ころせ、ハ丶丶丶丶丶丶丶はなしやせぬぞ。修理の介ももてあつかひ、はなせはなせとねぢあふたり。将監夫婦こゑをかけ、はなせはなせととどむれ共、み丶にも更に聞入ず。女房取付、あれお師匠様の御意が有、おとましのきちがひやと、もぎはなせば、女房を取て投、はたとけてにらみ付、をのれ迄がきちがひとは、エ丶女房さへあなどるか、かたわは何のゐんぐはぞやと、どうど座をくみた丶みを打て、声もおしまず歎きける、心ぞ思ひやられたる。将監重て、汝能合点せよ、絵の道の功によつて、土佐の名字をついでこそ、手がら共いふべけれ、武道の功に絵書の名字、ゆづるべき子細なし、ならぬならぬと云切給へば、女房ゐなをり、サア又平殿かくごさつしやれ、今生の望はきれたぞや、此手水鉢を石塔と定め、こなたのゑざうをかきとどめ、此ばでじがいし其跡の、をくりがうを待斗と、硯引よせすみすれば、又平うなづき筆をそめ、石面にさし向ひ、是生がいのなごりの絵、姿は苔にくつる共、名は石魂にとどまれと、我が姿を我筆の、念力やてつしけん、厚さ尺余のみかげ石、うらへ通つて筆の勢、墨も消ず両方より、一度にかきたるごとく也。将監大きにおどろき給ひ、異国の王義之趙子昴が、石に入木に入も、和画にをいてためしなし、師にまさつたる画工ぞや、浮世又平を引かへ、土佐の又平光起となのるべし、此勢ひにのつて姫君御朱印諸共に、取かへせと有ければ、はつと斗に又平は、忝し共口吃、礼より外は涙にくれ、をどりあがり飛あがり、嬉し泣こそ道理なれ。将監夫婦悦び、心功にて心ざしあつけれ共、敵に向つてもんだうせんこと、いかがあらんとの給へば、女房聞もあへず、常々大頭の舞をすき、わらは諸共つれわきにてまはれしが、ふしの有ことは、少しもどもり申されずといふ。やれそれこそはくつきやうよ、心見に一ふしめでたふまふてたて。あつとこたへて立あがり、ふるき舞を身の上に、なぞらへてこそ、まふたりけれ。去程に鎌倉殿、義経の討手をむくべしと、武勇の達者をゑらはれし、それは土佐坊、是は又、土佐の又平光起が、師匠の御をんをほうぜんと、身にもおうぜぬおもにをば、大津の町や、追分の、絵にぬるごふんはやすけれ共、名は千金の絵師の家、今すみ色をあげにけり。
かくて女房いさみをつけ、又もや御意のかはるべき、はや御立とす丶めける。ヲ丶いしくと申されたり、身こそ墨絵の山水男、紙表具の体なり共、くちてくちせぬ金砂子、極彩色にをとらじと、いさみす丶みしいきほひは、ゆ丶し頼もし我ながら、あつぱれ絵筆のけなげさよ、からゑの樊■(クチに會/はんかい)張良を、たてについたと思召せ、お暇申てさらばとて、打立出るいきほひは、誠に諸人の絵本ぞと、ヲ丶ほめぬ者こそなかりけれ。あふ坂のせき、明ぼの近き火ようじのこゑ、高島の屋かたには、六角殿の姫君、行がた見へさせ給はぬとて、旅人のあらため問屋のせんぎ、土をかへさぬ斗也。又平は今朝七つだち、門出祝ふ中わんに、例のあつがん三ばいひつかけ、うつ立所にやごとなき、上らうのすあしの土に身もくずおれ、伏見のかたよりうろうろと、是そこな者、京の道をおしへてくれ、わらんぢとやらいふ物をはかせてくれと、詞つきの大へいさ。又平むつとがほに立はだかつて返事もせず。女房走り出、たいていのおかたではない、ゐのそなはつた見所有とおそばに参り、恐れながらお屋かたの姫君様と見参らす、我々は土佐の将監が弟子、吃の又平と申絵書のふうふ、狩野の弟子うたの介に頼まれ、お迎に参る折から也、必つ丶ませ給ふなと、さ丶やけば、嬉しげに、ヲ丶みづからこそいてうの前、道犬雲谷が追手すきまなし、よい様に頼むぞやとの給へば、又平土辺にひたひをすり付、悦びの色いさみの色、気をせけばなほ物いはれず、心のしかたのうでまくり、りきみそり打ちゐやひのまね、ぬき打なで切おがみ打、くみ合ねぢくび手にとつて、にぎりこぶしの武士気をあらはし、埴生にかくまへ参らすも、ふうふが所存ぞ頼もしき。程なく八町はしり、ゐの問屋組頭、組町引ぐし、おこしかへつて声々に、六角殿の姫君、朱印を盗出給ひ、御家老より御せんさく、うら屋小路もあらためよ、別して絵書は屋さがし有、人は勿論、犬猫も、内を出すなと、うら口かど口ばたばたと、さしもの又平取こめられ、かりばの鹿のごとく也。不破の伴左衛門はせべの雲谷、きごみの兵百騎斗、むら立来つて家々に、をし入をし入さがしける。又平一期のふちんぞと、女房諸共姫君をおしかこひ、隣をがはとけやぶつて、ぐつとぬけたるかべあつき、氷の様成だんびら物、さし出す首をかたはしから、キ丶丶丶丶丶丶丶きりならべんと、かべにそふてぞつ丶立たり。雲谷こゑをかけ、ヤアヤア是ぞ音に聞、土佐が弟子吃の又平めがすみか也、た丶きこぼつてさがして見よ。承ると一ばん手とつたとつたとつたとつたと、どつとよせしが、しどろになつて引かへし、なふこはやすさまじや、何かはしらず家内には、人大ぜいみちみちて、あるひはやつこの形も有、若衆女も有、人間斗か猿猪のし丶わし熊たか、爪をとぎ立、眼をいからし、よりつかる丶ことでなし、なふなふいや丶と身ぶるひし、舌をまいてぞ恐れける。何をぬかすうろたへ者、人三人共住れぬあばら屋、何者か有べきぞ、さつする所みせにはつたる三文絵を、いき物と見ちがへしか、こはいと思ふ心から、眼がくらんだこしぬけ共、それそれしとみをこぢはなせ、ぬるいぬるいと下知すれば、とび口ひつかけ、ゑいやゑいやと、なんなくみせをはなしける。内を見ればふしぎやな、いひしにちがひもあらやつこの、かげ共わかずまぼろし共、まだほのぐらきあかつきの、鳥毛の鑓さきそろへしは、土佐がたましひうつしゑの、精霊也共しらばこそ、我も我もとかけ向ひ、うて共つけ共手にとられぬ、露の命を君にくれべいと、そめしだいなし、きらひなし、相手えらばずふせぎたり。雲谷が弟子長谷部の等巌、かずにもたらぬかすやつこ、我に任せとまくりか丶れば、かたはだぬいだる立髪男、大盃をひらりひらりとひらめかし、みけんにふつたるたうがらし、ヲ丶からヲ丶から、からにしき、あやめもわかず、ひつかへす。師匠の雲谷たまりかね、かたはしより打みしやぎ、手なみを見せんととんでか丶る。やさしや、やさもの丶、女わざにはきどくづきん、藤のしなえを、をつ取のべ、ひんまとうて、はたと打、しと丶打をひらりとはづしうけ、ほどいつあさ衣の玉だすき、かひがひしきわかき法しの顕はれ出、いさみか丶れる有さまは、なみや鯰のへうたんへうたん、もつてひらいて鉢た丶き、た丶けばすべり、うてばすべり、ぬらりぬらりと手にたまらず、あぐみはて丶ぞさ丶へたる。不破が郎等犬上団八、そこのき給へ人々と、うつて出るや、うつ丶のやみの座頭一人、とぼとぼと、とぼつく杖をふり上ふり上、めくら打にうつてんげり。あまさじ物とつづいてか丶る、団八が弟犬上三八、二八斗の小人、まくらがへしの曲枕、をつ取をつ取り、はらりはらりはらはら、うつ波枕、かず枕、まくらがさねに打みだれ、ちりぢりにこそ引たりけれ。伴左衛門いかりをなし、手にもたらざるざう人原、しや何ごとか有べき、武士の刀のあんばい見よと、ま一もんじにかけたりけり。あらすさまじや、こはいかに、すがたはしやもんかしらは鬼神、おにの念仏かみくだく、きばをならし角をふり、向ふ者のまつかふ、しもくをもつてた丶きがね、はんはんはんはんはん、み丶にこたへほねにしみ、す丶みかねてはひき足も、はやぶさあらたかわしくまたか、一どにさつと飛来り、むらがるせいを八方へ、をつ立けたて、つ丶き立つ丶き立、つばさのあらし、夜明の風、わしのこゑごゑあふ坂の、ゆふづけ鳥にしらしらと、しらみわたればしらかみに、有しかたちは彩色の、絵にうつりたる筆の精、天こつのめう共いつ丶べし。又平いさんで女房の、袖を引、物はいひたし、心す丶んでしたまはらず。ただウ丶丶丶とばかり也。エ丶こ丶な人、敵がつめかけこときうな、まはらぬしたをいはれぬこと、舞で舞でといひければ、ヲ丶それよそれよ、気がついた、今目前のふしぎを見よ、我らが手がらでさらになし、土佐の名字をついだる故、師匠の恩の有がたさよ、敵の中へかけ入て、命のかぎり追ちらさんと、大ぜいにわつていり西からひがし、きたから南、くもでかくなは十もんじ、わりたてをんまはし。さんざんにきりたてられ、さしものぐん兵たまりかね、八方へにげちつて、残る者こそなかりけれ。さあしてやつた此上は、コ丶丶丶丶丶こ丶には片時もかなふまじ、都のかたへと姫君を、ヲ丶丶丶丶丶丶丶丶あふ坂山のほととぎす、まだはつこゑの口はどもり、こころはてつせき、かなおとがひに、まさつたすぐれた、こへた峠は日の岡の、いしはらくさ原、足もしどろにどどどどどど、どもりまはつて、の丶丶丶丶丶のぼりける。
中之巻
里は都のひつじさるなり。通ひても、通ひたらぬぞ三筋町、西の洞院中道寺、ゑもんがば丶の一方口、まだ大門のおそ桜、忍びてひら一ばん門の、東がしらむ。ドン、どんと打たる太このばんた、何者やら大門口にきられてゐると、よばる丶こゑに、くつわ屋あげ屋茶屋おろせ、くるわの年寄、立合見れば、年比三十斗、くつきやうの侍、二つ重の白むく白茶宇に、縫紋もみうらに源氏雲の裾ぐ丶み、なんばんころの大小、対の金鍔、毛彫は波に山王祭、七所御物蒔絵の印籠、天川さごじゆはさもなくて、大疵五ケ所、肝先にとどめ有といさいに書付、官領所へうつたへさせ、しがいをかこふ横はしご、二かいから女郎かひてやり手の亀はくびのばし、松はねほれたかほ出し、まだおきおきのかぶろ共、つね弥いく野と、手を引舟もはしつてきて、塀にくらかけ、木に取付かほる様、あれ見さんせ、吉野様のたいだんな、はきだめ山へのぼつて、ゑびのかはで足つかんすな、ついたら大じか、きられてしぬる人さへ有と、あだ口々のやかましさ、あのきられてゐる人は、かづらき様の大じん、不破ノ伴様に似たじやないか、ほんにそふじや伴様に極つた、サア伴左衛門がきられたと、京わらんべの物見だけく、手負見がてらけいせい見に、くんじゆはをしも分られず。すはやけんしと人をはらひ、官領の雑色供人引ぐし、しがいをといて疵あらため、江州高島の執権、不破の伴左衛門に極つたり、扨此者のかふたる傾城は何といふ、意趣有者の覚はなきか、口論などはなかりしか、まつすぐ申せ、当分かくして後日にしれなば、くせごと也とぞ仰ける。としより罷出、上林のかづらぎと申大夫を、千二百両にて請出さる丶はづの所、名古屋山三と申牢人衆とかづらきと、行末深い約束とて、談合成かね申せし故、両方意趣をふくみゐられしが、是ならで覚候はずとつまびらかにぞいひわくる。雑式一々口書し、名古屋山三は牢人なれ共、もとは伴左と傍輩、旁大じのせんぎ也、先かづらきがやり手をよべ、やり手出ませよとよぶ声に、玉はおく病年寄也、やら恐ろしや、わしが出てなんといはふ、しばられたらどふせふぞ、なふ悲しやめがまふた、気付はないかと泣ゐたる。是では埒が明まい、どれぞきてんなやり手衆を頼んで見んといふ内に、出ませ出ませとしきりの使、エイ思ひ付た、一もんじやの和国に付てゐる、みやと云やり手は、越前のつるがで、遠山とよばれたぜんせいの太夫、恋故今はあの体、す丶どけなふてちゑまんまん、ゑんまの庁でもいひぬける、此みやを頼まふ、あれあれあそこへ大福帳かたげてくるは、みやじやないかといふ所へ、おしよぼからげのいそがしげに、皆さん是にございまする、まあまあきやうといことができまして、御くらうでござんすといひ捨通るを、是々おみや、検使の衆葛城がやり手を召るれ共、玉はぐどんでおく病也、何をおとひなされふやら、いひをしへてすまぬこと、くるわ中の頼みじや、かづらぎがやり手に成て出て、請返答をしてたも、恩に受ふと云ければ、あのしがいのそばへ出ることかア丶ゑづ、去ながらいやと云もしさいらしい、いひそこなふたら大じか、口に任せてやつてくれよ、てんぼのかはとぞ出にける。雑式かなぶちよこたへ、をのれはかづらきがやり手めか、用有て召出すに何としてをそなはる、おうちやく者きずい者とかさをかけてしからる丶。ア丶あのさんは、いのあたまからしからんす、なんのきずいでごあんしよ、十二人の太夫をひとりしてまはせば、弁けいやり手がいそがしさ、くぜつの中をおしへだて、打物わざにてかなふまじと、日にいくたびのわびことやら、よるの身持は、あげ屋の吸物同前、ちよつちよと座敷に出るたび一ぱいづつも呑酒に、ふらふらねふりのいきたをれ、朝から晩迄ひのはかま、花色じゆすの巾着も、中は秋の夜の長紐、さげた鎰の穴から天をのぞけば、ほのぼの明、よね様達の身仕舞、ふろの手洗、水の髪あらひの、なべよ杓子よ、うすよ杵よ、正月しまへば、せつく朔日、けふは二日の払日也、やひともすゑたし、うはら辰、も丶せなかにはら、しやうばいにはかへられず、かは切こらへて出る心、其様にいはんすな、くるはは諸国の立合、常住きつてのはつての、是程のけんくは丶、おちやこのおちやこの茶の子ぞや、ア丶ぎやうさんなと笑ひける。雑式いかつて、いやさをのれが身の上はとはず、此伴左衛門千二百両にてかづらきを請出すとな、傾城はうり物、ねだん極る上からは、なごや山三がさまたげいふても叶ぬはづ、然るをいらんに及ぶとは、うぬらがもがりと覚たり、きり手もしらいで叶ぬはづ、まつすぐ申せと詞あらくとひかくる。少しもおくせずゑしやくして、御意の通りうり物とは申ながら、神仏の奉加と同じことで、かね出しながらおがまするは、恐らくせかいに傾城ばつかり、かふてくれるが嬉しいとて、親がかりやお主持の、恋路のやみの一寸さき、見へぬ所をそばから見て、かひてのお身もすたらず、女郎ものぼさぬ様に、かぢを取が引舟、めのさやはづすがやり手の役、大じにかけるせいうこには、世間に心中十あれば、くるわに一ツ有かなし、伴左衛門様は御大身、おかねに不足も有まいが、御主人のおみ丶に立、お身のかい共成時は、御一門の評議にのり、人をはぐのだますのと、おつる所はくるわのなん、こ丶のいきを立るが色里のたしなみ、身請の談合やぶれたも、伴左様のお身の上、大じに思ふ上のことでござんす、道できられさんしたは、そこ迄は存じませぬ、定めししにとも有まいし、尤逃ても見さんしよし、そこは如在も有まいが、さきの相手がつよいか、身の取まはしのわるさかしらんでやんすと、こたへける。検使の人々もてあつかい、よいはよいは、もふだまれ、一時にせんぎ成がたし、しがいを酒にひたし置、後日の評定たるべし、それそれとて役人共、おけをしつらひ、しがいをおさめ、酒くみ入てなはがらみ、籠屋へやれとかき上たり。雑式重て、年寄年寄、しやうばいなれば傾城にはかまひなし、去ながら夜前よりの買ひ手共、ことすむ迄名所を、一々書とめよ、こりややり手め、重てのせんぎには水をくれる、用心せよと、おどして立共おぢもせず、エイをかんせ、かねくれるやり手に水くれるとはわるごふなと、笑ひをしほにいひじらけ、さきをはらひて立かへる。けんゐを見せてつきならす、かなぼうのをと、三味線に、引かはりたる三筋町、恋の市場と、なまめかし。名古屋山三春平は、通ひなれにし六条の、道には石がいくつ有迄、よみ覚えたる一貫町の、茶屋がよしずのよしやよし、里になげ打命ぞと、大門口の与右衛門も、門ばんには二代の後胤、平の供して口かるく、舞鶴屋にぞ入にける。てい主伝三を始とし、あまたの女郎やり手迄、是は是は様子はお聞なされふが、先四五日もお出なされぬがよいはづ、日比いしゆ有伴左衛門、きり手は名古屋山三じやと、どこともなしの取さた、かづらき様のおあんじ、我らふうふの気遣、此おみやが弁舌で、けふはすらりとやりましたが、伴左衛門がしがいをならづけにして後日のせんぎ、ことにお客の名所書しるせとのいひ付、お身に覚えがなふてから、せんぎまんぎもやかまし丶、お前を外様へつくばはせて、此伝三が立ませぬ、帳面にとめぬまに、先お帰りと云ければ、いや伝三そふでない、お手前こそ念比、くるわ中女郎衆へくらうをかけた此山三が、せんさくにあふ悲しやと、かがんでゐる程ならば、さと通ひもよねまじりも、あたまからせぬがよし、先和国様から御礼申ス、大じのやり手をおかしなされ忝い、扨みやのはたらき心ざし、詞の礼はいふ程ふるい、三千石取た山三が手をついて頭をさげる、ひたひに千石、両の手に二千石、主人の外一生に、此式さほうはみや一人、是が礼ぞと手をつけば、ア丶勿体ない、なんのお礼が入ませふ、ちよつとかづら様にあはせていなせましたい物じやが、わたしがいけばめに立、和国様一ふでしんぜて下さんせ。いや文もいかがじや、わたしらじきにさそふて、遊びに出るかほで、つれましてきませふ、サアみんなござんせと、ざしきをこそは立にけれ。然らばこ丶は人もくる、二かいへお通りなされといへば、ヤレ何がこはふてかくれふぞ、伴左衛門をきつたるは、誰かと思ふ、此山三が手にかけ討てすてたるぞ、かづらぎがいしゆはわづかのこと、かれめと傍輩たりし時、狩野ノ四郎二郎を、身が取持にて奉公に出せし所に、伴左衛門親子、雲谷と云絵師をひき、御在京のお供のるす、無実をいひかけ刃傷に及び、四郎二郎は行がたしれず、剰外戚腹の姫君いてうの前、四郎二郎に心をかけ、御祝言有はづを、さまたげ入てらうぜきし、某迄もざんそうし、牢人の身と成たれば、重々のいこん有、ことに四郎二郎はかくれもなき名筆、大内絵所の官にもす丶む身を、某しゐて国にとどめ、なんぎをかけて見てゐられず、姫君とふうふになし、四郎二郎さへ出世すれば、本望本望、いけておかば四郎二郎にいか成あたをかなすべきと、傾城のいしゆを幸に、討て捨たる伴左衛門、しれて切腹する斗、四郎二郎故にすてん命、いさ丶かおしいと思ふにこそ、武家に生れたふせうには、大門口で立腹きり、新ざう衆やかぶろ共、しばゐでするよなことして見せふ、ヤアかづらきはどふじやの、てい主うたへと三味せんの、天柱にかほを筋かひ身、糸のねいろもめの色も、人をきつたる体でなく、てい主はけつく色ちがへ、先お咄はいらぬ物、内外の者共必あだ口聞まいぞと、わなわなふるひ手じやくにて、めつたにのんでゐたりける。みやも聞よりおどろきて、扨は我二世迄と、思ひこふだる四郎二郎様に、かく迄深きをんを見せ、お命をも捨んとは、ア丶頼もしや忝や、我こそと名のつて一礼いはふか、いやいや姫君とやらへ聞へては、御祝言のじやまぞと遠ざけらる丶はしれたこと、只よそながら、あのおかたの為に成、お命を助けるこそ我おつとへの奉公と、思ひ定て是伝三様、お侍のかくごのうへを、女子の了簡すいさんなことながら、あのさんに腹きらせをんを受た四郎二郎、いづくのうらで聞付ても、よもやいきてはゐられまい、人のゆかりはしれぬ物、どれからどれへどふつづきて、たが悲しみとならふやら、山三様の御身のなん、のがる丶ぐめんは有まいか、しあんは今でござるやと、よそをいふのもおつとのこと、あんじて余る涙の色、むねなでおろすも道理なり。ヲ丶わがみが云通り、をつ取てくるわのめいわく、お仕置には法が有、はら切たいとおつしやつても、よふあた丶かに見ぐるしい、ざい(罪)にあはた(粟田/遭はた)口、下からどうもはからぬといへば、山三はつとして、ア丶ウよい所へ気がついた、三味線所ではないはいの、相手は主持こちは牢人、あばれ者にしなされ、み丶つくのとまつた様にごくもんなどにさらされては、先祖一家の耻辱、今さつぱりとはら切ても、其段からはしがい迄、弥耻はおもう成、エ丶主持ぬ身の無念さよと、はぎりをしてぞ涙ぐむ。みやは聞程我男の、身にせまりくる悲しさの、どふぞよい分別してしんぜて下され頼みますと、身に引かけてなげく体。てい主しばらくしあんし、是々よい仕様有、こ丶へよりやと小ごゑに成、是をついでにかづらき様を、とんと請出し、おく様に定める、時におやかたとはだを合せ、手形の日付をとつと跡の月にして、外様へは借宅見たての其間、くるわに少し逗留分、すれば御夫婦と云物よ、きのふ迄伴左衛門がくどひた状文にぎつてからは、まおとこの証拠慥也、女敵討は天下のおゆるし、千人切てもきり徳、此分別はどう有ふ。みやは悦びヲ丶できたできた、めでたいめでたいちゑ者めと、あをぎ立れば、ア丶むしやうにめでたがるまい、当分請出すおかねがない、若おこしの物をそれ迄の質物に遣はされば、私が加判で太夫様を、たつた今門を出して見せませうが、お侍におこしの物とは、なふおみや、どふも申かねるはいの。ハテおのしのお身斗か、ふびんになさる丶四郎二郎迄、命を助かることなれば、御了簡遊ばしませと、手を合せるやらなげくやら、山三もともに涙をうかめ、ヲ丶丶丶何が扨々、皆の衆にくらうをさせ、何しにいなといはふぞ、近比過分千万、コレ是は重代の左文字、二千五百貫の折紙有、おし丶とは思はね共、七さいの時より今日迄、終にわきざし一本で、他所にゐたことしらぬ身が、刀のみやうがにつきたかと、涙は雨やさめざやの、脇ざし斗でおくに入、うしろ姿を見送りて、おいとしやおいとしや、伝三さまどふぞ首尾して下さんせ、まきぞへが入ならば、わしがしゆすのおびも有、八丈の袷もござんすと、歎けばともに泣ごゑの、ヲ丶きどくによふいやつた、おれも男じや気遣すな、か丶をそうかにうつて也と、埒を明ぬといふことはなひて出るぞ頼もしき。みやがうき身の、うき思ひ、口でいはねばきにつかへ、めにながる丶は百分一、むねに涙のとどこほり、山三様にほねおるも、男の心の悲しみを、思ひやり手となつたるも、のたぞんざいでなられふか、恋がこふじて遠山が、此ざまになつたとは、しらぬか聞ぬか男めが、どこにゐるやらしんだやら、なしもつぶてもうつとりと、たばこのんでもきせるより、咽が通らぬうすげふり、人の見ぬ間に思ふ程、なくをしよざいか、あぢきなや、内を首尾してかづらきは、走つてくるよりかけあがり、みや殿こ丶にかいかひせわであつたげな、忝いぞや土になつても忘れはしませぬ、おれがこ丶ろをさつしてたも、ほんにほんに物日なかにやせたはいな、こなたは今はなんのくもなふてらくであろ、やり手の身はうら山しい、山様はおくにかの、ちよつとあふてこふぞや、後に後にと云すて丶、行を見るにもなを涙、つらいぞうゐぞと云中にも、男をそばへ引つけては、うきをしのぐも力が有、此身にはくも有まいとや、明くれつきあふ人めさへ、らくな様に見へる物、遠国へだてた男気に、思ひやりのないことは、むり共いはれず去とては、責て有しよが聞たいと、こゑを立ねばないじやくり、気もしづみ入時しもあれ、心ぼそげな鼓弓のこゑ、あはれ催すあひの山、われになみだをそへよとや、ゆふべあしたのかねのこゑ、じやくめついらくとひびけ共、聞ておどろく人もなし、通りや只のさへ、あひの山聞ばあはれで涙がこぼれる、かなしゆてならぬ、どうぶくらに、あた聞ともない、通りや通りやと、いひて涙をおしのごふ。のべよりあなたの友とては、けちみやく一ツにじゆず一れん、是がめいどの友となる、ア丶した丶るい、手の隙がない、通りや通りやと云こゑに、心にくのない新ぞうかぶろ、ばらばらと走り出、こちらすきじや、あひの山、聞て泣たい、所望所望と立か丶る。エ丶いぢのわるい子共じや、それ程何が泣たいこと、やつていなそと巾着の、紐をといて取出す、銭は一せん二世のえん、きれてもきれぬ笠の中、泣しづみたる顔見れば、恋しゆかしの四郎二郎、互にハア丶と斗にめくれ、心はしみじみと、だきつきたふもあたりには、かぶろがめもと小ざかしく、こらへるたけと、つ丶め共、むせびふくろび泣ゐたり。いなせましたらよいものか、まちつとあはれな心をうたふて聞せて下さんせ、あつと涙にするさ丶ら、こきうのつるもほそきこゑ、定めなき世に捨てられて、身のじやくめつがしらせたく、文はかけ共便なし、ひとりねざめの友とては、夢に見た夜のおもかげが、是がねざめの友となる、折しも二かいおくざしき、こいよこいよと手をた丶く、あいあいあいとかぶろ共、立まをそしと走りより、是こふしたことも有ふかと、うき命をも捨なんだ、よふかほ見せて下んせと、すがれば男もいだきしめ、涙のほかはこゑもなし。なふ恋しいの床しいの、とは、たいてい恋路のならひぞや、それをとんと打こして、主親かたにそむきし故、奈良伏見迄うり渡され、今此京でやり手となり、花の都も我身には、きかいが嶋に住心、罅霜やけにくるしみても、手足のくらうは成もせふ、心をいためる斗じやない、力わざにもさいかくにも、叶はぬ物はあひたいと、思ふてやるせがなかつたと、あまへくどくぞふびん成。四郎二郎もつきせぬ涙、ヲ丶道理道理、いとをしや、度々文でも云通、そなたのかげにて、大じの絵をかき誉を取、けい約たがへず身請をせふと思ふ間に、不慮のこと共命が有と云斗、恩をきた名古屋山三、我ら故の牢人、行先も行先も、めでたいと云字は書様も忘れて、今は扇団の絵、あしや釜のしたゑに露命をつなぎ、大津でとへば奈良にといふ、難波で聞ば伏見とやら、是は采女うたの介、ふたりの弟子のかいほうで、丸四年めにかほを見て、嬉しいことはどこへやら、おれと云者ないならば、とふによい仕合、前だれかぎはさげまいと、おやごのこと迄思はれて、いきた心はせぬぞとて、男泣に泣ければ、ナウそふ打明て下んすが、ほんぼんの御しんじつ、わしはいつそ親のこと、思ふ所へいかなんだ、わたしにばちが当らずは、当る者は有まいと、くどき立れば四郎二郎、二人の弟子もとも涙、さ丶らの竹もいにしへの、紫竹にそむる斗なり。や丶有て四郎二郎、先いふべきは、名古屋山三春平、此所にて不破の伴左衛門を討て、せんぎにあふよし洛中の是ざた、いこんのもとは某故聞捨てをかれぬあいさつ、くるわの説はどふぞといへば、さればいなア、くはしいことも聞ました、山三様にするせわは、こなさんへの奉公と、さまざま心をくだいて、なんの波風ない様に、十の物が九ツ、追付埒が明はづで、あれおくにじやはいなア。是は大けい通つて対面せふ。イヤイヤまたんせ、そりやならぬ、こな様を尋出し、姫君とふうふにせねば侍がすたると、今も今、いふた人にあはずといんで下さんせ。エ丶ぐちなこと斗、我故に一命をはたさふと云山三じやないか、あはずにかへつて人外の名をとれか、げしうあはせまいなれば、こ丶で腹をきらふかと、脇ざしに手をかくる。ハテしなんせではないはいの、外におく様持まいと、云せい文立てあはんせ。ヲ丶姫君は扨置、たとへもち屋のおふくでも、山姥と祝言するとても、山三が詞を一たん立ずに置れふか、エ丶世間見た様にもない、気がせばいぞやと耻しむる。世間はから迄しつても、気はむさし野程広ふても、大じの男を人にはそはさぬ、山三様にあふて、四郎二郎が女房は、此みやでござんすと罷出てことはらふ。ヲ丶いひ度ばいや、詞の中にわき指を、此はらへつきこむ、サアどふぞどふぞとつめられて、泣より外は何を云も大切さ、そんならいふまいそくさいで、ゐてくださんせ、去ながら、どふぞいひぬけらる丶なら、いひぬけて見てくださんせと、まだぐどぐどの忍びなき。尤々男のつら役、かふいふとて、なんの如在が有物ぞ、弟子衆こちへと涙ながら、おくへ行間もおしまれて、是采女様雅楽様、祝言の咄が出たらいひけしてくださんせと、頼む返事のいやおふは、涙にまぎらし入にけり。心もとなさあぶなさに、心さはぎておち付ず、ふすまのきはにさしあしし、たち聞すれば伴左衛門を討とめた物語、アハ嬉しや女房ごとは出ぬそふな、まちつと聞ふ、あのさ丶やきはなんじやしらぬ、聞たい迄とみ丶をよせ、ア丶悲しや、つれて帰つて姫君と、めをとにせふといひくさる、こちの男がりかうさうに、こなたの詞はそむきませぬと、ぬかしづらは何ごとじや、エ丶聞まい物を、はらの立と、み丶をふさいつ立つ居つ、身をもみ歎くぞあはれなる。舞鶴屋の伝三郎、やり手引舟下男、いきりきつて大ごゑ上、こりやこりやかづらき様の身請さらりつと埒明た、跡の三月二日に隙をやるとの一札、王様の御綸旨より高直な物にぎつた、乗物の戸をくはらりと明て、今でも大門お出なされとわめく声に人々悦び走り出、ア丶丶丶お手がらお手がら、酒呑童子の首より取にくいこと、主持ぬ身はこ丶が過分、手を引あふて門を出て、名古屋山三とかづらきと、後々迄の咄を残さふ、ヤアてい主、近付になつてをきや、狩野ノ四郎二郎元信、めぐりあはふ斗に、互のくらうはしる通、身はかづらきを請出す、四郎二郎は大名の姫御様をほり出す、祝言の夜はかつ手へ見まや、扨みやの礼は今は申さぬ、前だれ鎰を捨させ、武家か公家か町人か、望次第に数ならね共、拙者が親分、先姫君の祝言には、侍女郎に頼もふと、いさみかけてもなげ首に、めも泣はらして返事もせず、こらへかねてつ丶と出、いはんとするを四郎二郎、つかに手をかけはらをさすれば、手を合せ、なくなくしされどなをたまられず、思ひ切ていはんとす。四郎二郎むねをし明、すでにかふよと見せかくる。ア丶丶丶申、四郎二郎様、わたしやなんにも申ませぬ、御そくさいで姫君と、夫婦になつて下さんせと、わつとさけびふしければ、ともにせきくる四郎二郎、よいがてんよいがてん、くるわの衆は涙もろく、めでたいことでも泣たがる、身請する女郎衆になごりおしいは尤ながら、他国へ行ず死はせず、追付あはふ、なきやるなと、よそにいふさへつ丶みかね、めはうろうろと成にけり。サアお乗物が参つた、早ふお出なされませ。いやいや乗物ふるひと立出れば、一家の太夫天神かこひ、かづらき様さらばや、さらばでござんす、門迄をくれ、跡ににぎやかし、打ツたりまふたり、舞鶴屋伝三が萬受こんだ、置やみやげをやり手衆、おはるおなつといさめ共、みやが心はあきがらの、こしの巾着ぶらぶらと、物さびしげにぞ見へにけり。花の三月はや過て、娘の年も廿さほ、いつのまにかは長持に、桐のはしげるよめり月、いてうの前の御祝言、名古屋山三のはからひにて、四郎二郎元信を、北野の社人にかりざしき、なご屋が家の子、世継瀬兵衛こしぞへにて、供女中の出立や、地くろぢあさぎべにひはだ、右近(/鬱金)のばばにぞ着給ふ。なみ木の桜、くれか丶り、まだ人顔も白むくきたる、若き女のよこあひより、よめりの供さきをしわりしわり、打もた丶くもこと共せず、しつかとすがつて引程に、乗物の戸はくだけてはなれ、姫君あつとさけび給ふを、むなぐらつかんで引ずり出し、どてにをし付ひつすへたり。瀬兵衛刀のそりを打、六尺かち衆をつ取まはし、そこをはなせとはなさずは、ぶち殺せねぢ殺せと、口々によばはれば、姫君せいして、ア丶だまつてゐや、かまやるな、よめりする身に女のざいで、只のこと丶は思はれぬ、四郎二郎殿の手かけか、但時のたはふれに、末では妻にせふなどと、男の当座まに合を、一筋な心から其恨で有ふの、我身にしらぬことながら、殿をもつ役なれば聞まいとはいはぬ、道理さへ立ことでまける道ならまけもせふ、又筋もない道いつて見や、我にも手も有足も有、いてふの前がりふじんと、いはれてはおとなげない、相手向ひにしてをきや、サアなんぞ聞ふと、口はろくぢを分ながら、胸はしどろの山坂や、顔はつ丶ぢのごとく也。女ためいきかほを上、ア丶さすがでござんすな、其うつくしい出様には、こふ取たむなぐらをはなし様にこまつた、我とても、中々らうぜきするきはみぢんもなく、お乗物にすがつて歎きを申、お情を受ふと、七本松から跡先に、是迄伺ひ参りしが、あたまのか丶りがどふもなく、思はず慮外いたせし也、ぎゃうぎやうしい白むくきたは、討はたしてなんのといふ、おどしでもみせでもない、思ふ願ひが叶ずは、西所がはらか舟岡へ、すぐにとばふと思ふきで、わたしが為のしゆら出立、高いもひくいもをなごには、大なれ小なれ此気はあれど、いはぬでもつた世の中、色に出さぬをたしなみと、心で心をしかつて見ても、いか成欲もはなれふが、男に欲はゑはなれぬ、去とてはきたない、気はづかしゆござると、こゑをあげわけをもいはず、泣ゐたり。瀬兵衛を始女房、御祝言のじこく、ちがふ道行斗いはず共、入こと斗申せ申せとせめければ、御尤御尤、私は土佐の将監が娘、をさな名はおみつ、親のうきせに身をうり、越前のつるがで東山と申せしながれの者、四郎二郎殿とは故有て、起請一筆か丶ね共、釘かすがいよりはなれぬ中、身も持くづし方々をうろたへ、今は六條三筋町、上林が内みやと云、ながれの身よりあさましい、やり手はしてもをのれやれ、一どは狩野ノ元信が、内儀といはれふいはれふと、四年が間の気のはり弓、はつたりとつる切て、泣にも力あらばこそ、むり共そん共、余り無法なことながら、長ふは入ぬ一七日、こよひのよめりを下されば、跡はお前と万々年、七日そふてわかれて後は、此世のいき顔見せまいし、たとへ死でもあの人の、みらいのゑかうは受ますまい、もふ此跡は申ませぬと、涙をながし手を合せ、ふしまろぶこそ、あはれなれ。姫君あきれておはせしが、聞ば笑止、いたはしや、いやと云はたいてい、どうよく者といはれふず、心へたといふてから、めいわくするは我ひとり、新枕はどふこうと、きほひか丶つて行よめり、道からかして帰るとは、咄にも聞ぬこと、こちや義理ずくめになつたかと、こゑを上て泣給ふ。道理の上の道理也。や丶有て涙おさへ、ム丶よしよしがてんした、そなたが其思ひからは、男も心にか丶るはづ、ふたりのえんのはなれぬ中へ、よめりしておかしうない、ふたもかけごも、打あけたこそ、めをとなれ、男をかしてやる程に、互の心をはらしてたも、去ながら余りかけごをあけ過し、そこぬきやつたら、こちや聞ぬと、涙ながらにの給へば、ア丶有がたやと遠山は、姫君にいだき付、かす御心よりかる心、御すい量遊ばせと、泣ごゑよそにとび梅の、神もあはれみ給ふべし。サアとてもなら早いがよし、元信はかねてより、傾城ずきと聞し故、此小袖を見やくるわもやうに云付た、是きていきやと打かけぬいで、七日といふもいまいまし、来月一ぱい借ぞや。ア丶お心ざしは有がたけれど、ついにわかる丶此身也、然らば七々四十九日が中は、わたしが妻と思召せ、此ぶんでしんだらば、定めし男のがき道へ、落ませふと泣々立ば、姫君そふいふて皆吸ほしやんな、どこぞ少は残してたも、こちは是からこし本つれて、ひろふてもどる、あの乗物で皆供しやと帰るさを、見て遠山は、姫君様の情程、我身のつみはおもうなる、かる時の、地蔵ボサツに捨られ、返やす時のゑんまの庁、どふ云てのがれふと、涙をかこふ神がきや、神も仏も見通しに、すいもあまいも梅青む、北野のかり屋によめ取の、よめの手道具、御厨子鏡台うちみだれ、箱つづら、かひおけはさみ箱、長刀持せてやり手のみやが、来るとは思ひがけもなし。其心底のとどきしこと、姫君の情といひ、かたがたもだしがたければ、門弟うたの介、采女隼人大学なんど、宗徒の弟子共、すべよくまかなひ、春平にも内意を得、表向はいてうの前、御入有しと披露すれば、方々の音物、樽よ肴よ巻物よ、太刀折紙の、馬代銀五十目懸の、らうそくの、明ぬくれぬと賑ひて、けふ五日めのあさ上下、雑煮のこく餅、子持筋、つきづきしくぞ見へにける。其日も漸かたふく比、なご屋山三春平は、お見廻申とあん内ある。うたの介出向ひ、先以此度は、姫君御了簡うつくしく、おみやも念はれ元信心も落付申こと、皆是貴公の御かげ、門弟中も忝く、悦び存候と、いづれも礼をなしけるに、是はめいわく、元信殿の為と存れば、各同前の大けい、扨けふは五日め、五百八十の餅をついて、里帰りと云こと、えんへんの式法なれ共、親もとは遠所、祝ふて我等が宅へよびたいと、かづらきも申が、ちよつと尋て見たいとあれば、うたの介打笑ひ、イヤ尋ぬるに及ず、頓而わかる丶日切のめをと、ねいるまもおしいとて、顔と顔をつき合せ、かぶりもふらぬした丶るさ、里帰りは扨置、だい所へも出られませぬ。それはぎやうなくひ付様、そふして互にあかせたら、跡の為には珍重、元信筆は達者也、一日一夜にはん年の、しごとは出けふと笑る丶。か丶る所に無紋の色にあさぎの上下、あみ笠取て入を見れば、舞鶴屋の伝三郎、出口の与右衛門、打しほれたるふぜい也。なご屋を始め、門弟中興さめて、是伝三あんまりそれはすい過た、聞ぬと云こと有まい、そうれいのもどりに祝言の、家へ立よるはなめ過たふだうけ、おかしうない、かへれかへれとにがにが敷しかられ、はな打かみてめをすりめをすり、姫君様の御祝言と、遠慮いたして見ましたが、脇からさたが有ては、お恨の程もいかがと、か丶が心を付まして、けふ七日めのはか参り、ついでながらのおしらせ、常々きだてがけつこうで、おみやとはいはず、仏々と申たに、あつたら仏をやくたいもない、こつ仏にしてのけたと、さめざめと泣ゐたり。人々更に誠とせず、酒にゑふたか狂気か、みやは少様子有て、姫君にかはり、四郎二郎と祝言し、五日前よりおくにふうふならんでじや、たはけたことをぬかすまい。イヤわたしをたはけになさる丶が、七日前にしんだ人が五日前に来る物か、れんだいじせんよ様の御ゐんだう、舟岡山で灰になし、和国様を始、女郎衆から名代に、かぶろ共が灰よせ、五輪迄立た物、なんの偽り申ませふと、まがほにいへば人々も、ぞつとこはげも立よりて、してしんじつか、どふしてしなれたことぞといへば、しんじつかとは、いとしぼげに、常がしやく持、ぶらぶらとはしながら、一日とねられたこともない人が、いつぞやかづらき様身請のばんから、頭痛すると引こんで、それから枕あがらず、次第におもつてくる程に、お客衆のひきびきで、柳原の法印、半井の御てんやく、幸と和国様へ、つしまの客から参つた朝鮮人参、をはり大根見る様なを、刻もせず丸ぐち、人じんのふろふきを一ごの見はじめ、人参でも鉄砲でも、いかな咽を通すにこそ、もふないに極つて、私をよびよせ、今迄はかくした遠山といふた昔から、四郎二郎様と夫婦のけいやくし、めでたふねがひがかなふたら、めをとづれで熊野参りを致そふと、願ひをかけ、此笠の紐も手づからくけました、是をきて四郎二郎様、くまのへ参つて下され、し丶ても心はつれ立ふ、書置もしたいが、口でさへつくされぬ、筆には中々まはらぬと、目をほつちりとあいて、なむあみだ仏、なむあみだ仏と七八へんは聞ました、なふかんじんの時には、念仏といふ物も、なんのごくにも立ませぬ、なむあみさへすうすう、だぶつ迄やらずに、ころりと取ていきましたと、わつとさけべば人々も、扨はぢやうよと手を打て、皆々袖をぞしぼらる丶。名古屋もあきれゐられしが、うたがひもなく、おつとに引る丶こんぱく、かりに形を見せけるぞや、さもあれ様子を尋る為、こし本衆こし本衆とよびければ、あいとこたへておくより出る。なんとおみやはきげんはよいかといひければ、ア丶きげんよふにこにこ笑ふてござんする、去ながら心ざし有とて、さ丶もと丶も口へよせず、しきみの香の煙たやすな、煙たゆればこ丶にゐることならぬとて、おねまの内は抹香でふすぼりますといひければ、して四郎二郎はどふしてぞ、ア丶さればおみや様の頼みで、おねまのふすまにくまの山の、ゑを遊ばひてござんする。扨はみやのゆう霊、疑ふ所もないとあれば、こし本おどろき、ア丶こはや、なふしらでそばにゐましたと、膝のそばにはひよりて、身をかがむこそ道理なれ。うたの介、心をけつせんと思ひ、さもあれ狸やかんのわざも有、誠のし丶たるまぼろしは、形あれ共影うつらずと承る、某参りじきにあふて、笠をわたし、ともしびをたて、じつぷをためし申べし、かたがたは小庭より障子のかげを御らんあれ、たとへあやしいこと有共、必わつと云まいぞ、何がこはいこと有と、誰も口では夕(云)ぐれや、こきみのわるきまがきが本、軒にやぶがの餅つきも、其前だれのなごりかと、心ぼそくもた丶ずめり。うたの介、何心なきてうしにて、是はくらいおざしき、みや様はそれにか、火をとぼしたら、よふござらふと云こゑす。ア丶さればな、心の迷ふた身の上、やみにやみを重ぬるつらさ、はらしてほしやと夕(云)がほの、たそかれてらすあんどうの、障子にうつるを能見れば、元信はもとの人体にて、女のかげは五輪と、みやが物ごし斗、人間の地水火風の風もろき、木のはにむすぶかげろふの、露の姿ぞあはれ成、四郎二郎はらうらうと、つかれわびたるごとく也。うたの介なをいぶかしく、此すげ笠はさとの便に参りしが、何に入ことぞといへば、なふ嬉しやなふ嬉しや、ほんに是がほしかつた、わたしがくまのをしんずること、つるがでは遠山、三国での名はかつ山、伏見へうられてあさか山、山と云字を三どつき、それ故に木つぢでは三つ山と付られし、思へばくまの三つ山の、お山の名をけがし、牛王のとがめも恐ろしく、おぬしと一所にして下さらば、つれ立お礼にまふでませふと、かさの紐迄くけ置し、追付わかる丶身なれ共、一日でもかふそふからは、願はかなふた同前、神仏にうそはないと、此ふすまにお山のゑづを頼みまし、参つた心でおがまんと、思ふ所へ此笠は、どふした便にきたことぞ、よのことは何もいはずか、又の便に伝三郎へ、たとへいか成こと有共、四郎二郎様へ歎きのか丶ることなどは、しらせまして下さんすなと、よふいひ届て下さんせと、こけの下迄我おつと、いたはる心ぞふびんなる。サアめをとづれで参りませふ、こなさまはかつ手へいて、後夜のかねのなる迄、念仏きらして下さんすな、似合たかしらぬ、笠打きたる五輪のかげ、五つのかりの夢うつ丶、よそのことではなくなくも、もとのざしきへ人々は、宗旨宗旨の手むけ草、だいもくしんごん念仏の、ゑかうにふくるも、ふくるもふくるもふくるも。
三熊野かげろふ姿
あらおしやあたら夜や、ふうふのなかにさく花も、一夜のゆめのながめとは、しらぬおとこのいたはしやと、なくよりほかのことはなし。むかしのあさの身じまひに、かみにたいたりすそにとめ、そよとふくさの色かぜも、今せいかうに立けふり、はんごんかうとくゆるかや。かうろのはひの、はひよせも、じゆんをいふならこなさんを、われこそあらめ、さかさまの、水のながれの身のならひ、ところどころのしに水を、たれにとられん、あさましと、よそにいひなすことのはを、世になき人とは、そもしらず。ア丶いまいまし、おひ木のすゑの、思ひをきはよしなやな、こちもそなたもわか松の、ちよのさかづきざさんざ、はま松のをと、七ほん松の七本を、女はそとばにかぞふれど、男はけふの七五三、よめりごとせしたはふれも、今はまごととうれしげに、手をひきあふて、わらひがほ、我はあさがほしぼみゆく、花のうへなる、つゆとはしらぬ、はかなさよ。月はかけてもみつの山、しやばのたよりはかたびんぎ、ふみもとどかず、ことづてもいはで、心のくまのぢや、てるてのひめのやつれぐさ、ひたち小はぎもおつと故、身をはたご屋の水だなの、はしにめはなのがきあみを、つまとはさらにしらいとの、えんはきたなきつちぐるま、心は物にくるはねど、すがたを物にくるはせて、ひけやひけや此くるま、ゑいさらさらさら、さ丶のはに、しでのたびぢのごせのとも、一ぴきひけば千僧くやう、二引ひけばまんのふのくすりのゆもと丶聞からに、四百四病はきえもせん、ほねになつてもなをらぬは、わしがそさまをこひやまひ、かはる心をあんじては、神の御名さへぞつとする、あすかのやしろ、浜の宮、王子王子は九十九所、百に成ても思ひなき、世はわかのうら、こずゑにか丶るふぢしろや、いはしろ峠しほみ坂、かきうつすゑは残る共、残らぬ身と、聞ばいとしや、さこそ我つまの涙にくれて、筆すて松の、しづくは袖にみつじほの、しんぐうのみやゐかうかうと、出じまによするいそのなみ、きし打なみはふだらくや、なちは千手くはんぜをん、いにしへくはさんのほうわうの、きさきのわかれを恋したひ、十ぜんの御身をすて、高野西国くま野へ三ど、後生前生のしゆくぐはんかけて、ほつしんもんに入人は、神やうくらん、御ほんしやの、しやうじやうでんのきざはしを、おりてくだりて待うけ悦び給ふとかや、我はいか成ざいごうの、其ゐんえんの十二しやを、めぐるりんゑをはなれねば、うたがひふかきをとなしがは、ながれのつみをかけて見る、ごうのはかりのおもりには、それさへかるきばん石の、いはたがはにぞ着にける、すいじやくわくはうの方便にや、名所名所宮立迄、顕はれうごき見へければ、元信しんじんきもにそみ、我かく筆共思はれず、めをふさぎ、なむ日本第一霊験三所権現とふしおがみ、かうべを上てめをひらけば、なむ三宝、さきに立たる我妻はまつさかさまに天をふみ、両手をはこんであゆみ行、はつとおどろき、是なふ浅ましの姿やな、誠や人の物語、し丶たる人の熊野詣は、あるひはさかさまうしろむき、いきたる人にはかはると聞、立居に付てよひより心にか丶ること有しが、扨はそなたはしんだかと、こぼしそめたる涙より、つきぬ歎きと成にけり。耻かしや、心にはろくぢをあゆむと思へ共、さかさまに見へけるかや、四十九日が其中は、しやばのえんにむすぼほれ、姿を見せて契りし物を、いもせの中にこはげ立、あいそもつきばいかがせん、かはる姿のつ丶ましや、あひ見ることも是かぎりと、泣こゑ斗身をしぼる。涙のきりや、れんぼの霞、めいめいもうもうろうろうとして、見へつかくれつともしびの、ゆえんにまぎれうせにけり。元信五たいをかつぱとなげ、よし雨露にくちはてし、がいこつ也共いだきとめ、はだ身にそへん夫婦の友、何にこはげの有べきぞ、げん世のあふせかなはずは、やひばにし丶て此世を去り、極楽諸天はおろかのこと、たとへぢごくのそこ迄も、さそへともなへつれだてと、ざしきのくまぐま屏風をしのけ、障子をひらき、やれ遠山はいづくにぞ、みやはいづくに我妻戸、あくるやりどにやり手のかたち、顕はれ見へしぞ、あはれなる。いつならはしの世わたりや、あはのなるとはこゆる共、此うきふねのうきながれ、何とやり手の身ぞつらき、まぶの忍びぢ、せきとなり、文の通ひのさかも木に、人の思ひはいましめながら、我身はつ丶む恋衣、あか前だれのくはゑんにこがれ、三づ八ツなんのあくしゆにだすくるしみの、なんだめをくらまし、生死をわかぬまよひのくも、所々に名をかへて、数々色をかざりしむくひ、からだ一つが五つにわかれ、五りん五ぎやうのくをうくる。いか成世にかまぬかれんと、さけびわな丶く袂のかげ、ゑんしよくあて成二人の遊女、左右にわかれ見へたるぞや。是こそはそのはじめ、白粉紅花によそほひし、後世の道には遠山が、あだの情の釣ばりに、人をつるがのうき姿、松といはれし松がえは、四大のもとの木に帰る也。次は三国へかひながされた、姉女郎やはうばいに、うりまけまいぞ、かつ山と名をかへ、風をかへるも、恋にがをはるがまんの山、ふもとのちりのちりひぢの、つちにかへすを御らんぜと、夕月出るごとくにて、うしろ高く顕はれしは、ながれただよふかはの竹の、伏見にきてのあさか山、さすが所も極楽を、ねがへとつぐるしもく町、安養せかいの夜みせには、ともすべきともしびなく、吹けす風もふかずして、一心の火をもとの火に、かへす間のかげぞかし。前に立たる花ずすき、ほのぼの見へしまぼろしは、木辻の町のみつ山と、よばれし時のおもかげが、今は名のみにならざかや、この手かの手の枕の酒、みぞれあられとへだつれど、とくれば同じかすりゐの、水をかり成たはふれも、終にはまよひのゐせきにからみ、水は執心のおのにくだかれ、土はあふよのかべとへだたり、火は又三世のえんをやく。四大の四くを此身一つにかさね、重ねてくうより出て空に入、むくひも罪も色も情も、まよふも悟るも待夜のかねも、わかれの鳥のこゑごゑ迄も、地水火風の五つの玉のを、只一筋に結びあひたる姿成ぞや。なふなふおしみてもなをおしまる丶、なごりもえんもついに行、道ならばいざともなはん、とは思へ共、おつとの命ながかれと、いのる心もさまざまに、皆もうしうのあだ夢と、さめざめもろき涙の露の、玉のうてなの床の内、れんりの蓮かたしきて、ながき契りをまつぞやまたん、しるしはこれ此、一見卒塔婆永離三悪道、なむや三熊野本地の三尊、むかへ給へや道引給へと、となふるこゑはふせやに残つて、かたちは見へず消にけり。元信いだきとどめんと、すがり付ばかげもなく、うんとのつけにめくるめき、たちまちいき切たへ入しを、名古屋あげ屋門弟等、おどろきさはぎ、薬さまざまよびたすけ、漸一間にやすめけり。夜もほのぼのと明行比、管領の雑式、不破の道犬長谷部の雲谷誘引し、伴左衛門が酒漬の、しがいをか丶せどやどやと、乱れ入、此所になごや山三春平や有、管領よりの御下知有、対面せんとよばはつたり。なごやち丶せず出向へば、雑式かなぶち引ならし、不破ノ伴左衛門をお手前が、手にかけしこと紛なき上、父道犬願ひによつて、ぎんみをとげらる丶所、盗賊の罪のがれがたく、くせごとに行はる丶條、召とり来れとの御諚、尋常になはをか丶られよ、とぞ仰ける。なごや少しもさはがず、懐中よりくつわの手形数通の文を取出し、か様のぐまうの返答は申も似合ぬことながら、かた口の御さいだんいかにしてもかろがろし、最此手がたを御らんぜ、かづらきのことは三月二日に親かたが暇を取、拙者が本妻、借宅見立の間、あげ屋に預け置し所、伴左衛門数通の艶書、かくの通不義者の女敵也、此方より願ひを申、親道犬をもざいくはにしづめんと存ぜし折から、かへつて我等を召とれとは、定てそれは各の聞ちがへ、それ成道犬か雲谷がことでがなござらふ、逃も走りもせぬ男、聞なをしてお出なされよと、大様にこそこたへけれ。道犬つ丶と出、きたないきたない、こりや山三、倅伴左衛門かづがきを、請出す手付として、金子五百両懐中せり、めがたき討は聞へたが、なぜ金子はぬすんだ、惣じて盗みと云物も、ぬすむ時はうまいこと、顕はれた時は、からいにがい物じやげな、サアなんとのがる丶所は有まいと、せいこなき云ぶんながら、なごやも相手は死人也、何をしるしの云分と、にがにが敷ぞ見へにける。四郎二郎かくと聞よりとんで出、いやいやとかふの評議は御無用、盗人ならばぬす人、切どりならば切取、とが人は狩野ノ元信、なは丶百筋千筋でも、おかけなされと大小ぬいて、なげ出さんとする所を、なご屋をさへてしばらくしばらく、御心底忝い、去ながら、それ迄には及ぬこと、ひらにひらにとをしとどめ、是道犬、某ぬす人ではない、申わけが立ならば、をのれ又侍に盗人と云かけした其とがはなんとする、時に雲谷す丶み出、イヤ山三、ぬす人でない云分立ば、命を助かる其方が仕合よ、道犬は一子を殺され金子をとられ、何のあやまり有べきと、いはせもはてずヤアうぬらが存ずるせんぎにあらず、お屋かたにては一ツ間へさへ入ざりしを忘れたか雲谷、此せんさくすんで、うぬも遁さぬ用心せよと、にらみ付れば道犬、山三山三わき道へすべらすまい、五百両の金子を身に付た伴左衛門、きりは切たが、かねはしらぬと云とてもいはせふか、盗人でないならば、云分せよとつめかくる。ヲ丶サ云分して見せん、其跡は合点か。イヤ先云分から聞んずとせりあへば、雑式是々なごや、問答迄もなし、其為の我々、人にこそよれ両方共に弓馬の身がら、盗賊と云かけ分明ならぬ訴訟、かつは上をかすむる越度、云分立ば道犬は、存分にはからふべし、又盗賊に極らば、下知のごとくお手前に、なはをかけ申と、りひ明らかにのべら丶る。なごやいさんで罷出、なごや山三春平は、外のことはぶ調法、けいせいのかひ様と人きる様は大名人、恐らく宗匠ごさんなれ、それそれ伴左衛門がしがいを是へ出されよ、心へたりと役人共、封切ほどき酒漬の、しがいは更に色かはらず、只其時のごとく也。なごやはかまのそば取て、近々とより、かれを討しは先月廿日、暁月の時鳥、名乗かけしはだまさぬせうこ、向ふ疵に切ふせとどめをさ丶んとのつか丶り、胸をしひらけば懐中に金子有、此ま丶をいては誠の盗人、来つてさがしとらんは必定、時には山三が盗みしと、後日のなんをさつせし故、鳩尾さきをゑぐつて、金子はきやつがからだの内、はいのざうにをしこんだり、五ざうの中にもはいはかね、同気もとめて、くちもとろけもよもせまじ、いで見せんと手をのばし、ぐつと入、あけにそみたるどんすのさいふ、引ずり出して、見たか是でも山三が盗人か、弓矢取身のしかたを見よと、道犬にはつたとなげ付、しがいをふまへつ丶立ば、雑式を始として、元信其外門弟等、出来た出来た、あつぱれあつぱれ、御分別後覚也といさみをなす。道犬はごんくも出ず、雲谷はひるまぬかほ、相手の云わけ立からは、此方はきられぞん、お帰りなされと立所を、二人の雑式飛か丶り、てつぼうふり上打程に、つらもみけんも打さかれ、胴ぼねくだくる斗也。頓てなはをかけさせ、道犬親子は世間流布の重罪、上をおかすといひ、只今のしまつ諸人の見せしめ、親子諸共ごくもんにさらさるべし。それぞれしがひの首をうて、承つて下郎共、かき首にしてたぶさをからげ、道犬が首にかけさせ、扨雲谷は当座の慮外、罪の軽重いかがあらんと有ければ、元信春平詞をそろへ、もとはきやつめが悪逆、さうどうの始也、古主の屋形にうつたへ、長袖なればるざいにをこなひ申たし。尤々二人共に籠屋へやれと、引立れ共すね立ず、エ丶ひきやう者あゆまずは任せておけにうち入て、いきながらの酒びたし、ぢごくの鬼の中じきざいと、たはふれ笑ひ帰らる丶。悦ぶ中にも元信は、うれへにしづむなちのたき、みだる丶色をいさめんと、うたへやうたへうたの介、其外の門弟中、うれひはうれひ、祝義は祝義、みらいのよめりは一七日、げんぜのよめは七百町、ながく知行にすみふでや、家をさいしく絵のぐふで、くまふでわらふで、でいびきふで、そのふでさきに金銀も、わきていづみのつぼのゐん、ならびなつ毛の狩野のふで、末世のたからとなりにけり。
下之巻
凡絵の道には六つの法有。長康張僧陸探の三人を、異朝の三祖と学きて、和国に筆の色をます、かの丶四郎二郎元信、天然彩墨の妙手を得て、後柏原後奈良の院、正親町の帝、三代四代の聖廟につかへ、祝髪の後越前ノ法眼、玉川斎永仙とがうし、末世の今に至る迄、古法眼と賞歎するは、此元信の筆とかや。すでに大永七年、新帝大嘗会、悠基主基の御屏風を書、従四位ノ下、越前守にふにんせられ、数多の門弟上下の供人、かたをいからす山科や、土佐ノ将監光信の、山庄にあないせられける。将監夫婦出向ひ、今官録にひいで給ふを見るに付、娘がことのみ忘れがたなふ候と、詞にさき立涙也。仰のごとく某とても、かの人をさき立、世にまじる所存なけれ共、将監殿を世に立んと、おしからぬ世も捨かね申せし所に、次第次第に登庸し、大嘗会の御屏風を仕、叙爵に至る朝恩の上、貴公の勅勘訴訟叶ひ、向後一家の結びをなし、相ならんで、絵所の門をひらくべし、とのせんじを蒙り参りたり。親御達を世に立なば、草葉のかげの娘子の、一つのまよひもはるべきかと、かたのごとくにきん中方、願ひ取なし候と、かたり給へば将監夫婦、有がたや忝や、歎きの中の悦びとは、我らが身にて候、貴殿の御ひけいにて、勅勘をゆるさる丶も、一つは娘が光りぞと、なをなをらくるいせきあへず。か丶る所へなごや山三春平、樽肴黄金じふくさまざま音物持せて、将監に対面有。雲谷不破が不届故、元信我ら両人、永々沈淪致せし所、善悪のぜひ落居し、三人の悪たう死罪るざいのげんくはに所せられ、某も先知にふくし候、其節は姫君の御ことに付、御じぶんさまざま御こんしの趣、主人御屋かた満足致され、先当分お礼申さる丶印目録の通、微少ながらとのべければ、御使がらと申御ていねい成御こと丶、互の礼義あさからず、しばらく時こそ移りけれ。や丶有てなご屋、ヤア承れば娘子遠山、くつわの手前約束の年明て、今日帰り給ふよし、さぞお悦びすい量致したと、いへ共人々のみこまれず、とかふの返答なき所に、供の者共こゑごゑに、遠山様はやあれ迄見へまする、迎ひにお出なされませ、ありやありやふつてござるはと、いふてもさらに心へず、し丶て程ふる遠山が、帰らん様は涙(なき/無き)ながら、立出見やれば屋かたの姫君、いてうの前、かもじ入ずの二つぐし、かものはなりのはすは袖、どもの又平日がら笠、さしづめ香車は女房也。いつならはしの道中も、心つければふりやすい、ふれふれ雪の遠山が、御影もよもや是こ丶が、おれが内かとつ丶と入、なふとつ様か丶様、今かへつたはいな、久しうであひやしたと、とんとすはりしゐずまひは、かぶろだち見るごとく也。各はふしんはれず、なご屋はもとよりがつてんなれば、ヲ丶いづれもの御ふしんは尤々、ながふ申せばだんだんあれ共、ひつきやう姫君を、将監のむすめにして、し丶たる人が、二たびよみがへられたとおぼしめし、元信にめあはせあれ、姫君も一たびは大じの命をたすけられし各なれば、こふなふてから親同前、なまなか儀式だてしては、養子といふておもしろなさ、又平ふうふと談合して、ちを分た遠山にいたしたが我らがしゆかう、取組は、御屋かたの御意でござると小みじかく、わけも聞へる道も立、かねつかふたるしる也。将監夫婦も悦び涙、ちいさい時のおみつが、せい人がほ見てうれしいと、いだき付てぞ泣給ふ。名古屋かさねて懐中より、一通を取出し、是は田上郡七百町の御朱印、永代知行なされと頂戴させ、扨田上郡は給所給所の入組にて、地わり中々むつかし丶、某が父主計の介、天文の暦算に達し、鼠承露盤と云物をたくみ、つもりものわり物、人のこゑにしたがつて、そろばんのおもて明白にあらはる丶、是を以てかんがへば、けんづもり知行高、せつなに相済申べし、と有ければ、元信聞給ひ、それに付延喜の帝、陸平永宝駒引銭を鋳させて、民をにぎはし給ふ、其駒は晋の韓幹が馬をうつされし、我又其駒の図をつたへ覚えて候へば、駒引銭をゐて領内をにぎはし申べし。是は珍重、然らば善はいそがしや、よめ入むこ入国入して、本祝言の儀式はかさねて、先々こよひは祝ふて、ざつとめでたふそろべく、そろばんつぶに、よろづよつもるぞ、ゆたか成年は子のとし、大こくめをとちからしだいに子まごもわき出る。地から五こく、手からはかねがねわき出わき出、子々孫々迄、長久栄花の家はん昌は君が恵のゐとく也。
*註:原文は「ゑん正介定」だが、何の事やらサッパリ分からない。浄瑠璃に限らず芸能に疎い筆者の管見では、庶(ちか)い語感は「えいしょうすけさだ」もしくは「てんしょうすけさだ」なんだけれども、だったら、中世の日本刀名産地、備前長船が思い浮かぶ。「すけさだ」は長船刀工の中でも一大流派を成した「祐定」か。ならば、数ある祐定の中でも名工の誉れ高い与左衛門尉祐定、すなわち永正年間に活躍した「永正祐定」の銘刀と考えて、其の様に表記した。何とならば、文脈に於いて、此の「ゑん正介定」は、浮世又平の武勲に逸(はや)る気持ちを強調するものでなければならず、ならば銘刀も似合っているため、仮に判断した。(作中)後に又平は銀杏の前に遭遇し、居合いやら何やら武芸の型を姫君に見せつけ「俺が守る」との意思表示するのだけれども、武張った又平のキャラクター【武】に関連する語彙を鏤める作中手法であろう。ところで又平の、土佐派絵師としての名は「土佐光起」だが、実在の「土佐光起」は貞応期に土佐派を宮廷の絵所預に復帰させた中興の祖ともいえる人物だが、こんな武張った男だとは聞いたことがない。だいたい絵師が、こんなに勇ましい者か? 土佐将監だって、不破道犬への攻撃は武ではなく弁舌を以てするよう考えたし、武芸の功績では絵師の名跡である土佐を与えないと又平を諭してもいる。絵師なら当然である。……でも、実は土佐派に限っては、武の血が流れてないとも限らない事情はある。作中にある如く、土佐将監光信は、宮廷絵所預(天皇の御用絵師)となった誉れの画家だ。実在の彼は、作中とは違って、終身任を放たれることはないし、作中でライバル視される「小栗」は宗堪だろうが、小栗宗堪は足利義政の御抱え絵師であって、絵所預を廻る競合関係にはない。此の光信の子である光茂も絵所預となって、土佐派は順風満帆に見えた。が、光茂の子・光元は何を考えたのか、織田信長麾下の部将(千石取りだったようなので武将として相当に評価されていたことが分かる)となり、木下藤吉郎の但馬攻めに従軍、呆気なく戦死する。そう、近江では、作中に登場する六角義賢が割拠していた時期だ。また、作中の長谷部は「長谷川」だろう。長谷川等伯は、まぁ狩野家と同等もしくは其れ以上の才能をもってはいたのかもしれないが、権力者の庇護をめぐり狩野家とエゲツナク争った絵師だ。「雲谷」は雪舟の号の一つ「雲谷軒」からだろうけれども、何故だか等伯は、「俺は雪舟の子孫だ」と主張していたらしい(雪舟は禅僧であり、子孫がいるとは伝えられていないから嘘っぱちだろう)。因みに、土佐光信の娘「竹」は、狩野元信と結婚している。両家の姻戚関係は本当だが、宮と銀杏の前との入れ替え、八犬伝で云えば、前後の浜路の関係は、そんな所から捏造されたものだろう。えぇっと、そんなこんなで、此の浄瑠璃は、時代としてはバラバラの歴史的伝承を一カ所に集めて、狩野元信を称揚する内容となっている。
◆祇園祭礼信仰記の一部も掲げておく。
腰○ モシ皆さん、御主君大膳様のお指図にて、義輝公の御母君慶寿院さまを虜に遊ばし、この金閣の絶頂に押し込め同然。
腰△ どういうわけかしらねども、毎日々々朝夕に心をつけて御馳走申せと、軍平殿より私どもへ仰りつけ。
腰□ また慶寿院さまには、この天井の一枚板に、墨絵の竜をか〃せよとお望みなさると申す事。
腰☆ その書人は狩野之介直信殿か、また雪姫ならではと、二人の衆を虜にして、直信殿は厳しい警固。
腰○ 雪姫どのは大膳様のお心に随えとて。
腰△ 蒲団の上のうつ〃責め、傍で見る目もおいたわしい。
腰□ ほんに、今日も又いつもの爪琴を御所望にて。
腰☆ 御酒宴が始まるとの事、早う支度を致しましょう。そんなら皆さん、サア、参りましょう。
(そもそも金閣と申すは、鹿苑院の相国義満公の山亭、三重の楼造り、庭には八つの致景を移し、夜泊の石岩下の水、滝の流れも春深く、柳桜を植えまぜて、今ぞ都の錦なる、松永大膳久秀旧恩の主君を亡ぼし、剰え慶寿院を虜にし、この金閣に押し込め置き、遊興に月も日も、立つや弥生の天罰に、ゆとりあう間の栄華なり/ト文句の切れ、正面の緞帳を巻きあげる。内に大膳上手にて壷折衣裳、小さ刀を差し、褥の上に座し、下手に鬼藤太くり下げ蔓、上下衣裳、大小にて、両人盤面に向かい碁を打ちいる。よろしくあって/鬼藤太相手に囲む碁の、二番続けて勝ちの浜、大膳悦び顔/ト両人碁を打ちおわり)
大膳 コリャ鬼藤太、此度も又その方が負けたよな。白は源氏、源の義輝を、四つ目殺しにした松永、中々われには続くまい。
鬼藤 イヤモ、この鬼藤太も碁はずいぶん鍛錬なれども、四海に威をふる兄者人には中々叶わぬ。コリャ石を替わらずばなるまい。
(自慢黒白石片づけ、閣へ知らせの鳴子の綱、引けばばらばら立ち出でて/ト奥より四天王、上下大小にて出て来り)
侍○ 合図の鳴子は、御用ばしござりまするか。
大膳 呼び出すは余の儀ではない。かねて言いつけ置きたる慶寿院、かならず敵に奪いとられな。
侍○ ハッ、仰せの通り堅く張り番つかまつれば。
侍□ いかほど間者が忍ぶといえども。
侍△ 中々油断は致さぬわれわれ。
侍☆ この儀御安心。
四人 下さりましょう。
大膳 オ〃、さもあらん尤も至極、近年にない今日の出来じゃ。……イヤ、それは格別、究竟頂に押し込め置きし慶寿院、この天井の楠の一枚板、その裏に雲竜を画かせよと望むゆえ、その竜は誰に画かせんといえば、狩野之介直信か雪姫ならではという。さるによって其方どもに申しつけ両人を召し捕り、直信めに言いつくれば、四の五のとぬかす。雪姫も何とやら斟酌、とかく慶寿院が機嫌を取るも。我が思う仔細のある事。また雪姫は我が閨の伽させる分別、邪魔になる直信めは軍卒に言いつけ詰牢へ入れさせ置く。その方どもは慶寿院の警固、かならずとも合点か。
侍○ ハッ、仰せの通り究竟頂に押し込め置きし、人質同然の慶寿院。
侍□ 大切に取持なせよとの仰せゆえ、念を入れての馳走拝、時を切ってわれわれが張り番。
侍△ 雪姫は格別、あの人質の慶寿院を、何ゆえあってこの如く大切になさる〃か、我々一円。
四人 合点が参らぬ。
鬼藤 某とても合点の行かぬ兄者人の詞、雪姫を妾にするは聞こえたが、何ゆえあって慶寿院をあのようにして置かる〃は、なんとももって心得ず。
大膳 ハハハハハ、若輩者の知る事ではない。譬えていわばかの王陵が母を虜にした譬え、春水にもせよこの閣に押しよせ来らば、一番に慶寿院を楯の板にく〃り上げ、この剣を咽に差しつけ一思い、去年五月室町落城のその後、猫一匹得手ざしせぬは、きゃつを人質に取ったゆえ、その方どもも油断致すな。
侍☆ ハッ、驚き入ったる御計略、中々油断はつかまつらず(トこの時七ツの時計になり)只今打ちしは時計の七ツ、番替わりつかまつるで。
四人 ござりましょう。
大膳 オオ、行け行け。
四人 ハッ(打ち連れ閣へ上りける。大膳盤を押しやって/トこのうち四天王、辞儀をして奥へ入る)
大膳 ヤア鬼藤太、残念なは浅倉義景、春水が計略にて亡ぼされた後、すぐさま一合戦と思えども、軍を預けん軍帥ばきゆえ、無念ながらこの閣に引きこもり、天晴れよき侍もがなと望む折から、此下東吉というもの春水に暇をとり、我に奉公願うよし、心得ずとは思えども、軍平が詞に任せ、春水我を計るなら、謀に乗って召し抱え候えと勧むるゆえ、軍平を迎いにやりしが、今もって帰らぬか。
鬼藤 イヤモ、万事ぬけ目なき軍平、隙の入るは必定、その東吉を同道致すに極まったり。最前より余程の気鬱、兄者もその間御酒一つ、あがらぬか。
大膳 イヤ々々、姫が返事聞かぬうちは、酒を飲んでも面白からず。コリャ、隔ての障子皆あけろ。
腰元 ハッ、かしこまりました(ハッと答えの程もなく、間の障子を押しあくれば、いとおしや雪姫が、夫は牢舎の苦しみを、引きかえ妻は綾錦、蒲団幾重かその上に、泣きしおれたる有様は、王昭君が胡地の花、色香失う風情なり。大膳詞をやわらげて/トこの文句のうち、腰元上の障子をあける。これと共に前の障子を引き抜く。こ〃に雪姫脇息にもたれ、うつむき居る。大膳思入れあって)
大膳 コリャ雪姫、そちが夫直信めは詰牢の苦しみ。それに引きかえ、舞い歌わせて奔走するも、この天井に墨絵の竜を画かせんため、二つには我が閨の伽をさそうばかり。サア、直信にかわり、墨絵の竜を画く心か、但し我に随う所存か。どうじゃどうじゃ(どうじゃどうじゃと責められて、姫は漸々顔を上げ)。
雪姫 思いも寄らぬ御難題、絵の道は祖父様より家に伝わる事なれば、何しに辞退は申さねども(水草花鳥に事かわり、墨絵の竜は家の秘密)雪舟さまより父将監まで伝わりしが、何者の仕業にや、父に手をかけ、家の秘書まで失えば、何を手本に画くべき。お赦しなされて下さりませ。また二つには直信殿とわらわが仲は、あなたも知ってござんす通り(お主さまのお情で、女夫になりし義理あれば)たとえこの身は刻まれても、不義はかならず致すまじと女子の嗜み、わらわばかりか夫まで牢舎とはお情ない。か〃る憂目を見んよりも、いっそ殺して下さりませ(かっぱと伏して泣き居たる)。
大膳 鬼藤太、アレ聞いたか。雲竜を画けといえば家の秘書がないと言い、閨の伽さそうといえば直信めに義理立て、アア胸が悪い。とかく邪魔になる直信め、軍平が帰り次第岩下の井戸へ釣りおろし、殺してしまえば跡がさっぱり。抱かれて寝るなりと、そちが心次第、直信めを殺そうと生かそうと、とっくりと思案して、色よい返事を聞くまでは、蒲団が上の極楽責め、サア、雪姫、声はりあげて歌え歌え(歌え歌えと難題に、姫はとこうの応えさえ、涙より外なかりける。か〃る所へ十河軍平、伴う東吉が襟元に抜き刀、さしつけさしつけ入り来れば)
鬼藤 誰かと思えばそちは軍平、先刻より兄者人のお待ちかね(いうに大膳声をかけ/ト早舞、ばたばたになり、向うより軍平、上下衣裳大小にて抜刀を持ち、あとより東吉、上下衣裳にて出る。あとより足軽両人、東吉の大小を持ち出る。花道よき所にて軍平、東吉へ刀をさしつけて見得、大膳この体を見て)
大膳 ヤア軍平、その手籠は何事ぞ。
軍平 さん候、これこそ此下東吉、御奉公を望み推参は致せども、もし過ちもあらんかと、油断致さずかくの仕合わせ。
大膳 ハハハハハ、我が家を望む東吉、なんの用心、許せ許せ。
軍平 ハッ(刀を鞘に納むれば)
大膳 聞き及ぶ此下東吉とは其方よな。苦しゅうない、これへこれへ。
東吉 ハッ(詞に随い座に着けば/ト両人舞台へ来る。足軽両人、下手へ控える。大膳こなしあって)
大膳 身も春永には手を置きつるに、その春永を見限り。この大膳に仕えんとは頼もし頼もし。ソレ腰があいて見苦しい。刀を許して、近う近う(近う近うと言葉の下、家来に持たせし大小を、渡せば取って流石の東吉、両手をつかえ謹んで/ト足軽、東吉へ大小を渡し下手へ入る)
東吉 御覧の如く四尺に足らぬ此下東吉、甲州山本勘助に比べては、抜群劣りし小男、お馬の口か秣の役か。恐れながら御譜代とも、思し召し下されなばありがとう存じ奉る(身をへり下りうずくまる)。
大膳 古え斉の晏子という者、身の丈は三尺なれども、諸候の上に立って国政を執り行なう。武士は魂、人相の差別善悪によるべきか。さはいえ人には一つの癖のあるもの。この大膳も碁を碁を好むが一つの癖、相手はこれなる鬼藤太軍平、ちょうど碁盤もこれにあり。幸い目見得の東吉、なんと一番打つ気はないか。
東吉 仰せには候えども、未熟鍛錬の私、何とて気味のお相手に。
大膳 遠慮に及ばぬ、これへこれへ。
東吉 しからばお相手つかまつらん(おめず臆せず打ち通る/トこれにて東吉、二重下手へ上る)。
大膳 苦しゅうない。進め進め。
東吉 しからば御免(と東吉が、盤に向うも先手後手)。
軍平 これは一段とよき慰み。拙者もこれにて見物いたそう(腰打ちかけてさし窺う、隔ての障子そろそろと、一間を忍ぶ雪姫が、心一つの物案じ/ト軍平下手へ腰をかける。大膳東吉、碁盤に向かい打ちにかかる。上手家体より雪姫出かかり思入れあって)。
雪姫 囚れたを幸いに、御恩を受けたる慶寿院様を奪ひ返さうか。夫の命も助けたし(アヽどうがなと差しうつむき、千々に心を砕くは碁立て、大膳は先手の石打つや、現の宇津の山蔦の細道此下が、一間飛びに入り込んだも、松永を討って取る、岡目八目軍平が、助言と知らぬ大膳が、詞もあると打ちうなづき)いっそこの身を打ちまかせ、枕交わそとつい一言(言うたらいとしい直信様、牢舎を助けてくれもしょう。とはいえ憎いあの大膳、なんと枕が交さりょう)厭と言うたら夫の命。
大膳 イヤ、危ない事の、大膳が石が既の事。
東吉 アいやアいや、死ぬはこの白石。
大膳 どうやら遁れ鰈の魚。
東吉 白き方には目がなうて。
大膳 あるか。
東吉 ないか(の辻占を、聞くもだくだく胸撫でおろし)
雪姫 ほんに昔の常盤の前、夫の敵清盛に、身を任せし例もあり、それは子ゆえ、わらわに子とてはなけれども、大切なお主のため、さしあたる夫の命、そうじゃそうじゃ(そうじゃそうじゃと立ちあがり、震う膝節松永が、後ろにおずおす立ちよって)もうし大膳さま、先程のお返事を、もうし(もうしもうしと手をつけど、碁に打ち傾く顔をも上げず)
大膳 覗くは誰じゃ。
雪姫 ハイ、雪姫でござります。
大膳 何、雪姫とは。
雪姫 先程のお返事を。
大膳 雪姫が顔の白石、返事とはアア嬉しい、抱かれて寝ばまの返事ぢゃな。
雪姫 アイナ。
大膳 アイとはうまい、昨今の東吉が見る前、恋は曲者、赦せ赦せ。
東吉 ハッ、これはこれは痛み入ったる御挨拶、主となり家来となれど、碁の勝負には遠慮は致さぬ。のう軍平殿。
軍平 いかにもさよう、女房に翅鳥とはずんでござる大膳様。
大膳 オオサオオサ、晩には一目、劫おさえて。
東吉 この東吉が中手を入れて。
大膳 面白い春永でも直信でも、斬ってしまえば駄目も残らぬ。
軍平 いかにも左様。
大膳 軍平、切れ切れ、切ってしまえ。
軍平 ハッ(立ちかかれば/ト立ちあがるを)
雪姫 アコレ、待った、切れとは誰を。
軍平 ハテ知れた事、狩野之介を。
雪姫 のう、待って下さんせ。夫を殺させまいために、大膳様のお心に従う心でここへ来ても、碁に打ち入ってござるゆえ、さし控えておりました。マア、待って下さんせ(すがり嘆けば大膳が)。
大膳 何じゃ、身共が心に従おう。
雪姫 アイナ。
大膳 余り急で呑み込まねど、軍平待て。
軍平 お心に従うからは、もう切るには及びますまい。
大膳 ハハハハハ、碁にかゝっては何を言うやら。危ないは狩野介、のう東吉、かの太平記に記した天竺波羅那国の大王、まっこの如く碁に打ち入り、過って沙門を殺した引き事、それは因果これは眼前、コリャ雪姫、心にさへ従えば、直信は助けんと番いし詞、反古にもなるまい。暮るるをもった閨の伽、抱いて寝たその上で、直信は赦してくりょう(いうに少しは落ち着く思い、大膳盤を打ち眺め)大方この碁も身共が勝ち、勝負をつけて見ようかい。
東吉 しからばさよう仕らん(と東吉が、向かう敵は小田春永/トのり)。
大膳 この大膳が後陣の備え。続く碁勢は。
東吉 あるともあるとも有馬山。いなの笹原足つくな。
大膳 突いたら大事か、取ってくりょ。
東吉 取るとは吉左右、天下取る。
大膳 国をとろとろ、とろゝ汁。
東吉 山の芋から鰻とは。
大膳 早い出世のやっこらさ。
鬼藤 三五十八南無三宝、大膳様がおまけとなった(石拾う間も短気の松永、盤を掴んで打ちつけるを、すかさぬ東吉扇のあしらい、にっこと笑い/ト大膳盤にて打ってかかる。東吉よろしく留め)。
東吉 ハハハ、すべて碁は勝たんと打つより、負けまじと打つが碁経の掟。東吉が癖として囲碁に限らず、口論あるいは戦場に向こうてもおくれを取る事大嫌い、盤上は時の興、勝つべき碁をわざと負けるは追従軽薄、負腹の投打ちなら、今一勝負遊ばされんや。ササ、何番でもお相手つかまつらん(井目すえたる東吉が、手段もさぞと知られたり/トよろしく見得)。
大膳 面白い碁のたとえ、見かけによらぬ丈夫の魂、頼もしゝ頼もしゝ。誠武士の肝要は、軍の駈引その駈引には智謀が第一。汝が才智を試みんには、ハテ、何をがな(と思案の内、傍なる碁笥をおっ取って、目当ては岩下の井戸の中、ざんぶと投げ込み/ト大膳思入れあって、碁笥をとってへたの井戸へ打ちこむ)。いかに東吉、今井戸の中へ打ち込みし碁笥の器、手を濡らさずに取り得る工夫があるや、いかに。
東吉 ハッ(猶予もなく、庭に下り立ち金筒樋、漲る滝の流れを直ぐに井のうちへ、暫時に汲み取る早業は、井桁を越して水の上、浮かめて取ったる件の碁笥、有り合う盤を打ち返し/ト東吉思入れあって庭におり立ち、金樋を取って、滝の水を井の内へ汲み取る。水の音はげしく、井の内より水気おびただしく、このうちに件の碁笥を取り、碁盤を打ち返し、真中に載せ、キッと見得)。四つの足の真中に、据えたる碁笥は、春永が首実検のその時の用意に用ゆる碁盤の裏、四つの足を四星に象り、軍神の備えとし小田を亡す血祭、まッこの通り(盤を片手に差し上げしは、下■丕にオオザト/の土橋に石公が、沓を棒げし張良も、かくやとばかり勇ましゝ/トよろしく見得)。
大膳 オオ、出かした出かした。あっぱれ頓智、いよいよ軍師に頼みの盃、鬼藤太、軍平、案内致せ。
鬼藤 かしこまってござりまする。イザ此下氏。
東吉 さようなれば我が君様、後刻お目見得つかまつるでござりましょう(互いに包む計略は、洩らさぬ胸の松永を、主人と頼む此下が、姫に心を奥の間へ、伴いてこそ入りにける/ト東吉思入れあって、軍平鬼藤太つき添い奥へ入る。大膳雪姫残る/あと見送りて大膳が)
大膳 サア、これからは雪姫の閨の伽、サア、行こうか(と手を取りしが)イヤイヤ、抱いて寝ぬ先、いま一色墨絵の竜、ツイくるくると一筆に、望みかかった大膳が思い、序でに叶えてくりゃれ、どうじゃどうじゃ。
雪姫 サア、お心に従う上は、知ってさえいる事なら、何しに筆を惜しみましょう。最前も申した通り、家の秘書ついに見ぬ自らなれば、手本がのうてはいつまでも。
大膳 ムム、尤も(とうなづきしが、傍らなる一腰取り直し)しからば手本が出た上では、いやとは言わさぬ、合点か。
雪姫 なるほど、雪舟が残された手本さえあるならば、たった今でも書きましょうそうして、あなたにその手本が。
大膳 オオ、あるともあるとも、サ、来やれ(イザまずこちへと松永は、姫を伴ない庭におり、件の一腰ぬき放し、滝に写せばあら不思議や、落ち来る水に竜の形、ありあり怪しむ雪姫が、さてはとばかり目を放さず、又も写せば生けるが如き、雨を起こすや倶利加羅竜、隠せば隠るゝ稀代のの剣、手に持ちながら松永も、奇異の思いをなしにける。姫はすかさず身繕い、守り詰めたる大膳が、刀奪い取りとっくと見/ト大膳雪姫の手を取り庭へ下り、へた滝壷の前にきて、大膳件の刀を抜いて滝に写す。薄ドロドロ、水の音はげしく、仕掛けにて滝の中へ鍍金の竜現われる。雪姫思入れあって、大膳の刀を取ってびっくりし)
雪姫 ホホ、さてこそ尋ぬる倶利加羅丸、親の敵の大膳、覚悟(大膳やらぬと身構えたり/ト雪姫大膳に切ってかかる。ちょっと立ち廻って、キッと引きつけ)
大膳 ハテ、心得ぬ。我を親の敵とは、何を証拠に(といわせもはてず)
雪姫 オオ、その証拠とはこの剣、我が祖父の雪舟様、唐土より持ち帰り、家に伝えし倶利加羅丸、朝日に映せば不動の尊体、夕日に向へば竜の形、倶利加羅不動の奇特をもって、かくは名附けしこの名剣、父雪村まで伝わりしが、河内の国慈眼寺山、潅頂ケ滝の下にて父を討たれ、刀も紛失、されども倶利加羅丸といふ名を包み、家の秘書が見えぬ見えぬ言いふらせしも、誠はこの剣を見出そうばかり、姉様と諸共に、心を砕く父の敵、今という今、剣の不思議を見る上は、敵もこなたに極まった。サア、尋常に勝負しや(また切りかかる剣をもぎとり/ト切りつける。大膳身をかわし、雪姫を引きつけ)
大膳 ハハハハハハハ、ひくしゃくとはね廻るな。年来天下を覆す望みあって、三種の神器を仮に拵えんと思ふ折節、いかにも潅頂ケ滝の下にて、この刀を水に写し、竜の形を顕わしたるを見てたのしむ老人、我もその場に行きかゝり、天晴れよき名作名剣、武士の守りになるべきものと、一向に所望すれども、承引せざる奇怪さ、人知れず打ちはたした。さてはその時討ち捨てた老人は、雪姫、そちが親将監雪村であったよな。年月の無念もさぞさぞ、この剣が欲しいか、某が首も欲しかろう。討たれてやりたいが、マア、ならぬ。匹夫づれの身をもって、この大膳を敵などとは小ざかしい下司女め(立ち蹴にはったと踏み飛ばし、足下にふまえる折こそあれ、鬼藤太これにてつつと寄り、姫を引っ立て後ろ手に、縛りからむる後へ東吉/ト文句の通り、この内よき程に乗ずより鬼藤太出て来り、雪姫に縄をかける。奥より東吉出て、思入れ)
鬼藤 ヤア、かような事もあらんかと、見え隠れに窺うところ、主人を敵と覘う女、なぜ細首を打ち召されぬ。
東吉 この東吉がお目見得に、すっぱりと致して御覧に入れん(刀抜く手を止むる大膳)
大膳 コリャ待て東吉、我が思う仔細もあれば、その儘その儘。ヤアヤア軍平、はや参れ。
軍平 ハアア(はっと答えて立ち出ずる/ト上手より軍平出て来る)。
大膳 ヤア軍平、その方に預け置きたるあの直信、船岡山ヘ引き出し、五つの鐘を合図に、一分だめしにしてしまえ。
軍平 ハッ、委細承知つかまつる。しからばこれなる雪姫も、一緒に引き立て申すべきや。
大膳 イヤイヤ、そりゃならぬ。
軍平 とは又なぜでござります。
大膳 なぜとは不粋な、のう鬼藤太、あの縛られた姿を見よ。雨に逢うたる海棠桃李、桜が下にくくりつけ、苦痛を見せたその上で、抱いて寝るか成敗するか、二つ一つはまア後刻、軍平、早く早く。
軍平 ハッ(早く早くと追っ立てやり、大膳は上見ぬ鷲、悠然と席を改め/ト軍平上手に入る。大膳は二重へ上り、よき所へ住まい)
大膳 コリャ鬼藤太、その方にはこの剣きっと預ける間、慶寿院が警固怠りなく言いつけよ。
鬼藤 ハッ、かしこまってござりまする(ト剣を受け取る)。
大膳 ナニ、東吉、そちゃあの女が首討たんとな。ホホ、新参ながら某をかばふ心底、満足々々、今よりしては我が軍師、小田が家にて千貫とらば二千貫、一万石でも望み次第、恋の囮の雪姫を、括し上げて憂目を見せよ。
東吉 かしこまってござります(かしこまったと東吉鬼藤太、引っ立て引っ立て桜の枝、くくるも主命主従が打ち連れ/トこのムンクのうち東吉鬼藤太、雪姫を桜の樹へくくる。時の鐘、送りにて、大膳東吉鬼藤太、奥へ入る/奥に入相の、鐘も霞に埋もれて、心細くも只独り、むざんなるかな雪姫は、何を科とて搦まれし、夫ももはや最期かと、思えばそよと吹く風も、あわやそれぞと見上ぐれば、花の散るさえ恨みなる、今ぞ生死の奥座敷、諷う調子も身にぞ染む、花を雪かと眺める空に、散ればぞ花を雪と読む、命も花と散りかゝる、狩野介直信が、最期も五ツ限りぞと、軍平に追い立てられ、屠所の羊の歩み兼ね、■ギョウニンベンのみ・たたず/む夫婦が顔と顔/ト時の鐘かすめ風の音、日覆より散花、このうち雪姫思入れあって、上手より直信、着流しにて縄にかかり、縄取り四人、あとより軍平出て来り、雪姫と顔見合わせ)
雪姫 ヤア、我が夫か。
直信 雪姫か(寄らんとすれば縄取りが、引っ張る縄の強ければ、見かわすばかり涙声)。こうならうとは思いも寄らず、お主様を奪い返し、舅の敵も倶々に尋ねんものと思ひしに(むざむざ死ぬる口惜しさ、何卒そなたは存命て、慶寿院の御先途を、見届くるよう頼むぞや)。
雪姫 エエ、そのお頼みは皆逆様、科もない身を刃にかけ後に残って何とせん。一緒に行きたい、死にたいわいな(一緒に行きたい死にたいと、叫ぶを軍平嘲笑い)。
軍平 アア、よしない女の腕立から、狩野介を殺すといい、その身に縄目の憂き恥面、まだも頼みは大膳様、その器量にうっ惚れてござるゆえ、今一度詫び言して、お心に従うた方が、その身の為であろう。
侍 軍平殿の仰せの通り、いくらじたばた叫んでも、しょせん夫の直信は、これがこの世の別れ霜、イヤハヤ笑止千万な。
軍平 サア、狩野之介を引っ立てろ。
侍 キリキリ立て。
直信 雪姫、さらば(さらばさらばの暇乞い、これが此世の別れぞと、心の内に夕間暮れ、追い立て追い立て引かれ行く/ト軍平、直信を引き立て向うに入る。雪姫残りあと見送り/見送る身さえからまれて、行くも行かれず伸びあがり、見ゆれど誘う風につれ、野寺の鐘の更々と、響きに散るや桜花、梢もしおれ身もしおれ、しおれぬものは涙なり。稍泣き入りし目を開き)
雪姫 ヤア、鐘は六ツの鐘、夫の命のある内に、ほんにまだ言い残した事があるわいな。もうし直信さま、父の敵は大膳じゃわいな。エエ、この事が知らせたい。この縄解いてほしいな(エエ、切れぬか解けぬかと、身をあせるほど締め搦む、煩悩の犬われとわが、身を苦しむる憂き思ひ)エエ大膳の鬼よ蛇よ、人に報いがあるものか。喰いついてもこの恨み、晴らさいで置くべきか(悔みの涙はらはらはら、玉散る露の如くなり。オオそれよ、三井寺の頼豪法師、一念の鼠となり、牙をもって経文を喰いさき、恨みを晴らせし例もある。この身この儘鼠とも虎狼ともなしてたべ。南無天道さま仏さま、エエ、拝みとうても手が叶わぬ、エエ、口惜しやな(踊り上がり飛び上がり、天に呼ばわり地に臥して、正体涙に暮れけるが)誠に思い出せし事こそあれ、我が祖父雪舟様、備中の国井の山の宝福寺にて僧となり、学問は仕給わず、とかく絵を好み給うゆえ、師の僧これをいましめんと、堂の柱に真此様に縛りつけて折檻せしが、終日苦しむ涙を点じ、足をもって板縁に画く鼠、縄を喰ひ切り助けしとや。妾も血筋を請けついで、筆は先祖に劣るとも、一念はおとりはせじ(足にて木の葉をかきよせかきよせかき集め、筆はなくとも爪先を筆の代わり、墨は涙の、濃薄桜、足に任せて書くとだに、絵は一心による物凄く、すわすわ動くは風かあらぬか、花を毛色の白鼠、忽ちこゝに顕われ出で、縄目の葛草の根を、月日の鼠が喰ひきり喰いきり、喰いきるはずみにばったりと、倒しがむっくと起き/ト雪姫思入れあって爪先にて花をかき集め、舞台へかく思入れ。ドロドロになり、さしがねの鼠出て縄を喰い切る)ヤア嬉しや、縄が切れたか。ムム、足で鼠を書いたのが、縄を切ってくれたかいのう(見やれば傍に散る花の、鼠の行衛も嵐吹く、木の葉とともに散り失せたり。姫は夢の心地も覚め/トこれにて鼠消える。散花ぱっとたつ)この上は片時も早く夫の命、オオそうじゃ(そうじゃそうじゃと身繕い、悦ぶ足も地につかず、夫の命助けんと、駈けゆく後ろへ松永鬼藤太/ト雪姫行こうとする。ここへ鬼藤太出て)。
鬼藤 ヤアどこへどこへ、しぶとい女郎め。動かるるなら動いて見よ(首筋掴んで引き戻す、放せやらじとせり合ううち、はっしと打ったる手裏剣に、藤太が息は絶えにけり/ト鬼藤太雪姫よろしく立ち廻る。この時奥にてエイと声して鬼藤太の咽喉へ小柄立ち、苦しみ倒れる。雪姫は合点の行かぬこなし/これはと驚き見かえるところへ)。
東吉 ヤアヤア雪姫、しばらくしばらく(まず暫くと声をかけ、腹巻に身をかため、悠々と立ち出ずる、筑前の守久吉/ト奥より東吉、陣立の拵えにて金の采を持ち出て)何事も最前より窺い知ったる始終の様子、先祖の雪舟渡唐の時、明帝に望まれて天満宮の渡唐の神像画く、賞美に取りかわせし倶利伽羅丸は、コレここに(と東吉が死骸の一腰を、とって渡せばとっくと見て/ト久吉、鬼藤太の帯したる以前の剣をとって姫に渡す)。
雪姫 オオ、成程々々、家の秘蔵のこの剣、祖父様が唐土にてお画きなされた渡唐の天神、今日本にひろめたも雪舟様が始めじゃと父様の物語り、この名剣が手に入るからは、イデ踏ん込んで父の敵の松永大膳、そうじゃ。
東吉 コリャ待て、一途にはやるは尤もながら、申さば彼は天下の敵、また重ねて慶寿院のお身の上、この久吉がうけ取った。また直信が身の上は、軍平に申しつけたれば、ちっとも気づかいなけれども、何かの様子を知らすため一刻も早く船岡山へ立ち越えられよ。
雪姫 心得ました。そんならお主を頼むぞえ(剣を腰に裾引き上げ、小褄ほらほら花の浪、船岡山へ走り行く/ト雪姫嬉しきこなしにて向うへ入る/後略)。
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