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師郷記
{永享十一年二月}
十日。後聞、今日鎌倉殿自害。京都御使相国寺長老下着、直招房州■一字欠/被仰付歟。上椙霜台并千葉介大将奉寄之間、先若公姫君(七人)自身被奉殺之、其後自害、則被懸火云々。言語道断之次第也。

{六月}
三日晴。今日室町殿渡御左衛門督亭。今年関東御退治無為之間、大名等臨時申渡御事、仍今日被申云々。

{七月}
二日。人々参賀。室町殿、是若公一所可奉下関東之由、被仰下之処、関東各承伏之由、申之故云々。
……中略……
四日。関東管領(上椙安房守)去月廿八日自害之由、今日御注進到来之。故鎌倉殿自害寺(永安寺)自殺云々。

{永享十二年四月}
三日。関東事物■公した心/之由此旨注進之間、先度発向之輩、重可発向之由、今日被仰出之云々。
……中略……
十日。関東下向之輩、今日少々進発云々。

{嘉吉元年四月}
廿五日。関東注進、昨日令到来。常陸結城城去十六日合戦、結城討死、故武衛若公両人被生捕之。

{五月}
四日。去月於関東所討頸廿九、今日被懸六条河原。結城一類并与力輩也。結城頸ハ上瘤。部少輔美童取之。
……中略……
十九日(今暁)。関東若公両人頸京着。越後勢生捕之上洛、於美濃国斬之。十二歳与十歳也。上瘤搦Q之云々。

{六月}
廿四日。今日渡御赤松宿所、而酉剋許奉討室町殿、則放火没落播州了。前代未聞之次第也。参会人々、三条左金吾・管領・畠山・同修理大夫・山名・細川讃州・大内・京極等也。左金吾被疵(三ケ所)、大内・京極同被疵、京極帰家則死去了。御共衆中、山名中務大輔於当座被討、細川下野被疵、走衆三人(遠山市丶丶)討死(遠山丶丶帰家則死云々)、其外人々無為云々。室町殿ハ奉取御頭下国云々、於御死骸者、翌朝(自寺)奉取之云々。赤松伊与・左馬助両人家同放火了。
予入夜参内裏、人々少々被参之。管領以使者被申禁裏云、室町殿御事言語道断之次第也、使内藤四良左衛門云々。方々御座若公、今夜皆奉入伊勢許警固申之。御台様以下女房五六人今夜則落飾、御台様則令着御黒衣給、其外大略令着給歟。

{嘉吉三年七月}
廿一日。寅剋、室町殿御事(御歳十)無是非之次第也。今朝鹿苑院長老(用康和尚)奉剃御髪云々。御受衣(夢窓国師拝塔御弟子分云々)御法名道春御道号栄山、奉号慶雲院殿。

{康正二年四月}
廿七日丙寅。今夜大外記師藤申拝賀、小八葉無秘計之由申問、烏丸車令伝借了。
今日鎌倉殿舎兄下向関東之間、(今日)被進発了。近年憑申京都、被在京者也。


 

   
  
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