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応仁記{巻三}

洛中大焼之事
花洛ハ真ニ名ニ負フ平安城ナリシニ、不量応仁ノ兵乱ニ依テ、今赤土ト成リニケリ。就中、禁裡紫宸トナルハ仙洞也。今ノ伏見殿、是レナリ。高宮聳雲、複道行空、五歩ニ一楼、十歩ニ一閣、出入騒人ノ墨客、心ヲ不留ナカリケリ。近比西芳寺ノ風景ヲ被移、山ニハ楊梅桃李ノ名花ヲウヘ、鯨鯢龍鳳怪石ヲ立テ求友鴛鴦ハ愛水鏡、弄花淑女ハ奏雪絃、椒蘭ノ烟リ綺羅ノ艶薫四方、飜九天粧ヒ、正ニ秦ノ阿房宮ト云トモ是ニハシカジトゾ覚エ侍ベリケル。又花ノ御所ノ甍瑩珠玉ヲ鏤金銀ヲ、其費六十万緡ナレバ、浅キ智ノ筆ニ記シ難シ。并ニ高倉ノ御所ノ事、大樹義政公御母御台所居入。是レモ其ノ営財ヲ尋ヌレバ、腰障子一間ノ直ヒ二万銭ト也。此ノ厳麗以之ハカルベシ。東ニ烏丸殿アリ。是モ慈照院殿ノ幼少ノ御時立給処トテ美麗ト云トモ中々言バノ及処ナシ。三条殿ハ古贈大相国義教公ノ北ノ政所藤原ノ御里ナル故ニ巧匠術ヲ尽サレケル。日野・広橋モ当元師室町殿ノ御外戚ニテ、イヅレモ珠玉ヲチリバメリ。其外タヘナル公家ノ御所ハ近衛・一条・鷹司・久我・徳大寺・花山院・洞院・菊亭・西園寺・転法輪、此ノ御門家ヲ首メトシテ冷泉・飛鳥井・四条・世尊寺・甘露寺・清水谷・中ノ御門・藪・庭田・中山・高築・園・坊城・万里ノ小路・山科ト菅家ノ人ノ殿宇也……中略……

義視西陣ヘ御出之事付五壇法之事
……中略……
去程ニ細川右京大夫勝元、頻ニ取被申ニ依テ御敵調伏ノ為ニ五壇ノ法ヲ行セラレケル。承平ニ平将門退治ノ時、東山五大堂建立ノ草創也。此法ノ奇特ニ依テ既ニ将門ガ鉄身モ其益無、俵藤太秀郷ニ砕テ討レキ。御当家ニオイテ、左大臣殿義教公ハ、鎌倉持氏退治之時、彼御堂廃壊シテ月常住ノ灯トナル、霧ハ不断ノ香トナリテ年久カリシヲ、此御堂ヲ再興シ五大明王ヲ彩色テ任承平之例、此法ヲ行、無事故、持氏墜命シ、御子息春王殿安王殿ヲバ虜奉テ濃州垂井ノ道場ニテ失奉ル……後略

 

   
  
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