伊井暇幻読本・南総里見八犬伝「道草」
 
           ――神々の輪舞シリーズ3――
 
  前回は、健磐龍命を紹介した。健磐龍命が「龍」と縁深い神であるならば、恐らく神仏習合に於いては、観音であろう。例えば、「阿蘇山旧記抜書」には、

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前略……
一北史列伝第八十二曰倭国有阿蘇山ト云其石無故火起接天俗以為異因テ行祷祭有如意宝珠其色青ニシテ大サ如鶏卵夜ハ則有光云魚眼晴ト也
……(中略)……
上宮三所 或ハ三社
中宝池健磐龍命 本地十一面観世音菩薩
十二宮内一宮私伝曰三身時報身阿弥陀也
北宝池比●(クチヘンに羊)明神 本地弥勒菩薩
十二宮内二宮私伝曰三身時法身大日如来也即健磐龍命御妻女也
法施崎彦子明神本地毘沙門天
十二宮内五宮私伝曰三身時応身釈迦如来也
   社方説如参詣次第北御池健磐龍命中御池比●(クチヘンに羊)明神法施崎彦御子明神号……後略
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とある。やはり、本地は観音らしい。そして、上記「阿蘇山旧記抜書」では阿蘇峰の「宝池」が「健磐龍命」であるとしているので、「彦山流記」の「龍/観音」は即ち阿蘇明神だとも考えられる。

 ところで、阿蘇と言えば、椿説弓張月である。「違う!」と言う人が居るかもしれないが、とにかく、阿蘇と言えば椿説弓張月なんである。
 弓張月の主人公・源鎮西八郎為朝は、色々あって、まずは豊後国の縁者を頼る。しかし此が狭量の者だったため為朝は家を出て、肥後国阿曾平四郎忠景の子・三郎忠国の娘・白縫と結ばれる。因みに結ばれるキッカケは、鶴だった。また、弓張月は為朝が琉球王の祖となった伝承をベースに書かれているのだが、作中、為朝を琉球なんて遠い国にまで導くのは、同じ鶴だったりする。
 この鶴は為朝の大祖父・八幡太郎義家が対外戦争・前九年の役で殺した敵兵の供養にと、放生会に使った鶴であった(弓張月第三回)。因みに「放生会」は、現在では京都が有名だけれども、八幡信仰の特徴とも言える行事だ。八幡は早くから仏教と結び付き、「神宮寺」と一体となっていた。不殺生戒は仏教の重要な戒律である。(そんなのが「軍神」だったりする辺りイーカゲンなよぉな……)。八幡は源家の氏神だから、義家が「放生会」を行うことは、物語上当たり前かもしれない。しかし、逆を考えよう。為朝を語るに「放生会」を選択した点に、馬琴の隠微がある。即ち馬琴が弓張月の中で、物語を此の鶴によって展開させている点は、重要である。これは、為朝の行動が、放生会に特徴づけられた八幡神によって導かれた、もしくは為朝が八幡神の権化であることを示そうとしたのだろう。
 ついでに言うと、日本文学大系本弓張月頭註に拠れば、史書にある頼朝の放生会を義家も行ったように作り設けたのは、有名な浄瑠璃「奥州安達原」らしい。安達原は周知の如く、ある女性が皇子宮の病気を治そうとして、女性から胎児の生肝を奪う、けれども宮は病死、それでも女性は自分の家に泊まる妊婦を次々に殺害して胎児の生肝を奪い続けている、とのストーリーだ。浄瑠璃が成立する母胎となった伝承があったやにも聞く。乳母たる女性が皇子に忠愛を尽くした挙げ句、鬼女に変ずる悲劇である。このホラー話は江戸期に人気があったらしいが、例えば今昔物語には、こんな話がある。

   丹波守平貞盛児干を取る語第二十五(本朝世俗巻第二十九)

今は昔、平貞盛朝臣と云ふ兵ありけり。丹波守にてありける時、その国にありけるに身に悪しき瘡の出でたりければ、▲▲と云ふ止むことなき医師を迎へ下して見せければ、医師これを、いみじく慎しむべき瘡なり。されば児干と云ふ薬を求めて治すべきなり。それは人に知らせぬ薬なり。日ごろ経ばそれも聞き難かりなむ。疾く求め給ふべきなり、と云ひて外なる所に出でぬ。されば守、わが子の左衛門尉▲▲と云ふを呼びて、わが瘡をば疵と、この医師は見てけり。いみじき態かな。ましてこの薬を求めばさらに世に隠あらじ。されば、そこの妻こそ懐妊したなれ。それ我れに得させよ、と云ふを聞くに目も暗れてさらに物思えず。さりとて惜しむべき様なければ、早う疾く召せ、と答ふれば、貞盛、いと喜し。さればそこはしばし外におはして葬の儲をせよ、と云ひ固めつ。さて▲▲、この医師の許に行きて泣きぬ。さて云ふ様、この事を聞くに、まことにあさまし。己れ構へむ、と云ひて館に行きて、いかにぞ。薬はありや、と守に問へば、守、それがいと難くてなきなり。されば左衛門尉の妻の懐妊したるをぞ乞ひ得たる、と答ふれば、医師、それをばいかにせむ。わが胤は薬にならず。疾く求め替へ給へ、と云へば、守歎きて、さはいかがすべき。尋ねよ、と云ふに人ありて、御炊の女こそ懐妊して六月になりぬれ、と云ひければ、さらばそれを疾く取らせよ、と云ひて開きて見ければ女子にてありければ棄てけり。されば外にまた求めて、守生きにけり。さて医師によき馬装束米など員知らず取らせて返し上すとて、子の左衛門尉を呼びて密かに云はく、わが瘡は疵にてありければ児干をこそつけてけれと世に弘ごりて聞えなむとす。公もわれをば憑もしき者に思しめして夷乱れたりとて陸奥国へも遣さむとすなり。それにその人にこそ射られにけれと聞えむはいみじき事にはあらずや。さればこの医師を構へて失ひてむと思ふを今日京へ上せむに行き会ひて射殺せ、と云ひければ左衛門尉、いと安きことに候ふ。罷り上らむを山に罷り会ひて強盗を造りて射殺し候ひなむ。されば夕さり懸けて出だし立たせ給ふべきなり、と云へば守、さななり、とて左衛門尉ぞ、その構仕らむ、とて急ぎ出でぬ。さて忍びて左衛門尉医師に会ひて密かに云はく、しかしかのことをなむ守宣ふ。それをばいかがすべき、と云へば医師あさましく思ひて、ただいかにもそこに量らひて助け給ふべきなり、と云へば左衛門尉の云はく、上り給はむに山まで送りつけらるる判官代をば馬に乗せて、そこは歩にて山を越え給へ。一日の事の世々にも忘れ難く喜しく候へば、かく告げ申すなり、と。医師手を擦りて喜びて、さる気なくて出だし立つれば酉の時ばかりに出で立ちぬ。左衛門尉が教へつるままに山にて医師、馬より下りて従者の様になりて行くに盗人出で来ぬ。盗人、馬に乗りて行く判官代を主ぞと思ふ様にて構へたる事なれば射殺しつ。従者どもはみな逃げて散りにければ医師、平らかに京に上り着きにけり。左衛門尉は館に返りて射殺しつる由を守に云ひければ守喜びてありける間に医師は存して京にありて判官代を射殺してければ守、こはいかにしたる事ぞ、と問ひければ左衛門尉、医師歩にて従者の様にて罷りけるを知らずして判官代が馬に乗りたるを主ぞと思ひて錯ちて射殺しつるなり、と云ひければ守、げに、と思ひて、その後は強ちにも云はで止みにけり。されば忽ちにこそ左衛門尉、医師に恩を酬いたりけれ。貞盛朝臣の婦の懐妊したる腹を開きて児干を取らむと思ひけるこそあさましく慚なき心なれ。これは貞盛が一の郎等館諸忠が娘の語りけるを聞き継ぎてかく語り伝へたるとや。

 貞盛といえば平将門の従兄弟であり、乱を平定した殊勲者の一人でもあるが、この武士は、怪我を治すために胎児の生肝を奪い用いた。一旦は息子の嫁が妊娠しているのを見て目を付けたこともある。封神演義なんかでは、確か人間の心臓が薬として言及されていたやに思うが、破傷風の薬が人間の生き血だったりもする民間療法の凄まじさ、それは生への執念ともいえようが、人間の業を感じざるを得ない。八犬伝中・偽赤岩一角が船虫を通じて疑似妊婦・鄙衣に胎児の生肝を要求したエピソードも、これら殺伐とした伝承の一端を構成している。閑話休題。

 為朝は助けた鶴の導きで、美女・白縫と結ばれるのだが、此処で阿蘇明神が介在する。傷ついた鶴を助けた為朝の夢枕に、鶴の精が現れる。ありがちな話だ。鶴の精は、自分を阿蘇明神に連れて行って放せば美しく賢い妻を得る、と告げる。白縫、そして其の忠臣・八代は、共に阿蘇麓の海もしくは海浜である。
 前掲史料の如く、伝承に拠れば阿蘇明神・健磐龍命は、肥後国の豪族/神の娘と結婚し婿となった。一方で、龍女を娶ったともいう。このような場合、ドチラも嘘、ドチラかが嘘、ドチラも本当、と三つの解釈が分かれる。更に、ドチラも本当だったとしても、豪族/神の娘と龍女を、別個の人間とするか同一人物とするかは、解釈が分かれる。別個の人間だと解釈したとしても、もとより当時、いや馬琴が生きた時代も一夫一妻制ではなかったろうし、再婚が決して許されない時代でもなかった。当然、豪族/神の娘、龍女とも、健磐龍命の妻であったとて、何等不都合はない。そして、地方豪族/神の娘と龍女が同一人物でも、馬琴時代の空想世界に於いては、何等不都合はなかったろう。確かに豪族の娘は肥後国阿蘇、龍女は如何やら高麗の出身だ。別人であろう。しかし、近代のように表皮によって隔絶された個々人が絶対唯一に孤立していると考えなければ、表皮は違えど〈中身が一緒〉なら……。

 事実は如何あれ、想像は自由だ。白縫が弟橘姫よろしく海中に没したとき、〈死んだ〉のは誰か? 死の定義が肉体の滅亡であるならば、いや、物質は形を変え分解し元素としては永く存在するから「滅亡」なんてしないとも言えるんだが、肉体が原形をとどめなくなることを死と定義すれば、このとき白縫は死んだ。しかし、「魂」なるものが現世の宿たる肉体を離れ実存の個人として活動しなくなることを以て、〈死の定義〉とするならば、白縫姫は死んでいない。(多少の時差はあるものの)白縫水没事件によって死ぬのは、琉球の寧王女である。寧王女の肉体は、元からの魂を喪い、白縫の魂に乗っ取られる。このとき寧王女は死んだとも言える。白縫に殺されたのだ。死んだら腐敗もし肉体は原形をとどめなくなる筈だ。しかし、他人のものとはいえ〈魂〉があるうちは原形を保つ。

 馬琴時代に上田秋成が書いた『雨月物語』の「青頭巾」だ。青頭巾に登場する僧侶は、美少年を愛し常日頃から姦しまくっていた。少年が死に、其の肉体が腐敗し爛れきっても、姦することを止めようとはしなかった。此により、僧侶が愛していたのは美少年の肉体であって、魂ではなかったと知られる。魂は、もう無くなっていたのに、魂を喪った肉体をも愛していたのだから。やがて僧侶は屍肉の味をおぼえ、土葬されていた死体を掘り起こし喰らうようになる。鬼となった僧侶には、恐らく元の魂はない。死んだ、と言って良い。やがて高僧の法力によって妄執を消滅させられた僧侶は、消滅する。それまで存在していたと思われる僧侶の姿は、妄執する魂のみによって維持されていたのだ。肉体は既に〈死んでいた〉。だからこそ、妄執する者/魂が消滅すると同時に、跡形もなく姿も消えるのだ。それまで〈姿〉が存在していたことを証明する如く、青頭巾がハラリと落ちた。恐らく僧侶は、少年の死と相前後して死んでいたのだろう。死んでいながら姿のみは残っていた。この場合の「姿」は、一般に観念する「肉体」ではなさそうだが、普段は実用上の差別もない。いったん死んで、即ち元の魂を喪い、妄執する魂のみで維持された姿は、その妄執する魂が消滅した瞬間に消滅するのだ。このような現象を私は見たことがないが、とりあえず近世のフィクションでは許容されるものであったのだろう。

 寧王女は、琉球に平和が取り戻された後の或るとき、青頭巾同様に姿を消す。白縫の魂が、「もういいや」と寧王女の肉体を見限ったのだ。捨てられた寧王女の肉体は消滅する。青頭巾と同様の現象が起こったとするならば、寧王女は、白縫の魂に乗っ取られたとき、即ち元からの魂を喪ったとき、死んだ。そして、白縫の魂が抜け出たとき、それまで維持されていた寧王女の姿も消滅する。
 このように考えてくると、元からの魂を喪った後の「寧王女」は何者だったか悩ましい。作中では「寧王女」と呼ばれている。作中人物も「寧王女」と呼んでいる。しかし、彼女を本当に「寧王女」と考えて良いのだろうか? 
 「酒を持って来い」と言えば、出てくるのは酒だ。が、無重力状態でもあるまいし、「酒」がフワフワ飛んでくることはない。せいぜい、閉じられた女性の股間に注がれてくるぐらいのことだろう(男性の場合は松茸酒とでも謂うのだろうか?)。因みに、私は呑んだことはない。
 えぇっと何を言いたいかってぇと、酒を持って来い、と言えば大方、酒瓶とかグラスとか銚子が出てくる。酒が入っているなら、それで良い。しかし、空で持ってこられたら、それは酒瓶とかグラスとか銚子とか女性とか男性であって、酒ではない。また、ジュースを入れて持って来られたら、それは酒ではなくって、ジュースである。逆を考える。コーラ瓶に酒を入れて持ってきても、哺乳瓶に酒を入れて持ってきても、「それは酒ではない」とは言い難い。酒だ。ならば、白縫の魂の入った寧王女は、寧王女か? 
 弓張月の場合は、混乱を避けるため「寧王女」と表記しているのだろう。但し、読者は〈真性の寧王女〉ではなく、〈白縫が憑依した寧王女〉だと思っていただろう。八犬伝で言えば、(ちょっと違うが)乳母・正木と「後の正木」の差と似たよぉなもんだろう。そして弓張月では、単に憑依したのみならず、最後の最後で、〈どちらかといえば白縫〉だったことを明かされ、読者は深い感慨を抱く、って寸法だろう。私は何だか寧王女に同情するが、まぁ、こんなこと言うのは、ひねくれ者だからだろう。

 閑話休題。とにかく、前近代の空想世界に於いては、表皮によって絶対的に隔絶されていたとしても、中身が共通すれば殆ど同一人物として扱うべきかもしれないのだ。このように考えれば、健磐龍命の妻、地方豪族/神の娘と龍女は、〈共通する何者か〉と理解しても良いことになる。翻れば、健磐龍命/阿蘇明神と弓張月の為朝には、共通点があるようにも思えてくる。また、元来、阿蘇明神は、「八幡神の兄」とも言われており、しかも、宇佐/八幡が人王となるを補助する役割を担っている。源氏の氏神は八幡。八幡を補助する阿蘇明神が、為朝を補助することは、寧ろ当然だ。為朝と阿蘇の親近性は、八幡と阿蘇の親近性ゆえであろう。そして阿蘇明神を補助線としたとき、八幡は如何な相貌を見せるのか。それは即ち……と此は長くなるので、またの機会に語ることにしよう。

 さて八犬伝を放っぽって弓張月に寄り添ったが、奇しくも今宵は乞巧奠、本編が、再び八犬伝に相見える日は来るのであろうか……。今回は此まで。

(お粗末様)
 
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