■伊井暇幻読本・南総里見八犬伝 「をざさむら」−神々の輪舞シリーズ15−

 

 前回、「小篠村」を探して何箇所かの「小笹」を候補として挙げたが、何連も条件に合わなかった。ならば「小篠村」に直接アクセス出来ないだろうか。結論を言えば、コレも比定は出来なかった。「膨張の欲望」でも使った「新日本地名索引」(第一巻アボック社出版局一九九三)に拠ると、近江・美濃・信濃・甲斐の中山道沿線に限れば、「小笹」なる地名は岐阜県上之保村にある。「小笹原」は同じく岐阜県上矢作町、「小笹橋」なら長野市内に見出せる。……「小笹」ぢゃなくって「小篠」だろぉって突っ込みは無用だ。第五十九回、荒芽山七夕の離合集散から独りはぐれた現八は江戸から京に向かう途中の表記、

 

信濃路投て日に歩み夜に宿りつ丶草まくら急がぬ身にも旅馴し袖は露けき「小篠原」「岐阻の御坂」もうち過て憂みの末は友人にあふみ(会う身/近江)と聞も頼しき峯の楓葉色はませども花の洛に近づきぬ

 

からして、如何も現八は中山道っぽい道を行った様なのだが、だとしたら、やはり「岐阻の御坂」の近くに「小篠原」があった、即ち、武蔵・江戸を出発して京へ向かっており、近江までの途中に「小篠原」があったことが判る。「近く」と言っても馬琴の記憶の中での「近く」だから、実際に近い場所である必要はない。地図上で近接していたら、それで十分だ。此処の「小篠原」は上記、岐阜県上矢作町の「小笹原」だろう。信濃から美濃に入って三河寄り、俗に東濃地方と言われる場所だが、確か此処等は多治見地方、美濃焼すなわち志野(しの)焼の産地だったりもする。……ことほど左様に前近代の表記は自由であって、読みが同じなら当てる漢字は如何でも良かったりする。馬琴は、その様な言語空間に生き、八犬伝を書いたのだ。「小笹」と「小篠」の区別は無い。

 とはいえ、「小篠」にも注意を払わねばならない。「小篠」の方は山梨県大月市にあり、「小篠原」が滋賀県(近江国)野洲町に見られた。ただ、問題は、両者とも「おざさ」とは読まない点だ。共に、「おしの」なんである。

 馬琴のルビにより忘れがちとなるが、「篠」は「ささ」だけではなく「しの」とも読む。前に、「前近代の表記は自由であって、読みが同じなら当てる漢字は如何でも良かったりする」なんて言ったが、それだけ、パロール(発音された言語)がテクスト(表記された言語)より優位にある事情を示している。「ルビ」なる手段は、其処ん所の事情から存在価値が生じている。特に馬琴の表記に於いては、漢語や中国の白話(口語/パロール)文学の用字でありながら、当時の日本の発話(パロール)に依って、ルビを振っている。馬琴が読者に伝えたいモノはパロールであって、表記(テクスト)は其のパロールの内包を限定して指定する記号だ。故に「ルビ」は、〈真実〉である。……が、「真実」であるべき「ルビ」で〈心にもない事〉を言えば、如何だろう。詐欺だ。いや、文学上、巧みな詐欺は寧ろ犯罪ではなく、美徳である。「篠」をササと読むかシノと読むか、決定的な違いがあるのだけれども、何連の読みも可能であって、読者はルビにより「あぁ此の場合はササと読むかね。でもシノとも読む字だよな」と思う。漢字とは、そぉいぅものだ。読書中、読者は作者の掣肘を受けるが、最低限の自由は有している。「ササ」と「シノ」が「篠」を媒介として繋がり得るモノだと、日本人なら知っている。「篠」は、馬琴が「ササ」とルビを打っている場合にも、「シノ」でもあることを変えない。「篠」は、信乃に縁のある言葉のようだ。

 まず、信乃の伯母に当たるくせに番作と敵対し信乃に恩愛を感じることのない「亀篠(かめざさ)」だって、まぁ「かめしの」ではゴロが悪いけども、「篠(しの)」なる字を用いている。千葉家の名刀、諏訪の辺りで男色家の注目を浴びつつ、しなやかな肢体を惜し気もなく晒す美少女・毛野に深く関わる、「小篠(おざさ)」もある。また、名刀・小篠は、荘介にとっては父の形見だったりもする。此の三点に就いては、後に述べることになろう。

 

 さて、信乃は、何故に信乃か? 信乃は、信濃介となるを約束された名であった。それは大塚匠作と井丹三の契り、と言ってもオジサン同士が結城城でイケナイ事をしたってんぢゃんなく(まぁ別に、しても良いけど……)、息子と娘を結婚させるとの約束から発生している。藤原姓手束、信濃の采女、信濃の国霊を宿す女性と番作が信濃で結婚して生(な)った子が、信乃/信濃である。信濃国霊すなわち信濃を代表する神は、諏訪神だ。信乃は、諏訪神だろう。諏訪神とは、何者か? 「諏訪大明神画詞(縁起)」に拠れば、

 

     ◆

夫レ日本信州ニ一ノ霊祠アリ諏方大明神是ナリ神降ノ由来其義遠矣竊ニ国史ノ諸説ヲ見ルニ旧事本記{ママ}云天照大神ミコトノリシテ経津主ノ(総州香取社)神武甕槌ノ(常州鹿島社)神二柱ノ神ヲ出雲エ降シ奉テ大己貴ノ(雲州杵築和州三輪)命問テノ玉ハク葦原ノ中津国ハ我御子ノ知ラスヘキ国也汝チ正サニ此国ヲモテ奉天照大神哉大己貴ノ命申ク吾子事代主ノ(摂州長田社神祇官■■)問若神ニ返事申ント申事代主神申ク我カ父宜ク正サニ去リ奉ルヘシ我タカフヘカラスト申又申ヘキ我子アリヤ又我子建御名方(諏訪社)神千引ノ石ヲ手末ニ捧来テ申サク是我国ニ来テ忍ニカク云ハシカウシテ力ヲクラヘセント思フ先ツ其ノ御手ヲ取テ即氷ヲ成立又剣ヲ取来科野ノ国洲羽ノ海ニ至時建御名方ノ神申サク我此国ヲ除ヒテハ他処ニ不行云々是則垂跡ノ本縁也自爾以降降霊場ヲ示テ瑞籬ヲ押シ開キ給テ承和ノ明時爵一級ヲ奉ハリ給シヨリ寛平天慶ニ至リテ既ニ極位ヲ授ケラレマシマシキ……

神代ノ事ハ幽遠ニシテ図絵モ及ハス当社明神ノ化現ハ仁皇十五代神功皇后元年(辛庚巳辰)事ナリ同キ念三月神教アリテ皇后松浦ノ県リニ至リ給官軍ハ纔ニ三百七十余人乗船四十八艘也異敵ハ既ニ五十万人乗船十万八千艘ト聞ユ千万倍カ一也力ヲ以テアラソウヘカラストテ先ツ誓約ノ御占アリ御髪ヲ海ニ浮ヘ給ヘハ只二ツニ分チ又細キ針ヲ浪ニナケ給ヘハ則●(魚に夷)●(魚に是)を釣リ得給フ吉兆祈ルカ如シ又虚空ヨリ海上ニ両将化現ス各一剣ヲ横ヘテ衆箭ヲ負フ(弓箭寸尺ノ鎧脇立此時ヨリ始テ定レリ)凡甲冑ヲ帯スル勢ヒ気力ノ長タル其ノ勇メル顔色鬼神ノ如シ其イカレルマナシリ明星ニ似タリ仍棟梁ノ臣武内ノ宿祢奏聞ヲ経テ其故ヲ問給君他ノ州ヘ発向ノ間天照大神ノ詔勅ニヨツテ諏方住吉二神守護ノ為ニ参ス答給皇后大ニ喜ヒ則錦座ヲ両神ニアタエ雪膳ヲ花船ニソナヘ雲帆ニ幣帛ヲサ丶ケ帰敬二心ナシ其中ニ又妖艶ノ媚タルアリ高知尾豊姫ト号ス螻羽一箭ノ上ニ坐シナカラ鳳綸ヲ書テ龍宮ヘ遣ス海主大キニ驚テ勅命ニ応シテ満干ノ両珠ヲサ丶ク……

……三韓悉平ケテ同十二月皇后御帰洛ノ後筑紫ノ蚊田ニテ応神天皇降誕シ給フ八幡大●(クサカンムリノボサツ)是也皇道ノ太平ハ諸神一同ノ守護ナリト云ヘトモ異賊ノ征伐ハ専ラ当社ノ霊験也……

桓武天皇ノ御子ニ開成皇子ト申人ヲワシマシキ忽ニ世事ヲナケステ丶偏ニ●(クサカンムリのボサツ)ヲ願ヒ給天平神護元年正月紫雲ノタナヒク所ヲタツネテ摂州勝尾寺ニヨチ登テ本願善仲善算(字出生行儀見本伝)両上人ニ随テ出家受戒ヲトケ給ヒテ開成ト号ス……皇子先師ノ願ヲ果サントテ金泥浄水ヲ求給シニ七日祈誓ノ功ニ答ヘテ五更ニ霊夢ノ告アリ容儀並ヒナク衣冠タ丶シキ貴人来テ石壇ニ坐シテ金丸(輪三寸長七寸)ヲ青錦ニ裹テ献ス拝領シテ其号ヲ問給ヘハ偈頌アリ得道来不動法性示八正道垂権迹皆得解脱苦衆生故号八幡大●(クサカンムリのボサツ)ト云々其後又夢中ニカタチ夜又ノ如クシテ北方ヨリ飛来テ小陶器ニ水ヲ献ストテ吾ハ信濃国諏方南宮也八幡大●(クサカンムリのボサツ)ノ厳詔ニヨリテ白鷺池ノ水ヲ汲テ来也ト称ス彼水池ハ十六会ノ其一也……

……中略……

桓武天皇御宇東夷安部高丸暴悪ノ時将軍坂ノ上ノ田村丸延暦廿年(辛巳)二月勅ヲ奉玉ハテ追討ノ為ニ山道ヲヘテ奥州ニ下向是則征夷大将軍ノ始也心中ニ祈願アリ伝聞ク諏方大明神ハ東関第一ノ軍サ神ミ也梟夷追討ノ為ニ鳳詔ヲカフリテ素境ニ向フ神力ニアラスハ賊衆ヲ誅シカタシ神鑒ヲタレテ所願ヲ成就シ給ヘト祈願誓シテ信州ニ至リ給シ時伊那郡ト諏方郡ノ堺ニ大田切ト云所ニテ先一騎ノ兵客参会ス穀ノ葉ノ藍摺ノ水旱ヲキテ鷹羽ノ箆屋ヲ負ヒ葦毛ナル馬ニノリタリ……即先陣トシテハルハル奥州ヘ趣(ママ)キ給フ其間山川所々ニテ眷属多ク化現ス官軍ミナ奇異ノ思ヲナシテイサミアヒケリ

……分身五騎ハ十三所ノ王子黄衣ノ雅楽ハ同眷属也………

安倍高丸カ賊首ヲ鋒ニツラヌキテ神兵又田村将軍ノ先陣ヲウケテ帰洛ス程ナク信濃国佐久郡ト諏方群{ママ}トノ堺ニ至ルヲホトマリト号ス彼所ニヲイテ神兵又神反ヲ施シ給例ノ葦毛馬地ノ上一丈ハカリアカリ装束冠帯ニ改リテ我ハ是諏方明神也王城ヲ守ランカ為ニ将軍ニ随逐ス今既ニ賊首ヲ奉ル今更ニ上洛ニ及ハス此砌ニ留マルヘシ又遊興ノ中ニ畋猟殊ニ甘心スル所也ト……

寅申ノ支干ニ当社造営アリ一国ノ貢祝永代ノ課役桓武ノ御宇ニ始レリ但遷宮ノ法則諸社ニハコトナリ自元古新二社相並テ断絶セス……

……中略……

当社別宮ノ事雲州杵築和州三輪摂州ノ広田西宮信州南宮等也主伴ノ不同アリト云トモ当社分座ノ儀本記ノ所見分明也其外日吉三宮八王子両社ハ当社上下宮也ト云事語伝タリ本地同体実ニ故アルモノ歟

     ◆

 

とあり、神功皇后の「三韓征伐」でも活躍した軍神で、八幡とも関係が深い。狩猟/殺生を好んだ陰性の神(性格が暗いわけではない)でもある。また、「諏訪大明神画詞(諏訪祭)」には、

 

     ◆

前略……爰ニ信州諏方大明神ハ本地ヲ訪ヘハ普賢大士ノ応作……垂迹ニ付テ異説アリ或ハ他国応生ノ霊或我朝根本ノ神旧記ノ異端凡慮ハカリ堅シト云ヘトモ旧事本記ノ記ニヨラハ素戔鳴尊ノ御孫大己貴神ノ第二ノ御子建御名方ノ神是也父兄ノ御心ニ随テ孝順ノ道ヲ顕シ給フ持統天皇ハ勅使ヲ遣テ祭礼ヲ始メラレ弘仁聖主ハ霊夢ヲ感シテ本地ヲ覚リマシマシキ下宮ハ大慈大悲ノ薩●(コザトに垂)千手千眼ノ示現也泥梨ニハ獄苦ニハカリ娑婆ニハ無畏ヲ施ス垂迹ハ又南天ノ国母北極ノ帝妃月氏ノ雲ヲ出テ日域ノ塵ニ交リ給フ是ノ上下両社ハ世俗ニ准テ陰陽ノ儀ヲ表ス

……中略……

正月一日……御手洗河ニカヘリテ漁猟ノ儀ヲ表ス七尺ノ清瀧閇テ一機ノ白布地ニシケリ雅楽数輩斧鉞ヲ以テ是ヲ切クタケハ蝦蟇五ツ六ツ出現ス毎年不闕ノ奇特ナリ壇上ノカヘル石ト申事モユエアルコトニヤ

……後略

     ◆

 

とあり、諏訪神(上社)の本地が普賢菩薩だとの説があることが窺える。また、素戔鳴尊の子孫に当たる建御名方ノ神こそが、諏訪神だと云う。建御名方ノ神の性格は、「父兄ノ御心ニ随テ孝順ノ道ヲ顕シ給フ」、だったらしい。孝徳の神なのだ。一方、下社の本地は観音であり、「南天ノ国母北極ノ帝妃月氏ノ雲ヲ出テ日域ノ塵ニ交リ給フ」とのイメージを提出している。

この部分は、「諏訪大明神講式」では稍詳しく、

 

     

前略……

第一奉讃上宮本地者夫普賢菩薩者……

第三奉讃下宮本迹者先本地者大悲観音也現千手眼之尊容破八寒八熱之苦器纔持神咒十五之勝利忽成適唱名号五八之所求立満何况広尋女体権現之本地多是観音薩●(土に垂)之垂迹也当社本地准而思之誠有深意先観音者慈悲之体女体者慈悲之■也是故三十三身応現之中多示婦女身行雲行雨霊廟之間専貴女体是則表為一切衆生之悲母施一子平等之撫育也……如延喜神祇式者信濃国諏方郡南方刀美神二座云々此即可為上下両社哉又准縁起文者為南天波提国之国母●(ニンベンにノブンのした用)北極紫禁之帝妃出月氏之雲交日域之塵今奉号姫大明神是則不改往昔之芳契克施陰陽之化導………後略

     ◆

 

となっている。上社は男、下社は女性で、互いに配偶している。ところで、上社の諏訪神が下社の諏訪神を訪ねた時に起こる現象を、「御神渡」と謂う。冬の旺(さか)りに、諏訪湖に張った氷が亀裂を生ずるのだ。諏訪湖の氷上を神がドタバタ走って割ってしまうらしい。必ず上社から下社の方向へと亀裂は走るという。即ち、夫が妻に会いに行くのだ。甘えにいくのだろう。まぁ逆に女性神が配偶神に会いに行くなぞ、其の理由は決まって、夫の浮気を暴き懲らしめるってことだから(なんでやねん)、男としては後の悲劇を思い浮かべたくないので、下社から上社に走る神渡は、見たくない。人間、見たくないモノは、見えないもんなんである。だから決まって亀裂は上社から下社へと走るんだろう。

 えぇっと、此の「御神渡」、古代から記録に残っているけれども、中世に於いては鎌倉・室町両幕府に届け出るべき重大事であって、実は現在でも発生時には、気象庁と宮内庁に報告しているらしい。……しかし、如何やって報告してるのかね。「ただいま諏訪神(男)が諏訪神(女性)のもとへ、セックスしに行きましたぁぁっっ」とか真面目に報告してるワケ? ……皆さんが如何思っていようと、此処は、こぉいぅ国なのだ。いまだに呪術/妄想が、支配している。

 更にまた興味深いのは、元旦には、「御手洗河ニカヘリテ漁猟ノ儀ヲ表ス七尺ノ清瀧閇テ一機ノ白布地ニシケリ雅楽数輩斧鉞ヲ以テ是ヲ切クタケハ蝦蟇五ツ六ツ出現ス」と珍妙な儀式を紹介している。この珍妙な儀式は、「諏訪上社例記」に拠ると、「前略……一、正月朔日有蝦蟇狩於御手洗川砕堅氷穿土取得蝦蟇以小弓射之献大祝云々……後略」なるものであった。神事は象徴的に、祀る神の意思を体現しているものだ。一年で最も寒い時期、旧暦一月元旦に、冬眠している蛙をワザワザ掘り出し射殺するなんて、余程の暇人でなければ為すまい。食うわけでもなさそうだ。では何故に、こんな妙チキリンな事をせねばならぬのか。諏訪神は、蛙が好物だったのか? そうかもしれない。しかし八犬伝を読む上では、逆でないと整合がとれない。何となれば則ち、諏訪神は陰神であり、太陰は水であり玉兎/月である。

 ところで、馬琴の参考書「和漢三才図会」、其の巻第五十四濕生類の項は、蟾蜍(センソ/ひきがへる)を筆頭としている。同巻第四十八魚類の筆頭は、百魚の王たる鯉だ。筆頭に挙げるとは、其の類の王たる事を示している。以下、蝦蟇(かへる)蛙(あまがへる)……と続いている。カエル若しくは濕生類の王ヒキガエルの項には、次のような記述がある。「蓋蟾蜍土之精也」。ヒキガエルは、土精なのだ。

 

 蟇/蛙は土性だ。土克水、水は土に弱い。故に、諏訪に於ける蛙虐殺祭事は、水神たる諏訪神の苦手な土性・蛙を人の力で排除しようとするものだ。このことによって、諏訪神の力は強まり、人々は、より強い庇護を受けることになる。

 信乃は幼少の頃、誰に覆い被さられて克されていたか。いや、「覆い被さられ克された」と言っても、ヒキガエルの如くヌラヌラしたオヤジが、水仙にも似た美少女/美少年にのしかかり、白くしなやかな肢体をネチネチと責め立て偶(とき)に苦しげな叫びを上げさせつつ強張らせ震わせ陵辱する図、まずは指で固く閉ざした肉体を貫き抉り押し開き、痛みが薄らいだ頃合いを見計らって徐に……なんて情景は、思い浮かべなくとも良い。そんな事は一行も、八犬伝には書いていない(そんなことがなかったとも書いていないが)。

 誰が幼少の信乃を克していたかと言えば、蟇六だ。「蟇」は、伊達ぢゃない。このことは、水も滴る美少年、或る時は熊襲に侍り「戯弄」されつつも敵の尻に剣を押し込み逝かせ、或る時は自ら全裸となって(水浴し)油断しきった敵を虐殺した男は、必ずや臨機応変あるいは窶し或いは流れに身を任せる融通無碍なる水性の漢であろうが、弟橘姫の夫(つま)でもある、水気の神剣・草薙剣の使い手、日本武尊の末路を思い出させる。武尊は伊吹山で致命傷を負った。伊吹山には、水神・日本武尊を克する何者か、恐らくは土性の何者かが棲んでいる。八犬伝では、伊吹山出身で里見家に仇為す者の名こそ、蟇田素藤であった。「蟇」は土性であるによって水の、即ち信乃の、天敵たり得る。補足すれば、信乃を父とも仰ぐ親兵衛は、蟇田の天敵である。親兵衛は仁玉を持つが、仁は木徳である。孝を水徳とすれば、水生木(水は木を生む/水は木の親)、信乃が親兵衛の父・房八と瓜二つであり親代わりとして後見することは、全く以て妥当である。水生木の理は言い換えれば、木扶水(木は水を扶ける)の理ともなり、木克土(木は土に打ち克つ)、親兵衛が蟇田を滅ぼすことは、五行の理に於いて約束されている。八犬伝世界が五行の理を受け容れている以上、それは自然の流れなんである。逆に、この様な現象が至極当然に起こっていることから、八犬伝が五行の呪縛下に在ることが明らかとなる。

 今回は、蟇田素藤、蟇六を支点として、水なる者を考えてみた。水とは太陰、次回からは玉兎について若干の考察を加えてみようと思っている。今回は、これまで。

(お粗末様)

 

 

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