■伊井暇幻読本・南総里見八犬伝 「牡丹に守られし者」−神々の輪舞シリーズ21−

 

 大団円を一回後に控えた第百八十勝回中編には、重要な事実および解釈が述べられている。物語全体の種明かしに有用だ。が、馬琴のことだから当然、解り易くは書いていない。場面は明応九年、結城落城から還暦の六十年後、四月十六日に里見義成と犬士らは、丶大が住持を務める延命寺に集まった。折しも牡丹が咲き誇っていた。種明かしをするには、最適の舞台だ。話題は犬士らの身分証明であった玉の字と牡丹様の痣が消えたことに及ぶ。丶大が解釈する。

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丶大嘗本草を按ずるに牡丹は牝卉なし。這故に宿根より叢生す。因て名けて牡丹といふ。是に由りて之を見れば牡丹は皆牡卉のみにして純陽の花なり。又八房の犬は其母犬死して狸児に乳育れたる牡狗にて生涯対すべき牝狗を得ず。是も亦純陽の畜生なり。こ丶をもて那身の雑毛形状牡丹の花に似て其数八あり。八は則陰数の終にて陽中の陰なり。十は一に通ふ故に陰数の終とせず。老侯這犬を八房と名け給ひしは後竟に八犬士等安房にまゐり聚ふべき讖なり。又八犬士は各其父母ばりといへども那宿因を推す時は伏姫上の御子にて胞兄弟に同じ。約莫這八個の弟兄は皆男子なれば純陽なり。且各身に在る所の痣子形状牡丹の花に似たるは那八房の類る兀自亦是弟兄純陽の義を表せしなり。しかれども陽は独不立陰は独不行この故に犬阪犬塚は幼●(ニンベンに小)き時より結えありて倶に女装して名も亦信乃毛野なんど女子に似たるは亦是陽中の陰なり。且犬塚は浜路といふ結髪の少女あり。又犬村は雛衣といふ賢妻あり。則是陽は独立ざるの義なり。●(カサの下に小)るに浜路雛衣及犬江が母沼藺は皆是良善心烈の婦人なるに非命に那身を殺せしは果報虚きに似たれどもこも亦故あり。譬ば草木の花開て将に実を結まくする時に必先虚花あり。這虚花ありて後に実花あり。恁れば件の三婦人は犬塚犬村等が為に虚花なれども其心烈貞実なる名を千載に貽さば猶千葉茶靡花の実なくして花を賞玩せらる丶如し。既に這虚花散て浜路姫鄙木姫の実花あり。こ丶に至りて実を結びて子孫繁昌すべき者なり。又只塚村のみならず八犬士功成名遂て倶に八個の小姐を各娶まつるに及びて陰陽配偶備り。無漏より出て有漏に入り有漏より出て無漏に入る。小中大の三乗は人に少壮老の三齢あるが如し。仏是をもて教とす。各疑ひ給ふな。

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 因みに八玉は既に字を失っており、丶大が国の守りに埋める四天王の玉眼とするために犬士らは差し出し手放した。八犬伝元々の発端たる結城落城のちょうど六十年後に玉は字を失って犬士の手を放れ、牡丹の痣は消えた。そして、「牡丹」の意味は上記、丶大の解釈にある。

 丶大の解釈を纏めよう。犬士らは純陽/男であり、陽だけでも陰だけでも世の中は成り立たない。其のことを示している事象として、犬塚・犬阪の女装および犬塚には婚約者・浜路がいたこと犬村に妻・雛衣がいたことを挙げている。ただし八は陰の最大数であり、犬士は「純陽」と云いつつ、総体としては陰を含むとしている。

 

 さて、「月の世界」で述べたように、八犬伝終盤で、八幡・正八幡・諏訪社が重要な役割を持つことが突如、明らかになる。第百一回、義成は十歳になる嫡子・太郎御曹司義通の鎧着初めを翌年正月に行う予定だった。里見家に逆恨みした蟇田素藤は、領内・殿台の正八幡・宇佐八幡・諏訪の三社を十二月までに修復するから、義通の鎧着初めのときには参詣するように請うた。三社は、鎌倉将軍のときに勧請され、源家に関わりがあるとの設定だ。此処では明らかに宇佐八幡と正八幡が別者として表記されている。此処等の話では諏訪社が舞台の中心だが、宇佐八幡・正八幡の神主は、共に里見家に協力的だ。蟇田素藤が城主となる好機を得るのも、素藤の謀略によって里見家に危難が訪れるのも、諏訪社であった。諏訪神が「蝦蟇」に克されることは、「をざさむら」で述べた。源氏に縁のある三社は、それぞれに源氏/里見家の特定側面を表現しているのだろう。それ故に、諏訪/水神のもとへ行ったとき、即ち水気の側面を見せたとき、里見の御曹司は素藤に掠奪される。ならば、宇佐八幡・正八幡も、源氏/里見家と深い繋がりがなければなるまい。また、通常ならば、「八幡」と表記するだけで良いのに「宇佐八幡」とした点は、「もう一人の八幡/正八幡/火火出見」と区別するためであったろう。まず宇佐系八幡に注目すれば、源氏の氏神だった石清水、そして鎌倉幕府を守護した鶴岡が極大値を示す。八犬伝に於いて里見義実が鎌倉将軍・源頼朝に擬せられていることから、鶴岡に注目しよう。

 

 鶴岡八幡神職のマニュアル「御殿司億持記」には食事を捧げる順番を教える中で鎮座する神々の本地などを示している。向かって右(東)から「聖観音 神功皇后(応神天皇御母也)」「弥勒 御袈裟」「阿弥陀 八幡御供(応神天皇也)」「勢至 姫大神(応神天皇御姉也」とあり「御ケサハ四膳ナリ{筆者註:他は五膳}」とある。膳は、阿弥陀(八幡)、勢至(姫神)、聖観音(神功皇后)、弥勒の順だ。 また、若宮四所に対しては、向かって東から「久礼 普賢(宇礼之御妹也)」「宇礼 文殊(仁徳御妹也)」「若宮 十一面(応神天皇御子仁徳天皇也)」「若殿(又ハ云若姫也) 勢至(仁徳天皇御妹也)」で、膳は十一面観音(仁徳)、勢至(若殿)、文殊(宇礼)、普賢(久礼)の順で供する。此方は何連も四膳だ。膳を供する順は、尊重すべき順でもあろう。端的に、

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     八幡三所

●(梵字)東  神宮(ママ)皇后 本地正観音

●(梵字)中  八幡大菩薩    本地阿弥陀

●(梵字)西  妃大神      本地勢至

     若宮四所

●(梵字)中  第一若宮     本地十一面

●(梵字)西  第二若殿     本地勢至

●(梵字)東  第三宇礼     本地文殊

●(梵字)次東 第四久礼     本地普賢

●(梵字)   武内(本地弥陀) 白旗(本地十一面)

     

と表記している箇所もある。

 武内は武内宿祢、白旗は源頼朝を祀る。ところで鶴岡八幡は、「鶴岡八幡宮寺」とも呼ばれ、神仏合祀の寺社であった。だいたい、八幡は朝廷から「大菩薩」の称号を以て呼ばれていた。だから、僧侶の姿で描かれることさえあった(僧形八幡像)。鎮護国家仏教の総本山・東大寺建立に最も深く関わった神であるから、当然といえば当然だ。神宮寺と云って、神も仏も祀った寺は明治以前には多かった。それが此の国が永らく採っていた、自然の姿であった。

 神宮寺では、僧侶の方が偉かった。別当ってのがいて、寺であり神社である一山を統轄した。鶴岡の場合は古義真言宗だったようだが、各院の供僧の下に神主が置かれていた。鶴岡の場合、神主は、大伴氏が世襲した。大伴氏は武内宿祢の子孫だ。「鶴岡八幡宮神主大伴系譜」(同社所蔵)に拠ると大伴氏は、武内宿祢の子孫、紀姓であった。山城で生まれた中務大輔・清元は、源頼朝が八幡神宮寺を建立した折、勅命に依って神主となり、鎌倉に赴任した。

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鶴岡八幡宮濫觴ハ人皇七十代後冷泉院御宇伊予守源頼義奥州安部(ママ)貞任宗任征伐之時有丹祈之旨康平六年癸卯八月潜ニ石清水ヲ勧請シ瑞籬ヲ鎌倉由比郷ニ建(今此ヲ下宮ノ旧跡ト云)永保元年二月陸奥守源義家修復シ賜フ其後八十代高倉院御宇治承四年庚子十月十二日源頼朝公祖宗ヲ為崇由比之若宮八幡ヲ小林郷ニ被遷(今ノ下ノ御宮是也)上之御宮ハ八十二代後鳥羽院ノ御宇建久二年辛亥年四月男山之奉遷神体云々(今ノ鶴岡八幡宮是也)

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とか何とか書いてある。そして先程、大伴氏が紀姓だと申し上げたが、或る時、藤原姓に組み込まれた。二代神主・忠茂のときだ。

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将軍頼経公ハ大職(ママ)冠鎌足公二十一代孫光明峰寺関白左大臣藤原道家公四男也頼経公鎌倉家被為在相続而寛喜三辛卯年二月道家公以執奏叙正五位下自道家公賜藤原姓時ニ公ノ曰自今以後汝カ家以藤原可為姓以大伴可為氏亦賜牡丹之紋自是紀姓ヲ于藤原家紋八重梅ヲ改于牡丹也

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とある。筆者は昔見た、戦前の玩具を思い出している。美々しい神功皇后の右横に白髪頭の武内宿祢が控えている人形セットだ。神功は豊満な〈美丈夫〉であったが、恰幅のよい腹中には応神がいるって設定だったんだろう。神功と武内は君主と将軍の関係にあるが、神と神主の関係も似たようなもんだ。人形の武内宿祢が身に着けていた大鎧には大きく牡丹の紋が描かれていた。今でも目に焼き付いている。とりあえずの理解としては、戦前、朝鮮半島の植民地化を正当だと強弁するイーワケとして、神功皇后と武内が持ち出されているのだろうけれども。いや、朝鮮半島に限らず、天性の無邪気/無智/無明を根底とした膨張の欲望、即ち邪気そのものを、表現していると云えようか。 神功皇后は当時、偉大なる侵略女王であり武内宿祢は功臣であった。件の人形を見たとき、何故に武内宿祢の紋章が牡丹であったか不思議に思ったものだが、武内宿祢の子孫である鶴岡八幡神主・大伴氏の家紋が牡丹であるなら、何となく分からぬでもない。

 八幡は何より、異敵降伏の神だ。軍神としての相貌を持っているが故に、源家をはじめとした武家の尊崇が篤かった。応神が八幡神として公的には崇められてはいた。しかし、鹿島とか三島とか住吉とかの明神を別とすれば、朝鮮半島を侵略した折の主人公は、上記戦前の玩具が視覚的に示す如く、神功皇后と武内宿祢だ。異敵降伏/侵略を実際に(?)行ったのは神功皇后と武内宿祢なのだ。オナカの中にいる応神は、〈見えない〉。実在/可視的であることが、宗教いやさ人の心を動かす上で如何に重要であるか。ゴータマ、キリスト共に偶像を否定したが、仏教もカソリックも偶像崇拝を捨てられなかった。

  何処を如何つっついて応神が八幡になったか解らないのだけれども、神功皇后&武内宿祢なら解らんでもない。そして、其の武内宿祢が「牡丹」によって象徴されるなら、そして嘗ては「八重梅」によって象徴されていたならば、八犬伝に於ける「八房の梅」「牡丹の痣」は、八幡を守るべき者の表徴であることが解る。この筋で、もう少し検証してみよう。

鎌倉幕府の源家将軍は、三代・実朝を以て断絶した。鶴岡八幡宮寺別当・公暁に暗殺されちゃったのだ。初代・頼朝からして変死したんだけど。幕府は親王に跡を継がせようともしたが此の時は拒否され、頼朝の親戚筋に当たる摂関家・九条から迎え取ることになった。実権は執権・得宗に移ったが、幕府滅亡の頃迄、一応、将軍はいる。摂家の将軍は二代で終わり、親王の将軍が続く。鶴岡八幡宮寺の神仏は、将軍家を守護する立場にあった。鎌倉幕府を創業した源頼朝の氏神だったとしても、既に源家将軍が断絶したとあっては、変質せざるを得ない。個人ではなく、組織の論理だ。鎌倉幕府は組織である。実際に多くの御家人なり何なりを擁しており、源家将軍が断絶したからといって、解散するワケにはいかぬ。同様に、鶴岡八幡宮寺も、源家将軍家が断絶したからといって、消えてなくなるワケにはいかない。当然、変質し得る。

 藤原摂関家が征夷大将軍位を襲ったとき、将軍を守護してきた筈の鶴岡八幡神主・大伴氏が藤原姓を与えられた。将軍として子供を送り出した関白の親心と考えられなくもない。藤原将軍を守るべき鶴岡八幡神主を同族として、より大きな安心感を得たかっただけかもしれない。藤原姓に褒美としての機能があるとすれば、此を以て忠義を買おうとしたとも考えられる。権門勢家に連なること自体がレベルアップ、って時代だったかもしれないんだから。何連にせよ現実的な対応に過ぎないだろう。

 本人達は単なる「現実的な対応」をしているに過ぎなくとも、第三者は自分たちの勝手に〈意味づけ〉をする。上記の様な管々しい事情を知らぬ者は、元々八幡神主の紋が牡丹だと思い込み、武内宿祢まで遡って考えても不自然ではない。いや、鶴岡八幡宮司・大伴氏の紋は二代目・忠茂以降は牡丹なのだから、ソレを正当化するため、藤原氏の現実的な政略とか何かではなく、神秘的・象徴的な意味合いをデッチ上げたかもしれない。兎に角、中世以降、鶴岡八幡大菩薩には、牡丹の紋が寄り添っていた。八幡大菩薩に仕える者は、牡丹なる者であったのだ。一方、上記の「管々しい事情」に通ずる者は、八幡に仕える牡丹の前身が、八重梅であると知っている。

 

 元はと云えば梅なる牡丹/犬士に守られた八幡の神話、それが八犬伝であるらしい。そして、「八幡」(宇佐八幡・正八幡)を軸に、応神/神功・仲哀/日本武尊の線と、火火出見/龍宮…天照・素盞鳴のラインは、ややブレながらも、或る瞬間には一致する。違う、でも、同じ。其処に、お水系美少年/信乃・諏訪神が、しなだれかかる。彼/諏訪神も、素盞鳴の子孫だ。八犬伝に於いて、信乃が村雨をブン回す場面は、素盞鳴と日本武尊の混淆する瞬間でもある。草薙剣は、素盞鳴のみならず、日本武尊をも象徴する。更に、神功は龍宮と最短距離に坐す。ならば、宇佐八幡/応神と正八幡/火火出見は、それぞれ両線の延長線上に在る。応神と火火出見は、位相を同じくせねばならない。(宇佐)八幡・正八幡・諏訪は、こうして初めて結合する。

 

 神々の輪舞、其の中心で激しく身をくねらせる美少女/伏姫/観音は、自らの運命を知っていたかもしれない。観音が決まって浮かべている不可思議な微笑は、運命を知り猶且つ自らが苦界に沈むに抵抗しないことで、全体/社会の運命を運命の儘に、善い方向へと導くことを約束している。観音を大悲/アガペー/惜しみなく与える愛によって象徴される心性は、正しく愛児の為に身を投げ出す母/父のモノに外(ほか)ならない。呼応するのは孝、順下する水の徳、信乃でなくてはならない。孝の犬士であり伏姫に相似した信乃が、犬士の冒頭に位置する理由だ。水は原初の徳である。八徳のうち水気たる孝が第一番に登場することは、無意味ではない。

 ところで、月/玉兎が水気だと「スカトロ女」で述べた。が、実は金気だとの説もある。また、水気の刃・村雨/天叢雲剣を振るう信乃を素盞鳴の現(うつ)し身とすれば、素盞鳴を伊弉諾の鼻から生まれたによって、金気とする説もある。鼻は呼吸器に連なっており、肺は金気だから、そのよぉな連想をしたのだろう。論理としては、正当である。しかし、正解は一つではない。即ち、素盞鳴は水気を象徴しているから水気と云っても良いし、水を支配するから、〈金生水〉、水の尊属たる金気であるとの解釈も可能だ。同様に、荘介は本質としては金気であるが、〈土生金〉、土気の性質も併せ持っている疑いがある。彼の幼名は「額蔵」であって、或る時点まで自らの本質を蔵(かく)し通した。蔵すとは、土の特性でもある。彼は、信乃を大塚村に留める機能も与えられていたのではないか。〈土克水〉、土は水を克するが、其れは水を完全に消滅させたりするものではない。堰き止め、若しくは埋めるに過ぎない。人は土を掘って井戸を造る。土が水を完全に〈殺す〉とは思っていなかっただろう。そして、大塚村に留まっていた信乃は成長し、水気の勢いが盛んになると、金気を本質とする荘介の土気では堰き止めることが出来なくなる。溢れ迸り出て、信乃は滸我へと旅立つ。が、土気を本質とする現八のため進むことが出来ずに堕ちていく。……ことほど左様に、物事には本質とサブ・レベルの性質とがある。

 話を伏姫に戻す。「物事には本質とサブ・レベルの性質がある」と云ったが、伏姫が観音であることは八犬伝中に明記されている。が、里見家は白旗を用いる源氏、八幡の申し子だ。八幡は通常、阿弥陀を本地とするよう云われている。観音は脇侍に過ぎない。それに八犬士たちが四天王となれば、不完全ながらも阿弥陀来迎図ができあがる。しかし、それにしては伏姫/観音が目立ち過ぎだ。まるで八幡の本地が観音であるかのような錯覚すら感じる。馬琴が縁起を書いた豊後・両子寺奥の院では、八幡を祀りながら観音を本地としているように見えた。実は八幡の本地とされる阿弥陀は、観音と置換可能なんである。例えば、「一実神道記」には、

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山家要略曰仏像安置章云自造三仏像同安一山中文以薬師安東塔慈覚大師覧先師素意観音代弥陀者一山中安置所有之最秘口決(以上要略)慈覚大師観音代弥陀玉フ所以ハ南嶽大師偈昔在霊山名法華今在西方阿弥陀濁世末代称観音三世利益同一体ノ意ナルベシ

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とある。濁世、世の中が乱れたとき、阿弥陀は自ら観音と称して衆生を救済しようとする。秩序正しく人が人を思い遣る世ならば、真理は真理として語られる。が、濁世では、言葉を換え方便を用いねば、真理は、語ることすら難しい。疎外されるのがオチだ。だから、真理を語ろうとする者は、相手に合わせて言葉を選ばなければならない。三十三の化身をもち、相手に合わせて語る観音の文法である。濁世に、阿弥陀は不要だ。

 勿論、取り敢えずは八幡、阿弥陀を本地としているのだろうから、伏姫/観音は脇侍の位置にある。が、両子山そして一実神道記から、阿弥陀と観音は置換可能であることが解る。八幡の加護を受ける里見家の物語が「南総里見八犬伝」全体と重なっているが、それは八幡神話に対する馬琴一流の書き換えであったろう。そして此の場合の「八幡」は「応神/阿弥陀」と固定して考えてはならず、もう一人の正八幡とも置換可能であることが、蟇田素藤との争いで明らかとなる。また、八幡は皇家の宗廟であり、日本神話の根幹に関わっている。「八幡」なる地点を神々が、次々に通り過ぎていく。そして、其の八幡を守る者たちこそ、八重梅を前身とする牡丹なる八犬士であることを、本稿は示した。火火出見が豊玉姫が天津彦彦火瓊瓊杵が木花開耶姫が応神が神功が天照が素盞鳴が月読が日本武尊が弟橘姫が伊弉册が伊弉諾が、そして其の他の神々や仏たちが猛り踊り舞い狂う。神々の輪舞は、まだ終わらない。お粗末様。

 

 

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