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当下毛野は遽しく道節們と談ずるやう、犬塚生の奇計により五十子既に落城して那里に敵あらずといへども那河鯉の義をおもへば我身ばかりは各位と倶に那里に到らんこと忍びがたき処あり今より与之七主と倶に船に在りて凱陣を等ん、さばれ各位も亦速に退きて海に浮むを■玄に少/とすべし、顧ふに扇谷の管領(定正)は必是忍岡の城を投て走りしならん、這里よりして那里へは路の程二里に過ぎず、はやく那里の城兵をもて更に推寄来ることあらば初の戦ひと同じからず、疲労たる我小勢をもて新隊の大敵に当らんこと危しとも最危かるべし、然らでも西北(いぬい)に大塚の城あり北に赤塚石浜の援あり……{第九十四回}

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