■破戒の倫理■
 

 真面目な禅僧も多かったに違いないのだが、【過剰な人為】を出来るだけ排除しようとする一休にかかれば、「真面目」な僧侶ほど疎まれることになる。
 


     ◆
偶作。
昨日俗人今日僧
生涯胡乱是吾能
黄衣之下多名利
我要児孫滅大燈
偶作/即興詩。昨日は俗人、今日は僧。生涯胡乱、是、吾が能。黄衣の下、名利多し。我、要す、児孫の大燈を滅するを。
     ◆
 


 「昨日は戒律を破って俗人となったが、今日は僧として戒律を守っている。秩序から外れることが私の性質だ。黄衣を着ている真面目そうな僧侶にこそ、名利を求める者が多い。私は子孫/自分に共鳴する弟子を得て、宗峰妙超/大燈国師の弟子ども、大徳寺の僧たちを殲滅してやるのだ」
 しかし実際、一休は大燈国師を敬愛し、三つほど後の詩で「狂雲真是大燈孫…」と同一化を図っていた。大燈国師は乞食のふりをする一方で天皇さえ鼻であしらう風があった。一休好みの破格な禅僧である。結局、開基大燈国師の伝統が廃れ、養叟の如き営利を求める僧が大徳寺を指導していることへの批判であろう。
 一休は如意庵を飛び出し、譲羽山へと居を移す。
 


     ◆
山居(譲羽)。
婬坊十載興難窮
強住空山幽谷中
好境雲遮三万里
長松逆耳屋頭風
山居。婬坊に十載、興は窮め難し。強いて空山幽谷中に住す。好境、雲は三万里を遮る。長松、耳に逆らう屋頭の風。
     ◆
 


 「女郎屋に十年通ったが、興味は尽きない。それなのに、賑やかな市中を離れ、嫌々ながら無人の山に移り幽谷で住むことになった。好ましい京の女郎街から遙か彼方、しかも雲で遮られている。長松が屋根の上で風に泣いて耳障りだ」
 女郎屋云々からは、山川草木よりも人間に興味を抱く一休の視点を感じさせる。勿論、草木も生命ではあるが、一休の抱く人間への愛は、生命の動態への愛であるのだろう。
 女郎屋だとか魚だとか酒だとか言っている一休ではあるが、偽悪の鍍金が剥がれる箇所もある。
 


     ◆
山中示典座。
皈宗一味日興余
典座山中功不虚
休覓浄名香積飯
何時■食に善/有美双魚
帰宗の一味、日々興余りあり。典座、山中に功虚しからず。浄名の香積飯を覓{もと}むるを休{や}めよ。何れの時か、膳に美双魚あらん。
     ◆
 


 「本来の生活に戻ったかのような味であり、毎日、愉しんでいる。食事係は、この山で、よい仕事をしている。しかし、浄名/維摩居士が香積如来の支配する衆香世界から取り寄せた想像を絶する美味な食物を追求することは止めよ。そのうち魚まで出してくるんじゃないか」{「帰宗」を帰宗寺至真禅師、「一味」を一味禅と解釈するむきもあるや。但し、筆者は僧侶ではないので、採らず}。
 配列からすれば、一休が大徳寺を離れ譲羽山に籠もったときの詩であるべきだ。頑張り過ぎて食事を作る者を、優しく窘めたようにも思える。何にせよ、「美双魚」は、【僧に供すべからざるもの】との意味を含んでいる。典座が真面目に美味を追求していけば破戒に至る、ともなろう。仏教も過ぎれば、仏教でなくなるとの謂いか。一休は、巌窟で苦行する僧を嫌う。
 


 やや道草を食おう。浄名とか香積飯とか何とか、維摩経が出典である。経の主人公は維摩居士だ。居士は出家していない仏教徒だからアマチュアの筈だけども、各種仏格を正道に立ち返らせ本来の機能を果たさせる、かなり高い仏性をもつ。ただ、けっこうヤな奴で、
 「於是賢者舍利弗心念、日時欲過、此諸大人當於何食。維摩詰知其意而応曰、唯然賢者、若如来説八解之行、豈雜欲食而聞法乎、要聞法者當為先食」{維摩詰経香積佛品第十}。
 集会の途中、舎利仏が「時間が経ってきたなぁ。みんなに何を食わせようかなぁ。食料ないんだよなぁ」と考えたとき、其れと察した維摩居士が、「なんだとぉぉ、食い物のこと考えながら有り難い法を聞こうって了簡か。へっ、意地汚ぇ野郎は腹いっぱい食わせといてやんないと、法なんか聞くどころぢゃねぇな」と厭味を云った。

 いやまぁ、実は厭味でないように訳すことも可能ではあるが、経の序盤、維摩経は二章を費やして、維摩が論戦相手を徹底的に詰って皆から嫌われていると明かす。病気で維摩が倒れたとき、世尊が弟子たちに「オマエら、見舞いに行ってやれよ」と頼んだが、皆が皆、断った程の嫌われ者である。弥勒菩薩でさえ「我不任詣彼問疾」と逃げた。皆が逃げた理由は要するに、以前、自分たちの考えが至らぬことを指摘され詰られた点に集約される{弟子品第三・菩薩品第四}。しかし、考えてみれば、弥勒菩薩も舎利仏も、至らぬ点を教えられ、より高い理解へと昇った。感謝しこそすれ、嫌う理由はない筈だ。もしかしたら、一生涯忘れられぬほど厭味ったらしい言い方で詰られたのかもしれないが、真理に近付けたんだから、良いぢゃないか、とも思う。弥勒菩薩も案外、ケツの穴の小さい野郎なんである。
 対して流石に文殊菩薩は、ケツの穴が小さくない。とは云え、弘法大師空海に衆道の旨味を教えたシリ菩薩だからガバガバではなく締まりは良かったに違いないのだけれども、其れは措き、文殊は堂々と維摩を見舞って、ウケに徹する。初対面だったから、余計な恐怖心を抱かないまま、予め情報を得て冷静に対策を練ったと思しい。何たって我がアイドル文殊は智恵の菩薩だ。八犬伝の毛野に当たる。維摩みたいなイケズには、質問させてはならぬ。維摩は自分の解答に自信をもった上で、ワザと質問の形で論戦を挑んでいたのだ。自分の土俵に引き摺り込んで優位に立つ戦術である。性悪者の常套であり、クイズ番組を悦ぶ感性と一般だ。維摩のイヤラシイ質問攻撃を封ずるため、文殊は逆に質問責めをする。毛野みたいな美少女が長く濃い睫を瞬かせながら「維摩のオジサマぁぁ」と上目遣いに質問してきたら、良い気になって答えてしまうだろう。しかも維摩の見事な返答に、くびれた腰をくねらせ擦り寄り、肩に手を載せ馴れ馴れしく「オジサマ凄ぉぉぉいっ、勉強になりますぅ」と毛野が、毛野が……あ、鼻血が……。
 文殊は真に感心したのかもしれないが、維摩の返答に大悦びして媚態を見せる。いやまぁ経典では「是語時八千天人、発無上正真道意。文殊師利童子甚悦」{問疾品第五}とかしか書いていないが、あの文殊が、華奢な骨組みに程よく柔らかそうな肉を重ねつつ縊れたウエストで美貌の文殊が、しかも「童子」形で甚だ「悦」んでいるのである。天然自然の媚態を感じねばなるまい。だいたいからして筆者の脳内で文殊は毛野と重なっており、且つ女性化している。筆者にとって文殊は、華奢だが健康的な褐色アーリア系ナイスバディ美少女なんである。附言するならば、眉と睫が濃い。だいたい観音菩薩だって、感化したい相手に最も説得力を与えられる形態に変じて方便を施す。筆者にとって最も説得力をもつ者は十八歳から三十代の美少女/美女であるから、文殊は美少女で良いのだ。閑話休題。
 

 とにかく、舎利仏は仏陀十大弟子筆頭で智恵第一と謳われた漢なのだが、維摩居士にかかれば、単なる食いしん坊扱いである。ところで維摩は大口叩くだけあって、瞬時に大量の食料を調達した。
 「是時維摩詰即如其像正受三昧。上方界分去此刹度如四十二江河沙佛土、有佛名香積如来至真等正覚、世界曰衆香。一切弟子及諸菩薩皆見其国。香氣普桴\方佛国諸天人民、比諸佛土其香最勝、而彼世界無有弟子縁一覚名、彼如来不為菩薩説法、其界一切皆以香作樓閣、経行香地苑園皆香。菩薩飲食則皆衆香、其香周流無量世界。時彼佛諸菩薩方座食、有天子学大乗字香淨、住而侍焉。一切大衆皆見香積如来与諸菩薩座食」{香積佛品第十}。
 遙か遠くの衆香世界から、とにかく佳い香りの食べ物をワンサと取り寄せた。衆香世界の主宰者である香積如来までオマエケに付いてきた。皆で仲良く会食した。此れが香積飯である。
 


 維摩居士を単なる嫌な奴のように語ってきたが、嫌な奴ではあるが、或る種の理想的在家仏教者でもあった。計り知れぬほど多い財産で多くの貧しい人たちを助け、しかも前世で功徳修行を積んだため、あらゆる仏教知識を有し且つ理解し、神通力まで得ていた。仏弟子はじめ梵天・帝釈からさえ尊敬されていた。しかし維摩の特筆すべき資質は、「自隨所楽常修梵行……中略……若在博■亦したニジュウアシ/戯楽輒以度人……中略……雖獲俗利不以喜悦、遊諸四衢普持法律……中略……入諸婬種除其欲怒、入諸酒会能立其志」{自ずから楽しむ所に随いて常に梵行を修し、もし博打戯楽に在りても輒く以て人を度し、俗利を獲ると雖も以て喜悦せず、諸々の四衢に遊びても法律を持し、諸々の婬種に入りても其の欲怒を除き、諸々の酒会に入りても能く其の志を立たしむ/善権品第二}である。
 「自随所楽常修梵行」を、或いは、時に応じて気の向くまま仏説のうち特定分野を選んで学び修行した、と解釈しても良さそうだが、前後の箇所では概ね対立しがちな二つの行為を両立し得ていることを賞賛しているので、【心の赴くまま娯楽に浸りつつも、仏道修行を怠らなかった】ほどに考えておく。「若在博■亦したニジュウアシ/戯楽輒以度人」は、博打場で遊んでいる間にも容易く周囲の遊び人を感化し、善性を目覚めさせる、ぐらいだろう。「雖獲俗利不以喜悦」は、生業として維摩も何か商売をしているらしいが、利益は得るが別に喜ばない、則ち、財に執着していない、であろう。「遊諸四衢普持法律」は、浮薄なる都会の何処に遊んでも仏法を堅持して軽佻に流れない、だ。
 「入諸婬種除其欲怒、入諸酒会能立其志」は特に重要で、【遊郭に入ったら自ら潤滑油となり相談相手となって其処に渦巻く執着や嫉妬による怒りなどを消し去り、飲み会には何にせよ題目が掲げられているが酒を飲むと目的そっちのけで飲むことに専念し本来の目的を忘れ愚痴ったり暴れたりする者もあるけれども親睦なら親睦あるいは歓送迎など飲み会の趣旨に立ち戻り友和のうちに盃を傾けさせる】ともなろうか。要するに、在家の仏教者であるため酒も御馳走も口に出来るし花柳の巷に遊ぶことが可能な維摩は、其の利点を生かし、特に問題が発生しがちな遊郭や酒屋でこそ人々を感化し善導するのだ。プロの僧侶は、本来であれば、如斯き悪所に立ち入ることが出来ない。しかし、悪所ほど、欲望も情念も膨大に蟠り、時に激しく噴出する。維摩は遊客の一人として悪所に入り込み、それとなく平和に治める。維摩居士こそ、僧侶である一休の理想像かもしれない。こういった維摩のキャラクターは、其の侭、彼の主張に繋がっていく。即ち、
 


     ◆
文殊師利問曰、何謂族姓子、菩薩所至到処興有佛法。維摩詰言、其来往周旋有智慧興有佛法、菩薩来往為之奈何、其至五無間処能使無諍怒、至地獄処能使除冥塵、至於畜生処則為除闇昧能使無慢、求入餓鬼道、一切以福隨次合会、至無智処不与同帰能使知道、在怒害処為現仁意不害衆生、在■リッシンベンに喬/処為現橋梁合聚度人、在塵労処為現都浄無有労穢、如在魔道則能使其覚知所縁、在弟子道所未聞法令人得聞、在縁一覚道能行大悲座而化人、入貧窶中則為施以無尽之財、入鄙陋中為以威相厳其種姓、入異学中則使世間一切依附、遍入諸道一切能為解説正要、至泥■桓の木がサンズイ/道度脱生死如無絶已、是為菩薩来往周旋、所入諸道能有佛法。於是維摩詰又問文殊師利、何等為如来種。答曰有身為種、無明与恩愛為種、婬怒癡為種、四顛倒為種、五蓋為種、六入為種、七識住為種、八邪道為種、九悩為種、十悪為種、是為佛種。曰何謂也。文殊師利言、夫虚無無数不能出現住発無上正真道意、在塵労事未見諦者、乃能発斯大道意耳、譬如族姓子、高原陸土不生青蓮芙蓉■クサカンムリに衡/華、卑湿汚田乃生此華、如是不従虚無無数出生佛法、塵労之中乃得衆生而起道意、以有道意則生佛法、従自見身積若須弥、乃能兼見而起道意故生佛法、依如是要、可知一切塵労之疇為如来種、又譬如人不下巨海、能挙夜光宝耶、如是不入塵労事者、豈其能発一切智意……後略{如来品第八}。
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文殊師利、問いて曰く、何をか謂う、族姓子、菩薩の至り到る所にして処せば佛法あるを興すとは。維摩詰言う、其の来往周旋、智慧あれば佛法あるを興す、菩薩の来往、之を為すこと奈何{いかん}、其の五無間に至りて処せば能{よ}く諍怒なからしむ、地獄に至りて処せば能く冥塵を除かしむ、畜生に至りて処せば則ち闇昧を除き能く慢なからしむ、餓鬼道に入るを求めれば一切以て福は次{ところ}に隨いて合会す、無智に至りて処せば与えられざるして同帰し能く道を知らしむ、怒害に在りて処せば仁意を現じて為し衆生を害さず、驕に在りて処せば橋梁を現じて為し合聚して人を度す、塵労に在りて処せば都浄たりて現じて為し労穢あることなし、もし魔道に在れば則ち能く其れをして縁ある所を覚知せしむ、弟子道に在れば未だ聞かざる所の法令を人に聞き得さしむ、在縁一覚道に在れば能く大悲を行いて座し人を化す、貧窶の中に入れば則ち無尽の財を以て施すを為す、鄙陋の中に入れば威相を以て為し其の種姓を厳しくす、異学の中に入れば則ち世間一切をして依附せしむ、遍く諸道一切に入れば能く解説を正要に為す、泥■桓の木がサンズイ/道に到れば生死を度脱し無絶の如くして已む、是れ菩薩の来往周旋たり、諸道に入りて能く佛法ある所なり。是に於いて維摩詰、又、文殊師利に問う、何等を如来種と為すや。答えて曰く、身ありて種と為す、無明と恩愛を種と為す、婬と怒と癡を種と為す、四顛倒を種と為す、五蓋を種と為す、六入を種と為す、七識住を種と為す、八邪道を種を為す、九悩を種と為す、十悪を種と為す、是れ佛種と為す。曰く、何をか謂うや。文殊師利言う、夫れ虚無無数は能く現住を出て無上正真道意を発すること能わず、塵労の事に在れば未だ諦を見ざれば乃ち能く斯の大道意を発するのみ、譬えれば族姓子の如し、高原陸土は青蓮・芙蓉・■クサカンムリに衡/華を生ぜず、卑湿汚田なれば乃ち此の華を生ず、是くの如く佛法を出生するは虚無無数に従{よ}らず、塵労の中なれば乃ち衆生を得て道意を起こす、以て道意あれば則ち佛法を生ず、自ら身に積むこと須弥の若{ごと}きを見るに従りて、乃ち能く兼見して道意を起こすが故に佛法を生ず、是の要の如きに依りて、一切塵労の疇、如来種為りと知るべし、又、譬えれば、如{も}し人の巨海に下らざれば能く夜光の宝を挙げんや、如し是れ塵労の事に入らずんば、あに其れ能く一切の智意を発せんや……後略{如来品第八}。
     ◆
 


 要するに、汚泥の中にこそ穢れなき蓮のような世尊が生じたように、塵埃の中にこそ仏心が生まれる、との謂いである。さて、譲羽山で一休は、南江宗■サンズイに元/から手紙を受け取る。何が書いてあったか知らないが、一休は法悦に耽り随喜の涙を流しているようだ{→▼}。
 


     ◆
山中得南江書。
孤峰頂上草庵居
三要印消功未虚
不意玄中有玄路
万行裹涙一封書
     ◆
 


 一休は一年にして譲羽山を下り、京に帰った。如何やら南江から受け取った手紙には、「玄中有玄路」、非常に見えにくい隘路ではあるが俗間にあってこそ大乗の悟りを見いだせる、とでも書いていたのではないか。そして一休は、八犬伝を読む上で重要と思われる詩を詠んでいる。
 


     ◆
自山中帰市中。
狂雲誰識属狂風
朝在山中暮市中
我若当機行棒喝
徳山臨済面通紅

昔有一婆子。供養一庵主経二十年。常令一二八女子送飯給侍。一日、令女子抱定云、正恁麼時如何。庵主云、枯木倚寒岩、三冬無暖気。女子帰挙似。婆子云、我二十年只供養得箇俗漢。追出焼却庵。
老婆心為賊過梯
清浄沙門与女妻
今夜美人若約我
枯楊春老更生■ノギヘンに弟/

画虎。
覿面当機誰一拶
寒毛卓竪老岩頭
恠哉■祢のシメスヘンがニンベン/在扶桑国
凛々威風四百州
     ◆
 


 仏教に疎く禅マニアでもない筆者が、長々と狂雲集を論ったのは、まさに一休の傑作詩「画虎」を解するためであった。勿論、八犬伝に於ける「一休」と「画虎」を繋げる材料としようという下心がある。まず、先行する三詩を簡単に片付けよう。
 


 「自山中帰市中{山中より市中に帰る}」。静寂なる譲羽山で南江から手紙を受け取った一休は、「玄中有玄路」、塵埃の中に仏心の種を見出そうとしたか、猥雑な京の街へと舞い戻った。
 「狂雲、誰ぞ狂風に属するを識らん。朝に山中に在りて、暮には市中。我、若{も}し機に当たりて棒喝を行ぜば、徳山・臨済、面に紅を通ず」。
 「昔有一婆子……」は有名な公案だ。他の禅僧と同じく、詩は一休にとって禅の境地を表現する手段であった。だから禅語や公案が鏤められている。此処でとりあげられている公案は、概略、以下の如きものである。
 あるところに老婆がいた。禅僧に庵を建ててやり、二十年もの間、生活の面倒を見て遣った。いつも、最も美しく可愛らしい年頃の少女一人を選び、食事を持たせて僧の給仕をさせていた。仏の供養に蜜はつきものだが、此の場合、魅力的な美少女を配し、禅僧の脳裏に可憐な蜜壷をチラつかせようとの魂胆であったか。所謂、ハニートラップだ。ある日、老婆は係の少女に言い含めた。「禅僧に抱きつきドプリンプリンな肉体を押し付けて、『こういう時、アナタは如何な気持になるの』と訊くのぢゃ」。少女が言われた通りにすると、庵主は云った。「私は寒岩に拠った枯れ木のようなものだ。この庵内は仏の境、命芽吹き早蕨萌え出ずる春には遙か遠い凍土である」。少女は身振り手振りを交えて、事の次第を老婆に報告した。老婆は云った。「アタシぁそんな俗物を二十年も供養してきたのかい」。老婆は禅僧を追い出し、庵を燃やしてしまった。老婆焼庵の公案である。さて、此の話を如何に受け取るか。
 一休の回答は以下の通りである。「老婆心、賊の為に梯を過し、清浄の沙門に女妻を与ふ。今夜、美人、若し我に約せば、枯楊も春、老いて更に新芽ヒコバエ/を生ぜん」。
 ヒコバエを小指レベルの短小なる男根と解し、一休が「俺だったら姦ってやるのに」と答えたと考えるも可だ。しかし、筆者は採らない。ヒコバエは、インターコースを欲する激しい願望と同一方向ベクトルを軸とした相似形であって、実際の性交には及ばない淡い【欲求】であろう。男根のサイズとして短小なのではなく、欲の大きさが短小なのだ。其れは美少女を陵辱蹂躙しようとするものではなく、まぁ相手は美少女でも美熟女でも良いが、柔らかな胸に顔を埋めようとする幼児の【懐き】ほどのものだろう。生命であるが故に生命に引き寄せられる凝集性、互いに横溢することで惹き付け合う生命の在り方を、一休が礼賛しているように聞こえる。
 裏から言い換える。「老婆心、賊の為に梯を過し、清浄の沙門に女妻を与ふ」。賊とは「清浄の沙門」であり、梯とは「女妻を与ふ」という便宜供与を指す。元より、賊に便宜供与することが、老婆心/過剰な御節介だ。そして、賊の得た盗品は、「枯木、寒岩に倚り、三冬、暖気なし」との態度だ。則ち、しなだれ掛かってくる美少女を、血の通わない冷然とした態度で拒絶した故に、「清浄の沙門」は「賊」として断罪されている。
 不淫戒は、生命を拒絶する凍土を指向してはいない筈だ。逆だろう。人は、淫への執着により、奪い、殺し、欺瞞するに至る、ことがある。だからと云って、不淫戒は、人と人とが惹き付け合う淡いエロスまで否定しているわけではないだろう。
 ならば、アーリア系ドプリンプリン美少女を拒むとしても、西域系洗凝脂嫋々柳腰美少女を拒むとしても、東洋系濃眉低音陳嘉樺氏なら決して拒めないだろうが、日系褐色遮光式土器型ガチムチ美少女を拒むとしても、とにかく、「枯木倚寒岩、三冬無暖気」は、ないだろう。姦淫を欲せぬとはいえ、生命を拒絶する凍土の思想に、人を救済する資格はない。対して一休なら、美少女の柔肌を抱いて暖かさを味わい、伝わってくる寝息と心臓の鼓動に生命の証を感じ、幸せな微睡みに落ちていく、かもしれない。勿論、相手も同然である。姦淫は、執着さえしなければ或いは為しても良かろうが、必要ではない。ただ、生命を博愛し抱き取るココロがあれば良い。筆者としても甚だ残念だが、此の詩から、姦淫への意思は読み取れない。
 勿論、此処にはレトリックによるトリックが仕掛けられている。「清浄」である。確かに、公案に登場する僧を「清浄」と評するも可だ。しかし、それは人にとって有益な「清浄」ではない。死に絶えた、無機的な、虚無の世界だ。苦行僧が籠もる、生命を拒む鬼窟の如き場である。「清浄の沙門」の「清浄」には、実のところ負のイメージが込められている。しかし例えば、「清浄」な水は、自然の法則に従い流れ形を変えて、生命を育む。一休の求める境地だろうか。「清浄」なる何やら有り難そうな字面で一休は、トラップを仕掛けている。禅らしいと云えば、禅らしいのかもしれない。
 


 一休は続けて、「画虎」詩を詠む。実は、此れ迄に筆者が展開してきた解釈【一休は破戒の擬態を晒しつつも確固たる宗教的良心を堅持して名利に就く僧を糾弾した】は、「画虎」を拠点としている。「画虎」こそ、一休の宗教的良心を監視し律するものだ。

 「覿面の機に当たれば、誰か一拶せん。寒毛卓竪す、老いたる岩頭さえも。恠しきかな、汝、扶桑国に在りて、凛々たる威風、四百州にも」{意訳:画虎よ、オマエと真正面から出会い頭に顔を合わせ、誰が落ち着いて世辞なんぞ言えようものか。侵略軍に包囲されてもジタバタするどころか、却って殺された瞬間に生命の重さを主張し暴力を叱咤して遙か彼方まで聞こえる叫びを上げた豪毅な岩頭老和尚でさえ、鳥肌を立て恐ろしがるに違いない。不思議なことだ。画虎よ、オマエは日本にいる。なのにオマエの発する威風は、中国全土さえ圧している}。
 


 一休が対峙する画虎は「四百州」から見て、MadeInChinaのようだ。牧谿の虎図かもしれない。大徳寺現有の重要文化財である。今や墨痕薄れてはいるが、迫力ある快作で、肩をいからせ今にも飛び掛かってきそうに見える。有名な傑作だから、日本に在るものの、中国で「恐ろしい絵だ」と評判になっていたのかもしれない。一休の詩を表層のみ撫ぞれば、如斯き解釈となろう。但し、直前の数篇と全く断絶してしまう。
 


 「自山中帰市中」で「狂雲」なる語句が登場する。詩集の名にとられている如く、一休の号でもある。号とは自称するものであり、故に、自負する所を示すものだ。筆者なら、イーカゲンだ。では、「狂った雲」とは何か。色が狂っているのか、形が狂っているのか。勿論、動きが狂っているのだろう。雲は一般に、一定方向へユルユルと動く。ならば狂雲とは、無秩序にアッチ行ったりコッチ来たり、怪しい動きを示すものだろう。一休は、「狂雲属狂風」と云う。なるほど、気圧差を埋めるべく動く風に、雲は従う。雲属風、である。ならば、狂雲は狂風にこそ属し従う。
 前近代に於いて、天然自然の摂理は動物など解りやすいものに象徴された。其れ故に、井守を使ったマジナイで雨が降る……ことになっていたのだ。想像上の龍と形態が似ている故、井守で代用していたのだろう。
 禅宗にも採用された言い回しに、「龍吟雲起、虎嘯風生」がある。イメージとしては、天から下る龍が吟じて雲を起こし、地から飛び上がった虎が嘯いて風を起こす。対峙した両者が挑み争う。
 何故に両者は対峙し争うのか。仲が悪いとかではなく、互いに相反するものを象徴しているから、両者の争いがイメージされる。即ち、龍は青龍であり、虎が白虎だからこそ、争いが起きるのだ。青龍は木気/少陽/仁を象徴し、白虎は金気/少陰/義を象徴している。互いに対立する概念だ。少陽と少陰、仁/生の横溢/自由と、義/其れを制限し律する態度は、対立するように見えて実は調和を目指す。野放図な生の賛歌は、ややもすれば他者の人権を否定する。舜も人たり、我も人たり。また、個々人の生を肯定することは、仁/他者の許容/自己の制限を、前提とする。仁は自発的/自然発生的な自己の制限に外ならず、義は自己の中核の外部すなわち後天的に自然と植え付けられた良心も含め、大雑把に言えば、外部からの個人の権利制限を謂う。よって、青龍は本来なら、他者の生命をも悦ぶが故に他者の行動を容認し、結果として自己の権利を制限する態度に至る。故にこそ、仁とは宥恕/寛容である。但し、寛容だけでは社会が混乱する場合もある。皆が皆、聖人君子にはなれない。己の欲のため他者の人権を侵害し殺害するに至る族さえ発生している現実に於いて、寛容のみでは秩序が保てない。己の生の横溢を、他者の人権制限と表裏であるとしかイメージできぬ族さえ、現世には居るのだ。
 世の中、確かに他者と利害が反する局面はあるが、そうでない場面もある。政治が最低限堅持すべきは、個々人の社会に対する信頼感である。下劣な自分たちと皆も同じ感性だと決め付け以て社会を分断し利益によって誘導するが如き近視眼的政権は、いずれ社会を維持できなくなり自壊する。女郎と同じく、金の切れ目が縁の切れ目、である。如何やら最近は、男妾や女妾が多くて剣呑だ。閑話休題。

 天は、我利我利亡者を許さない。義を以て断罪し排除する。結局、義は、より多くの生命を守るために機能する。即ち、義は仁に奉仕する側面を有する。八犬伝第百三十一回挿絵でも、里見家に見参する八犬士のうち犬江親兵衛仁が先頭に描かれている。仁義礼智忠信孝悌もしくは仁義礼智信の語呂合わせ配列は、伊達ではない。
 仁/生の横溢を悦ぶ態度は、其れが人の根幹にあるべきだけれども、義による制限も社会には必要だ。仁を根底に据えつつ、義の流儀に従うことが、一応は古今東西、社会の智恵ではないか。且つ、「龍吟雲起、虎嘯風生」なる定義を用いれば、【雲属風】は【青龍属白虎】そして【仁属義】と読み替えられる。且つ、狂雲が一休本人を示しているとすれば、一休は狂風に従っている。よって、「狂雲属狂風」には【一般を遙か超え狂った程に強固な宗教的倫理に従っているが故に一休の行動は狂って見える】ほどの主張が込められている。だからこそ、「我若当機行棒喝、徳山臨済面通紅」となる。表面上は戒律を守っているかもしれないが、その実、他宗他派を押し退け営利・名利を求めようとする禅僧たちが恥じ入る程の宗教的倫理を、一休は堅持している、との宣言が「自山中帰市中」なんである。
 


 一休は、「自山中帰市中」で他の禅僧に負けぬ宗教倫理を堅持していることを宣言した。当然、反論が予想される。女郎街に入り浸る破戒僧が何を云うか、と。対して一休は、老婆焼庵の公案を引き合いに出し、「清浄の沙門」をこそ糾弾する。更に「画虎」で、自分は甚だ強固な倫理を以て自律していると主張する。宗教としては知らぬが文学として読む場合、一休の論理は甚だ単純である。が、ただ、表記の印象がコロコロ変わるから厄介なのだ。「自山中帰市中」では激烈な口調で禅僧を責め上げ、老婆焼庵関連の詩では痛烈な皮肉を込めて清浄僧を糾弾しつつも口調は飽くまでノンシャランと洒脱を装う。「画虎」では打って変わって、獰猛な虎に対する如く、良心の責めに戦々兢々としている。狂雲集の詩は、緊密に連携しつつ、それぞれ独立している。詩毎に雰囲気が変わることは寧ろ当然であるが、此れ程までに早変わりされると、論理さえ読み取り難くなる。アッチ行ったりコッチ来たり、何だか無秩序に動く雲の如く捉え所がない。しかし、雲であるなら、勝手に動いているのではなく、風に従っている筈だ。無秩序に見えて、狂雲の動きは、理に適っている。

 上で虎/白虎は義を象徴すると書いたが、実は其れだけではない。十二支で虎/寅は東北東に当たり、木気の裡に含まれる。ダブルミーニングだ。五行説の三十六禽論で狸の後身でもある。玉面嬢が、如是畜生発菩提心、浄化され虎になった。故にこそ、画虎は丹波国桑田で世に出ねばならない。丹波国桑田は、八犬伝に拠れば、「むかし丹波の桑田村に甕襲といひし人の犬は、その名を足往と呼れたり、この犬有一日貉を殺しつ、貉の腹に八尺瓊の勾玉ありて出たるよし、書紀垂仁紀にしるされたり」{第八回}。足往と魔狸の対決は、八犬伝の重要なモチーフであろう。画虎が、外ならぬ丹波国桑田で世に出る理由は、玉面嬢絡みでなければならぬ。浄化された八房の養母/玉面嬢は、悪人のみを選んで啖い殺す、善の獰猛神/画虎へと変態したのだ。
 八犬伝の画虎は、洛中に放たれ悪人のみを選んで啖い殺す善の獰猛神であるから、言い換えると【社会で共有される倫理】を象徴していよう。対して狂雲集の画虎は、一休の心裡に秘めた宗教倫理を投影したものだ。但し、一休は八犬伝に登場したとき、人間ではなくなっている。死んだ一休が尸解した上で、道楽大御所/足利義政を誡めた。一休の尸解は当然、後にヽ大が尸解する伏線となっているのだが、此の場面では、別の意味もある。則ち、尸解した一休は既に一休個人ではなく、何等かの仏性を表現する仏格となっているのだ。一個人ではなく或る仏格の心裡に抱く宗教倫理は既に、社会で共有すべき倫理である。八犬伝に於ける一休の偈に曰く、「人面獣心人非人、獣面人心有此虎」{第百五十回}。人面獣心とは秋篠将曹を除いた後の五虎や徳用らを云っているのだろうが、画虎には「人の心」があると指摘している。だからこそ八犬伝の画虎は、悪人のみを選んで殺した。日本仏教は独自の発展を遂げたとはいえ、一応は中国経由で伝来した関係上、中国仏教の影響が濃い。宗教倫理は馬琴時代、日中共通だとイメージし得た。故に一休が画虎の威風/己の宗教倫理と通底するものが四百州/中国をも律していると考えた、と馬琴は思量し得た筈だ。また「人心」は【人の心】であると同時に【仁心】でもあろう。仁は人である。現在でも「あの人/あの御仁」との言い回しは残っている。但し、犬江親兵衛は「まさし」であって、「ひとし」ではない。「まさ」は真であろうから、親兵衛は単なる人ではなく真人であると言いたげだ。
 


 狂雲集に載す「画虎」は、表面上の破戒を繰り返す一休が心に秘めた宗教倫理であった。八犬伝の「画虎」は、悪人のみを選んで襲う獰猛な善神と思しい。且つ、八犬伝の一休は尸解しており、既に仏格へと昇化している。仏格への昇化により、一休個人の良心は社会で共有すべき倫理規範へと昇華している。八犬伝の「画虎」は、玉面嬢/狸の後身であり十二支としては木気に属しつつ、白虎/義/金気として刑戮を司る。勿論、馬琴は、一休咄の「絵に描いた虎を捕まえろ/だったら絵から虎を追い出してみろ」問答や、巨勢金岡の筆による馬が実体化したとかの御伽話を、横目で見ている。しかし、一休が足利義政を誡める言葉には、盲者への深い共感や虚栄を排除する態度が感じられる。まさに狂雲集が表現する人間洞察が表出されている。山林房八が命を落とした古那屋危難で修験者に化けていたヽ大が、指月院住持として再登場し、禅宗に属することが明確になる。俗世に於いて思索を重ねようとする禅宗の一側面は、いかにも馬琴好みだろう。一休が登場する条はヽ大尸解の伏線にもなっているが、此の一事を以てしても、馬琴の一休に対する関心が、かなり高かったことを窺わせてはいまいか。
{お粗末様}

 

 

 
 

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