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「為朝、合戦の次第はからせ申せ」と仰せくださる。畏て申上けるは、「為朝幼少より鎮西に居住つかまつりて合戦にあふこと既に二十度にあまり三十度に及べり。或は敵を落し或は敵におとされ、しかる間、毎度かつにのる先蹤をかんがふるに、夜うちにしかず。天の明ざらんさきに、内裏・高松殿に押寄て三方より火をかけ一方よりせめむずるに、火をのがるるものは矢をのがるべからず、矢をのがるゝものは火をのがるべからず……」とことばをはなちものげもなく申ければ、左大臣殿「此条あらぎなり。臆持なし。若気のいたす処か。夜うちなどいふ事は十騎二十騎のわたくしいくさなどの事也。さすがに主上・上皇のくにあらそひに夜うちなんどしかるべからず。就中、今度の合戦に源平両家の名を得たる兵共、数をつくして両方に引わかるゝ。故実を存、互に思慮をめぐらすべし。用意おろかにしては、はなはだ叶べからず。凡合戦といふは、はかりことをもつてほんとし、勢をもつて先とす。しかるに今院中にめさるゝ所の軍兵もつていくばくならず……夜のほど此御所を能々守護して南都の衆徒をあいまつべし」とおほせられければ、為朝うけたまはりもあへず罷出けるが、「信実・玄実をまたんこと、勢をとゝのへて御らんせんか。勝負をけつせんには時剋あひのぶべし。義朝は、さしも合戦に心得たるものにてあるものを。それも人に上手えられんとはよもおもはじ。夜うちにせんとぞはからふらん。明日までものぶべくはこそ、指矢三丁も大切ならめ。いさかひはてゝのちぎり木にてぞあらん。あはれ節会・印奏・除目なんど公事の奉行にはにぬものを。合戦のはかりことをば為朝にまかせ御覧ぜよかし。くちおしきかなや。只今敵におそはれて、御方の兵あはて迷はむよ」とたからかにのゝしり罷出ぬ{保元物語・巻一・御新院御所各門々固めの事付けたり軍評定の事}。

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