「人を呪はば穴二つ……三つ四つ?」

 ある男が旅の途中に、一人の尼さんと知り合った。尼さんというのは、肉食をしないうちに適度な労働/修行をするから引き締まったFitness、ナイス・バディだったかもしれません。色白でね。知性も教養もあって、しかも温厚。また、熊野午王(一種の呪符)を売り歩いた熊野比丘尼は、副業として剃髪法衣のまま春をひさいだと言われています。人のセクシャリティーは十人二十色、いや三十色ぐらいに多様ですので、スキン・ヘッドに<感じる>人がいたって、別に良い。とにかく男は、ムラムラッとしてキまして、尼さんを頻りに自分の家へ連れていこうとしました。

 勿論、イケナイことをしようというのです。尼さんは、言を左右し承知しません。当たり前です。仏教戒律に、汝、姦淫するなかれと、あります(あれ? 聖書だったかな)。それでも男は諦めず、食い下がりました。根深い欲望が、執拗さを引き出したのです。とうとう尼さんは承知しました。叩けよ、さらば開かれん。尼さんは、用事を済ませたら、必ず男の家に立ち寄ると約束させられちゃいました。男は喜んで、尼さんと別れ、自分の用事を足すために、旅を続けました。

「この旅が終わったら、あの尼さんと……ぐふふふふ」

 尼さんは用事を済ませ、男の家に寄りました。でも、男は帰っていません。男の奥さんと娘二の女所帯。事情を話すと、奥さんは、とても信心深い人でしたので、喜んで尼さんに泊まるよう言いました。さて、一晩目、奥さんは言いました。

「何もおもてなし出来ませんが、せめて娘たちにお話の相手をさせましょう。娘にとっても、仏のお話を聞くことが出来れば勉強になりますし」。奥さんは、娘のうち、姉に尼さんの相手をするよう言いました。

 二日目の晩、奥さんは姉に、再び尼さんの話相手をするよう言いました。失礼があってはいけません。だから、少しは礼儀を弁えているであろう姉に、言いつけたのです。でも姉は、
「ええ〜、だってぇ……うふふふふ」。
 何が何やら要領を得ません。怪訝に思いましたが奥さんは、妹に尼さんの話相手を命じました。
 三日目の晩、奥さんは、尼さんの話相手になるよう言うために、姉妹の部屋に行きました。部屋の中からは、
 「嘘〜、そんなぁぁ」
 「本当よぉ」
 「でも、アタシは」
 「ねぇねぇ、お母さんも」
 「えぇ〜、マジぃ?」
 きゃぴきゃぴ娘たちが盛り上がる声が聞こえました。で、奥さんが部屋に入ると娘たち、ピタッと黙りこみました。笑いを堪えているようです。頬を上気させていますし、或いは猥談でもしていたのかもしれません。

 奥さんも若い頃は、いや実は今でも幼馴染みでもある近所の奥さん連中と寄ると触ると猥談に花を咲かせるのですから、娘たちの表情を見て、すぐにピンときました。(まったくもぉ、せっかく尼さんと話をさせてやったのに、効果はなかったみたいね。最近の若い娘ときたら……)なんて思いましたが、まぁ気の迷いです。自分と同じ道を歩んでいるだけなのですから。
 「ちょっとアンタ達、変な話ばかりしないで、今夜は二人で御相手なさい。ちゃんと仏の道に就いて聞いてくるのよ」。でも、姉たちは「そんなに有り難い話なら、お母さんが聞いたら良いじゃん」、妹も「そぉよぉ、とってもタメになるわよぉ。法悦の境地? って言うのかしらぁ」「うふふふふ」「あはははは」。奥さんはムッとしましたが、良妻賢母を演ずることこそ、この場の教育には良いと思いましたので、殊更に気取った声で「そうね、今夜はお母さんが御相手しようかしら」。
 翌日、尼さんは出発しました。三人は熱心に引き留めたのですが、用事があるからと、旅だってしまったのです。入れ違いに男が帰ってきました。

 尼さんが自分を待たずに旅立ったと聞いて、男はガッカリしました。ただ……家の中の雰囲気は変でした。奥さんと娘二人は、意味ありげに目配せし合ったり、忍び笑いをしたりして、そう、三人で秘密を共有している印象なのです。

 ところで、笑話集が書かれた近世、家々を回る訪問販売員がいました。有名な滝沢馬琴の南総里見八犬伝なんかも、出商売の貸本屋が得意先を回って、見せて回っていたことでしょう。おか持ちみたいなのに本を詰め込んでいましたが、底の方にはイカガワシイ本も潜ませてて、相手を見て、コッソリ貸していたらしい。女性の傀儡師なんか、家に呼び込まれ家人に上演して見せたりしましたが、いや客が独身男性だったりすると、特別料金で春も売ったらしいのです。熊野比丘尼に就いては前に触れました。で「小間物屋」なんてのもいましてコッチは男ですが、小間物を売りました。

 当たり前ですね。でも、「小間物」にも色々あります。商家の奥さん一人だったり、武家屋敷で御女中だけだったりすると、箱の底から或るモノを取り出したとも言います。Dild/張型です。高級なものは象牙とか水牛の角などだったようですが、中に湯を入れて<人肌>にする工夫とか、赤い紐を付けたりしていました。此の赤い紐は、主に足首と踵に結び付けて使ったようです。膝の屈伸で動かすのです。一人の時はね。でも、友達、例えば男子禁制の場所でも女性はいるワケでして、男に不自由しても、女に不自由はしないので、自分でスルのも何だから、となれば相手は女性しかいないワケです。馬琴が関西の友人から受け取った手紙には、元遊女が男装して芸妓と同棲、夫婦生活を送っていることとか、遊郭では「姉妹分」といって男女の恋人同士よりも緊密な関係が結ばれた、と書いています。

 江戸城大奥からは、張型が発見されています。男女七歳にして席を同じうせず、なる世界で、性の捌け口が同性であったとしても、別段、不自然はございません。管見では、現実に於ける女性同性愛に関する史料は少ないのですが、史料が少ないからといって、あまり行われなかったとは言い切れない場合も、現象によっては、あるのです。インドの有り難い御経である「愛経(カーマ・スートラ)」に於いては、男性同性愛行為は白眼視されていますが、女性同性愛行為は、奨励されています。

 ……そう、尼さんは男子禁制の尼寺に棲息する、仏に愛を捧げ男性との性交渉を禁じられた、でも、やっぱり生身の女性でありました。尼寺は、女性の<秘密の花園>なんであります。まぁ、こりゃぁ確かに下衆の勘ぐりとも言えますが、如何やら此の笑話に登場する「男」は、「下司」だったかもしれません。尼さんが幾晩か泊まって出ていった。残された妻と娘は、何やら秘密を共有している如きアヤシイ雰囲気を醸している……。

 男は、ピンときました。ピンピンッ。昔のことですから、嫁いでいない娘二人は多分、十代の設定。ならば、奥さんも三十代。まだまだ花も盛りでありますれば、あの若く魅力的な尼さん、女だけの世界で生きる尼さんにイケナイ事をされちゃったったに違いないって、ピンときたんです。女性が男の一方的な欲望を受け入れるだけの存在ではなく、<欲望する者>、性の主体として行動することが事実上認められ共感を得ていたかもしれない近世、女性が女性とイイ事をしても、何の不思議もないんです。だから、ピンときた。何処が? って、そぉいぅ御下品な質問には答えません。ピンピンッ。

 男は尼さんを追っていきました。だいたい男は尼さんを姦しようと家に呼んだのです。尼さんだけイイコトをして帰るなんて、許せなかったんです。追いつきました。男は尼さんに襲いかかりました。仏罰なんて、恐くない。善人なおもて往生を遂ぐ、況や悪人をや! 南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。

 尼さんは抵抗しました。さすが鍛え上げたFitnessBody、なかなか組み敷けません。上になったり下になったり、組んず解れつ……って、何時の間にやら男が下になっていました。

 「え?」男は褌を剥ぎ取られ……。

 男の末路を、此処では詳らかに致しますまい。原文には、こうあります。「毛尻一本取られたり」。……「尼さん」、実は坊さんだったんです。棒が付いていた。ボウさん。奥さんと娘二人がキャピキャピしてたのは、坊さんの性的魅力に参ったからだと、結末で漸く明かされるんです。それまで、ずっと表記は「尼」。よほど美形の坊様だったんでしょうね。尼さんっ
て、髪の毛もないし化粧もしないから、ちょっと中性的、これが前提となって、笑話が仕掛けられてるんでしょう。

 でも、可笑しいのは、仏教説話にも読めるんですよね、この話。男は尼さんを姦しようと考えた。破戒行為です。倫理に悖る。その結果、奥さんや娘二人、そして自分まで犯されてしまった。

 自分がオイシイことをしようとしたら、自分と同じように他の者だってオイシイことをし得るし、その標的が自分の家族だってことも十二分にあり得る、ってこと。知らぬは亭主ばかりなり、ってヤツでしょうかね。しかも、妻・娘は、坊さんと両性の合意に基づいているようだから、まぁ良いとしても、「男」は坊さんにレイプされてしまう。

 因果応報、そういう倫理が此の笑話の根底にあるし、だからこそ、読者は「男」の愚かさを笑うんでしょう。そして、其の「倫理」の背景は、因果応報って、仏教臭さのある言葉でも表現できますが、より根本的に、ヒトとしての論理/倫理に合致するんやないかなぁと思います。必ずしも仏教だけが、此の様な倫理の背景にあるとは思いもしませんし、逆に、上記の様
な片務契約を嫌う、対価を要求する、極めて経済的な論理こそ、仏教の温床ではなかったかと思ったりもするんす。昨今は、後ろ姿では男性やら女性やら判然しない人も増えています。都会で満員電車に乗ると、麗しき黒髪の別嬪さんと密着状態になったりしてドキドキしてたら、よく見ると別嬪さん、<喉仏>が突き出したりしてて、「俺の青春を返せ」と叫びたくなるこ
ともありますけれども、そのような身勝手な思いこみはサテ措き、人を呪はば穴二つ、誰かの穴を狙うのは自分の穴も危険に晒すことに他ならないって、オハナシでありました。お粗末様。

 上の話は多少アレンジしています。原文では、男は所用を済ませて家に帰る途中、自分の家から出てきた尼と出会ってコトが起こるのですが、話の都合上、男が一旦、家に帰ってから尼が既に家を出たことを知った、と書き換えました。また、原文のオチは、尼/坊さんが男を犯したときに言った台詞、「過分なり」(感謝を表す言葉だが、
妻娘三人のうえに男までサセていただいてマコトに「過分」なほどゴチソウサンって意味を篭めているようっす)ですが、性描写を克明にすることを避けるため、省略し書き換えたんです。因みにモトネタは、「神国愚童随筆 可笑咄」にある「贋比丘尼に宿をかし親子四人玉矛を更ける事」です。「日本庶民生活史料集成」所収っす。

新蒟蒻物語表紙