◆伊井暇幻読本・南総里見八犬伝本編「鳥だ スーパーマンだ いや、役行者だ!」

 社会の矛盾が激化し、世の中が乱れきったとき、待望されるのは新時代を拓く英雄、超人、スーパーマンだ。しかし、スーパーマンは簡単に勝利を収めない。だいたい、物語の前半は悪役が優位で、スーパーマンは苦しむ。民衆の淫靡な欲望を満たすためにも、切なく喘ぎ身悶えなければならない。絶体絶命の危機に陥りながらも勝利を約束されている、それがスーパーマンである。
            ●            ●
 苦しみ悩み、そして最後には衆生救済の宿願を成就する、まるでスーパーマンのような仏がいる。菩薩と呼ばれる諸仏だ。この菩薩が八犬伝中で重要な任務を遂げる。伏姫の正体は観世音菩薩だし、物語の後半に登場して重要な役割を果たす地蔵菩薩、そして八犬伝世界を主宰するのは、まさに神変大菩薩(ジンペンダイボサツ)である。
 神変大菩薩と言っても、あまり有名ではないかもしれない。日本人なのだ。俗名、と言っても彼は法名を持っていないのだが、少なくとも子供の頃は<小角>と呼ばれた。フルネームは、<役君小角エンノキミオヅネ>である。父の名は、一説に拠ると大角だが、犬士の一人・犬村大角とは別人だ。小角は奈良時代、大和国に大きな勢力を張った地方豪族の一員で、空を飛んだり神を緊縛したり鬼を子分にしたりといった説話の残るスーパーマンだ。出身地が大和国葛城上郡であることは、諸史料ほぼ一致している。この地域は、実はかなり怪しい地域で、壬申の乱の時代から、天皇もしくは親王たちは、困った事態に立ち至ると、此処らの近くに逃げ込んだ。吉野地方である。南北朝時代との時代区分があるが、これは、「北朝」と「南朝」という二つの王朝が、並立していた時代だ。このうち後醍醐天皇から始まる「南朝」は、何故に「南朝」と呼ばれたかというと、比較的「南」に位置した吉野に在ったからだ。よく分からないが、天皇家にとって、一種の<聖地>だったのかもしれない。

 ところで小角、スーパーマンだから苦境にも陥った。讒言により捕縛され、伊豆国に流刑された。源頼朝が配流された伊豆である。後日本紀(ショクニホンギ)という日本書紀に続く正史に載せられているので、本当に空を飛んだか否かは別として、実在の人物だった可能性が高い。やがて許されるが、いつ死んだか分からない。だいたい、朝鮮半島に渡ったとか中国大陸に行ったとか虎になっていたとかいう話が残っているばかりで、明確に「死んだ」とさえ、伝えられていない。

 増補新訂日本大蔵経には、幾つかの伝記が掲載されているが、その殆どは江戸時代、十七世紀から十九世紀に書かれたもので、小角の時代から千年ほど隔たっている。伝記というより<伝説>である。何連も母親は大きな役割を果たすが、父親が、まぁ登場するにしても蔑ろにされていて、とても可哀想だ。おらずもがな、殆ど<処女懐胎>である。小角の偉大さを強調するために、歴史の闇に葬られた観がある。千年という時の流れの中で、小角は菩薩にまで祀り上げられたのだろう。とはいえ、時代の近い日本霊異記からして、一言主(ヒトコトヌシ)という神を縛り上げたとか、如何解釈して良いか分からない奇妙な話を載せている。本当に空を飛んだとかは別として、変わった人物だったことは確かだ。

 だいたい、小角はインドに実在した仏教哲学者・大乗仏教の確立者とされるナーガール・ジュナ、龍樹(リュウジュ)菩薩と呼ばれる人物の生まれ変わりだとされた。伝記には、法統図が載っているが、何連も龍樹と結び付けている。勿論、時代が全然違うので直接、龍樹が小角と接触を持ったとは思えず、<生まれ変わり>とでもせねば、法統図そのものが、意味を喪う。小角を聖徳太子と結び付ける説もあるが、やはり時代を異にしている。何せ、法統図というのは、役行者を宗祖とする後世の修験者らがでっち上げたものだ。近世では、系統というものが重視された。遊廓なぞ、自らの正当性を、源頼朝まで溯って主張しようとしていた。<有名人と結び付けて自らを権威づけする>とは、甚だ情けない性根だが、そんなことは言っておられない時代だったのだろう。

 そもそも、この龍樹という人物、スケベェで卑怯者だった。金持ちのボンボンだったのだが、隠れ簑というか、被ると姿を消せる術を手に入れた。それを使って友達と王の後宮に侵入した。ハーレムである。居並ぶ美女に襲いかかって姦した。驚き騒ぐ女房たち。しかし、王は賢かった。曲者がいると思しき辺りに灰をぶち撒けた。灰を被ってモゾモゾ動く物体を片っ端から捕らえた。王の後宮に侵入した以上、死罪である。不良少年たちは、殺された。そのとき独り、后のスカートの中に飛び込んで、飛び込んで何をしたかは知らないが、生き延びたのが、龍樹である。共に悪事を働いた友人が次々殺されていくのを、ただ震えて見守っていたのだ。スケベェで臆病で卑怯者の不良少年である。
 まぁ、このような<悪人>でも心を入れ替えれば「菩薩」になる、というのが大乗仏教の面白いところかもしれない。善人なおもて往生を遂ぐ、況んや悪人をや(善人でさえ極楽浄土に生まれ変わって幸福になるというのに、悪人が幸せになれない筈がないぢゃないか/仏は衆生の救済を目標に頑張っているんだけれども、善人が極楽に行けるのは<当たり前>、当たり前に極楽に行けない悪人をこそ、仏は救いたがっている。だから、念仏さえ唱えれば、悪人をこそ、仏は浄土へ導く)と説く者まで現れる始末だ。これは、密教呪術から派生したのかもしれない。何せ、当時最高の利益であった極楽浄土への往生を、「南無阿弥陀仏」と唱えるだけで実現できるのだ。最強最高の呪文である。この呪文を口語訳すれば、「阿弥陀仏に帰依いたしますぅ」。即ち、「南無(ナム)」が「絶対的かつ全面的に帰依し奉る」という誓言らしいが、確かに可愛い子猫に、「ニャムゥ」と甘えられたら、放ってはおけない。助けてやりたくなるのが、人情だろう。阿弥陀仏というのは、なかなか侠気がある。けっこう良いヤツなのだ。良い意味での「ごろつき」なのかもしれない。まぁ、イーカゲンなヤツだとも言える。
 ……だから龍樹が少年時代にスケベェで卑怯で乱暴な強姦魔の「ごろつき」であったという話は、遅くとも近世には、かなり博く流布していたと思われる。龍樹には、吹けば飛ぶような枯れたイメージがない。獣じみた猛々しさ、とまでは言わないが、<腕白坊主のなれの果て>、なのである。龍樹は、眼光鋭い「ごろつき」じみた風貌が似合う。

 龍樹の法統を引く小角は、獣じみた猛々しさを有っていた。いや実は龍樹の法統の何処を如何嗣いだのか、よく分からない。龍樹には、大智度論という莫大な著述がある。しかし、小角は、呪術というか行法のマニュアルなどは多く残している、もしくは、残したと伝えられているが、特筆すべき教義を建てたとは聞かない。だいたい彼は、<僧侶>でもなかった。寺に入ることもせず、髪もそのまま、法名すらない。彼は仏教者というよりは、<スーパーマン>として有名だったようだ。彼は信仰者ではなく、彼こそが信仰の対象、神であった。

 江戸期に書かれた幾つかの伝記に於いて、彼は別に民を救済しようとはしていないように思う。一人で勝手に山に登り、色々と怪しいワザを行ってはいるが、何も人の為になっていない。彼は民衆を惑わしていると訴えられ朝廷に捕縛される。彼自身は術を使って捕手を翻弄するが、母親を人質にとられ、自ら縛に就く。母親すら救えないスーパーマンなのだ。結局、彼は<何だかよく分からないけれども、何だか凄そうな人>に過ぎない。
 その何だか凄そうな人には凄味がある。前述の一言主に土木工事を命じるのだが、一言主が「私は醜いから明るい昼間に働くのは恥ずかしいんですぅ。夜だけ働かせて下さぁい」と願うのだが、「うるさい! 昼も夜も働けえっ」と怒鳴り上げ、遂に縛り上げてしまうのだ。今でも一言主は、どこかに縛られたまま転がっているという。此処に於いて小角は、単なるサディストである。このように、<恥ずかしい格好>で縛り転がしておくのを、斯道の人は<放置プレー>と呼ぶらしい。酷い話だ。
 また役君形生記坤巻第二金峰山修行之事に「祈念金峰鎮護之霊神顕瑞相爾時出現弥勒仏行者曰柔和慈悲御像也次化現千手観音行者曰守護此宝山済度濁悪衆生不可合此御体其後現出釈迦仏行者曰此御像難有退六種魔境利益悪行深重衆生厥後堅固不壊金剛蔵王踊出曰昔在霊鷲山説妙法華経今在金峰山示現蔵王身行者拝安置金峰山三国伝記曰後従磐石内踊出金剛蔵王忿怒像而行者渇仰信受……」。
 小角は金峰山に籠もり、信奉すべき仏を考えていた。まず現れたのは、弥勒菩薩だった。小角は「柔和」な弥勒が気に入らないので、無視する。次に千手観音が現れるが、趣味に合わない。こんな弱っちい仏では、金峰山を守護したり、「濁悪」の人々を救済できないと思ったのだ。次に釈迦仏が登場したが、「悪行深重」な人々を幸せには出来ないと考え、やはり捨てる。
 そして最後に「踊出」たのが、蔵王だった。漸く小角は、信奉すべき仏と巡り会った。変な趣味である。この蔵王、此処には書いていないが、役行者本記では「青黒忿怒而右手杵金剛杵左手刀印押腰」(奇特分之三深秘分之一)という格好だ。全身が青黒く、激怒した表情で、右手に先端が三つ又になっている刺殺武器、左手は肘を突っ張らかして腰に押し当てている、という形だ。恐ろしげな仏像には、「青黒」のものが多い。
 私だったら、微かな笑みを讃えた頬にソッと掌を添える、柳腰でスンナリした別嬪さん、広隆寺蔵の弥勒菩薩あたり、好みである。大人の女という雰囲気で、艶っぽい。何を好きこのんで、小角が、むさ苦しい蔵王権現なぞ選んだのか、気が知れない。小角は、どうやら単純なサディストではなかったような気がする。
 単純なサディストでなければ、何だったのか? <複雑なサディスト>ではなかったろうか。複雑、即ちコンプレックス……。役行者顛末秘蔵記に拠ると「小角三歳書字従四五歳不雑賤子常以泥土作仏像以草茎作堂塔投地礼拝……行者七歳之時書梵字養父不知梵文為手曲大怒……」。要するに小角は、可愛くないガキだったのだ。三歳で字を書いたのは、まだ「賢い子やねぇ」で済むが、四五歳になると、通常なら子供同士でジャレ合ったり追いかけっこでもしそうなものだが、たった独りで泥を捏ね回して仏像を作り、草を編んで仏塔に見立てていた。それだけだったら単なる泥遊びだが、大げさなに礼拝の真似までしていたのだ。七歳になったら、サンスクリット語をスラスラ書いた。養父はそんなモノ教えた覚えもないし抑も分からないから、悪戯ガキぢゃなかった悪戯描きだと思って大いに叱りつけた。JISに字がないから引用しなかったが、この後に坊様が通りかかり、小角の天才を認めるというオチが付いている。何連にしろ、可愛くない。私がガキの頃、こんなガキが周りにいたら、きっと苛めていただろう。
 当時の子供たちも、きっと、そう思っただろう。さすがに豪族の子だから「賤子」に苛められはしなかっただろうが、疎外されたに違いない。こういう奴に限って、ワガママなサディストに歪み育ち、超人的な力を獲得したがるような気がする。まかり間違えば、「ごろつき」になりかねない。……<疎外>、これは考えるべき問題だ。小角は、そんな奴だから嫌われて、「民衆を惑わせている」と訴えられたのかもしれない。

 何連にせよ、信仰とは魂の救済である。小角は、大悲によって優しく包み込んでくれる諸仏を排した。激怒し、利器を握りしめ、敵する者を足下に踏みにじり、殺戮し、屍肉を食らう、そんな仏を信奉した。かくも猛々しい仏に依らねば救済されぬ魂……。どうやら、小角って、碌なヤツぢゃない。しかし、彼が民衆の人気を集めたことは、ほぼ確かだったようだ。何故に、こんなワガママでサディスティックで多分は内向的なスーパーマンが、庶民の人気を集めたのか? 実は、よく分からない。上に引いた伝記は、みな近世、十七世紀から十九世紀に刊行されたものだ。即ち、既に戦国の世は去り、とりあえずは平和が訪れた時代である。そして、社会は<固定>された。固定は、疎外すら、固定する。それは、差別に行き着く。差別を撥ね除けるのは、超人的なパワーだ。

 因みに、小角を不用意に「神変大菩薩」と呼んだりしたが、これは決して通称ではない。<公式>なモノなのだ。仏教では、三回忌とか五十回忌とかの供養をするが、千百年忌にも供養をする。千百年とは、子孫も死に絶えているほどの遠い未来だが、十八世紀末、寛政十一(一七九九)年が、小角の千百回忌であった。修験者を統括した寺院の一つ聖護院に、同年一月二十五日付けの史料が残っている。字がないから重要部分だけ引用する。「勅 優婆塞役公小角……示特寵以贈徽号宜称 神変大菩薩」。即ち「神変大菩薩」は、渾名でも何でもなく、公的な称号である。十五年後に刊行された八犬伝の挿し絵でも、小角を「神変大菩薩」と記している。源氏の守護神・八幡宮は「八幡大菩薩」の称号を受けているが、これは、応神天皇を祀った神社だ。小角は天皇の系譜ではない。皇族でもなければ、特筆すべき教義を整えたとも思えぬ、何だかよく分からない小角に対する「大菩薩」号の授与は、異例だったのではないか。小角の伝記が近世にいくつも刊行されたことと併せ考えれば、<役行者ブーム>とでも言えそうな状況が、あったのかもしれない。
 また、役行者本記正系紐に拠れば、小角の父は、「高賀茂十十寸麿君(タカカモトトキマトノキミ)」であり、始祖は「服狭雄尊(スサノオノミコト)」である。スサノオ、あの暴れん坊、荒ぶる神、「ごろつき」のスサノオである。

 小角、ワガママでサディスティック、しかしスーパーマンじみた超能力を持った彼が人気を集めたこと自体、何やら不健全である。まぁ、そういう世の中だったというだけのことなのだが、一体、如何いう世の中だったのか? ……話の途中で行数が尽きてしまった。今回はワザとではない。ちょっとイラン事を書きすぎた。反省している。お詫びに代えて、次の機会にはスケベェ話でもしよう。
 とにかく今回の話は、八犬伝の主宰神たる役行者小角は<怪しい>ごろつき野郎だと言いたかっただけだ。そして、この「ごろつき野郎」のイメージは、更に如何に展開し得るか……、それは「傍若無人 精力絶倫 GoGo! ヤマブー」にて語ろう。

(お粗末様)

                                                   

←PrevNext→
      犬の曠野表紙旧版・犬の曠野表紙