八犬伝第七輯有序

 

世有奇才、然後奇書出焉。有奇書、然後奇評附焉。朱元晦曰、好人難得、好書難得。非但好人好書之難得。好評、亦不易得。何者人之好悪不一。加之、学之深浅、才之優劣、各有用捨焉。是故所読書同、而其所取不同。譬、若彼金聖歎水滸伝評。読者駭嘆称■玄に少/。以余観之、未可尽為■玄に少/也。聖歎尚如此、而況其他乎。近見好奇之士評稗史、徒捜索其瑕疵、批之以理義。便是円器方蓋。更鮮有不損作者面目。或聞余言、嘲之曰、稗説■ニクヅキに坐/記、無用之冗籍、費工災桜、安足道哉。嗚呼、憎無用者、不知用之所以為用也。人之一身、無貴無賤、所起臥、不過一席。然多席為無用之物、廃之可乎。無用者有用之資也。余不貴虚文。所好、乃経籍史伝旧記実録已矣。而毎歳所著、莫非稗史小説。所以然者、何也。書賈揣利以求於余。余欲著之書、書賈不願刻。既已著無益恁地書也、三十有八年于茲。潤筆以購有用之書、則用之与無用、不可得而分別也。宜乎。大声不入里耳。稗史、雖無益於事、而寓以勧懲、則令読之於婦幼、可無害矣。且也、鬻之者、与書画剞鹿■厥にリットウ/刷印製本諸工、咸以衣食於此。抑不亦泰平余沢耶。乃者八犬伝復続稿、■シンニョウに台/于第七輯。毎輯有自序、読者罕矣。又唯述愚衷於端楮、為知音解頤。

 

文政十年丁亥冬十一月之吉曲亭主人撰

 

世に奇才ありて、しかる後に奇書出ず。奇書ありて、しかる後に奇評附く。朱元晦曰く、好{よ}き人得がたく、好き書も得がたし。ただ好人好書の得がたきのみにあらず。好評もまた得易からず。何となれば、人の好悪は一ならず。之に加うるに、学の深浅、才の優劣も、おのおの用捨あり。この故に読む所の書は同じくして、しこうしてその取る所は同じからず。譬えば、かの金聖歎が水滸伝の評は、読む者が駭嘆し■玄に少/と称{たた}う。余を以て之を観れば、いまだ尽{ことごとく}く■玄に少/と為すべからず。聖歎さえ、なお此くのごとし。況{いわん}やその他をや。近ごろ好奇の士の稗史を評するを見るに、ただその瑕疵を捜索して之を批するに理義を以てす。弁{すなわ}ち是、円器方蓋。更に作者の面目を損せざることあること鮮{すくな}し。あるひと余が言を聞きて之を嘲りて曰く、稗史■ニクヅキに坐/記は無用の冗籍、工を費やし桜に災いす、いずくんぞ道{したが}うに足らんや。ああ無用を憎む者は、用の用たる所以を知らず。人の一身、貴きなく賤しきなし。起臥する所は一席に過ぎず。しかれども多席を無用の物と為して之を廃して可ならんや。無用は有用の資{たすけ}なり。余は虚文を貴ばず。好む所は乃ち、経籍史伝旧記実録のみ。しこうして毎歳に著す所は稗史小説にあらざるはなし。しかる所以{ゆえん}は何ぞや。書賈は利を揣りて以て余に求む。余が著さんと欲する書を、書賈は刻むを願わず。すでに、すでに無益恁地の書を著すや茲{ここ}に三十有八年。潤筆を以て有用の書を購えば則ち、用と無用とは得て分別すべからず。宜{むべ}なるかな。大声は里耳に入らず、稗史は事において無益といえども、しかれども寓するに勧懲を以てすれば則ち、之を婦幼に読ましめて害なかるべし。且つや、之を鬻{ひさ}ぐ者と書画剞■厥にリットウ/刷印製本の諸工は咸{みな}以て此に衣食す。そもそも、また泰平の余澤ならずや。乃者{このごろ}八犬伝、復た稿を続けて第七輯に至れり。毎輯に自序あり。読む者は罕{まれ}なるか。また唯、端楮に愚衷を述べて知音の頤{おとがい}を解く。

 

文政十年丁亥冬十一月之吉曲亭主人撰す

 

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八犬伝第七輯口絵

 

【カヤ内を甘利堯元が縛り上げようとしている。武田信昌が見下ろしている。周りは葡萄か。葡萄は甲斐の名産】

 

一念所興四知応怕

 

一念の興る所、四知は怕れに応ず

 

雲とのミ見てやハやまんさくら狩わけ入る山のかひはありけり

 

武田信昌・甘利兵衛堯元・奴隷■巾に厨/内

 

★一念の興る所、四知は怕れに応ず。何がしかの思念が発したとして、暴露{ばれ}たら如何しようとか思うと、其の気が他者に伝わる以心伝心、結局は暴露る。

★雲とのみ見てやは止まん桜狩り、分け入る山の甲斐はありけり。雲だとばかり思っていては、満開の桜を見逃すことになる。甲斐の山は、分け入る甲斐がある。桜も恥じらう浜路姫を見つけることが出来るのだから。後撰集巻三春下に「み吉野の吉野の山の桜花、白雲とのみ見えまがいつつ」一一七がある。遠くの山で広大に花盛りを誇る桜を、山にかかる白雲に喩えたか。或いは、山の一部が満開で春風に散らされた桜花で白く曇っている様を伝えるか。とにかく、咲き誇る桜を雲に喩えるは旧来の修辞

 

【前の浜路が出現している。着衣は蝶紋、裾は薄、前帯。腰を抜かしている後の浜路。着衣は麻葉に桜。傍らに琴と草紙二冊。絵の周りは、上部に千鳥、下部に波】

 

愀然相照鏡中亦有与吾同憂

 

愀然とあい照らす鏡の中、また吾と同じき憂いあり

 

牡鹿鳴く礒山ちかみ小夜ちとりおのか友とや呼ひかはすらむ著作堂

 

浜路・浜路

 

英泉

 

★愀然相照鏡中、亦有与吾同憂。しょんぼりとして鏡を覗けば、自分と同じ憂いを浮かべた者が居る。当たり前のことを言っているに過ぎないが、敢えて詩にすると深みがでる。憂いの時に人は孤独である。他者の干渉を排除する傾向を示す場合がある。しかし実は、独りで居たいわけじゃない。自分のことを本当に理解してくれる者ならば、StandByMe、傍に居て欲しい。とは言え、所詮そんなもん、居るわけがない。と鏡を見れば、自分と同じ憂いを浮かべた、自分が居る。自分だけは、今の自分の気持ちを分かってくれる。本来なら、自分以外の者に理解してもらうことで初めて癒しが得られる。自分は独りではないと確認することこそが救済の道なのだけれども、それすら期待できないほどの深く孤独な憂いの中では、唯一自分を理解してくれる自分を、他者の代用とするしかない。完全に矛盾しているのだが、敢えて矛盾とせず自らの裡に慰めを求めねばならぬ絶望的な孤独。……との感興を詠っているのだろうが、前後の両浜路が互いに鏡像の関係にあることをも示している。「鏡像」と言っても、容姿に就いては恐らく、さほどは似通ってはいない。似通っていないにも拘わらず共通していることこそ、重要なのである。即ち、物質的な共通性ではなく、霊的な共通性こそが、必要なのだ

★前浜路の紋を、羽が細いため蜻蛉{かげろう}と見るむきもあるかもしれぬが、蝶であろう。決め手は触角である。日本伝統の図案化に於いて、蝶は触角で特徴づけられる。木の葉や花に触角を付けて「蝶」を名乗る模様もあるぐらいだ

★後浜路の着衣模様が麻葉と桜である点には注目したい。前浜路が死する時の一張羅は、麻葉に梅であった。梅から桜への転換が見られる。いやまぁ梅は幾ら待ったところで桜になんかなりはしないのだが、思念上では変化し得るだろう。則ち、鯉が龍になるように、梅を桜の下位に置けば、浜路なるものは、梅レベルから桜レベルへ発展したと言える。筆者は、薫り高く丸まっちぃ梅花も大好きだが、天神様には悪いんだけども梅は、やはり桜には一歩譲らねばならぬだろう。浜路は次元が上がったのである。因みに、絵の周囲に描かれた千鳥と波は、「浜」絡みであろう

★牡鹿鳴くは秋の季語。千鳥は冬だが、鳴き交わす鳥として引き出されたか。前の浜路の紋は蛾のようだ

 

【木天蓼丸らしい担当を手にして立つ偽赤岩一角と片膝衝いた牙二郎。偽一角の着衣模様は雲と雷文。絵の周囲に縄・蔓・鉢巻様に結んだ紐・鰹節・木天蓼の枝】

 

由来汝之紅手拭勝似妖狐戴髑髏

 

汝の紅手拭の由来、妖狐の髑髏を載せるに似て、勝る

 

子をおもふ夜の鶴よりかしましや妻思ふ宿の雉子猫の声

 

仮一角にせいつかく・赤岩武遠あかいハたけとほ・赤岩牙二郎あかいハがじらう

 

★「紅手拭」は、化猫を表すとともに、血脈/親子の関係を暗示している。「紅手拭」と「髑髏」とを併せれば、現八が、一角の髑髏に大角の紅い血を滴らせ親子の証拠としたことをも包み込む。直接的には化猫たる偽赤岩一角を、そして間接に真実の親子の誤魔化しようのない繋がりを表す。さて、紅手拭と化猫の関係であるが、長州岩国の巷説を採った「岩邑怪談録」第二四話「普済寺猫踊の事」に「普済寺といふ禅寺の猫、或日の夕飯後に、赤手拭を口にくはへて出ければ不思議に思ひ、小僧、跡につけて行見れば、琥珀といふ所の草原にて、猫ども数々集りて、踊りをおどりける。暫く踊りて、猫ども踊りつかれて帰りざまに、又明日の晩に出逢ひておどらんと、人の如く物いひて別れける社奇怪なれ」とある。猫が化けるに紅手拭いを用いるには、何か典拠あるか。「岩邑怪談録」は「天保年頃ノ老人」である岩国藩士広瀬喜尚翁/通称仁兵衛/が書いた。八犬伝は、どうやら「岩邑怪談録」に若干先行する。故に馬琴が「岩邑怪談録」を参考に、「化け猫」と「紅手拭」の関係を持ちだした者でないことは明らかだ。但し、「岩邑怪談録」は巷説を採ったものであり創作でない点から逆に、少なくとも天保頃に岩国で「赤手拭」と「化け猫」を関連づける発想があったことを示しており、また巷説とは人間なるメディアによって伝播するために、岩国以外、例えば江戸でも流布していた可能性は否定できない。巷説の流布は時間・地域ともに幅をもつものであり、「岩邑怪談録」の存在は、遅くとも天保頃までには、赤手拭猫の話が発生していたことを示すのみである。やや消極的な証明しか出来ないが、上記の如く筆者は考えている。「岩邑怪談録」に就いては、でちょさんに御教示いただいた

★縄と紐は猫ジャラシか。何連にせよ絵の周りは猫の好物であろう

★口絵は、偽一角と、信乃に仇為す紀二郎猫との共通性を明かしている/「夜の鶴」は、白居易の「五弦弾」中の句「夜鶴憶子籠中鳴」などに見られる。鶴が子供思いであるとの通念が背景にあるようだ。他に子供思いの動物には猿があり、「断腸」は、子猿を喪った母猿の思いを謂う。更に云えば、子を思う母のココロは、「夜の鶴、焼野の雉子{きぎす}」と二種の鳥を並べて表現することがある。死すべき【雛】の【衣】となって守り抜こうとする母雉子の哀しさと強さを示す。焼野の雉子は、焼け野原で見つけた雉の黒こげ焼死体の陰に雛が守られている、との表現。偽一角の評句は、此の「夜の鶴、焼野の雉子」の「雉子」を「雉子猫」に換えることにより、雛衣の強さと、一角を殺して妻を奪った偽一角の邪さを対比強調する技巧を用いている。そう言えば、太平記、八犬伝にも引かれ挿絵にも登場する高師直が塩谷判官の妻に横恋慕する挿話の悲劇は、「焼野の雉子」に集約されている。忠義の臣・塩谷判官高貞の美しい妻に高師直は言い寄るが袖にされる。怨んだ師直は主君の尊氏・直義に塩谷を讒言する。危険を察知した判官は暦応四年三月二十七日暁、「ふたごころ有るまじき若党三十余人」を率い、妻と子には「身に近き郎等二十余人」を属けて京から逃げ出し、本国の出雲へと向かう。しかし妻子の一行は播磨の陰山で二百五十余騎の追っ手に捕捉される。「塩冶が郎等ども今は落ちえじと思ひければ輿をば道のかたはらなる小家に舁き入れさせて向ふ敵に立ち向ひ、おしはだぬぎ散々に射る。追手の兵ども物具したる者は少なかりければ懸け寄せては射落し抜いてかかれば射すゑられて、やにはに死せる者は数を知らず。かくても追手は次第に勢重なる。矢種もすでに尽きければ、まづ女性幼き子どもを刺し殺して腹を切らんとて家の内へ走り入つて見れば、あてやかにしをれわびたる女房の、夜もすがらの涙に沈んで、さらずともわれと消えぬと見ゆる気色なるが、膝のそばに二人の子をかき寄せて、これやいかにせん、とあきれ迷へるありさまに、さしもたけく勇める者どもなれども落つる涙に目も暮れて、ただ惘然としてぞゐたりける。さる程に追手の兵どもま近く取り巻いて、この事の起りは何事ぞ。たとひ塩冶判官を討つたりとも、その女房をとりたてまつらでは執事の御所存に叶ふべからず。相構へてその旨を存知せよ、と下知しけるを聞きて、八幡六郎は判官の二男の三歳に成るが母に懐き付いたるをかき懐いてあたりなる辻堂に修行者のありけるに、この幼き人なんぢが弟子にして出雲へ下しまゐらせて御命を助けまゐらせよ。かならず所領一所の主になすべし、と言ひて小袖一重ね添へてぞとらせける。修行者かひがひしく受け取つて、子細候はじ、と申しければ八幡六郎限り無く悦んで元の小家に立ち帰り、われは矢種の有らん程は防き矢射んずるぞ。御辺たちは内に参つて女性幼き人を刺し殺しまゐらせて家に火を懸けて腹を切れ、と申しければ塩冶が一族に山城守宗村と申しける者内へ走り入り持ちたる太刀を取り直して、雪よりも清く花よりも妙なる女房の胸の下を、きつさきに紅の血をそそき、つつと突きとほせば、ああつ、と言ふ声かすかに聞えて薄衣の下に臥したまふ。五つになる幼き人、太刀の影に驚いて、わつ、と泣いて、母御なう、とて空しき人に取り付きたるを山城守心強くかき懐き太刀の柄を垣にあてもろともに鍔もとまで貫かれて抱き付いてぞ死ににける。自余の輩二十二人今は心安しと悦んで髪を乱し大膚ぬぎに成つて敵近付けば走り懸かり走り懸かり火を散らしてぞ切り合ひたる。とても遁るまじき命なり、さのみ罪を造つては何かせん、とは思ひながら、ここにて敵を暫くも支へたらば判官少しも落ち延ぶる事もや、と、塩冶ここにあり、高貞これにあり、首取つて師直に見せぬか、と名のり懸け名のり懸け二時ばかりぞ戦うたる。今は矢種も射尽しぬ。切り傷負はぬ者も無かりければ、家の戸口に火を懸けて猛火の中に走り入り二十二人の者どもは思ひ思ひに腹切つて焼けこがれてぞ失せにける。焼けはてて後、一堆の灰を払ひのけてこれを見れば女房は焼け野の雉の雛を翼にかくして焼け死にたるが如くにて、いまだ胎内にある子刃のさきに懸けられながらなかばは腹より出でて血と灰にまみれたり……」。先行していた高貞は此の後、郎等たちが次々に果たす壮絶な犠牲によって出雲までは逃げ延びるが、権勢を誇る師直の追っ手が迫り恩賞の触れを出すと親類縁者知人までも高貞を狙うようになる。逃げ場を失った高貞は山に籠もって一戦を交えようとするが、其処に郎等の一人が馳せ参じ、妻子の死を告げ、腹を切る。絶望した高貞は、馬上のまま切腹して果てる。太平記巻第二十一「塩冶判官讒死のこと」

 

【闘鶏に興じている四六木木工作と泡雪奈四郎秋実。奈四郎は鉄砲を手にして木工作を睨んでいる。木工作は闘鶏に夢中で気付いていない。扇を開いて立つ夏引は行司役か。絵の周りは、青海波の合間に兎】

 

一妻両夫黒白云判

 

にハとりのぬれてねくらに帰らすは暮るにたてじ春雨の門

 

淫婦夏引いんふなひき・四六城木工作よろきむくさく・泡雪奈四郎秋実あハゆきなしらうあきさね

 

英泉

 

★試記:鶏の濡れてねぐらに帰らずば、暮るに立てじ春雨の門/陰の気が満ち下草を濡らす雨が降る。其の陰気に当てられ濡れた二羽の鶏を共に一つの寝所に招き入れる積もりなのか。まだ鶏が帰ってこないからと言って、日が暮れたというのに、門を閉じていない。門は家の防備/貞操を示し、ひいては陰門/女性器を指す。夏引が夫・木工作ありながら、奈四郎と肉欲の関係にあることを示していよう

★奈四郎が鉄砲を手にして木工作を睨み、木工作は闘鶏に夢中で気が付いていない場面は、奈四郎による夏引との密通と木工作暗殺を暗示している

★単なる馬琴の洒落であったろうから如何でも良いが、泡雪奈四郎秋実は勿論、淡雪梨は秋実る、即ち享和年間頃までに下総国市川で作られるようになった梨の品種「淡雪」からの発想だろう。甲斐→梨→淡雪との{やや捻った}連想であったかもしれぬ。

 

     ◆

三十弐

一同所やはたしらずの薮は八幡宮の門前、南側の路傍にあり。薮の間口漸く拾間ばかり、奥行も又拾間には過まじと思はる。中凹の竹藪にして細竹漆の樹松杉梅栢栗の樹など、さまざまの雑木生じ南の方、日表なれば路傍より能見えすくなり。

元来此薮四方は垣根等の構えなければ麦米粟稗などのよろづの搗屑或は塵芥の捨処とし、薮際より中の様子を見るに甚汚穢して怪異あるべき凄凉き。更に薮には見えねど古来より種々の奇怪の巷談区ありて水戸光圀卿は試し見んと推て此叢林に入、顔色土の如くにして出給ひ、いか様排事はせまじきものよと宣ひしのみにて子細おば更に仰なかりし、などゝ巷談し、或は強気の者、世上の風聞をなじりて此薮に入、久しくして立出、ふるへ/\薮中の怪異を語り終て即時に血を吐死せしといひ、又は誤りて此薮林に入し者は更に出口を失ひ路に迷ふて酔たる如く漸く人に引出されて後、煩ひて死せしといひ、又は里見安房守は六具い身を堅め馬にまたがりたるを見たるなど、むかしより伝ふる処、説々同じからず。されば此薮四角にして凡百坪余には過まじ。殊に雑樹扶疎に生じて繁茂せざれば薮中暗からずして外より一々能見ゆ。

土人に尋るに、怪異の説大同小異也。是、信じがたし。爰に小岩田御番所付名主忠右衛門申けるは、

此やわた宿の南半みち余に行徳領に兵庫新田といふ村あり。彼薮その新田一村の持にして誰人の所持の薮と限るにあらず。故にやはた宿内の薮ながら他村持の地面なれば宿内の者は一切搆はず。依て此薮通り掃除等も■検の木がテヘン/見、又は佐倉の城主通行の節は兵庫新田の百性{ママ}来りて取片付侍れば坪数もしらず。薮の中には何のあるやら元より用なき他村の薮なれば宿内の者這入べき様なし。故にやはたのやはたしらずの薮と申ならはし侍る。

と物語りき。此説こそ実事と思はる。

予五七年以前、里夕巴水の両人を同道し本処さかさい川より両国まで同船せし砌、忠右衛門をも便船せしめ彼より直咄しに聞て日頃の疑念はれたり。総て物事は念入て能聞糺すべき事にこそ。聖人の下聞に恥ずと宣ひしは宜也。

実にも彼竹藪の中弐三間をへだてゝ小さき石の小祠あり。鳥居には注連を引はえたり。若怪異ありて壱寸も踏込がたくは何ぞかくの如きのかざりあらんや。又里見房州等が戦死の凝念、此薮林にとゞまらば一切の搗屑塵芥の類を捨る者に咎めもなく祟らざるは浮説虚談をいひ伝えたる事と覚ゆ。能その本源をわきまへずして万事人には伝えがたし。君子の博く学んで内におしゆるとは金言なるべし。

件の忠右衛門は素丸の門人にして俳諧をたしなみ名を巴川といひける。

後人遊歴し彼薮林を見てしるべし。

……中略……

三十五

一下総葛飾郡市川の渡しを越てより東の方舟橋の駅まで三里余の間、通り筋の村々農家の庭背戸又は畑山間等一面みな棚を拵え梨の樹を植て造り出す事夥し。是土地にあうにや、此辺の梨は淡雪と称じて風味又格別也。

既にやはたの駅橋際川嶋や十平が宅に旅泊せしに庭の外の空き地百四五十坪の内みな梨の樹の棚なり。是程の地処に梨作りていか程の要脚を得るやと問ふ。年々百二三拾金内外は取揚るなりとものがたりぬ。壱軒の家すら斯の如し。三里に余る道路の人家おや。又舟橋の駅三町目佐渡屋堪兵衛宅に止宿して二階より脊戸の明地を見おろすに空き地悉く梨林ならざるはなし。

武州六郷手前より川崎宿西の方は鶴見生麦子安の辺まで村々通り筋の農家に梨の樹を植て作り出すといへども、その土地にて往来の旅客へひさぐのみにして、下総の葛飾郡に比すれば九牛が一毛ならん。甲州の外、江戸の近辺にては下総を第一とし梨に又数品あるが中にも水梨淡雪など最も上品にして此土地の名産たるべし{遊歴雑記初編}

     ◆

 
夏引は淡雪奈四郎と密通した。此を浮気もしくは重婚と見れば、催馬楽の「夏引の白糸七量あり狭衣に織りても着せむ汝妻離れよかたくなにもの言ふ女かな汝麻衣も我が妻の如く袂よく着よく肩よく小領安らに汝着せめかも」が思い起こされる。此の場合の「夏引」は「なつひき」であり、夏に柔らかな繭から引く上等の絹糸だ。ふんわりと靡く。

蜻蛉日記応和二年の辺り、兵部卿章明親王が五歳年下の藤原兼家に執拗な便りを出す。兼家は兵部大輔であり、章明親王は上司に当たる。兼家は物忌のためと称して出仕せず、藤原道綱母のもとに、しけ込んでいたのである。通釈として、恐らく兵部卿宮が兼家を心配して便りを送ってきたと考える。兼家は少納言から異動したのだが、少納言は内閣官房の如き位置であり官位が低くても昇殿し枢機に与る。兼家は四位に昇進したが一省庁の次官となることで、昇殿できなくなった。しかも兵部大輔は五位相当であるから、拗ねちゃったのである。「世中をいとうとましげにてこゝかしこかよふよりほかのありきなどもなければ」{蜻蛉日記}、仕事もないので珍しく藤原道綱母の家にノンビリ二三日も居続けしていた。道綱母は大喜びであるが、其処に章明親王がチョッカイを掛けてきたのだ。親王は、「乱れ糸の官{つかさ}一つになりてしも来る/繰ることのなど絶えにたるらん」対して兼家は「絶ゆと云へばいと/糸ぞ哀しき君により/撚り同じ官に来る/繰る甲斐もなく」ここで終わらず親王「夏引の糸ことわりや二匁三匁寄り/撚り歩く間に程の経るかも」兼家「七ばかりありもこそあれ夏引の糸間/暇{いとま}やは無き一匁二匁に」親王「君と吾なほ白糸の如何にして憂き節無くて絶えんとぞ思ふ」……実は歌の応答は続くが、此処までとする。兵部卿の宮が五歳年下の兼家の肉体を狙って執拗に誘っているのではない。いや、そうかもしれないが、歌の世界は愛欲に仮託する場合が多いので、大目に見ておく。兵部卿の宮は「褥で散々乱れて一つに撚った糸の如く、せっかく同じ職場になったのに来てくれないんだね」と恨み言、兼家は上の空で「へぇへぇ、でもね旦那、心が撚り合わさっているのですから、切れちゃいませんよ」と適当に答える。宮は更に「俺以外の愛人二三人と絡み合いよじれ合っているうちに時間が経ってしまい、俺の所は後回しってワケか。そりゃ俺は、もうすぐ数えで四十だけど」兼家は「催馬楽で夏引の糸と云えば七匁でしょ、さすがに七人も愛人はいませんわな。でもまぁ実際、一人二人はいるわけで……でも、其れが原因ぢゃありませんよ。方違いだって云ったでしょ」宮「いいや、俺とオマエは、まだシッカリ撚り合って堅く結び付いてはいなかったワケだ。別に何ということもなく、関係が自然消滅しちゃうんだから」。上記の歌の応答では、「夏引の糸」の匁が愛人の数を意味している 
 

【舟に立ち鼓を打つ浜路姫。着衣は桜模様。雲模様のものを羽織る。頬杖を衝いて照文が耳を傾ける。船尾の船頭は出来介】

 

苫舟のおなしなかれにすみ田河こころくまなき月の夜の友 著作堂

 

出来介・あま崎十一郎てる文・重出五のきみ

 

★試記:苫舟の同じ流れに隅田川心隈なき月の夜の友/浜路姫は鼓を構えている。鼓と言えば、能である。人商人に攫われ奥州へ行く途中で死んだ梅若丸を追い、都から下ってきた狂女/母の物語「隅田川」と無関係ではあるまい。攫われた子/梅若は悲劇の死を遂げ、狂女ならぬ浜路は安房から攫われ目出度く生還する。二つの物語の対比によって、八犬伝のエピソードを際立たせようとしているのか、それとも、浜路姫は浜路に乗っ取られ、元の浜路ではなくなっている/死んでいることを示しているのか。弓張月に於ける、白縫と寧王女の関係を思い出す。それとも、在原業平が名句「名にしおはばいざ事とはむ宮こどりわが思ふ人はありやなしやと」古今和歌集四一一/を思い出せば、別れて来た愛しい人/信乃への慕情を示しているか

 

 

 

冰輪冷艶擅清光銀漢斜添雁一行船倚枯葭桜樹岸人忘栄利宿鵞傍

斑姫哭子狂何甚在五思京諷詠芳月色今宵千古似秋寒徹水覚風霜

九月十三夜墨水賞月即事

玉照堂主人

 

氷輪は冷艶として清光を擅にす。銀漢に斜めに添う雁が一行。

船は枯葭桜樹岸に倚し、人は栄利を忘れ鵞の傍に宿す。

斑姫の子に哭するや何ぞ甚しき。在五の京を思える諷詠は芳し。

月色は今宵、千古に似る。秋寒く水徹りて風霜を覚ゆ。

九月十三夜に墨水に月を賞し事に即して

玉照堂主人

 

★斑姫は「班女」即ち、梅若を追ってきた母を指す。在五は在五中将すなわち阿保親王アホシンノーとは読まずアボシンノウと読むが通例/の息子にして希代の色男・伊勢物語の主人公たる在原業平の通称。前出「名にしおはばいざ事とはむ宮こどりわが思ふ人はありやなしやと」で有名か。班女は墨田河畔に留まり尼となって梅若の菩提を弔った。寺は江戸・向島の木母寺であって、都鳥の名所・橋場から向島まで墨田河原は、桜の名所。「桜樹岸」は、此の辺りであろう

 

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第六十二回

 

「船虫奸計礼度に説く現八遠謀赤岩に赴く」

 

【大角の庵に大角・氷六・船虫・雛衣が会す。大角の着衣は繋ぎ雷文。雛衣の着衣は沢瀉。船虫の打掛は未詳だが下に繋ぎ雷文の衣を重ね着。次の間に現八が潜み船虫の伴が玄関先に腰掛け後ろ姿を見せている。現八の着衣は菖蒲革と犬】

 

返璧の庵に船虫禍胎を贈る

 

現八・角太郎・氷六・鮒むし・ひなきぬ

 

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第六十三回

 

「短刀を携来て縁連師家を訪ふ衆兇と挑みて信道武芸を顕す」

 

【偽一角宅。上座に一角。傷を負っているためか鉢巻。団吾・東太・飛伴太・溌太郎が控えている。縁連が箱を開け驚いている。箱に収めた袋から短刀が漂い出ている。縁連の着衣は雲模様の羽織に繋ぎ雷文の袴。外から現八が窺っている】

 

縁連使して短刀をうしなふ

 

よりつら・ハッ太郎・飛伴太・東太・一角・団吾・現八

 

【偽一角の道場。現八が縁連の腕を押さえ東太の首筋に木刀を打ち込み更に溌太郎を膝下に圧し団吾の木刀を足で踏みつけている。飛伴太は脇腹を押さえて屁垂り込んでいる。上座の牙二郎が立ち上がり刀に手を掛けている。偽一角が座ったまま制している。一角の着衣は繋ぎ雷文に花。船虫が窓から覗き込んでいる。壁には「火用心」。また革で包んだ竹刀と木刀が掛かっている】

 

勇を奮て現八よく五兇を挫ぐ

 

牙二郎・一角・ひばん太・団吾・よりつら・現八・ハッ太郎・東太

 

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第六十四回

 

「現八単身にして衆悪と戦ふ縁連・牙二郎、信道を逐ふ」

 

【偽一角、夜の庭。現八が牙二郎・東太・団吾・溌太郎と対戦。飛伴太は既に斬られ屁垂り込んでいる。奥では墓内・尾江内が倒れている。墓内は首を落とされている。雨戸を開けた縁では縁連が弓をつがえている。船虫が矢を差し出している】

 

衆兇挟て夜現八を害せんとす

 

よりつら・鮒虫・牙二郎・東太・ひばん太・現八・をえ内・はか内・団吾・ハッ太郎

 

【大角を左右から責める縁連と牙二郎。雛衣が止めようとしている。竹縁に立つ偽一角、胎児を入れるためか小さな壺を持って控える船虫。現八が縮こまって押入に潜んでいるところが、ちょっと変かも】

 

牙二郎逸東太双で角太郎を詰

 

ひなきぬ・牙二郎・角太郎・よりつら・現八・一角・船むし

 

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第六十五回

 

「■オンナヘンに息/に逼て一角胎を求む腹を劈て雛衣讐を仆す」

 

【主調が二つ。手前で雛衣が割腹し玉を迸らせる。玉は一角の右胸に当たりダメージを与える。船虫は短刀を握ったまま仰向けに倒れている。奥で大角が現八に短刀を振り上げている。その腕を取り滴る血を髑髏に注がせる現八。衝立の裏から部屋を覗き込み驚く縁連。牙二郎が仰向けに倒れている。雛衣の着衣模様は麻葉に沢瀉】

 

金玉瓦礫はじめて判然

 

よりつら・一角・牙二郎・船虫・角太郎・現八・ひなきぬ

 

★犬士に深く関わる美少女三人、前後の浜路と雛衣の着衣模様は、前浜路が麻葉に梅、後浜路が麻葉に桜、雛衣が麻葉に沢瀉、である。共通せる麻葉そのものに意味があるや否やは判りかねる。単に意匠上の必要かもしれない。幾何学的であるため主張するところ少なく、背景になり易い面に依るかもしれない

 

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第六十六回

 

「妖邪を斬て礼儀父の怨を雪む毒婦を丐て縁連白井に還る」

 

【大角が猫の姿を現した偽一角の腰辺りに短刀を刺し込むところを膝を衝いた現八が見届けている。牙二郎の落とされた首も半ば猫となっている。猯と貂の生首が転び、山の神と土地の神が雲に乗り去っている。船虫を後ろ手に縛り上げて捕らえる縁連。雛衣亡骸とある箱には七宝模様】

 

邪魔人畜悉皆頓滅

 

土地の神・山の神・ひな衣なきから・現八・逸東太・ふなむし・山ねこ・角太郎・猯まミ・貂てん・牙二郎

 

★陀羅尼系の真言か。書き下す程のものいではないし、書き下さない方が其れらしい。ジャマジンチクシッカイトンメツ。「悉皆」と云いつつ、船虫・縁連は生き延びている

 

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第六十七回

 

「礼儀義家禄を捨つ船虫謀て縲絏を脱る」

 

【大角宅の小宴。赤岩・犬村の村長と氷六。それぞれの前に椀。大皿に刺身らしきもの。山里ゆえに鯉か。次の間から女性が大きな魚を持ち込もうとしている】

 

名を改めて大角留別の小集す

 

犬飼現八・犬村大角・村長・村をさ・氷六

 

★此処で大角が着けている紋は、後に使う蔦紋ではないようだが、杏葉牡丹でもないように見える

 

【褥の上で酒を飲む縁連と船虫。障子の下部に鹿と蝶の絵。次の間に従者二人が寝ている】

 

笛の音によるてふ鹿ハあし引の山のさち雄を妻とし惑ふらむ ■頼のしたに鳥/斎

 

船虫・逸東太

 

★障子の下部に描かれている絵は、花札の意匠にも使われている、紅葉に横向き鹿。花札では十月のカードであり、鹿が横を向いて此方を見ていない、即ち気付いていない、シカト{無視}の寓意ともとれる。障子で仕切られた次の間に寝る従者二人が、縁連と船虫の情事に気付いていないことを意味してもいよう

★笛の音に誘き出されるという鹿は、あし引きの山の猟師を配偶の牝だと誤解して惑う。猟師は牝の声を模した鹿笛で、牡鹿を誘き寄せることは古来民俗として知られている。この場は船虫が猟師、縁連が牡鹿。表面だっての役回りは、縁連が船虫を捕らえた猟師役だが、船虫の罠に掛かったため立場が逆転し、縁連の方が【獲物】となっている。因みに牡鹿の牝呼ぶ声はアハレとされ、秋の歌に繁く詠まれている。かなり性欲の強い動物と思われたか。鹿角は精力増進薬として、現在でも用いられている。荷物に逸東太の名

 

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第六十八回

 

「穴山の枯野に村長秋実を救ふ猿石の旅宿に浜路浜路を誘ふ」

 

【信乃が鉄砲を振り上げ奈四郎を打ち懲らそうとしている。媼内は頭を抱えてひっくり返っている。木工作が信乃を止めようとしている。奈四郎の脇に獲物の兎】

 

甲斐の道中に信乃奈四郎を懲す

 

をバ内・犬塚信乃・あハ雪な四郎・よろぎ木工作

 

【木工作宅、夜の部屋。信乃と後浜路が向かい合って座る。後浜路には前浜路が憑依。机の上には太平記。次の間には棒を握って討ち入ろうとする出来介と座って制する夏引。窓から腕を組んだ木工作が窺っている。信乃の着衣模様は花柄、後浜路は梅、帯は麻葉。夏引は花小紋】

 

有花不語春鳥寄声有水無意蟾蜍遺環 蓑笠題

 

花ありて語らず。春鳥、声を寄す。水ありて意なし。蟾蜍は環{たまき}を遺す

 

出来介・なびき・はまぢ・信乃・木工作

 

★花が咲いているが、何も語らない。代わりに春鳥が声を寄せてくる。水には、意ココロなんてない。蟾蜍が、玉を遺す。後の浜路は何も語らず、代わりに前の浜路が語りかけてくる。信乃には下心はないが、木工作は浜路を信乃に娶せようとする。即ち、此の歌は、後の浜路を花、前の浜路を春鳥、水を信乃、蟾蜍を木工作に喩えている。花とは眼前にある【形を持った者】即ち、後の浜路だ。春の花が語りかけてくるように感じるが、実は、姿の見えない鳥/前の浜路の囀りに違いない。前の浜路が後の浜路に憑依して、信乃への思いを言い募る場面である。しかし水気の犬士・信乃には下心なんてない。にも拘わらず木工作は信乃を見込んで浜路に娶せようとし、結局は横死するのだが、玉なる後の浜路を遺す。玉は万物の美称であると同時に、犬士達の身分証明である。玉は、犬士を象徴すると言い得る。犬士が玉に象徴されるなら、犬女も玉で象徴されて何の不都合やある。雛衣も「玉」と言い換えられていた。ところで読本には何度か書いたが、蟇は土気である。和漢三才図絵に蟾蜍が土精であると書かれてあると、執拗に書いてきた。五行の理に於いては、土克水、土は水を堰き止める機能を有している。此の挿絵に続く第六十九回のタイトルは、「仕官を謨りて木工作信乃を豪留す」である。正しく、信乃は木工作に【堰き止められる】のだ。其処まで考えると彼の苗字「四六木」が、【四六の蝦蟇】から来ているであろうと察しもつく。なお、読本で述べた如く、此の場で夏引が身に着けている着物の模様は、亀篠の普段着と同様だ。一方、後の浜路の着物は、前の浜路が死の直前に着ていた物と同様である。着物の模様によって、夏引・後の浜路と亀篠・前の浜路の関係が、同様のものであると知れる。ただ、全く総てが同様であるのではなく、蟇六と木工作が対称的な人物像であることから、単純な反覆によって足踏みするのではなく、物語は螺旋の如く捻れて前進していく

★信乃の着衣模様は花柄。第二十二回、兵書訓閲集を読む信乃の部屋を前浜路が訪れた。この時と同じ着衣と考えられる。少しく異同あるが、絵師の別に依るか。後浜路の着衣模様は梅で帯が麻葉。第二十二回時、前浜路の着衣模様は麻葉地に撫子もしくは朝顔をあしらったものであった。第二十五回には、絣模様に蝶紋を付けた着衣を纏う信乃のもとに、市松地に梅をあしらった着衣の前浜路が夜這に行く。浜路口説再現の図である。また、死を決した前浜路が纏う着衣は麻葉地に梅をあしらったものであった。首つり自殺は未遂に終わり、此の着衣のまま網干左母二郎に掠奪され殺された。筆者は前浜路を象徴する花を梅と規定し、就中、麻浜地に梅が前浜路一世一代の晴着と考えている。自らを象徴する美しい着物に袖を通し、死地に赴く前浜路こそ、やはり女の中の女であろう。ここ第六十八回で後浜路の着衣模様は格子地に梅のようだが、升目を交互に塗り分ければ市松となる。塗り忘れか、市松にすると五月蠅くなることを嫌ったか。とにかく第二十五回と同様の衣装を後浜路に纏わせ、浜路口説を再現しようとする意図が見える。夏引の花小紋は、亀篠の衣装と同一の模様。少なくとも浜路の養母であり、信乃との配偶を妨げようとする点で夏引と亀篠は共通する

 

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第六十九回

 

「仕官を■ゴンベンに莫/て木工作信乃を豪留す給事を薦て奈四郎四六城を撃つ」

 

【奈四宅前。路上で撃たれた木工作が仰け様に倒れかけている。傷口から鳥や獣の霊が湧き出て木工作を責めているよう。鉄砲を手にして門口に立つ奈四郎。左右に控えたカヤ内・媼内が驚いている。媼内の着衣は轡模様、カヤ内は菖蒲革。共に蟇六の下僕時代に荘介が纏っていたものと同様】

 

拙工不成自又破之

 

拙き工{たくら}み成らずして、自ら又これを破る

 

禽獣の怨霊ハ文外の画なり看官宜意をもて解すべし

 

かや内・奈四郎・をバ内・木工作

 

★奈四郎は権威をカサに着れば相手が従うものだと、恐らく自分を基準にして考えたのだろうが、娘・浜路の幸せを願う木工作は、信乃こそ婿にと考えているので、従わない。蟇六との対称性が際立つ。詰られた奈四郎は怒りに任せて木工作を射殺する。温厚そうな木工作が、喧嘩腰で口説した理由は、挿絵にしか描かれていない。即ち、余りに鳥獣を殺したために、獲物の怨霊に祟られ、言わずもがなの言葉が口を衝いて出たのだろう

 

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八犬伝第七輯巻之五に附記す闘牛並に小狗の略説

 

闘牛は原西羌の戯なり。西陽雑爼境異篇云亀茲国元日闘牛馬駝為戯七日観勝負占一年羊馬減耗■クサカンムリに繁/息也といへり。是より先に三国の時、魏の曹植が牛闘の詩に、行彼山頭■炎に欠/起相■テヘンに唐/突、といひしは二牛の自然に闘へるなり。事は太平広記又野客叢書(十二)に見えたり。又淵鑑類函(巻四百三十五牛部)に仇池筆記を載て、牛闘尾入両股間、といへり(闘牛竪尾図経識者指摘見五雑爼)又昭代叢書(巻二十六)竹枝詞の附録土謡部苗人を詠ずる詞に、身被木葉挿鶏頭銅鼓家家賽闘牛、といふ句あり。注に、歳時召親戚■テヘンに過/銅鼓闘牛於野■圭にリットウ/其負者祭而食之、といへり。唯牛のみにあらず、西域には闘羊闘■壱のヒなしに石木/駝さへあること右の如し。されば又瀛海勝覧云、勿魯謨斯国羊有四種大尾綿羊重七八十斤其尾闊一尺余■テヘンに施のツクリ/地重二十斤狗尾羊如山羊尾長二尺余闘羊高二尺七八寸前截毛長■テヘンに施のツクリ/地後半剪浄頗似綿羊角彎向前上帯小鉄牌好闘好事者養之賭博為戯(類函)、か丶る事を鑿出さば猶いくらもあるらんを大かた似たる事なれば此に許多せず。又按ずるに、周末戦国の時、角觝の戯を為れり。憶に秦晋北燕なンど胡国に近かりし諸侯彼闘牛に擬して、この戯を作れるならん。正字通角字注に、角觝戯名觝通作抵六国時所造両々相当角力相抵漢武元封二年作角觝戯史記李斯伝作■穀のノギヘンが角/抵張騫伝作角■抵のツクリ/、と見えたり。

 

(■穀のノギヘンが角/觝の■穀のニギヘンが角/、史記李斯伝・音学・西京雑記巻三、秦末有白虎、見於東海、黄公乃以赤刀、往厭之、述既不行、遂為虎所殺、三輔人俗、用以為戯、漢帝亦取以為角觝之戯焉。又按、述異記云、秦漢間説、蚩尤氏耳髯如剣戟、頭有角、与軒轅闘、以角觝人、人不能向、今冀州有楽、名蚩尤戯、其民両両三三、頭載牛角、而相觝、漢造蓋、其遺製也。又闘牛の事は事物紀原巻九にあり。考フべし)

 

角は競なり。觝は抵なり。唐山の俗語に言葉戦を角口といふ、その義これと同じ。角觝は力士牛頭を戴き両々相当り相抵て勝負をなせり。その形勢宛闘牛に似たり。是則今の角力の権輿なり。闘牛は本邦にもむかしより越後州古志郡二十村に在り。人多くこれを知ざるのみ。吾友鈴木牧之は越後魚沼郡塩沢の里長なり。いぬる庚辰年春三月二十五日予が為にその地に赴きて闘牛を観て手づから図説を為りておこしたり。牧之云二十村は地方の■テヘンに総のツクリ/名なり。闘牛の地所は定りたることなし。毎歳三四月の間雪の消果るに及びて寅申の両日の吉辰をえらみてこの事あり。土人は牛の角突と唱ふ。原是件の村々の城■ツチヘンに皇/なる十二権現の祭祀によりてこの戯を興行すといへり。この闘牛の光景は本輯第七の巻に載たればこ丶に具にせず。左の図と合し見るべし。原図は牧之の筆するもの、紙中甚闊して且二三頁あり。そを縮図して漏さず■衣の上下間に臼/めて欄■氏のしたに巾/一ト頁の中に尽せしは画者渓斎の筆力に成れり。上古には陸奥はさらなり越後近江さへ夷俗に擬せられて夷長を置せ給ひしよし国史に見えたれば、この闘牛の戯はいとふりたる風俗の波及にこそあるならめ。昇平既に久しうして辺鄙も文物に乏しからねば今は東奥北越の尽処までも夷めきたる事はなきに此闘牛の戯の偶越後に遺りしは古俗を知るの端崖ならずや。■ニンベンに尚/崔安潜をして世に在しめば神遊して見まく欲するなるべし(崔安潜好看闘牛見五雑爼人部三)

 

因にいふ、ちぬは(ちひさいぬの略辞なりと閑田■田に井/筆に見えたり)払菻狗の種類なり。一名は哈叭狗一名は馬鐙狗又これを■ケモノヘンに過のツクリ/といふ。唐高祖武徳中高昌(国名)献狗、高六寸長尺、能曳馬銜燭、云、出払菻、中国始有払菻狗(唐書適要)天朝は則淳和天皇の天長元年渤海国より契丹(国名)の■ケモノヘンに委/子を献りぬ(■ケモノヘンに委/通作■ケモノヘンに過のツクリ/)類聚国史(殊俗部)云淳和天皇天長元年四月丙申、覧越前国所進渤海国信物並大使貞泰等別貢物、又契丹大狗二口■ケモノヘンに過のツクリ/二口在前進之、これ天朝に異邦の小狗あるはじめなるべし。■ケモノヘンに過のツクリ/子も払菻狗に類せる矮狗なり。天宝遺事云、天宝末云云、上夏日、嘗与親王碁、令賀懐智独弾琵琶、貴妃立於局前、観之、上数子将輪、貴妃放康国■ケモノヘンに過のツクリ/子於坐側、■ケモノヘンに過のツクリ/子乃上局、局子乱、上大悦、といへり。これらによりて■ケモノヘンに過のツクリ/子の小狗たる事を想像るべし。払菻狗は稲若水の本草綱目別集に留青日札肇慶府志呉県志を引て考証あり。若水云、今之矮爬狗、即古小狗之種、蓋与中国狗交、而漸高大者也。馬鐙狗、長四寸、可蔵之馬鐙中(留青日札摘要)番狗、長毛■マダレに卑/脚、身絶小、高四五寸、為哈叭狗、来自京師、最貴(肇慶府志)犬小者、有金獅■モンガマエに市/獅(呉県志)今按ずるに近来この間に畜る小狗は絶小きもの稀なり。今の小狗に八種あり。そを鬻ぎて生活になるもの丶俗呼を聞くに所云八種は、つまり・ちやんぱげ・かぶり・小かしら・しかばね・りうきう・さつまたね・まじり、是なり。つまりは、その毛つまりて長からぬをいふ。ちやんぱげは占城毛なるべし。かぶりは、頭毛長く垂れて面上を掩ふをいふ。小かしらは、頭ちひさく眼大なるもの、これを上品とす。しかばねは、鹿骨なり。痩てその脚長きもの下品なり。りうきうは、琉球より来たる小狗なり。さつまたねは、琉球狗とこの土の小狗と尾りて生れるをいふ。この故にその耳垂れずして形円かり。まじりは、小狗と地狗とまじはりて生れるをいふ。又紅毛狗と尾りて生れるもあり。紅毛狗は、地犬よりちひさし、穀食せず或は魚鳥或は琉球芋もてこれを養鮒り。強て飯を食しむれば稍大きくなれり。この他小狗を養ふにくさぐさの口伝あり。且常に用ふべき薬方、子を産する時のこ丶ろ得など、いと多かり。これらのよしを書きつめて好るものに示さばやと思ひつ丶さる暇のあることなければ久しうして得果さざりき。こはその崖略のみなれど八犬伝の名にしおふ小狗の事しも漏さじとて諳記のま丶にしるすになん。

文政十年丁亥冬十一月大寒前六日

蓑笠老逸

 

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第七十回

 

「指月院に奸夫淫婦を伴ふ雑庫中に眼代戍孝を捕ふ」

 

【住職の居ぬ間に寺で密談する夏引と奈四郎。重箱を開け酒を飲んでいる。外で媼内が控えている。菖蒲革模様の着衣に「尾」字紋。庭で無我六が作業をしている。背後に斑犬】

 

昼無住院に竊憩して奈四郎夏引と密談す

 

なひき・な四郎・をバ内・むが六

 

★むが六の背後に然り気なく斑犬が寄り添っている

 

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第七十一回

 

「冤尸を検して尭元姦を知る禅院に寓して旧識再会す」

 

【立ち姿の信乃が十手を振り上げる捕手四人に囲まれている。捕手の着衣は瓢箪模様。別の一人が浜路を捕らえようとしている。浜路の着衣は縦縞に梅。出来介が小刀と摺箔の産着を持っている。産着には篠竜胆紋。画面の奥には堯元と三人の捕手が夏引と出来介を後ろ手に縛り上げている。捕手の着衣は波模様】

 

鼠璞非璞兎絲非絲其名同而其物異也

 

鼠璞は璞にあらず。兎絲は、絲にあらず。其の名は同じうして、其の物は異なるなり

 

慎之慎之出於爾返於爾者也

 

慎めや慎めや、爾に出て、爾に返るものなり

 

信乃・はまぢ・出来介・なひき・出来介・たか元

 

★「堯元」が出来介と夏引を捕らえようとする場面で捕手の着衣は唐草文様である。対して信乃と浜路を拘束しようとする捕手の着衣は、瓢箪である。此の事は記憶に留めておくべきだろう

 

【指月院。丶大と信乃が対面。傍らに道節と照文。奥の座敷に浜路。給仕をして立ち上がったところの念戌。道節の羽織は雷文、袴は雲模様。浜路の着衣は裾に梅模様、胸と袖の紋は梅】

 

ふたつみつひとつになるや露の玉 以作者少時所吟發句為賛{作者の少オサ/なき時に吟ずる発句を以て賛と為す}

 

はまぢ・念戌・俗同宿・住持・仮眼代・信乃

 

★前の浜路と同様、浜路姫にも梅が似合う

 

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第七十二回

 

「三士一僧五君を敬ふ信乃・道節甲主に謁す」

 

【大鷲に掴まれた幼い浜路。産着の紋は篠竜胆。下に麻葉模様の着物】

 

応仁の昔かたり三才の息女鷲に捕らるところ

 

【指月院境内。武田信昌と丶大らの対面。信昌と道節の袴は雲模様、信乃の袴は繋ぎ雷文】

 

石禾の寺に信昌二犬士を知る

 

道節・ちゆ大・信乃・たかもと・のぶまさ

 

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第七十三回

 

「仇を謬て奈四郎頭顱を喪ふ客を留て次団太闘牛に誇る」

 

【信乃に首を落とされる奈四郎。腕組みした道節が見届けている。木の後ろで窺う媼内。画面奥では浜路の駕籠に付き添う照文。五羽の鳥が田に降りている】

 

五の君を送る道中に信乃はからずして仇を撃つ

 

五の君・てる文・道節・信乃

 

主を賊して媼内更に亡命す

 

をバ内・奈四郎

 

【牛を力づくで抑え付ける小文吾。着衣模様は瓢箪と鯰。牛の背後で力士二人が転けている。別の牛力士五人と磯九郎が見守っている】

 

自若として小文吾暴牛を駐む

 

うし力士・牛力士・いそ九郎・牛力士・牛りき士・小文吾・うし力士・牛力士

 

★暴れる須本太牛の角を押さえ付ける小文吾の着衣は、「瓢箪と鯰」柄である。以前に手負い猪を押さえ付けて捕らえたときの着衣は、別の柄であった。瓢箪鯰と云えば、ヌルニュルした流線型の鯰を丸くて縊れた瓢箪で押さえ付けることが出来ない、即ち捕らえることが出来ない、捉え所がない、ほどの意味をもつ慣用句である。しかし小文吾は、須本太牛をガッチリ押さえ付けて捕らえた 

 

 
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