◆伊井暇幻読本・南総里見八犬伝「番外編 黒き衣の神」
                                                                                         -日本ちゃちゃちゃっシリーズ2-

 大黒さんを御存知だろうか。槌を持ち、怪しげな袋を背負い、ニタニタと不気味に笑う、彼だ。槌は打出の小槌と呼ばれる呪具であり、振れば何でも欲しい物が手に入る。和製サンタクロースと言えなくもないが、彼が来るのはクリスマスではなく、正月だ。正月二日の夜、彼は槌を握りしめ、ニタニタと枕元に忍び寄る。とは言え、訪れるのは彼だけでなく、六人の仲間と一緒だ。うち一人だけが女性(別嬪)で、武将が一人、他は爺ばかりだ。武将や爺に夜這いを懸けられても嬉しくないので、もし私の枕元に来ても、弁天様だけ置いて、帰って貰う積もりだ。
 彼らに会いたければ、彼らを描いた一枚刷りを枕元に忍ばせておくと良い。私は寝相が悪いので試したことはないが、効果は覿面だという。一枚刷りは、何処に売ってるかって? さて……季節になれば新聞のチラシに入っているが、馬琴の時代には、神田明神の辺り、まさに彼の近所だが、嬬恋稲荷なる小社がある。其処で売っていたらしい。現在、ラブ・ホテルが軒を連ねている地区だ。人目を憚りつつも欲望を露わにした男女が行き交う街に在る神社、なかなか微笑ましい光景だ。閑話休題。

 大黒さんである。好々爺みたいな顔をしているが、こういう奴ほど、キレると恐い。何処を見ているか判らぬ程に細めた目、何を考えているか解ったもんじゃない。
 実は、彼ほど凶悪な神は他に類例を見ない。犠牲者の肉体から噴き出す血潮は彼にとっての美酒、叫喚は妙なる音楽として彼の耳には心地よい。彼は、あのニタニタ顔で、破壊と殺戮を繰り広げ、倦むことがない。だいたい、あの袋、怪しすぎる。何が入っているか、御存知だろうか。勿論、見た者はいない。猛悪なる彼が、袋の中を覗き見た者を、無事におく筈がないではないか。覗き見た者は彼の槌によって頭蓋骨を粉砕され、死人に口なし、語ることが出来なくなる。が、話は伝わっている。見た者がないのに、何故、話が伝わっているかって? オホン、男は細かいことを気にしないものだ。噂では、袋の中には、生皮を剥がれた血塗れの兎が入っていたらしい。しかも兎は生きていた。皮を剥がれた兎が、血みどろとなって弱々しく四肢を震わせていたという。おぉ、恐ろしい……、神よ、救いたまへ。

 「赤き衣の男」ではサスペンスを目指したが、今回はホラー路線に挑戦してみた。感想は不要だ。失敗したことは自分で解っている。あだしごとはさておきつ。大黒天は別名、摩訶迦羅(マハーカーラ)、世界を破壊する黒き神である。が、これは仮の姿、正体は印度古代で最も重要な神の一柱であった、破壊神・シヴァだ。シヴァなぞと云うと、何やら我が国の文物とは無関係に聞こえるが、何のことはない、彼はチャッカリ日本文化にも入り込んでいる。日本での彼の名は、大自在天、有名な仏教守護神だ。また、大自在天は、天照太神の本地仏(仏教理念空間に於ける本体)大日如来の因位(前身)、普賢菩薩と一如であるとされている。翻ってシヴァは破壊神とされるが、起源を、より古いルドラ神にもつ。ルドラ神はモンスーンの神格化であり、太陽神ヴィシュヌと対になって信仰されていたらしい。かかるが故に湿婆(シヴァ)も暴風雨/モンスーンの神であり、荒神であった。彼の猛悪なる暴力的側面を摩訶迦羅、大黒と呼ぶのだ。ところで大黒は、真言密教に於いて胎蔵界曼陀羅外金剛部院を主宰しており、其処に属する白晨狐菩薩(ビャクシンコボサツ)は、女性形で描かれたりする。彼女を「(白)狐」と呼ぶのはダテではない。別名・陀吉尼(ダキニ)、八犬伝に於いては変態管領・細川政元が耽溺した外道の本尊だ。政木狐とも無関係ではなかろう。所謂、お稲荷さん、である。そしてまた、彼女は「白」ではあるけれども、日本の民俗では、赤い鳥居の神社に祀られる。この赤色は、火炎を象徴すると云われてもいるが、火克金の理により、夜叉と比肩し得るほど凶悪な彼女を封じ込めているのかもしれない。閑話休題。

 近世、人々の崇敬を集める一方、恐怖の対象でもあった狐なる彼女の黒幕こそ、大黒であるのだ。ところで大黒/大自在天には、別嬪の奥さんパールヴァーティーがいる。其の偶像は、だいたい、引き締まった肢体、長い脚、そして何より巨乳のナイス・バディなんである。うひょぉ! 巨乳で思い出したが、大己貴なる神が坐す。馬琴の御近所さん、神田明神の主祭神だったりするが、此の点に就いては後述するけど、まぁ、兎に角、大己貴なる神が坐す。オホムナチである。「大」は其の儘に、ムナチを「胸乳」と解せば、「大胸乳」、巨乳となる。わぁい、巨乳巨乳ぅ。……勿論、冗談だ。

 大己貴は記紀神話にも登場する偉大なる神である。が、ちょっと情けない所もある。彼は苛められっ子だったのだ。多くの兄たちは寄って集って彼を慰み者とした。弄んだのである。何たって彼は、水も滴る美少年だったのだ。
 大己貴、兄たちに苛められ、何度も殺されかけた、といぅか、本当に殺されたこともある。兄たちは、石で猪を象り、其れを真っ赤になるまで焼いて、大己貴に向かって転げ落とした。兄たちから、「猪を捕らえろ」と命じられていた大己貴は、真っ赤に焼けた石に抱きついた。……馬と鹿の区別もつかぬ者を「バカ」と呼ぶが、彼は石と猪の区別もつかなかったのだ。彼は死んだ。と、二人の美少女「キサ貝比売」と「蛤貝比売」が現れ彼の全身に、即ち二人の美少女は美少年を全裸に剥いたわけだが、美少年の母、多分は美女だった女性から乳汁を揉み出し美少年に塗りたくった。「貝」は女性器の隠語でもあるが、其れはさて措き、二人の美少女は死した美少年を全裸に剥いて、「乳汁」を塗りたくった。サロメなんかメぢゃない。劇しく淫靡な光景だ。ヌラヌラと淫らに輝く全裸の美少年……が、いきなり起き上がった。生き返っちゃったのである。生き返って、また何処かに「遊」びに行っちゃうのだ。

 或る日、大己貴は重たい袋を背負って浜路をトボトボ歩いていた。苛められっ子・大己貴は、兄たちのパシリだから、荷物を強引に持たされていたわけだ。兄たちから随分と遅れて独り歩いていた大己貴の前で、真っ赤な兎が泣いていた。……兎って、如何に鳴くんだっけ、まぁ良い、兎に角、真っ赤な兎が真っ赤な目をして泣いていた。此の真っ赤な兎、自ら言うことには、白兎であった。鰐(鮫?)を騙したために生皮を剥がれたのだ。即ち、自業自得、同情の余地はない。放っておけば良いのだ。が、大己貴は同情した。底抜けに馬鹿な奴だ。兎に構って時間を無駄にすれば、苛めっ子の兄たちに如何に酷い事をされるか解ったものではないではないか。それとも、この美少年、兄たちに苛められ虐げられ弄ばれ慰み者にされたがっていたのか。マゾ美少年である。マゾ美少年は兎に、蒲の穂綿にくるまれば治ると、教えてやった。兎は治癒した。

 このように、彼は数々の苦難を乗り越え、そして何時の間にやら残虐な男に変じた。劣等感や艱難が人を成長させるなどということは、稀にしかない。よほど自らを強く律せねば、卑劣なことをしても自ら許す脆弱な人間性に結果する。過去の苦難が、現在の彼を正当化しちゃうのだ。彼は後に、自分を苛め抜いた兄たちを滅ぼし、王者として君臨する。が、彼は国土を、いとも簡単に他人へ譲渡する。

 大己貴、またの名を大国主、彼こそ大黒、古代印度の暴風雨神にして、仏教守護神たる大黒に習合された神である。そして大黒は、其の名の通り、黒い。其の偶像は印度に於いて、保食神として食堂に飾られた。そして油を以て磨かれたため黒くなったとも云うが、密教寺院の食堂にも飾られたようだ。

 大国主が大黒と習合された理由として、ときに「大国」を「ダイコク」と読み得るからとか云われる。それも真実の一側面であろう。が、何やら強引というか、取って付けた印象は否めない。勿論、取って付けたモノでも、信じた者がいれば、それはソレで真実になるのだろうけども、より説得力のある論理をこそ採用したい。結論を云えば、其れは、大国主が素戔鳴尊の子孫であるからだ。

 神代紀に拠れば、素戔鳴尊の両親はイザナギ・イザナミで、天照太神(太陽神)、月読尊(月神)、蛭児に続いて生まれたことになっている。素戔鳴尊は良い歳になっても、ワンワン泣いてばかりいた。乳幼児なら泣いて可愛くもあろうが、髭面マッチョが泣いたとて五月蠅いだけだ。しかも名だたる暴神であるから、泣いてもタダでは済まない。彼が泣くことによって、人民がバタバタ死んでしまった。怒ったイザナギは、素戔鳴尊を「根国」に追放した。「根国」が何処にあるか比定は難しい。とにかく、死者/亡者の国のようだ。イザナギは根国に行って、走って帰ってきた経験がある。よって根国はイザナギの住む世界と<地続き>だったことが分かる。

 此処までの話で明らかになった事は、素戔鳴尊が多分、暴風雨を象徴していることだ。それは、彼が髭面になっても、泣き続けたことから窺える。涙が雨、叫喚が風であろう。素戔鳴尊の「スサ」は、やはり「荒(スサ)む」の「スサ」だろう。暴威を振るう、雨と風、これが彼の正体だ。このことは、彼の出自が日本を創造した神・イザナギの系譜であり、しかも太陽と月を姉兄(/姉?)とする、最高の格を以て描かれている点から補強し得る。

 日本人に限らず、人にとって、水は大切なものだ。飲み水だけではない。特に日本の如く水稲農業を長らく主要産業としてきた者にとっては、干魃は命取りだ。雨が降るか否かは、重大な関心事であった。水に纏わる神々は本来、太陽神と同じように、高い尊格を与えられたであろう。古代印度で、太陽神ヴィシュヌとモンスーン神ルドラが共に最高の神格を与えられていたように。

 暴風雨神・素戔鳴尊の乱暴によって、天照太神は天磐戸の裡に隠れた。太陽を隠すとは、暴風雨の一面である。が、太陽神を陵辱するほどに強力な素戔鳴尊も、天神の群に捕らえられた。脱毛され、天界を追放された。天界を追放された素戔鳴尊が何処に行ったかと言えば、出雲国であった。……確か素戔鳴尊、根国に追放されたんじゃないかと思うのだけれども、別段、イザナギは怒っていないみたいだし、これで良いのかもしれない。素戔鳴尊は、八岐大蛇を退治して一人の少女を救う。此の事件を転機に、素戔鳴尊のキャラクターは大幅に変わる。救った少女と結婚するんだけど、初夜、歌を読んだりする。彼は日本で初めて歌を詠んだ男となるのだ。あの、荒ぶる神が、である。後に彼は子孫の大国主に色々と課題をだし成長させる、智恵ある神として現れる。あ、そぉそぉ、八岐大蛇を殺しズタズタに切り刻んだ素戔鳴尊は、尻尾から(蛇って何処から尻尾なんかな)一本の剣を見つけた。「天叢雲剣」、これが後に「草薙剣」と呼ばれる神器である。

 暴風雨である故に太陽を隠した素戔鳴尊を、水神だと私は解釈している。ソレというのも、神代紀一書に拠れば、イザナギは三人の子供に役割分担を命じた。天照と月読には天界を治めさせた。そして、素戔鳴尊には、海を支配するよう命じたのだ。暴風雨を司り、そして海を支配する。ならば、両者の共通項こそ、素戔鳴尊の本質であろう。だから、水だ。素戔鳴尊は水神であるによって、互いに異なるモノでも、水に関わるが故に暴風雨と海、双方を管轄し得るのだ。また、水気の神と断定できれば、五行説を導入できる。太陽とは即ち火気である。ならば、水克火の理によって、素戔鳴尊が天照を克することも、納得がいく。暴風雨と限定しなくとも、いや元来は水気なんて抽象的な概念ではなく、もっと分かり易い脅威、暴風雨を出自としていたんだろうけども、何時の間にやら水神という、より普遍的な存在に昇格したのだ。それは例えば、五行説の移入によって可能になる、概念の成長でもある。

 「赤き衣の男」に於いて、火気を象徴する動物が「朱雀」だと言った。では、水気を象徴する動物が何かと言えば、「玄武」である。「玄」は「黒」だ。黒は水気の色である。玄武は、とても奇妙な形の生物だ。いや、表現は簡単に出来る。亀に蛇が巻き付いている形なのだ。どうやら蛇は、北方/水気に関わる動物と考えられていたようだ。そしてまた、火気を標榜した天武に祟る以上、草薙剣/天叢雲剣は水気の剣でなければならない。また、大国主は、この暴風雨神もしくは水神・素戔鳴尊、黒き衣の神の末裔である故に、「大黒」と習合された可能性もある。水気は黒に象徴される。

 水気を象徴する神・素戔鳴尊が、水気を象徴する蛇を倒し、水気を象徴する剣を取り出した。これは、何を意味しているのか? 最も単純な解答、得てして解答は単純な方が正解だが、最も単純な解答は、水が制御し得るようになったこと、元来は暴風雨として認識され故に氾濫として人々を苦しめていた自然の脅威が制御され、自然の恵みへと変換した瞬間を語っているのだ。八岐大蛇をズタズタに切り刻む素戔鳴尊の姿は、灌漑工事を暗示してもいようか。通りすがりの暴れん坊・素戔鳴尊は、自らを制御する神となったのだ。剣という呪具となって。では、何のために素戔鳴尊は灌漑を行ったか。農耕の為だ。何を植えたのか。稲だ。彼は八岐大蛇を倒し救った少女の名は、「奇稲田姫(クシイナダヒメ)」であった。灌漑の成果が、稲だった。それだけのことだ。暴風雨は暴風雨だから暴風雨に過ぎないが、水気の神ともなれば、ちょっとワケが違う。水気は、五常のうち「智」を表現する。水気の神となった素戔鳴尊は、それまでの暴れん坊とは別人の様になる。風雅に歌を詠み、そして賢者として、子孫の大国主を導いたりする。ヤンチャな面影は、それは暴風雨神として当然の資質であったはずだが、消えている。

 素戔鳴尊の暴力は、八岐大蛇退治を以て、発現しなくなる。これは、言い換えれば、天叢雲剣の出現によって、素戔鳴尊の暴力性が消滅していることでもある。あったAがなくなり、なかったBが現れた。ならば、AがBに変換されたと見るべきだろう。天叢雲剣は、素戔鳴尊の力そのものということになる。

 水気の剣・天叢雲剣を獲得した素戔鳴尊は直後に、天照太神へ天叢雲剣を奉ったともいう。即ち、天照が、嘗ては素戔鳴尊のために一旦は滅ぼされた天照太神が、まさに素戔鳴尊の力を手に入れるのだ。暴風雨/水は太陰である。天照は太陽である。太陽が、太陰の力を手に入れたのだ。このことは、太陽が、単なる火気の象徴から、五行すべてを主宰する存在へと、昇格したことを意味している。日が、陽も陰も含んでしまうのだ。中華帝国の天子でさえ成し得なかった、革命論の超克が可能となる発想だ。陰にして陽、陽にして陰、表面上は照り輝く火気、しかし根底に暗く冷たい水を湛える深淵を内包することこそ、唯一の逃げ道だった。

 また、旧唐書の「日本国者倭国之別種也以其国在日辺故以日本為名……云日本旧小国併倭国之地」なる表記から、「小国」/「日本」が、「倭」を併合したことが分かる。勿論、「倭」は国土もしくは領域を指すと同時に其の政権をも表し得る。そして、天智までは中国と国交があったのだから、天智から継承した大友皇子の近江朝は、まさしく「倭」と名乗るに相応しい。一方、此の「日本/小国」こそ、天照太神を信奉した、火気たる烏合の衆/賊軍、大海人が率いた吉野勢力であった、かもしれない。天武・持統朝は、如何やら中国と絶交していたようだから、当時の状況を直接に窺うことは出来ない。が、旧唐書の記述は、二人の孫・文武の時に中国へ派遣された使者が語ったものだ。時代は、さほど隔たっていない。しかも、旧唐書以前の極東地誌には、日本のニの字も出てこない。各種の情況証拠が、大海人皇子と「日本」の関係を仄めかせている。

 二回に亘って記紀を取り上げた。書いていることは、さほど新鮮味がなかろう。記紀を一読でもすれば、自然と発想できるほどの安易な話だ。既に近世の日本書紀研究は、かなり高度な次元に達している。伴信友なんて、日本書紀の記述から大友皇子を天皇であったと推定している。「赤き衣の男」で述べたように、私は日本書紀に於ける「天皇」は「君主」なる意味ではなく、飽くまで<天武朝が認定した限りでの君主>と考えているから、伴の考えには同意できないのだけれども、方向は同じである。また、伴より以前、水戸史学でも、大友皇子を天皇として扱っていた。私も大友皇子の方が正統なる皇位継承者だと思うので、其の意味では「天皇」だと考えて差し支えないと思っている。現在の皇統譜なんぞより近世史学の方が、合理的に記紀を読解していたのだ。馬琴は、まさに、そのような合理的な史学の雰囲気の中で、稗史を書き連ねていた。そう、問題は、馬琴だ。八犬伝の話をしている筈なのに、何故に二度も記紀の話題を持ち出したか。その理由は……、楽しいからだ。楽しかったので、次の機会にも、記紀を取り上げさせていただく。ある英雄に纏わる話題「番外編 吾嬬者耶」である。
(お粗末様)
 

                                                   

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