■伊井暇幻読本・南総里見八犬伝「八犬伝の数理学」七・七バランス4

 此処で現八に就いて考えよう。彼は奇妙にも「犬」を紋所としている。軽輩とはいえ、彼の養父は武士であったし、八犬伝の書かれた近世に於いて武家社会は完成した秩序をもっていたので武士ならば紋ぐらいあったと設定されてなくてはならぬ。犬飼家にも元々紋はあっただろう。また、大角ならば偽一角によって汚された赤岩の家名・名・紋を捨て、養家であり雛衣の実家たる犬村家の紋を継ぐことは自然だが、現八の場合、糠助なる立派な実父の存在を知らされたとはいえ「犬」とは無関係だ。現八は養父に愛着をもっている。恐らく犬飼家の紋が、元々「犬」だったのだろう。苗字の一字を図案化し紋とすることは、ままあったようだ。
 犬士は身分証明として、何連も「犬」の字を苗字に使っている。だいたい「書言字考節用集」の〈数尽くし〉からして、よくぞ「犬」なんて苗字には敬遠されるような言葉を使い、しかも日本語として不自然には聞こえないものを八つも集めたと感心する。まぁ犬山とか犬塚など地名には残っているし、犬は古くから人間と関わってきた動物だから、あり得ぬ苗字ではない。そして苗字の一字を紋に使うことがあるから、現八の犬紋も存在を否定できない。が、それにしても変だ。他の犬士だって犬紋を使う資格はあるのに、何故に彼が独占するのか。大角を論じた部分で、大学頭は従五位相当官だと指摘した。それは、近世の学問的権威・林家とイメージをダブらせるためだと考えた。現八の「兵衛権佐」も従五位相当官であることは、夙に指摘している。従六位なら大尉だ。間尺に合わない。また、「書言字考節用集」に於いては「源八」だった彼が、「現八」になってもいる。彼は犬士の中で特別な地位を与えられているのではないか。
 そう考えてくると、苗字「犬飼」からして特殊に思えてくるから不思議だ。「犬飼」は「犬」を冠した苗字で最も耳慣れている……とのみ言えば牽強付会の譏りを免れまい。裏から言う。信乃の「犬塚」は「大塚」から変えたものだ。其の逆を考える。犬江・犬川・犬村・犬坂・犬山・犬塚・犬田は各々、大江・大川・大村・大坂・大山・大塚・大田に変えても違和感がない。独り犬飼のみ、「大飼」にはなりにくい。抑も「犬飼/犬養」は、日本武尊の子孫として紀にも載る由緒正しい氏名だ。現八は、「犬」の中の「犬」、「八」の中の「八」なのではないか?
 彼は地味だ。対管領戦で大軍勢に向かって単騎、大見得を切る場面があるが、信乃や毛野、道節みたいな派手さがない。しかし、彼が動くとき、大きく話が動く。芳流閣の決闘、大角の発見など、物語に不可欠な存在であることは間違いない。そういった資質は彼の信玉にも表れているのではないか。筆者は「信」を土徳に比定している。土は五行に於いて、中央の徳だ。北方が水、東方が木、南方が火、西方が金。そして犬士の徳を見てみると、信乃(孝)・毛野(智)・小文吾(悌)を水とした。荘介(義)は金、道節(忠)と大角(礼)は火、親兵衛(仁)は木。
 五行は森羅万象すべてに配当される。数も例外ではない。此の場合、一から十までを扱う。それ以上の数は、とにかく一の桁に注目する。十で割り切れたら土だ。一がスタート、十が上がりで、且つ、零/無だ。五行は、循環する。五行に於ける数(一乃至十)には、一から五の生数と六から十の成数、二種がある。成数は一から五の生数に、各々五を加えたものだ。生数は、水が一、火が二、木が三、金が四、土を五とする。成数は土の生数五を、それぞれの生数に加えたもので、水が六、火が七、木が八、金が九である。五が奇数だから、生数と成数の間には、次の様な性格もある。即ち、太陰なる水の生数一であり奇数であるによって陽だが成数となれば六であり偶数であるによって陰となる。同様に、太陽たる火は生数で陰、成数で陽となる。少陰の金は生数で陰、成数で陽。少陽の木は生数で陽、成数で陰。太陰は陽に生じ陰と成り、太陽は陰に生じ陽と成る。少陰は陰に生じ陽と成り、少陽は陽に生じ陰と成る。更に、水火木金の生数を合計すれば十、土の成数となる。土の成数は、他四気の生数を総て含んだものとなる。土は他の気を総て含んだものであるから、中央に配置される。水は北、火は南、木は東、金は西だ。
 犬士らは如何か。彼らは男ばっかりであり、集団としては純陽である。しかも牡丹、牡(おす)の丹であるから、これ以上ないってくらいに〈陽物〉だ。が、八は、木気/少陽を本質としながらも、安定した陰である。そして彼らの中央に在る者は、土気たる信玉であろう。一方には、陰の犬士たち、信乃・毛野・小文吾・荘介がいる。また一方には、陽の犬士たち、大角・道節・親兵衛がいる。信乃・毛野・小文吾は、それぞれ水気の一、荘介は金気の四、合わせて七。大角・道節は、それぞれ火気の二、親兵衛は木気の三、合わせて七。犬士は現八を中心に、七・七のバランスをとっている。もっとも此は、仁義礼智忠信孝悌の必然だ。しかし、八徳の微妙な均衡を採用した以上、八犬伝は此のバランスに従属せねばならない。

 かなり乱暴ではあるが、八犬伝のうち犬士の特筆すべき場面、離合集散を基準に、二十六段を考える。以下の様なものだ。括弧内は犬士中の登場人物である。
 A大塚の契り(荘介・信乃)。B円塚山小競り合い(荘介・道節)。C芳流閣上の決闘(信乃・現八)。D古那屋での巨尻鑑賞(小文吾・信乃・現八)。E房八義死(小文吾・信乃・現八・親兵衛/現八は場面に登場しないものの屋外で守衛していた)。F刑場荒らし(小文吾・荘介・信乃・現八)。G大八神隠し(親兵衛)。H道節の影武者討ち(小文吾・荘介・信乃・現八・道節/影武者討ち自体は道節単独だが連続する戦闘シーンに他四犬士が巻き込まれる)。I荒芽山の邂逅(小文吾・荘介・信乃・現八・道節)。J船虫登場(小文吾)。K対牛楼の殺戮(毛野・小文吾)。L返璧悲話(現八・大角)。M穂北漂流(現八・大角)。N指月院(荘介・道節)。O猿石に於ける浜路再来(信乃・道節)P夏行・有種陵辱(信乃・現八・大角・道節)。Q越後譚(小文吾・荘介)。R諏訪騒動(毛野・小文吾・荘介)。S船虫虐殺(小文吾・荘介・信乃・現八・大角・道節)。T毛野仇討(毛野・小文吾・荘介)。U定正兜狩り(現八・大角・道節)V五十子攻略(信乃)。W結城法会(毛野・小文吾・荘介・信乃・現八・大角・道節・親兵衛)。X国府台合戦(信乃・現八・親兵衛)。Y行徳口攻防(小文吾・荘介・毛野)。Z洲崎沖海戦(毛野・現八・大角・親兵衛)。
 各場面に、なかなか勝手なタイトルをつけたが、解って頂けるムキには、解っていただけよう。アマチュアの強みだ。あだしごとはさておきつ。これら二十六段のうち、陰陽の犬士が所を共にする条(くだり)はBEHINOPSWXZの十一、陰の犬士のみはAKQRTVの六、陽の犬士のみは皆無だ。陰でも陽でもない現八と共に、陽犬士のみが関わるシーンはLMUの三、陰犬士のみが関わる場面はCDFの三だ。概観すれば、如何やら現八が陰陽の犬士を繋いでいるように見える。しかし、現八が関わらないまま陰陽の犬士が共に在る話が、BNPYの四つある。現八を中心とした七・七バランスがあると仮定すれば、陰陽の犬士が現八抜きで共働することはオカシイ。仮説を捨てるべきであろうか。
 そうは思わない。B(円塚山の小競り合い)は、妖刀・村雨を巡って荘介と道節が争っている。この段階で二人は相性が良いとは言えない。即ち、共働ではない。寧ろ打ち消し合っているのだ。N(指月院)に金気(陰)・荘介と火気(陽)・道節は仲良く到着した。が、まぁ如何な道中だったか書かれていない。しかも指月院では犬士全員の父でもある丶大が介在していることを忘れてはならない。また、荘介と道節は指月院を拠点とするが交替で旅に出て仲間の犬士を探している。共に在る時間が最小限であり、しかも丶大なる介在者が存在している。P(猿石に於ける浜路再来)でも指月院と同様に、浜路(姫)なる介在者がいる。水克火、相克の関係にある信乃を道節が救っている異常事態は、浜路の存在抜きには考えられない。前後の浜路に本質的な差別は無い。何連も信乃と配偶するべき女性だ。そして前後の浜路が本質を共通するならば、前の浜路の異母兄・道節は、里見五の君・浜路姫の〈兄みたいなもん〉だ。信乃にとっては、〈義理の兄みたいなもん〉となる。信乃・道節は、五行の理を超えて、結び付かなければならない。しかし勿論、此の場合でも五行の理は機能している。抑も浜路は「浜」なる語彙からしても水気だろうが、道節にとって(本人は気にしていないにしても)忌まわしい存在である筈だ。道節は一度絞め殺され母親を毒殺されているが、其の悲劇を思い起こさせる存在が浜路であった。故に浜路は里子に出されたと、八犬伝には書いてある。〈苦手〉な浜路との兄妹の義理から信乃と止むなく関わっているのだから、時を移さず丶大の居る指月院へ連れ帰る。Y(洲崎沖海戦)も、単純に陰陽同席とは言えない。洲崎の本陣に水気の軍師・毛野は在るし、サラマンダー道節は洲崎から船出して海戦を開始、火の犬士・大角は対岸から海戦に馳せ参じようとする。しかし毛野の立場は全軍を総覧する元帥であり、海戦ばかりに関わっているわけではない。京帰りの親兵衛が国府台戦を経て洲崎に来れば、本陣を放っぽり出して行徳口に走り、愛しい小文吾の胸に飛び込んだ(?)。この異動に依り、洲崎本陣は陽犬士が独占し、行徳口は陰犬士三人の戦場となる。W(国府台合戦)は元々現八が居るから、信乃と親兵衛が共存し得るし、信乃は親兵衛の後見人もしくは仮の父親である。更に言えば、陰/水気・信乃と、陽/木気・親兵衛が疑似親子関係にあり相性が良いことは、水生木、五行相生の理に依り保証されている。

 再説する。現八以外の七犬士は、毛野・小文吾・荘介・信乃を陰、大角・道節・親兵衛を陽に分類できる。そして陰陽の犬士を繋ぐ者が、中央・土気たる現八だ。但し、中央に在るからといって、彼の資質が最高だとは限らない。彼は道節ほど人を殺したがらないが、余り上品な部類でもない。Pで夏行を辱めようと笑いながら提案した者こそ道節だが同席した三犬士の反応は、次の様なものだった。「現八聞つつ笑坪に入て、その義寔におもしろし。快々立出給ひね、と応をしつつ身を起こせば、信乃は笑つつ点頭のみ。大角は然ばかりにあらずもがな、と思へども否といはんはさすがにて」(第八十四回)。彼等の性格が能く表れている箇所だ。道節ほどではないにせよ、現八には、野蛮な面がある。此の側面は、国府台合戦に於いて単騎、管領の大軍を追い散らしたエピソードでも窺える。此処では、信乃に窘められるオマケ付きだ。また、第百五十三回、対管領戦を控えて毛野が「八百八人」の計を口にした時、理解し得た犬士は信乃・大角・荘介の三人。道節・小文吾・現八の三馬鹿トリオは、「八人」の部分しか解らなかった。親兵衛は京へ使いに行って不在だった。また、第百八十回上、信乃の結局、井戸の修復で信乃が巨石を運ぶよう頼んだ相手は小文吾であった。小文吾こそ、怪力無双の犬士なのだろう。そして百斤ばかりもある石を持ち寄り修復作業に携わった犬士は、親兵衛・道節・現八の三人だった。妖怪人間・親兵衛は別格として、道節・現八も力自慢であることが分かる。ただ武芸に於いては、芳流閣上で信乃を追い詰める程の冴えを見せたし、京にまで、いや辺境であった赤岩にまで名前をとどろかせていた武芸者「二階松山城介」の高弟であったのだから、或いは技術面では最高だったかもしれない。まぁ、誰にでも何か一つぐらいは取り柄があるものだ。
 ことほど左様に〈最高の犬士〉とは言い難い現八であるが、(ガキのくせに)犬士の「随一」を名乗る親兵衛と比べれば面白い点に気付く。確かに妖怪人間・親兵衛は、実力があるかは判らないのだが、一種の超能力者と言える。少なくとも、表現する所の者は、最強最高なのだ。が、しかし、一様に従六位に叙せられた犬士たちの中で、親兵衛も官位相当の兵衛尉に留まっている。対して現八は、親兵衛にとって直接の上官に当たる兵衛権佐(従五位相当官)に補されている。大角が従五位相当官を受けた理由は前述した。そして現八も他犬士より一級上の官職を受けており、しかも最も目立つ親兵衛の上位に立っている点は、見逃すべきではない。中央に坐すべき土なる犬士・現八、馬琴が彼を重視していたことは、明らかだ。それが故に「犬」を紋所とし、犬士共通の姓・金碗に通じる神余の城主となり、主君筋の里見義通と同格の官職を受けた。その原因たるや、先祖の英雄的行為でもなく尊属が謀殺された悲劇でもなく、ただ単に、親が役行者の縁地・洲崎に住む善良な民であったことに依る。これは、もう一人の従五位相当官・大角にも共通して言える。大角も、ただ観音の聖地近くに生まれたからこそ犬士となった。馬琴は、人為よりも、神の拠る地に住む善良な人の心に神霊が宿ることこそ優先したのか。
 此処で解釈を留めたら、八犬伝は古くさい前近代世界観に冒された宿命論小説だ……なんて薄っぺらい誤読に陥ってしまう。八犬伝は、宿命論も受け容れている。宿命に依る偶然性を全く排除する非合理な思考を、馬琴が採る筈もない。神霊の憑依した現八・大角は確かに有能である。が、他犬士に優越して魅力的かと言えば、そうでもない。どちらかと言えば、地味めだ。比べて人為による犬士たち、毛野・道節が如何に生き生きしているか、信乃・荘介が如何に苦闘を乗り越える力強さを持っているか。祖先筋の英雄的行為すなわち人為が影響しているものの、安房関連犬士・小文吾・親兵衛が、苦悩葛藤少なく育つために比較的物語性に乏しい点からも、面白さに於ける「人為」の優位性は裏付けられる。
 馬琴の真意は知るべくもない。しかし現在に於いて上記の様な読みが可能であることが、時代を超えた馬琴の天才を証明している。そして「人為」にこそ魅力を感じ、行動原理に据える人々が増えれば、社会は動く。閉塞・固定した社会に於いて、ダイナミズムこそ求められる。多くの人たちが農民として土地に縛り付けられて生きていた時代、一部の者達のみが、流動していた。流動する者は、固定された者達とは、違った倫理に生きていたであろう。流動する者とは、現八の養父が勤めていた飛脚であり、房八の如き水運業者であり、小文吾の様な侠客であり、そして武士であり浪人であった。親兵衛以外の犬士は必ず流浪の日々を長く送っている。親兵衛も安房・京間を二往復しており、八百比丘尼の謀略によって半浪人の生活も少しだけ経験した。まぁ親兵衛は在らずもがなの数合わせ犬士である可能性もあるから、此の程度の「流動」で仕方がない。
 固定化されない流動する者のみが、社会を流動させる力を持つ。実際、八犬伝の少し後には、浪士たちが新しい時代の原動力となった。

 また八犬伝の「人為」は、己を確立した個人が連帯することで、大きな成果を得られることも教えている。犬士たちは、いや犬女たちも、属する集団の意思に〈融和〉してはいない。己の信ずる所に従って語り、行動し、しかして協同している。己を確立せぬまま集団思考、上位者や付き合って都合の良い相手の思考を鵜呑みにし利用して都合良く捻じ曲げて、「偽/人為」の言説を弄ぶことは、八犬伝では悪役の所為だ。しかし、この様な〈郷原〉は、安定し固定化された社会では一般的な性向だし、個を確立した者なぞ却って邪魔者扱いされる傾向にある。其れは止むを得ない面もある。が、固定化することによる矛盾が極大化したとき、流動する者が求められよう。尤も、孤独に陥る覚悟もないままフリだけする似非者が筍生し余計に混乱を招きもするが、国乱れて忠臣現る、犬士たちを生み出すのは、神や仏の意思ではなく、実の所、社会の良心だ。八犬伝に於いては、穂北の民ほど積極的でなくても、番作一家を見守る大塚の人々、小文吾に忠告する鎌倉の老人など、が登場する。彼等は権力もなく学もない、ただ朴訥な人たちだろう。いや、いくら智を弄ぼうとも、智は水気、器となる物次第では、人々を殺戮する凶器となる。器たり得るは金(義)木(仁)土(信)であり、何はともあれ信/土を中央に置くことが必要となる。朴訥なる人たちは、自らは智を持たないが、智を方向付ける器として重要な機能を有している。彼等の〈自然なる人為〉が、澱みを洗い流し浄化すべく、智を有用なものとする。「偽」がニンベンに為だからと言って、人為を偽と解してはならない。
 しかし言うは易く行うは難し。人為を信じ宿命例えば当時生存の与件であった階級・身分差を無化すべく、八犬伝の三十年後には明治維新が強行された。……いや、維新の正体は、そんなものではなかったが、時を移さず自由民権運動が勢いを得た点からして、本来、維新はアンシャンレジュームのリセットを目的としていたことが逆説的に理解できる。「維新」で文化の基底は、断絶しなかった。体制の形が変わっても、其の中で流通するコミュニケーションの質が変わらなければ、変わったうちに入らない。しかも社会で優位に振る舞う支配層集団は、革命的なほどには変わらなかった。例外的な存在は何時の時代にも居るが、其れを以て社会の流動性を過大評価する論こそ無意味だ。さほど大きな配置転換は起こらなかったようだ。此の事情は、大東亜戦争前後でも同様である。何故なら、変えたがらない人たちがいたから。八犬士の様に、権力の座に座っても、為すべきことのみ為して、フラッと消えたりはしない。居座り続けて老害を撒き散らす。また閉じた集団内で権力の保持を目指すため、似た者同士の再生産、澱み腐敗する。八犬士の進退は、(広い意味での)「世襲制」を否定した、民主制の理想形態でもある。馬琴の夢は、未だ実現していない。(お粗末様)

  
  

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      犬の曠野表紙旧版・犬の曠野表紙