新蒟蒻物語「若妻を取ること」夢幻亭衒学

 今は昔、本院の左のオトドと言う人がいました。藤原時平。貞観年間から延喜の陰謀渦巻く宮廷でのし上がった政治家です。左大臣ってのは、今で言う総理大臣です。また、当時は平安時代で最も華やかな時代でした。
 時平は政治闘争に於いて、菅原道真を陥れた張本人として悪役にされています。かなり狡猾な人だったようです。ただ、やり手はやり手でして、律令体制の建て直しに多くの実績を挙げ、法整備、歴史書の編纂など、実は菅原道真より賢かったんじゃないかって思うくらい。当時、美男子ってのが出世の条件でもあったんですが、彼は十分その条件を満たした人だったようです。若しかしたら、「二枚目にイイ奴はいない」という醜男の嫉妬により、悪役に祭り上げられたのかもしれません。
 そう、今回は時平が主人公です。やり手で狡猾で二枚目なら、これは、もう、不倫をするしかない。彼が人の若妻を取った話でございます。
 

 藤原時平。父は基経、日本最初の関白になった人。時平は若い頃、藤原氏嫌いの醍醐天皇に冷や飯を食わされていたが、ライバル道真を蹴落とし地盤を固めた。以後、天皇は、何故かは解らぬが、美青年だからと時平を寵愛した。寝技の政治家だったのかもしれない。
 彼には、兵衛佐(さひょうえのすけ)平定文という悪友がいた。この定文、「平」という名字から解るように桓武天皇の曾孫に当たる賎しからぬ家筋なのだが、人品卑しく、「俺のチェックを受けいない女はいないぜ」と豪語した当代随一の好色男。こんな悪友がいるぐらいだ。時平も潔白なワケがない。実際、「この大臣は色めき給へるなむ少しかたわに見え給ける」(この大臣は、スケベェであられるのが玉に瑕だ:今昔物語)と、言われている。
 性の狩人・時平は獲物を物色するが、なかなか、コレといった相手が見つからない。身近にいるのは、食指が動かないか、もうヤッった女ばかりだった。そこで同好の先達・定文に、
「エエ女おらんけぇ」これに答えて定文は、
「俺の見た中じゃ、お前の伯母さんが一番だぜ」
「伯母ぁ、オバァはヤだよぉ」
「ばぁか、ほら、大納言国経の御新造さんさ」
「何、言ってやがんだ。国経伯父貴は、もう八十歳のヨボヨボだぜぇ」
「あれ、お前、知らねぇの? あそこの奥さん、俺の親戚でもあるんだけどさ。在原業平の血を引く二十そこそこの別嬪さんだぜ。結婚して三、四年って所かな。未通女臭さも抜けて、しっとり脂がのり始めた所って感じでさ。……ソソルんだよなぁ、これが」
「へぇえ、そぉかぁ。でも、お前、なんで、そんなこと知ってるワケ?」
「へっへっへ。俺を舐めんじゃねぇよ。実はよ、その家のお手伝いを知っててさ。勿論、ヤッた女さ。その女と枕物語で『奥さんったら今頃になって、あんなオジイチャンと結婚した事、悔やんでんのよぉ』なんて言うからさ、そいつ。『へぇえ、俺ので良かったら何時でも使ってイイのにな。ビンビンだぜ』って冗談めかして言ったワケ。そしたら、そいつも奥さんに俺のこと笑い話として話したんだって。したらさ、奥さんも冗談半分で俺と会う気になってさ。そうなったら、この平の定文、逃がすもんじゃないさ。一発……」
「ごくり、一発……」
「ま、頂いちゃったワケよ。はっはっは」
「イイなぁ。俺も頂いちゃいたいなぁ。お前はイイよな、気楽で。俺は一応、左大臣だからさ、何かと人目を気にしなきゃなんないんだ。イイなぁ」
「へっへっへ、そこまで言うなら智恵を貸してやってもイイぜ。勿論、タダってワケにゃ、いかないけどさ」
「なんだよぉ、俺にタカる積もりかぁ」
「なぁに特別に安くしといてやるよ。お前の所の、ほら、新しく入ったお手伝いさんがいるだろ。あの娘、世話しろよ」
「えぇっ、あの娘、まだ十一だぜぇ。お前、ロリコンだったワケ?」
「何言ってんだよ。俺は女を差別しないの。十一でも五十一でも女は女。女である以上、崇拝の対象として取るに足る」
「なんだかなぁ」
「いいじゃん。減るもんじゃなし」
「解ったよぉ。言ってみるよぉ」
「へっへっへ、それでこそ時平様だ。ちょっと耳、貸せ。ごにょごにょごにょ」
「えええっっ、何だよ、それ。そんなの上手くいくワケないじゃん」
「ま、ま、ま、やってみなって。失敗してもイイワケがきくし」
「うぅむ。まぁねぇ」
「じゃ、あの娘のことよろしくぅ」

 時平は、それまで疎遠だった伯父の国経に接近する。どう接近したかってぇと、ことあるごとに「いやぁ国経さんは私の伯父さんですから」って何かと伯父甥の関係を朝廷で強調しだした。そうして役所で擦れ違う時なんかでも「あ、伯父さん、こんにちゃぁ、今日はイイお天気で、へっへっへ」と妙に卑屈なお愛想を言うようになった。今をときめく最大の権勢家左大臣時平が自分のことを伯父として立ててくれる。昔気質の国経は、すっかり感激してしまった。しかも美青年で見栄えのイイ時平が自分にペコリと頭を下げて擦れ違う時の女官の目が心地よい。国経は、すっかり、のぼせてしまった。
 そしてある日、国経の館に突然、時平から使いが来た。曰く、「敬愛する伯父様へ 来年正月の一日から三日の間に都合のイイ日を選んで、伯父様の家に遊びに行きます。友達を何人か連れて行きますから、よろしくぅ。あなたの可愛い甥の時平より」。さぁ、大変だ。大納言国経は驚き、かつ喜んだ。宴会に権勢家が来るということは、将来の出世を約束されるってことなのだから。ただし、実際には国経の年齢で、将来があるか如何かは解ったものではないのだが。とにかく国経は、舞い上がってしまった。
 待ちに待った一月三日、国経の館に時平が取り巻き連中五、六人を連れて、やってきた。取り巻き連中といっても飛ぶ鳥を落とし、ついでに右大臣(副総理)菅原道真さえも落とした国政の中枢、天皇の寵愛を独占している錚々たるメンバーだ。ホストの国経は既に、そのメンバーの一員として認知されたことになる。幇間よろしく国経は自分の孫の如き連中の機嫌をとりつくろい、歌、といってもカラオケではなくって五七五七七の和歌合戦の司会を勤め、山海の珍味を油断無く仕出し、膳を横目で覗きながら客の盃の乾かないよう気を配る。まさに接待の鬼。挙げ句の果てに館にミラーボールまで取り付けた。酔っぱらった客たちは、しどけなく着衣をずり落としながらクレージーダンシン。
 熱狂の宴の中、流石に左大臣時平は大人ぶって、お行儀よく構えていた。勿論、これも作戦のうち。ターゲット大納言の若妻、を意識しての立ち居振る舞い気障ったらしく、実は昨晩必死で作った歌を、さも即興のように詠ったり、得意のステップを少しだけ見せたりと、ソツがない。見え透いた手ではあるけど、心に鬱屈を秘めていた若妻は、もうメロメロ。(イイ男ねぇ、声もイイし、あぁこのコロンの香りもイイわぁ、もぉ何もかも素敵! あぁあ、アタシったら何故、こんなオ
ジイチャンと結婚しちゃったのかしら。こんなオイボレと。何よ、馬鹿みたいにはしゃいじゃって。こーゆーの老醜を晒すってのよっ。あぁあ、ヤだ、ヤだっ。時平様みたいな人とやり直したいなぁ)と、若妻は時平が詠う度、いや時平の一挙一投足を見逃すまいとチラチラ目を遣って(気付くかな、アタシの気持ち、気付かないかな。でもぉ……)と思い巡らせる。
 真っ昼間から始まった饗宴も夜更けとなって、皆が泥酔状態。たった二人、時平と若妻を除いて。ホストの国経も浮かれて飲み過ぎ、泥酔している。そろそろ、お開きの時間。酔っぱらった真似をした時平が国経にしなだれかかって、
「うぅーい、伯父様ぁ、楽しかったよっ、有り難うっ」と握手を求める。
「あぅぅ、時平君、ワシも楽しかったよ」握った手をブンブン振る国経。
「じゃ、僕、帰るね」時平はフラつく足どりで玄関に向かうが二、三歩行って
振り返り、
「ねぇ、お土産はぁ?」とムクレた顔を作る。
「あん、お土産ぇ?」国経は酔眼で甥を見つめる。
 「そうだよぉ、宴会ってったら、お土産じゃん。お土産っ、お土産ぇ」時平は
ジダンダ床を踏み鳴らし駄々を捏ねる。
「あぁん、用意してないなぁ。困ったなぁっと、うぃーーっく。ん?」国経は、
指をくわえて何かをジッと上眼遣いに見つめる時平の視線を辿る。と、そこは自
分の若妻の席。既に常識も理性もアルコールのせいで蒸発してしまっている国経
は、
「よぉしっと、うぃーーっく、時平ちゃんにゃ伯父ちゃんがイイものをやろう」
と言うと若妻の手を掴んで引き上げ、時平の前に押し出して、
「ひっく、さ、ひっく、持って行きたまへよほでりひぃーー」。
「あぁん? これ伯母さんじゃん」一応は驚いて見せる時平。
「エェのエェの。ひっく、伯父ちゃんは時平ちゃんが気にいった。うぃーっく、さ、持って行きたまへぇ」
「わぁい、有り難ぉ。僕、前から欲しかったんだあ。じゃぁねぇーー」ニコニコと手を振りながら若妻と車に乗り込む時平。一瞬、妻は国経を振り返るが、ツンと顎を上げ車に乗り込む。
「ばいびぃ」手を振りながら酔いつぶれ、床に寝っ転がる国経、そのまま夢の国へ。

 次の朝。宿酔いでガンガンする頭を抑えながら国経は、
「あれぇ、何か妻を時平に遣ったよぉな気がするんだけどなぁ、夢かなあ」と、お手伝いさんを呼んで昨夜の事を訊く。すると果たせるかな、まさしく自分は進んで時平に妻を渡したと言う。
「あぁあ、どうしよぉ。そりゃ確かに舞い上がってたけど……。あぁあ、どうしよう。きっと頭がおかしくなってたに違いない。でなきゃ、自分の妻を人に渡すなんて……。あぁあ、どうしよぉ、酔ってたからって、イイワケにもなんないからなあ。返せとも言えないし。あぁぁ、どうしよぉ」と、当たり前のことだが、後悔の念、耐え難く胸掻き毟られる思いだった。すっかり老け込んで布団の上に胡座を掻き、いつもなら若妻が愛らしい寝顔を見せている辺りを見つめながら、
「ワシと一緒に居るより妻にとっては幸せかもしれないなあ。時平は出世街道まっしぐらだもんなぁ。末は摂政、関白になるかもしれないもんなぁ。あ、でも妻の奴、最後にワシの事『ふん、老い耄れめ』って目で見たような気がするなぁ。うぅむ、許せんなぁ、畜生っ。ああ、悔しいっ、ああ、悲しい、ああ、……恋しいっ。恋しいよぉ」

 ちなみに時平は数々の業績をあげながらも三十八歳で死ぬ。当時の貴族の平均年齢と比較すると短命にとは言えないが、藤原氏の有名人の中では早死に属する。死去の折には、道真の怨霊に殺されたとの噂が立った。しかし、一部の者には、愛しい若妻を謀によって奪われた伯父国経の怨霊に殺されたのだ、との噂も立ったとか立たなかったとか、となむ、語り伝えたるとや。

(了)

後記:「今昔物語・巻二十二第八(本朝世俗)時平の大臣、国経の妻を取る事」
      が出典でふ。粗筋は全く変えておりません。本当に、こんな話です。
   この「新蒟蒻物語」シリーズでは、「今昔物語」のミーハー語訳を試み
   ます。

犬の曠野表  紙新蒟蒻物語表紙

 


 

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