番外編「水底からの誘惑」
 
       ―――海の記憶シリーズ6―――
 
 
 

 「蟻の熊野詣で」なる言葉がある。中世に於いて、甘いモノに群がる蟻の如く、人々はウジャウジャ熊野に参詣したらしい。近世には、泰平の世が訪れ全国を一統に支配する権力が成立したことで交通は活発化、より安全に旅をすることが出来るようになった。伊勢参りや四国八十八箇所、板東三十三箇所などへの巡礼も盛んになったようだ。熊野も仏教の、いや日本的宗教の聖地として、人々を惹き付けてきた。
 「熊野参詣曼陀羅」と呼ばれる図像群がある。熊野参詣の模様を鳥瞰図として描いたものだ。「曼陀羅」とは、各種多様な個々の哲理を象徴する仏像(もしくは個々の仏を象徴する文字)を一定規則で配置し、以て哲理の体系を表そうとしたものだ。平面画像とは限らず、伽藍や堂内の仏像配置に依っても表現される。古くから、熊野の地形や寺社配置は「曼陀羅」として捉えられ、図像に描かれてきた。役行者が登場するものもある。
 この曼陀羅にウジャウジャと参詣者を描き込んだものが、「熊野参詣曼陀羅」である。「高野六十那智八十」なる俚諺がある。意味は明確ではないが、八犬伝より少し遅れて世に出た当時の面白雑学辞典「嬉遊笑覧」に拠ると、<密教僧は厳しく女色を禁じられたため寺に囲った稚児を性的対象として欲望を排泄したりして男色をコトとした。僧侶同士でも性欲処理を行ったかもしれず、その為か真言宗の本山・高野では六十、天台宗の重要拠点・熊野那智では八十歳になっても、密教僧は何だか艶っぽい>ぐらいの内包を有している。そう、熊野は密教の重要拠点であり、役行者の縁地でもあるに依って、修験道のメッカだったりするのだ。
 管見では、「熊野参詣曼陀羅」には、だいたい決まって画面最下部中央辺りに、変なモノが描かれている。画面最下部は海なんだけど、一艘の箱船、朱色に塗り四方を鳥居で飾った船に、数艘の小舟が従っている。小舟には、或いは僧侶、或いは修験者、或いは武士、或いは民間人が分乗し、箱船を見つめていたり拝んだりしている。この箱船が、熊野信仰を特徴付けるアイテムだ。

 「南からの誘惑」で耶蘇会宣教師の書簡を紹介した。話が本筋から逸れてしまったが、実は、以下の史料を掲げようとしたのである。漸く軌道修正が出来た。上記「熊野参詣曼陀羅」に描かれた<箱船>が如何なモノだったかを簡単に説明してくれている。ビレラの日本報告である。

一五五七年十月二十八日(弘治三年十月七日)付、パードレ・ガスパル・ビレラが平戸よりインドおよびヨーロッパの耶蘇会のパードレおよびイルマン等に贈りし書翰
前略……当地には悪魔に礼拝をなす者あり、これをなさんと欲する時は高山に登りて数日間悪魔を待受け、悪魔が彼等の望の姿にて現るるにいたる。かくのごとき人を山伏Yamabuxisと称す。山の兵士(山伏を山武士と誤解せるなり←誤解ぢゃないかも:筆者注)の意なり。彼等が聖徒とならんと欲する時は直立して眠らず、または甚だ僅少なる食物を摂るなど大なる苦行をなし、また祈祷をなせば諸人は彼等に施をなせり。二、三カ月をへて悪魔が十分なりと言ふに及び、彼ならびに彼に随行する人々および施与の金銭を小舟に載せて大海の真中に出で、舟に穴をあけて地獄に赴けり。苦行の方法は多きが、皆悪魔に欺かれて行ふものなり。
後略……(イエズス会士日本年報・上/新異国叢書1から)

 耶蘇会(イエズス会)宣教師の目に映った、日本の<妖術>だ。宣教師というのは、文字通り<坊主憎けりゃ袈裟まで憎い>、仏教を敵対視していた為、モノイイに、かなりバイアスがかかっている。まぁ、論理は間違っているとしても、事実描写が間違っているとは限らない。抑も何故に外国人の書いた史料を掲げたかと云えば、幾ら同国人とはいえ、過去に於ける心性は、時空を超えた彼方にある。異国人みたいなモノかもしれない。だから、当時、日本を訪れた異国人の、好奇な目を通した方が、或いは、解り易い場合もあろう。過去の心性探求の難しさは、適切な史料の不在にある。心性なんて、大袈裟に聞こえるけれども、云ってみれば、<当たり前な心の在り方>なんである。当たり前の事は、史料に残らない場合だってあるのだ。当時に於いて、一旦、外国人の目によって相対化された記述を読むのは、無意味ではないと信ずる。と、イーワケしておいて……ん? また、脱線しちゃった。ごめんなさい。

 問題となるのは引用文末尾、「施与の金銭を小舟に載せて大海の真中に出で、舟に穴をあけて地獄に赴けり」である。地獄への直滑降、集団自殺だ。ハムレット中オフィーリアの悲劇を持ち出すまでもなく、切支丹/カソリックは、自殺を禁じている。<悪魔>に唆された<自殺>なら、<地獄>に墜ちるのが当然だ。切支丹の発想なら、ね。しかし日本では、即身成仏、八犬伝中で道節が見せる火定(の偽装)など、自殺そのものを罪悪とはしていない。罪悪とするならば、遺族への責任放棄とか何とか、結果から派生する社会・経済的なモノに過ぎない。ソレそのものとしては、<罪>と言い難い。

 さて、小舟で乗り出した人々は、何処へ行ったのだろう。勿論、地獄なんかぢゃない。抑も地獄なんてのは迷信、架空の世界に他ならぬ。浅はかな毛唐どもの産物だ。では、再び問う、小舟で乗り出した人々は、何処へ行ったか? 浄土である。彼等は、浄土へ赴いたのだ。それは、<死>ではない。<往生>、生きに往ったのだ。……って、コッチも迷信なんだけどもね。
 ところで、上記ビレラの書簡では、浄土への入り口が海であると知れる。船に穴を開けると、如何なるか? 八犬伝で花咲爺こと代四郎が、刑場から逃れた四犬士を救った後、やはり、自ら船に水を入れ、河に沈んだ。そう、穴が開くと、船は沈むのだ。代四郎は助かったが、大海の真ん中だったら如何だろう。溺死するしかない。当たり前である。
 ただ、此処で、ちょっとした疑問が湧く。死ぬだけだったら、別にワザワザ大海へと漕ぎ出す必要はない。野でも山でも何処でも死ねる。にも拘わらず、彼らが船で漕ぎ出したのは、浄土が海にあったからだろう。しかし、何処の海か?

近ク讃岐ノ三位ト云人イマソカリ。彼メノトノ男ニテ年ゴロ往生ヲネガフ入道アリケリ。心ニ思ケルヤウ、此身ノ有様萬ノ事心ニ不叶、若アシキ病ナントウケテ終リ思フヤウナラズハ本意トゲン事極テカタシ。病ナク死ナンバカリコソ臨終正念ナラメト思テ身燈セント思フ。
サテモタエヌベキコトカトテ、クワト云物を二ツアカクナルマデヤキテ、左右ノワキニサシハサミテ、シバシバカリアルニ、ヤケコガル丶様目モ当ラレズ。ト斗アリテ、コトニモアラザリケリト云テ、其カマヘドモシケル程ニ又思フヤウ、身燈ハヤスクシツベシ。サレド此生テ改テ極楽ヘマウデンセンモナク、又凡夫ナレバ若ヲハリニ至テ、イカ丶猶疑フ心モ有。補陀落山コソ此世間ノ内ニテ此身ナガラモ詣デヌベキ所ナレ。シカラバカレヘ詣テント思ナリ。又即ツクロヰヤメテ、トサノ国ニ知処アリケレバ、行テ小船一ツマウケテ朝夕コレニノリテ、カチトルワザヲ習フ。ソノ後、梶トリヲカタラヒ、北風ノタユミナク吹ツヨリヌラン時ハツケヨト契リテ其風ヲ待得テ彼ノ小船ニ帆カケテ、タ丶一人乗テ南ヲサシテノリニケリ。
メコアリケレド、カ程ニ思立タル事ナレバ留ルニカイナシ。空ク行カクレヌル方ヲ見ヤリテナン、ナキ悲ケリ。是ヲ時ノ人心サシ至リアサカラズ。必ズマイリヌラントゾ、ヲシハカリケル。一條院ノ御時トカ賀東ヒジリト云ケル人、此定ニシテ弟子独相具シテ、マイル由語伝タル跡ヲ思ヒケルニヤ。(発心集三 或禅師詣補陀落山事賀東上人事)

戊寅招権僧正覚宗習千手経(至陀羅尼止之後日可習之)僧正語云少年籠那智之時有独僧云我現身祈参補陀落山小舟上造立千手観音奉令持楫祈請已及三年祈北風七日不止也如此経数日得大北風僧慶乗舟向南礼拝無止時差南遙行僧都以為希有登山見之覚宗同見七箇日之間風不止料知願成就矣余云何時哉答堀川院御時也(台記 康治元年八月十八日条)

 両史料は、古代末から中世初期にかけてのモノだ。前者は一條(一条)帝の治世、十世紀末から十一世紀初頭の話、後者は堀川(堀河)帝の時だから、十一世紀後半から十二世紀初頭の事件を語っている。発心集は鴨長明の説話集、台記は藤原頼長の日記だ。共に、稀代の知識人であった。まぁ、筆者は鴨長明を嫌っているが、伝える情報を疑う程ではない。そして両説話とも、補陀落へ赴くに、北風を待って船で漕ぎ出した事になっている。即ち、補陀落が、南海に在ると考えていたらしいのだ。また、発心集に登場する僧侶に拠ると、補陀落は、此の世の内にあり、生きたままで辿り着くことが出来たという。尤も、本人さえ、ソレを証明し得なかったのであるが。

 だが、南と云っても、よく解らない。もう少し詳しい情報が欲しい。海に住む者達、彼らの故郷は、海である。何も安房だけが海国ではない。前に述べた伊予だって海国だ。海国である以上、伊予でも、やはり、補陀落渡海は、如何やら行われていた。ヴィレラの手紙を前に掲げた。今度は、同じ宣教師でも、より長く日本に居座り、烏滸がましくも「日本史」なる書を記したルイス・フロイスの手紙を引用しよう。

一五六五年二月二十日、ルイス・フロイス師が都の市より、シナおよびインドのイエズス会の子細および修道士にしたためた書簡

 我らのデウス、また救主の恩寵と永遠なる愛が常に我らの心中に宿らんことを。アーメン。

 いとも親愛なる兄弟たちよ、……中略……私は現地の事柄やその風俗について記すことにし、これに収録するのは、一部は私が実際に目撃したことであり、また一部はガスパル・ヴィレラ師から得た確かな情報である。これらの書簡は、尊師らに(事情を)知らしめて当国の人々に対する同情を喚起する上で役立つことであろう。すなわち、尊師らは、悪魔が宗教に名を借りて、盛大な儀式と虚飾により日本人を欺き、かつ、その心に堕落をもたらすために編み出した巧妙な策略を知るのである。
        ……中略……
 ほかにも、生きたまま埋葬する方法がある。この方法は、非常に信心深く、阿弥陀の栄光に浴すことを望む人たちが行なうのが常である。本年、ルイス・デ・アルメイダ修道士と私が都を目指していた時、豊後から四十里の伊予と称する国の、堀江という市に至ったが、我らが到着する六、七日前、当地の人々が次のような方法で悪魔に犠牲を捧げた。その方法は当地の国々に極めて流布しているものである。六名の男性と二名の女性が集まり、数日前に市中で喜捨を求め、これが集まると彼らは友人や親戚に別れを告げに行き、彼らが求めている阿弥陀の栄光をかくも長い時間待つことに堪えられず、これをいっそう早く達成するため自ら求めて行くことを欲すると言った。それから彼らは皆非常によい衣服をまとい、袂には喜捨の金銭を入れて大勢の群衆を伴って海岸に向かった。全員が新しい船に乗り込み、頸や腕、脚、足に帯で大きな石を縛り付け、再び海岸の人々に別れを告げたが、その人々は激しく咽び泣きつつも、彼らが聖人となって至福に達することを心中では羨んでいる様子であった。彼らは沖に漕ぎ出で、友人や親戚らは再度別れを告げるため、別の船に乗って彼らに付いて行った。海岸から鉄砲の三、四射程ほどの所まで離れた後、一人ずつ深い海、すなわち換言すれば地獄に身を投じた。随伴の船に乗った人々はさっそく、空になった船に火を付ける。というのも、何ぴとにもその船に立ち入ったり、それにより航行する資格がないからである。人々は彼らを記念して、海岸の側に一種の儀式用の家、もしくは聖堂を設けた。小さな棒に紙片を沢山付けて屋根の上に据え、彼らの各人に対して数多くの文字と書が記された柱を一本建てた。また、同所に幾本かの小さな松が植えられ、堂内には至福な人々を讃える詩歌が溢れるほどある。毎晩多くの人が家から、その悪魔の殉教者八名のために建てられた聖堂へ出かけていたが、この地の住民は毎日彼らを拝みに行くのが常である。ルイス・デ・アルメイダ修道士と私が、同市にいる某キリシタンの貴人の幼少なる娘に洗礼を授けようと同所を通った時、殉教者らに祈りを捧げに来ていた四、五人の老婆が手に数珠を持って堂から出てきた。彼女らは我らが頭を下げず、敬意を表さないのを見ると、或る者は我らが知らないのをあざ笑い、また或る者は彼らの聖人に対する冒涜と軽視の罪を我らに認めて険しい表情を見せた。このような聖人の内或る者は海に身を投じる時、長い鎌を手にして行くが、これは人々の言によれば、(海の)下で彼らの道を遮っている深い森の木を切るためのものであるという。また或る聖人らは海に身を投じることはせず、船に大きな木の栓を設け、これを抜いた後、船とともに沈む。……中略……
一五六五年二月二十日、都の市より。
諸人の無益なる僕べにして不肖なる兄弟、ルイス・フロイス

 此処には、重要な情報がある。補陀落に赴いた人々は、錘を着けて、海に沈んだのだ。前記二史料では、南の海、とまでしか特定できなかったが、やや範囲が狭まったことになる。浄土が海上ではなく、海中に在ることが分かる。錘を着けて沈むだけではなく、「聖人の内或る者は海に身を投じる時、長い鎌を手にして行くが、これは人々の言によれば、(海の)下で彼らの道を遮っている深い森の木を切るためのものであるという」、彼らは沈むというより、明確な意思を以て、海の底を<目指した>のだ。如何やら補陀落は、海底に在るらしい。

 勿論、<海底だけに在る>と迄は云わない。宗教的世界は、現実ではなく、心の裡にこそ在るかもしれない。即ち、描く所の世界/宇宙は、宗教によって宗派によって、いや人それぞれで違うかもしれない。発心集の僧侶は<補陀落へは生きたまま行ける>と考えた。が、特に上記の様な集団的行動に於いては、少なくとも集団内では一定以上の一般化が成されていなければならないし、フロイスの言を信じ且つ集団自殺に錘もしくは三途の川の渡し賃の積もりだったかもしれないけれども、財物を提供した人々の存在を考え併せると、やはり、<補陀落・海底説>は、社会で或る程度は共有されていたようでもある。海上に在ると考えた者もいるかもしれないし、いや、山に在ると考えた者すら、いたかもしれないが。
 中世以降、補陀落を目指した者たちは、海底へと赴いた。が、同時に幾つかの霊山を見上げ、補陀落に擬した。補陀落は、海であり山であった。

「日本ちゃちゃちゃっ」に於いて、海神であり多分は太陽神(の眷属)でもある安房洲崎の女神は、八犬伝中、重要な機能を有つと述べた。洲崎明神は弟橘姫を日本武尊から掠奪した女神だ。弟橘姫は、水底に我が身を沈めねばならなかった。
 八犬伝には、青い海に白帆や白鴎の浮かぶ情景が、何度か描写されている。馬琴が気に入っていたイメージなのだろう。青海波なんて馬も登場する。青と白の鮮烈なるコントラストは、何故だか不思議に調和を感じさせる。青とは木気の色、白は金気……モッキンバード・義実は、理想的な君主として描かれている。いやまぁ、時折見える海の描写は、海への憧れを感じさせるって云いたかったのだ。

八犬伝世界は、多義的かつ重層的だ。一筋縄ではいかない。一個の小説というよりも、新たなる神話構築/書き換えへの試み、其れは即ち、既存国家原理に大いなる疑問符を突き付ける所作に他ならぬ。神話は元より、多義的かつ重層的だ。読解には、相応の作法が必要となる。次の機会、「海の記憶」では、洲崎の女神に水先案内を頼み、広大なる物語の海へと漕ぎ出そう。但し、女神と思っている相手が実はサイレーンだったてぇのは、よく・ある・話。其の場合は、水底へと引き込まれ、溺れるしかないのだが……。
 
お粗末様
 

  

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