「禅珍内供の鼻」(94年8月16日PCVAN−AWC掲載)

    巻頭言    「だから、冗談だってば」

 皆様の中には、芥川龍之介氏翻案の「池尾の禅珍内供の鼻の語(今昔物語 本朝世俗部 巻二十八 第二十)」をお読みになった方もいらっしゃると存じます。ストーリー、憶えてますか? 何か変じゃなかったですか? ギクシャクして、そぉ、まるで何かを伝えようとしているのだけどアカラサマに出来きずに遠回しに書いているよーな、そんな印象を持たれたんじゃありませんか? 大雑把に筋を追うと、

 今は昔、池尾という所に禅珍内供という高僧知識がいた。彼が管理する寺は栄えており、周囲の村もオカゲで賑わっていた。・・・起
 さて、この内供の鼻が変わっていた。鼻の頭が長く、垂れているのだ。五、六寸もあり、顎よりも下に下がっているほどだった。色は紫で、ミカンの皮のように、ブツブツがいっぱいあって、膨れていた。その腫れている所が、痒くて仕方なかったので、蒸して人に踏ませた。踏ませると、黒くツブツブになった所から、ウニウニと白く細長い虫のような物が出てきた。これを何度も繰り返せば、鼻は常人と変わらない程に縮んだ。しかし、それも、二、三日放置すれば、また元の如くに膨れるのだった。このように面倒な手間をかけて二、三日しか縮んでいないのだから、いきおい膨れている日の方が多かった。・・・承
 そんな塩梅だったので、食事のときにはお気に入りの弟子を控えさせ、板で垂れた鼻を持ち上げてもらわないと、食べることもママならなかった。慣れないものが、この役を仰せつかると、呼吸が合わないのだろう、ムツがって一口も食べなかった。あるとき、お気に入りの件の弟子が病気で寝込んでしまった。内供が食事も出来ず困っていると、一人の童が「僕だったら上手く持ち上げてあげるのにな」と口に出した。それを一人の若い僧侶が聞きつけて、内供に言上した。内供はさっそく、童を呼び出し鼻を板で持ち上げさせた。童は期待以上に上手く鼻を持ち上げたので、内供は喜んで食事を始めた。内供が粥に取りかかったとき、童がクシャミをした。内供の鼻は板から外れ、熱い粥の中へ落ちてしまった。・・・転
 内供は大いに怒って「この馬鹿野郎。粗相をした相手が優しい私だったから良かったが、もっと高貴な人だったら、取り返しがつかないぞ」と叱り飛ばした。怒られた童は陰に回って「何が、高貴な人に粗相をしたら、だ。あんな長い鼻なのは内供だけだろうがよ」と毒づいた。これを聞いた人は皆、笑った。・・・結

 「起」は導入部、「承」は鼻の説明、「転」で事件が起こり、「結」がオチ。全体として良く出来た笑話になっています。一見、シッカシした構造です。しかし、一カ所、奇妙な部分があります。「承」です。此処では、鼻を大きくしていたのが鼻の脂ってぇかニキビみたいな物だと、非常に(奇妙ではありますが)理屈っぽく説明しています。そう、”理路整然”と説明しています。怪しい。
 一瞥だけすれば、この話は「転」以降の部分が本筋です。「承」は前提に過ぎない。しかし、つながりが今一つ良くない。「承」と「転」のね。則ち、「承」では、”内供の鼻は脂が詰まって膨れていた。しかし或る処方によって小さくすることも出来た”と説明しています。そして、取って付けたように”面倒だから結局、膨れている日の方が多かった”と言って、「転」の事件につなげているのです。
 「転」の事件は、”内供の鼻が大きく膨らんでいた”からこそ起こる事件です。「承」の説明では、”或る処方を施せば2、3日は縮んでいた”と言っています。そうです、内供の鼻は、縮み得るのです。蒸して、誰かに踏んで貰えば、縮むのです。食事の度に、”特定の、お気に入りの弟子”に世話をして貰うのと、どちらが面倒か?
 結論を言うと、「承」と「転」は別の話です。何故なら、「承」が単なる「転」の事件の前提ならば、「転」に従属し、換言すれば、「転」の事件に都合の良い説明となる筈なのです。しかし実際には、「承」は「転」の事件の説明に止まっていません。「転」の事件の単なる前提ならば、内供の鼻が大きかったことを述べれば事足りる。しかし、「承」は、”内供の鼻は大きいが、縮み得る”と、「転」の事件の必然性を低めてしまっている。本筋に対して、説明部分が裏切りを働いている。両者は元来、「承」と「転」の関係ではなく、別の話だったと見る方が、スッキリする。いや、もっと言えば、「承」の部分こそが本筋であり、「転」、の部分が付け足しだと考えられる。何故なら、「承」の部分が単なる説明ならば、現在まで伝えられるうちに、「転」に都合の良いように書き換えられる筈だからです。しかし、「承」は書き換えられなかった。あくまで、内供の鼻は或る処方を施せば縮む、と表現し続けている。
 奥歯に物の挟まった言い方は止めましょう。私は、この段、寺院での破戒行為、則ち、高僧の性行為を暗喩したものだと、疑っているのです。「承」で為されている説明からは、
   内供の鼻は(棒状に)垂れていた
   内供の鼻の垂れは5、6寸であった
   処方にあたり熱い湯を入れた椀に穴の空いた板を渡し、鼻を入れた
   人に踏んで(則ち刺激して)貰うと縮んだ
   縮むときは白い細長い虫のような物を多く吹き出した
   二、三日経てば再び膨れた
ことが解ります。鼻は古来、男根と緊密な関連をイメージされた器官です。内供ともあろう高僧が、実は魔羅を勃起させ、人を使って欲望を処理している。当時、これほどスキャンダラスな話題があったでしょうか。スキャンダラス、これは今昔物語に一貫して流れるテーマです。五、六寸に膨れた魔羅を、熱く濡れた穴に入れ、刺激されて、白い虫を吐き出し、萎える。
 さて、「承」の段階で内供の性欲処理がテーマだとなると、「転」の部分も字面から離れて穿ちたくなっちゃいます。「転」の部分の記述を、我田引水しますと、
   内供はお気に入りの弟子に食事の世話をさせていた
   弟子は具合が悪くなり一人の童が世話を志願した
   童は初めは上手くコナしたが、クシャミをして失敗した
   内供の鼻は放り出され、苦痛を受けた
などの部分が気になります。
 食事の世話をするというのは身辺に侍ることであり手を付けられる機会の多いことを暗示します。余談ですが、江戸時代には宿場の宿で遊女を雇い客の欲望充足によって大きな利益を上げていましたが、幕府がコレを禁じたため、宿では遊女の代わりに「飯盛り女」を置くようになりました。字面を見れば、お給仕さんですが、実は、この飯盛り女、肉体を売ることを専らとしておりました。何故、飯盛り女、という”商品名”が付けられたかを考えますと、興味深いものがあります。
 えぇっと、ですから内供は、お気に入りの弟子を身辺から離さず、色々エロエロなことをして過ごしていたのだけれども、そのお気に入りの弟子の僧侶が寝込んでしまった。他の弟子では満足できず、食事もできない有り様となった所に、一人の少年が「僕だったら上手くシてあげるのにな」なぁんて言う。何せ、寺の最高権力者のお手つきになるのは、寺の童にとって、立場の安泰と将来の便宜につながるから、売り込むチャンス。聞きつけた内供は、童を呼び出す。初めのうちは童は上手くコナしていたが、いざ本番となると粗相をやらかした。大きくなったモノを、少年に押し込もうとゴソゴソしてる所でクシャミなんかされてみなさい。うわぁあっ、と外れて、チョウジ油なんかを塗っているもんだから、ニュルンと穴から逸れて、しかも勢いづいているものだから慣性の法則に従って、押しつける格好になって……。ゴキッ。こりゃ痛いですよぉ。涙が出るほど痛いに違いない。折れそうになるほど痛いに違いない。そんでもって、「馬鹿野郎。へましやがって。相手が俺だったから良かったようなものの、高貴な人のお相手をしていての粗相だったら酷いことになっているぞ」と叱り飛ばす。それに対して、小僧は悪びれず「大きいから失敗したのさ。あんな大きいのは内供ぐらいのもんだ」って応じる。一同笑う。
 大艦巨砲主義は近代以降の話で、一番大切なのは相性だと思われていたようです。天竺の有り難いお経(カーマスートラ)では、ちょっとキツ目に感じる両者の結合が最高であり、男の方が大きすぎても、小さすぎても良くない、と教えています。因みに古代ギリシアに於いては、デカ魔羅はサテュロスすなわち卑しい性欲の固まりの化け物を表徴する記号でした。これが修験者なら、サテュロスばりの絶倫巨根男でも許されたのかもしれませんが、内供は僧侶、しかも高僧知識と言われている仏道のオーソリティー。それが一皮剥けば、性欲ギラギラで幼い童が受け入れるのが無理なほどデカ魔羅男ってんだから、こりゃ一級のゴシップでんがな。これこそ、”人間性とはカくや”ってなスノッブ好みの解釈を笑い飛ばす、今昔らしい解釈だと思ったりもするのですがぁ……、お粗末さま。

 
犬の曠野表  紙猿の山表紙