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唐林景玄者京兆人。僑居雁門、以騎射畋猟為己任。郡守悅其能、因募為衙門將。嘗与其徒十数輩、馳健馬、執弓矢兵杖、臂隼牽犬、倶騁于田野間、得麋鹿狐兔甚多。由是郡守縦其所往、不使親吏事。嘗一日、畋于郡城之高崗、忽起一兎榛莽中、景玄鞭馬逐之、僅十里余、兎匿一墓穴。景玄下馬、即命二卒守穴傍、自解鞍而憩。忽聞墓中有語者曰、吾命土也、克土者木、日次于乙辰居卯二木倶王、吾其死乎。已而咨嗟者久之。又曰、有自東而来者、我将不免。景玄聞其語、且■己に廾/之。因視穴中見一翁、衣素衣髯白而長、手執一軸書、前有死鳥鵲甚多。景玄即問之。其人■リッシンベンに京/曰、果然、禍我者且至矣。即詬罵。景玄黙而計之曰、此穴甚小而翁居其中、豈非鬼乎不然、是盜而匿此。即毀其穴、翁遂化為老狐、帖然俯地、景玄因射之而斃。視其所執之書、点画甚■己に廾/、似梵書而非梵字、用素■糸に兼/為幅、僅数十尺。景玄焚之。{宣室志巻八}
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悉伽羅、此云野(音夜)干。似狐而小形、色青黄如狗、群行夜鳴如狼。郭璞云、射(音夜)干能縁木。広志云、巣於絶巖高木也。大論云、譬如野干、夜半逾城深入人舍求肉不得、僻処睡息不覚夜竟、惶怖無計慮不自免、住則畏死、便自定心詐死在地、衆人来見、有一人云、我須其耳、言已截去、野干自念、截耳雖痛但令身在、次有人言、我須其尾、便復截去、復有人云、須野干牙、野干自念取者転多、或取我頭、則無活路、即従地起奮其智力、絶踊間関遂得自済、行者之心、求脱苦難、亦復如是、生不修行如失其耳、老不修行如失其尾、病不修行如失其牙、至死不修如失其頭。輔行記云、狐是獣一名野干、多疑善聴。顏師古注漢書曰、狐之為獣、其性多疑、毎渡河冰、且聴且渡、故言疑者而稱狐疑。述征記云、北風勁河冰合、要須狐行、此物善聴、冰下無声、然後過河。説文云、狐妖獣也、鬼所乗、有三徳、其色中和、小前大後、死則首丘。郭氏玄中記曰、千歳之狐為婬婦、百歳之狐為美女。然法華云、狐狼野干、似如三別。祖庭事苑云、野干形小尾大狐即形大。禅経云、見一野狐、又見野干、故知異也{翻訳名義集巻二}
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○狐はあやしきけものなり。常に人にばけてたぶらかし、また人の皮肉の内にて入りなやまし、あらぬ妙をなす事多し。抱朴子曰、狐寿八百歳也。三百歳後変化為人形、夜撃尾出火、戴髑髏拝北斗、不落則変化人。これほど修行なり。功つみたるものなれども、一旦やき鼠の香ぐはしきを見て、たちまちにわなにかゝり命をうしなふ。人もまたおなじ。智慮才覚抜群のうまれつきにてかたのごとくの人も色にまどひ利にまどひて生涯をうしなふ事、狐に同じきものなり。可以人而不如狐乎。{消閑雑記}
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