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◆異種婚姻と異能者幻想◆

 

 禹の正体は熊であった。父の鯀も熊であったから順当である。帝王なんざ所詮、社会の都合で据えられている愛玩物、パンダに過ぎぬから熊が相応である。そして禹は塗山女との間に啓をもうけ、啓が世襲君主として夏王朝を開いた。啓は恐らく熊ではない。何故なら、塗山女は、前回に述べた如く、九尾の白狐だったからである。だから啓は、熊と狐との間に生まれた奇妙な何者かだ。この一般人とは違う「奇妙」さこそ、世襲王朝が始まったイーワケであった。本来なら何の理由付けにもならぬと思うが、王朝とはハッタリの産物でもある。

 

 性格が悪い上に事業に失敗したため罪人として殺された鯀も熊だったから、熊であることは帝王として聖別される十分条件ではない。此処に狐が絡み合って初めて、世襲王朝の祖である啓が生まれた。ならば狐とは、如何な存在かが気になる。まず基礎情報として本草綱目がある(→▼)。

 狐の形に就いて、「似狸而黄」との意見と「似小黄狗、鼻尖尾大、全不似狸」との説を平気で併記している。これでは狸に似ているのか似ていないのか判らないが、とにかく黄色ではあるらしい。「狐善聴冰」この性質は、諏訪湖に氷が張ったとき狐が渡った後に初めて人が渡る習俗に関わっている(→▼鋸屑譚)。氷の性質に敏感な狐が渡ることを以て、人も渡ることができるほど丈夫だと判断するのだ。以前、美しい姫君が汗ばんだ頬に後れ毛を張り付かせ激しく喘ぎながら諏訪湖の氷を渡る話(本朝廿四孝)を紹介したが、姫には狐が纏わり付いていた。

 また、この性質は諏訪社七不思議に数えられている。諏訪社は、乞食に身を窶した毛野が海松が如き弊衣で太股も露わ、色気を振りまき、鎌倉蹇児を悩殺した場所だ。毛野は後に、霊狐に育てられた政木大全とも絡む。閑話休題。

 

 本草綱目に立ち返る。「狐有媚珠」美しい玉を持っているらしい。「狐至百歳、礼北斗変為男婦以惑人」狐は女性に化け男を誑かすが、その際に北斗を拝む。狐の妖術は、北斗信仰に関わっているようだ。玄中記には「狐五十歳能変化爲婦人。百歳爲美女爲神巫或爲丈夫与女人交接、能知千里外事、善蠱魅使人迷惑失智。千歳即与天通、爲天狐」とあり、千年生きれば天に通じ「天狐」になると云う。紀に拠れば、「あまつきつね」なら「天狗」のことだが、前回挙げた呂氏春秋には九尾の白狐・塗山女を妻とするに当たり「禹曰白者吾之服也其九尾者王之證也」とあった。禹は自分の服色を安房里見家と同じ白だとし、九尾を王の証だと云っている。また、芸文類聚には「春秋運斗枢曰、機星得則狐九尾。潜潭巴曰、白狐至国民利、不至驕恣」「孝経援神契曰、徳至鳥獣、則狐九尾」と九尾狐が瑞祥と捉えられた文献を羅列しており、「瑞応図曰、九尾狐者六合一同則見、文王時東夷帰之。一本曰、王者不傾於色則至」とある。此の文王は周文王・姫昌/文公であるが、九尾狐の出現が、徳の高い文王/文公に東夷が帰順する兆しであったと考えている。後に述べる如く、イメージとして、東夷は純朴だが猛々しい面もあり、天命を失いつつある暗愚の君からは離反する民族だ。東夷に認められることは、奸佞な中原の官僚に諂われることと全く意味が違う。文選も此の現象を「昔文王應九尾狐而東夷帰周(春秋元命苞曰、天命文王以九尾狐)」と書いており、九尾狐が天命を現世に表現したものだったと指摘している。

 上記、一般の狐は黄色だと認識されていたことを示したが、黄は土気の色である。「千年老狐枯木燃照則見真形」と、千年を経た狐であっても枯木に火をつけて見ると正体を現すという。木の霊力によるか。木克土の理が働いているようだ。宣室志には、狐が自らを土気だと云う話がある。また翻訳名義集には、「有三徳、其色中和、小前大後、死則首丘」とあり、黄色と表現すべきを、中央の気である土気を念頭に置いた「中和」なる語彙で記述している。

 但し太平御覧には「韓詩外伝曰、狐水神也」とも書いてある。陰獣で女性に繁(よ)く化けるから太陰/水性との理解も不可能ではなかろうが、同じ太平御覧には、「周礼考工記曰、狢踰■サンズイに文/則死、土気然也」とあり狢を土気としてをり且つ説文を引いて「狢似狐、善眠」とあって、狢を通じて狐も土気に列しそうでもある。どうも狐は【土】くさい。

 

 戌は金気と土気を含む。単純に季節で割れば秋に列する戌(九月)は金気であり、犬士が金気の氏族・里見に肩入れするも似合う。既に述べてきた如く礼記月令にも金気の季節である秋に皇帝は犬肉を喰って金気を取り込むことになっている。しかし四季に五行を配当すれば一行余る。土気である。土気は中央の気であるから四季でも四方でも、あぶれ者なのだ。土は春夏秋冬それぞれに半月だけ設定される。辰(三月)未(六月)戌(九月)丑(十二月)の後半が宛てられる。要するに季節が変わる直前の半月に割り込んでいるのである。戌は、金気であり土気である。八犬伝でも「犬」を紋所とする犬の中の犬、犬の中央に在る土気の犬士・現八は、四天王像造立に当たって、金気の犬士・荘助と組み、西に配当される。

 大全に「わんわん」と間違えられたほど犬と親和性がある政木狐であるから、五行に於いても犬士と親和性が設定されていることだろう。此まで挙げてきた文献では、狐は土気か水性だ。但し、政木狐に限っては九尾白狐と化した段階では、金気を帯びている。禹は九尾白狐を自分の服色と同じだからと妻にした。白を服色とするは源氏や安房里見家と同じく金気の氏族だ。禹の父は春秋左氏伝でも「昔堯■極の木が歹/■魚に系羽山、其神化為黄熊、以入于羽淵。実為夏郊、三代祀之」(昭公七年)とあって、「黄熊」であった。また、黄帝は「有熊氏」であるから、抑も熊は土っぽい。禹は黄帝の玄孫でもある。土気っぽいが、禹は五行革命論に於いて、金気に配当されていたりする。上に引いた話でも禹は、白を自らの服色だと語っている。即ち禹は白熊だったわけで、随所を墨で塗ればパンダの一丁上がりとなる。白熊は九尾の白狐と結婚したが、元々女性嫌いだった白熊は工事現場でトンデモナイ場面を妻に見られた。妻の白狐は絶望し石と化した。心閉ざした白狐から取り返した子どもが、中国史上初の世襲王朝・夏を開いた。結局、世襲王朝とは、白狐の怨念、絶望の産物であった。

 また狐一般に就いては土気か水気との説があるが、白狐の場合は金気に配当すべきであろう。金気の氏族・里見の義実は、新天地・安房に旅立つとき白龍を垣間見た。犬/戌が金気と土気を半々に持つことから、狐の本質としては水気との説もあるが仮に土気とするならば、金気をも帯びる白狐は土金兼備、犬と白狐は、かなり似通った存在となる。ならば、後に九尾白狐に化ける政木狐は、幼い大全に「わんわん」と間違えられる資格が十分にあると確認できる。また、禹の妻となった九尾白狐からの連想で、唐突に石化した宿命も頷けるようになる。

 禹の妻であった九尾白狐は石化した後に、一度は石として一体化した禹の息子・啓を切り離した。啓は後に世襲王朝を開く。政木大全は政木狐石化の後、八犬士に比肩し得る才能を見出される。そして「準犬士・政木大全」で述べたように、実在の大滝城主・正木大膳家は断絶を経て里見家と血脈を同一化し、紀州徳川家の源泉となる女性を輩出した。紀州徳川家は、徳川宗本家断絶に乗じて八代目を継ぐ。以降、馬琴以後の十四代目まで、血脈を世襲する。

 正木大膳の話題が出たので、ちょっと道草を喰おう。十八世紀中頃に編まれた古老茶話である(→▼)。

 里見安房守忠義は、「ばか」だったらしい。一つの段で二回も「ばか」呼ばわりされている。一般に、安房里見家改易は、大久保忠隣家改易事件と関わっているとされている。しかも大久保忠隣家事件は、仲間ではあったが単に苗字が同じだけの大久保長安事件と関わっていたともいわれている。当時は幕府内で大久保派と対立派閥が争っていた。しかし「ばか」だったら政争にも関わってないんぢゃないかと思うのだが、里見家改易の理由は、よく解らない。ただ江戸湾の入り口に十二万石の外様大名がいれば目障りだったとは思うし、義実から数えれば百五十年以上にも亘って房総に根を張った土着の豪族だ。島津、毛利、伊達、前田など明治維新まで生き残った土着の大大名はいたが、房総という地勢上の位置が、命取りだったか。表向きの理由は、里見忠義が妻の実家である大久保忠隣家へ米や人足を提供したことだった。幕府は一応、封建制みたいなものだが、大名が私的に連帯することを禁じていたのだ。このとき既に二代目の秀忠に将軍職を譲り駿府にいた徳川家康のもとへ家老の柾木大膳らが嘆願に行き、家康の約束は三万石だったようだが、実際には四千石程度といわれており、如何にかゼロにはならなかったが、忠義が「ばか」だったため、断絶に至ったという。……ちょっと言い過ぎなんぢゃないか、柏崎さん。

 面白いのは、古老茶話に拠ると、大坂夏の陣を控えた慶長十九年十一月三日、徳川頼宣に白旗と中黒の旗が与えられ、同日、柾木大膳の嘆願が容れられて里見忠義に伯耆倉吉が与えられることになった。頼宣は家康が、大滝正木家の姫・お万/養珠院に生ませた息子であり、紀州徳川家の祖である。更に云えば、実在の安房里見家は、二つ引両を紋とし、正木家は三つ引両を採用していた。但し、安房里見家は源姓新田流である。イメージ世界で家紋は重要な表現だが、実際には家紋なんて思い付きとかで変わるものだから、余り絶対視しない方が良いのだ。理由は判らないが伊藤大和守祐時が「月星紋を使わせて」と千葉常胤に頼んだこともあった。源頼朝の仲介で、渋々のようだが常胤は、伊藤家に月星紋使用を許している(→▼一挙博覧)。

 家紋の絶対化は、イメージ世界に限る。現実は、小説よりも奇なんだから。現実に於いては、当該氏族の系譜を、或る程度は推測できるものの、鵜呑みには出来ない。例えば、太平記なんかを愛した江戸人士が、足利対新田の戦いを、川柳で釜蓋と鍋蓋の戦いに見立てたのは、紋が二つ引両と一つ引両/中黒だったからであり、如斯きイメージ世界では鍋釜の逆転が決して許されないのだが、実際の源姓新田流の安房里見家は、お釜/二つ引両だった。逆に、元々藤原姓だった筈なのに源姓を名乗り新田流だと自己主張した徳川家が、イメージ上で新田を象徴する中黒紋と源氏の白旗を、息子に与えているのだ。此は、既に秀忠に征夷大将軍職が譲られ徳川家の世襲を自己主張するに当たり、源姓であることを、とにかく強調したかったようにも見える。時は慶長十九年、大坂冬の陣の直前…といぅより戦端こそ開かれていなかったが戦争状態には入っていた。征夷大将軍として天下奪取の仕上げに当たり、実は源姓でないから、殊更に大声で源姓だと主張せねば気が済まなかったのだろう。また里見家が改易された九月は、徳川方が交戦のキッカケとして利用した方広寺鐘銘一件で、豊臣方に最後通牒を突き付けた時期である。徳川方としては、背後を固めなければならない時期ではあった。

 

 狐に話を戻そう。狐に就いて一般のイメージを更に追えば(→▼宣室志・翻訳名義集・消閑雑記)、

 翻訳名義集には、「鬼所乗」との表記があり、此の場合の鬼は酒呑童子とかではなく幽霊とか邪霊など妖怪一般に通用すべきと見るべきだが、兎に角、アッチの世界の者の乗り物となっている。本草綱目にも「妖獣鬼所乗也、有三徳其色中和、小前大後、死則首丘」とあった。このほか例えば、酉陽雑俎で(→▼)、狐は髑髏を頭に戴き北斗を拝して変身するなど、オドロオドロしい雰囲気を醸し出している。また、此処では天狐は九尾だけど金色だと主張している。白狐は実在する希少種だから希少性により尊重され特殊な霊力を認められたのだろうが、一般的な狐の黄色の延長線上にある金色が天狐の色となっている。

 更に此のほか「捜神後記」では、近世説美少年録にも変形して引用された説話、即ち「顧旃猟至一岡、忽聞人語声。云、咄咄。今年衰覓得一穽、是古塚。一老狐蹲其中、前有一巻簿書。老狐屈指、有所計校。乃放犬咋之、取視簿書。半是奸人女多、已経奸、乃以朱鈎頭。名有百数、旃女正在簿次」が狐の話として載っている。

 

 このように狐には、人間の男女と姦する淫らな側面、誑かす怪しい側面、王者に天命を伝える瑞祥としての側面、王者と婚姻し新たな王者を生む聖なる側面と、多様な性格が見られる。今回は引かなかったが、信田妻伝説に見られる濃まやかな人間との情愛、子ども想いの性格などは、好ましい【人物像】を投影したものとなっている。単に、狐を見る者によって感じ方が違うってだけの話だが、擬人化もしくは擬神化は、親しく人の目に触れつつも家畜化しなかったという、不即不離の関係にあったことを示していようか。

 人にピッタリ寄り添ってきた犬には、守護神とか忠臣の伝説は多いけれども、あまり怪しい話はない。犬神だって、犬の本性というより犬の怨念を用いるものだ。対して猫も家畜化したが、犬ほど人に寄り添う態度を見せず、自由気ままで、未知の領域を残している。感情を移入できるほど親しみつつ、且つ一定の距離を置く、この距離感、何を考えているか不明な部分を残していることが、人間に妖しさを感じさせる要件なのだろう。

 

 人間は、膨大な妄想を、狐に押し付けてきた。世襲王朝の血を特殊化するイーワケとして、開祖・啓の父・禹の正体は白熊、母・塗山女は九尾の白狐とされた。前漢末に劉向が相生説により従来の五行革命論を転換していた。此の転換で、以前は木気とされていた禹が、金気へと異動した。狐を妻とするに当たって白を自分の服色だと宣言する禹は既に金気である。此の異種婚姻譚は前漢末以降に成立したものなのだろう。また、白狐も金気を帯びた存在だ。但し、狐そのものに就いては、土気であるとの説と水神であるとの意見があった。

 

 ところで此までにも述べてきたように、河鯉孝嗣のちの政木大全は、準犬士である。父の河鯉守如が、まず毛野と出逢い小堂の中で密かに契る。水気同士の相感である。水棲動物である所の蟹、いや扇谷上杉なる扇の蟹目/要となっていたのであろう賢妻・蟹目前は、毛野に奸臣誅伐を依頼する。水気同士の相感である。

 

 ……脇道に逸れるが、蟹といえば、漆に被れた金碗八郎が全裸に剥かれ、里見義実に全身をまさぐられたかもしれない場面がある。木曽・杉倉両名は、どうも此の時、蟹を捕らえて回っていたが、義実の行為が不明なのだ。全裸に剥かれた八郎が義実に愛撫されるうち、爛れた肌が蟹の脂を擦り込まれ美しく磨き上げられヌラヌラと淫らに輝いていく……。いや此の場面で馬琴は、光明皇后の挿話を引いている。故に、義実が八郎の全身に歯を立て瘡蓋を甘噛みしつつ吸い上げ舐め回す様子が暗示されて……ないか、やっぱり。因みに前近代の医学書などには、

 

     ◆

蟹 味鹹寒有毒主胸中邪気熱結痛■口に咼/僻面腫敗漆焼之致鼠解結散血愈漆瘡養筋益気○爪主破胞堕胎生伊洛池沢諸水中取無時{千金翼方巻第四本草下蟲魚部}

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○漆まけには杉の青葉を煎じ用ひてよし。又川蟹を叩き摧きて塗もよし。{雲錦随筆}

     ◆

 

 とあるから、八犬伝で、全裸に剥かれた金碗八郎に里見義実が蟹の脂を塗りたくってグチュグチュと揉みしだいたかもしれない場面は、全くの無理ではない。閑話休題。

 

 さて、知らぬ事とはいえ、親の仇を討った結果として河鯉守如を死に追い込んでしまった毛野は、守如に対し債務を負う。対関東連合戦で五十子を攻略した毛野は、まず守如の墓を整備した。此のことで大全は却って毛野を兄と慕う。筆者は、母として慕ったのではないかとも疑っている。此の時既に河鯉孝嗣は、政木大全となっている。政木狐と再会し、刑場から救われたとき改名したのだ。

 水っぽい苗字から河鯉家は水気ではなかったかと、筆者は思っている。父の守如は、毛野と契りを結んだ。しかし政木狐と再会し、木気の犬士・親兵衛と絡んで政木大全と改名する。河鯉から政木に改名することで大全は、水気から木気に転換したと疑える。水生木、後に毛野は大全の尊属扱いとなり慕われる。但し、大全孝嗣は名前からすれば、毛野と同じ智(水陽)ではなく信乃(水陰)と同じ孝徳に依っているだろう。信乃と親兵衛の親(ちか)しさは縷々述べてきた。孝たる大全孝嗣が、仁に転換したのだ。元々、孝と仁は近い。「孝弟也者其為仁之本与」{論語学而}である。

 水気から木気へと転換した政木大全は八犬伝終盤、金光寺へ赴いた折、政木狐と再会した。政木狐は九尾もつ龍と変じており且つ白石に化していた。九尾白狐となっていたのだ。政木狐……元々「政木」は本名ではなく単に孝嗣の乳母・政木に化けていた故の綽名みたいなもんだが、彼女は既に九尾白狐、金気となっていた。此の事件から推せば、政木大全は木気でありながら、金気の擁護を受けるという特殊な地位に就いた。金克木である筈なのに、大全は自分を克する筈の金気に愛されている。此は或る意味【最強】である。また、単純に平行移動と考えれば、木気となった政木大全を庇護する者が金気の白狐ならば、水気であった時の河鯉孝嗣を育てた狐は土気ではないか。水は木を産み、土は金を生じる。そう考えると、やはり、上述した如く、白狐は土気にして金気をも帯びた存在となり、土気にして金気を帯びた犬と等価となる。幼い大全が奇しくも政木狐を「わんわん」と見誤ったことは、恐らく彼女が犬と等価の存在へ昇華することを預言されたものだ。近世でも狐は、あくまで「こんこん」であって、「わんわん」ではない。ご愛敬のうちだが例えば、

 

     ◆

○こんこん坊

享保の末、正徳のころ、こんこん坊とて修行者ありける。つらがまへ反歯にて口のとがりたるが狐に似たりとて人々こんこん坊也と呼びはやすを己がてにもおどりものして、これや王子の稲荷也、或は妻乞九郎助稲荷なんど数多いひならべ、みめぐりいなりのおとをりなんどゝてものこひあるきけるよし、古き人のものがたれけるが、俳諧名物鹿子にも出て図しありしをそのまゝうつす。{只今御笑草}

     ◆

 

 また、大全が金気をも帯びた木気であることは、大全個人に対する任意の性格設定を超え、馬琴の政治哲学にまで関わる大問題だ。

 モッキンバード。里見義実・義成は、金気の氏族であり且つ共に「義」(金気)であり尚且つ仁君(木徳)であった。金は刑戮である故に治安維持を能とする。征夷大将軍は近世までに、金気の氏族たる源氏に独占されることとなった。征夷大将軍は字面からすれば周辺民族侵略司令官もしくは防衛司令官だが、実際には治罰をこととする治安維持軍司令官だ。日本総追捕使である。例えば以前に述べた如く、永享の乱には、久しぶりに治罰綸旨を奉じた室町幕府が、朝敵である足利持氏一党を討った側面もある。実は里見義実、朝敵の余類なんである。抑も征夷大将軍は有事に当たって臨時に置かれる令外の官であるから、現代風に謂えば、天皇を奉ずる戒厳令下の軍事政権である。しかし儒教政治哲学の影響下に於いて、建前上は戒厳令下の軍事政権とはいえ、実際に内政を取り仕切る徳川幕府は仁君でなければならない。治安維持のための武威と、一般内政のための仁風を兼備せねばならぬ。政権の正当性を主張するに当たり、相克の理を孕む両徳を兼備すると強弁する必要がある。元々木気の藤原姓を名乗っていた徳川氏が、金気たる源氏のフリをしたばっかりに、背負わねばならなくなった矛盾である。皮肉なものだ。しかし実の所、既に五行説は政治の玩具であるから、幾らでも現実に擦り寄る。幇間に過ぎない。五行説を実は信仰していない日曜史家の筆者が、過去の事実を理解する場合にのみ、便利なツールとして五行説を用いる所以である。

 モッキンバード、なるほど天命は、義/罰と仁/賞、鞭と飴を共に内包すべきだと示すだろうが、鞭と飴を人が手にした途端、飴と鞭/賞罰の恣意的行使に堕する危険性を孕んでしまう。【お仲間成果主義】である。御仲間を上げ底し、自分に都合の悪い相手を貶め矮小化する二重基準の誘惑が待っているのだ。

 例えば、本来なら相携えるべき相手を嫉妬により無理に否定し其のクセ相手の死後には慌てて評価し持ち上げる、即ち利害が反しない状態になって其れまでの御仲間成果主義/衆愚を恃んで無理に否定していた相手を評価し直す場合があるとは、日曜史家の筆者にとって、大塩平八郎の著述を引くまでもなく当然事に過ぎない……というより日常茶飯に目にする現象だ。私人は措き、罷り間違って公的な場で斯かる暗愚を犯す者がいれば、各種財が御仲間成果主義により分配されるようになり財の浪費・死蔵に結果し、以て其の社会は滅亡の坂を転がり落ちる。淘汰は理に任せるべきであり、恣意が介入すれば愚かなる者ばかりが繁栄する。適正な淘汰の背景として適正な理を保証するこそ君主最低限の義務である。勘違いした「我が我が」の自己失調者たちを交通整理する義務を負えない者を、暗愚と呼ぶ。中世に有名な例を求めれば、馬琴が大好きだった太平記、其の主人公の一人、後醍醐帝が思い浮かぶ。閑話休題。

 

 さて、政木大全の話に戻ろう。政木狐/金気に愛されつつ、木気の氏族となった大滝城主・政木大全(史実では正木大膳)家は後に、里見家と血脈を一にする。或る事件で断絶するが、家名のみ残し、里見家が血脈を嗣ぐのだ。金気に愛された木気の家は、木気の家名を冠する金気の血筋となった。そして、大滝正木(八犬伝では政木)家は、紀州徳川家の源泉となった女性、養珠院お万を輩出する(→▼楓軒偶記)。

 近世に至り、紀州徳川家の吉宗が、本宗家断絶後を襲って八代目となり、此の血脈が馬琴時代以後の十四代目まで続く。里見家は忠義、何となく道節を思い起こさせ馬鹿っぽいが、忠義の代に断絶する。断絶するが、【里見の血】は吉宗となって、白龍の一部どころではない、日本全体を支配することになる。ただ仁君であるばかりでは、玉梓を許そうとした里見義実同様、暗愚に陥る可能性がある。刑戮を司る金気に見守られることで、初めて社会の秩序を保てる。九尾白狐に見守られる仁君こそが、求められることになる。

 吉宗の復古的でありながら多少は進取的である改革のうちに青春を送った馬琴、吉宗の孫で賢明を謳われた越中褌担ぎ松平定信の改革も目の当たりにした馬琴、里見一族でもあった大滝正木家の血を引く吉宗・定信が賢君と賞讃された時代に馬琴は、いったい何を考え、八犬伝に何を託したのか……。(お粗末様)

 

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