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○八百比丘尼

万葉集に坂上大嬢贈家持云々、人者雖云、若狭道乃後瀬乃山乃、後毛将会君。枕草子に、山は三笠山後瀬山小倉山、是特其名を得て云々。此山の麓に八百比丘尼の洞有。空印寺といふ寺に又社有り。八百比丘尼の尊像は常に戸帳をひらく。花の帽子を着し手に玉と蓮華やうの物を持たる座像なり。又社家に重宝有り。比丘尼所持の鏡、正宗作の鉾太刀、駒角、天狗爪あり。比丘尼の父は秦道満とひし人のよし縁起に見へたり。初は千代姫と云し。今は八百姫明神と崇む也。越後柏崎町の十字街に大石仏有り。半は土に埋る。大同二年八百比丘尼建之と彫刻して今に文字鮮明なり。隠岐のすさびに云、岩井津といふ所に七抱の大杉あり。古へ若狭国より人魚を食したるといふ尼来りて植て八百歳を経て又来り見んといふて去と云々。故に八百比丘尼の杉といふ。この事古老の語りしは此国今浜の洲崎村にいづくともなく漁者にひとしき人来り住。人をして招きあるじ儲す。食を調所を見ければ人の頭したる魚をさく。怪みて一座の友に囁き合ふさまして帰る。一人その魚の物したるを袖にして帰り棚の端に置て忘れけり。其事常のつとならんと取て食しけり。二三日経て夫間にしかじかの事いふに驚き怪みけり。妻いふ、初め食する時味ひ甘露のごとくなりしが食終り身体とろけ死して夢のごとし。久しくして覚て気骨健かに目は遠きに委しく耳に密に聞、胸中明鏡のごとしと云。顔色殊に麗し。其後世散じて、夫を始め類族皆悉く生死を免かれずして七世の孫も又老たり。かの妻ひとり海仙となり。心の欲する処に随ひ山水に遊行し若狭の小浜に至りしとぞ。{笈埃随筆}

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