◆後家か比丘尼か◆

 

 八犬伝に於ける最大の妖怪は八百比丘尼であろうが、実際の室町時代、伏姫が八歳の頃(文安六年)京に現れた白比丘尼も長寿との触れ込みであった。此方は別段、悪いことをしていない。せいぜい認知症か何かで自分の年齢を忘れたが、平家物語なんかは完璧に記憶している女性を、八百歳だと唱えて連れ回した興行師でもいたのだろう。だいたい一般に云われている八百比丘尼像は、提醒紀談に載す程のものであろう(→▼)。

 俗説に拠れば、白比丘尼/八百比丘尼は、若狭の出身で、若さを保った……いや、人魚の肉を食べて不老不死となった。八百歳のとき、死んだとも洞窟に籠もって姿を消したとも云われている。若狭の寺にも八百比丘尼の像が残っているが、手には玉と花を持っている。この花は、現在では八百比丘尼の愛した白椿とされているが、近世では必ずしも、確定はしていなかったようだ。

 「笈埃随筆」では花を蓮華としている(→▼)。近世では、前代より遙かにマシだとしても、遠隔地間の情報流通は、心許ない伝言ゲームだ。御当地で「椿だ」との常識があっても、伝わる間に「えぇっと手に持ってる花は何だったっけなぁ……仏様の一種だから蓮華だったかなぁ」となったか如何は知らないが、「蓮華」だと思っていた者もいたのだ。八犬伝に「八百比丘尼妙椿」は登場するが、さて馬琴は若狭の八百比丘尼が持つ花を、椿と知っていたか、蓮華と思っていたか。「妙椿」からだけでは、判断がつかない。

 近代、柳田国男なんかは八百比丘尼が椿を植えて回った伝承から、椿を【春の木】と決め付けている。恐らく、字面からだろうが、なるほど、春は木気であり、最も生気が横溢する刻だ。春夏秋冬の陰陽を正弦波としてイメージすれば、陰陽の最大値は冬夏だが、上方へ向くベクトルが最も急な角度をもつ時は春であり、夏は陽の値は大きいものの下降を始める刻でもある。春を生命力横溢の刻と解釈すれば、春の木である椿は、生命力を象徴し得る。不老不死とは、異常に大きな生命力を付与されることだから、八百比丘尼には確かに、椿が似合っている。ならば当然、八百比丘尼が椿を植えて回った意味は、有り余り過ぎた生命力の分与もしくは発散だろう。

 

 尤も、此が近世の熊野比丘尼・歌比丘尼となれば、春は春でも売春をも事としつつ渡り歩いた。背景のない/紐付きではない単独の女性が全国を渡り歩くとなれば、真性の女性宗教者であったとしても、男としては【開かれた性的対象】として認識しがちだ。宗教者であろうと何であろうと、女性であれば性交可能だろう(いや別に美少年でも可能だが)。八百比丘尼は八十歳で尼となり全国を行脚したが、こりゃまぁ単に釈迦の寿命が八十歳だったから設定されただけの数字であって、若々しさを維持していたのだから実年齢が八十だろうと八百だろうと、男にとっては【使用可能】だ。放浪の美尼は、十分に淫靡な性的対象である。八犬伝でも、背景のない八百比丘尼妙椿は性的存在として活動する。こんな江戸小咄は皆さんも聞いたことがおありだろう。筆者お気に入りの咄だ。

 

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どこでもよれば色ばなし。ア丶おらはおぼこな振袖がゑい。イヤイヤ新造より年増がおもしろい。イヤおらは地色はきらいだ比丘尼がゑ丶。といふ内ニひとりが、いやいや何もいらぬ諸事後家がよい、とかく後家のこと後家のこと。といへば皆口をそろへて、そふだそふだ後家後家。といへば、ア丶おらが嚊も早く後家にしたい。{聞上手}

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 まぁ此の場合の「比丘尼」は色比丘尼のようだ。「地色」が素人女を指すならば、比丘尼は色を売るプロフェッショナルを意味せねばならぬ。故に本来の尼ではなく、尼形の売春婦である所謂「色比丘尼」と解せらるるのだ、が、妙椿も十分に資格があろう。また、後家も魅力ある存在であった。昨今では人妻専門のエロ男性誌があるが、江戸期には下手に人妻に手を出すと女敵討ちで殺されても文句が言えなかった(死人に口なし、殺されたら何であっても文句は言えぬが)。人妻の魅力は、【ワケ知り】であるところのようだが、後家は、人妻の属性から配偶者を欠落させており、フリーの/開かれた「ワケ知り」となる。孤閨をかこつているから、誘いに応じ易いと男どもは期待もする。戸山の妙真は、心ならずも後家なる淫靡な位置に就かされており、まさに舵九郎の欲望を掻き立てる。また音音の嫁・曳手と単節も若後家として男どもの欲望を惹き付けた。では、後家であり比丘尼であれば、こりゃぁスゴイことになる。実際、近世の後家比丘尼には猛者がいたらしい。当代江都百化物である(→▼)。

 好色の大化物とされている後家は、再婚話が持ち上がったとき、二夫にまみえずとばかり、比丘尼となった。何のことはない、再婚すると神奈川に行くことになるので、夫が生きていた時分からの密通相手と逢えなくなる、逢い続けるため偽って比丘尼となり再婚話を断ったのだ。しかし元々芝居好きの派手好みだったから、歌舞伎の「女鳴神」の主人公を真似て着飾り、所々の説法を聴きに寺社に詣でる。詣でるが目的は密通男との逢い引きだから、白昼に致しまくっていたのだ。「鳴神」は当時の狂言で、頼豪阿闍梨の話を下敷きにしている。しているが、此処でいう鳴神は女鳴神であって、主人公を演じた歌舞伎の女形・瀬川菊之丞(路考)の真似をしているらしい。

 此の話の面白さは、比丘尼が男と交わらない存在であるべきだとの前提に立ちつつ、実際には逆だと暴露している点にある。再婚話を断るために比丘尼になっていることから、比丘尼は一般に、特定の男と制度上結びつくことが出来ないことが解る。しかし鳴神比丘尼は、制度上は男と結びつかないものの、私的に結びつき続ける。鳴神比丘尼としては、自分を性的にフリーな立場に置くため、出家したことが解る。これこそ近世の売春婦、色比丘尼の論理であったろう。「一 江戸には姦夫の償を金七両弐分といふ。大坂にて五両二分と云もおかし」{金曾木}と云うが、大坂の方が首代が安いことはさて措き、既婚女性との密通がバレたら金がかかるし命の保証もない。男が異性交遊する相手は、既婚女性でない方が無難なのだ。また、聞上手にもあった如く、比丘尼は、ほぼ後家に次ぐ、淫靡なイメージも持たされていた。特定の男と緊密に結びついていないとの意味で、フリーであり【開放】された性的対象であった。此の淫靡さは、後家であり比丘尼に準ずる仏教者/優婆夷であった戸山の妙真が、舵九郎に襲われそうになることからも解る。

 

 馬琴も下駄屋の後家・百と結婚したが、さて百にも熟れた性的魅力があったや否や、筆者の知る所ではない。(お粗末様)

 

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