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◆不老不死伝説の歪曲◆

 

 若狭の八百比丘尼は比丘尼であるから仏教者だ。仏教者にとって【面白おかしく不老不死】なんてなぁ在り得ない。八百比丘尼は、見知った眷属が次々に死んでいく中、孤独に苛まれた。楽なる感覚が失せ、ただ生きている比丘尼。まるで浦島太郎である。不老不死による孤独の物語が、若狭人の好みだったのか。結果論として八百比丘尼は、肉食により人魚の呪いを受けたと解することも出来る。

 尤も不老不死伝説が、元々長命による孤独をテーマにしていたとは思わない。しかし仏教をはじめとする宗教者の手を経るうち、不老不死は【死すべき存在である人間の望んではならないもの】と決め付けられていったのではないか。特に仏教の看板は、無常観であり生者必滅だ。現実社会に於いても、不老不死が楽しいものであり、人魚を喰えば叶うとなれば、家業を擲ち人魚を求める者だらけになるだろう。社会は成り立たない。漢武帝は死んだ李夫人を慕い、反魂香を用いた。幻覚作用のある麻薬か何かだったのかもしれない。或いは秦始皇は童子・幼女三千人をつけて徐福に不老不死薬を探しに行かせた。徐福は東方の蓬莱を目指し、何故だか日本の熊野に辿り着いた。英邁だった帝王も、不老不死の願いに取り憑かれた途端、暗愚に堕す。受け止めるべき宿命を現実を、放棄した者が暗愚にならぬ筈がない。

 とはいえ不老不死の願いは根強い。犬士らも不老不死っぽくなって、富山の仙境に遊び、死ぬともなく消えた。仏教でさえ、尸解なる現象を主張した。仏教は一般に、霊魂は記憶をリセットされて輪廻すると考えた。偶に前世の記憶を持つとされる者もいたが、あくまで特殊事例だ。尸解は、其の人であるまま現世で活動を続ける。生者必滅を唱えつつ、但し仏教の掲げる理念を実現した者のみは尸解を達成すると規定し、且つ其以外の不老不死を否定し排除する…如何考えても甘えた理不尽だが、中国神仙思想と結びついた結果なのか。若狭の八百比丘尼も、孤独で苦しい不老不死の状態に置かれたことは人魚の肉を喰った報いと考えられるが、本人が苦しかろうと、人々は八百比丘尼を祀り信仰した。不老不死が実は辛いとしても、それは人々にとって【贅沢な悩み】に過ぎない。八百年も続く生命の実感は誰にもない。八百年とは云わない、多くの人々は恐らく、あと一年あと一日だけでも生きていたいと切実に思い詰めながら、死ぬ。八百比丘尼への信仰は、彼女の有り余り過ぎた生命力の、おこぼれにあずかろうという、甚だ御尤もなものであっただろう。如斯き不老不死への強固な憧れに、現行の若狭八百比丘尼伝説は、其の孤独と苦悩を指摘することで抵抗を試みている。だが、余りに「不老不死」のインパクトが強すぎて、少々の抵抗では焼け石に水だった。若狭の八百比丘尼は、八百姫大明神として信仰を集めた。特殊な仏性を有つ者が厳しい修行をしての上なら、例外的に尸解ぐらいは認めた仏教ではあった。しかし、何の変哲もない少女が、何の修行もせず、人魚の肉を摘み食いしただけで、世界的に広く渇仰された不老不死を実現してしまえば、仏教の股間……沽券に関わる。夢の実現に、才能も努力も不要となる。そうなれば宗教なんて、小五月蠅いだけ、無用の長物となる。不老不死を無価値なものにするためには、例えば若狭八百比丘尼伝説なら、原形を留めぬほど換骨奪胎せねばならない。長野県史民俗編四巻北信編三第十二編口頭伝承第二章伝説2その他の植物の伝説に斯くある。

 

     ◆

○比丘杉

戸隠神社の中社にある。

昔、手力雄の子孫にあたる阿智の祝が、この地方に手力雄をまつったとき、神木として植えた杉だと伝えられる。一説には、若狭の国の八百比丘が祈願のために植えたともいう。「三本杉」ともいわれている。{担当者名略}

     ◆

 

 これでは何が何だか解らないが、とにかく若狭から来た「八百比丘」が杉を植えたらしい。言い伝えに過ぎないから、明確ではないけれども、如何やら、次のような話だ。若狭に住む男が、一所懸命に命乞いする人魚を殺し、肉を取った。肉を喰った三人の子どもたちは苦しみ悶えた。徐々に人魚の姿に変わり、死んだ。戸隠神社へ行き人魚殺しを懺悔し子どもを供養せよとの夢告があった。出家した男は八百比丘と名乗り、戸隠神社中社前に三本の杉を植えた。なお、「八百比丘」の名は、神前の草を八百日間踏んで懺悔したことによるらしい。

 千葉県なんかには、一人でも人魚の肉を喰うと村中の者が死に絶えるとの伝承が残っていた地域もある。現存する話では、必ずしも人魚の肉は不老不死をもたらさない。其れは前述の如く、不老不死への願いを、宗教者が否定し伝説を捻じ曲げた若しくは捏造した結果であろう。戸隠に残る八百比丘の伝説も、若狭八百比丘尼の話を換骨奪胎したものではなかったか。何たって、戸隠では比丘尼ではなく比丘だ。戸隠は女人禁制の山であった。長野県史には、戸隠山に忍び込もうとした尼が、神罰として石に化した伝承を紹介している。少なくとも「奥社参道の越水入り口」「小川村立屋戸隠三院旧蹟の参道」二箇所に石が残っているという(→▼関連/諸国里人談)。

 八百比丘の話は、伝説のスター八百比丘尼の存在を男性化してまで、戸隠の女人禁制ルールを守っている。別に女性であっても構わないのに。例えば、漁師の夫は人魚を逃がそうとするが妻が許さず殺し、子どもが食べてしまったとすれば、「懺悔する八百比丘尼」の一丁上がりだ。また戸隠八百比丘伝説には、わざわざ妻に先立たれた男が美女人魚と出会ったとする場合もある。妻が生きていても、人魚を殺す障害にはならないだろうし、人魚が美女である必要もない。偶々の現実なら人魚が美女でも男が妻に先立たれていても仕方がないが、人為的に構築された伝説のディテールには意図が隠されている。此の設定では、人魚殺しの前後に、性的虐待もあったことを暗示していると見なければならぬ(殺害の後に嗜む者もいるらしいので「前後」である)。此の筆法は、扇情的な事象で耳目を惹き且つ悪逆非道さを強調した後、男を不幸のドン底に突き落として、説教の効果を上げようとするものだろう。戸隠八百比丘の伝説には、宗教者もしくは同調者の強い介入が想定できる。八犬伝に於ける人魚は第百回に載せられている(→▼)。因みに、李八百の話は神仙伝にある(→▼)。

 えぇっと、馬琴は宣言している。若狭の八百比丘尼伝説から、其の綽名と洞窟の話だけを借用した、と。洞窟の話とは、若狭小浜にある八百比丘尼を祀る空印寺から「丹波」まで洞窟が続いていた伝承を、館山城から諏訪神社の大樟まで地下道を通って蟇田素藤の掠奪隊が里見義通を襲った話に借用したというのだ。現在、通りの良い八百比丘尼関連の洞窟は、彼女の入定窟である。八百比丘尼は洞窟に入って、此の世から姿を消した。しかし馬琴は、【不思議なほど長い地下道】を採用した。此は後、尸解した丶大が伏姫籠窟で入定する話を、八百比丘尼と関連づけずに峻別する必要から、敢えて書き加えた注釈かもしれない。放っておいたら読者が、「丶大は八百比丘尼か!?!?」と大騒ぎしそうだ。彼は狸爺かもしれないが、八百比丘尼本人ではない。

 とにかく馬琴は、若狭八百比丘尼伝説から、綽名と妙に長い地下道の部分だけ借用した、と強固な限定を宣言した。なるほど、若狭八百比丘尼伝説の最重要部分、人魚の肉が長寿の薬になる部分は、冒頭に書いた如く、八犬伝には見られない。八犬伝で持ち出されるものは、人魚の肉ではなく、人魚の膏油である。刀鍛冶・丸屋太郎平から五代遡った麻呂太郎平信之(朝夷郡を領した麻呂家分家)が、海を漂流してきた人魚膏油の樽を見付け、子孫に残したのだ。回国の僧が云うには、食べれば三千年の寿命が得られる人魚肉ほどの力はないが、それでも九穴に塗れば水に入って凍えることも溺れることもないという。また麻呂信之が試したところ、打ち上がった新刀の切れ味も良くなった。鉄まで切れちゃうのである。里見側となった麻呂復五郎重時・再太郎信重・安西就介景重の三人が対関東連合戦で用いる(第百六十一回)。結局、人魚膏油は、人魚肉と同一直線上にあり効果を希薄にしたものとして設定されている。八犬伝の八百比丘尼は人魚肉を用いず、効果を薄めた人魚膏油を里見側が用いるのだ。死者さえ甦らせる伏姫神授の万能薬など、里見側も、かなり妖しい世界に足を突っ込んでいる。

 

 縷々る〜と人魚に就いて述べてきたわけだが(→▼参考:本草綱目)、八犬伝の八百比丘尼妙椿は、人魚の肉を喰ったから長命なのではなかった。彼女は単に、妖怪であったから、長命なだけだ。しかも人間に化け、長命であることを他の人間に知らせるメリットはない。せいぜい素藤を利用するため気を惹くことにしか、長命であるとの触れ込みを使っていない。一旦、素藤と逢ったら、あとは知略と魔力で頼りにされ、性的魅力でも素藤を惹き付けた。彼女が長命であることは、長命な狐である政木との対抗上、必要な設定であるし、狸であることは、日本書紀を経由して、犬(士)と絡む要件でもあった。逆に人魚絡みの妖しいアイテムを用いる者は、里見側であった。

 

 馬琴が宣言しているように、八犬伝に於ける八百比丘尼の存在意義は、其の綽名と、彼女の伝説に現れる奇妙に長い洞窟のみだ。しかも洞窟に関しては、若狭から丹波に続くものだと断っているから、彼女の後身である画虎との間接的な関係を感じさせるに留まる。対して、八犬伝に出てくる洞窟は、素藤の居る館山城から諏訪社の大木まで突如として抜けたものだった。八百比丘尼妙椿の妖術で掘ったものだった。素藤が里見義通を掠奪したとき使った此の抜け穴洞窟は、八百比丘尼が埋めたか伏姫が潰したのか、事件直後の風雨が治まったとき、跡形もなかった。しかし、わざわざ八百比丘尼を登場させた意義が、此の洞窟なのだから、理解に苦しむ。やはり八百比丘尼妙椿を間接にでも、丹波と結び付けたかったと思えてならない。

 八犬伝では、人魚の肉も出てこないし、彼女自身は物語後半でキッチリ滅び去る。妙椿が八百比丘尼と呼ばれることは、彼女自身の性格設定に殆ど関係ない。ただ上述の如く、妖怪もしくは野神を本質とすること以外には、彼女には、背景を持たぬ/性的にフリーな状態にある美熟女である故に蟇田素藤と結託する役割が与えられている。此は後家や比丘尼であれば都合が良い。但し後家は、現在フリーであっても過去の背景を引きずっており、いきなり登場すれば不自然だ。その点、比丘尼なら回国修行をしているとか何とか、如何とでもなる。全く背景も過去も不要のうちに、性的にフリーな立場で物語に乱入できる。

 筆者は従来、戸山の妙真と八百比丘尼妙椿が、親兵衛/八房との関係などから、根を同じくした対称形であると指摘してきた。妙椿の「椿」が、伝説上の八百比丘尼が愛したとされる白椿を由来とするか否かは全く判断し兼ねるが、八犬伝物語が明らかに示している妙真との対称性から、真(しん)と椿(ちん)、音の近さが由来の一つだとは推測できる。勿論、「ちん」のうち「椿」の字を採用したことに、若狭八百比丘尼の伝説が影響を与えていることは、あり得る。名前は、例えば人魚をもじって「忍堯(にんぎょう)」でも何でも良かった筈だし。また、若狭八百比丘尼像も玉を持つので「妙玉」……あ、妙玉ぢゃぁ紅楼夢になっちゃうか。とにかく読者にとって「妙椿」は前提となってしまっているが、馬琴にとって「妙椿」は思考の結果であって、前提ではない。八百比丘尼から即座に「妙椿」に飛びつくのではなく、あくまで作中事実から推せる範囲で考えるべきだろう。故に、やはり、作中事実から導き出される妙真と妙椿の対称性を第一義に考慮すべきだろう。(お粗末様)

 

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