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作者曰、俗にいふ若狭の八百比丘尼は、その虚実詳ならず。按するに、奥羽観迹聞老志(巻第十磐井郡十九)に云、若狭国に白比丘尼と号する者あり、其父一旦山に入り異人に遇ひぬ、与倶に一処に到れは殆一天地而別世界也、其人一物を与て曰、是は人魚也。これを食へ年を延て不老といふ、父携て家に帰れば其女子迎歓び其衣帯を取り因て人魚を袖裏に得たり、乃これを食へり、(蓋肉芝之類歟)女子の寿四百歳、世に所謂自比斤尼是也。(原本漢文、今仮名をまじえて、これを録す)又、諸国里人談(巻第三山野部)に云、若狭国小浜の空印寺は八百比丘尼の住し処也、則御影あり、側に洞穴あり、其奥限りを知らず、土人云、当寺五六世已前の住持この穴に入り奥を揣るに三日を経て丹波の山中に出たりといへり、相伝、むかし女僧あり、この処に住、齢八百歳にして其容貌十五六歳の壮美也、より八百比丘尼と称す、里語に云、此女僧は人魚を食ひし故に長寿なりしとぞ。又塩尻(或問帝王諡篇)に云、若狭国八百姫明神は(俗に八百比丘尼と云)何の神の子、答、其社記の詳なるを見ざれ、とかくいひかたし、但し古事記に、大年の神の子、羽戸山の神、大気都比売神を娶て、若沙那売神を生給へるよしあり。蓋此神歟、といへり。見るべし、聞老志には、白比丘尼として、寿四百歳とへり。然を信景翁は、八百姫明神の事と。いまだ孰か果否を知らねど、原是斉東野人の語に等、虚実の詳ならざることかくの如し。顧ふに件の八百比丘尼は、唐山の小説に所云、李八百の亜流ならん。今この編には、但その綽号と、洞穴の事を借用するのみ。洞穴の事は、下回に見えたり。寓言といへども、本づく所なきにあらず。看官作者の用心を知るべし。

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