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◆乱世の卵生◆

 

 平安な社会に於いては天然自然が安定し順調に推移する。しかし世が乱れると、常識では考えられないようなことが起こる、との思想が昔にはあった。男と男がセックスすることは現代のみならず古代中国にあっても珍しいことではない。しかし男色性交の結果として子どもが生まれるとなれば、異常事態だ。同性生殖なる異常事態の発生は、男色性交なる生殖活動の異常化によって引き起こされる。異常が異常を生む。天然自然の歯車が狂ってしまったのだ。夙に述べた通りである。

 同性生殖か異性生殖かは不明だが、カモノハシでもあるまいし、哺乳類たる人間の女性が卵を産んだら、やはり異常事態であろうし、社会の異常、世の乱れを警告もしくは予言していると考えて良かろう。不祥である。ならば例えば、人間の女性が犬と婚姻し、剰つさえ八人も元気な子どもを生んだら如何か。やはり、世の乱れを警告していると考えても良いだろう。

 伝説上、卵生の人間は幾らかいるが、今回取り上げる者は、偃王である。まず「阿耨多羅三藐三菩提」でも使用した「琅邪代酔編」がある。何たって琅邪代酔編は、八犬伝で何度か馬琴が引用している書物だ。まず以て、馬琴が知っていたと考えても良いから、他書より通りが良かろう(→▼)。

 底本が和刻本だから表記が怪しい気もするが、取り敢えず徐偃王が卵生であること、捨てられた卵を拾って無事に孵らせた恩人(?)は犬であり、犬は死んだとき角を生やし尾が九本生えたこと、偃王は葬った犬もしくは葬った場所を「狗壟」と呼んだことは分かる。因みに通常「壟」は土饅頭すなわち墓などを示すから「狗壟」は【犬墓】となる。犬塚と言い換えても良かろう。

 偃の母は徐国の宮廷に勤めた者であり、別に男とは特筆していないから、恐らく女性であっただろう。偃を徐君が引き取り跡を継がせたことから、徐君は上記の宮女を愛人にしていたことも推定できる。身に覚えがあるから、引き取ったに違いない。鵠は白鳥、蒼は青だから、犬の名「鵠蒼」は、白かつ青、となる。白は里見家も連なる源氏の服色であり金気の色だ。青は木気の色であるから、東方や仁徳を象徴し得る。そして偃は「長而仁智襲徐国」、仁智に富む人物に成長し徐国の主となった。

 琅邪代酔編の記述は、偃王を「卵生」の例として挙げている。則ち、偃王の一生のうち卵生に関わる部分、卵生した人間の特徴を最小限示しているに過ぎず、徐君となったこと以外、彼の人生に就いては語らない。偃王自身に就いては中途半端な紹介に過ぎないが、実のところ彼は結構な有名人なので、詳しい説明は不要だと割愛したのかもしれない。琅邪代酔編は随筆であって史書ではないから、作者のオカルト趣味に随い、最小限のみ書いたのだろう。

 儒家は怪力乱神を論ずることを慎む。オカルト趣味なぞ、もってのほか……の筈だけど、近世前半日本に於ける儒家の総帥、林道春(羅山)はオカルト趣味満載の「怪談全書」の作者とされている(しかし本当に羅山が書いたのか?)。此の「怪談全書」も偃王に就いて、琅邪代酔編と同様の部分のみ紹介している(→▼)。

 「怪談全書」は此の話を「事文類聚」から引いたと云う。事文類聚は一種の百科事典で、宋の学者によって編まれた類書だ。類書だから、項目毎に古書を抜き書きしている。信頼すべき素性のものではあるし馬琴も玄同放言で参照しているが、二次編纂物であって、参考にはしても此処から引くことは憚られる。明治大正期に編まれた古事類苑みたいなもんである。羅山も案外、手抜きをしている(ってぇか、本当に羅山が「怪談全書」を書いたのか?)。怪談全書を疑うわけではないが、此処では博物志も見ておこう(→▼)。

 琅邪代酔編や怪談全書もしくは事文類聚は、偃王に就いて「卵生」なるセンセーショナルな側面のみを取り上げているが、博物志は卵生偃王の末路にまで言及することで史書ともリンクし、思想的な域にまで達している。

 まず気を付けたいのは、博物志の「生卵以為不祥」は、あくまで卵が捨てられる方便であって、博物志自体が必ずしも、卵から生まれた人物そのものを不吉な存在とは見ていない点だ。何故なら博物志は、件の卵から孵った偃を「長而仁智」、理想的人物に成長したと伝えており、決して否定的ではない。故に「不祥」としたのは、あくまで一旦は卵を宮中から遠ざけ捨て去り、九尾の犬を登場させるための方便だと解釈し得る。異常な形で誕生した者は、偉大となる場合が、ままある。まぁ極悪人もいるが、熊の子だったり狐の子だったりして、異常なまでの超能力に恵まれた帝王となったりもする。異常な誕生は、善悪限らず絶対値の大きい人物への成長を、なかば予言している。

 

 さて、卵生と聞いて思い出す者は、馬琴が八犬伝、里見家対八百比丘尼の戦闘で参考にしたともされる平妖伝の主人公・弾子和尚だ。弾子和尚は、卵から孵った。物語の前半、自己肥大化の欲望に取り憑かれ、悪役狐に与し妖術を学んだ和尚だったが、最後には善玉に寝返り妖術を使って悪役狐を滅ぼす。悔い改めた悪役、即ち意思により自ら善玉へと転換を遂げた者である。また、悪役が裏切られることにより、悪役の立場がより脆弱なものに貶められ、結果として、勧善懲悪の理を一層強調している。

 悪とは、多大な利益を配分し続けなければ仲間にさえ裏切られるほど、実は脆弱な基盤しかもたない。せいぜい過去に配分した利益の恩義を言い募るしか、眷属を引き留める力をもたないのだが、元々悪役の辞書に「恩義」なる語彙があるか怪しい。悪役は元々恩義云々ではなく、勢力拡大のため眷属を集めようと利益を配分してきた。恩義などではなく互いの利益で結びついてきたのだから、利益が流通しなくなれば、関係は断絶する。売春までコトとする忘八者にとっては、金の切れ目が縁の切れ目、理の当然だ。利益が流通しなくなった場合、悪と善を並べられ、善に与するようになった弾子和尚は、ゲンキンとはいえ、本性が善に寄っていたことになる。

 このことは平妖伝の前半、美しい人妻を強姦殺した盗賊を、乱暴極まりないとはいえ、殺した挿話にも表れている。相手が盗賊だろうが何だろうが殺人は殺人なのだが、前近代の大衆小説では、復讐私刑すなわち仇討ちが容認されていた。弾子和尚は前半、濫望/乱暴すなわち自己肥大化の欲望を多分にもっており、故に悪に誘惑され易いキャラクターではあるが、根が善玉の割に、聖人君子然としていない部分が、大衆小説の読者にとっては魅力的に映り得たか。如斯く平妖伝でも、異常な誕生をした者すなわち卵生自体は、結果として不祥ではない。但し、世が乱れていること若しくは乱れることを警告しているからこその「不祥」である。

 話を博物志に戻すと、偃王は、「王」と名乗ったことから解るように、周王朝に対する反逆者ではあった。しかし博物志は偃王を、悪辣暴虐には描いていない。寧ろ、人望厚い仁智豊かな君主としている。

 凡百の君主は、国家にしがみつき人民を戦争の犠牲にする。国家を放棄した君主は、人民からも見捨てられる。しかし偃王は、周の穆王が楚に命じて徐を討伐しようとしたとき、人民を犠牲には出来ないからと国家を放棄し、隠棲するのだ。それでも万単位の人民が従ったのだから、真性の仁君であったのだろう。尤も後世には、偃王を負け犬と捉え、仁に過ぎたために滅びたと評価するむきもあるが、万単位の人民を従えての隠棲は、果たして【敗北】なのか。史書に載す周の世界、歴史の表舞台から姿を消したからといって、それを以て敗北とすべきか。権力亡者同士の争いから離脱したことを以て敗北とするは、権力亡者の誤解に過ぎない。自分を信頼しきって慕う万単位の人民に囲まれた偃王が敗者か? 権力亡者と同じ土俵に上がらなかっただけの話である。寧ろ周からの独立と捉えた方が、精確ではないか。関東管領が支配する領域の中に、堂々と居座る共和的集落・穂北が彷彿とする。いや抑も南総里見領国からして、日本であって日本でない、関東であって関東ではない、理想郷(イデア世界)の投影であった。卵から生まれ、九尾の犬に拾われた偃王は、理想郷の主宰者たる資格を有していた。世が世ならば、天命を受けるべき者であった。

 偃王が無抵抗のまま人民を引き連れ隠棲したとは、史記にも後漢書にも出ている有名な伝承である。卵生だったと本文では書いていないだけだ。当然、馬琴も知っていただろう。史記の方が好みだが、此処では後漢書を見る(→▼)。

 夷は、中国から見て東にある異民族で、「仁而好生」と「天性従順」であった。このため周の歴史に詳しい筈の孔子も「子欲居九夷。或曰、陋如之何。子曰、君子居之、何陋之有」(論語子罕第九)と語った。東夷に「剛毅木訥近仁」(論語子路第十三)とのイメージを抱いていたのか。性根さえ善ければ、風俗の卑しさなど君子を見習って改まると云っているようだ。しかし東夷は夏・桀王の暴虐を見て侵略してくる強気な面もあり、奇妙な感覚の持ち主であった。おとなしいのか凶暴なのか、よく解らない。これが偃王ともなると、九夷すなわち東方諸民族全体を率い、周を攻めている。周は偃を東方三十六国の主に命じた。命じたって云っても、東方を放棄し偃に差し出したようにも読める。そうこうするうち周の穆王は楚に命じて徐国を討たしめた。兵は拙速を尊ぶ。穆王は極めて足の速い馬をもっていたのだが、此の馬を使い、楚に使者を送った。偃王が察知する前に兵を動かそうとしたのだ。一種の奇襲である。準備が整っていなければ、戦いは不利となる。前述通り、人民を不利な戦争に巻き込むことを回避するため、偃は山の麓に隠棲した。人民が万単位で従った。

 矛盾して見える東夷もしくは偃の行動は、【通常は従順だが権力者が天命を喪ったと見れば猛々しく反抗を始める】と解すべきだろう。春秋繁露なんかにも「天不言、使人発其意」(春秋繁露巻第十深察名号第三十五)と曰うが、東夷もしくは偃王は、もの言わぬ天の命を伝達・表現したのではなかったか。更に云えば、天は陽の極であるから生を好む。東は木気/少陽であり生を好む。東方の王・偃が生を好み人民の犠牲を避けることは寧ろ当然であり、周を見限った天命に従いつつも、殺伐に手を染めきることは出来なかったと理解すべきだろう。(お粗末様)

 

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