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◆犬の賞味期限◆

 

 前回、八犬伝の【時間制限】と不用意に述べた。此は、動かしがたい時刻が幾つか存在するってことだ。そして辛酉である嘉吉元年の大事件としては嘉吉乱があるけれども、結城合戦も同年である。まさに八犬伝は結城合戦を起点としている。

 辛酉年は、王朝の天命が革される秋である。馬琴にとっては美味しい舞台設定だ。物語のスタート時点として結城合戦が採用された理由の一つは、此の干支「辛酉」であろう。同年の嘉吉乱が辛酉らしい革命だとされることは多いが、馬琴は結城合戦に目を向けた。歴史の偶然だろうが、里見家に都合の良い符合があったため、南総里見八犬伝が書かれたのでもあるだろう。恐らく皆さんも従来、そうお思いであったに違いない。此の極めて容易に推測できる設定に就いて、云々する必要はないだろう。敢えて贅言すれば、例えば、冒頭近くで義実が龍の一部を見たことが日本全国の統一ではなく一部の支配にしか繋がらないことなどから、「然ば君賢にして、臣も亦賢なれども、只褊小の国を有ちて、兵馬連帥の大権を執るに由なき者和漢に多かり。是則天也命也」{第百八十勝回上}とある如く、八犬伝が天命をテーマの一つに据えていることは自明である。辛酉年にスタート時点を持ってくれば都合がよい。

 また、物語は明応九年の里見季基六十回忌辺りで、ほぼ完全に終息する。即ち、辛酉年に始まった物語が、干支一回りで終了するのである。……が、ヤヤコシイことに革命の年は辛酉だけではない。干支一巡りの始点である甲子年にも革命が起きるんである。甲子は漏れなく辛酉の三年後に回ってくる。だから前近代日本では延喜以降の千年ばかり、辛酉年、甲子年の多くで改元を行った。辛酉で改元しなかった年は永禄四(一五六一)年と元和七(一六二一)年の二回だけ。甲子は康保元(九六四)年以降、前近代は欠かさず改元した。改元は、南北朝とも行っている。

 ただ辛酉の革命と、甲子の革命は、やや意味が違う。甲子は干支そのものの始まり、即ち生命の萌芽を起点とした時の流れを示す。対して辛酉は、金弟酉であり、酉は金気の陰だから「辛酉」は金陰の中の金陰だ。金は、刑戮を象徴する。辛酉年は、強力な【刑戮】の力が働く年である。先祖が受けた天命に安座し堕落した為政者を引きずり下ろす秋なのだ。

 則ち、辛酉年の結城合戦からスタートした里見八犬伝は、干支が一回りする最後の年、明応九庚申年に、ほぼ終わる。里見季基の六十回忌が行われ、犬士の八玉が四天王の眼として安房四隅に埋められ、このころ犬士の痣も消えている。ゝ大が岩戸に隠れ、犬士の活躍は止み、重要な立場で活躍した里見の老臣たちは殆ど絶滅した。物語は、ほぼ終わっている。翌年の辛酉、文亀元年、里見義成が死ぬ。此を以て、金気の氏族・里見が玉梓を刑戮したために始まった物語は、完全に終わったと見てよい。後は、里見物語としては余談だ。が、まだ正式に幕を閉じていない物語がある。

 辛酉だけが革命の年ではない。もう一つの革命、自然の巡行を定める新たな天然の流れは甲子に始まる。結城合戦の三年後、嘉吉四年/文安元年に何が起こったか。泣いてばかりいる子猫ちゃん……ではなかった、壬戌(みずのえ・いぬ)、嘉吉二年生まれの伏姫が、役行者に八玉を含んだ数珠を与えられた。そして八犬伝物語のうち、作中で明確な年号が判る最後は、静峯姫死去と考えてよかろう。あとは後日談だ。即ち、馬琴の設定では、静峯姫の死去までが意味を持った年号である。それは永正元年、甲子の年であった。

 此処で補説を要するは、何を以て終了の明示とするか、である。何故に辛酉年に日本で年号が変わったかといえば、辛酉年に起こるべき革命に先んじて年号を変えて疑似革命とし、本当の革命を回避するためだ。ならば或る革命政権は前年の庚申年に【ほぼ終わる】のだが、実際に終わるのは、次の革命が起こる辛酉年だ。だから嘉吉元辛酉年に起きた革命、仁君・里見家による安房支配開始の物語は、明応九庚申年に実質的に終わるのだけれども、翌文亀元辛酉年の義成死去で終了を明示する。だって、辛酉は【革命の起こる年】なんである。よほど計画して為さねば元日午前零時にキッカリ禅譲なんて起こりえないし、放伐革命なら尚更だ。故に現実には、前の革命政権は辛酉年までズレ込んで存続しなければ、空白が生じてしまう。簡単に言えば、画期は六十年毎に来るが、干支だけで見れば【足掛け六十一年】が一つの天命の賞味期限なのだ。

 此の事から、嘉吉四甲子年に伏姫が役行者から霊玉を与えられて始まった時間が、六十年を経て終わったことを明示する指標が、永正元甲子年の静峯姫死去である。甚だ地味な存在ではあるが、静峯姫は伏姫の、極めて淡い投影であろう。勿論、静峯姫が既に大人の女性として、お子ちゃま親兵衛の妻となり、しかもセックスレス生活を六年も送ることで、親兵衛と同居し見守る女性すなわち母としてのイメージを持たされている。何たって静峯は、前述した如く、沼藺とは実花/虚花の関係にある。親兵衛は房八でもあるから、沼藺は母であり妻である。静峯は沼藺であるから、母であり妻である。親兵衛が若すぎるときには母として過ごし、成長を遂げれば妻となる。また沼藺・静峯は、伏姫の分霊でもある。静峯の奇妙な禁欲生活は、伏姫が配偶者・八房とセックスレス生活を送ったことや、親兵衛を富山に拉致監禁して養育した故事と、イメージで繋がり得る仕掛けだ。

 

 また、静峯姫と親兵衛の年齢差は、犬士中での年齢格差の結果でもある。里見八姫は結婚時、十六歳から二十歳で、上下差は四歳、近世の適齢期と重なる。対して犬士は、現八・小文吾・荘助・道節が二十七歳、信乃・大角が二十六歳、毛野が二十一歳で、此の七人も、まぁ適齢期のうちだろう。親兵衛のみ十一歳で、お子ちゃまである。此は、童子神ちびっ子スーパーヒーローを設定したとも読める半面、前述の如く房八と殆ど同一人物であるとのキャラクター設定に深く根ざしている。

 

 ところで犬士二世の名前を一覧すれば、興味深いことに気が付く。長男は、なるほど二世と思われる名付けになっている。荘介など名乗りも襲名し、正統な継承を臭わせている。また、養子に出したり独立させた二三男も、概ね出先を明確に表している。

 まず現八の息子を見ると、長男は犬飼玄吉(後に現八)言人、二男は許我の足利政氏に仕えた犬飼見兵衛道宣、三男は上総国望陀郡の郷士になった甘糟糠介である。長男は現八から直接の継承を感じさせる。言人はニンベンに言、信そのものだし。二男の道宣は、やはり足利家に仕えた養父の犬飼見兵衛隆道から名乗り「見兵衛」と「道」を受け継いでいる。「宣」は、いきなりだが、「宣(の)り」とも訓むから、「言」絡みだろう。三男の甘糟糠介は、現八実父の糠助からだろうが、郷士となった他の二世犬士が一世ゆかりの地に落ち着くに対し、甘糟糠介のみ何故だか上総国望陀郡に向かう。八犬伝で上総国望陀郡といえば、念戍の故郷・犬成村がある地域だ。実在の地名であるが、やや唐突である。まぁ話を先に進めよう。

 小文吾の二世は、長男が犬田小文吾(後に豊後)理順で、悌順を順当に嗣ぐ。二男の那古小七郎順明は下総国行徳の郷士になるが、此は父・古那屋文五兵衛を無視して、神余家の忠臣で小文吾の伯父・那古七郎由武に由来するであろう。但し、順明は祖父・文五兵衛が宿屋を開いた行徳に向かう。

 毛野の長男、犬阪毛野胤才も毛野胤智の正統な継承者だろう。千葉に向かうが千葉氏には仕えず郷士となる二男・粟飯原首胤栄は毛野の父・粟飯原首胤度からか。

 荘介の長男、犬川額蔵則任は荘介の父・犬川衞二則任まんまである。

 大角の長男、犬村角太郎儀正は大角の養父・犬村蟹守儀清とも被るが大角の若い頃の名前・犬村角太郎礼儀により近い。二男の赤嵒正学儀武は、大角の実父・赤岩一角武遠の痕跡は残している。

 そして信乃の長男、犬塚信乃戍子は、殆ど犬塚信乃戍孝そのものである。大塚の郷士となる二男の大塚番匠戍郷は、大塚匠作三戍と大塚番作一戍を由来としていると思しく、「郷を戍(まも)る」と最も郷士らしい名前にもなっている。

 

 道節の長男、犬山道一郎(後に道節)中心は、「中心」は忠だろうから、まず以て道節本人を起点とした名前だ。二男で落鮎余七有種の養子となる落鮎余之八有与は、道節忠与と余七有種のハイブリッドのようだ。道節の父・犬山監物貞与入道道策も「与」字は持つが、道節の本質を示す「忠」を長男が使ったから、道節由来の字が「与」しか残っていなかったと解する。また、姨雪翁に「与」字を与える与えないと揉めたこともあるので、やはり「与」字となれば、道策より道節の印象が強い。三男は里見家菩提寺・延命寺を嗣ぐ道空だが、此も道節を由来としていると見ておく。道策の方が「入道」である分、近いとするむきもあろうが、上杉謙信だって武田信玄だって太田道灌だって入道であるが戦国武将であって僧侶と考える人はおるまい。形だけの入道であって、形だけなら道節も寂莫道人を名乗っている。因みに余談だが、近世囲碁の名人・本因坊道策の高弟・井上道節は実力を認められながらも本因坊を継げず道策の子を後見するに留まったようだが、古来、碁将棋は纏めて一分野にも印象づけられており、江戸幕府は碁将棋衆として両道の名手を抱えていたけれども、いや別に八犬伝第一輯の口絵(白地蔵)で犬士の先頭に立つ道節の着物が将棋の駒柄だからって本因坊道策らと犬山家の間に関係があると現時点で強弁はせぬが……、まぁ話を先に進めよう。

 さて親兵衛の長男は犬江真平如心と親兵衛直系である。また依介の養子となった犬江大八も、全く親兵衛そのものだ。親兵衛は分裂生殖でもしたのか。

 

 犬士二世の名前は、父・祖父・養父・伯父と父系尊属の痕跡を残すものが多い。但し長男だけを見れば、荘介のみ長男が祖父と同一の名前で、他はまず一世犬士本人を起点にした名前だ。また、一世犬士が里見家に仕えた後も実家が存続していた犬江屋は、何故だか子どもがおらず、親兵衛の二男が送り込まれ継続の目途が立った。(格下ではあるが)道節の盟友ともいえる落鮎余七も男子がなく道節の二男を養子に迎える。また、念戌が嗣いでいた丶大の法統を三男・道空が継承する……と云いたい所だが、延命寺に入った道空は、丶大から続く禅宗の法灯を否定し、真言宗へと転換する。小文吾の二男は、犬田家は以前に古那屋を称してはいたが元々の那古家を、再興する。このとき文五兵衛ではなく兄の那古七郎の跡目を継ぐ形になっていると見られる。毛野の二男は、毛野が犬阪と名乗る以前の実家・粟飯原家を嗣ぐ。此処でも毛野の父・粟飯原首胤度を引き継ぐ形だ。大角は養家・犬村家を嗣いで里見家に仕えていると考えられるが、実家の赤岩家も二男に再興させている。対して現八は里見家に仕える自分の犬飼家は長男に任せるが、二男にも犬飼家を分け元々仕えていた足利家にも送り込む。足利家中犬飼家の再興ともいえる。

 で、一億人の恋人・信乃は、自分の分身のような名前の長男には犬塚家を継がせ、犬塚家となる以前の大塚家を二男の番匠戍郷に再興させている。

 現八の実父・糠助は役行者の霊地・安房国洲崎の農民で、追放されて武蔵国大塚へ流れ着いた。また、現八の三男・甘糟糠介は郷士だから半農半武(単なる農地所有者かもしれないが)ではあるが、農民・糠助の血脈を再興させる意図にも見える。ならば本来、安房国洲崎か武蔵国大塚の郷士とすべきだ。が、武蔵国大塚は、信乃の本貫であり二男の大塚番匠が入る。別に定員は一人とは決まっていないだろうが、現八・信乃の二世に互いの婚姻関係が見られないことから、二人の間に相互最重要の関係を設定していなかったと思われるので、馬琴も、敢えて糠介の行き先として、大塚を撰びたくなかったのだろう。いや、寧ろ、糠介は糠助の故郷・安房国洲崎に赴くべきではなかったか? しかし糠介は、唐突に上総国望陀郡に飛ばされる。安房に行けない理由でもあったのだろうか? ……恐らく、あったのだろう。犬士二世男子は、長男を除き安房を去っている。例外として道節三男・道空がいるが、世俗を離れた出家者だし、延命寺に入った彼は、丶大から続いた禅宗の法灯を否定し、真言宗へと改めた。犬士の父にも擬せられる丶大の記憶は、道空によって抹消された。小文吾も、既に父の古那屋文五兵衛が引き払った行徳で、那古家を再興している。が、安房国那古でも別に良かった筈だし、二男の名乗りからすれば那古七郎家の再興を意図した独立だから、尚のこと安房に据えた方が適切だと感じる。更にまた、犬士二世長男たちも後に、一世に諭され里見家を見捨て安房を去った。後に呼び戻されたが、勤務地は上総国九瑠璃(久留里)であった。里見家は乱れ、分裂していたのだ。二世の犬士は、活躍を見せる場はないけれども、世襲ではなく彼等自身の能力を評価されて、五千貫の大身で抱え直される。一世犬士の八霊玉が四天王として守護する安房国は、既に二世犬士の立ち入る場ではなくなっていた。唯一安房に残った道空は、丶大が住持を勤めた禅刹・延命寺を真言宗に改め、法灯を断絶させている。

 理由は簡単、恐らく、既に天命が革されていたからだろう。嘉吉元辛酉年に刑戮を以てアンシャンレジュームを払拭した仁君・里見家に、嘉吉四辛酉年、天命は降った。里見家のうち、観音の化生として壬戌年に生まれた伏姫に、物語世界の主宰神・役行者から、天地開闢時に生み出された八霊玉が与えられた。此の八玉が天命の象徴であっただろう。辛酉年の刑戮により発した玉梓怨霊が絡み、だがしかし、怨念も天機に導かれたか事もあろうに犬に纏わり憑いた。犬が戌年生まれの姫と相感し、八犬士の誕生に繋がっていく。しかし同時に伏姫は自殺した。天岩戸は閉じ、暗黒の支配する世界となる。狭蠅なす邪神たちの跋扈、悪が善を苦しめ虐げる世界で、八犬士は自らの使命に目覚めていく。……しかし天の巡行が六十年という周期を終えれば、犬の天命も終わる。四天王の霊玉は、或る時期、犬の玉ではあったが、元々は、より高次の存在である役行者の管轄だ。犬の時が終われば、次に天命を与えられた別の者の玉となる筈だ。用済みとなった犬が、安房に存在する必要はない。役行者は、また別の者に天命を降しただろう。二世犬士・甘糟糠介が、糠助の故郷であり役行者の霊地である安房国洲崎に行けない所以である。天命の転換、犬から天命が離れた事を明示するため敢えて馬琴は、犬士の子孫を安房から追い出したのだ。天命は犬から離れ、安房は既に【犬の王国】ではなくなっていたのである。(お粗末様)

 

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