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南総里見八犬伝第九輯巻之三十三簡端附録作者総自評
稗官野史の言風を捕り影を逐ふ。架空無根、何ぞ世の人に裨益あらん。其要は只春の日に独坐の睡魔を破るべく秋の夕に寂寥の鬱陶を■翳の羽が巫/すに足るのみ。是をもて漢土に斉諧異苑の二書あり。国朝に浦嶋子伝続浦嶋子伝あり。便是和漢小説の鼻祖戯墨の嚆矢といひつべし。是より以降彼も我も其才に匱しからず。宇都保源氏物語の艶にして且花多かる水滸西遊記の奇くて且巧なる其文絶妙句句錦繍寔に是稗史の大筆和文の師表なるものから只其足ざる所をいはば源語は事皆淫娃に過て反て勧懲に詳ならず。水滸は勧懲隠微にしてよく是を悟る者なし。うち見は強人の義侠に過ずぎ。是も亦惜むべし。其大柢を知るも知ざるも又善読得ぬるも読得ざるも南倍■低のツクリ/戯墨を事とせる己が如き曲学者流は皆其顰に倣まく欲りして糟を舐り垢脂を拈る、和漢今昔幾人ぞ。其才あるは骨を換胎を奪ふて傑出なる大筆殆世に罕にて多かるは其骨を換ず胎を奪はで■クニガマエに勿/■クニガマエに倫のツクリ/呑なれば似て非なる者武を接ぐ、今に至て衰へず。蓋其筆の遠祖、伝へて稗史物の本に聖なる所以にあらずとせんや。抑古昔の文人才子の稗史物の本を作り設るに必古人の姓名を借用して胡意其事を異にす。譬ば源氏物語の光君竹採物語の赫奕姫{昔赫奕姫といふ美女三人あり。詳に吾放言に載たり。見るべし}。水滸伝の宋江等三十六人及彼晁蓋高■ニンベンに求/等西遊記の三蔵法師曲曲にいふまでもなし。足ざる者は意匠もて作り設て要に充つ。未生の人も亦多かり。水滸伝なる地殺七十二人西遊記なる孫悟空■コロモヘンに楮のツクリ/悟能沙悟浄及諸魔君の如し。毛挙るに遑あらず。
又憶ふに稗史は胡意其歳月を具にせず。是将作者の用心にて正史と同じからざるを示すなり。然ば本伝に名を出しし北条長氏の事などを見て思ふべし。彼長氏の伊豆より起りて小田原なる大森実頼を伐走らして其城に拠りしは明応三年の事にて本伝に所云文明十五年より一元十二箇年後なり。然るを本伝には当時の事とす。況安房の里見氏の山内扇谷の両管領と兵を構し事などはあるべくもあらず。か丶る事猶多かり。しかるに本伝の正史に合ふ処はさらなり作設けし条にも年号をしるししは本意に違ふに似たれども只看官の与に某の事は某の年より某の年までと意識の栞に做ししなり。然るを柱に膠せる者は虚実の間に遊ぶを知らで世を誣し俗を惑すとて憎み論ずるは腐爛に庶かるべし。毛鶴山が琵琶記の評に其伝奇なる蔡■邑に温泉湯気みっつ/にして後漢の蔡■邑に温泉湯気みっつ/にして後漢の蔡■邑に温泉湯気みっつ/にあらず、おのづから是別人なりと見るべしといひしは、婦幼の疑ひを解くに足る老実者の言に似たり。只琵琶記の蔡■邑に温泉湯気みっつ/のみならず西廂記なる鶯鶯の類伝奇にも多くありて古人の姓名を借用しぬる者此間の能楽降りて歌舞伎浄瑠璃本の如し。看官誰か実事とせんや。明の謝肇■サンズイに制/がいへらく、今の人稗史小説を見て其年紀事実の正史に合ざるあれば云云といふ者あり。かくの如くならんには正史を読に不如。其事の実に過ぎたるは閭巷の小児を悦するのみ。士君子の為に道に足らずといへり。寔に是扈言なり。
しかるに近属雄飛録の作者其書の中に本伝の実録と年紀合ざるを咎めて甚しく誹りしを予は烏滸しく思ひしのみ。歯に掛るに足ざれば当時解嘲に及ざりしを今思ひ出ければ筆の次に聊いふなり。然れば上に解く如く本伝なる里見父子並に八犬士てふ善士等は昔の里見氏にして昔の里見氏ならず。昔ありける八犬士にて昔ありける八犬士ならず。且本伝の歳月も則昔の歳月にて亦是昔の歳月ならず。いはでもしるき架空の言、畢竟遊戯三昧にて毫も世に裨益なし。這裨益なき技に幾春秋の意匠と倶に多く人工を費して老の至るを知ずやありけん。本伝都て百七十回、杖にはならぬ筆ながら只旦暮につくづくと幾遍物をおもへども思ひ難つ丶脚曳の山鶏の尾のしたり尾の、したり貌なる長物語は烏滸がまし。この烏滸人の烏滸のすさみにあなれども欲するよしは善を勧め悪を懲しつ世間に教ならして頑なる女子童蒙翁媼達の迷津の一筏にもなれかしとての所為なれば戯墨に筆を把り初ける。吾少壮の昔より懋て久しうなる随に六史九経女教女訓の貴きを手にだも触れず聖教賢晦の忝きを夢にだも知らぬ婦女子の予が綴れる物の本をのみ好て読こと年来になる儘に稍仁義八行の人身に在る道理をも不義隠慝の身を亡す所以をもおのづからに弁知りて近隣き人の女の子輩に教るまでになりにきとて其歓びを人伝に云云といはれしことあり。こは切てものことにして本意に称ひぬ。さりながら世の諺に云鰯の頭も深信によればなるべし。然ば是等の人の為に猶諄反して解くべきよしあり。
大凡稗史物の本に古人の姓名を借用するは上にもいひしことながら昔の孝子順孫忠臣貞女を誣て悪人に作り易べからず。其善悪を転倒せば縦新奇といふといへども勧懲に甚害あり。譬ば本伝なる金碗八郎孝吉は故君の為に怨を復して且二君に仕へず自殺しける義烈の士なり。又山林房八は身を殺して仁を為しし義侠の良民なり。倶に未生の人なれども是等を弑逆窃盗の大悪人に作り易られんは予が甘ぜざる所なり。稗史伝奇の果敢なきも見るべき所は勧懲に在り。勧懲正しからざれば■ゴンベンに毎/淫導欲の外あらず。或は善人不幸にして悪人の惨毒に死辱を曝す事なども作者宜く憚るべし。こも勧懲に係ればなり。因て意ふに和漢今昔学得たる奇才子あり。未君子の大道を得聞ざる才子あり。其才は是一なれどもいまだ学ばず又思はず遂に君子の大道を知ずして勧懲正しからん事は最難しともかたかるべし。
この故に予常にいふ。この故に予常にいふ。唐山にて大筆なる稗史の作者は皆能学得て君子の大道を知ざるはなし。■しか/るに其稗史中に淫奔猥褻の段間これあり。見て悟らざる者は作者時好に媚て這醜情を写したりとのみ思へり。豈然らんや、しからんや。其淫奔なる者は残忍兇悪の男女にして善人にはこの事なし。譬ば水滸伝に武太郎の妻潘金蓮が西門啓と奸通の醜態を写し又揚雄の妻潘巧雲が裴如海と奸通あるが如し。潘金蓮潘巧雲西門啓裴如海等は毒悪惨刻罪死を容ざる■ケモノヘンに竟/■号に鳥/虎狼の大悪人なり。這姦夫淫婦等が不義の淫欲に■身に耽のツクリ/りぬるを看官羨しく思はんや。便是勧懲に係る所後の姦淫を戒る作者の隠微を猜すべし。是よりして下冷山平燕を師として才子佳人の奇遇を作り設たる者近日舶来の小刻に特に多かる。好逑伝柳鶯囀の如きは僂尽すべくもあらず。孰も相似て時好に媚ざるにあらねども然しも只其真情を写して淫奔猥褻なる筆を要せず。則是本伝なる信乃と浜路の情態を見て思ふべし。其情態に好人と歹人の差別あるよしは又本伝なる籠山縁連と船虫と竹林巽と於兎子の如し。皆是水滸に潘金蓮西門啓等を作り設てもて邪淫の戒になしし心操に同じ。況や美少年録なる陶朱之助が荒淫の甚しきを予が筆には似げなしと看官思はば予が本意にあらず。那朱之助は後に陶晴賢と成登るべき弑逆の大悪人なり。他が少年なりし時淫奔なるを羨て誰か晴賢たらんことを願ふべき。是も亦勧懲に係るよしあるを思ふべし。只善にもあらず悪にもあらぬ貴介の公子閨門の麗人及び市井の男女の闕隙を鑚り相援きて野合の淫楽の痴情を宗と写す者は■ゴンベンに毎/淫導欲ならざることを得ざるべし。そは予がせざる所なり。
昔孔子の詩を削るや、猶淫娃の詞を遺して芟も尽さざりけるは後の戒を垂る丶なり。又心誅の文法をもて春秋を作るに及びて乱臣賊子は怕れしと云。果敢なき稗史物の本なりとも、学問の余力もてせる真の作者はこの心操を見すもありけり。しかるに本伝なる定正顕定成氏の如きは皆暴悪暗愚の君ならぬも酷く貶して作り做ししを看官訝しく思ふもいあるべし。彼定正顕定は其先世に主君持氏を弑し且乱世の蔽に乗して京都将軍の命令をもて持氏の幼息春王安王を生拘り害して且故君の職を横領しける不義逆悪の行ひあり。定正顕定は其児孫として大職を承続ぎながら徳を脩めて先世の罪を償まく欲せず屡成氏を攻伐走して君臣順逆の義を見かへらず剰扇谷定正は最後に仇の誣言を信容れて持資入道道灌を誅ししより兵権いよいよ衰へて子孫凋落せざるを得ざりき。こ丶をもて本伝には貶してもて愚将とす。又成氏の如きは冤家の為に立られながら時務を知ず、叨に憲忠を誅して鎌倉を追出され滸我に移りて其城をも顕定に攻破られて千葉に寓居したれども仁義をもて家を興すことを知ず。先父持氏の弑逆に逢るは乃祖尊氏の下剋上の余殃なるを悟らざりしは不賢なり。こ丶をもて貶たり。意衷は清の逸田叟が女仙外史に所謂春秋心誅の筆に倣ふといはんは烏滸がましかるべけれども、この余も本伝に褒貶あり。そは知る人ぞ知るべからむ。
又本伝に経文聖教を雑識ししを人或は訝咎めて物の本にはあるべくもあらぬに、かくては経文聖教を慢侮しぬるか僻事なりとて嗤ふ賢もあるならば、そは予が志と異なり。本伝は新奇の小説なれども其仁義を説き善悪を弁ずるに至りては虚実の二あるべくもあらず。いまだ四書五経を一語一句も学得ざる婦幼も本伝を愛読序に肇て其経文聖語の尊きを知るよしありて且感じ且悟りて学びの道に志す人しもあれ、と思ひぬる。只是老婆親切もて言儒経にすら及びたり。なでふ聖語を慢侮せんや。用捨は看官の随意なるべし。
時己亥の秋■サンズイに七したに木/月著作堂の南窓に静坐して本伝の作者みづから評{栗鼠の頬袋から再掲}。