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良薬口に苦しといひけん譬喩はこれ歟。大刀自御前は聞も果さず御気色変りて曲碌掻遣り佶と睨へて、やをれ由充何とかいふ。女流の主ぞと侮りて歟、指揮がましき似而非談義、然ばかりの事知ざらんや。縦荘介小文吾們は素より悪意なきもの也とも法度を犯し有司を害して法場を鬧せしを、なほその罪にあらずとて允さば今より下として上を犯さぬものもなく律令立ず法度廃れて国治る時なかるべし。俺身女流にあなれども武威東北に掲焉く両管領にも憚らるゝ長尾景春が母ぞかし。今景春は東国に在り。俺児の留守を預りながら、大石千葉の女壻達の与に罪人を捕捉ずは、州民是より侮りて景春の武威衰へん。恩祿その身に不足もなき主君にだも思ひ易て那罪人們を最惜まば由充汝は不忠の臣也……後略

……中略……

大刀自御前は御こゝろ雄々しく封内の訴訟を听つゝ政事給へば、今に初ぬことながら、這義におきてはその理に称はず宜き沙汰とは思はねども某その家臣として君を蔑する方なければ非法と知りつゝ詭りの計を行ひにき。景春当所に在しなば縡恁までにおよばんや。……中略……這里より密使をまゐらせてよしを主君に告稟すとも景春はおん母君に大孝行にましませば今さらに這議を制めて各位を助よと仰すべうもあらずかし。

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ちなみに此の箇所は、大刀自のみならず長尾景春に関して興味深い情報を与えてくれる。荘助・小文吾への処断は、側近である由充から見ても、理に適っていない。しかも「今に初ぬことながら」、過去にも何度か理不尽な裁定を大刀自は下したらしい。由充は、景春がいれば、こんな裁定は下さないのにと残念がるが、此処に至っては、大の孝行者景春は反対しないだろうと言う{七十八回}。忠臣である由充の言葉だから割り引いて聞かねばならないが、関東を戦乱の渦に巻き込んだ下克上野郎/白井長尾景春は、どうも真の極悪人ではないように書かれているのだ。景春ならば、荘介・小文吾を無理に処刑しようとしないだろうし、しかも大の親孝行者なんである。大刀自の処断を不適切だと指摘する由充であるから、景春に対して真実と逆の虚偽を語るとは考えられない。極悪ではないにせよ悪玉のボスキャラとして登場する暗愚の両管領に敵対する景春は、八犬伝では、下克上野郎のくせして、なんだか少し甘い評価を受けているのではないか。

八犬伝で景春は、越後春日山を本拠とし、鎌倉にあった山内上杉家の内管領であったのに{六十三回}独立の意思が強く、元々長尾左衛門尉昌賢の居城だった上毛白井城を扇谷上杉定正から奪い返したと語られる。実際には白井が本拠だし、内管領にもなってない。なれなかったからこそ、山内上杉家に反旗を翻したのだ。

但し扇谷上杉定正の忠臣/河鯉守如が、「越後の長尾景春は原是当家の冢臣なりしに、その甥修理介の事より起りて主君を怨み奉り」{八十九回}と語っているように、何時の間にか景春は扇谷上杉家の家老になっちゃっている。しかも「甥修理介」が如何とか言っているが、此は甥ではなく叔父であり総社長尾家へ養子に出た修理亮忠景である可能性が強い。景春は、父である景信が関東管領山内上杉家の家宰を務めていた関係で、自分が家宰/内管領を継げると思っていたのに、顕定が叔父の忠景を内管領に任命したため拗ねちゃって、反抗したのだ。山内上杉から扇谷上杉への異動、白井長尾景春から越後長尾景春への転換もしくは白井・越後長尾家の統合、叔父である修理亮忠景から甥修理介へのズラしなどから、既に馬琴が史の虚実に遊んでいることが解る。

暗愚の君主を否定するは、八犬伝世界で許容される行為だ。既に史で下克上の大悪人として描かれていた景春は、八犬伝に於いて、別人格を与えられている。馬琴は、史上の善人を悪人には変換しないと言っているが{▼第九輯巻之三十三簡端附録作者総自評}、悪人の救済/善人化は許容していたのかもしれない。景春は確かに南関東大戦で里見家に弓引くが、嫡子を生け捕りにされ、本人は逃げ延びる。神懸かりした親兵衛の、諸葛孔明流兵法に敗れるが、戦下手とまでは云えない。多少は軍学の心得があるよう描かれている。嫡男とされている越後長尾太郎為景も、性格はアレだが、若くして武芸達者として描かれている。

 

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