◆「ギャグ漫画家・馬琴」
八犬伝を読んでいると、ふと忘れてしまうことがある。いや、「現実」ではない。逆に、「現実」を生きていると各種のフェティシズムに絡め取られて右往左往、人間の真実を忘れがちになる。「現実」なんかより、八犬伝は遙かに人間の真実に近い。夢こそ真(まこと)、である。
そうではなくて、八犬伝を読んでいると、馬琴が元は黄表紙作家だったことを、つい失念してしまう。しかし八犬伝でも、技巧のみに走った記述、例えば色尽くし「西は赤阪、青山に降置く霜の真白なる目黒に落る雁が音も黄ばみ朽たる藁塚」(第八十六回)などが見られる。抑も、【八犬伝は名詮自性の世界】と云えば鯱張るが、此も場合によっては、地口だったり洒落だったりだ。i足溌太郎(きったりはったろう)やら二四的寄舎五郎(やつあたりきしゃごろう)やら、ふざけた名前も満載である。
ところで黄表紙とは何かと云えば、文学のうち現代では、主に(良質な)ギャグ漫画が担っている分野だろう。では、ギャグ漫画家・馬琴としての作品が偶々手元にあるので、ちょっと読んでみよう。日本名著全集江戸文芸之部は黄表紙廿五種中「世諺口紺屋雛形」(影印に活字載せ)である。ギャグ漫画だから逐語的で厳密な解釈を施す必要がないってぇか、そんな野暮をするのもアレなんだが、体裁上、比較的真面目に読んでみた。
読んでの如く、内容らしい内容、メッセージらしいメッセージは、ない。ただウカウカと遊ぶ者や、自分を粋だとか偉いとか、勘違いしている者を揶揄するだけのことだ。黄表紙とか滑稽本とかに、繁く見られる傾向に過ぎない。【黄表紙らしい雰囲気】のみが、読後感である。しかし、それでも成立しちゃうのが、黄表紙である。自分を勘違いして他者の人権を理不尽に侵害する族は現在でも多く見られるけれども、其の様な【悪】を懲らしていると見れば、まぁ、言い訳レベルではあるが、勧懲の理がギリギリ成り立つか。あるとしても、せいぜい、其の程度のメッセージのみだ。此処で読み取るべきは単に【無意味な地口や洒落を書き連ねる馬琴の存在】だ。勿論、無意味ではあるが、読者を楽しませる言葉の羅列ではあるわけだ。少なくとも、商業資本が刊行に踏み切るほどのレベルである。言い換えれば、金を出してまで此の【無意味な作品】を手にする人がいると(少なくとも商業資本には)期待されていたってことだ。言葉遊びも、馬琴の職能のうちらしい。では同じ馬琴が、八犬伝で言葉遊びをしてならぬ法は、無い。
ところで八犬伝では里見家の対関東連合軍戦争に於いて突如、潤鷲美容なんて名前の武士が登場する。名詮自性の八犬伝世界で、此奴が不細工な筈はない。Desiredな美男子に違いない。ウルワシで且つ美容(ヨシカタ)である。入れたら、苦しげに喘ぎながら更に深みへと誘ってくるような、麗人に違いない。誰が何と云おうと、筆者は、其の様に決めている。きっと性格も優しくて、ただ一輪の菊花を奪い合う者二人(男女不詳)に対し、どちらかを選ぶのではなく、自ら散り急ぐことで争いを無化しようとする、そんな麗人だ。
焼酎も五杯目となれば、足が萎えてくると反比例して、妄想は逞しくなってくる。「鷲」なる武者なら、まず思い浮かぶ者こそ、鷲尾三郎義久(平家物語表記/源平盛衰記では経春)だろう。
ザツと見ると鷲尾三郎、山の中で平和に暮らしていたところに源平合戦、猟師しか知らぬ獣道でも教えたか、源義経に属いて一ノ谷を道案内、勝利へと導いた後、義経に従って衣川の戦いで殉じた、ってことになっている。しかし近松門左衛門の「門出八島」では、一ノ谷の頃には身を潜めており、屋島合戦で初登場する。しかも義経直属の武士ではなく、義経の忠臣・佐藤継信の、えぇっと何と云うか……まぁそのぉ、だから夜の玩具となっている。其の男色関係は、教科書通りなのでエロ……江戸文芸の読解に有用であるから此処で引いておこう。西鶴の武道伝来記よりも典型的だ。ただ話の流れ上、佐藤継信・忠信兄弟の話から説き起こさねばならない。
さて、義経と云っちゃぁ或る種の人にとっては「義経千本桜」だろうが「門出屋島」も、忠なるかな忠、信なるかな信、の佐藤忠信が登場する作品だ。八犬伝には四国自体は出てこないけど、源平盛衰記には登場するので、四国産の筆者は、ちょっと嬉しいのだ。馬琴の傾城水滸伝も、似た時代の話だし。
「門出八島」は、近松らしいエンターテイメントだが、馬琴より西鶴に時代も近く、まだしも戦国の名残が見られ、忠信の正体が狐ってわけでもないんだが、やや動物的すなわち性的放埒な登場人物が可愛いらしい。前半の華である忠信の兄・継信なんて、殆ど自動的に勃起しちゃう天然のオスである。
まずは頼朝と合流しようと奥州から十万騎を率いた義経が、佐藤継信・忠信兄弟の住む村に足を止める。うち一人を源平合戦に連れて行くと聞いた兄弟、青年らしく我こそ義経麾下に馳せ参じ、功名を樹てようと焦る。何せ、どっちか一方しか連れて行ってもらえないのだ。だから互いに蹴落とそうと、愉快な兄弟喧嘩をする。先に行動するは、弟の忠信だ。
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(継信の愛人・早姫がいる)志田が庵に案内し、四郎兵衛忠信お見舞申すと云ひ入る丶。(志田三郎勝平の)妹の早姫立出で、兄上は義経公の御供し其の方へと云ふ。忠信小声になり、いや三郎殿に用はなし、御身に内証を知らせ申すの事のあり。承れば兄継信とは人しれず、夫婦の語らひ浅からぬ仲と聞いてある。何とさうかと云へば、早姫顔を赤らめ、御存じの上は包み申さんようもなし。はや(妊娠)七月の身も重し。して此の事が顕れしか。いやいや、さやうの事ではなし。義経公より兄弟の内一人具せらるべきとの仰につき、兄継信軍の供を望まる丶あかぬ別れは武士の道と思ほさんが、弟の口から兄の悪性申しにくき事ながら、こ丶をよつく聞き給へ、継信上方へ上りなば国へは討死と偽り、京女の妾を拵へ軍は半分色遊びと、家来信夫の小太郎に談合有りしを確に聞く。しかれば二世の御契すてられ給はん笑止さに、そつと内証を知らせ申す。こ丶は平に留め給へ。軍の供には弟の役、不肖ながら、はて某が参らう迄と、真顔になつてぞ語りける。
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要するに、兄の愛人を利用して、兄の西征を思いとどまらせようとの魂胆だ。卑怯と云えば卑怯だが、しかし流石は兄弟、兄の継信も一方で、同じ様なことをしている。
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三郎兵衛継信、氏神の社に詣で幣奉り礼拝し、源氏の大将御出陣、願はくは某を御供に具せられ、神力を以て高名し、誉を残す雲の上、南無や紫明神と、肝胆砕く木綿襷。優に優しき女の声、忌垣の内より継信様継信様と呼びかくる。はつと驚き何者と云へば、立出袖を控へ、いや申し御気遣な者でなし、妾は当社の神職行春が娘、幾代と申す者なるが、御舎弟忠信様と忍び逢ひに相惚れの、真ぞ愛しさ可愛さは、命も磯の海を越え、山を隔てて西国へ、義経様の御供を望み給ふと承る。上方は色所、心許なう思はれて、恥を云はねば理が立たず、悋気深きは生まれつき、兄御様の御意見にて止めまして給はらば今生後生の御慈悲と、手を合せてぞ歎きける。継信折に幸ひと、お丶道理々々さりながら、忠信血気盛にて、兄が意見は聞入れず、御身縋りて掻き口説き只管泣いて止め給へ。ただ泣き給へ泣き給へと、教ゆる処へ忠信早姫来りしが、あれこそ兄よ弟よと、二人の女を面々に隠し置き、やあ兄者人、ふ丶忠信かと、互に知らぬ挨拶は、をかしくも亦殊勝なり……
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この後、兄弟は、それぞれ連れて来た相手の愛人に「そこだっ、泣けっ」「喚け、縋れ」と命じて愁嘆争い、凄まじい泣き合戦の最中に、父の佐藤庄司が現れる。結局二人ともが、義経の麾下に入る。目出度く兄弟揃って義経に、西国へと連れて行ってもらえることになった継信・忠信だが、果たして忠信の讒言した如く、継信は西国で、性欲処理の相手を見つける。
父の庄司は、息子二人が気に入っている鎧、継信に小桜威、忠信には伏縄目を急いで作ってやって贈る。新調の鎧を持って信夫小太郎・小二郎兄弟が、八島は佐藤兄弟の陣を訪ねる。さて何処が陣かと見回すと、山刀を差した品の良い十六七の美少年と振り袖姿の姉らしき女性二人連れ(十二世紀に「振り袖」って、あんた……)。草鞋を売っているようだが、何やら高貴な雰囲気が漂っている。信夫兄弟が声を掛けて尋ねると、姉弟は犇めく陣を一つ一つ紹介する(「役所づくし」)。信夫が佐藤の家人だと明かすと、娘は喜び鷲尾と名乗り、佐藤家に仕えたいと申し出る。はて、従軍慰安婦は日本の軍隊の確固たる伝統ではあるが、彼女は、そのように申し出たのであろうか。実は、よく解らないのだが、少なくとも弟・鷲尾三郎の方は、佐藤継信の愛人となった。昔から「讃岐男に阿波女」といって、四国では働き者の代名詞なんだが、鷲尾三郎も誠実一路の美少年で、床の中でも甲斐甲斐しかったか、程なく継信に深く愛され、愛しもする。教科書通りの男色物語となっている。
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佐藤兵衛継信は、父が贈りし小桜威、綿上高に着流し、今朝まで着せし鎧をば、鷲尾に打ち着せて、馬を乗り捨て御馬の前に畏まる。大将御覧じ、彼は如何に、降人か。いや是は継信が弟にて候、御馬の前にて討死せさせ申さんため、召し連れ候、と申せば、判官重ねて、継信が弟は、忠信ばかりと覚えしに、心得難しと宣へば、継信謹んで、さん候、彼は此の辺の狩人、鷲尾の三郎と申す者、人と生れし思ひ出に、侍に交はりたきよし、彼が姉、たつて嘆き候故、色しらぬ東夷の継信め、志にほだされ、兄弟の約諾仕つて候、あはれ御馬の口に召し付けられ候はば、有り難く候はん、と申し上ぐれば、義経殆ど悦喜あり、天晴れ器量の若者、継信は果報者、あやかりたし、いかにも某召し使ひ、弓取りと成すべきが、とてもの事の序なれば、姉は如何ぞなるまいかと、戯れ給へば、鷲尾は鎧の袖に顔当て、恥ずかしさうなる武者振りに、敵も太刀をば捨てぬべし。……中略……教経は仁ある大将、感じて流石、放ち得ず。菊王頻つて奨むれば、又げにもとや思はれけん、五人張に十五束、カラリとつがひ引き絞り、暫し固めてエイヤツと切つて放せば、誤たず継信が胸板に、羽ぶくら迫てハツシと中り、血煙がパツと立つ。継信弓矢打ちつがひ、答の矢を放さん引かんと二三度四五度しけれども、魂暗み息も切れ、左手の鎧蹴放つて、右手へカツパと落ちけるは、無慚なりける次第なり。菊王は首取らんと降り立つ所に忠信遙かに放つ矢が、左の膝にズハと立ち、ドウと伏すを能登守、舟より飛び降り菊王が、上帯掴んで船底へ投げ入れ給へば、大力に打ち付けられ、微塵に砕けて死してんげり。……中略……かくて其の夜、夕霞、八島の裏の松暗く、群れゐる鴎立ち騒ぎ、と渡る舟の梶の音、シンシンとして物寂し。鬨の声矢叫びも、磯打つ浪に引き替へて、移り変はれる境界は、明日の身の上思はせし、哀れ催す沖つ風、磯山桜、かつ散るも、心を砕く種となり、いと物凄き浦曲かな。継信が忠勤、義経感じ思し召し、今一度対面せばや、尋ね来たれと忠信仰せを蒙りて、信夫兄弟左右に具し、泣く泣く御陣を出でけるが、いざ立ち別れ尋ねんと、塩屋の辻より、主従は三方へこそは、分かれけれ。……中略……無慚やな継信は、精兵に急所を射られ、大事の痛手といひながら、死にもやらず。片割舟の片陰に、漂ひ伏してゐたりしが、弟の声と聞くからに、漸々に這ひ出で、忠信かと聞くも嬉しく走り寄り……中略……鷲尾の三郎は、継信が志し、血をこそ分けね、兄
弟と、結ぶ縁の草の縁、死骸を取り置き敵に渡さじと、迫き来る涙も武夫の、八島を訪ね廻りしが、面は血に染み俯しに、伏したる手負のありけるを、是やはと能く見れば、兜の錣、草摺まで、散り積もりたる桜花、鎧の糸を埋ずみたり。涙に曇る朧月、小桜威と心得て、是こそは継信殿と、抱き付いてぞ嘆きしが、此の世ならぬ御厚恩、最期の御供と存ずれども、高名もせず相果てば、世の人口も候へば、良き敵と討ち死にし、やがて追つ付き奉らん。今よりは君なくして、誰にか見せん我が姿と、指副抜いて前髪切り、口押し割つて含ませ、二世の契りの印ぞと、又さめざめと泣き居たり……中略……死骸を葬らんと引き起こせば、こは如何に、鎧に付いたる桜花、パツと散つて小桜と、見えしは元の深山木や、黒革威の鎧なり。袖標を千切つて見れば、能登殿の郎党、筑紫の孫六安国としるせり。
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因みに菊王が、菊花を能登守教経に献ずる寵童だったと見るむきもあるが、私は其処までは(此処では)云わない。
……まぁまるっきり否定する気まではないが、如何やら鷲尾三郎は、潤鷲美容と関係がないようにも思える。まぁ長々と引用までしたが、無駄な寄り道も偶には(?)必要だ。無駄なくして、文物は豊かな内包を持てやしないだろう。此処では、源平合戦の世界に仮託した江戸の少年愛趣味を垣間見るだけにしておこう。
少年愛趣味と云えば、八犬伝では山内上杉顕定の夜の玩具に斎藤兵衛太郎盛実がいる。山内上杉家執事・左兵衛佐高実の息子だ。此の名前は、モロに斎藤実盛が元ネタだろう。本シリーズでも取り上げた「源平布引滝」で、格好良い役回りを演じる武士だ。実盛は、悪左府・藤原頼長の夜の玩具だった帯刀先生(道節と同じ官職)源義賢に仕えたことがある。ついでだから、再び寄り道になるけれども、頼長の男色家振りを紹介しておこう。やや永くなるから次回に亘る。
まぁ帯刀先生源義賢としては所領にありつこうと、頼長に対して一種の売春もしくはセクハラ容認をしてただけなんだろうが、悦んで頼長が飛び付いたんだから、義賢も美男子のうちだったんだろう。問題の肉体奉仕は藤原頼長の日記「台記」久安四年一月五日甲子条に、
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今夜入義賢於臥内及無礼有景味(不快後初有此事)
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として書いてある。「不快」とは恐らく、久安三年六月四日丙申条「先年所預源義賢之薗庄改預秦公春依不済■(米に斤)物也(年貢)」辺りから発生したものか(秦公春に就いては後述)。「不快」の後に初めて姦った帯刀先生義賢の魅力を、「景味あり」と評価している。ただ「無礼」の具体的行為が分かりづらい。
例えば、「入夜向華山逢讃両度行濫吹及天明帰」(久安二年六月廿六日乙丑)など「濫吹」なる語彙は頻出する。日本中世では、武士が貴族の荘園を荒らすことなどを意味することが多い。しかし「夜明けまで二回も荘園を荒らして回った」では意味が分からない。此も男色行為と見ねばなるまい。では語感からしてRapeなのかと言えば、夜に忍び逢った二人の間で、わざわざRapeもあるまい。だいたい頼長は、「参院及新院高陽院見参尼御所(雖主不居行其所)深更向或所(三)彼人始犯余不敵々々」天養元年十一月 廿三庚午)と、犯されて悦んでいる。能動者がRapeの積もりでも、頼長にかかれば和姦になってしまうのだ。
って持って回った言い方をしているが、語源まで遡れば、語釈は簡単だ。韓非子である。実は、「濫吹」とは文字通り、管楽器をメチャクチャ(濫りに)に吹くことだ。濫吹?である。面倒だから話は省略する。此処までくれば類語を思い浮かべるだけで解決するだろう。「play flute」と言えば「尺八を吹く」ことだ。親嘴である。夜明けまで二人は絡み合い、頼長は「讃」なる人物の、お口の恋人となったのである。……と、此処まで書いて尻切れ蜻蛉、お約束の制限行数となったので、続きは次回に書くことになろう。(お粗末様)