◆世諺口紺屋雛形
未の元日より 憚り乍ら口上書を以って御披露仕り候。
一、御子様方益々御機嫌能く遊ばされ御座(候が欠カ)。恐悦至極に存じ奉り候。降つて私見世御贔屓を以って日増しに繁昌仕り冥賀至極に有り難き仕合わせに存じ奉り候。右の為、御礼に去秋中より作者画師諸職人手透の時節を相考え諸事細味仕り絵双紙類沢山所持仕り、当未ノ元日より無類の大安売り仕り候間、御遠方の御方様は小売見世御最寄々々にて蔦屋板と御尋ね、多少に限らず御用を仰せ付けられ下さり候様、願い奉り候。憚り乍ら御手習いの傍輩様へも御風聴を下し成され候様、賑々敷く光駕の程を偏に希い上げ奉り候、以上。
御年玉物品々御商ひ物卸し仕り候。
江戸通り油町
蔦屋重三郎
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古き諺にも妻子は衣服の如しといふ事ありて、女房と着る物は新しいうち程良いと云ふは、どうか不人情の様なれど、着物も新しいうちは大切にして着る気になり、女房も新しいうちは至極睦じいものなれど、やがて身上の垢が付いて子供の継ぎを当てると雑巾同然に取り扱ふ故、いざこざの種となる。人と生まれて裸で道中もならず、女房持たねば親への不孝なれど、其の身の程を考へて、染色や縞柄に頓着せず、随分地太な丈夫向きを着るが徳用といふものなれば、必ず必ず引札の安物に喰らい込み、美しい女房を持ちたがらず、甲斐甲斐しいが身代の徳用向きだと、常々兄貴の言はれたを趣向にして、とうとう三冊こじ付けました。
こりやあ縞柄は好いが余り地が悪い。
縮緬の板締と本八丈の変縞を見せて下せえ。そして花色繻子の袖口も忘れめえよ。
其れは値段も恰好物でござります。
御坊さんの御祝には良いべ丶が、たんと出来ます。
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本八丈:八丈島で作った八丈縞。
変わり縞:通常の平行な縞ではなく太さが不定の縞。
板締:地布を適当な形に畳み、板で挟んで強く縛り、染色する。板が当たった部分は生地の色が残り、周囲がグラデーションとなる。襦袢地などに使う。
縮緬:絹織物の一種。強く撚った絹糸を緯に使い、右撚りと左撚りの交互に織り込む。んで、製織後に糊を抜くと、布の表面にしぼが出来る。
縮:縮織の略。
花色:露草の花の薄い青。
繻子:きめ細かで光沢のある織物。
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無地
情無し木綿
紋所ひつこひの抱登り
執こいの抱き登りは番頭方気の好く紋にて、得て女に嫌わる丶。何を云つても染付の悪い無地丈無し木綿に付けて良し。又は悪い事しな桟留、飛んだ目に青梅縞などに付て裏は鮑の片面小紋、よしなせいこの半襟をかければ映りが良けれど皆いふ事の辻褄が合わぬ故、女にかけてはいかん紋の始りなり。
琴高仙人が異見を言はうが二十四孝の王祥が裸になつて詫事をしようが、此の鯉ばかりは思ひ切られぬ。そんな怖い顔をして叱らずと、一つ笑い鯉にしてくれる気はなしか。こ丶なこくせう面奴が。
エ丶モ焦れつてえ。食ひ付くによ。
源さん久しいもんだ。奥に御袋さんが聞いて居なさるわな。
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琴高仙人:仙人全伝(巻一)に、以下の如き記述がある。
◆
琴高、趙人能鼓琴為宋康王舎人、行涓彭之術、浮游冀州■(サンズイに冢のカンムリなし)郡間二百年、后入■(サンズイに冢のカンムリなし)水取龍子、与諸弟子期其日当返。諸弟子曰、斎潔待于水傍設祀、高果乗鯉而来。視者万余人。留一月復入水去。 ◆
王祥:二十四孝のうちに数えられる。こんな塩梅だ。
◆
王祥弟覧
王祥字休徴琅邪臨沂人漢諫議大夫吉之後也。祖仁青州刺史、父融公府辟不就。祥性至孝、早喪親継母朱氏不慈数譛之、由是失愛於父。毎使掃除牛下、祥愈恭謹。父母有疾、衣不解帯湯薬必親嘗。母常欲生魚時、天寒冰凍、祥解衣剖冰求之、冰忽自解双鯉躍出、持之而帰。母又思黄雀灸、復有黄雀数十飛入其幕、復以供母。郷里驚嘆、以為孝感所致焉。有丹奈結実、母命守之、毎風雨祥輒抱樹而泣……中略……覧字玄通母朱遇祥無道、覧年数歳見祥被楚撻輒涕泣抱持、至于成童毎諫其母、其母少止凶虐。朱屡以非理使祥、覧輒与祥倶。又虐使祥妻、覧妻亦趨而共之。朱患之乃止。祥喪父之後漸有時誉、朱深嫉之、密使酖祥。覧知之徑置取酒、祥疑其有毒、争而不与、朱遽奪反之、自後朱賜祥饌、覧輒先嘗、朱懼覧致斃遂止(晋書列伝第三)
◆
近代落語でも登場する人物で、其処では、「自分の体温で氷に穴を空けたんなら、其処から自分も落ちそうなもんだ」と突っ込んでいる。筆者も同意する。でもまぁ、親孝行で、とにかく「天の感ずる所」があるから、如何な理不尽も通してしまう二十四孝なんである。これに「本朝」が付くと、傑作浄瑠璃となる。道具を使って静かに割れば良いものを、わざわざ全裸になって氷の上から擦り付け、どの局部の熱を使ったか知らないが、溶かそうとするたぁ暢気を通り越して変態だ。はっきり云って王祥、継母に虐められ「あぁん、ままぁん、ままははぁぁぁん」と勃ちて悶える単なる、淫乱マザコン兼マゾヒストにしか思えない。此の段、鯉尽くし。
桟留:唐桟織とも。インド東海岸コロマンデル地方のサントーメで産する縞織物を意味していたため、桟留と呼ばれた。寛永年間に南蛮船から長崎を通じて日本に伝わったといわれている。舶来の桟留は唐桟留(唐桟)と呼んで、国産品と区別した。
半衿:装飾のため襦袢の衿にかける掛け衿。
青梅縞:藍染を主とする柄。江戸時代には町人の着用は木綿や麻などに限られ絹を禁じられていたが、青梅縞は経糸に絹、緯糸に綿を使っていたため許された。
鮑の片面紋:一枚貝は片思いの象徴
笑い鯉:わらい鯉→あらい鯉→鯉の洗いカ
こくせう:濃醤(こくしょう)だろうが、「鯉こくせう」(羇旅漫録)すなわち「鯉こく」であり、京都で白味噌仕立てを食した馬琴は其の甘味を貶めている(羇旅漫録)。江戸の文藝だから此の場合は、江戸流の塩辛い味付けに違いない。即ち、塩辛い顔、難しい顔をしているを「こくせう面」と謂うたか。
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模様
おい蘭にしん艸
色 頭の黒い鼠
花魁に新造を付けて染賃一両一分の痛事なり。表は羽二重と見えて裏は大の革羽織なり。故に振/降られる時は合羽の代りもする。苦界十年を年一杯に縫い出せば鼻の下三尺程伸びて来る。色は頭の黒い鼠にて、裏々へ引き摺り込みたがる。至つて汚れぽくして始終真黒となる。これを此の廓の馴れ初/染め模様と謂ふ。
二十日鼠に四十両遣い果して二分の無心とはしがねえ身の上になつた。昨夕格子で話し残した事がある。晩にはきつと、きねずみきねずみ
こう力んだ所は荒獅子男之介といふ見得でおす。これで縛られて居ると雪姫といふ身もありいすとさ
忠さん御出なんし。また猫撫で声で威されなんすな
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頭の黒い鼠:泥棒。物が紛失したとき、鼠に引かれたとの発想もあるが、犯人は鼠は鼠でも「頭の黒い鼠」すなわち人間であるとの意味。盗人、猫ばばぐらいの意味だが、真に愛情を抱いていると見せかけ客から金を巻き上げる遊女を、詐欺と捉えての謂いか。まぁ詐欺と解って遊ぶが大人だとは思うが。
一両一分:吉原の花魁を揚げるときの料金。
羽二重:経緯ともに撚っていない生糸などを使用した織物。
裏々へ引き…:鼠だけに人目につかない場所へ。
汚れぽくして:廓で奇麗事は表面だけ。
二十日鼠:馬琴に「廿日余四拾両 尽用而二分狂言」がある。近松門左衛門の「冥土の飛脚 巻之下」に「無慚やな忠兵衛さへ浮世忍ぶ身に、梅川が風俗の人の目だつを包み兼ね、借駕籠に日を送り奈良の旅籠屋三輪の茶屋、五日三日夜をあかし廿日余に四拾両、遣ひ果して二分残る、鐘も霞むや初瀬山、余所に見捨てて親里の新口村に着きけるが」とある。
きねずみ:来てほしい。
荒獅子男之介:荒獅子男之助重宗ならば、「高尾千字文」に登場する禽獣……近習頭で勇ましい忠義の士である。敵役の忍者だか妖術使いだかが鼠に化けて床下から若君を狙ったとき、何故だか都合よく床下に潜りこんでいて、正体を露にさせる(が逃げられる)。歌舞伎の「伽羅先代萩」でも荒獅子男之助照秀として登場する。しかし、此の派手で有名な場面は、例えば天明五年正月江戸結城座上演の浄瑠璃本にはない。歌舞伎側の工夫に依って成立したらしい。馬琴は当然、歌舞伎の先代萩から高尾千字文を書いたと知れる。
雪姫:鼠・緊縛とくれば、「祗園祭礼信仰記」の雪姫であろう。
忠さん:鼠の鳴き声「チュー」をかけたか。
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大紋
三階松
模様
床の花散らし
紺屋の注文は大紋/門をずつと這入る脊筋の中/仲の町に三會松を抱き合わせ、裾にちよつと根笹のあしらい縫いは、床花の散らしを金糸の山吹色で落を取り、雛藍染の下着は禮文の反故染め、小菊十帖の返し紋、中入の真綿で首を締められる如く、これを着るが最後忽ち熱くなつてぽつ々々と頭から湯気の出る事が妙なり。
明日出す禮文も茶屋の付金も、宵のうちから拵えて置くとは、手廻しのよい傾城だと、作者も感心して居る。
かうした所は、野郎の鼠ごつこといふもんだ。
遂げて来なんす心なら、如何でも主の望に致しいせう。欺しなんしちあ済みいせんよ。
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三階松:讃岐にあって室町幕府管領・細川氏に属していた香西家は元長のとき、主君である変態管領政元を謀殺した。香西家の紋は、藤丸に三階松根笹だとされている。しかし恐らく関係ない。抱き合い三階松だから、身を捩らせて抱き合う遊女と客を横から見た図だろう。裾に根笹とは、抱き合った松が、どちらからともなく倒れ込み、寝る状態を謂うと見る。姦っちゃったら代償/床の花が発生する。
床花:床の間に飾る花……ではなく、花魁へのセックス代。
禮文:節季などに客から着物やら何やらを巻き上げた領収書だろうけれども、それを客に会う前夜に用意しているとは奇怪至極である。通例、禮文とは、何かをしてもらったりして、其の時の感謝を述べるものだが、予め書いているってこたぁ、気持ちの籠っていないマニュアル化したものだと知れる。しかして文章上は、男心を擽る技巧が凝らされているのであろう、其の反故で作った下着を着ると、真綿で首を絞められる如くジワジワと落とされ頭に血が上って、冷静な判断能力を喪うらしい。
小菊:小菊紙すなわち懐紙。一帖は、さて三十枚ほどか。
茶屋の付金:チップか。客は茶屋を通して遊女のいる見世に連絡をとった。客が自分を裏切り他の遊女のもとへ通ったりしているなんどの情報を得るためにも、チップは必要か。
鼠こつこ:「鼬ごつこ」と一対の言葉で、同義。互いに騙し合う、合わせ鏡を謂ったか。
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てんぼう小紋に
紋所
いざり松
てんぼう小紋にいざり松の紋所は、堀の内や雑司ヶ谷詣りの晴着によし。かなひませぬ盲小紋などを染め返して妙なり。
今日は根つから詣りがねえ。あとの八日も降られて大腐れだつけ。
非人夏のうちといふ如く、こう寒くなつちやア往生だ。
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てんぼう:手が不自由なこと、また其の人。
いざり:脚が不自由なこと、また其の人。何だか辞書的な説明となった。
盲小紋:色もしくは明暗差が小さく目立たない小紋。
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媚八丈の
乞食仕立
媚八丈の乞食仕立は袖口をまめに叩く、豆蔵頭巾にすれば映りが良し。ちよつと着てみる人も可笑しくなつて直に吹き出したがる。此の小袖を不断着にする人、始終巾着の底をはたく事疑ひなし。
逃げるが最後、笊で尻を叩いてやるぞ。豆蔵を悪くすると始終味噌地獄へ落ちるといふ事だ。アレ、叱つたら一文下さる気にならしやつた。怖い事は知つて居るさうだ。アハ丶丶丶丶。
媚八々々、これが精進の媚に油揚々々
トツチリトン々々
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媚八丈:八丈島の八丈縞は、黄色か茶色系が多いが、媚茶色の八丈か。乞食が金を貰おうと、通行人に媚びる態を掛けたか。
豆蔵:曲芸や喋りなど大道芸をして金を乞うた人。浅草で笊や徳利、扇を用いた芸を見せた。虐待すると、味噌地獄へ落ちるとは、豆が味噌の原料であるからか。臭いが、すごそうである。
精進の媚に油揚:「媚(こび)に油揚」は「鳶(とび)に油揚」の地口。また精進料理は動物性蛋白質を使わないことから、代用として油揚を工夫して調理した。即ち、「媚」から「油揚」に繋がり、更に「精進」まで関連づけた。より穿つなら、「媚」を「鯉」と「鳶」両義に分岐させ、「精進の時には鯉の代用として油揚を使うけれども、油揚げは鳶に攫われると決まっている」としても可か。
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黒人素人の
大年増
黒人素人の大年増は派手にも地味にも向く縞にて、三十振袖に仕立て、ちよつと見れば十五六も若く見える。しかし、ものきを悪くすると顔へ火熨斗を当て丶も持前の皺が延びず。いづれ亭主のさすりぎにすれば始終御徳用向きなり。
駿河屋のか丶さんに何処か似て居んたあ。
花魁早く奥山へおいでなんし。
それ者ださうなが、よい年と見える。
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三十振袖:四十島田。若作りを自嘲するとも。手玉の数え歌にもある。しかし筆者が惟ふに、最近の女性は体位が向上してをるので、三十ぐらいならホットパンツにタンクトップを着ていても全然オッケーである。
火熨斗:昔のアイロン。金属の柄杓様の物に炭を入れ衣類などに押し当て、熱で伸した。
さすりぎ:サスリは、女中と妾を兼ねた女性のことだが、まぁ確かに或る種の男にとっては、身の回りの世話をしてくれ性欲を処理してくれるだけの異性は、なかなか都合が良いだろう。しかも当該の男が「亭主」であるから、妻に、女中と妾の要素のみを求めることになる。まぁ、双方が、それで納得しているなら、別に構わないが。このサスリならば、「着」を付けた複合語「さすりぎ」として、文意が通り易い。そりゃ、「御徳用向き」だろう。
それ者:花魁などの職業風。
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煎じ茶の法事格子
紋 五葉牡丹餅
煎じ茶の法事格子は婆様の嬉しがる縞柄にて、紋所の五葉牡丹餅を小豆色に染め上げた地の黒砂糖に裏は黄粉色の鬱金絹。五所紋の五つ盛られては胸に痞へて着にく丶なる。これ百の口が十六文程抜け六の好く定紋なり。
助六の遣手は白酒に酔ふ筈だが、牡丹餅だけ真面目で居る。
朝顔煎餅より諸事牡丹餅の事だ。
小豆の方も黄粉の方も、味に違いは無けれども、うまいとまづいは間夫と客。
何もかう頭へ下駄をのせて牡丹餅を食わずとい丶けれど、これでなくつちやア意休めかねえ。
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助六尽くしである。五葉牡丹は杏葉牡丹もしくは魚葉牡丹で、大角の元の紋だが、この場合は助六の紋だ。歌舞伎の成田屋の替紋。助六の兄(何故だか曽我十郎)は白酒売りだ(すなわち弟だから助六は曽我五郎)。朝顔煎餅は、江戸名物の朝顔を象った煎餅ではあるが、助六の劇中に、朝顔仙平なる地廻りが登場する。意休は助六の敵役(助六の愛人遊女に横恋慕)で、浅草弾左衛門をモデルにしているともいわれるが、まぁ措いといて、助六がヤクザの門兵に饂飩をぶっかけ名乗る段、「見掛けは小さな野郎だが、胆がおつきい。遠くは八王子の炭焼ばゞ、田甫のはつかけ爺い、近くは山谷の古遣手、梅干ばゞアに至るまで、茶呑ばなしの喧嘩沙汰」とあり、何故だか爺婆にモテることになっている。それ故に、此の「紺屋雛形」でも、老婆が登場するのだろう(其処から法事へと連想したか)。なかなか喧嘩に乗らない意休に、助六は煙管を足で挟んで渡したり、罵りながら意休の頭に下駄を載せたりする。八犬伝では、房八でさえ小文吾の肩に足を載せるだけで止めている。はっきり云えば、助六は江戸っ子の象徴らしいけれども、嫌味な御調子者に過ぎない。
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身の膏浮き実絞り
嫌な客の紺絣
身の膏の浮き実絞りは、本所から染めて来る。色は溝鼠の如く、着てみよふ舟に揺らる丶やうな心持ちになる。染賃は三十二文、至つて安ひやうなものなれど身骨が痛んで来る裏は、嫌な客の紺絣の継々にて、夜寝巻にほか着られず。始終虱の巣になる事疑ひなし。
二十四文が酒を飲んで三十二文の饅頭を食つて行くとは、あの客も負へねえ盗人上戸だ。
今夜は豪気に寒い晩だ。あかがりがめり々々して、こてへられねへ。
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身の膏の浮き実:不潔さを表現すると同時に、憂き身を更に絞り肉体をひさぐ苦しみか。
本所:夜鷹は本所吉田町の貧乏長屋に住んでいたといわれている。
色は溝鼠:汚れている意か。
舟に揺らる丶:夜鷹は道端に佇む私娼だが、此が小船を拠点とすれば船饅頭となる。船饅頭の料金は三十二文、夜鷹は二十四文が相場であつた。買春料金を染賃と言い換えている。
夜寝巻のほか:人前で関係があるとは云えない、密かな性欲処理。
虱の巣:不潔をいうか。
盗人上戸:夜鷹は【酔ったか】で酒、船饅頭は饅頭。これで酒と饅頭を続けざまに賞味したことになる。盗人上戸とは、酒好きの辛党と甘党の両刀遣いであることを意味する。
あかがり:皸(垢切れ)。冬に野外で性交すれば、寒くもあろう。
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三度目の変わり縞
裏は大きに打木綿
地は桟留で先の心の変わり縞は飽きの来る縞柄なり。ちよつと口ぼこに糊ばかり故、忽ちに切れてしまふ。そこで裏は大の打木綿にて、紋は真面目のふさぎをつけてよし。真面目のふさぎは真向きの兎と聞えればい丶が。
手前切れてしまつたといふが、まだ彫り物が消さずにあるぜ。
彫る気なら尋常にして居なんし。未練を出しなんすな。
畜生女奴、襟元に突いて俺を突き出した代わりに、今夜は生けちやア帰さねえぞよ。
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三度目:相手を変えること「三度目」か。此れを「桟留(さんとめ)」と洒落る。一般に初会で花魁をモノすることは出来ぬ。裏を返した後、「三度目」で漸く同衾できるとの作法だ。客側からすれば、初会では羽振り良く見せ、二回目は己の欲望の強さ深さを顕示する。「情」を見せるのだ。此処までは、濃厚ではあるがファンタジックなエロティシズムであって、現実が伴わないことは百も承知、「次回こそ」と欲望を抑え込むことで弥増しに募らせる。排尿も、事情が許さず我慢に我慢を重ね苦しみ抜いた後ほど、排泄後の爽快感が大きく感ぜられるであろう。惚れたの腫れたの、突っ張っただの、生理的な恋愛感情なんぞというものは、老廃物の排泄と一般であるが故に、生物として解り易い。よって多くの場合に耳目を集め易く、資本主義社会に於いては、売れる儲ける、正義である。不況期に於いてさえ一定以上の利潤を上げられるのは、独り性関連産業である。唯物論は、簡単に云えば食糧を基盤と考えるのだけれども、セックスが「三度の飯よりも好き」って奴が、他の分野に較べて総体として多いと、経験上、感じる。例えば、まぁ所詮は本質からの距離の差/フェティシズムの度合いの差に過ぎないんだが、同じく「三度の飯を一度に減らしても希求する」ものが、「莨」か「好きなアノ娘」であるかで、印象が違ってくるだろう。前者を扱うは変態フェティシズム小説で、後者は一般的なロマンスだ。其の差は単に、「莨を喫せねば落ち着かない」と「アノ娘に会えないと落ち着かない」の差であり、後者は「オシッコしたい」と、ほぼ同義であるから解り易くて当然だ(「いや人それぞれだから」と個人の表皮に閉じこもりたがるムキは、上記を、味噌汁で洗顔した後に一昨日になってから初めて再読していただきたい←要するに、そんな奴に常識ってもんは一生解らない筈なのだが、そんな手合いに限って極めて俗物で「オシッコしたい」すなわちロマンス至上を連呼するから不可思議千万であつて、結局は都合の悪いときは【主観】って其れそのものが幻想って無効なエキセントリック砦に立て籠もりつつ偶々都合が良いときにはコソコソ常識のフィールドで自分がマトモだとる喚き散らしす下等生物には何を云っても無駄だから、チョット嫌味を云っただけなので読者一般は気になさらないよぉに)。……要するに、吉原の作法とは、「オシッコしたい」だけのために五両ほど大枚はたいて三度も通うことなんである。本作に登場する男は「三
度目」の登楼で、即ち「これだけ我慢したんだから」と、勝手に自分が債権者だと思い込んでいる訳だ。しかし此は正しくない。彼は債権者ではないのだ。「いや、普通、そうだろ」と云うは、野暮である。「吉原の作法では三度目からが遊女が相手にしてくれる」との常識があったとしても、客は「誰それとインターコースさせろ、そのための料金を払う」と申し出たとしても、やんわり断られるだろう。密室で二人きりになることまでが契約であり、其処から先は、厳密な商取引契約の範疇ではない。故に客は、遊女と姦れなかったからと云って、契約の不履行をされたと債権者の立場をとることは出来ないのだ。其処の所を合理的に、自分が正式な債権者の立場にまでは至っていないと自覚して行動するが、粋の必要条件となろう。所詮は大金を払い手間と時間をかけて、漸く小便を出来るのが、吉原なんである。言い換えれば、気持ちよく小便をするため大金を払い時間と暇をかけ趣味の洗練を積むなど夥しいエネルギーを費やし、でも所詮は小便だからと思い切ることが、粋なのかもしれない。自分は折角、三度も登楼したのに馴染みの遊女は他の金持ちの所に行っているからと怒り狂い刀まで抜こうとするこそ、野暮であり、そんな男だからこそ遊女もサービスしてくれずに金持ちの席に侍ることを選んだのだろう。……こういう感覚を以て八犬伝を読むと、なるほど「八行の化け物」なんてのが余りに浅薄な解釈だと思い当たる。
口ぼこに糊ばかり:きちんと縫い合わせず糊で付けているだけなので。嘘ばかり吐いて其れを糊塗してばかりいるため、言い分が破綻する。挿絵では、彫り物をしている客の顔は小判。金ずくで遊女を別の客から横取りしたか。
真面目のふさぎ:不真面目な穴を、真面目そうな物で塞ぐ。アップリケ紋か。因みに「不真面目な穴」が何を指すかは自明であるから、説明を略す。
真向き兎:実際に使われた紋。
彫り物:愛人の名前を腕などに刺青として彫り込み変わらぬ愛を誓う……が、遊女の営業としても行われた。
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七生までの勘当縞
裏は大木綿
七生までの勘当縞は、息子毛氈を被る時に着る着物なり。我が身の布団に仕立てれば、今夜から置所を失い、誤つた心なり。様のみ戸帳にすれば、至つて仕立映えがする。
うぬ其の頭からしてが気に食わぬ。出て失しやう。
ハイ々々私は青菜に塩でございます。
久離を切るからは、唐茄子ほどの涙も零すさぬぞ。こ丶なへぼ野郎奴が。
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毛氈を被る:女遊びで金を使い果たす。使い果たして勘当される。
布団に仕立てれば:自分が布団のようんい被ることになれば家から追い出されることを意味するが、被らず金を使った様子のみ飾れば見栄えの良いものだ。
久離:勘当を、追い出し久離とか久離切りとかともいう。この場合は、キュウリにかけた。
唐茄子:キュウリから続く。しかし、唐茄子ほどの涙は、立派に過ぎる。
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台の物の松葉茶
裏に一分板締
台の物の松葉茶は「上 喜八」などといふ正札をつけて置く。裏に一分板締の縮緬、客の鼻の下を五分長にしたれば、至極恰好が良し。
貴方の様な御客ばかりだと、私共も気骨が折れませぬ、と若い者、一分だけ一寸合わせを云つて居る。
一つ飲まつせえ。
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台の物:仕出し料理。現在では高級な日本料理に付く小さな一膳(一品ではない)。塗り台に飾り付けて出し、座に華を添える。ただ、此の場合は本来的意味として、吉原遊郭で出された料理。元々揚屋は自前で料理を出していたが、元禄辺りに小田原屋喜右衛門が仕出屋を開業し、揚屋自前で料理することはなくなり、此の仕出屋に頼むようになる。所謂「喜の字屋」である。料金は一般的に一分。また、一分のチップを与えたか、若い者/遊郭の従業員が御愛想を云っている。客は気をよくして一杯差し出す。近世風俗志(守貞漫稿)には「江戸は吉原以下岡場所・宿場ともに、女郎・芸者ともに、いささか酒肴を添へ出し、もし直しと称へ時限等の金を倍す時は、また直し肴と云ひて再び肴を倍出すなり。しかれども飽に至らず、また酒肴を欲せざる者も倹を恥づるの所なれば、専ら別に酒肴を命ず。引手茶屋の導にて上りたるは酒肴を茶屋に命じ、導なしにて直に女郎屋に上りたる、俗に素上と云ひて茶屋なきものは、女郎屋の下男に命ずるなり。下男を若い者と云ふなり。右の別に命ずる肴は、茶屋・女郎屋に自製せず。烟花の地、各々台屋と号くる割烹店ありて、これを売る。四百文あるひは五百文の台を客に二朱に売る。すなはち二朱台と云ふ。八九百文の台を客に金一分に売る。一分台と云ふ。二朱・一分、二品のみ。また飯を欲す者は、飯の台と云ひて飯を添へる。価、同前なり。一分台を大台と云ふ。おおだいと訓ず」(巻之二十二娼家下)。
松葉茶:松葉は「まつは」すなわち「待つわ」。指名の遊女すなわち馴染みではあろうが、目当ての遊女は既に別の客のもとへ行っているようだ(もちろん「別の客」は言い訳に過ぎず単に振られているだけかもしれぬ)。でも無理を言わずに、現在の客が事済むを「待つわ」であるから、随分と聞き分けの良いことだ。多分、諦めて帰るまで指名の遊女は来ないのではないか。
鼻の下を五分長:五分は一両一分に当たるので、花魁の揚げ代に相当する。如何やら此の客は通人ぶって従業員にも無理を言わない類らしい。従業員は「扱い易い」と心の裡に舌を出しながら、敬意を表する。馬鹿にされているのだ。だいたい吉原の台の物なんて不味いと相場が決まっている。そんな料理で悦に入っている客なぞ、通でも粋でもなかろう。
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浄瑠理紺に
紋 五三の桐
浄瑠璃紺は太棹の三筋の糸で組み上げた機の操りなれば至つて声も丈夫向きにて、肥前土佐薩摩産などから染め出す。紋所の五三の桐は、着てみる人を泣かせて帰す紋なり。
此の本の絵組は頭が少なくつて良いと思つたが、此の一丁で大きに喰らひ込んだと板木屋が小言を言ふだろう。
早く済み太夫が聞きたい。
東の桟敷に居る男は、弁当も食わぬうちから、うまいうまいと褒めて居る奴さ。
東西東西。
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三筋の糸:三味線。
肥前土佐薩摩:未詳。浄瑠璃に土佐節・薩摩節はあるが、「肥前節」は知らぬ。但し、薩摩節と双璧を成した丹後節には、江戸肥前掾がいる。偶然だろうが、幕末の四雄藩のうち三つが揃っている。元気がよくて、声がデカかったのか…ってこたぁないだろう。
五三桐:五三切で、浄瑠璃の五段、三段か。
済み太夫:職人が仕事を終わる宣言。面倒な版木を彫る仕事が速く終わることを願う。
東の桟敷:劇場では東の桟敷の方が格上で、歌舞伎では花道の演技は東に向かって為される。しかし一方で、最も格安かつ一幕ごとに入れ替える「大向こう」に見巧者が居並んでいることにもなっている。故にこそ、「大向こうを唸らせる」とは、見巧者さえも感心させる、玄人にも評価される、との意味となる。この低級なる「大向こう席」こそが芸術的に高級な観客席とするならば、逆転の原理で、「東の桟敷」は、【金があって高い席に座ってはいるが、芝居のことなんか解っちゃいない】となる。貧乏人のヤッカミともとれるが、それが【江戸の論理】であったかもしれぬ。
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地色に藍海松茶
紋所いつそ 苦労の星
地色にあい見る茶は、浮気の樺色に間違い、なんぼ心を畳み付けても、気が揉めて無茶苦茶になりたがる。どういふ紋/物の苦労の星を染め抜きにして、後生でざんす。主と袷に仕立て映えがする。
上総屋へ来なんすは大方、重さんでおつせう。
隠しなんすな、二丁目へ行きなんすといふ事は、とうから知つて居いすわ。
手前余つ程、手が御出来だ。何処の客に習つたのだ。
若い衆が替わつたから、初会の顔で上んなんしな。
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藍海松茶(あいみるちゃ):茶がかった緑。
樺色:茶がかった赤。藍海松茶色とは全く異なり、間違うことはなさそうだが、それでも間違うが嫉妬心。間違えようのない色なら何色でも良い筈なのに樺色が引っ張り出されたは、十八世紀末の黄表紙本「江戸生艶気樺焼(えどうまれうわきのかばやき)」タイトルから、ぐらいか。そう読むと、藍海松茶が、「相看る」となり、互いに浮気を警戒して気を揉む苦労性な人物を茶化したと解せる。
くろうの星:相手の浮気に気を揉む苦労。「九曜の星」にかけたか。因みに、延慶四(一七四七)年、江戸城大広間便所で、用を足しに行った熊本藩主・細川宗孝が、予襄でもあるまいし、便所の中に潜んでいた七千石の大身旗本・板倉勝該に斬り殺された。実は勝該が狙ったのは、自分の宗家・板倉勝清だったが、紋が似ているため間違って宗孝を斬ってしまった。板倉家は巴を九つ描いた板倉九曜と呼ばれる紋で、細川家は通常の寄り九曜紋。また、細川家は事件後、離れ九曜紋に変えた。九曜紋を苦労紋、苦悩紋と言い換えるは、余り珍しくない地口。
手:手跡。此の場合は文字の巧拙。
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下地は人の物を兜羅綿に
おひ萩の惣縫
追い剥ぎの惣縫は、真黒で文色か見えず。人の物を兜羅綿(盗ろめん)にしやうとは、横糸の太い手合いにて、これ人間の大引物、何処へも向かぬ代物なり。
褌に挟んであるは、小粒ではないか。幸手屋の虱紐とは、見えぬ見えぬ。
睾丸も銭になるものなら置いて参りませう。命ばかりは、お助け下さりませ。
逃げたの内に横木瓜とするがい丶。などと、この旅人よくよく慌てたと見えて、こんな新しい地口を言ひながら逃げて行く。
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大引物:大きく嵩張るために持て余される引き出物。迷惑千万。
幸手屋の虱紐:虱紐は虱除けに水銀を染ませた紐。東海道中膝栗毛初篇に「道中なさるおかたには、なくて叶はぬぜにと金、まだも杖笠蓑桐油、なんぼしまつな旦那でも、足一本ではあるかれぬ。その上田町の反魂丹、コリヤさつてやのしらみ紐、ゑつちうふどしのかけがへも、なくてはならぬそのかはり、古いやつは手ぬぐいに、おつかひなさるが御徳用」とある。「さつてや」が「幸手屋」。
横木瓜:「浮世風呂」前編巻之下、客二人が将棋を打つ場面「取てさせ取てさせツ。能な能な。ソリヤ王手。ヤ逃たナ、逃たナ、逃たの内に横木瓜ツ、いや逃たの内に横木瓜ツ。どうしてくれうナ。是で行うか、あれで行うか。まづ斯う行け。ヤきび助、きび助、ヤ逃たの内に横木瓜。王手サアどうだ」とある。「逃げた」ではなく「井桁」の内に横木瓜ならば、歴とした紋所だ。「世諺口紺屋雛形」は「己未」からして寛政十一(一七九九)年頃の作であろうが、「浮世風呂」は文化六(一八〇九)年から同十年にかけての刊。馬琴は「紺屋雛形」の中で「新しい地口」と紹介しているが、十二年ほど経っても使われている。流行のインターバルが長かったのだろうか。「浮世風呂」の用例は、単に「井桁の内に横木瓜」を「逃げたの内に横木瓜」と言い換えることで、音の面白さを出したのみと解して構わないと思う。意味は「逃げた」であり、ほかの部分は音を面白くするための装飾である。しかし「紺屋雛形」の用例は、何か意味がありそうにも感じる。ありそうにも感じるが、本人が「地口」と断っているのだから、意味なんてないのだろう。
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囲いの数寄屋縮
染 薄茶返し
囲いの数寄屋縮は、一反が四畳半の定めにて、片肘がつかへて至つて窮屈な仕立てなり。千家、石州、遠州より出づる。地は薄茶返し濃茶返し、至つて高慢臭い爺汚い染色なり。おちやつぴいが、良いべ丶を着たやうに褒めそやすを、嬉しがる。此の縮、東山義政公より始まる。
茶通箱は此の間拝見致しました。今日は先生の大天目の御点前を願ひます。
下座の男は初心と見えて、もぢもぢしている。捩と縮も、似たものなり。
客、手前なども至極仕方のある事で御座る。
めでたしめでたし。斯様申さねば草双紙の仕舞いらしく見えませぬ。これも伝授事で御座る。
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四畳半:茶室は四畳半が定め。畳四枚を回りに追い込み、真ん中の半畳に炉を切る。
片肘が:四畳半も生地があれば窮屈な筈はないが、作法に五月蠅く窮屈な茶道を揶揄。
千家…:茶道の千利休を始祖とする表裏千家、片桐且元の甥・片桐石州が始祖の石州流、小堀遠州を始祖とする遠州流。
おちやつぴいが:オチャッピーは御茶引き女郎、即ち見世で売れ残った女郎からとも。中華の後宮が如何のとも云うが、全体の流れから日本の廓を連想するが適当か。ならば、売れ残りに対し褒めそやすは、嫌味かオベンチャラ。社交で必要以上に褒め合う茶席を皮肉ったか。
大天目の御点前:高級とされる天目茶碗の大型を使った茶の入れ方。
伝授事:大したこともないのに、わざわざ伝授事/継承すべき智恵と大仰に誇るを嗤う。
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題馬琴新作稗史
青柳や日は横糸に呉織
東岡舎羅文
曲亭馬琴作
子輿画
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