▼主人公は手を汚さない▼

 

 里見家の安房支配の前提として必要だった神余家の排除/光弘誤殺事件に関わった無垢三・朴平と兵内・七郎の縁者代表が、親兵衛の帰還という八犬伝世界を暗/陰から明/陽へと転換する正に此の場面で、勢揃いしている。より精確に云えば、七郎・朴平の子孫同士が配偶することで和解の象徴として成った仁の犬士親兵衛が、兵内・無垢三それぞれの子孫と一堂に会し、揃って里見家に服する。

 親兵衛は、杣木朴平の孫である房八と那古七郎の姪である沼藺の間に出来た。此の配偶は両家の意図したものではなく偶然の結果であった。天の采配によって、両家は和解したと見るべきであろう。殺し合った二人の血縁者が和解するとなれば、互いに相手側の義を認め且つ仁の心を持たねばならないだろう。八犬伝は、伏姫や玉梓、浜路や雛衣、音音や箙大刀自、そして船虫や政木狐など、女性の力が物語に極めて大きな影響を及ぼす物語だ。見方によっては、男どもが翻弄されている。だいたい犬士らからして、八房の子ではあるが、第一義には【伏姫の子どもたち】である。しかし時代の制約上、父系社会の側面も確かに存在する。親兵衛のアイデンティティーは、沼藺の子と云うよりは房八の息子だろう。紋所も「杣」字を使う。だいたい那古七郎の縁者であるとの看板を前面に掲げるのは、小文吾だ。杣木朴平は神余光弘の殺害者であった。犯行時の描写は次の通りだ。

 

     ◆

杣木朴平・洲崎無垢三、木立の隙より佶と見て、白馬に騎たるは紛ふべうもあらざりける山下柵左衛門定包也さは、とて伏たる弓に箭■夾にリットウ/て、きり/\と彎絞り矢比近くなる随に一二を定めて拍と発せば、狙違はず一の矢に光弘は胸を射られて叫びもあへず仰さまに馬より堂と落しかば、これは、と駭く天津兵内、二の矢に吭をぐさと射られて、おなじまくらに仆れけり{第二回}。

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 馬琴は明確にしていないが、語順からして朴平が一の矢、無垢三が二の矢であろうから、光弘が一の矢で倒れた以上、朴平が直接の実行犯である容疑が濃い。無垢三の血縁者である増松が天津兵内の弟九三四郎を須崎沖海戦で救う挿話{第百七十五回}から、無垢三の矢は兵内を倒したと考えられる。馬琴としては朴平を主犯としていたか、無垢三を加えて共同正犯と設定していたか。元々朴平の方から無垢三に山下定包暗殺計画を持ちかけたことを考え併せれば、朴平が主犯格であったろう。

 犬士の父の死に様を思い出す。小文吾の父文五兵衛は自然死、現八の実父糠助と養父道隆も自然死であった。事件性はない。道節の父道策は戦死である。此も戦国の習俗、怨む筋合いがあるや否やは、意見の分かれるところだが、道節は敵の扇谷上杉定正を深く怨んだ。大角の養父儀清は自然死だが実父一角は山猫に喰われた。毛野の父胤度は暗殺された。大角と毛野には、復讐の権利がある。そして、信乃の父番作は信乃のため、荘介の父則任は荘民のため、親兵衛の父房八は信乃もしくは小文吾のため、自らの命を投げ出した格好だ。犬士の父、八人ないし十人は、何連も善良であったが、二人ないし四人が自然死、一人が戦死、二人は殺され、三人が自死した。そして房八だけが、善良ではあったものの、祖先の罪を購うため死んだ。

 

 ところで、天津兵内は殉死したものの一矢も報いていない。同時に殉死した那古七郎は、光弘・兵内が立て続けに殺された後、無垢三を討ち、朴平に殺された。仔細に見れば、兵内と七郎とでは、七郎の方が少し余計に働いており、且つ九三四郎本人が里見家を逆恨みして義実を殺そうとした。那古七郎の系統は小文吾・親兵衛に繋がり大きくハッテンする。対して無垢三と朴平では、光弘を射殺した分だけ、朴平の罪が重くなる。しかし無垢三の系統より朴平の系統である親兵衛の方が大きくハッテンする。無垢三は天津兵内を殺し、那古七郎に殺された。では朴平の光弘誤殺事件に対する意識は如何であったか。

 

     ◆

昔杣木朴平は定包を撃んとて領主を犯して、剰那古七郎を撃とりつ、且その師なり故主なる金碗氏にもこの故に腹を切せしものなれども、今はその孫房八が云云の義烈によりて孝子義男の冤枉と岳丈の縲絏を釈にきと口碑に遺し給はらば、祖父の汚名を雪むべく父の遺訓も空しうせず死して栄あるわが歓び{第三十六回}

     ◆

 

 抑も房八が古那屋に尽くそうとした所以は、偶々縁者となった為であった。縁者となった後に房八の父犬江屋真兵衛は、古那屋文五兵衛が那古七郎の弟だと知り、朴平の罪滅ぼしをしようと考えた。自身は果たせず、房八に託して死んだ。事の起こりは「偶々」であった。「偶々」上甘理弘世に出会っていたら、弘世に尽くしていたかもしれない。が、上に引いた房八の告白には「杣木朴平は定包を撃んとて領主を犯して、剰那古七郎を撃とりつ、且その師なり故主なる金碗氏にもこの故に腹を切せしもの」とある。朴平を怨み得る者として、光弘・七郎・八郎の三人が想定できる。他の犠牲者を考慮していないのは、お話だから、まぁ良い。問題は、此の三人の序列だ。

 「剰」が重要である。「剰{さまさへ/あまつさへ}」は言い換えるならば、「それだけなら、まだしも」ぐらいである。悪い事象が重なるときに使う。「剰」に続く部分が加わることで、結果が一段と悪くなるのだ。

 安房半国の領主である神余光弘を殺しただけなら、まだしもであったが、その上、那古七郎まで殺してしまい……と房八は云っているのである。現代風に言い換えようか? 例えば「A国のB大統領を殺しただけなら、まだしもであったが、その上、SPの一人Cさんまで殺してしまった」……例が悪かった。神余光弘は暗愚だし、A国のB大統領もクソ馬鹿らしいから読者はオカシイと感じないかもしれないが、まさに其処が論点である。多くの場合、君主殺害時にはSPの何人かは道連れだが、君主の死が人口に膾炙しこそすれSPの犠牲は関係者以外から注目されることはない。

 命に貴賤はない、死者が一人増えれば其れだけ悲しみは深く長く持続する。が、果たして君主とSPの場合に迄、そう言い切れるかといえば、筆者には自信がない。SPは君主を保護するために存在する。だから「A国SPのCさんを殺し、あまつさえ、D大統領も殺した」と云うならば、まだしも日本語として理解が可能となる。Cさんの死は確かに悲しむべき事象だ。悲しもう。B大統領なら如何でもよいかもしれぬが、D大統領なら確かに一大事であって、Cさんのみが殺されたより、いっそう悲しみは深くなる……此が日本語の展開である。則ち、通常、SPであるCさんの死はD大統領の死に呑み込まれてしまって、無視される。「あまつさえ」の前にD大統領の死を語れば、Cさんの死は語られにくくなるのだ。残念ながら世の中とは、そういうものだ。Cさんが殉職した理由は恐らく、D大統領が殺される確率を低めるためであったろう。Cさん本人が、D大統領の生命を優先する立場にある。「A国のD大統領を殺し、あまつさえSPのCさんを殺した」が日本語として成立するためには、話者が、元首D大統領の死を忘れるほど、SPであるCさんに思い入れがなければならない。または大統領にBを代入する場合の如く、大統領として認め難い場合、せいぜい基本的人権しか認められない場合にのみ、日本語として成立する。

 よって、「領主である光弘を殺し、あまつさえ光弘の近習である七郎まで殺してしまった」と日本語の達人/馬琴が語るとき、房八は「領主である光弘」に領主としての価値を認めていないことになる。臣下である七郎と同等の価値しか認められていないのだ。八犬伝に於いて、領内では絶大な価値をもつべき神余光弘の死は、那古七郎の死を隠しきれない程の事件に過ぎない。五十六億七千万歩ほど譲って、仮に、眼前の話者を尊重し縁者を上げ底して語ったとしても、相手の主筋を軽んずることは却って相手を貶めることは如何ともし難い。当たり前の事ではあるが、こういった重大事は確認が必要だ。結局、馬琴は相対的に、【光弘は殺されても仕方ないが、七郎の死は惜しむべきことだ】との立場を垣間見せてしまっている。

 此の【当たり前】な視点に立てば、君主として価値のない光弘が殺され、事件の黒幕であった山下定包が後を襲ったが、不義であるとして金碗八郎に否定され、里見家が取って代わった、との流れが確認できる。

 

 神余家は言う迄もなく【神の余り】との意味を込められていよう。ってぇか実在の家名だが、此の家名が都合良かったから物語の舞台に安房が選ばれたってことも、あり得る。「神の余り」は譬えるならば、天神に対する地祇とでも言おうか。神余氏は、古代末もしくは中世初頭、源頼朝のもとへ逸早く馳せ参じ、中世前半一貫して安房に勢力を張った。同様の旧家麻呂・安西は頼朝によって安堵されたが、頼朝に擬すべき里見義実と敵対して、滅亡した。八犬伝に於ける安房に就いての能書きで、三家一体の如く叙述される神余・安西・麻呂である以上、運命にも共通性が想定し得る。頼朝を揃って盛り立て安房から送り出した三家のうち二家が、頼朝を投影された義実によって滅ぼされた。白龍の股間を見詰めた義実は、中原に雄飛することなく安房に居座った。嘗て頼朝を盛り立て安房から送り出した三家は、頼朝に擬すべき、即ち君主たるべき義実が居座る以上、居場所を喪う。三家は義実に場所を明け渡さねばならない。安西・麻呂は義実と敵対して滅びるが、神余は、義実が安房支配の足掛かりを得るため、一足先に勝手に滅ぶ。里見家を本来の神/天神と考えれば、神余家は神の余り/地祇として、国土を明け渡さなければならない虚花だ。黒幕は、役行者だろう。

 勿論、八犬伝を時系列に従い素直に読めば、単に、偶々暗愚な君主が佞臣に謀殺され簒奪されたところに、偶々落ち延びてきた里見義実が、偶々有能な義臣金碗八郎を得て大義名分を掲げ、旧神余領を奪取した、だけである。御都合主義は御都合主義だが、小説だから当然だ。

 しかし、八犬伝中盤になって、神余光弘誤殺事件に関わった主要登場人物四人、光弘を廻って殺し合った杣木朴平・洲崎無垢三・那古七郎・天津兵内と血脈を同じくする三人が揃って登場、しかも安房の旧領主である神余・安西・麻呂の縁者が一堂に会し、里見義実への服属を誓うのである。恰も関係者の一人親兵衛の再登場は、天岩戸が開く如く、物語のトーンを陰から陽へと転換する。

 里見家を主人公にしているから当然なのだが、神余・安西・麻呂の三家は、里見家が安房を支配するために滅んだ。実際に三家は里見家のために存在していたのではないのだが、八犬伝に於いては、三家とも里見家の引き立て役にしか為り得ない。幾ら史実めかして書いたとて、小説なんだから、因果関係に作者の思想が込められている。神余家は山下定包に滅ぼされた。此は必要な手続きであった。平和に暮らしている神余家を、いきなり攻め立て滅ぼしたら、侵略者になってしまう。まず悪者が登場し、暗愚ではあるが一応は君主であった神余家から領地を{出来るだけ悪辣に}奪ってこそ、里見家は義兵を起こすことが出来る。善人面して旧神余領を奪取できるのだ。

 此の事情を馬琴は、蟇田素藤の館山城奪取を描くことで確認させてくれている。素藤は疫病から民衆を救い、人望を集めた。武芸にも秀でていた。領主の小鞠谷如満は圧制者だったから、民衆に怨まれていた。如満の捕り手が素藤宅を囲んだとき、百人ばかりの若者が集まっていた。素藤は民衆を蜂起させるほど信頼されていたのだ。叛乱も可能だった筈だ。即ち、戦国時代らしく下克上、自分で館山城を攻めても良かった。民衆も従ったであろう。が、素藤は小鞠谷の老党兎巷遠親を唆して、如満を殺させる。すぐに素藤は遠親を殺して、如満の敵を討ったと宣言する。素藤の密計も下心も、読者は知っているが、八犬伝世界の住人は知らない。大雑把に表面だけ撫ぞれば、素藤は義実と似たようなことをしたに過ぎない。そして素藤は民衆の人気を得て、里見家からも安堵を取り付ける。仲間となった遠親を反逆者に仕立て上げ罪をおっ被せ、自分は善人面して館山城を獲得したのだ。翻って見れば、義実が安房を支配するためには、神余・安西・麻呂の何連かから領地を獲得せねばならない。譲渡でも奪取でも良いが、譲渡はナンセンスだ。ならば獲得せねばならないが、単なる侵略では大義名分が立たない。為に山下定包の如き緩衝材が必要であった。里見家が安房を支配するため、其の穢れを一身に引き受ける存在、それが定包であった{勿論、各種軍記に山下定包なる人物が神余領を簒奪し、引き続く戦いの中で頭角を現した里見家が支配領域を広げていく、とのストーリーはあったのであり、馬琴が零から想像したと言っているのではない。逆に、偶々里見家が最小限しか手を汚さずに支配領域を広げたとの伝承があり、故に里見家が主人公に選ばれたのではあろう}。第一輯口絵に描かれた如く、山下定包には牡丹が似合う。里見家が安房を支配する御膳立てをする虚花としての牡丹である。

 贅言すれば、富山で神余光弘誤殺事件関係者と安房旧家の関係者が集い義実に服属するが、此の辺りで名馬青海波も登場する。青海波は大団円に於いて、其の死まで明記される。人間並の扱いを受けている。親兵衛は、青海波が蒼海巷の産であることから曾祖父朴平との縁を感じている。そうかもしれない。しかし、山下定包が「青浜」の馬預の息子であった点も気になる。管見にして、筆者は青浜を比定できないでいるのだが、「青浜」と「蒼海巷」が置換可能ならば、青海波は定包の後身である可能性もあるだろう。

 

 山下定包が里見家のために狂い咲いた牡丹の虚花であったとして、実花の牡丹/犬士たちは如何か。犬士たちは金碗氏を名乗る。即ち神余/地祇/地霊として里見家を奉戴する。が、奉戴の契約は永遠ではない。里見家が奉戴するにたる天神である限りに於いて、奉戴しているに過ぎない。やがて里見家の仁気は薄れ天命を喪う。犬士たちは里見家を見限り、富山に籠もる。里見家は所詮、東海の辺に限って理想世界を建設するだけの存在であった。暫くは存続するが、徳川家が出現すると、程なく消滅した。義実は龍の股と肱だけしか見なかったのだ。

 が、龍の全身を見た者が八犬伝には存在する。親兵衛である……と言いたいところだが、実は違う。政木孝嗣である。確かに親兵衛も龍を見たが、龍は親兵衛に見せようとして姿を現したわけではない。龍の正体もしくは前身は政木狐であった。政木狐は孝嗣の乳母であったし、三年後に石化して孝嗣の眼前に落下した。故に龍は孝嗣に見せようと姿を現したのであり、親兵衛は実のところオマケであった。冒頭の白龍だって義実だけが見たのではない。杉倉氏元も一緒に見ていた。親兵衛は、氏元に当たる。政木孝嗣は史実の正木大膳に還元される。正木家の血統は或る時点で断絶するが、里見家から養子が入り家名は存続、徳川家康の側室万を輩出する。万は{何度も言うようだが}八代以降十四代まで征夷大将軍職を独占する紀州徳川家の祖である。里見家本流は仁気を喪い断絶するが、血統のみ存続して正木家を名乗るようになる。正木・里見家の血統と家名の微妙な関係が、八犬伝に複雑さを与えているように思える。

 即ち、里見義実は龍の一部のみ見た。偉大な人物でありながら、其の支配領域が南総に限られることを予言するものであった。義成も傑出した人物であったが、以後は代を重ねるうち仁気が薄れ、嫡流は十代忠義を以て断絶する。一方、政木大全が主体となって龍の出現に立ち会うのだが、政木/正木家は後に一旦は断絶し里見家から当主を迎え{というか押し付けられ}存続し、紀州徳川家に繋がる。政木/正木家は血脈こそ遺せないが家名は残り、近世後期百五十年にも亘って日本を支配する系譜に繋がる。里見家は嫡流が断絶するが途中で枝分かれして政木/正木家の後を襲い、血脈としては紀州徳川家に繋がる。当然ながら実際の血脈よりも家名が優先するし、何と云っても里見家嫡流は近世初頭に断絶するのだから、やはり政木大全が主体となって、龍の全体像を見なければならなかった。しかし里見義実の外孫である親兵衛が龍の全身を目撃することで、里見家傍流も関係していくことを暗示しているか。

 また、義実は鯉を獲られず金碗八郎を得たのだが、親兵衛は、まさに鯉/河鯉孝嗣を獲た。しかし此の鯉/河鯉孝嗣が、まさに龍に出逢うと、龍門を遡る鯉の如く、変化する。此のとき河鯉孝嗣は、政木大全と改名する。政木狐は龍に変じたのであるから、此の場合の「政木」は龍の縁語となる。まさしく河鯉孝嗣は、龍の一族へと変態したのだ{ってぇか龍の一族に変態することが定まっていたから「鯉」を苗字にしてたんだろう}。また、里見義実も、一部とはいえ龍に体を見せてもらったのだから、少しぐらいは龍に祝福されている。里見家も一応は、龍の一族といえよう。其れが故に、政木/正木家は一旦は断絶しつつも、里見家から当主を迎えることで、龍の一族であり続けた。政木狐が、龍としての全身を見せることで約束した日本全国支配は、政木家から紀州徳川家へと受け継がれ、享保年間、吉宗のとき実現する。

 

 さて次に、洲崎無垢三の外孫荒磯南弥六が何故に死んだかを考える。無垢三は兵内を殺し七郎に殺された。七郎は光弘の警護役として職務を遂行したのだから無垢三を殺しても免罪される。南弥六は、兵内に一方的な債務を負う。しかし南弥六は兵内の弟九三四郎に殉じたわけではない。共に里見義実を暗殺しようとすることで既に九三四郎と和解しているから、殉じる必要もない。義実暗殺に失敗し、九三四郎を捨てて逃げてもいる。九三四郎は「墨之介九三四郎が事、この下に話なし」{第百十一回}と明記されているように、上甘理弘世が神余村に安堵された時点で、お払い箱になる予定の人物であった。言い換えれば、其れまでに因果は尽きている。即ち、九三四郎の兄天津兵内が洲崎無垢三に殺された債権は回収されている。南弥六と九三四郎は絡む必要がなくなっているのだ。

 南弥六は、蟇田素藤を暗殺しようとして失敗し、殺された。里見家に殉じているのである。このとき共に死んだ安西景次にも、里見家に殉ずる理由があった。此方は命を助けられただけではない。安西景連が理不尽に里見家と敵対した経緯がある。素藤には景連も投影されているので、自罰の色彩も帯びている。しかし南弥六は罪の意識ではなく義侠によって里見家に殉ずる。死んでから養子{と云っても無垢三からすれば外曾孫}の増松に憑依し九三四郎の危難を救ったが、別に殉じているわけではない。

 ならば房八には、死ぬ必要がなかったことになる。天津兵内を殺した無垢三の外孫南弥六が九三四郎に殉ずる必要がなかったのだから、那古七郎を殺した朴平の孫である房八も小文吾に殉じる必要はない。祖父の負債を小文吾に返す場合、信乃の身代わりとして死ぬとの選択肢しかなかったからこそ、死んだのだ。此処で房八が犠牲にならねば、小文吾は信乃を失い最悪の不幸に陥るし小文吾自身も死ぬかも知れない局面であった。結果として房八は、過剰な債務を支払った。過剰分が親兵衛に債権として相続され、犬士の資格となって表れた。一方の南弥六は、義実暗殺未遂事件のとき、暗殺に失敗しても殺されてさえいれば天津家に殉じたといえるかもしれない。しかし相手が悪かった。義実は仁君であるから、自分を殺そうとした者さえ許すのだ。殺される筈が生かされ、今度は里見家に債務を負った格好だ。南弥六は素藤暗殺を図り、やはり失敗して殺された。

 本来、九三四郎は南弥六と和解していることを示し且つ神余家の後見人として里見家の仁政を言祝ぎすれば良いだけの人物だった筈なのだが、洲崎沖海戦にまで引っ張り出され、南弥六が憑依した増松に救われた。既に和解が成っているにも拘わらず、南弥六は過剰に債務を履行した。増松の活躍は無駄としか言いようがない。

 南弥六の外祖父すなわち増松の外曾祖父/洲崎無垢三とペアを組んでいた侠者は杣木朴平である。無垢三と朴平がペアにして対置すべき存在ならば、朴平の孫山林房八が南弥六と対置され、親兵衛と増松も対置されることになる。他に目立った活躍のない増松が、洲崎沖海戦のみで殊勲を建てる。一方、親兵衛の行動を辿ると、三河苛子崎で最大の失態を演じる。対置さるべき二人の、対置さるべき両場面……其処には如何な意味が込められているのか{お粗末様}。

 

 

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