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▼八犬伝の政治神学▼

 

 日本書紀巻一神代上第八段は余りにも有名だ。天界から降った素戔鳴尊が、八岐大蛇を退治して櫛稲田姫を救出する話である。紀本文では、八岐大蛇を酔い潰して斬り殺し天叢雲剣を得た素戔鳴尊が、櫛稲田姫を妻とした。本邦初の和歌を詠み、SexialIntercourseに及んだ。しかし、櫛稲田姫を姦るだけ姦って放っぽり出し、素戔鳴尊は根国へと去った。櫛稲田姫は、大己貴{大国主}尊を生んだ。まるで、金碗八郎だが、其れは措く。

 ちなみに素戔鳴尊が詠んだ歌は、「夜句茂多菟、伊都毛夜覇餓岐、菟磨語昧爾、夜覇餓枳菟倶盧、贈廼夜覇餓岐廻」であった。「やくもたつ いづもやへがき つまごめに やへがきつくる そのやへがきえ」である。対して古事記は、「夜久毛多都、伊豆毛夜幣賀岐、都麻碁微爾、夜幣賀岐都久流、曾能夜幣賀岐袁」だ。両者は殆ど同様だが、微妙な点がある。最後の一字を如何に訓{よ}むかだ。意味が微妙に違ってくる。古事記の末尾が「袁{オン}」であるから「を」と訓じ「八雲立つ出雲八重垣妻籠めに八重垣造るその八重垣を」とする一派もいる。確かに古事記では「袁」を「お/を」と訓む。但し筆者は、日本書紀の末尾が「廻」であるから、素直に「え」と訓む。此の場合の「え」は現在「へ」と表記する、方向を示す格助詞と考える。だいたい実在していなかったと思われる素戔鳴尊が実際に歌を詠むわけもなく、場面に合うよう捏造された歌が、更に口伝えのうち整合性を持つよう改変されてきたと考える方が自然だ。論理によって歌を考えることも有効だろう。元々捏造されたものだから、どちらが【正しい】なぞという次元の問題ではない。

 筆者は当該歌を「八雲立つ、出雲八重垣、妻籠めに、八重垣造る、その八重垣へ」と読む。八雲は雲が八重となっている状態と解せらるるが、モコモコした塊状の雲が押し重なっているものか、筋状の雲が八本伸びて八重の垣のように見えるものかは、判然としないが、まぁ如何でも良い。此処で、素戔鳴尊が八岐大蛇を斬った所から紀本文を再確認してみよう。

 

     ◆

時素戔鳴尊乃抜所帯十握剣、寸斬其蛇。至尾剣刃少欠。故割裂其尾視之、中有一剣。此所謂草薙剣也(草薙剣、此云倶娑那伎能都留伎。一書曰、本名天叢雲剣。蓋大蛇所居之上、常有雲気。故以名歟。至日本武皇子、改名曰草薙剣)素戔鳴尊曰、是神剣也、吾何敢私以安乎。乃上献於天神也。

然後行覓将婚之処、遂到出雲之清地焉(清地、此云素鵝)。乃言曰、吾心清清之、(此今呼此地曰清)。則於彼処建宮(或云、時武素戔鳴尊歌之曰、夜句茂多菟、伊都毛夜覇餓岐、菟磨語昧爾、夜覇餓枳菟倶盧、贈廼夜覇餓岐廻)

乃相与遘合、而生児大己貴神。因勅之曰、吾児宮首者、即脚摩乳・手摩乳也、故賜号於二神、曰稲田宮主神。已而素戔鳴尊遂就於根国矣。

     ◆

 

 本文および本文割注{「()」で括った部分}を見れば、大蛇と雲が密接に結ばれている。よって「八雲」は、大蛇の八首それぞれから発した雲のように思われる。さすれば、「八雲立つ出雲八重垣」は、【八岐大蛇の縁地ゆえにか、湧き立つ八雲、まるで出雲を守る八重の垣だ】となろう。「妻籠めに、八重垣造る」は、【私/素戔鳴尊は、妻/櫛稲田姫を守るため八重垣を此の清い土地に造り、美しい姫とSexialIntercourseするための宮を建てよう】となる。最後の句「その八重垣へ{え/ゑ}」は、【堅固に造った八重垣の内へ、私/素戔鳴尊は今こそ入ろう。美しい姫とSexialIntercourseする為に】である。何故なら、歌に続く文言は「乃相与遘合」である。歌は、「相与遘合」に至る手続きとして詠まれている。後世でも、いや現代でも歌は、求愛の手段と見做されてもいる。素戔鳴尊が「さあ、姦ろうよ!」と櫛稲田姫に求愛しているのだ。素戔鳴尊は性交に成功し、大己貴尊が生まれた。櫛稲田姫を姦るだけ姦って、素戔鳴尊は、根国に去った。八郎みたいな無責任男に思えるが、或いは死んだのかもしれない。

 ちなみに素盞嗚の息子大己貴/大物主に纏わる伝説が日本書紀に載せられている。

 

     ◆

倭迹迹日百襲姫命為大物主神之妻、然其神常昼不見、而夜来矣。倭迹迹姫命語夫曰、君常昼不見者、分明不得視其尊顔、願暫留之、明旦仰欲覲美麗之威儀。大神対曰、言理灼然、吾明旦入汝櫛笥而居、願無驚吾形。爰倭迹迹姫命、心裏密異之。待明以見櫛笥、遂有美麗小蛇、其長大如衣紐、則驚之叫啼。時大神有恥、忽化人形、謂其妻曰、汝不忍令羞吾、吾還令羞汝。仍践大虚登于御諸山。爰倭迹迹姫命仰見而悔之急居(急居、此云菟岐于)、則箸撞陰而薨。乃葬於大市。故時人号其墓、謂箸墓也。是墓者日也人作、夜也神作。故運大坂山石而造。則自山至于墓、人民相踵、以手遞伝而運焉{日本書紀巻五・崇神天皇十年九月壬子条}。

     ◆

 

 倭迹迹日百襲姫命が女陰に箸を立てて死んだことは如何でも良い。大物主/大己貴の正体が、「美麗小蛇」である点が重要だ。大物主は、紀本文に於いて、素盞嗚尊と櫛稲田姫の間に生まれた。本シリーズでは、八岐大蛇を素盞嗚尊の荒魂と考えてきた。素盞嗚尊が蛇の姿を隠し持っているとしても良い。父/素盞嗚が大蛇で息子/大物主が小蛇なら、相応だ。

 但し素盞嗚尊が大蛇の姿をとり得ると云っても、【正体】との意味ではない。素盞嗚尊は、日も月も覆い隠す暴風雨などといった現象の根元であろう。蛇が雨などと関連づけられて信仰されていたため、素盞嗚尊が蛇に投影されたと考えた方が良い。時代によっては、蛇ではなく井守でも別に構わない。とにかく息子の大物主を、いきなり「美麗小蛇」だとする日本書紀の記述は、父親の素盞嗚も蛇に関係があることを暗示しているだろう。

 

 大己貴尊は、紀本文に於いて、素戔鳴尊の息子である。古事記や日本書紀一書には、間に何代か挿入されている場合があるが、大己貴もしくは大国主は、とにかく素戔鳴尊の系譜である。紀本文で、大己貴は葦原中国{日本}の支配者であった。高天原側すなわち天照太神側は、大己貴が建設し支配している葦原中国を横取りしようと考えた。国を譲れと申し出た。大己貴は「うん、いいよ」と承諾した{面倒だから途中は略す}。天孫天津彦彦火瓊瓊杵尊が「天八重雲」を押し分け、高天原から降った。到着地は日向国であった。国津神である大山祇の娘鹿葦津姫{/木花之開耶姫}と結婚した。火闌降命・彦火火出見尊・火明命の三人を儲け、死んだ。二男彦火火出見尊は海神の娘と婚姻し、長男火闌降命を圧伏、皇統の祖となった。

 まず注意せねばならぬ前提として、天津彦彦火瓊瓊杵尊の父正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊は、紀本文に於いて、素戔鳴尊が姉天照太神の玉を物根として生んだとの設定がある。物根である玉を噛み砕き吹き出すと、正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊が生まれた。自分が生んだ子が男児であったからこそ、素戔鳴尊は勝利宣言した。「正哉吾勝勝速日」は勝利の歓声そのものだ。正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊が、素戔鳴尊の子であることは間違いない。玉には素戔鳴尊の【気】が込められたと見るべきであろう。正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊は、高皇産霊尊の娘栲幡千千姫と結ばれ、天津彦彦火瓊瓊杵尊を儲けた。天津彦彦火瓊瓊杵尊は素戔鳴尊の孫と言って良い。但し天照は、自分の所有物である玉を物根として生まれたからには、正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊は自分のモノだと主張し引き取った。天照は、正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊の義母である。素戔鳴尊の勝利宣言を否定していない以上、天照は、正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊を、素戔鳴尊の実子と認めていることになる。

 次に留意すべきは、天照太神/日神と対比的に描かれ、暴風雨か何か、陰なる存在であると思しき素戔鳴尊が、やはり雲を湧き起こす陰なる存在と思しき八岐大蛇と対決する点だ。本シリーズで既に論じてきたように、八岐大蛇は素戔鳴尊本人である。解り易く云えば、素戔鳴尊の荒魂{あらみたま}が八岐大蛇、和魂{にぎみたま}が高天原から葦原中国に降りて以降の素戔鳴尊である。和魂としての素戔鳴尊は、本邦初の和歌まで詠んだ。和魂/素戔鳴尊が己の荒魂/八岐大蛇を克服し、天叢雲剣という制御可能な形に転換し、且つ天照太神に献上した。別名は草薙剣、日本武尊と関わるアイテムであり、三種神器の一である。

 勿論、義子である正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊の系譜だから天皇に天照太神の子孫を名乗る資格がない、と云いたいわけではない。養子であっても、家系は継げる。家系を継がせたいからこその、義子なのだから。生みの親より育ての親、とも云うではないか。正史日本書紀を信ずれば、正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊が天照太神の{義}子である点は、疑い得ない。血統なぞ別に如何でも良いではないか。家系なんてもなぁ、所詮は名乗ったモン勝ちだ。天照太神の実子でなくとも、{義}子を名乗っている以上、天照太神の系譜である。ゴチャゴチャ言う積もりはない。正史日本書紀を読む限り、天照太神と皇統には義理の関係しかないことを、確認できれば良い。また、解釈によっては、天照太神の持ち物に素戔鳴尊が気を込めて生まれた子は、二人の愛の結晶とも考えられる。姉弟相姦である。驚くことはない。神武なぞ、甥と叔母との相姦結果だ。年の近い叔母とは、母の匂いを漂わせる御姉様であり、或る種のマザコン野郎には堪らんのだろう。立派な変態さんである。此の場合、正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊は素戔鳴尊の子であるが、天照太神の子でもある。但し、素戔鳴尊が勝利宣言をした以上、本来なら素戔鳴尊に、より強い親権が認められる筈であった点は動かない。相殺して、正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊は、素戔鳴尊の子である。神武は、実の所、血統のみに拘れば、天照太神ではなく、素戔鳴尊の子孫である。

 

 正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊は天照太神の養子となったが、大己貴尊は、素戔鳴尊の直系である。直系ではあるが、高天原側から見れば、既に国津神との混血である。何の根拠もなく【天神は偉い!】と思いたがる心性に於いて、国津神との混血であることは、【欠点】だ。故に自分の方が優越している、とは自己撞着に過ぎないのだが、本人たちは大真面目なんだろう。

 

 愚かなるが故に己を根拠なく尊び、周囲に無理強いし人の善さに付け込み認めさせる。正当性なんざ関係ない、説得力さえあれば良い、といぅ向きには、お手軽な政権奪取手段である。云ったモン勝ち。其処には既に、善悪なぞ無い。が、いったん政権を取れば、人様にだけは善悪を強要する。正史日本書紀を読めば、斯く為{な}る。まことに純朴で、愛らしい。甚だ【民主主義】的だ。数を恃んで、善なる者を圧伏しようとする。国家社会主義独逸労働者党も、民主主義的手続きを経て、政権を獲得した。しかし、圧伏され続けている【善なる者】が何故だか絶滅しない点こそ、実は重要だ。絶えず滅ぼされつつも、無には帰さない。日は復た昇るのだ。一旦は岩戸に隠れた天照太神が、暫くしたら何事もなかったかのように、慈母の如き笑みを湛え、光を注ぐ。

 無限なる未来の保証なぞ無いが、有限の過去、歴史時代に於いては、恐らく、太陽は絶えず存在していた。見えなくなっても、暫く待っていたら復活した。太陽の生命は、永遠と誤解される場合が多かっただろう。過去しか根拠たり得ないからこそ、【永遠】を類推する。馬鹿とも言い換え得るプラス思考に過ぎないが、そうでなくて生きていられないことも多くの場合、また、事実であろうか{但し未来に於いては実のところ何の保証もない}。生きているからこそ、生きているうちは、一瞬先も生き続けるに違いないと、根拠もなく思わないわけにはいかない。執着というものの、根本か。正の走光性である。

 筆者は、ややペシミスト寄りではあるが、論理に於いて、性善説に立たざるを得ない{最近は真のペシミスト/性悪説論者が妙に陽気に振る舞いハシャギ回っているので見分けがつかなくって困るが、其れは措き}。穢れなき悲しみなら、愛されることもあろう。しかし、汚れちまった悲しみは、愛されることを諦めざるを得ない、愛される筈もない、と内向し内攻し尽くした挙げ句の、諦観/絶望。それでも、大多数の人間は、多かれ少なかれ絶望を抱き締めつつ、それでも、生きている。絶望の暗黒裡にさえ、光を求めてしまう。此の指向性こそが、幾度も絶滅してきた【善】を復活せしめてきた……か。人間個体としては、排除され殺戮され存在しなくなった【善】は、其の行為の記憶により、他者の裡に甦る。感覚も突き詰めれば電気信号に過ぎないかもしれないのだが、以心伝信{ママ}、ココロなるモノの特徴は、レディオ・アクティヴである。鉛の如き心、他者の痛みを無視できる愚鈍なココロ以外に、遮るものは余りない。

 とはいえ、生存の必要性ゆえに染み付いた、【逆説】を尊ぶココロが、畸形である【悪】を尊ぶか。しかし、逆説もスパイス程度なら良いが、スパイスに肉を塗して食うようになったら、生物として絶滅が約束されもしよう。真理は、普遍である。だからこその、真理だ。逆説を悦ぶ【猟奇趣味】は、あくまで大勢が順接だとの前提あってのものである。余裕/遊びに過ぎない。バブルである。泡沫夢幻、あはあはしくも、阿波安房しい。

 

 閑話休題。天照は、素戔鳴尊の孫とも云える天津彦彦火瓊瓊杵尊に、八坂瓊曲玉・八咫鏡、そして素戔鳴尊の荒魂を封じていると思しき草薙剣{三種宝物}を与え、葦原中国に降した。素戔鳴尊の末裔たる天孫が葦原中国に来て、素戔鳴尊の裔たる大己貴尊から国を譲られた。事実上は【奪った】と云うべきであろうが、素戔鳴尊の息子大己貴も孫の事代主も抵抗しなかった。

 素戔鳴尊の息子大己貴は、大物主や大国主とも呼ばれており、葦原中国の建国者として扱われている。だからこそ、疫病や内乱の流行に悩んだ崇神天皇は、大己貴に縋って平穏を祈っている。

 天忍穂耳命は素戔鳴尊の息子だが、素戔鳴尊が物根によって成したのだから、母はいない。天照所有の玉に素戔鳴尊が気を込めた結果が、天忍穂耳命である。故に、素戔鳴尊の{低位な}分身であろうが、天津神でも上級者である高皇産霊の娘と交配して、天孫を成した。対して素戔鳴尊本人が、国津神である大山祇の娘と交配して、大己貴を成した。あくまで【軸】は、素戔鳴尊である。素戔鳴尊を軸に、天津神が配偶すれば天孫、国津神が配偶すれば大己貴。また、素戔鳴尊を軸とすれば、天津日月がいる。日神が天照、月神が月読とすれば、軸は素戔鳴尊だ。伊弉諾の左目から天照、右目から月読、鼻から素戔鳴尊が生まれた{古事記}。鼻は顔の左右を分ける軸だ。日と月、陽と陰の間に在る者、其れが素戔鳴尊である。馬琴は玄同放言で、「房」{/素盞嗚尊}を日月が交会する場所だと規定した。なるほど、鼻は右目と左眼の中間点とも云える。

 

 天津神の後裔として葦原中国に降り立った天孫であったが、崇神天皇の代に、疫病と内乱に悩まされ、大物主/大己貴を祀って泣きついた。

 

     ◆

{崇神天皇}七年春二月丁丑朔辛卯。詔曰、昔我皇祖大啓鴻基、其後聖業逾高、王風転盛、不意、今当朕世数有災害、恐朝無善政、取咎於神祇耶、蓋命神亀以極致災之所由也。於是、天皇乃幸于神浅茅原、而会八十万神以卜問之。是時、神明憑倭迹迹日百襲姫命曰、天皇何憂国之不治也、若能敬祭我者、必当自平矣。天皇問曰、教如此者誰神也。答曰、我是倭国域内所居神、名為大物主神。時得神語随教祭祀、然猶於事無験。天皇乃沐浴斉戒、潔浄殿内、而祈之曰、朕礼神尚未尽耶、何不享之甚也、冀亦夢裏教之、以畢神恩。是夜、夢有一貴人、対立殿戸、自称大物主神曰、天皇勿復為愁、国之不治、是吾意也、若以吾児大田田根子、令祭吾者、則立平矣、亦有海外之国、自当帰伏。

秋八月癸卯朔己酉。倭迹速神浅茅原目妙姫・穂積臣遠祖大水口宿禰・伊勢麻績君、三人共同夢而奏言、昨夜夢之、有一貴人、誨曰、以大田田根子命為祭大物主大神之主、亦以市磯長尾市為祭倭大国魂神之主、必天下太平矣。天皇得夢辞、益歓於心、布告天下求大田田根子、即於茅渟県陶邑得大田田根子而貢之。天皇即親臨于神浅茅原、会諸王卿及八十諸部、而問大田田根子曰、汝其誰子。対曰、父曰大物主大神、母曰活玉依媛、陶津耳之女。亦云、奇日方天日方、武茅渟祇之女也。天皇曰、朕当栄楽、乃卜使物部連祖伊香色雄、為神班物者、吉之。又卜便祭他神、不吉。

十一月丁卯朔己卯。命伊香色雄、而以物部八十手所作祭神之物。即以大田田根子、為祭大物主大神之主。又以長尾市、為祭倭大国魂神之主。然後卜祭他神、吉焉。便別祭八十万群神。仍定天社国社及神地神戸。於是疫病始息、国内漸謐、五穀既成、百姓饒之{日本書紀巻五}。

     ◆

 

 崇神が大己貴/大物主を祀っても一向に効果がなかった。すると大物主が現れ、自分の息子を神官にするよう命じた。云われた通りにすると、漸く平穏が訪れた。神の子孫が司祭に適格であるとの主張を、日本書紀が採用しているってことだ。天照祭祀を皇室が独占する布石でもあろうか。

 さて、大己貴/大国主は、天下地主神とも呼ばれる。また、大国魂の側面もある。大国主は、天孫が降臨する以前の国主に過ぎぬが、其れでも故主として土地そのものに影響力を及ぼすことが認められている。即ち、継承者は故主を祀り、宥めねばならない。まぁ記紀を読めば、天津神勢力が国津神勢力を脅迫して葦原中国を強請り取ったように思えるが、一応は譲渡の形を採っている。譲渡されるための前提条件は、譲り元が正当な所有者であることだ。正当な所有権を持たない者が、正当な所有権を譲渡できるわけがない。大国主が正当な国主であったことは、天孫側も認めざるを得ない。

 大己貴/大国主は、天孫にキッパリ国の支配権を譲っている。しかし国土は、大己貴の意思とは無関係に、大己貴の意思を汲もうとするものらしい。大己貴を、其の息子に祀らせると、国土の乱れは治まった。

 

 実のところ筆者は、里見義実を天孫に、故主神余光弘を国津神に擬している。記紀は、全く根拠なく、国津神を天津神より劣等としている。国津神は天津神から見れば、謂はば、【余り物】の神、その他大勢の神である。しかし永きに亘って国主であった国津神を無視しては、国土の安定は望めない。天孫たる里見家は、支配権を喪失したとはいえ国津神たる神余を、祀らなければならない。しかも、神余を祀る者は、神余の後裔でなければならない。更に、神余の後裔は、陽にも陰にも偏ってはならない。陽に偏っていれば、里見家が国主になる正当性が小さくなる。陰に偏っていれば、里見家は武力放伐を行わなければならなくなる。善にも悪にも偏らない素戔鳴尊の末裔、其れが上甘理弘世である。上甘理家は、里見家から安房国神余村に知行を与えられ、先祖の祀を継ぐことになった。安西景次・麻呂重時も同様に、先祖の祀を継ぐ。崇神天皇は、国土を平穏にするため、大物主/大己貴/大国主を其の息子に祀らせた。大物主/大己貴が、大国主であった故だ。即ち、日本の故主である大国主の霊こそが、日本の地霊だと見做していたからであろう。上甘理が尊重され先祖の祀を継ぐよう許されたことは、里見家が、旧国主である神余家を、地霊と関わる氏族だと認めていたことを意味していないか。

 

 馬琴は八犬伝の中で理想的な王国を構築した。日本神話を撫ぞっており、正当な建国であることを印象づけようとしている。更に、日本書紀に載す天皇と神の付き合い方、崇神による大物主の祀り方、即ち国魂/地霊を祀る作法を{直接的か否かは別にして}、八犬伝にも取り込んだと思しい。安房国旧主と云える神余・安西・麻呂が支配権を喪い里見家に属して先祖の祀りを継ぐ意味は、地霊の慰撫にこそあろう。即ち、神余{上甘理}・安西・麻呂家の復興は、安房国の故主が揃って里見家の支配を受け容れて義実・義成の正当性を保証、併せて先祖の祀りを継ぎ安房国の平穏を維持する、の二点を期待するものだろう。

 且つ、馬琴は勧懲賞罰も忘れない。里見家とは関係なく勝手に滅んだ神余、旗揚げ直後の里見家に襲い掛かりアッサリ返り討ちにされた麻呂、里見家から兵粮を借り返さないどころか不作の弱みを突いて攻め寄せ結果として玉梓怨念{/預言}を成就させるキッカケを与えた安西。それぞれの子孫は、それぞれ報いを受ける。最も重い罪を犯した安西景連の眷属である景次は、自らの命をも贄として、景連の罪を贖わなければならなかった。麻呂信時の眷属である信重は、親兵衛に殴り倒されたぐらいで済んだ{とはいえ、戦闘で何度も負傷している}。上甘理弘世は、父の暗愚が罪と謂えば罪なので、戦国武将としては無能化され、先祖の祀を継ぐ以外に何も期待されないものの、二百石の知行を与えられた。里見家のため神余の霊を祀ることのみが、弘世の仕事なのだ。要らん事は、せんでいい。

 

 里見家は、将軍の支配から離れ、天皇を中心とする世界に身を置いている。此の世界は多分にオカルティックであり、山でも川でも万物が霊をもつと考える。それぞれの土地には神がおり、地域の人々を見守っている。永く続いた家は、それだけ永く土地の神と親しんできた。日本書紀は、天孫以前に葦原中国{/日本}を支配していた、謂はば故主の大己貴/大国主を祀ることで、国土に平穏が訪れたと伝える。地域を安定させるためには、土地の神/地霊と巧く付き合わねばならない。

 

 神智を語る政木狐は、親兵衛に館山城が蟇田素藤に奪い返された事件を伝えるが、其処で、「悄地に安房上総なる城隍土神達を招よせて那里の安否を問試しに」{第百十六回}と云っている。八犬伝世界では、八百万神とも謂うべき城隍土神、山神木精が、其処等辺をゴソゴソ動き回っているのだ。その土地その土地に地霊と謂うべき城隍土神がいる。政木狐に招集された里見領域の土地神は、担当地区の情報を報告している。また、庚申山で赤岩一角の冤鬼は以下の如く犬飼現八に語った。

 

     ◆

馬上なりし妖怪は、むかしよりこの山の麓に棲たる山猫也。又相従ふ若党二人は、山の神と土地神也。通力山猫に及ばねば神ながらも彼怪物に駈捕れて扈従せり。実に帰伏せしものならねば、その痍負ひしを幸ひにして扶掖つゝ逃亡たり。この他両箇の従類あり。そは老たる猯と貂也。もしこのものども従ひ来なば、仇を復さんとこそ摧るらめ。又彼馬は木精也。これも亦山猫の猛き勢ひに威服せられて役便るゝものになん{第六十五回}。

     ◆

 

 此処では土地神と山神が、神のくせに山猫に従っている。木霊に至っては、乗馬にされている。三者は、厭々ながら偽一角を恐れて従っているが、猯と貂は、山猫の眷属であろう。如何やら、土地神・山神・木霊といった自然の霊格化は、必ずしも悪ではない。恐らく人間に対し中立な立場であり天に従っている。そして偽一角ほどの妖怪になると、土地神や山神を圧伏してしまう。土地神個々の力は、あまり強くないのかもしれない。

 城隍{=産土神}・土{地}神・山神と神が三種類登場しているが、土地神は文字通り土地の神だろう。山神も山の神に違いないので、土地神の中にも山に特化した種族がいるようだ。城隍{=産土神}も土地神の一種の筈だが、馬琴は区別して表記している。中国表記が好きな馬琴だから、ウブスナガミ/産土神を城隍と書くのは良いとして、如何な意味を込めたか、此処からだけでは明確でない。或いは上位の土地神か、或いは街の土地神か。何連にせよ、土地神であるには間違いない。

 

 抑も土地神は、土地にも霊があると感じた昔の人々が、其れを神格化したものだろう。城隍{=産土神}も土{地}神も山神も、纏めて地霊とするならば、土地毎に地霊があって、旧家は、それだけ永く当該地区の地霊と親しんできたことになる。旧家とは例えば、神余・安西・麻呂だ。旧国主の大己貴を日本の国魂/地霊と見た日本書紀に倣って、神余・安西・麻呂の三旧家を安房国旧主とし、国魂/地霊を祀る者として設定したのではないか。

 

 里見家は、旧家神余の天命が衰え滅んだ故に、迎えられ奉戴された外来のカミであった。安房の土地神とは馴染みが薄い。進駐後程なく里見義実は、七夕茶礼の席で、城の八隅に八幡宮を建立すると発表した。頼朝再来の如く描かれ、源氏らしく八幡神の加護を受けた義実にしてみれば当然の発想であるが、数合わせとはいえ、八つも要らんだろう……と云いたいのではない。八幡宮八社の建立は、後に安房を四天王で囲む構想へとも繋がろうが、血縁神八幡に頼る態度は、地縁神である土地神一般と関係が薄い外来者であることを強く印象づける。

 

 海防計画のため房総を巡見し「戌日記」を書いた松平定信筆の「安房国一宮」扁額は、八犬伝にも登場する洲崎神社にある。海から押し寄せる外敵から江戸を守る防衛ラインの本陣と考えたか。八犬伝にも登場する鋸山は、大日本帝国の対空陣地であった。現在でも館山には日本軍の航空基地がある。安房が江戸/東京防衛の要である。

 一応は安房神社が一宮とされる場合が多い。だが、一宮なぞというものは、時代によって替わる。全国的な認定機関があり維持存続に努めた形跡もない。元々当該国で最も神威の高い神社を指す言葉であったろう。八犬伝で最も神威の高そうな神社は、役行者が出没する洲崎神社だ。安房一宮と考えて良かろう。馬琴は、わざわざ安西領の洲崎神社に五十子を参詣させた。洲崎神社以外の神社を、でっち上げたくなかったのだろう。安房は後に里見家の所領となるから良いのかもしれないが、此の時点で洲崎神社は安西領の土地神である。里見家は善人だから、当時の感覚として、地元の神社を蔑ろにしていなかったことは暗黙の前提であろうけれども、里見家が当初頼る相手は、血族神である八幡や霊威の高い他領の洲崎神社である点も興味深い。

 

 地味で多きに亘る土地神との関係を、稗史の中で一々描いてもいられまいが、対外戦争である南関東大戦を目前に控えて起こった内乱、蟇田素藤の乱を鎮圧する最中に、本国安房の旧家が登場し里見家へ忠誠を誓う意味は、やはり安房国内の支配を盤石にするためであったろう。即ち筆者は、地霊との共存を目的の一つとして、馬琴が旧家を存続させたと考えている。

 いや、こうなると世界観の話になるので、馬琴が明確に意識していたか如何かも解らない。旧家は長い間その土地にいるからこそ、何やら当該地と目に見えない強い関係があるよう漠然と思っていただけかもしれない。ただ、土地神の存在を八犬伝に持ち込んでいるところからすれば、馬琴が八犬伝で旧家を存続させるに当たって、或る程度、自覚的に土地神と旧家との関係を想定していたと思えるのだ。土地そのものと旧家を結ぶ者が、土地神なり山神なりの地霊であるのだから。

 

 里見家の支配する南総は凡そ四十年に亘って、概ね平穏だった。外患のなかった点は伏姫の擁護にも依るだろうが、内憂のなかった点は里見家の仁政の結果だろう。里見家支配の正当性は、結果的に証明できる。しかし、安房は盤石であっても、下総・上総には不安定な要素もあった。下総館山では蟇田素藤が圧政を布いており、上総庁南の武田信隆・長柄榎本の千代丸豊俊・椎津の真里谷信昭は独立の志を密かに抱いていた。何かが綻び始めていたのかかもしれない。増長した素藤を、妙椿が更に煽った。素藤が里見義通を掠奪し、ついに戦端が開かれた。折しも富山に登った里見義実を、安房三旧家の縁者が襲う。何連も安房から脱出し、下総国普善村周辺に定着していた。即ち素藤が玉面嬢の話を聞いた場所であり、館山領域である。逆恨みの類ではあるが、物語上は無視できない。安房を追い出された土着旧来の地神たちが、自分たちを祀れと騒ぎ立てたのだ。八房を育てた玉面嬢が、自分も祀ってもらえると期待したが祀ってもらえず、里見家に仇為したこととパラレルである。特に、勝手に期待して無為に待っていた点で、上甘理家と玉面嬢は相似である。簡単に言えば、理不尽な逆恨みに過ぎない。義実は両者に当然の如く気付かず放置して、三旧家の襲撃を受けた。

 

 旧家存続を通じ土地神の支持を取り付けた里見家は、まさに八犬伝に於ける安房一宮、洲崎明神を本陣として関東連合軍に立ち向かう。一宮は土地神の親玉とも云える。安房国地霊がガードを固める。甕襲の玉なる呪具を使いはするが、それはスイッチに過ぎないだろう。風を起こす者は扇風機なり気圧の高低差なり風神であって、玉ではない。神風が吹き、関東連合艦隊は結局{スパイは別として}、安房本土に一歩も足を踏み入れないまま敗れ去る。甕襲の玉を通して呪文の要請書を受け取って、神風を起こした者は、洲崎明神か他神か判然としないが、安房の土地神ではなかったか。神余・安西・麻呂といった三旧家から忠誠を取り付け、先祖を祀らせることが、里見家の繁栄に繋がっている。崇神天皇が、旧国主である大己貴を祀り、国土の平穏を得たことと重なる。里見家は、東海の辺に、天皇制宗教システムを縮小した、理想王国を建設したと云えるだろう。{お粗末様}

 

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