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▼穏やかに包み込む天▼

 

 南関東大戦に於いて、関東管領側に代軍がいる。本来ならば越後の箙大刀自が出陣すべきところ、並の男より遙かに雄々しいくせに、女性であることを理由として、老臣の稲戸由充を派遣した。娘を各家に嫁がせ華麗なる閨閥を形成していた箙大刀の立場は複雑だが、娘の一人蟹目前が連合軍総大将格扇谷上杉定正の妻なので、恐らくは定正の姑としての参戦であった。また大刀自は長尾一族だから、上杉家は主筋に当たる。軍役奉仕義務もあろう。ただし関東から離れているため、独立性は比較的強かったと思しい{独立性が強かったよう感じるのは、単に大刀自の性格ゆえかも}。稲戸は戦闘に消極的であり、定正に対し忠義面を見せない。北方から来た女王陛下の軍隊は、関東政権と対等の素振りを見せる。

 要するに群雄割拠、関東の王権は公方自身が凋落し室町幕府が任命した関東管領に取って代わられ、且つ心服していない北方の越後と南方の安房が独立王権として振る舞っている。西の京都には最高の格を誇る王権が存在するが、せいぜい調停者の役割しか果たさず、武力介入/治罰行為は結城合戦以降、八犬伝世界に描かれない。室町幕府公認の関東公方足利政知は、伊豆で足止めを喰らったが、里見家でさえ、政知に援助の手を差し出すことはない{史実で里見家は足利成氏と極めて密接に繋がっており、馬琴も里見家を政知と結びつけるほどには改竄できなかったのかもしれない}。

 {第八十九回、河鯉守如の言葉に「小田原の北条氏」とあり、扇谷上杉定正が使者を送ろうとしたことになっているし、里見を襲おうとする関東管領の軍議で既に「北条長氏」「北条氏」が登場しているので、八犬伝世界で政知が消されている。実際には南関東大戦の前年に当たる文明十四年に成氏の存在が室町幕府によって承認されたため政知は関東公方でなくなった。息子の茶々丸が伊勢新九郎/北条早雲に伊豆を追われるのは恐らく明応年間。第九輯巻之三十三簡端附録作者総自評に「彼長氏の伊豆より起りて小田原なる大森実頼を伐走らして其城に拠りしは明応三年の事にて本伝に所云文明十五年より一元十二箇年後なり。然るを本伝には当時の事とす」とあるので、馬琴も確信犯として歴史を改竄している}。

 里見家は実のところ、関東公方やら室町将軍なんて忠義の対象とは認識せず、天皇と直接に繋がっているのである。戦国大名らしいといえば、其れ迄であるが、天皇と直接に繋がっているからと云って、討幕運動を起こし、例えば南朝が標榜した天皇親政を主張したりもしないし、八犬伝刊行当時の出版統制のもと、出来るわけもない。故に馬琴の天皇に対する真の態度は不鮮明たらざるを得ないが、室町幕府と関東府に対して冷淡であることは確かだ。此の態度が、近世後半に征夷大将軍位をほぼ独占する紀州徳川家へと繋がり且つ徳川家が僭称した源姓新田流である里見家に江戸幕府の幻影を込めた故か、または刊行当時に君臨した将軍の隠れた源流として貴種性を強調した故か、逆に天皇の前に立ちはだかる幕府なるものへの不信任であるかは、判断が難しい。

 

 では八犬伝に於ける天皇とは何かと見れば、里見義成を安房守・上総介に任命する者、犬士が宿祢姓金碗氏を名乗ることを許す者、南関東大戦を心配し和睦を望む者、犬士らを賞讃し室町将軍とも相談した上で官位官職を授ける者、である。また室町将軍は、自ら任命した関東管領を譴責する職権を有するが、里見家には遠慮した姿勢を見せる。室町将軍の諚意は、かなり微妙なのだ。少し長いが、以下に関係箇所を引用する{→▼}。

 

 里見家に対する将軍の明確な命令は、何処にも書いていない。室町将軍は、関東管領らを譴責し和睦を命じた。扇谷定正・山内顕定ら諸将は恐れ入って、里見家が応じて捕虜を返すなら和睦すると答える。熊谷直親は、飽くまで自分の言葉として、「房州は忠義孝順の人也。其義は室町殿も知し召ぬ。速に御承ありて捕所の敵城を返すべく、虜にしたる敗将等を速に放還さば公私の幸甚しからん」と云うのみである。自分の言葉に続けて、「這義は諚意のみならず、最も畏き天朝も叡慮安からざる所あり」と伝える。

 将軍は里見義成のことを「忠義孝順の人」だと思っている。しかし「忠」の対象が明確でない。文脈からは義成に対し、関東の平和を望む京都の意思に添ってくれるとの期待があることは解るが、将軍と天皇が歩調を合わせているため、どちらへの「忠」か分別できない書き方になっている。馬琴は故意に、天皇と将軍を混ぜ込ぜに描き、両者それぞれへの態度を隠蔽したよう感じられるのだ。

 また、里見家に対しては、和睦を受けるよう命令していない。室町将軍は、関東管領を譴責する。関東管領らは、捕虜と城を返してくれるなら和睦すると答えるが、里見側が応じるか否やが不明であるとしている。負けておいて旧状復帰を望むのだから図々しいにも程があるけれども、里見側としては純粋な防衛戦争だとの態度だから、異存も云いにくいし、云う積もりもなかっただろう。とにかく、関東管領側のみが譴責され、事実上の和睦命令を受ける。将軍は里見家に対し、和睦を受け容れることを【期待する気持ち】だけ、直親を通じて、伝えているに過ぎない。

 幕府の論理として、まず考えられるものは、戦争を仕掛けたのは関東管領側であるから、より責任の重い当事者として和睦を申し出るべきであり、応じずに勝ちに乗じた里見家が関東で大虐殺を繰り広げることは自由なので和睦を命じない、である。此は、常識として、あり得ない。では次に、専守防衛を国是とし善人の里見家が和睦するのは当然であるから、命令しない、との論理。しかし、紙を数枚消費するだけだから、承知すると解っている命令だったら、下しても良いではないか。ならば、将軍は、命令したくない、もしくは、命令できないから、命令しなかった、と考えるべきではないか。

 「命令したくない」とは、【馬琴が命令させたくなかった】ということだ。「台命」とか何とか、命令が下ったような印象を与える言葉を鏤めつつ、馬琴は、命令の形では諚意を記述しなかった。どうせ聞き流されると思っても、「関東管領の和睦を受け容れ、これからも忠勤に励むように」と、単に格好だけでも偉そうに命令するのが、権威権力というものだ。しかし、それすら馬琴は、室町将軍に許さなかった。余りに将軍は、里見家に遠慮した態度をとっている。対して義成は「天威御武徳の過分き恩命」すなわち、天皇・将軍の「命」として受け取り、承知している。此の場合の「命」は、「命令」よりも広い意味で「言葉/意思」ほどの言葉だろう。天皇・将軍が里見家に対し和睦を期待する意思を伝え、里見家は畏まって其の意思に添っている。支配・従属関係にあっても、如斯き局面はあり得る。故に此の一事のみを以て、里見家が室町将軍から独立しているとは云わないが、儀礼上の面では臣下っぽい態度をとっているものの、独立している可能性が高い。

 抑も、里見家は根が南朝派であった。一時期、里見季基が鎌倉公方の足利持氏に従ったものの、持氏滅亡後、春王・安王に殉死して義理を果たした。里見季基は、関東足利氏家との関係を、自らの命と共に絶ったのだ。序盤でこそ里見義実は成氏を通じて治部少輔に補せられるけれども以後、成氏に対し八犬伝の中では臣従していない{史実では臣従していた}。安房は里見家が独自に切り取ったものであり、誰に貰ったものでもない。二代目の里見義成は安房守兼上総介に補任され、朝廷から南総の支配を承認されている。序盤でこそ、里見義実は関東管領によって治部少輔から同大輔に進められたが、終盤では朝廷から直接官位官職を授かった。関東府から安房守護職に任じられている風でもない。但し「成氏朝臣、鎌倉へ立かへりて、はや年来になりしかば、このとき滝田へ書を贈りて、一国平均の功業を称賛し、室町将軍へ聞えあげて、則里見義実を、安房の国主にまうしなし、剰治部少輔に、補せらるゝよし聞えしかば」{第九回}とあるので、或いは関東管領{/公方}として足利成氏が里見義実を安房国守護としたとの設定が隠されているのかもしれない。が、まぁ成氏は関東支配の権限を室町幕府から剥奪され、権限が両上杉家に移ったから当然、里見家の守護職も反故になっただろう。侮り難く思った関東管領両家は義実を治部大輔に進めるが、遅くとも南関東大戦時には守護職を剥奪したと見るべきだし、抑も里見家を守護職として扱っている形跡が見られない。里見家が将軍から命令を受けねばならぬ筋合いなぞ、実は無い。

 

     ◆

熊谷直親は義成にうち向ひて、房州将軍家の御諚あり、といへば義成、阿と応て膝を找めて拝聴す……中略……爾程に秋篠将曹広当は佶と義成にうち向ひて、房州升進の宣下あり、と告れば、義成も果ず義通と共侶に席を避て拝聴す。広当威儀を繕ひて、宣下の趣別義にあらず。天皇詔してのたまはく、里見安房守、兼上総介源の朝臣は礼を好みて富ども驕らず善政仁義にあらざる者なく国治りて民親み賢佐多しと聞えたり。是を以迥に貢献の使者をまゐらせて其忠誠を致す事再度に及べり。矧又去歳の冬は三路の大敵をよく防ぎて一歩も境に入るゝことなく一時に強敵を撃退けて国民塗炭を免れたり。是併其家臣八犬士と喚做す者の智計武勇の羽翼に由れる其功豈鮮少ならんや。夫大功ある者は、必重賞を行ふべし。賞罰正からざるときは賢路窒れ小人時を得て民従はず……中略……其父義実朝臣は隠遁既に久しといへども創業の武功虚しからず、麟児鳳孫克く箕裘を嗣ぐに足れり。こゝをもて治部卿とす{第百七十九回中編}。

     ◆

 

 将軍の使者と天皇の使者に対して、里見義成の態度が違う。また挿絵でも、天皇の使者の方が高い位置にある。此の場面で読者は、将軍より天皇の方が【偉い】ことを見せつけられる。将軍が、里見家に対し、遠慮しながら関東管領との和睦を期待するに対して、天皇は堂々と里見家の昇進を宣言する。しかも昇進の中心的理由が、「三路の大敵をよく防ぎて一歩も境に入るゝことなく一時に強敵を撃退けて国民塗炭を免れたり」である。外敵から領内の民を守ったことが、里見家昇進の理由なのだ。支配階級もしくは文人の理念上では当たり前である天皇の優位性も、可視化して提示されると、八犬伝読者の多くには目新しかったのではないか。

 戦国大名が外敵の侵略を防いだとて、天皇が褒めるべきことなのか。一般には、そうではない。しかし、此の場面では、明らかに、民の平穏を守ったことが里見家の勲功であり、天皇は其れを褒賞する立場にある。対して将軍は、配下である関東管領を譴責することが出来ても、里見家には何も強制できないし{安房国守護にするとか安堵するとか}褒賞を与えることも出来ない。

 此処で里見義成が、安房守兼上総介である作中事実が生きてくる。上総は延喜式で大国に列しており、守には親王が就く。次官たる介が実質的に責任者だ。義成は、律令制すなわち天皇を頂点とするシステムに於いて、安房と上総の平穏を守らねばならない。其の職務を、余人では為し得ない程に果たしたからこその、昇進であった。

 対して将軍は、最大の武家ではあろうが、自分の影響下にない里見家には、当然の如く、命令を下せない。あくまで将軍は、最大の武家に過ぎず、同等他者も存在し得る。日本の総てを支配しているとは限らない。しかし将軍の支配外にある里見でさえ、天皇権威の網には掛かっている。

 安房・上総防衛の功績によって、里見義成は昇進し、安房守兼上総介に重ねて左少将となる。左近衛少将である。此の官職は院政期、藤原摂関家の美少年が就き上皇の夜の玩具となるのが仕事であった。当時は院が不在で土御門帝であったが、帝は、まだ見ぬ義成の熟れた肉体を欲したのか。……勿論、そうかもしれない。しかし、筆者は、そうは考えない。義成の高度な武力を認めて、それなりの【格】を与えたのだと考える。近衛府は、天皇や上皇に肉体を弄ばれてはならぬとは云わないが、本来なら天皇を親衛する武人集団である。最も精強な武力を期待される。義成は、其の将軍に任じられたのである。しかし、八犬伝の記述に、義成が京都で帝に侍っていたとの記述がないこと自体が、重要だ。安房にいて、如何やって天皇を「近衛」するのか。

 結局、地方官としての安房守・上総介と違って、左近衛少将なぞという中央の官職を与えられても、武力を理由に与えられたイメージ上のものに過ぎない。単なる格付け、レッテルだ。引退している義実は、治部卿に昇進している。此れは戸籍とか僧尼統括などを職掌とするが、犬士の宿祢姓金碗氏の称も、治部大輔であった義実が決済すべきものである。治部省が木気の春官であるとは、本シリーズ序盤で既に述べた。其れ故、仁君義実に相応しい、ということだろう。里見家は、将軍を通して天皇を透かし見るのではなく、天皇を中心とした世界で天皇と直接に繋がっている。

 

 幕府から独立した素振りを見せ、天皇に直接繋がる里見家の立ち位置が、何を意味しているかは、まだ確定できない。余りに議論が尖鋭化しかねない問題だからだ。水戸学や国学の影響もあろうが、馬琴の真意は如何であれ、八犬伝は天皇親政も南朝復興も明確には主張しないし、元より出来ない。冷静に読めば、里見家が将軍から独立していることは解るが、「台命」とか何とか、従属しているように思わせる言葉を鏤めており、読者を錯覚に導こうとしている。天皇に対しては、明らかに臣従の態度をとり、安房守・上総介の職務を全うするが、東海の辺境に在っては忠節の尽くしようも限られている。左少将やら治部卿に補任されるが、単にイメージ上の格付けと配置に過ぎない。

 中世後期らしく、京都は余りにも【小さな政府】なのだ。里見家は南総への責任を強固に果たす。地方の権限が強大で、中央政府は地方間で事件が起こったときに賞罰を通じて調整するのみだ。里見家が天皇を幾ら崇拝しても、天皇の権限は広くも強くもない。八犬伝は天皇に最高の権威を与えていると思しいが、力は極めて限定されている。

 例えば、神余光弘は長狭介であった。そんな官職は正式なものではない。しかし八犬伝に載す他の用例、千葉介{千葉に拠点を置く下総介もしくは上総介}・三浦介{三浦に住む相模介}からすれば、長狭介は、長狭郡にいる安房介である。後に犬川荘助が就く。しかし、あくまで理念型のみ考えれば、安房半国を領する神余光弘は、朝廷から安房国次官に任命されている。安房国次官が殺されても、朝廷は何等対処していない{出来もしない}。安房守兼上総介に任命されたからといっても、義成は自力で南総の民を守らねばならなかった。民を守り抜いた後、其れ故に朝廷から褒賞を与えられた。近代以降の集権的天皇制とは対極にある、謂はば、【礼】によって貫徹されるシステムであろうか。

 権力の実体は暴力である。しかし権力の源泉/根拠は、暴力でなくとも構わない。別に仁であっても良いわけだ。寧ろ権力の源泉まで溯っても暴力しかなければ、暴力によって対抗された場合、案外に脆い。と云ぅか、暴力と暴力がぶつかり合った場合、勝敗の行方は偶然性に大きく左右されることがあるし、芯から暴力しかないテロ国家の正規軍は圧倒的な暴力を有するが同時多発するゲリラ部隊に苦戦しがちだ。暴力を信奉し安易に用いる権力は、芯から暴力であるから当然だが、其の暴力が疲弊し弱体化した時点で、完全に命脈を絶たれる。対して、権力であるから実体は暴力なのだが、源泉が別のイデアである場合、其の暴力が否定されても再生が可能なのだ。疲弊した暴力部分を切り捨て、新たな暴力ユニットに取り替えれば済む。本来、暴力は、道具に過ぎない。

 

 あだしごとはさておきつ。天皇と里見家は、余りに漠然とした主従のように見える。いや、「主従」とも言えない。絶対主義とは対極にある。まるで多神教の、絶対的ではない最高神として、天皇が存在しているようなイメージだ。此の非鮮明な形は馬琴のカムフラージュによるのかもしれないが、余りに天皇の存在を強調してしまうと、八犬伝本文から乖離していく不安が付き纏う。政治の話は権力の所在に帰着しがちだ。先鋭的な政治思想としての天皇制ではなく、より大らかな、大雑把な世界観の一部としての天皇制をイメージすべきではないか{但し、読者にとっては天皇の存在を強く意識させる効果があり、政治理念として如何な影響を与え得るかは別問題である}。

 

 八犬伝に於いては、里見家をも支配する天皇と、遠慮する将軍との相対位置関係には大きな格差が認められるが、だからと云って、天皇が強力に描かれているわけではない。天皇は将軍と相談して、里見家の昇進を決定している。将軍は里見家に遠慮するが、天皇の相談相手ぐらいにはなる。

 勅使代秋篠広当と里見義成が対面した空間は、【力】ではなく【礼】によって支配される、極めて人為的で特殊なものなのだ。即ち、天皇という中心を認めて、自らの意思で従う。義成は力で強制されているのではなく、自らの世界観に則り、天皇の主宰する空間に身を置き、其の位置に見合った振る舞いを演じているに過ぎない。隷属ではなく【参加】なのだ。義成が南総を領有する実際の根拠は、天皇の権威ではない。領有している事実を以て、安房守兼上総介になっちゃっただけなのだ。

 

 実際のところ此は単に【中世に於ける地方権力像】として在り得べきものである。また、近世文芸には勅使が登場してハッピーエンドに導く類型もあろう。馬琴の独創ではないし、出版統制上の制約もあっただろう。しかし外ならぬ【此の形】を馬琴が選択した意味は何か。

 ……勿論、八犬伝に描かれている幕府は、少なくとも表面上は、足利将軍家の其れだ。そして里見家は正木/政木家と接続し更に紀州徳川家へと続く。親兵衛は素藤に降伏を勧告するに当たって「諚使」を名乗る。通常は、将軍の使者を「諚使」と謂う。八犬伝に於いて武家間を使者が行き交うが、「諚使」を名乗るのは、室町将軍と里見家が発する場合のみである。此の語彙に関して言えば、室町将軍と里見家は、同格である。則ち、八犬伝に於いて足利将軍家が里見家に対し必ずしも圧倒的優位を保てていない作中事実は、徳川将軍家に繋がる里見家の貴種性を暗示しようとした結果かもしれぬ。馬琴は名君だと煽ててはいるが、八犬伝で室町将軍足利義尚は、里見家の引き立て役に過ぎない。

 馬琴の脳内に在った、八犬伝に於ける室町将軍家と徳川将軍家との重ね合わせ・切り離しの加減は、今後の探求に譲らねばならぬが、とにかく次の一点のみは確定している。即ち、【権威に於いて天皇が征夷大将軍に優越しており、将軍の影響外にある国内独立権力をも制御し得る】、である。

 

 若干の補足をすると、「し得る」とは、天皇には現実的な強制力/暴力がなく、相手の自由意思に委ねる部分があることを謂う。実のところ天皇は「権力」ですらない。権力の実体たる暴力を、独自には有していないからだ。そして此処でいう「国内」は漠然としており、椿説弓張月を書いた馬琴のことだから琉球は入っている可能性があるけれども、蝦夷に就いては未詳。逆に畿内は他地域と較べて、より強い心情的影響力を天皇に受けるとも想定し得る。また、室町将軍家の影響力も、畿内・西国と関東は異なるだろう。八犬伝でも、史実と同様に、室町幕府公認の関東公方足利政知は、関東に入れず伊豆国堀越で足止めを食らった。此の時代の関東は、中央政権の影響力が直接に及ばない特殊な空間であった。

 抑も八犬伝物語の端緒である永享乱は、将軍になれなかった足利持氏が室町幕府から独立して振る舞おうとしたことが原因である。あくまでも関東府は室町幕府の一部であり支配下にあるとの認識だった上杉家が、幕府の命を受け成氏を滅ぼした。敗残勢力が結城に結集したが、上杉家の率いる「幕府軍」に屠られた。此処で話が終われば綺麗に纏まるのだが、上杉管領家に擁立された持氏の遺児/成氏が関東公方となり、上杉管領を暗殺した。一度は成立した筈の和解が爆発的に破綻したため、再び関東足利氏と上杉一族が烈しく対立するに至る。関東は本格的な戦国期に突入した。

 此の状況下でこそ、八犬伝は成立しているのである。関東足利家は幕府から否定され切り離された後も、関東の王として振る舞おうとする。上杉家は、幕府出先機関の責任者として関東足利家と戦う。その中で、上杉の重臣長尾家は半独立の姿勢を示し、里見が南総に屹立している。

 史実で里見家は成氏側であるし、馬琴も此の事実を完全には隠蔽できていない。例えば第二十七回、荘介は信乃に「和君許我へ赴き給はゞ、事大かたは成就せん。某嘗人に問しに結城里見の諸大将は元来許我殿の御方なれども、各自国に在るにより只鼎足の勢ひを張るのみ」とアドバイスしているし、信乃が成氏に叩き出された後で三十七回には蜑崎照文が「わが主君里見殿は、おん父季基朝臣共侶に結城籠城の折、忠戦の義によりて成氏朝臣の御方たれども、近き比は滸我の執権横堀史在村が奸佞非法の聞えあれば、おのづからに疎遠にして交はじめの如くならず」と殊更に言い立てる。即ち馬琴は、「史実を知らないワケではないけど……」と言い訳をしつつ、史実からの乖離を宣言しているのだ。後北条家に就いても馬琴は確信犯的に史実から離れ、自分の都合で歴史を修正している。稗史に厳しく限定すれば、目くじら立てることではない。

 しかし馬琴は、突拍子もない世界を描いているつもりはない筈だ。其れは恐らく、馬琴当時の感覚に於ける一般的な戦国史イメージに依存しているであろう。現代日本人の近世イメージが、所謂「時代劇」に依存しているが如きである。即ち、大雑把には当該時代の政治社会状況を反映しているものの、随所に話者が属する現在の雰囲気を挿入し、且つ【現在の理想】を仮託しているであろう。

 

 前に金碗八郎が大己貴/大国主に重なると書いた。金碗氏は神余氏である。大己貴は地祇ではあるが素盞嗚尊の子孫であるから天神の系譜にも連なる。最も天神に庶{ちか}い地祇である。神余/金碗は既に土着の地祇ではあったが、天神の【余り物】でもあるから安房「国主」となったのだろう。

 崇神紀は、天照大神の末裔たる天皇の名に於いて大国主霊を大国主の末裔たる者が祀ることで漸く此の国が平穏裡に治まる、と書いている。天は陽、地は陰。陽の最大集約体である太陽/天照大神は、天命を象徴する。対して陰の動的表現である暴風雨/素盞嗚尊と陰なる地祇が結んで産した大国主は地祇筆頭であり、文字通り国土霊そのものを象徴する。天照/天皇霊と大国主/国土霊が睦まじく共存することが、実体としての国家にとって重要である。

 また、天皇霊は、舞い降りて国土を包み込むべきものである。凸と凹で言えば凹でしかあり得ない。挿入{いれ}たい、とは、包み込まれたい、と同義である。形態が帆掛け船か騎上位か、とかの詳細は措き、とにかく天皇霊は女性神に象徴され易かったのだろう。とはいえ、男が陽、女が陰だと決めつける陰陽説の影響下にあった時代、上記の構図は逆転しているようにも見えただろう。其処では苦し紛れに「女子にして男子、男子にして女子」との超常理論を採用せざるを得ない。

 更に云えば、近世に於いて安房里見家は系図で源姓新田流だと主張しつつ、源姓足利流が用いた二引両を家紋とした。八犬伝では大中黒{一引両}である。引両紋が何を象徴していたかは諸説あって一定していない。「両」を「霊」や「龍」の転訛とする意見もある。しかし一引両・二引両・三引両が全く別系統だとして見れば、大中黒は感覚として「日/太陽」の象形に見えてくる。元より八犬伝に於いて里見義実は源頼朝に擬せられていたし、源氏であることを強調している。源氏は天皇家の、降下した分家である。

 

 さて、話を戻そう。金碗八郎を陰なる大国主と重ね合わせれば、大中黒/日の家に生まれ変わることで、陰陽一体、「男子にして女子、女子にして男子」、天照大神と大国主の合体尊たる伏姫となる。伏姫を投影した初出犬士/信乃が、女装し天叢雲剣に擬すべき村雨を握り締める意味は、何であったか。縷々述べてきた如く、天叢雲剣は、陰なる素盞嗚尊荒魂を精錬したものだ。大国主は素盞嗚尊の嫡流である。村雨を手にして佇む美少女/信乃は、伏姫が、素盞嗚尊の後裔たる大国主と天照大神との結合体であると、明かしている。大国主と天照大神との結合体とは、言い換えれば、天皇霊に包み込まれている状態にある国土、即ち実態としての此の国そのもの、である。伏姫が象徴する「此の国」の範囲は、安房を中心とする一定の範囲に限られてはいようけれども、構造は全体と共通していよう。天孫と大国主の融和・結合が日本の理想的な在り方であったならば、伏姫は一身を以て、其の理想を象徴している。勿論、伏姫の象徴し得る範囲は、広く見ても南総、狭く見れば安房に限られる。実際の前近代天皇制国家と直接に重ね合わせられるものではない。ただ、日本全体の構造を、地域限定で表現しているのみだ。

 一旦は結合した陰陽であったが、伏姫は八房と相感し犬士の精を孕んだ。犬士には天神系の要素も含まれている可能性は十分にあるけれども「金碗」の名乗りを襲うので、第一義には大国主/地祇を象徴する一族に連なる。時は移り、里見家/日の一族の仁気は薄れていった。犬士/地祇は、里見家を見限り富山に籠もる。其処は、其処だけは、陰陽/地天の結合という理想が実現したメモリアル、伏姫の縁地であった。犬士に見限られた里見家は既に聖別された一族ではない。戦国大名の一つとして戦乱に身を投じ、殺し殺され血に塗れた。此まで国土なる語彙を使ってきたが、実のところ前近代の農本主義的社会では、土地と人間は不可分である。国土は民衆と置換可能である。地霊は現代語訳すれば民衆の潜在的かつ集合的な意思である。よって、犬士/地祇に見離されるとは、民衆を包み込む資格/天命を喪失していることを意味する。よって、原理としては、天命を奉ずる者は民衆に見棄てられ得る。

 元より日本の天皇は、天照大神の段階で天叢雲剣を獲得し、陰陽を併せ持つアンドロギュノス化を達成し、しかも中国で重視する「姓」すら明かしていない。五行論からの離脱を宣言する反則技で、革命論からフリーであるよう取り繕っている。

 但し、五行革命論は、過去の事実を{都合良く}説明しようとする試みとして組み立てられたものだ。前近代中国のパラダイム/五行説の枠内でのみの説明に終始するのは当たり前で、別パラダイムの世界では、また別の革命論が生ずるだけだし、革命論の根幹は天命論であろう。天命の表現が何であるかの問題に於いて、八犬伝は【民衆の意思】を採用していると思しい。そして八犬伝に於ける天皇は、国土を包み込む存在に過ぎず、参加自由な礼によるシステムの主宰者だ。近代的な意味での主権者とは全く異なる存在だ。天命を奉戴し人事を執行する者ではない。主権者でないからこそ、革命論の埒外に存在し得たのだ。では何者かといえば、天命そのものを象徴する存在であったのだろう。「玉」である。「玉」を獲得する者が、革命論の対象たる主権者であった。この場合の「玉」は、天の気の結晶でもあったか。

 日本書紀では天照大神が陰の結晶である天叢雲剣を手にして、天孫を主権者に指名した。天孫は実のところ、天照大神の直系ではなく、素盞嗚尊が物実から産み出した者を養子に迎えて発生した系譜だ。此の段階では明らかに、天孫は陰陽併せ持つことで、主権者となっている。しかし紆余曲折を経て、特に太平記の時代を経て、中世後期に天皇は、仮にも主権者とは呼べない不可思議な存在へと変質していた。陰/暴力を喪った主権は、主権ではなくなる。ただ主権者を認証する、礼システムの主宰者、権力の根源たる広がりのない一点、とでも言うべき者へと変わっている。大雑把に言えば此のイメージは、馬琴の生きた近世まで持続したであろう。八犬伝で描かれる天皇も、礼システムの主宰者に過ぎない。ただ、八犬伝の天皇は、将軍と相談はするが恐らくは独自の意思で里見家および犬士を顕彰する。対して室町将軍は、自分の配下である関東管領両上杉家との和睦を期待するしか出来ない。室町将軍は巨大な主権者であるが、あくまで限定された領域内での主権者であった。里見家は南総の主権者として天皇に認証された。が、天皇が両者の更に上位に立つ「主権者」かといえば、違う。だいたい主権者の上に主権者は存在し得ない。上に誰もいないからこその「主権者」だ。但し、室町将軍も里見家も天皇の権威を最大限尊重している。

 

 幕府を擦り抜け天皇に直接、しかして緩やかに繋がっている里見家は、外形だけ見れば半独立政権と云って良い{幕府からは独立している}。繋がりの緩やかさは、政治性を希薄にする。里見家は、政治的必要性から天皇と繋がったのではない。世界観、広い意味での宗教と云ってもよい側面で、里見家は天皇を見ているのではないか。

 第四十四回、扇谷上杉定正に村雨を売りつけようとする犬山道節は、大道芸の如き見事な口上のうち「両管領は滸我殿の旧老党、京都将軍の家臣なり。貴きは将軍ばかり世に貴きものはなし。しかれども、なほその上に天子ゐませり。天子は無上至尊なれども、なほその上に宗廟在す。宗廟は是、万物の父母、天津日月の神になん」{第四十四回}。道節が云っているのだから、真意が那辺にあるか怪しいものだが、此れを八犬伝の世界観とすれば、人間界では天皇を至尊としている。そして天皇が至尊である根拠を、宗廟に置いている。天津日月である。

 ただ、「日月」は「日嗣{ひつぎ}」の地口とも考えられ、天照太神と月読尊の組み合わせと考える必要はなかろう。馬琴は時として、「陰」と書くべきところを「■コザトヘンに月/」と書く。日を陽、月を陰とすれば、「陽陰」となる。「天津日月」は「天津陽陰」である。伊弉諾・伊弉冉と考えるべきだろう{但し、八犬伝では天照太神・素盞嗚尊の組み合わせの方が重要だが}。また、此処では、天皇を尊ぶ理由を、万物を生み出した神の末裔と考える点に求めている。伊弉諾・伊弉冉は、あらゆるものを産み落とし、あらゆるものに関わる神を創り出した。日の神、月の神、山の神、海の神、火の神、土の神……。総ての物どもには、神が宿る。神々を生んだ伊弉諾・伊弉冉の末裔である天皇は、神々を祀る資格を有する。其れが故に尊いのだ。八犬伝に於いて天皇は、汎神論世界の司祭として定義されていると思しい。{お粗末様}

 

 

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