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▼信乃にチカンされた荘介▼

 

 心は錦……かもしれないが、せっかく八犬伝に於ける主人公の一人という輝かしい立場を与えられつつも、犬川荘介は容貌で褒められたことがない。浅黒く筋骨逞しい印象はあるのだが、どうも美しくなさそうなのだ。ローティーン時代から契りを結んだ犬塚信乃とは対照的である。信乃は、「五尺八寸、膂力は山をも抜くといふその名近国に隠れなし。さばれその面影は優美なる壮佼也」{第三十二回}と表現される山林房八と、瓜二つであった。此処に興味深い問題が惹起される。

 

 通例なら、不細工マッチョの荘介が御嬢様タイプの信乃にのしかかり愛を注ぎ込むのかもしれないが、例えば大阪系企画モノならば{←いったい何の話だ?}、まずは逆転した発想をするだろう。即ち、不細工マッチョの荘介が女王様タイプの信乃に緊縛され、五寸釘でピタピタ頬を叩かれながら、「為朝様を裏切ったオマエには罰が必要だわね。勿論、為朝様は無事だけど、オマエを血塗れにしてのたうち回らさないと、アタシの気が済まないんだよ」なんどと云われて、白縫姫ゴッコに付き合わされるのだ。プロフェッショナルな信乃は、傷が長く残らぬほどに加減して、五寸釘で荘介の背に大きく「犬」と書く。仰け反り強張って呻く荘介。信乃は、荘介の逞しい背中に滲む血を舐め回しながら、「ほぉら、オマエは犬なんだよ。鳴きな、くっくっくっ、犬らしく鳴いてみな」とか囁くのだ。

 いや、其れは余りに当たり前過ぎるか。ならば例えば市営地下鉄御堂筋線の通勤ラッシュ時、長身スタイル抜群で黒スーツ姿の信乃がハンドバッグに隠れた手で荘介の股間をまさぐりつつ「どうしたの? いつもみたいに鳴きなさいよ……はぁはぁ、女みたく可愛い声で」とか囁き、荘介は逃れようとするのだが鮨詰め満員であるから身動きすら叶わず俯き唇を噛み締めたりするのは、如何だろう。いやいや其処で、純真そうな医療専門学校生である所の浜路が思わず「気分が悪いんですか」と心配そうに覗き込むけれども荘介は「な、なんでもないんですっ」と顔を背けたりするうち最寄り駅に到着し扉が閉じる瞬間いきなり信乃が浜路を電車から押し出し「邪魔すんぢゃないわよ、小娘がっ」、ホームに残された浜路が茫然と座り込んで見送り冷たく冴えた信乃の美しい横顔を初めて正視、「お、お姉様? お姉様っ、なぜっ?」とか叫ぶが既に電車は加速しつつあった。音楽と共にタイトルがFadeIn「百合之恋」{「薔薇之恋」ではない}……ではなくって、単に荘介が信乃にチカンされる話をしたかったのだ。

 

 因みに、冒頭にある「興味深い問題」とは単に、玉梓と伏姫の容貌が相似である可能性である。即ち、房八が、玉梓の後身である八房に深く関わっているならば、容貌も相似である可能性があり、まさに伏姫を彷彿とさせるために女装したり犬に跨ったりしていた信乃は容貌も相似している可能性がある。玉梓に似た優美な房八が、伏姫に似た優美な信乃と瓜二つであるならば、玉梓と伏姫も似ている可能性がある。だいたいからして、信乃と房八が瓜二つであるとの設定は、余りに御都合主義的である。が、元々極端なまでに対照的である伏姫と玉梓が、実は容貌のみ相似であったと此処で暗示しているならば、物語の味わいに一振りの薬味が添えられる。アンドロギュノスではないが、一箇の肉体が分化し、対称的な存在となったと夢想し得るようになる。八犬伝に描かれた善悪は、元々馬琴の脳中に混沌として存在したものが分化かつ互いに尖鋭化したものであったろう。しかも、如斯き思考は、混沌が陰陽に分化したと永らく考えてきた日本に馴染み易い。

 

 さて、むくつけき荘介が美しき信乃にチカンされる詳細を語る前に、簸上宮六を取り上げねばならない。簸上宮六が何者かといえば、大塚の陣代である。父は蛇太夫{第十七回などで大塚の陣代は大石兵衛尉だが、二十三回で兵衛尉は大塚城主、陣代職は簸上蛇太夫から宮六に継承されている}であった。蟇六に実子はいないが、昔から蛙の子は蛙と決まっている。ならば、蛇の子は蛇かもしれない。記紀神話に於いて、素盞嗚尊が八岐大蛇を退治した現場は、出雲国簸川の川上であった。簸上宮六を蛇に擬する論者もあろう。因みに第七十八回で、宮六の弟/社平の刀には、巴蛇{おろち}の銀製目抜き、鍔に「上」字の間彫があると言及されている。簸上家は確かに、蛇と縁がありそうだ。

 信乃を特徴づけるアイテムは、村雨だ。信乃は伏姫/天照太神の遺伝を濃く受け継いでいる。八犬伝は、記紀神話世界に逆流している。村雨は天叢雲剣に擬すべきものだ。ならば、信乃は素盞嗚尊か日本武尊/倭健命だろう。神話でさえ、天叢雲剣を手にする者は、此の二人に限られる。素盞嗚尊は、出雲国簸川で八岐大蛇を退治した。古事記に於いては倭健命が肥河{/簸川}で出雲建を騙し討ちにした。剣を木剣と取り替えられ、いいように切り刻まれた。出雲建が土着神/国津神の子孫であるならば、即ち八岐大蛇の末裔でもあろう。出雲建は、八岐大蛇と同様に、剣を奪われている。出雲国簸川で土着の者が彷徨える征服者により、二度に亘って殺されたのだ。

 ついでに云えば、八犬伝では与四郎犬が簸河原で紀二郎猫を噛み殺した。氷川神社の本社は下総だが、江戸にも支社があった。信乃んチの近く、簸川神社である。日本武尊・弟橘媛・大己貴を祀る。簸川神社の近くには、猫俣橋があり、網干{あみぼし}坂がある。紀二郎殺害現場の簸河原は、礫川か支流沿岸で簸川神社近くにある河原であろう。信乃んチの近くとは、蟇六・亀篠宅の近くでもある。簸上宮六は、犬川荘介により、蟇六・亀篠宅で殺された。蛇太夫の息子は、簸川の辺りで殺されたのだ。

 

 八岐大蛇は、美少女/奇稲田姫を欲し、酒に酔って、素盞嗚尊に殺された。そして、簸川宮六は、美少女/浜路を欲し、酒に酔って{蟇六・亀篠を殺したために}、荘介に殺された。ならば宮六が八岐大蛇、荘介が素盞嗚尊となるべきだが、やはり村雨と云えば、信乃だろう。何より、宮六を八岐大蛇、浜路を奇稲田姫とすれば、日本書紀に於いて素盞嗚尊は奇稲田姫の許嫁であるから、信乃が素盞嗚尊に当たる。また、強奪という形ではあったが、村雨は一時、犬山道節の手に落ちる。道節は、荘介よりは村雨と縁が深い。

 

 もう一人の女装犬士/毛野は、女装して宴に潜入し、馬加大記を殺した。日本武尊そのままである{因みに、景行紀では小碓尊が女装し宴に潜り込み酒に酔った取石鹿文を殺す。且つ、古事記には一連の物語として、倭健命が肥川/簸川で出雲建を殺す。或いは、取石鹿文・出雲建二人の虐殺を一つに纏めて素盞嗚尊神話が捏造されたにも拘わらず、日本書紀は素盞嗚尊神話を採用しつつも出雲建暗殺伝承を省略してしまったのかもしれない。とにかく日本武尊は、色気と酒で相手を騙し討ちにした。素盞嗚尊直伝の戦術であろう}。

 

 さて、犬士、就中、信乃に素盞嗚尊が覆い被さっているとして、八犬伝に於ける其の意味とは何かを考えてみよう。第四十三回、信乃・現八・小文吾が雷雨暴風に助けられ荘介を救出する。「僉鳥銃を携たり。既にして城兵等は、はや四犬士に近づきて箭来程よくなる随に筒頭を揃へ連掛て火蓋を切らんとする折から俄然として降そゝぐ夕立の雨、繁を紊して忽地火縄を滅たりける。城兵等は思ひかけなき暴風に度を失ふて且く捫択する程に轟々然と鳴わたる疾雷に電光して、雨なほ烈しかりければ、城兵はいよ/\騒ぎて……」。此の他、暴風舵九郎に親兵衛が殺されそうになったとき、雷が舵九郎を虐殺した。龍を操る観音の冥助と思しい。伏姫の正体が観音であるからこその、展開だ。また、信乃が村雨を揮えば鉄砲の火縄ぐらい消せたであろうが、このとき肝心の村雨は道節の手にあった。第二十八回挿絵に於いて、道節が握る村雨から龍の気が立ち上っている。村雨は、龍神の剣という側面ももつ。伏姫は天照大神の要素をもつので太陽神ではあるが、馬琴が明示する如く観音菩薩でもあるから龍を召し使い雨をも制御する。よって喪われた村雨を補うため、刑場荒らしの場では伏姫自らが雨を降らせた、と考えるべきであろう。則ち、村雨は天叢雲剣に擬すべきものではあるが、龍を統括する観音/伏姫の冥助を伝導するアイテムでもある。神話と仏教の混淆である。

 

 荘介を救った信乃らは、荒芽山へと向かい、犬山道節と合流する。荒芽山では、姥雪世四郎・音音が覚悟の自焼を図る。脱出しようとする犬士の行く手に敵兵どもが立ちはだかる。背後から火の手が迫る。「風はいよ/\烈しくなりて、西に吹ては東にかへし南へ巻ては北に旋る音凄しく沙礫を飛して山林過半焼つべき、勢ひ犯しかたければ、母屋へ赴くことはさら也、五犬士は在つる侭にて、ひとつに聚合ことも得ならず、武尊駿猟の災、田単火牛の謀も、これにはいかでかますべきや」{第五十一回}。

 因みに此のとき火気犬士、狂獣サラマンダー道節は、「{火は}彼此となく犬士のほとりに間なく隙なく降かゝれば、襟に袂に燃うつるを、払ひ落しつ■テヘンに委/滅しても、なほ生憎に焦熱の地獄の責に異ならず。そが中に道節は、火遁の術をみづから非として、今朝しも破棄たれば甲斐なし。よしやその術ありとても、身ひとつ遁れて何にせん、囲は解けて火に焼るゝも、みな是過世の業報ならん、と思ひ定めつなか/\に、観念の外なきものから」と覚悟を決めている。道節にとって此の危難は、犬士の隊に入り邪術を捨て正道に立ち返った途端に、降り懸かった火の粉であった。

 さて「犬塚信乃がほとりへは、墜る火焔の殊さらに多かりければ、霎時も得堪ず右へ走り左に避て、身は狂へども心には、正しく思ひつくよしありて、腰に納めし村雨の大刀を、ふたゝび引抜てちからの限りうち振れば、刀刃の奇特舛たず、その刀尖より濆る、水気は遠く散乱して、百歩二百歩あなたなる、道節現八荘介等が、ほとりに閃めく火焔すら、うち滅されつゝ落てけり」と漸く水芸の御姉さん、ウンディーヌ信乃が本領を発揮する。

 五犬士に迫る火焔の凄まじさを表現するに馬琴は、「武尊駿猟の災、田単火牛の謀{→▼史記}」の二つを引き合いに出している。前者は当然、日本武尊が東征の折、駿河で焼き討ちに遭い天叢雲剣で草を薙いで助かった故事を指す。後者は、南関東大戦時、信乃が火猪計を繰り出す際に再び引き合いに出される。此処では勿論、前者が重要である。何故ならば、迫り来る火炎の凄まじさを表現している「武尊駿猟の災、田単火牛の謀」であるが、信乃は村雨の御蔭で難を逃れている。「武尊駿猟の災」で草薙剣が活躍した故事と、より親近性が強い。

 また、信乃らは刑場破りに成功し荒芽山に向かう途中、雷電神社に立ち寄った。刑場で雷雨によって助けられ、その足で辿り着いた場所が雷電神社なのだから、話が出来すぎている{小説だから当たり前だが}。信乃は此処で浜路を偲ぶ。「某諸賢の資によりて名を揚家を興すとも、又正妻を娶るべからず、子孫の為に已ことなくは妾のみにて事足りてん、こは彼義女の為にして古人寒食足下の微意也」。翌早朝に雷電神社を出発し、一行は霊場を巡拝する。七月六日には上野国甘楽郡、白雲山、明巍神社に参詣する。明巍山は、扇谷上杉定正が在城しているという白井城の北隅に在り、西北には碓氷郡を背にして同郡の荒芽山と南北に相対していた。

 雷電山で浜路を偲んだ後、信乃は碓氷郡を遠望し明巍神社に参詣する。参詣するのは勝手だが、わざわざ碓氷郡を引き合いに出している。当然、直前にあった浜路を偲ぶ場面の余韻を漂わせている。碓氷峠は日本武尊が弟橘媛を偲び「吾嬬者耶」と叫んだ場所だ。全く用のない碓氷峠まで出張ることはストーリー上できなかったが、信乃に浜路を偲ばせた直後、馬琴は碓氷峠を遠望させた。読者に日本武尊を想起させるためだったろう。

 但し、信乃に取り憑いているのは、日本武尊だけではない。筆者はロリコンでもショタコンでもないので羨ましくも何ともないが、信乃は少年の頃、滝野川弁才天に母の平癒を祈り全裸で瀧垢離をした挙げ句に失神し、糠助に助けられた。悪戯されなかったか心配だが、抑も信乃は、手束が滝野川弁才天に願を掛けた結果、弁才天と見間違うほどに美しく神々しい伏姫に玉を授けられ、儲けた子だ。弁才天は観音の眷属であり、天照大神の娘である宗像三女神や宇賀神と習合したこともあって、神龍/蛇に縁がある。宗像三女神は龍宮とも繋がる。

 

 信乃は、日本武尊でもありタツノオトシゴ……ではなく龍の申し子でもある。日本武尊である側面は、嬬/許嫁/浜路と死に別れて愁嘆する場の風味付けとなっており、物語に深みを与えている。信乃の龍なる側面は、「蛙の子は蛙」法則から、母の伏姫が龍女であることを導き出す。また、此等の性質は、信乃が独占すべきものではなく、他の犬士にも潜在的に共有されていると考える。性質が共有されることにより、犬士は互いに代替可能となる。犬士同士が代替可能であることは、第四十七回に於いて、既に荘介が語っている。

 「曩に和殿と某と、ゆくりなく玉を相換て、その玉いよ/\われに利あり、某は大塚にて彼奸党に誣られて緊しく禁獄せられし日、心地死ぬべく覚し時、その玉を口に含めば快然たらずといふことなく、その玉をもて身を拊れば杖瘡忽地愈たり、且はからずも某が主の讐を撃たるは、知らで和殿と易たる玉の忠字号の誼に称へり、和殿は亦思はずも村雨の大刀を獲て今犬塚に返さんとす、これわが玉の義字号に称へり、忠は義を兼、義中に忠あり、かゝれば犬士たらんもの、異姓にして骨肉の如く、玉の字号は同じからで、その感応異なることなし、こも亦自然の妙契也」

 また、本シリーズで縷々述べてきたように、犬江親兵衛は信乃の代行として館山に蟇田素藤を討って浜路姫を救い、犬士全員を代表して玉面嬢妙椿を退治した。南関東大戦に於いて信乃は、親兵衛の節刀を預かり、山林房八/親兵衛の分も併せて奮戦した。親兵衛は犬士を代表して、独り京師へ上り、妙椿の後身である画虎とも対決した。犬士は互いに、置換可能である。

 

 置換法則は、犬士間でのみ成立するのであろうか。筆者は、網干左母二郎による浜路虐殺は、浜路の母に一度は毒殺された犬山道節の復讐を代行したものだと主張してきた。勿論、一度殺された道節は何故だか甦ったわけであるから、浜路も浜路姫として復活を果たす。現実では不可能だが、物語上で浜路は、【仮に殺された】だけなのだ。浜路と浜路姫は、肉体も記憶も共通してはいないが、名詮自性、存在の本質として共通であるによって、物語上は、同一の存在である。浜路は道節の復讐によって殺され、蘇って信乃の愛を注がれる。しかし流石に、道節が直接手を下しては、マヅイ。幾ら八犬伝内の論理を貫徹するためであっても、読者は納得しないであろう。浜路ほど純粋な少女はいない。幼少期に、美しい御姉様/信乃を婚約者だと規定されて真に受け、御姉様一筋に生き、途中からは御姉様が実は御兄様だったと気付いただろうが、「Well,nobody's perfect」{SomeLikeItHot}と受け流したのか如何か、とにかく御姉様への愛を貫いたレズ……ではなくトレビアンな浜路こそ、女の中の女である。彼女を敵に回すことは、読者の殆ど総てを敵に回すことを意味するだろう。其れ故に、信乃んチ近くにあった「網干{坂}」なる地名を用い、且つ浜路も水気であろうから水気を「干」し消滅させるべき火気関連の名を与え、火気犬士たる道節の代理とした。代理として浜路を殺した左母二郎は、徐に登場した本物/道節によって排除され、退場を余儀なくされる。

 

 大塚蟇六は、簸上宮六によって殺された。蝦蟇が蛇に殺されることは当然と考えるムキもあるかもしれないが、其れだけではないだろう。実のところ、蟇六が殺されることで、溜飲を下げた読者もいるのではないか。蟇六・亀篠によって、番作は財産を失い貧困に喘いだ。蟇六は村雨を狙い、詐術を以て、番作を死に追い込んだ。番作としては積極的な深慮遠謀により死を選択したのだが、何連にせよ蟇六の如き者が存在せねば、番作は死にもしなかったし、貧困に陥ることもなかったであろう。しかも女の中の女、美少女浜路は、純粋な愛を蟇六・亀篠に踏みにじられ翻弄され、其れがもとで左母二郎に掠奪されてしまう。宮六による蟇六殺害は、悪人同士のイザコザではあるが、天罰が下ったようにも思える。蟇六は殺されるべくして殺されたのだ。

 筆者を含めた読者は、本来なら、怨んで然るべき者に蟇六を殺させたいのではないか。村人からも怨まれてはいるだろうが、物語上、蟇六を怨み得る者は、村雨擦り替えに協力したにも拘わらず裏切られた左母二郎、財産を奪われ父を死に追い遣られた信乃、母を見殺しにされ扱き使われた荘介、信乃への愛を否定された浜路、ぐらいか。左母二郎は浜路を掠奪して復讐を企てたので除外、浜路も掠奪されて復讐どころでないから除外せねばならない。荘介・信乃には、母を父を、死に追い遣られた債権を回収する権利がある。公権力による司法が未熟な前近代に於いては、私的復讐が容認されていた。養われたと云っても、既に村雨を譲るに当たって番作は信乃に、大塚家の財産は本来なら番作のものなので恩に着る必要はなく、真情による養育を受けた場合にのみ、伯母夫婦に孝養を尽くすよう命じていた。此の論理を荘介にも適用すれば、荘介・信乃とも蟇六・亀篠に重い恩義を感ずる必要はない。但し勿論、如斯き論理が二人の主観的行動原理だと云っているわけではない。過去の経緯は如何あれ、蟇六・亀篠殺害の瞬間のみ切り取れば、其れは宮六の理不尽による。荘介・信乃は、怨みを抑えても、蟇六・亀篠の側に立ち得る。しかし筆者が此処で推すものは、八犬伝で起こる事件どもから帰納できる原理だ。登場人物個々人の心象ではない。

 

 第二輯口絵。荘介・信乃の足下に、蝦蟇と亀がいる。どうも死んでいるか瀕死の状態らしい。二匹の周辺には蝶が舞い飛んでいる。八犬伝で蝶は妖しい機能を有する。梁山泊……ではなかった、梁山伯と祝英台の悲恋は、中国四大物語の一とされているが、甚だ興味深い。先学によれば東晋時代に成立した話らしいが、唐代の宣室志にも載っている。但し、現行の物語の肝は愛し合いつつも引き裂かれ死んだ男女が蝶へと変成したエピソードである。宣室志では、梁山伯を追うように祝英台が死ぬところまでしか描かれていない。二人が蝶に変成する形になったのが何時か筆者は知らないが、森鴎外が小説を書く際のカンニングペーパーとして使った「情史類略」には蝶の話が明記されているので、遅くとも西暦十七世紀前半、皇紀二二九〇年頃までには梁山伯・祝英台と蝶が結び付いている。

 

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以下同死

祝英台

梁山伯・祝英台、皆東晋人。梁家会稽、祝家上虞。嘗同学、祝先帰。梁後過上虞、尋訪之、始知為女。帰乃告父母欲娶之、而祝已許馬氏子矣。梁悵然若有所失。後三年、梁為■謹の旁にオオザト/令、病且死。遺言葬清道山下。又明年、祝適馬氏、過其処、風涛大作、舟不能進。祝乃造梁塚、失声哀慟。地忽裂、祝投而死。馬氏聞其事於朝、丞相謝安請封為義婦。和帝時、梁復顕霊異效労、封為義忠、有事立廟於■謹の旁にオオザト/云。見寧波志。

呉中有花蝴蝶、橘蠹所化。婦孺呼黄色者為梁山伯、黒色者為祝英台。俗伝祝死後、其家就梁塚焚衣、衣於火中化成二蝶。蓋好事者為之也{情史類略巻十情霊類}。

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 また、同じく明代、徐樹丕の識小録にも、

 

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   梁山伯

梁山伯祝英台皆東晋人梁家会稽祝家上虞同学於杭者三年情好甚密祝先帰梁後過上虞尋訪始知為女子帰告父母欲娶之而祝已許馬氏子矣悵然不楽誓不復娶後三年梁為■勤の力がオオザト/令病死遺言葬清道山下又明年祝為父所逼適馬氏累欲求死会過梁葬処風波大作舟不能進祝乃造梁塚失声乃哀慟塚忽裂祝投而死焉塚復自合馬氏聞其事於朝太傅謝安請贈為義婦和帝時梁復顕露異助戦伐有司立廟於■勤の力がオオザト/県廟前橘二株相抱有花蝴蝶橘■蠧所化也婦孺以梁称之按梁祝事異矣金楼子及会稽異聞皆載之夫女為男飾乖矣然始終不乱終能不変精誠之極至於神異宇宙濶ス所不有未可以為誕。

{梁山伯と祝英台は皆、東晋の人。梁家は会稽、祝家は上虞にあり。杭に同じく学ぶこと三年。情を好くし甚だ密なり。祝は先に帰る。梁は後に上虞を過ぎて訪ね、始めて女子たるを知り、帰りて父母に告げて之を娶らんことを欲す。しかして祝は已に馬氏の子に許さる。悵然として楽しまず、復た娶らざるを誓う。後三年にして、梁は■勤の力がオオザト/令となりて、病に死す。遺言によりて清道山下に葬る。又、明くる年、祝は父の逼る所のため馬氏に適く。累ねて死して会うを求めんとす。風波は大にして、舟を能く進ましめず。祝は乃ち梁塚に造り、声を失い、乃ち哀慟す。塚は忽ち裂く。祝は投じて死す。塚は復た自ずから合す。馬氏は其の事を朝に聞く。太傅謝安は請い贈りて義婦とす。和帝の時、梁は復た異を顕露し戦伐を助く。有司は■勤の力がオオザト/県に廟を立つ。廟前の橘二株は相抱きて花あり。蝴蝶と橘■蠧は化する所なり。婦孺は之を、梁を以て称す。按ずるに梁と祝の事か異なるか。金楼子及び会稽異聞は皆、之を載す。夫れ女が男飾をなして乖きしか。然りて始終、乱れず。終に能く精を変ぜず。誠の極み神異に至る。宇宙の閨Aいづくにかあらざるや。未だ以て誕となすべからず}

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 とあり、且つ、台湾の偶像組合S.H.Eも「ロミオは就ち是、梁山伯。祝英台は就ち是、ジュリエット……中略……我ら一双の蝴蝶に変成す」{茱羅記}と歌っており、MVに於いてElla氏が特に可愛いのであるが其れは措き、現世で結ばれ得なかった愛し合う二人が胡蝶に変ずるとの物語が、今もって流布していることが判る。

 

 また、文楽の「契情倭荘子」に「蝶の道行」なる場面がある。皇紀二四三〇年頃の初演らしい。馬琴が六歳ぐらいか。心中する二人を、春に花を廻り短命に死する蝶に見立てている。蝶よ花よと二人だけの甘く濃密な時間を過ごす二人であった。とにかく蝶は、てふてふ舞う儚さ故か、華やかでありながらも、死と隣り合わせの悲恋と結び付き易いようだ。

 

 愛し合いつつも引き離されてしまった男女が、愛し合いつつ此の世では共に生きられない男女が、蝶の姿で現じ得る点に注目せねばならない。浜路と信乃、伏姫と大輔、八郎と玉梓……。此の世で、結び付け得なかった一組の男女が、あの世で固く結ばれたことを現世に示すが一双胡蝶ならば、則ち蝶は、彼岸での現象を現世に投影していることになる。蝶は、此岸と彼岸を繋ぐものである。繋ぐとは何かと云えば、両者に属すことを意味している。此岸にも彼岸にも属する蝶は、二つの世界を行き来できるだろう。

 但し、八犬伝挿絵に現れる蝶は、一双/二頭ではなく、ウジャウジャ登場する。よって、配偶すべき一組の男女が彼岸での愛の成就を示すため現れるものではなく、より昏い、蝶というより不吉な蛾、かもしれない。此岸と彼岸を行き来する者、幽鬼の供かもしれないのだ。端的に言えば、浜路姫に浜路の幽鬼が憑依したときの口絵描写は、着衣の蝶紋であった。

 尤も、蝶も蛾も、似たようなものだ。蛾のうち、日本人が美しいと感ずるものを、蝶と呼んでいるだけだろう。日本語としての区別に、生物学は余り必要ない。但し或いは、俗説に、蝶は羽を立てて留まり、蛾は羽を伏せて留まると云うが……

 

 さて、既に死んでいるか瀕死の状態にある蝦蟇/蟇六と亀/亀篠を、美しい悲恋の主人公に見立てる趣味はない。蝶と云えば、信乃である。此の口絵で信乃は市松模様の着衣だが、少年期に於いては一貫して浮線蝶模様の衣装を着ている。

 大塚/犬塚家の家紋が桐であるとは夙に指摘してきたが、挿絵に於いて、少年期の信乃は一貫して、浮線蝶模様の着物を着ている。女装時代には美少女らしい振り袖で、多くは全体に幾つも大きな浮線蝶模様が描かれている。番作の喪に服している第二十一回挿絵では、袂と下半身部分のみに浮線蝶模様があり{礼服バージョンか}、信乃は二種類以上、蝶模様の着物を持っていたことが判るのだが、其れは措き、前髪姿で八房梅の前に立つ信乃は、やはり全身に浮線蝶模様の入った着物を纏っている。前髪を落とした初出挿絵は第二十一回末尾だが、初めて浮線蝶模様以外の着物だ。文庫版のため見えにくいが、花柄で、恐らくは桜花模様だ。桜花模様は、伏姫の着衣であり、対称的に薄墨を全体にかけた桜花模様なら、玉梓の着衣となる。

 少年期の信乃が専ら浮線蝶模様を付けること自体の意味は、浮線蝶{ふせんちょう}を一般に「伏蝶{ふせちょう}」とも呼ぶ点に求められよう。道節が繁く使う揚羽蝶は羽を垂直方向に立て揚げた形だが、浮線蝶は羽を水平に倒し伏せた形である。羽を伏せて留まるを蛾と謂うが、伏蝶は昔から蝶とされてきた。蛾と蝶の区別は、余り意味がない。蝶を霊と置換すれば、伏蝶は、伏霊となり、伏姫の霊とも解せられる。伏姫との関係を示すためにこそ女装し犬に跨った信乃は、伏蝶模様で伏姫の霊が纏わっていることを読者に確認させている。

 蝶が、蝦蟇と亀の死を、見詰めている。蝶/信乃には、蝦蟇/蟇六・亀/亀篠を殺すべき理由もあった。しかし馬琴は、信乃に直接手を下させはしなかった。

 

 龍の眷属である信乃の秘められた怨念は、蛇たる簸上宮六によって晴らされた。信乃・宮六とも意識にはなかったであろうが、八犬伝の絶対神馬琴は、因果を糺し均衡を保たねば気が済まない。直接に手を下せない場合は、或いは事故を装い、或いは代理に執行させる。とにかく少なくとも結果としては、均衡を保つ。しかも蟇六の場合、事故では手緩い。一億人の恋人信乃と浜路を敵に回したのだ。万死に当たる。酷たらしく殺されねばならぬ。代理人は、誰でも良いわけではない。何等かの相関がなければならぬ。善なる龍女の眷属信乃の代理は、信乃をリバースした陰の存在、裏側に蠢く否定的な者が、請け負うべきだろう。信乃の本質に於ける善なる部分が信乃自身として物語を紡ぐが、信乃の本質の裏の昏い部分が宮六として現象していると考えるべきだろう。信乃が心の奥底に押し込んだ少年期の怨念、【蝶の時代の怨念】は、ココロ/異次元の世界を通じて、宮六と通じた。信乃/善龍と宮六/悪蛇は、表裏一体である。やや言い換えれば、信乃と宮六は、荘介を軸として対称であり敵対すべき位置にあるが、龍蛇でありゆえに蟇六を共通の敵もしくは餌食とし得る。但し信乃は蟇六の義理甥であるため直接には手が下せない。許我へ旅立った信乃と入れ替わりに婚礼の席に座った宮六が、信乃に代わって蟇六を殺す。しかも宮六は、蟇六が自分と浜路の婚姻を妨げようとしていると疑って斬り掛かる。此の動機は理不尽である。しかし、同じ事を信乃・浜路が主張すれば、正当だ。読者が抱いている筈の、蟇六が死なねばならぬ理由の一つである。尤も此の段階で浜路は信乃の眼中にはなく、信乃が蟇六に浜路との婚姻を催促するわけもない。しかし信乃の悪しき徒花、恐らくは蟇六殺しを代行する為に登場した宮六は、臆面もなく、浜路との婚約履行を求めるのだ。信乃と宮六が共謀したわけではないのだが、天の理は斯く発動した。

 

 此処で読者は疑問を抱くかもしれない。筆者は村雨/天叢雲剣を通じて信乃を素盞嗚尊・日本武尊と重ね合わせてきた。宮六と八岐大蛇を重ねもした。では何故に、八岐大蛇と、退治した側の素盞嗚尊が、通じていなければならないのか、と。

 しかし筆者に云わせれば、其れ故にこそ、両者は相通じている。記紀神話に書かれてある素盞嗚尊の八岐大蛇退治は、極めて興味深いものだ。素盞嗚尊は幼少期に泣き喚いてばかりいた。ために暴風雨が起こり多くの人が死んだ。根国に行かされることになり、姉天照大神に挨拶しようと高天原に赴いた。高天原で乱暴狼藉を働き、遂には天照大神を岩戸の中に閉じ籠もらせた。下界に追放された素盞嗚尊は、八岐大蛇に喰われることになっている少女と婚約し、救出を約束した。八岐大蛇を酔い潰して殺した。死骸から天叢雲剣を発見した。天叢雲剣からは雲気が発していた。天叢雲剣を天照大神に献上し、素盞嗚尊は根国/黄泉へと降る。

 素盞嗚尊が暴風雨の源であること、高天原で騒ぎの元凶であったにも拘わらず豊葦原瑞穂国に降っては騒ぎを鎮静する者へと逆転していること、八岐大蛇から発見された天叢雲剣は暴風雨の源たる雲を発すること、の三点に注目する。天叢雲剣が雲を発することから、素盞嗚尊と本質を共通するものだと知れる。但し剣は、使わなければ只の鉄塊であり祭器/装飾品に過ぎないが、濫用すれば凶器となる。両義性を持っている。制御不可能な暴風雨とは違って、制御可能な暴力を象徴し得る。天照大神との賭に勝利し、有頂天となって荒れ狂い、宇宙を暗黒に陥れた素盞嗚尊が、雲気を発する八岐大蛇を退治し、制御可能な暴力/天叢雲剣に変換して天照大神に献上し、姿を消す。神には和魂と荒魂がある。高天原で暴れ狂った素盞嗚尊は、荒魂であった。一方、豊葦原瑞穂国で少女を喰らう八岐大蛇も、荒魂である。対して八岐大蛇の荒魂を沈静化/無化しようとする素盞嗚尊は、和魂である。共に暴風雨の源である、荒魂としての八岐大蛇と、和魂としての素盞嗚尊、両者は同一の存在ではないか。同一の存在の裏表、荒魂と和魂ではないか。天照大神を岩戸に閉じ籠もらせた罪を問われ、素盞嗚尊は全身の体毛や爪を毟り取られ剥ぎ取られた。暴力性を抉り取られたのだ。荒魂を強奪された素盞嗚尊には、和魂しか残らない。荒魂は何処へ行ったのか。彼の荒魂は、簸川の川上に蟠っていた。八岐大蛇である。素盞嗚尊は、和魂となって、自分の荒魂を退治したのだ。此処までを現代風に云えば、幼児的暴力性を克服し社会性を身に着けた、と何やら心理学者流っぽくなって陳腐極まりないのだが、全体として、天照大神が、前には自分を凌駕した程の暴力を、制御可能な形に変えて掌中とした物語となっている。結局は、天照大神が労せずして陰陽兼備し絶対的パワーを手に入れる話に過ぎず、甚だ政治的な妄想譚に仕上がっている。

 勿論、上記の如く馬琴が記紀神話を読んでいたと強弁する者ではない。且つ、筆者は一般論として記紀を論じているわけではなく、ただ、あり得べき読解を抽出し、八犬伝との整合性を求めているに過ぎない。そして上記の如く、八犬伝読解に資すべき読みも可能である。

 

 犬川荘介は信乃の代理として宮六を殺したと思しい。事件当時、信乃は既に大塚を去っており、伯母夫婦の仇討ちは出来ない。孝の犬士たる信乃が現場に居合わせたら、冷酷な伯母夫婦であっても、成り行き上、何等かの対応を迫られる。まさか「父の仇」とばかりに、宮六と一緒になって蟇六に斬りかかるわけにもいくまい。其れが出来たら、端から宮六を代理にする必要はない。八犬伝の基底に流れる原理は、アカラサマではない。真の原理を隠して、信乃は孝子を演じさせられている。荘介救出作戦で、信乃は亀篠を手に掛けた軍木五倍二を「今こそ復す伯母の仇、思ひしるや」と殺している。一応は、信乃が亀篠の仇を討っているような格好だ。

 荘介の説明に依れば、円塚山で期せずして道節と玉を交換してしまった荘介は、忠の権化/道節に成り代わり主人である蟇六の仇を討ったことになっている。但し、此の一節は、やや慎重に扱う必要がある。何故ならば、置換法則が成立するとなれば、八犬士全員互いに等値であると宣言していることになる。一応は名前に表れた玉をもち、八行それぞれに見合ったキャラクター設定となっているが、馬琴の都合によって玉さえ換えれば置換可能なのだ。犬士同士に置換法則が成立するならば、荘介は忠の犬士道節に成り代わっただけではなく、孝の犬士信乃の代理としても、宮六を討ち得る。

 道節と荘介が玉を交換した。そういえば、とりかえばや物語ではないが、へんしん!ポンポコ玉とかいぅテレビ番組があったやに記憶するが、其れは措き、道節と荘介は玉を取り替えた瞬間、本質が入れ替わったと思しい。荘介が忠の犬士となって宮六を殺すからだ。入れ替わったから宮六を殺した……則ち入れ替わらなかったら宮六を殺さなかったかもしれない、と馬琴は云いたいのか。予譲を持ち出すまでもなく、士は己を知る者のために死す、即ち、知らない奴のためなんか死ぬ必要はない。本来、自分の母を見棄てて結果的に見殺しにした蟇六、引き立てもせず扱き使った蟇六のため、荘介が命を投げ出す必要はない。此が忠の一般論だ。だいたい主人である蟇六・亀篠夫婦を裏切り信乃と通じていた荘介/額蔵は、【敵】である大塚家に入り込んだ間諜ではあっても忠臣ではあり得ない。よって荘介は本来なら蟇六に忠義立てする必要は全くないのだが、そこが薬屋馬琴のオブラート、忠の犬士道節と入れ替えることで、不必要な迄の忠を発揮させた。読者には色々な人がいて、馬琴一流の倫理を語りつつ幼児的な忠を求めるムキにも文句を言わせないための方便でもあったか。が、忠の看板を掲げつつ真実は【徒花の排除】だと筆者が考える理由は、此までも八犬伝読解に使用してきた、平衡論理の故である。

 姥雪代四郎を語った部分で、彼が親兵衛に尽くす理由を考えた。代四郎は、与四郎犬である。与四郎犬は、番作の死に関与し信乃に債務を負った。信乃は山林房八に命を救われ、親兵衛に対し債務を負った。信乃が与四郎犬/代四郎に対する債権を親兵衛に譲渡した。よって、代四郎は親兵衛に尽くさねばならない。同様に、道節は村雨を信乃から無断借用した。信乃に対する債務である。荘介と道節は、円塚山で入れ替わった。ならば、見かけ上の荘介、実は道節{の本質}は、信乃への債務を負っている。荘介が、道節として行動するからは、当然、信乃への債務を履行している筈だ。荘介が、あり得ぬほど無意味な忠を発現して宮六を討つ理由は、其れが実は荘介としての忠を発露しているのではないためであり、信乃の為すべきことを代行しているためだ。「信乃の為すべきこと」とは、血の繋がらぬ義理の伯父、番作のものとなるべき財産で信乃を養った蟇六への【孝】ではなかろう。其れは、自分に代わって浜路を虐殺した悪しき徒花/左母二郎を排除した道節と同様、自分に代わって蟇六を惨殺した悪しき徒花/悪蛇たる宮六を排除しただけの話であろう。但し信乃は偶々孝の犬士である。流石に荘介奪回作戦では、「伯母の仇」とか口走りつつ軍木五倍二を殺している。まぁ別に五倍二が其処にいたから殺しただけで、作戦の目的は、あくまで幼少時から契り合っていた荘介の救出であった。とはいえ、人並みではない、不必要な……いやまぁ過剰な孝を見せることで、馬琴は信乃を孝の犬士として強調することに成功している。「わが伯母は、などてかくまで腹きたなき」{第二十五回}など罵詈雑言の言いたい放題で、とても伯母孝行とは思えないのだが……。

 

 結局、犬士同士の置換法則は、荘介/道節の置換成立によって証明できる。但し、置換できない代理、即ち左母二郎のような、実花と対照的な徒花は、用済みとなれば、排除されねばならない。網干左母二郎が犬山道節の代理として浜路を虐殺したと同様に、簸上宮六は信乃の代理として蟇六を惨殺した。しかし徒花たる左母二郎は、実花である道節の登場によって、押し退けられてしまう。同様に、徒花たる宮六は、実花である信乃の代理荘介によって退場を強いられる。信乃のため宮六を殺した荘介は捕らえられたが、置換可能な犬士同士はOneForAll_AllForOneであるから、犬士たちが共同で救い出す。此の原理は、犬士の代表として玉梓余怨/玉面嬢と対決したり上洛したり、且つ後に自分と配偶する信乃の代理として浜路姫を守り更に浜路姫と浮き名を流す親兵衛にも適用されることになる{お粗末様}。

 

 

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