▼世四郎・与四郎・代四郎▼

 

 姥雪世四郎は二度改名する。一度は、与四郎に。二度目が、代四郎与保であった。小文吾らが船虫を刑戮し、毛野は存分に仇を討ち、道節は不満ながらも仇である扇谷上杉定正の兜を射落として溜飲を下げ、信乃が殆ど理不尽に定正を仇と決め付け五十子城を破った。道節だけは、まだ燻っているが、仇討ちや仕返しを一通り済ませ、七犬士が穂北に集合していた。個人的な事情を清算したのだ。親兵衛と蜑崎照文・姥雪与四郎は、丶大や七犬士を迎えに行くが、与四郎だけ遅れてしまう。照文は若党直塚紀二六を穂北に遣って様子を探る。紀二六が穂北から戻り、七犬士は早朝、結城に向かったと報告。不思議な僧侶の案内で、一行は迷わず丶大の庵に辿り着く。八犬士が初めて勢揃いした。庵が狭いため犬士は丶大に追い出され、宿屋に宿泊した。与四郎が追い付き合流する。漸く旧主犬山道節と再会した与四郎は、旧恩を忘れたことがないと語る。

 

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この故に犬江腋子に倶して出世の那日より、数ならねども我通称の世四郎の世を與に改めて與四郎と喚れ候ひき。こは惶うも君が名乗(忠與)の與の一字を賜りし心操にて候也。恁れば君が御名代に身は逸早く安房に在り、世四郎ならぬ君が名の一字を戴く名頭こそ、故を忘れぬ愚僕が本性、この義を饒させ給へかし。いかで/\、と繰返すを、道節听つゝ感嘆して、遖愛たき忠義の用心、我名の一字は所望に儘せん。そは左も右もの事ながら、同じくは與四郎の與を改めて代の字に做さば、即我に代るの義あり、又與の字も捨かたくは、今よりして姥雪代四郎與保と名告りねかし{第百二十三回}。

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 八犬伝も此処まで読んでくると、役行者など特別な存在以外、登場人物の言葉すべてを鵜呑みには出来なくなっている。序盤で既に読者は、里見義実の脳天気なアテズッポーに振り回されている。此処では姥雪代四郎の言葉が、疑惑の対象だ。勿論、愚直な代四郎が嘘を吐いていると云うのではない。代四郎が表白する内容は、彼個人のキャラクターから想定され得る主観的真実ではあるが、馬琴の真意とは別だと云っているのだ。嘘吐きは代四郎ではなく、馬琴だ。名詮自性が八犬伝世界の、即ち馬琴の原理であるならば、世四郎の名が与四郎に変わったとき、其れは世四郎が与四郎に変わったことを意味していなければならない。何だかヤヤコシイ書き方になっているが、言葉を足すと、人間の世四郎は、親兵衛の養育に当たるとき、犬の与四郎に変わったのだ。

 とはいえ、外形が犬に変わったわけではない。存在の意味が変わっただけだ。世四郎は、犬山家譜代の郎等であった。道節に忠節を尽くすべき者であった。しかし上に引いた第百二十三回、道節への熱烈な忠義を口にするが、実の所、既に与四郎は親兵衛にベッタリ寄り添っている。此の後も、道節へ忠義立てすることは、特にない。尤も馬琴は、道節を与四郎の故主として遇するが、あくまで「故主」である。そして新主は里見家なのだが、与四郎はベッタリ親兵衛に付き従う。世四郎が親兵衛にベッタリ寄り添い始めたとき、与四郎となる。世四郎の心裡では、道節への忠ゆえの改名であったが、馬琴の肚づもりでは、与四郎犬への変換ではなかったか。

 与四郎犬は元より、信乃の愛犬である。しかし其れ以前に、八房の分身である。「脊は墨より黒く腹と四足は雪より白く」馬で謂う■馬に曾/{第十七回}であったため、四白とも与四郎とも呼ばれるようになった。また、与四郎を根本に埋めた梅の前で荘介と信乃が密び逢っていると、梅に八重の実が成っていた。「世に八房の梅といふものありとは聞ど罕にも見ざりき。こは八房に候はん、といはれて信乃は心つき、寔にこれは八房也。わが物ごゝろを知る比より斯条毎に八生ることは聞も伝へぬことなりかし。畜生ながら主を知る彼与四郎が名にし負はゞ四房にこそ生るべきに八房なるはいかにぞや」「この梅漸々に人に知られて名木になりしかば、与四郎が事さえ聞えて、八房の梅、与四郎塚とて故老の口碑に伝へたれども」{第二十一回}である。

 八房の由来は、体にあった八つの斑であった。また、八房の梅は、伏姫が生んだ八つ子の表現であろう。且つ、八房に刻印された八つの斑は、それぞれ犬士を象徴していたようだ。そして背が真っ黒、腹と足が白いなら、与四郎は、斑の一つを大きく背負っていることになる。八房の斑一つを分かち与えられた与四郎の腹中には孝玉が秘蔵されている。様式美を感じさせるほどに、極めて巧緻な、馬琴の手配りである。しかし……、馬琴は与四郎の特徴を以下の如く書き換えている。古那屋悲劇の後、息を吹き返した親兵衛が犬士であると判明し、蘇生した信乃が与四郎および八房の梅について語る部分だ。

 

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彼巨犬を与四郎と名つけしよしは、其全身黒白八个の斑毛ありてその足はみな白かり。因て四白といふべきを訛りて与四郎と呼べる也。後にその犬の斃れし時、庭に埋たりけるに、次の年の春そのほとりなる梅に最も異なる子を生て一蘂に八子■クサカンムリに麗/り。世にいふ八房の梅是也。且その梅子に仁義云云の八行の文字見れて鮮にぞ読れたる。日を経て文字は消失たれども、その核は今なほあり。彼与四郎はわが母の感得しつる玉を呑ぬ、とは知らずして年を歴て玉は犬の瘡口より忽然と顕出て某が手に入れり。梅の異名を木母といふ。木母は則母の木也。今この児とわが玉はおの/\母よりいで来れり。且彼梅子の八房に生りたると与四郎犬が八个の斑毛と、みなおのづから因縁ありしを、やうやく爰に暁得たり{第三十八回}。

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 其れまで与四郎犬の背は真っ黒だった筈だが、全身に黒白八つの斑があったと明かされる。全く違う柄になっている。完全な後出しだ{但し「与四郎犬が八个の斑毛」が「八房が八个の斑毛」なら全く問題がないので誤字か}。

 怒っても仕方ないので話を進める。信乃は、梅が八房の実をつけた理由を、自分と親兵衛が、母を経て玉を得たためだと、断定する。梅が「木母」だからだ。やや苦しいが、そうかもしれない。房八の義死と親兵衛の蘇生は、前半のハイライトだ。例えば、芳流閣上の対決は素晴らしい見せ場だが、犬士同士が敵対し合って巡り会う、との要素を除けば、意義は薄い。せいぜい土克水、土気の現八が水気の信乃を留めるぐらいの意味が込められているのだろう。古那屋の悲劇は、八犬伝の根底を流れる因果律を示す重要な場面だ。里見家安房支配の隠れた端緒となっている神余光弘誤殺事件で、殉職した那古七郎の姪と、七郎を殺した杣木朴平の孫である房八が、隠微な和解の象徴として【仁】の犬士親兵衛を誕生させる。物語としての分量は多くないが、語る所の多さは、信乃成長譚に匹敵しよう。故に此の場面に就いて、当初から腹案ぐらいは存在しただろう。

 話が合うように、第二十一回で梅を持ち出したのだとも思う。花に雌蘂が八つある八房梅は実在のものなので、それだけで登場する資格があろうが、梅を「木母」に分解し、より因縁めいて見せることも是である。梅・木母となれば梅若伝説だから、読者の興味も惹こうし、暫くして親兵衛は神隠しに遭う。

 結局、馬琴は八房の梅を二度使ったのだ。第二十一回の時点では、一花に八つの実がなる八房の梅を以て、伏姫の生んだ八つ子犬士が揃うことを確認する。八犬士全体のイメージである。読者にとっては、確認に過ぎない。タイトルが「南総里見八犬伝」だし、伏姫の胎内から八犬士精が生まれたことは、既知の事実である。八房とくれば、八房犬を厭でも思い出す。女装の信乃を乗せて挿絵にも登場する与四郎は、やはり八房の投影であったか。読者は様々な場面を反芻しながら、次の展開を待ち望む。

 

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臂ちかなる護身刀を引抜て腹へぐさと突立て真一字に掻切給へば、あやしむべし瘡口より一朶の白気閃き出、襟に掛させ給ひたる彼水晶の珠数をつゝみて虚空に舛ると見えし珠数は忽地弗と断離れて、その一百は連ねしまゝに地上へ戞と落とゞまり、空に遺れる八の珠は粲然としで光明をはなち飛遶り入紊れて……中略……八方に散失て跡は東の山の端に夕月のみぞさし昇る。当是数年の後、八犬士出現して遂に里見の家に集合萌牙をこゝにひらくなるべし{第十三回}。

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 八犬士の存在は既知の事実だが、八房梅なるイメージを提示することで読者の印象を強める効果がある。が、馬琴の肚づもりとしては、信乃と親兵衛を特に強く浮かび上がらせるものとして、八房梅を提示していたのだ。また、八房梅は八房を思い出させ、暫くして房八が悪役として登場、読者を驚かせた挙げ句、やはり房八は八房とイメージで繋がる存在だと明らかになり、再び読者を驚かせる。即ち、女装者との烙印を押されており伏姫のイメージに近い信乃に敵対して挑み懸かる……よぉに見せかけ、味方へと急変、且つ、犬士親兵衛の父であった。犬士の父であるとは、やはり八房だ。他七犬士の父にはない特別な性格付けである。八房梅は、特別な父である房八の登場の伏線にもなっていよう。

 

 また、親兵衛なる名前の由来は、「今真平は親に代りて犬士の隊に入るものなれば、その真の字を、おやと読む親の字に写更て犬江親兵衛仁と名告らば、その子にして親なるべく、房八は再生して犬士の隊に入るに等し」{第三十七回}であった。親兵衛と房八の詳細な関係は既に述べてきたので省く。とにかく房八は八房として、信乃は伏姫として、絡み合いを演じる。最終的に四天王の玉眼として仁・孝はペアになる。親兵衛と信乃は一つになる。両者の近しさは、此の一事を以て証明可能だが、近しさの内容として第三十八回では【母を通じて玉を与えられた】が話題になっている。則ち、玉の入手経路が犬士を特徴づけるものだと知れる。

 

 因みに、毛野の場合は、出産直前に母の袂へと玉が飛び込んできた。小文吾は食初の飯の中から、と食い意地が張っていそうな玉の現れ方だ。現八も七夜の祝い鯛の中から。大角の場合は、母の正香が出産前後に白山権現から取り寄せた小石の中に混ざっていた。荘介の玉は、胞衣を閾の下に埋めたとき発掘された。道節の場合は、一度殺されたとき埋葬中に生じた肩の瘤を荘介に切られたとき現れた。時系列だけで云えば、親兵衛が最も先行して玉を与えられている。次に信乃である。此の二人だけが、妊娠前の母が玉を得ている。毛野が三番手で出産直前、しかも【母を通じて玉を与えられた】。また、大角も母の正香が取り寄せた小石の中に混じっていたので、母の関与が見られる。しかし毛野・大角は、第三十八回時点で、まだ登場していない。

 

 まず信乃の場合を考える。弁天参りの帰り庚申塚付近で手束さんは伏姫から玉を投げ渡された。受け取るつもりが指の間からこぼれ、見失った。子犬の与四郎を拾って帰る。玉は与四郎が呑み込んでおり、信乃が与四郎を介錯したとき飛び出す。親兵衛の場合を見る。まず祖父の文五兵衛が網で玉を掬う。引き揚げた網からこぼれた玉を、二歳の沼藺が呑み込む。親兵衛が玉を握ったまま生まれてくる。

 

 信乃の場合は、手束さんが一度は受け取るものの、こぼれてしまう。与四郎犬が保管し、番作さんが死んだタイミングで信乃に渡す。親兵衛の場合は、沼藺が呑み込み、そのまま親兵衛に胎内で渡す。信乃では与四郎犬になっている玉の保管容器が、親兵衛では沼藺になっている。犬が沼藺になっている。沼藺は犬の倒置であるとは、八犬伝にも書いてある。即ち、信乃には母と犬を経て玉が与えられ、親兵衛には母である沼藺/犬を経て玉が与えられている。また、痣が出来るとき、玉が現れる点も共通だ。与四郎犬は単なる飼い犬の立場を遙かに超えて、重要な存在だ。

 最終章に於いて、親兵衛と信乃の玉は、同じ四天王の両眼として嵌め込まれる。房八を巡って二人の縁は深いと、既に本シリーズで執拗に述べてきた。信乃は房八・沼藺に受けた恩義を、夫婦を代表する房八に対し返そうと奮闘する。親兵衛は京都で男色管領細川政元の毒牙にかかり南関東大戦の前半を欠席するが、其の間、信乃は親兵衛の節刀を預かり、房八を顕彰する幌を付けて大活躍を見せる。戦場で親兵衛が危機に陥ったとき、救助に走ったのも信乃であった。再生の恩/債務返済に駆け回るワケだ。

 一方、孝玉の容器として信乃に侍っていた与四郎であったが、大塚家の愛猫を殺したため、瀕死の重傷を負わされた。此の時、大塚蟇六は、恐らくは在りもしない管領家の御教書を、与四郎が破ったと言い立てる。犬塚番作さんは切腹して果て、蟇六の追及を阻止する。番作さんには深謀遠慮があり、責められて止むなく詰め腹を切るのではなく、積極的な意義を見出して切腹するのだが、外形的には、【与四郎のせいで死ぬ】。与四郎は番作さんに債務を負ったまま死んだ。馬琴は、債務の踏み倒しを決して許さない、因業爺だ。緻密に勧懲賞罰を行う。本人が死ねば、子孫にまで償わせ報いる。

 

 世四郎が与四郎になる意味は、犬の与四郎になったのである。犬の与四郎が、世四郎の体を借りたのだ。八犬伝世界では、珍しいことではない。世四郎本人は、主君である犬山道節忠与の一字を勝手に付けただけだと思っているが、馬琴の真意は、其処にはない。何故なら、八犬伝世界で登場人物が自由意思のもとに動いているように見えても、傀儡師は馬琴なのだ。其の証拠に、馬琴は以後、道節と姥雪与四郎との間に、密接な関係を設定しない。一応は道節を与四郎の「故主」として扱うが、実際の行動面で与四郎は親兵衛ベッタリになる。更に道節は、駄目押しをする。与四郎が勝手に主君の名を自分の名前に織り込んだことの許しを乞うと、与四郎を「代四郎」に改めさせ、新たに「与保」という名を与える。代四郎は、道節に「代」わるとの意味を込めている。そして新たな名前に「与」の字を移動させる。

 与四郎は、里見に仕える宿命にある道節の名代として先に安房へ来たのだと云う。与四郎は、そう思うことにしたのだろう。しかし、与四郎は、自分の意思で富山に赴いたのではない。伏姫に、無理遣り連行されたのだ。道節に代わって親兵衛に尽くすならば、道節と親兵衛の間に、何か因縁がなければならない。しかし道節は此れ迄、親兵衛に会ったことすらない。もし両者の間に、犬士であること以外の因縁があるとすれば、道節が丁/火弟たる陰火の忠、親兵衛は甲/木兄の仁だから、木生火の理により、木を母、火を娘として、火は木に孝養を尽くすべきではある。だが丙/火兄の陽火たる礼犬士、大角には何も言及がない。どうも、此の線ではなさそうだ。与四郎には悪いが、心ならず富山に閉じ込められ主君道節の役に立てない自分へのイーワケにしか聞こえない。だいたい、そんなに道節一直線の忠を抱いているのなら、この後、道節とは大して絡まず親兵衛にピッタリ寄り添っている意味が解らない。現実社会でも同じだが、口先より行動を見る方が、当該人物の内面は解り易い。道節も与四郎の主観世界に巧く合わせているけれども、此奴は元々トリックスターだ。騙されてはならない。

 

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我名の一字は所望に儘せん。そは左も右もの事ながら、同じくは与四郎の、与を改めて代の字に做さば、即我に代るの義あり、又与の字も捨かたくは、今よりして姥雪代四郎与保と名告りねかし。保は則■矛に昔/平の■矛に昔/と這那同訓なれば、共に昔を忘れざる、その誠心を後々まで識者に示すに足りぬべし……中略……然ば是より與四郎は通称の字を改めて、姥雪代四郎与保と名告るものから道節と主僕の礼儀を失はず、親兵衛並に余の犬士をもいよゝます/\敬ひけり{第百二十三回}。

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 親兵衛が第一次上洛の途中、三河国苛子崎で海賊に殺されそうになる事件は、洲崎沖海戦で増松が活躍する場面と対称的だ。「子を苛める」場所での親兵衛遭難は、密航者で養育係だった代四郎によって解決された。水練が苦手なため海中で後れを取ったのだ。水練達者の代四郎が飛び込み、海賊を倒したばかりか、奪われた金と親兵衛が落とした小月形の名刀を海底から拾い上げる。

 

 洲崎無垢三の曾孫である増松は、南関東大戦で洲崎本陣烽火台頭人助役扱いで従軍したが、手柄を立てたくて海に乗り出した。曾祖父が殺した天津兵内の弟九三四郎を救う大活躍を見せた。一方、無垢三と共に神余光弘誤殺に拘わった杣木朴平の孫と、朴平が殺した那古七郎の明との間に和解の象徴として生まれた親兵衛は、海賊に殺されそうになり、代四郎に救われた。

 親兵衛一生の不覚と、増松一世一代の誉れが、見事に対称している。一旦は物語から姿を消した天津九三四郎まで引っ張り出した甲斐があったというものだ。則ち馬琴は、義実暗殺未遂後に九三四郎の退場を一度は決定し、第一次上洛で親兵衛に失態を演じさせることによって代四郎に晴れ舞台を用意し、南関東大戦で九三四郎を無理遣り再び舞台に上げ増松に救わせたのだ。九三四郎を一旦退場させたとき、馬琴が増松の活躍を想定していたか不明だが、九三四郎を救わせる積もりはなかった筈だ。親兵衛が三河国苛子崎で失敗する段を書いた前後に、急に思い付き南関東大戦に九三四郎を引っ張り出したのではないか。ならば、対称である二つの事件は共通の背景を持っているのではないか。則ち、増松が無垢三の罪滅ぼしとして九三四郎を救うなら、代四郎が親兵衛を救う理由も罪滅ぼしか恩返しのためではないか。

 本シリーズでは、南弥六が増松に憑依したことと対置し、親兵衛には房八が憑依していると考えてきた。既に朴平と七郎は、和解している。では此処で代四郎が親兵衛/房八を助ける意味は何か。養育係だったから、というだけではないように思える。此処まで増松と対称で描かれている以上、何等かの恩義によって、代四郎は親兵衛に尽くしており、其の一環として苛子崎の物語も描かれたのではないか。

 では何故に、姥雪代四郎こと与四郎犬は、親兵衛に尽くさなければならないのか。無論、親兵衛の父である房八に再生の恩を受けた信乃の代理だ。道節は、自分に代われ、なんて半ば嘘を吐いて、与四郎を代四郎に改名した。が、実は、姥雪代四郎は、まさに【信乃に代わって】、親兵衛に尽くす。故に「代四郎」と改名する。

 動物一般は五常を知らぬと番作さんに定義されたが、信乃によると与四郎は特別に「畜生ながら主を知る」{第二十一回}犬だ。仁義礼智信はないかもしれないが、忠のみは持っている。其れが与四郎犬なのだ。忠犬与四郎は、しかし飼い主である信乃の父を死に追いやった過去がある。信乃に更なる忠を尽くそうとするだろう。しかし一方で信乃は房八に受けた再生の恩を返そうと考えている。与四郎犬は信乃に債務を負っている。信乃は房八に債務を負っている。信乃の返済先は親兵衛となる。しかし犬士同士、あんまりイチャイチャしてもならぬ。特に親兵衛の場合は特別な犬士だから、度々信乃に命を救われるわけにもイカナイ。格差が出来てしまう。ただ、六年も養育係を勤めた代四郎ならば、微笑ましいうちに何となく、親兵衛が失敗したとの印象が薄くなる。

 また、小狡いことに、代四郎に救われ、海に落とした小月形を拾ってきてもらうと、いつも鹿爪らしい表情で硬い言葉ばかり使って偉そうにしている親兵衛が、喜んで「小躍り」までするのだ。自らの可愛さを強調している。売笑婦の如き手管を、何処で憶えたんだ、こん餓鬼ぁ。笑って許して貰おうと思いやがって……。でもまぁ、仁なる読者は許してしまうのだ。

 信乃が房八への債務を親兵衛に返すならば、親兵衛のため信乃が死ぬ場面を設定すれば話は簡単だ。が、それは、読者が許しても、筆者は許さぬ。ドッチかと云えば、親兵衛が死んだ方がいいと思っている。信乃を独占しやがって……。

 其れは措き、恐らく馬琴は、信乃の債務を与四郎に付け替え、与四郎への債権を相殺した。信乃に【代わって】与四郎犬は、親兵衛に尽くしていたんである。此の事情を隠微に示すものが、姥雪世四郎の改名だ。まず与四郎と名を変え、与四郎犬と重なる。此の時点で親兵衛への奉仕が始まる。次の段階で、与四郎が親兵衛に尽くす理由が、信乃の返済を代行するためだと示すものが、代四郎への改名である。

 且つ云えば、偶然かもしれないが、五常を知らぬ畜生にあって忠のみ知る与四郎の改名に関わる者が、犬士の中で忠を代表する道節である点も興味深い。いや、姥雪与四郎は犬山家譜代の郎等であったから、当然のようにも見えるのだが、親兵衛と共に再登場した姥雪与四郎は、其の場で義実から、里見の家臣として扱われる。犬山家を通り越して里見家に直接扶持されることになる。孫の力二郎・尺八も、十歳ほどになったら義通の陪堂にすると予約された。改名した時には道節からも「同輩」と認識されている。親兵衛に忠犬を奪われた、忠の犬士、道節であった。道節は既に代四郎の「故主」なのだ。後、一貫して同様である。代四郎与保は、「与」{四郎}であることを「保」ちつつ、信乃に「代」わって、親兵衛に尽くすのだ。

 里見家によって、姥雪家は犬山家から切り離された。とはいえ、与四郎は里見家臣というより、親兵衛の従者として振る舞う。親兵衛の第一次上洛では、年寄りは遊んでろとばかりに随行員リストから外されたのだが、里見家の命令を無視して、親兵衛に同行した。密航したのである。代四郎は、信乃への忠を親兵衛に付け替え、只管に尽くす。

 

 親兵衛は親兵衛自身でもあろうが房八を投影されている。且つ、信乃も房八・沼藺の血を注ぎ込まれている。信乃は、信乃自身でもあるが、房八であり、親兵衛と同様のものでもある。房八と沼藺の子が親兵衛であるから、房八・沼藺の血が等分に注ぎ込まれると、親兵衛が信乃の中に入り込むに等しい。親兵衛は、親兵衛と房八の要素を併せ持つ{それ故に「親兵衛」だ}。信乃は、信乃・房八・沼藺・親兵衛の要素を併せ持つ。信乃は、信乃として、再生の恩人である房八としての親兵衛に恩を返す義務がある。且つ房八として信乃は、息子のように親兵衛を愛する。挿絵で親兵衛を抱いている。そして、社会通念上、信乃の方が年上であるから形としては見えないが、親兵衛としての信乃は、房八としての親兵衛に【孝】の気持ちを抱いているかもしれない。河鯉孝嗣も、再生の恩を受けた政木を思って、政木大全孝嗣と改名した。まったく馬琴の論理は、偏執的なほどに一貫している。それだけ馬琴が、己の確固たる信念を、八犬伝に注ぎ込んだということか。{お粗末様}

 

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