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結城七郎氏朝は、既に累代主君の恩を忘れず武門佳名の義を励まし此城に立籠り大事を思立つ所に志を通はして助ともなるべき人々をば聞出して皆退治せられ同胞金骨の固とも頼みける小山は二心を存して敵に属し今は後詰の方人もなし内通の贔屓も絶えたり、これ程に運の利かぬ時なれば如何に思ふとも叶ふべからず、されば勝利を求むる時にこそ運をも考へ身をも全うして功を施さんとは計るべけれ。詮方なき微運の我等城中にありて月日を重ね籠鳥の雲を恋ふる思を焦し轍車の水を求むる志を費すともいかばかりの事かあるべき今更降を乞うても猶頼む蔭なき世に立紛れ傍の人に指をさゝれんこと是亦恥の上の不覚たるべし只命を限りに戦ひ弓矢の名を専にし義に依つて討死するより外の事あるべからずと思ひ極めて候、面々はいかゞ思ひ給ふぞ若し忠義を棄てゝ心を変じ恩顧を忘れて主を見離さん輩は疾々此城を落ちて敵に属し御身を立ておはしませ氏朝露ばかりも恨に存ずることあるまじきにて候、とぞ申されける。内田信濃守申されけるは、管領憲実已下の一族権威を公義の下に藉りて鎌倉の世を反逆の中に奪はんと企て恩を荷うて恩を忘れ道を踏んで道に背く大悪無慙の甚しきこと天理神明の冥眦に外れ世間人品の指頭に懸る。然れども運命開け難く我等此防戦に苦しむことは時の至らざる故なれば力なし今更心を変じて敵に属する程ならば始より此城に籠らぬものにてこそあらめ、たとひ敵兵は日に添へて重なり味方は小勢にして疲れたりと雖、何ぞ悪びれ漫に怯ぢて機を落すべき軍に死せずとも終に保たぬ我人の命を同じくは主君の為に参らせ怨を泉下に報ずべし敵寄せ来らば下り向うて戦ひ防ぐに叶はずば討死する迄なり若し又遁れつべくば一方を打破りて引退き謀を以て時を待つべし此人々の中に候か二の足を踏む人あらん、と申さるゝに諸将いづれも同音に、内田殿の仰の如く一筋に皆思ひ定めて候ぞ心安く討死し給へ、と一味同心に申合せたり。さる程に四月十六日卯の刻に寄手又潜き連れて同時に切岸の下に押詰められたりけれども岸高ければ馬の鼻を突かせて上り兼ねたるを後より続く軍勢共先なる兵の楯の桟を踏まへ甲の端を足溜にして城戸逆茂木を切破り討たるゝをもいとはず手負をも顧みず乗越え/\城に込入りたり。城中にも石を投げ大木を落し懸け鑓長刀を以て切倒し突落す。斯る所に予て合図を定めたることなれば岩木五郎が所為にや俄に火燃え出でて雲煙と燃え上る。こはそも如何なる事ぞといふ程こそありけれ、猛火四方に燃え渡る。城中の軍兵火に惑ひ煙に咽び防ぐべき力もなく落行くものは乱れ合ひて切伏せられ打倒され前後を弁ふる方もなし。結城七郎は春王安王殿の御前に畏り涙を流して申しけるは、氏朝数代の恩を蒙り義を忝うし忠を専として年月此城中に抱へ奉り御運再び開かせ給ふべき其計策を廻らし数万の敵を引受け数度の軍に利ありと雖、方々より敵はや攻入りて城中に充ち満ち味方に返忠のもの出来て火をかけ焼上り候上は矢庭に思ふとも叶ふべからず、いかにしても敵陣を忍び出で越後国へ落下らせ給はゞ御行末を見届け奉るべき人の候はん氏朝に於ては敵に向ひて討死仕り黄泉の下に憤を報じ候べし今生の御名残今を限りにて候、とて兄弟の若君を女房の姿に出立たせ輿に乗せ奉り搦手の木戸より落し参らせたりけるに寄手の諸軍皆誠の女ぞと心得道を明けて通しける所に後陣に控へたる長尾因幡守見咎め奉り軈て生捕り参らせけり。無慙といふも愚なり。結城七郎此由聞きて、口惜しきことかな多年の忠義一時に空しく氷を鋳りて労を重ねし我等が果こそ浅ましけれ此上はいざ打つて出で命を限りに戦ひ死して修羅の巷に恨を報ぜんとて大将結城七郎氏朝同伯父中務大輔同左馬頭同駿河守子息七郎次男今川式部丞木戸左近将監宇都宮小山桃井寺岡小笠原の諸将を先として家子郎従二心なき金石の勇士四百余騎大手の木戸より一手になりて打つて出る。寄手之に立合はんと鶴翼に備へて押纏ふ。城兵は元より思ひ切つて討死と志す上は敵を嫌はず当るを幸に馳合ひ馳合ひ八方に追靡け四塚の固めを打破り雁行に連り虎韜に集り馬疲るれば離馬に乗換へ太刀打折るれば棄てたる太刀を取換へて敵を切つて落すこと二百余騎陣を打破ること五度なり。三軍に作る鬨の声両陣に叫ぶ戦の音天を響かし地を動かし前後に当り左右に支へ義を重くし命を軽くして或は引組んで勝負をするもあり或は打違つて死するもあり其猛卒の機を見るに一足も引退くべき色はなく駈合ひ入交り散々に攻戦ふ。寄手怺へずしてむら/\になる所を手先を捲つて追退けさつと引退きて見たりければ寺岡小山は討たれて小笠原但馬守は痛手負ひたり。猶人手には懸らじとや思ひけん小薮の中に分入りて腹切つて死したりけり。郎従家子四十六人討たれたり。残る兵共馬を一所に立籠めて暫く息をぞ継ぎにける。寄手の方に土岐刑部少輔北条駿河守三千余騎しづ/\と押懸り如何に人々命惜しくば助け参らせん。甲を脱ぎて降人になり給へ、と声々に呼はる。結城七郎聞きも敢ず、弓馬の家に生れたるものは名こそ惜しけれ命をば惜まぬものを今更降人になる程ならば始より世を諂うて先祖の面を地下に恥かしむべし義を棄て命を棄て恩報ぜんと思ふ志金鉄より堅き我等ぞ、いふ所真か虚事か戦うて手並を見給へ、とて四百余騎どつと喚いて駈けたりければ寄手の三千余騎僅の勢に駈立られて一溜りも怺へず引退きけるを言葉にも似合はぬ人人かな汚し返せ、と恥しめて追立て/\打つて進む。土岐刑部は深手を負うて引兼ねたるを軍兵踏止まり暫く防ぎて押包みて引いて行く。上杉修理大夫持朝六千余騎馬の頭を雁行に連ね旗の足を龍粧に進め横合にしづ/\と駈けたり。勇み誇りたる結城が軍兵少しも怯まず十字に合せて八字に破り東西に靡き南北に分れ万卒に面を進め一挙に死を争ひ互に討つ討たれつ切先に血を注ぎ鍔元より火を出し打靡け駈散らし半時ばかり戦うて表に駈抜けて見れば結城中務大輔父子を始めて百余騎は討たれ其外の者共或は痛手を負うて生捕られ或は叶はずして駈立られ心ならず落ち行き残る兵唯五十騎になりたり。此迄も氏朝は手も負はず、ふしなはめの鎧は太刀懸草摺の横縫皆突切られて威毛ばかり続きたり。甲は錏を切落され星も少々削られ備前長刀鎬下りに菖蒲の形なるを峯は簓のやうに切られ刃は鋸の如くにぞ折れたりける。今一軍して快く自害をせん、といへば、仔細にや及ぶ、といふまゝに五十三騎を前後左右に立て大勢の中に駈入りつゝ四武の衝陣堅きを砕き百戦の勇力変に応じいづれも劣らぬ勇士なれば肌膚撓まず眼瞼まじろかず猛気八方を払へばさしも小勢なりとは雖、敵の三軍敢て之に当り難し、ただ射竦めて討取れや、とて雨の降る如くに射ける矢に結城駿河守唐胴をくさめ通に射抜かれ小膝を突いてどうと伏したり。寄手の中より寺尾走り懸り押へて首をぞ掻きにける。桃井刑部大輔は敵五六騎切落しのりたる太刀を押直す所に乗りたる馬の太腹草脇に六筋まで矢を射立てしかば馬は小膝を折りて伏したり。我身は数度の軍に為疲れ鐙を越して下立たんとするに股竦みて働かず。力及ばず鐙の上帯解き腰の刀を抜いて自害したり。宇都宮伊予守は敵十方より鏃を揃へて射ける矢に馬の平首草脇篦深に射られ我見も弓手の腕右の膝に四所まで射させ馬の乾にどうと伏し乗手は朱になつて下立ちたり。之を討たんと馳せ寄る敵の諸膝薙いで跳ね落させ押へて首を掻く所を十七八騎折り重なり甲の天辺を引仰け首を取つて差上げたり。五十三騎の兵所々に皆討たれて結城七郎宇都宮弥五八里見修理亮たゞ三騎に討なされ、此より敵を駈破りて落つるとも落つべかりけり、さりながら行末とても道狭く天に跼り地に蹐して身の置き所を求め兼ねて此処彼処の寺院に夜を明し隠れ歩きて窮困し溝涜に倒れて飢死せんには先亡の与類に何を面目として泉下にして見ゆべき此大軍の中に只三騎駈入りたりとも物の数とや思ふべき然れども義に曝すべき尸を九原の苔路に埋む迄は敵を討つて慰まん、とて三騎銜を並べて一文字に駈入り此処に交り彼処に顕れ火を散らして切つて廻る。聚散離合し隠顕相忽たる有様須臾に変化して閃電の如し。前にあるかとすれば■條の木が火/爾として後に馳せ味方かと思へば屹として敵なり。十方に分身して万卒に相当り僅に三騎なれども寄手の陣中に満ち/\たる心地し討てども止まらず射れども当らず只陣中騒ぎて東西南北に走せ合ひ備を乱して持扱ひ手にも溜らぬ水底の月を取らんとするに似たり。京勢の中より大荒布の鎧着て鹿毛なる馬に打乗り四尺五寸の太刀を抜き設けたる武者一騎駈出で、播磨国の住人印南平太員近、と名乗りて宇都宮に渡り合ふ。弥五八之を弓手に相うけ甲の鉢を菱縫の板まで破付けたりければ平太は気色にも似ず二つになつて失せにけり。馬も尻居に打据ゑられ小膝を打つて伏したり。跡に続く軍兵十五六騎此勢に膽を潰し這々と引返す。三騎の勇士今を限りの軍なれば手を負ひども顧みず矢に当ればかなぐり棄て塵埃を蹴立て汗血をしたでて楚の項羽が漢の三将を靡かし夏の魯陽が日を三舎に招き返しける戦もこれには過ぎじとぞ見えたりける。既に夕陽西に傾き東の山頭を照す頃になりて三騎共に切疵突疵痛手薄手あまた所負ひければ勢疲れ力撓み神昏みて覚えしかば、今は此迄なり生を変へて所を改め修羅場の戦を期すべきなり、とて同音に念仏し三人一所に自害してこそ死にけれ。城中総て死するもの一万余人寄手の討たるゝもの二万三千余人なり。近年諸国の合戦にも此程の人数討たれしことはなし。只城兵一味して二心なかりし所なり。結城は謀才の将にあらずと雖、仁義の道を嗜みける情を感ずる故なるべし。軍既に散じければ管領清方即ち首実検し悉く斬梟けさせ勝鬨を執行ひ翌日総州にぞ赴かれける{鎌倉管領九代記}。
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