■道灌の怒りと分身■
 

 暗愚の君/定正によって討たれたとき、八犬伝に拠ると道灌は「さま\/の莫妄想を容れおきし堪忍嚢 今破れけり」と歌った。「莫妄想」を、単純に妄想と同じ意味として捉え、今まで様々な妄想を貯め込んでいた肉体が破れ滅ぶ、と解するムキもあるが、筆者は採らない。面白くないからだ。此の歌の場合、当然、「莫妄想」は「堪忍嚢」に入っていた。よって、「莫妄想」は、「堪忍」と言い換え得る。如何なる場合に「莫妄想」が「堪忍」と同義になるかと云えば勿論、次の如き場合だ。
 何となれば則ち、主君扇谷上杉定正の暗愚を太田道灌は熟知していただろうが、馬鹿な主君を奉戴すれば、兎に角、忍耐に忍耐を重ねなければならぬ。「定正の野郎、あんなこと云ってやがったが、まさか今更に山内上杉顕定と連るむんぢゃなねぇだろうな」とか「俺のこと煙たがってるみたいだけど、まさか……殺す気か」とか何とか、つい気を回して文句も言いたくなるが、「いやいや、まさか、其処まで馬鹿ぢゃなかろう。俺の妄想だ。妄想に違いない。莫妄想、莫妄想。妄想を去り事実を客観的に直視しなくては」と道灌が己を誤魔化し続けるうち、定正は道灌の想像通りに馬鹿だったので、自分を支え続けてきた道灌を殺すに至った。莫妄想とは、定正への疑念/反感を自ら妄想だと信じ込んで否定してきた事実、即ち【堪忍】そのものである。妄想だと信じていたのに、定正の暗愚に就いては精確な推測だったのである。道灌の明晰な頭脳から迸り出た精確な推測は、道灌自身によって否定され、妄想だと決め付けられ排除された。莫妄想なる態度が、判断を曇らせた逆接の悲劇である。莫妄想の態度を採るに至った定正への信頼感こそ、妄想の産物であった。判断を誤まらせたものは、道灌の忠心であったろう。ココロの何処かで主君/定正を信じたがっていたのだ。孤忠にも程がある。何せ、忠の対象/定正にさえ、裏切られたのだから。……と、まぁ、此処まで妄想を膨らませて初めて、道灌に対する馬琴の強烈なシンパシィを納得することが出来よう。自ら否定してきた定正への疑念が……いや既に「疑念」ではなく確信の形で最期の最後に滾り、迫り出してきた。其の激情を、辞世の句で、哀しい程に巧く表現している。道灌は、歌人武将として知られている。
 


 「七重八重花は咲けども山吹の 実の/蓑一つだに無きぞかなしき」。此の歌を読むと筆者は、太田道灌を思い出す。常山紀談の説話に依る。そして同時に兼明親王の兎裘賦を思い出す。「君昏臣諛、無処于愬」。再び、暗愚な定正に殺された太田道灌を思い出す。
 


 そういえば、八犬伝で道灌は、湯島天神を建てたことになっている。此処で犬坂毛野は蟹目前の知遇を得て、籠山縁連を殺すよう依頼を受ける。毛野が復讐の手掛かりを得る場面だ。毛野の復讐成就が湯島天神で約束される所以には、まず、天満天神が星信仰と結び付いている点が挙げられる。毛野は千葉氏庶流粟飯原家の出身だが、千葉氏が崇拝した妙見の司祭が粟飯原家であり、毛野は北辰妙見と結び付いている。千葉妙見には天満宮が寄り添っている。しかし、また、天満天神が御霊{おんりょう}即ち怨霊、復讐神である点も重要だろう。復讐神/菅原道真の御膝元で、毛野の復讐成就が約束される。なんと解り易く親切な設定であろうか。また、江戸城建設の主導という最大の功績を無視されても{比較的些末な}天神社建設を特筆される八犬伝の道灌が、此処にいる。馬琴の道灌像を知るヨスガにもなろう。
 恐らく馬琴にとって道灌は、怨霊となるべき者であり、且つ、蟹目前や河鯉守如と重ね合わされている。蟹目前と守如の死を知った毛野は、二人を悼み孝嗣に語った。
 


 「蟹目前と老叟の如きは機変の破れありながら、事一毫も私慾なく苦節孤忠の所行なれは、香しき名は身後に遺らん、然ばにや、死するものは福あり、生りといへども恥多き、その禍鬼の未路を推せば、定正主の招く所、只利を好みて飽ことなければ、その身の慾に相叶ふ佞人をのみ親愛して、賢妻忠臣の諫を聴かず、武毛信越の四个国を有ちながら、纔に一百許人なる敵に追れ城を陥され、士卒咸離散して賢妻忠臣刃に伏しぬ、みづから菲薄を省て、持資親子を用ひずは、管領は只名のみにて、その家是より衰ん」{第九十八回}。
 


 智と武の女神アテナこと毛野が語る此の条は、含蓄に富む。前半部分と後半で分けて読んだ方が良い。前半「蟹目前と老叟の如きは機変の破れありながら、事一毫も私慾なく苦節孤忠の所行なれは、香しき名は身後に遺らん、然ばにや、死するものは福あり、生りといへども恥多き」は、隠慝を行ったゆえ天に罪せられ自死した蟹目前と守如であったが、全く私欲のなく苦節孤忠の行為であったので、実は死後には賞賛される。定正の眷属にとって実は此の時点で死ぬことこそ福であり、生き残ることこそ恥多き人生の幕開けであった、と語っている。此処迄で、天によって罪せられた筈の二人は、実のところ救済されている。二人の行為は読者にとって善として感じられた筈なのだが「隠慝」である点を以て天に罪せられ自死に至った。一つ目のドンデン返しだ。しかし、罪せられて自死に至った二人であるが、良心に従った結果なので、死後に賞賛される。二つ目のドンデン返しだ。
 第一次五十子陥落のタイミングで自死に至った二人は、定正側の重要人物として恥を蒙らずに済んだ。生き長らえた者こそ、恥辱に塗れ、蔑まれ否定され嘲笑され続けねばならない。また、毛野の言葉は、道節が復讐に失敗するイーワケとしても機能する。悪玉巨頭/扇谷上杉定正に対する道節の復讐は、馬琴の都合により失敗させられる。道節に暗愚の罪を犯させるわけにはいかなかったのだ{「成就してはならない仇討ち」参照}。
 一方で、定正は殺されるよりも屈辱的な状況に陥る。現代人ならば生命に至上の価値を置くけれども、定正は一応、関東管領である。関東管領の機能を保証するものは、武威だ。武威を否定され、それでも関東管領の座にあり続けねばならぬのだから、恥辱この上ない筈だ。が、本人は恐らく、表面的にしか恥を感じていない。恥知らずの人でなし……なのだ。のぅのぅと生き延び、南関東大戦で一敗地に塗れて当初はシオらしかったが、暫くすると持ち前の暗愚を取り戻し、太田道灌を暗殺した。お約束通り、扇谷上杉家は凋落の一途を辿る。筆誅である。道節の側からすれば、自分の望んだ結果、定正の殺害を遂行できなかったのだから、満足できない。しかし、定正の側からすれば、死よりも酷い状況に陥ったのだから、十分に復讐されたことにもなる。結局、道節の復讐は{事実上}成就した、と言えなくもない逃げ道が拓かれたのだ。
 


 そういえば、馬琴は守如の行為を「機変」と表記した。密計である。「機変」と「恥」なら当然、孟子を思い出す。「恥之於人大矣。為機変之巧者、無所用恥焉。不恥不若人、何若人有」である。
 羞恥心は人間にとって大切だ。羞恥心が抑止力となって、漸く倫理というものは守られる。但し、倫理を守らずとも、実際には誰からも決定的には責められない場合もある。何故なら、詐欺とか色々犯罪に至った場合さえ、真実は悪でも表面{おもてづら}は悪を為していないように見せかけるものだ。真実を規律するものが倫理であり、表面を規律するものが法であるから、真実を偽る者が法を掻い潜ることは、容易この上ない。しかも、真実は外部からの確定が甚だ困難だから、表面を法で規律するしか、実のところ術はない。よって、真実の悪を律することは、本人の内面の良心による責め/恥によるしか、なかなかに困難なのだ。このような前提に立てば結局、真実を偽り「機変」を用いて成功する者は、「無所用恥焉」となる。己の良心に責められても尚、聞きいれずに悪を為し続けられる者しか、「機変」を成就し得ない。「為機変之巧者」とは、恥を無視できる者、即ち、良心を喪失した者/人間失格者、となる。よって、「蟹目前と老叟の如きは機変の破れ」に至ったのだから、「為機変之巧者」ではない。「無所用恥焉」ではない。従って、蟹目前・守如は、「恥」を知る者、己の良心の責めに結局は服する者だ。善人である。良心によって隠慝を行い機変に走ったものの、良心があるため貫徹し得なかった蟹目前・守如だからこそ、自死に至れた。まだしも量刑が軽いのだ。生き恥を晒しまくる定正の妻・重臣として恥辱に塗れるよりは、まだしもマシかもしれない。
 


 さて、後半の「定正主の招く所、只利を好みて飽ことなければ、その身の慾に相叶ふ佞人をのみ親愛して、賢妻忠臣の諫を聴かず、武毛信越の四个国を有ちながら、纔に一百許人なる敵に追れ城を陥され、士卒咸離散して賢妻忠臣刃に伏しぬ、みづから菲薄を省て、持資親子を用ひずは、管領は只名のみにて、その家是より衰ん」は、より重要である。定正の不幸は、佞人を用いたため城を奪われ、更に結果として今まで遠ざけていた賢妻忠臣の命まで喪ったことである。今後も佞人を用い道灌を遠ざければ、扇谷上杉家は衰えるのだ。……即ち、定正にとって、「賢妻忠臣{/蟹目前・河鯉守如}」と道灌父子は等値なんである。勿論、道灌父子が賢妻忠臣と等値と云っても、妻として何連を抱くかとなれば若い助友に限る……なぞと気を回さなくとも良い。其処まで等値だとは云っていない、ってぇか蟹目前も結構な歳であるから、定正ごときの性欲処理なぞしていなかったのではなかろうか。閑話休題。
 要するに、毛野の予言に拠れば、賢妻・忠臣/蟹目前・河鯉守如と道灌の機能は相似している。だからこそ、蟹目前・守如を喪うに至った経緯/佞人の重用を反省し、道灌父子を尊重しなければ、扇谷上杉家は没落するのだ。史実では、定正が道灌を暗殺し、扇谷上杉家は凋落した。しかし一応、八犬伝は、蟹目前・河鯉守如の悲劇を予め描き、定正に猶予を与える体裁をとっている。定正が河鯉家の忠心を認めて佞臣を切り道灌に信頼を寄せていれば、史実とは無縁となるものの、扇谷上杉家は凋落せずに済んだ、との論理を提示しているのである。即ち、河鯉家は、八犬伝に於いて、上杉家の試金石であった。八犬伝に於いて、河鯉守如が身を挺して指摘した定正の過ち/佞臣の重用は、理解されなかった。毛野が解読した守如のメッセージ、「佞臣を排し文武の良臣道灌を重用せよ」は、暗愚な定正に伝わらなかった。定正は、事件直後こそ河鯉家を重用するが、道灌を信頼するには至らず、佞臣の讒言に従って河鯉家さえ罪し、結局は没落に至るのだ。ザマァ見ろってんだ、すっとこどっこい、である。
 即ち、定正に依る河鯉家への冷遇は、太田道灌を暗殺する愚への前兆として描かれている。こうした意味で筆者は「馬琴にとって道灌は、怨霊となるべき者であり、且つ、蟹目前や河鯉守如と重ね合わされているのだろう」と云っているのだ。
 蟹目前と河鯉守如は、太田道灌の分身もしくは虚花としての機能を担っている。中世江戸城の存在を明確にしないためにも、太田道灌は八犬伝に顕然とは登場できない。馬琴は道灌の孤忠を蟹目前・守如に投影して、定正の暗愚を表現した。毛野は、「みづから菲薄を省て持資親子を用ひずは、管領は只名のみにて、その家是より衰ん」と云った。仮定法を用いて語っているが、史実で定正が道灌を暗殺している以上、実のところ、事実を強調する言い回しになっている。「道灌を優遇せねば扇谷上杉家は滅びる」の真意は【道灌を優遇しなかったから扇谷上杉家は滅んだのだ】となる。史実に於ける道灌の末路を知っていた八犬伝刊行当時の読者は、まさに蟹目前・河鯉守如の悲劇を語る毛野の言葉に、定正の暗愚ゆえに扇谷上杉家は勢力を減じた、との流布せる既存ストーリーを確認していたのである。
{お粗末様}
 

……………………………補足…………………………………
 


 道灌と蟹目前・河鯉権如を重ね合わせた。蟹目前・河鯉守如が善人ながらも悲劇に陥った理由を、説明せねば已むまい。其の理由を二人は、毛野に「隠慝」の罪ゆえだと断ぜられている。なるほど、コソコソするのは、確かにイカン……っと、危うく騙されるところだった。隠慝の罪、といぅものは確かにあろう。が、毛野、オマエが云うな! オマエが【隠慝の罪】代表だろぉが! 馬加大記を誑し込み、恐らくは肉体まで売って討ったオマエが! 事のツイデに、異性との恋愛に免疫のない小文吾まで騙しやがって。そんな悪い女は、此処ン所を、こぉして、あぁして{暗転}……はぁはぁ。
 あだしごとはさておきつ。付け加えるならば、毛野と配偶する犬山道節も、隠慝達者である。道人に化けたり眼代に化けたり、兎に角、隠慝のプロフェッショナルなんである。隠慝は罪かもしれないが、隠慝を行えば即ち破滅する、とのルールは、実のところ八犬伝では貫徹されていない。毛野・道節が好例である。隠慝を犯しても、あり余る擁護があれば、罪に問われない。云うまでもなく、伏姫の存在ゆえに、毛野・道節は、断罪されることがない。いやさ、犬士を騙した小才二・世智介さえ、断罪されない。

 翻れば、蟹目前・河鯉守如には、其れ程の擁護がない。何故なら所詮、彼等は暗愚な君主/扇谷上杉定正を守ろうとしただけだからだ。扇谷上杉家は、既に下剋上を犯したが故に、断罪されるよう定まっていた。巨悪を小善によって支えることは出来ない。其れだけの話だ。近世に於いて、徳川将軍家の虚花である里見家と、せいぜい十五万石にまで落ちぶれる上杉家と、何連を優位に扱うか、って問題にも変換し得るから、どの道、蟹目前と守如は救済され難い。

 此の点は甚だ重要である。八犬伝に於いて「隠慝の罪」は、違法性を阻却される場合がある。現代では逆に【暴露】による名誉毀損は、公共の福祉のためであり、且つ、公然摘示した事実が真実である場合もしくは信頼するに足る材料に拠りつつも誤解であった場合に、違法性を阻却される。「公共の福祉」が善であるとの前提に立っているのだ。八犬伝に於ける「隠慝の罪」も、善を目的にした場合に、違法性を阻却される。「善」とは、定正を罪し犬士の行為を認める、天/馬琴の信念である。
 よって、現象として八犬伝に表記された蟹目前・守如の行為は、なかなか美しく、善とも思えるのだが、天の意思に逆らったが故に、罰せられてしまう。此の原理は、更に重要な論理を導き出す。蟹目前と守如の行為は、あくまで「隠慝の罪」を指摘されるに留まる。行為のみ見れば、蟹目前・守如の計画は、定正の下した後北条家との和睦決定を妨害するものだ。【裏切り】に当たる。しかし、二人の定正に対する【裏切り】は問題にされていない。
 信乃による第一次五十子攻略の折、味方だと偽り信乃等を城に引き入れた外道二には天誅が下った。「只その命を惜むが与に、忽地敵の間者となりて城を陥せし冥罰覿面」{第九十五回}である。南関東大戦に於いて、主君/千葉自胤を捕らえて里見側に降った渋谷柿八郎足脱は、小文吾に責められ斬刑とされた。「今其軍敗るゝに及びて情なくも這君を犯して功を売まくしぬるは、是弑逆に異ならず。伝に云ずや、君は君たらずといへども、臣は以臣たらずはあるべからず」{第百六十四回}。勿論、八犬伝で「君は君たらずといへども、臣は以臣たらずはあるべからず」なぞという片務的な論理は貫徹されていない。
 但し、「君は君たらず」を地で行く千葉家に満足して文句も言わず仕えていたとすれば即ち片務的論理を真から受け容れていたことになるから、そんな奴等に限って云えば、「臣は以臣たらずはあるべからず」を肯定していたと断ぜざるを得ない。にも拘わらず、保身の為に主君を捕らえて敵に降参するならば、其れまで見せていた「臣は以臣たらずはあるべからず」といった態度は欺瞞であったことになる。暗愚な君主を戴き、保身のため諫言さえ行わなかった挙げ句、主君の落ち目には、これまた保身の為に、主君を敵に売る……そんな族を、小文吾は許せなかったのだ。「君は君たらずといへども、臣は以臣たらずはあるべからず」は小文吾にとって内面化した自らの信念ではなく、忠義なんて糞くらえとばかり右顧左眄して羽振りの良い者に擦り寄り回る足脱への、痛烈な嫌味とも読める。

 とにかく外道二や足脱の如き【裏切り】は、対象となった主君が暗愚な悪玉であっても、許されない。まぁ足脱の場合は酷すぎるとしても、外道二は信乃に命じられて裏切った。五十子攻略に功績があったとも言える。信乃は外道二を賞しようとしていた。犬士側を利する行為であっても、裏切りには冥罰が下ることが解る。にも拘わらず、蟹目前・守如の行為は「裏切り」ではなく、あくまで「隠慝」なのである。即ち、行為上は裏切りであっても、動機が相手への忠なり愛であれば、「裏切り」と認定されない。主君の意思を故意に妨害した挙げ句、図らずも主君を危難に陥れ居城を落とされたとしても、害心がなければ、裏切りではないのだ。栗鼠の頬袋{第一輯第七回分}に於いて筆者は嘗て、主君なぞ拉致したって上等、意思を蹂躙し尽くして正しい道に引き摺り込む忠臣の論理を紹介した。

 結局、行為上では裏切りであっても、動機如何によって、断罪される場合と、されない場合がある。扇谷上杉家は断罪されるべきであり、眷属も罪を免れない。しかし、良心に従って暗愚の主君を裏切った者は、武家として最悪の屈辱である斬刑を免れる。隠慝の量刑は、其の程度なんである。死後の名誉のみは守られる。対して自らの保身のため主君を裏切った外道二や足脱は、火刑なり斬首なり、残虐な形で罰せられなければならず、且つ、悪の烙印を押されねばならないのだ。
{お粗末様}

 

 

 

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