■絡みつく絲■
 

 一休の愛人とされている人物が、森女だ。森侍者とか森公とか呼ばれることもある。要するに「森」って名前だったんだろう。実在さえ疑われている森女の正体は、当然ながら掴めない。が、一休が云うには、盲目であった。美しく自由で可憐かつ盲目……此が一休にとっての理想的女性なんである。そして、一休にとっての盲目とは、「盲。瞎驢不受霊山記、四七二三須慚愧、豈堕在光影辺事、銅睛鉄眼是同参{瞎驢は霊山の記を受けず。四七の西天二十八祖や二三の東土六祖は、すべからく慚愧すべし。あに、光影辺の事に堕在せんや。銅睛鉄眼、是、同参}である。
 西天二十八祖とは達磨に至るまでの高僧、東土六祖は達磨から慧能に至る六人の禅僧であって、併せて禅宗の聖人だ。一休は、聖僧より瞎驢/目の見えない驢馬を上等とする。衰えることのない鋭い視力/銅睛鉄眼とか云ってみたところで、形を追えば、惑い、誤る。盲目であれば、形に惑わされることがない分、より一歩、真理に近付ける……一休一流の逆説である。勿論、常識の安易なる逆転は、まったくの非常識であり、完全に誤りである。が、常識も完全に正しいとは限らない。時として真理は、常識を覆した瞬間にのみ、まるで残像の如く、チラと見える。万物流転。固定化こそが、誤謬の元凶である。一休は聾・唖に就いても逆説を試み、常識の固定化に反抗している{→▼}。馬祖に一喝され三日耳聾した懐海は、其れで悟った。耳が聞こえない状態で【真実を聞いた】のだ。霊雲は心の裡に金言を秘め、問いに答えなかった。【唖】だ。八犬伝に於ける一休も、道楽大御所/足利義政を諫め、次のように云っている。
 「譬ば、本性奸佞にて且邪智ある者、或は亦庸才なるも、憖に漢学して眼其用を做すときは、心高慢り己に惚て博に誇り俗を欺き利を尋ね名を鬻ぎて、反て身を脩め心を正しくし家を成し道を行ふ真の学問には疎にて、只世俗を非とし賤しめて、身は是魔界に在るを思はず、甚しきに至りては、乱を起して刑せられ、衆と争ふて兵せらる」「然れば瞽者は反て具眼の俗に勝りて富戸あり、博識ありて家を興すも尠からず、眼目の幇助は人によるべし」。{第百五十回}。
 視覚不自由でも「博識ありて家を興す」場合があるとは、塙保己一の如き者を指していると同時に、馬琴自身が視力の衰えを自覚して得た実感であったかもしれない。閑話休題。
 


 狂雲集に於いて、盲・聾・唖を健常者よりも上位もしくは同等に置いた一休は、続けて名利を求める者を糾弾する。禅僧夾山を否定し、厳子陵の清廉潔白を愛するのだ。
 


     ◆
船子釣台図。{A}
金鱗難得急流前
坐断釣台三十年
絲線一通名利路
子陵可咲夾山禅

又。{B}
千尺絲綸豈得収
一天風月一江舟
舟翻人去名猶在
洙水何因不逆流
     ◆
 


 厳光子陵は善い男だったが、若い頃、偶々ゴロツキと交際があった。ゴロツキは劉秀文叔という名で、そのうち後漢を興した。光武帝は子陵を呼び出し、親しく語り合った。「帝従容問光曰、朕何如昔時。対曰、陛下差増於往。因共偃臥」{帝は瞳に自信と期待を込めて厳光に尋ねた。オレ、昔と変わったかな。光は答えた。うん、ちょっとは好くなったぜ。二人は寄り添い、横たわった}。「太史奏客星犯御坐甚急」。天文官は、客星が帝座を犯す場面を観測した。しかし夜が明けると厳光は、帝が引き留めるのも聴かず、田舎に引き籠もり遁世した{→▼}。厳光は、若い頃に培った劉秀との友愛を維持していたものの、【帝】の側近にはなりたがらなかったのだ。一休好みである。
 一休は、夾山に手厳しい。善い弟子と巡り会い己の悟りを伝えたいと考えた船子和尚は三十年も釣り糸を垂れて待ち続けた。坊主が釣りなんぞ殺生をしても良いのか、と思うものの、古典の御約束で、誰かを待ったり遁世したりした者は、だいたいに於いて、釣りをする。其処にノコノコ行き会わせたのが、夾山である。船に乗った二人は、釣り針から三寸離れろとか何とか問答するのだが、いきなり船山が夾山に襲い掛かり、河に叩き落とした。未必の故意を認定され殺人罪が成立しそうだが、夾山は悟りに至った。如何やら、執着心を捨てぬうちは悟りを得られない、との教えのようだ。河に叩き落とされ、「あぁん、死ぬぅ」と思った瞬間、即ち、総ての関係性を放棄せざるを得ないと思い込んだ瞬間、執着心を放棄した瞬間、夾山は、何かを悟ったのだ。ところが夾山は死なず、漸く待望の弟子を得た船子和尚が、河に飛び込んで死んだ。船子和尚は既に生への執着すら、ほぼ喪っていた。ただ法嗣を残すことだけに執着していたのだ。「一休の性と信仰」で見た如く、一休の破戒パフォーマンスは、他の生に対する凝集性/エロスの俗流表現であった。同時に一休は、名利を求める態度を排していた。【生への執着】以外の執着を、否定したのだ。対して船子和尚は、生への執着こそ放棄していたが、己の悟りを弟子に伝えたいとの執着は頑なに抱き続けた。一休と船子和尚は、生を廻って対立している。
 だからこそ一休は、夾山・船子を評価しない。夾山は死を覚悟したものの生き延び、禅僧としての名利を得てしまった。だから、名利を徹底して嫌い遁世した厳子陵に嗤われるのだ。船子も潔く死んだように思えるものの、結局は夾山なる立派な弟子を得て法統を嗣がせ、以て禅僧としての名声を残した。孔子が死んだとき、天地は悲しみ慟哭した。故郷の泗水が逆流した。しかし、船子が身を投げたからといって、泗水の支流たる洙水さえ逆流しなかった。船子和尚も大したことないってことだ。
 


 さて、夾山・船子の禅に疑問を呈した一休であるが、筆者は「絲」なる一字に注目する。まぁ船子は釣りをしていたので絲の字は付きものだし、船子が釣りで垂らした「千尺絲綸」{B}は、目に見えぬ人間性の深淵、遙か奥底まで認識の触手を伸ばす比喩であろう。しかし一休は、「千尺」もの長い糸は回収不能だ、と突っ込む。千尺は三百メートルだから、確かに電動リールでもなければシンドイ……というのではない。余りにウジウジ思索を重ねると、思索そのものに溺れ、結論が回収不能となる。物事の本質なんぞというものは、表面と逆であっても思索で暴露するより、直感で見抜く場合が多い。感情的な色眼鏡は論外として、観察者本人が明鏡止水を心掛けても無駄な情報が贅肉の如く纏わりつく程に、思索の精度が落ちることもある。剰つさえ現代では{感覚上}無料で簡単に得られる情報がネットやテレビに氾濫しているが、偏っているものが多い。断片データは精確でも、文脈に於いて、宣伝もしくは虚偽である。場合によってはデータすら虚偽だったりする。
 また、「絲線一通名利」{A}からすれば、「絲」には文字通り釣り糸、待望の弟子を捕捉するための性格と、名利を掴むための性格を併せ持たされている。Bで思索による洞察の触手であったものが、Aでは【縁】を結ぶための触手となっているのだ。

 続けて一休は詠う。
 


     ◆
賊。
悩乱春風何所成
遊絲百尺惹多情
不知問取桃花去
換却霊雲双眼睛
…………………
春風に悩乱し何ぞ成す所あらんや。遊絲百尺、多情を惹く。桃花より問取することを知らずして去る。霊雲の双眼睛に換却せん。
     ◆
 


 「遊絲百尺惹多情」。この場合、明らかに「絲」は、春に於いて何者かが人/一休との繋がりを求めて射出した触手である。勿論、一休が如斯く感じただけで、実際に何者かが秋波を送ったわけではなかろう。一休の心裡現象としては何者かに誘われるような感覚であっただろうが、実際には、春の陽気に誘われ一休の方から遊絲百尺を伸ばしていったのである。
 「絲」は一休にとって、真理を求める思索・縁を求める触手であって、人恋しくなり春情を掻き立てられて、人肌を求める触手でもある。意識に既存する部分を人間心裡の核とすれば、外在する何か、其れは未だ得られぬ真理であったり、女体から得られる快楽であったり健気な美少年の愛であったりするのだろうが、とにかく【己】の外に在る何者かを得ようとするときに伸ばす触手が【絲】なのだ。

 八犬伝に於いて「玉梓」は姫瓜/唐朱瓜とされている。唐朱瓜の花は、夏の夜に咲く。花弁が開くと同時に、触手の如き白い紐状のものが伸びていく{→▼}。何かを絡め取ろうとするよう、ジワジワと不気味に伸びていく。玉梓は、自分に利となる男どもを、神余光弘を山下定包を、絡め取っていった。里見義実にも触手を伸ばしたが、金碗八郎に阻止された。

 春風に心乱された一休は、寄り添う肉体を欲し「遊絲百尺惹多情」との境地に陥る。いや、なに、千尺もはない、ただの百尺である。単位は、執着の深さを示すか。折しも桃の花が咲き誇っている。一休はウキウキと萌す人恋しさに浸りつつ、花を愛で香りを愉しみ、通り過ぎる。生命を讃えているのだ。振り返って、霊雲が桃の花を見て悟りを得たことを思い出す。しかし、桃花を視れども悟りは見えず。霊雲と眼を取り替えたいものだ……とか口先では云っているが、一休の詩から深刻な苦悩は読み取れない。「あっはっはっ、こんな可憐な花を見てウキウキしないどころか、悟りを得るなんて、霊雲って奴ぁとんでもないトーヘンボク……あ、いや、大した漢だったんだなぁ。目玉を取り替えてほしいものだ」と笑って済ませているようだ。勿論、筆者の思い込みに過ぎぬのだが、道元らの銅睛鉄眼さえ嗤う一休、夾山・船子が命懸けで示した悟りを厳子陵や孔子より下等と決め付ける一休が、果たして霊雲の悟りを本当に評価しているか、甚だ怪しくなってくる。此処で取り上げた一連の詩で一休は、何やら自分の属する禅宗に対し、批判の矛を向けているよう感ぜられる。
 さて続いて一休は、
 


     ◆
雪団。
乾坤埋却没門関
収取即今為雪山
狂客時来百雑砕
大千起滅刹那間
乾坤埋却し門関を没す。収取し即ち今や雪山たり。狂客、時に来りて、百雑砕。大千{世界}の滅を起こすや、刹那の間。
     ◆
 


と詠じた。
 「雪が降り、一面銀世界に変じた。純白無垢の世界である。掻き取って無邪気に雪山を作った。霊山か沙弥山か。雪山を眺め瞑想に耽る。此が、眼前する全世界である。突然、寺内に乱入した狂客が、雪山を踏み砕いてしまった。思いを巡らせた世界が、刹那の間に崩壊してしまった」。
 一般に、「狂客」とは否定的な含意がありそうなのだが、一休の「狂雲集」に限って云えば、親愛のニュアンスを込めている疑いもあろう。元より「狂客」は、一休の瞑想になんざ無頓着である。雪山を踏み砕いた理由を尋ねても、せいぜい「BecauseItIsThere」ぐらいの返答しか得られまい。
 己の思い込みを注入した世界を踏み砕かれた者は当然、怒り狂うに違いない。一休とても、一瞬は眉を顰めたかもしれぬ。しかし、だとしたら、次の瞬間、己の執着を恥じはしなかったか。瞑想に没入し、己が世界に凝り固まる自分に気付かされたのではなかったか。或いは、一休も哄笑を上げながら庭に駆け下り、狂客と一緒になって雪山を踏み砕いたかもしれぬ。いや、「狂客」は、一休自身かもしれない。
 で、まぁ、こんなだから、一休は、兄弟子たる養叟が指揮する営利企業大徳寺から逃げ出すことになる。
 


     ◆
題如意庵校割末。{A}
将常住物置庵中
木杓笊籬掛壁東
我無如此閑家具
江海多年蓑笠風
如意庵の校割末に題す。常住物を将{と}りて庵中に置く。木杓笊籬を壁東に掛く。我、此くの如き閑家具なし。江海に多年、蓑笠の風。
…………………
如意庵退院寄養叟和尚。{B}
住庵十日意忙々
脚下紅絲線甚長
他日君来如問我
魚行酒肆又婬坊
如意庵退院にあたり養叟和尚に寄す。庵に住むこと十日、意に忙々。脚下の紅絲線、甚だ長し。他日、君、来りて如{も}し我を問はば、魚行・酒肆、又婬坊にあり。
     ◆
 


 Aは捻りのない率直な詩だ。一休は一時、大徳寺管轄下の如意庵に住した。校割は庵の引き継ぎ書類である。其の端に書き付けた、との体裁をとる。「常住物/寺の備品を庵内に整頓する。木杓やら籠やらを壁東に掛ける。元々自分は、このような閑家具/無用物を持たなかった。江海/世間に長い間さすらってきた。蓑笠こそ我が家であり、庵に引き籠もることは自分に似合わない」。こうした境地を「蓑笠」風と謂っている。馬琴の号の一つは、蓑笠翁であった。
 BはAを捻ったものだ。如意庵退院に当たって兄弟子養叟に向けて書いた。「庵に十日ばかり居着いてみたが、出て行きたくて心はソワソワとしていた。庵に座り込んで過ごしたため、足の裏に赤い筋が長く出てきたし、愛すべき人を求める紅絲線が長く伸び人恋しくて堪らない。譬えば君が何時か庵に来て私の所在を尋ねるとしよう。その時、私は恐らく、釣りに行っているか酒屋で蜷局を巻いているか、もしくは女郎屋に転がり込んでいるだろう」。
 養叟は営利に長けた僧で、大徳寺の勢力を伸ばした。一休が毛嫌いするタイプだ。後に不倶戴天の間柄となる。此の時点では未だ決定的な対立には至っていない筈だが、何となく養叟の指揮下で暮らすことを潔しとしなかったのだろう。一休は大徳寺を飛び出す。表面上は高僧として戒律を守りつつ、しかし仏教の重要な側面、捨身への指向、執着/煩悩から逃れようとする態度に対立する養叟は、一休から見れば天魔でもあったか。一休は、魚行/殺生をはじめ飲酒・姦淫に耽ることを宣言して立ち去る。当然、表面上は破戒しつつ、仏教の根幹は堅持しようとする覚悟だ。己こそ真の仏徒である、との自負が感じられる。

 さて、俗間に身を置くことで生命の動態を見極めようとした一休の態度は、ときに甚だ通俗である。
 


     ◆
寄南江山居。
天下禅師賺過人
黒山鬼窟弄精神
平生杜牧風流士
吟断二喬銅雀春
南江の山居に寄す。天下の禅師、人を賺過す。黒山の鬼窟、精神を弄ぶ。平生たる杜牧、風流の士。吟断す、二喬銅雀の春を。
     ◆
 


 この歌は当然、

赤壁 杜牧
折戟沈沙鉄未銷
自将磨洗認前朝
東風不与周カ便
銅雀春深鎖二喬

を踏まえる。三国志に纏わる俗な伝承を取り込んでいるのだ。且つ杜牧は、晩唐の詩人で遊び人/風流の士であった。実際に曹操が二喬と3Pをしたがったのか、筆者は知らない。だが、杜牧は赤壁戦の意味を、人間大量屠殺ではなく、魏の南下阻止でもなく、二人の美女が曹操に掠奪されなかったことに収斂させる。文人風の矮小化である。とはいえ、起こっちまった戦争を今更に否定しても仕方がない。厳然たる事実を無かったことには出来ない。今さら屠殺された人々を救うことは出来ないし、魏も既に滅んでいるから南下が如何したとか論じても始まらない。それよりも、歴史を、現在に生きる者に価値ある教訓として読み替える必要がある。杜牧は、曹操の敗戦を、天による勧善懲悪と見ている。東風が美周郎に味方せねば、二喬は曹操に陵辱されていたに違いない、と杜牧は決め付けている。
 赤壁戦は冬に行われた。しかし、杜牧は、呉が敗れていたら春には二喬が銅雀台へと収容されたかも、と考える。赤壁戦で勝敗が決したとして、数カ月後まで呉が抗戦した挙げ句に二喬が捕らえられ、曹操が本拠地に帰る迄の時間を考慮した……ワケがなかろう。平仄の関係もあろうが、やはり「東風」により「春」との表記が導かれたと見るべきだ。春は木気であり仁気の季節である。天の仁/東風により、正義が行われたのだ。人は木気であり仁であるが、天の資質を受け継ぎながら、まさに【過剰な人為】により其れを歪めて発露させてしまう。殊更に巌窟へと引き籠もり、修行の素振りを見せつける僧を、一休は嫌う。後天的な良心、良質な教育によって培われた良心も人為のうちである。よって、一休が人為すべてを否定したとは思えぬが、【過剰な人為】は明らかに否定している。人の本性を歪める人為を嫌うのだ。本性に従い、且つ平生心を保って花柳に遊ぶ杜牧の態度は、一休の理想とするものでもあったのだろう。桃の花や竹を見て悟りに至る者もいようが、一休は人間を見詰めることで思索を重ねていたのだ。
{お粗末様}

 

 

 

 
 

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