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■一休不邪淫戒四首■
 

 一休は狂雲集・続狂雲集で度々邪淫とも思える行為・心境を語っている。邪淫と謂っても当然、其れは、個への執着によって陵辱蹂躙を望むものではない。また、筆者は、一休の語る邪淫が、単純な偽悪のパフォーマンスというだけではないとも思っている。一休の求めた悟りが、生を謳歌し慈しむ方向性を有するものであったが故に、如斯き表現法を採らざるを得なかったのではないか、と疑っているのだ。此処では「不邪淫戒」と題する四首を引き、上の疑念を検証する。
 


     ◆
不邪淫戒
婬坊年少也風流、■捷のテヘンが口/吻抱持狂客愁、妄闘樗蒲李群玉、名高虞舜辟陽侯
婬坊の年少や風流。■捷のテヘンが口/吻抱持、狂客の愁。妄りに樗蒲を闘わす李群玉、名高き虞舜や辟陽侯。
     ◆
 


 「女郎屋の美少女は誰に縛られるでもなく、風が流れ数多のモノを平等に撫ぞるが如く、自由に愛を謳歌する。いま現在は口説き口づけし此の手に抱き締めてはいるが、少女が私だけのものにはならないことは解っている。私は、愁いに沈む。逢瀬を約束した二人の女神の何連かを独占しようというのではなく、二人ともを待つために苛立ちつつもウキウキと、出逢えば陽気に骰子遊びでもしようと思い描く李群玉の風流に見倣いたい。実は二人の女神は堯の娘で共に虞舜に嫁した娥皇と女英であるのだが、二人は虞舜が急死したため洞庭湖に身を投げて神となったのだ。抑も名高い虞舜は、二人の妻と三人で仲良く暮らしていた。妻がいながら劉邦の妻/呂后と愛し合い、高祖と共に呂后を愛した辟陽侯審食其もいる。私も彼等の境地に至りたいものだ」
 此の詩は全唐詩巻五百七十に載す李群玉のA「湘妃廟」{少将風月怨平湖、見尽扶桑水到枯、相約杏花壇上去、画欄紅紫闘樗蒲}あたりを下敷きにしているのだろう。「少{しばら}く風月を将{ささ}げ平らかなる湖を恨む。見尽くせば扶桑の水枯れるに到る。杏花と相約せる壇上に去く。欄を画す紅紫、樗蒲を闘わさん」ぐらいか。また李群玉は同じ巻、B「題二妃廟」{黄陵廟前春已空、子規啼血滴松風、不知精爽帰何処、疑是行雲秋色中}。「黄陵の廟前、春は已{すで}に空し。子規啼きて血は松風に滴る。知らず、精爽たるものの何処へか帰す。疑うらくは是、秋色の中に行ける雲かと」も詠っている。AとBとでは、全く別世界だ。Bの世界が多数派であろう。則ち、愛する夫を亡くして涙に暮れた挙げ句、洞庭湖に身を投げた二人の女性を偲ぶ詩である。子規は杜鵑、杜鵑は血を吐きながら鳴く、とされている。だからこそ、病床で血を吐き苦しみ悶えた松山の俳人/正岡昇は自ら子規と号したが、んなこたぁ関係ない。終わる春を惜しみ杜鵑が血を吐くように切なく啼いている。春に身の回りを包んでくれた清く爽やかな物どもは、何処に消えてしまったのだろうか。まるで愁いを誘う秋の雲が流れているようだ……。憂愁の世界だ。
 しかし、Aは、「暫く風月を愛でながら静かな湖面の前に立っていると苛立ってきた。待つ身は退屈だ。湖水は長江を経て遙か東の海へと流れている。どれだけ長く待っただろう。今や、湖は水を失い、扶桑浮かぶ東の海も枯れ果てたのではないか。いや、もうじき来る頃だ。さあ、杏花のように可憐な女神たちと逢瀬を約束した壇に行こう。向かう道の左右には紅や紫の花が咲き誇り、まるで欄干のように周囲と一線を画している。ウキウキしてきた。まずは骰子遊びでもして、待ち惚けの憂さを晴らそうか」。一休の「妄闘樗蒲李群玉、名高虞舜辟陽侯」を読み下すためには、如斯く明るい詩だと解釈する必要がある。いや、一般に「湘妃」廟は舜の「二妃」を祀っている事になっているのだけども、李群玉は別の女神を対象としているのかもしれないが、一休の詩にあっては「李群玉」が「名高虞舜」に続くから、一休が湘妃を舜の二妃だと解したと考えるべきだろう。
 奔放な美少女を独占できず悶々とする一休が求める境地は、美しい異性を愛しつつも一線を越える執着を抱かぬものだろう。則ち一休は、二妃を待ち焦がれつつも李群玉が、相手の愛を独占しようと考えていない、と断じているのだ。元より二妃は、舜を慕って身投げした女性が神格化した者である。李群玉との【浮気】は、あり得ない。気の良い酔っ払いの李群玉に慰安は求めても、慰安夫にする積もりはなかろう。李群玉にしたって、二妃は舜の妻だ。相手が悪すぎる。権力をカサに着て二妃を独占しようとする狒々爺相手なら掠奪しがいもあろうけれども、舜は聖帝なのだ。李群玉は、美しい二神女に惹かれつつも、其れは陵辱蹂躙を指向する独占欲ではなく、同情し、ただ慰めたいだけではないか。セクースしたいとしても、恐らく、相手が綺麗だから、ちょっと突きたい、摘み食いしたい、程度だろう。抑も相手は「二妃」である。一対一の執着ではあり得ない。帝舜は二人を妃にして能く内を治めたし、辟陽侯は劉邦の后と愛人関係にあった。即ち、李群玉・虞舜・辟陽侯が並び称されるべき共通点は、【個に執着していない/束縛されていない】である。対して一休は、特定の愛人に縛られようとしない「風流」な若い女性を抱き締め、愁いに悶えている。一休の目指す所が「個に執着しない/束縛されていない」地平であることは、明らかであろう。
 凡夫の愛は愛惜であり執着であるが、一休は、執着を抜き去った【愛】もあり得ると考えたようだ。差し当たって筆者は、愛を与えつつも愛を求めない、アガペーの如きもの、と夢想しておく。
 


     ◆
不邪淫戒 三首
痛飲誰家楼上謳、少年一曲乱心頭、阿難逆行淫坊暁、妙解方便残月秋
痛飲、誰が家、楼上の謳。少年、一曲に心頭乱る。阿難の逆行、淫坊の暁。妙解の方便、残月の秋。
     ◆
 

 本作に登場する阿難{/阿難陀}は、美男子であった。其れ故か、仏陀は二十五年以上も阿難を身辺に置いた。悟りを開いた筈の仏陀さえ、身近に侍らせたい程の美男子なんである。そんなだから阿難は、女難にも遭う。上に挙げた一休の詩は、何も考えないまま女郎屋に入り込んだ挙げ句、心神耗弱状態にされ犯されそうになった挿話を下敷きにしていよう。取り敢えず、大佛頂如来密因修證了義諸菩薩萬行首楞厳経を引く。
 


     ◆
前略……時波斯匿王為其父王諱日営斎。請佛宮掖自迎如来。広設珍羞無上妙味。兼復親延諸大菩薩。城中復有長者居士。同時飯僧佇佛来応。佛敕文殊分領菩薩及阿羅漢応諸斎主。
唯有阿難先受別請。遠遊未還不遑僧次。既無上座及阿闍黎。途中独帰其日無供。即時阿難執持応器。於所遊城次第循乞。心中初求最後檀越以為斎主。無問浄穢刹利尊姓及旃陀羅。方行等慈不択微賤。発意円成一切衆生無量功徳。阿難已知如来世尊。訶須菩提及大迦葉。為阿羅漢心不均平。欽仰如来開闡無遮度諸疑謗。経彼城隍徐歩郭門。厳整威儀粛恭斎法。爾時阿難因乞食次経歴婬室。遭大幻術摩登伽女。以娑毘迦羅先梵天咒摂入婬席。婬身撫摩将毀戒体。如来知彼婬術所加。斎畢旋帰。王及大臣長者居士。倶来隨佛願聞法要。于時世尊頂放百宝無畏光明。光中出生千葉宝蓮。有佛化身結跏趺坐。宣説神咒。敕文殊師利将咒往護。悪咒銷滅。提奘阿難及摩登伽帰来佛所。阿難見佛頂礼悲泣。恨無始来一向多聞未全道力。殷勤啓請十方如来得成菩提。妙奢摩他三摩禅那最初方便……後略{大佛頂如来密因修證了義諸菩薩萬行首楞厳経巻一}。
     ◆
 


 阿難陀は仏陀十大弟子のうち、多聞第一と云われるが、記憶力は良くても心のバランスが整っておらず、仏陀が死んだとき、まだ阿羅漢果を得ていなかった。また、美貌を以て謳われ、二十五年間だか其れ以上、仏陀に近侍していた。顔が良かっただけでない。美しい肉体を露出させないため、特別な服を着るよう仏陀に命じられていた程だ。
 此処に挙げた経で阿難陀は、独りで托鉢しているとき、相手構わず歩き回った挙げ句、女郎屋にまで入っていった。美貌の阿難を見て「大幻術摩登伽女」が劣情を催し、「娑毘迦羅先梵天咒」をかけ誘惑、ヤリ部屋へと引っ張り込んだ。まさに阿難が破戒せんとしたとき、其れと察知した仏陀が文殊に救出を命じた。文殊が摩登伽女の魔術を破った。阿難は破戒に至らずに済んだ。

 また、話として余り面白くないので引かないが、佛説大愛道般泥■桓の木がサンズイ/経や佛母般泥■桓の木がサンズイ/経などで、阿難陀は、女性が出家し比丘尼となることに協力している。摩訶卑耶和題/摩訶波闍波提すなわち摩耶夫人の妹つまり仏陀の叔母であり継母が、五百人の釈迦族女性と共に出家を願ったとき口添えしたのだ。仏陀は当初、頑として拒んだのだが、論陣を張って説得したのが阿難陀であった。女性に頼られると拒めない性格だったらしい。
 こういった説話から想定すべきは、女性成仏は真理として正しいとしても、男性である仏陀は此の段階まで異性である女性が解脱する道を確定していなかった、との状況である。一部経典の言う「女性は成仏できない」は、【仏教に於いて女性が成仏するための方策が確立できていない】となる。何故なら結果として現在までに、女性も成仏できることになっているからだ。原初仏典が表記上、女性往生を否定していたとしても、其れを尊重しつつ女性往生の肯定に結果したとするならば、原初仏典からして、女性往生を絶対的には否定しておらず、肯定への余地を結果として残していたことになるからだ。例えば、法華経で八歳龍女が変成男子を経て成仏する。女性として生まれたとしても、結果として成仏したのだ。但し、途中で「変成男子」を挟まねばならない。但し、外科手術もせず急に女性が男になることはない。しかも一般に仏道は、精神が肉体から自由であることを望む。云うまでもなく成仏/悟りを得るとは、精神もしくは意識が非常に安定した状態になることを謂う。肉体から自由になろうとする指向性は当然、ココロが肉体から自由たり得るとの前提から出発せねばならない。肉体とココロが分離可能だというのならば、男女何連かの肉対をもって生まれたとしても、ココロが肉体と一致した性をもっているとは限らないだろう。肉体によってココロの性も絶対的に固定されるというのならば、元よりココロは肉体から自由ではあり得ない。ココロが肉体から自由になることがないのならば、男女を問わず仏道修行なんて、無意味となる。結局、変成男子は、比喩として肉体の変化を意味しているが、実のところ、精神の在り方が変化したと云っているだけだ。卑近な例で考えれば、女性の方が子供なんかへの恩愛が深い。身を痛めて産んだ女性と、出産の契機に至るためチョッとした快楽を得ただけの男と、肉親に対し同じ感覚を抱く方が珍しいだろう。肉親への自然な恩愛は、精神の自由にとって最大級の障害となる。だからこそ、仏陀も家出ってぇか、「出家」した。女性の成仏が不可能だというのは、単に、女性の方が子供への恩愛が深いため精神の束縛が強くなりがち、との経験則から導き出されたに過ぎないだろう。言い換えれば、女性を、恩愛に強く縛られがちなココロを持っている自由化が難しい者、と定義しちゃっているだけの話だ。定義から逸脱した薄情な女性も多々いるだろうが、一般論としての話だ。元々肉体から期待されるココロをもっていない者もあるだろう。男らしくない男なんざ、ゴロゴロいる。結局、八歳龍女は、意思の力で恩愛を稀薄化したのだろう。これを法華経は、変成男子と表現しているだけだ。股間からニョキニョキ生えてきたってぇんぢゃない。ココロの在り方の問題だ。ココロの在り方なんざ、自覚さえすれば思考や経験で変わり得る。女性は成仏できない、とのテーゼは、其れが語られた段階で、女性が成仏する方法論が見付かっていない、ぐらいに読み替えねばならない。
 そもそも女性原理を真に否定したいなら本来、仏陀が女性から生まれるワケがない。女性原理を否定していると思しい旧約聖書に於いては、神は何時の間にかボウフラのように湧いていた。「InTheBeginingGodCreatedTheHeavenAndTheEarth」{HolyBibleKingJamesVersion}。一行目から当たり前のような顔をして登場しているのだ。男女両性の生殖によって発生したのではない。日本神話は、神の発生以前に混沌から陰陽二極が発生し天地が開闢して云々と設定しており、神も単一のものから陰陽両性神が分化したことになっているから、まだしも女性原理の肯定を内在していた。まぁ旧約聖書を奉ずる者共にあっても、大工の息子が、処女懐胎とはいえ、女性から生まれたとの神話が存在しているのだから、この時点までに、社会に於いて、女性原理の否定が不可能となっていたのだろう。対して、処女ではなかったであろう摩耶夫人の脇から仏陀が生まれたとの神話も、多くの煩悩を発生させる男女の生殖活動を否定したがっているものの、女性原理を否定しきれなかったことを示している。勿論、男女の生殖活動を嫌う態度が、女性原理を否定する方向へ転ずる可能性も孕んではいた。しかし、結果として、そうはならなかった。もし仏陀の死後にでも、仏教が女性原理を否定したくなれば、新たに、仏陀が摩耶夫人から生まれたのではなく、女性以外の何者かから発生したとの神話を捏造することも可能であっただろう。捏造し、元からあった仏典を偽経として否定し、反対する者を弾圧してしまえば良い。焚書坑儒たら何たら、よく・ある・話、だ。しかし、そうはならなかった。人として仏教というものを受け継ぐうちに、例えば上記の如く、法華経では八歳竜女が変成男子を経て、成仏してしまう。女性として生まれた者も、結局は成仏し得ることを断言してしまうに至る。結果から見て、「仏教」の範疇に於いて、女性原理を肯定する余地があったのだ{ってぇか、仏教自体が柔軟な思考で対応したのだろう}。仏陀が実在したとして、実在の仏陀本人が実際に女性を遠ざけ女性は悟りを得られないと思い込んでいたや否やは関係ない。彼が始めた「仏教」なるものを【人】が継承するうちにでも、「仏教」は【女性は成仏し得る】との考えに至った、若しくは仏陀の思想を斯く誤解するに至った……ことが重要なのだ。此の意味で、仏陀の教え/仏教は、結果論として、女性原 理の肯定を内在していたと言わざるを得ない。元より、仏陀本人の思想の近似値を推測することまでは可能だが、厳密に確定することは、恐らく不可能であって、結果から推測するしかない。
 そんなこんなで、仏陀涅槃の段階で阿羅漢果を得られなかった阿難陀のキャラクターを再考すれば、魔術を掛けられ女性に犯されそうになる迂闊者、隙がある人物であるが故に、女性の出家実現に口添えするのだが、後には阿難陀も阿羅漢果を得るし、且つ女性の出家は否定されなくなる。約めて言えば、【仏陀より遙か低い次元にあったが故に女性出家を肯定したが、仏教が教義を練り上げるうちに実は阿難陀の主張の方が真実に庶かった】ことが証明されたってストーリーが浮かび上がる。
 


 さて、斯く考えていくと、一休が「痛飲誰家楼上謳、少年一曲乱心頭、阿難逆行淫坊暁、妙解方便残月秋」と詠った場合の口語訳は「痛飲した状態で歌が聞こえてきた。どの女郎屋で歌っているものだろうか。若い声が歌う一曲に、心掻き乱される。阿難でさえ女性の色香に執着してしまったという。私も女郎屋で夜明けを迎えている。しかし、此れは妙解を得るための方便である。白んだ空に残月が浮かんでいる秋の夜明け」となり、月を【夜/陰の存在/煩悩】とすれば、残月であるから、其れが白日の下に晒されていることになる。煩悩を隠さず晒し、妙解の方便であると言い切る。一休独特の境地である。
 


     ◆
逆行慈明婆子身、紅絲脚下絆婚姻、一曲楼頭緑珠笛、可憐昔日趙王輪
逆行せし慈明と婆子の身。紅絲、脚下に婚姻を絆ぶ。一曲、楼頭に緑珠の笛。憐れむべし、昔日の趙王輪。
     ◆
 

 「逆行」とあるが残念ながら、慈明と婆は色っぽい関係だったわけではない。ただ、慈明和尚は説法をスッぽかして婆の家に入り浸っていたらしい。一休は「紅絲脚下絆婚姻」としているので、夫婦関係と見ているようだ。此の場合の「夫婦関係」は現代流に性交を意味せず、ただ、【寄り添い合って生活する】ほどの意味だ。「薪を割って」「茶を淹れて」と、呼び掛ければ反応がある、優しく温かく寛いだ空間を構成している。が、此処で話は一転し、晋書に載す趙王倫の専横に繋がる。
 


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石苞子(崇歐陽建孫鑠)
前略……崇字季倫、生於青州、故小名斉奴。少敏恵、勇而有謀。苞臨終、分財物与諸子、独不及崇。其母以為言。苞曰、此児雖小、後自能得。年二十余、為修武令、有能名。入為散騎郎、遷城陽太守。伐呉有功、封安陽郷侯。在郡雖有職務、好学不倦、以疾自解。頃之、拝黄門郎。……中略……崇穎悟有才気、而任侠無行検……中略……財産豊積、室宇宏麗……中略…… 及賈謐誅、崇以党与免官。時趙王倫専権、崇甥歐陽建与倫有隙。崇有妓曰緑珠、美而■豊に盍/、善吹笛。孫秀使人求之。崇時在金谷別館、方登涼台、臨清流、婦人侍側。使者以告。崇尽出其婢妾数十人以示之、皆蘊蘭麝、被羅■穀のノギヘンが一に糸/、曰、在所択。使者曰、君侯服御麗則麗矣、然本受命指索緑珠、不識孰是。崇勃然曰、緑珠吾所愛、不可得也。使者曰、君侯博古通今、察遠照邇、願加三思。崇曰、不然。使者出而又反、崇竟不許。秀怒、乃勧倫誅崇・建。崇・建亦潜知其計、乃与黄門郎■サンズイに番/岳陰勧淮南王允・斉王冏以図倫・秀。秀覚之、遂矯詔收崇及■サンズイに番/岳・歐陽建等。崇正宴於楼上、介士到門。崇謂緑珠曰、我今為爾得罪。緑珠泣曰、当當效死於官前。因自投于楼下而死。崇曰、吾不過流徙交・広耳。及車載詣東市、崇乃歎曰、奴輩利吾家財。收者答曰、知財致害、何不早散之。崇不能答。崇母兄妻子無少長皆被害、死者十五人。崇時年五十二……後略{晋書巻三十三列伝第三}。
     ◆
 


 趙王倫の配下/孫秀が妓女/緑珠に懸想した。しかし緑珠は崇季倫の愛人であった。孫は譲るように迫ったが、崇は拒否した。孫は趙を唆し、崇を罪した。緑珠は崇の目の前で楼から飛び降り自殺した。崇・母・兄・妻子十五人が殺された。五十二歳であった。面倒だから引かないが、このあと趙王司馬倫は恵帝を廃し簒位した。が、程なく叛乱が起き司馬倫は殺され、恵帝が復位した。権勢を恣にし緑珠と崇季倫の仲を引き裂き殺した趙王倫は、結局、命を失った。
 一休は、前半で慈明・慈明婆のホノボノとした清廉な半同棲を羨み、後半で権力の亡者となった趙王倫の末路を憐れんでいる。則ち一休は、水魚の如き自然な共存/恩愛を賞賛し、人々の愛を踏みにじり権力に執着した趙王倫に憐憫の情を示しているのだ。単純な否定ではなく、憐憫である。ややもすれば、権力を求める人のココロを否定するのではなく、そんな煩悩を凝視し、自らも苦悩している。「現に小人は度し難い」と突き放すのではなく、【悪人】へこそ大悲の心を向けているか。
 


     ◆
沙門何事行邪淫、血気識情人我深、淫犯若能折情識、乾坤忽変作黄金
沙門、何事か邪淫を行う。血気、識・情の人、我{が}深し。淫犯し若し能く情識を折らば、乾坤忽ち変じて黄金と作る。
     ◆
 

 「沙門よ、何故に邪淫を行うか、と人は問う。確かに、人の姿や声や動作、肌の柔らかさ温かさ臭いを貪る欲が私は深いし、感情が動いてしまう。無我の境地には遙か遠い。しかし、人と交わり、且つ、煩悩を折伏することが出来れば、対象への愛が深い分だけ大逆転して、黄金のような素晴らしい悟りの極致に達する」

 人々の老病苦死を目の当たりにして、誰から頼まれたわけでもなく勝手に人々の苦悩を抜こうと出家した仏陀が、人間への愛をもっていない筈はない。仏陀は、史上最大の御節介野郎なんである。其れ故、真に有り難い。美女に対する愛も、美少年に対する愛も、人への愛のうちだ。否定する必要はない。寧ろ、人への愛を喪えば、其れは既に仏陀の教えと対立する。教条主義を以て、人への執着を、恩愛を断ち切るため、人間に対し冷淡となることが、正しい道か? 他者に対し冷淡でありながら、其の他者を掠奪蹂躙陵辱する類の性こそ【邪淫】であろう。邪淫/掠奪蹂躙陵辱の基底が、自分とは別の生命に対する冷淡さであるならば、其れこそが、邪淫の根源であろう。いや、消極ゆえに行為に現れないだけであって、生命への冷淡さは、実際のところ、邪淫と謂えるのではないか。
 恐らく一休は、愛を断ち切ることで煩悩を消すのではなく、愛を別次元のモノへと昇華し以て煩悩の地平から脱することを夢見たように思う。生命の横溢/性を無邪気に悦ぶ一休を、不毛な凍土に立って「邪淫」と決め付ける者こそ、不邪淫戒を破っているのだ。よって、上に挙げた四首は、一休の求める境地/悟りであろう。必ずしも行為が伴っていたとも思えない。邪淫を詠うように見えて、其の実、タイトル通り「不邪淫戒」となっている。
{お粗末様}

 

 
 

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