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■道節の忠をめぐる若干の問題点■

 「第四輯序を廻る若干の問題点」に於いて、同序文内「孔子曰、君難不君臣、不可以不臣、父雖不父子、不可以不子」の真意を探った。君臣関係を双務的なものと捉え、君主が無道に陥った場合に臣下は責務として諫争を行わなければならない、との内包であった。また、此の内包は、出典である古文孝経の孔安国序を正当に引いたものであり、本来の正当儒学の立場を示すものであることも分かった。
 確認のためには、馬琴の理想とした君臣関係を{裏側から}示す具体例として、八犬伝で糾弾されている君主を見れば良かろう。例えば山下定包{と玉梓夫婦}の如く御仲間成果主義を以てイエスマンの腰巾着ばかり重用する、扇谷上杉定正の如く忠臣たるが故に争臣となった巨田道灌を暗殺し息子友助を冷遇、河鯉佐太郎さえ刑戮しようとする。八犬伝で断罪されている君主とは、則ち争臣を排除、奸佞イエスマンに囲まれ満悦している愚者どもだ。「君雖不君」状態は実の所、君が争臣を排除するには至っていない。臣が臣としての責務を果たそうと争臣化する瞬間の謂である。八犬伝に登場する暗君どもは、此の範疇を超え、争臣を排除したが故に、断罪の対象となっているのだ。
 実のところ君主なんざ無能で構わない。実務を担う臣下の足さえ引っ張らなければ、それで良いのだ。しかし良臣を弾圧し奸臣を重用すれば、共同体の存続にかかわる。此れを、暗愚と謂う。ってぇか、良臣を排除し奸臣を重用する君主以外、八犬伝では殆ど弾劾されていない{足利義政は例外的存在だ}。
 結局、馬琴にとって、共同体内の分業は正しく秩序づけられているべきであって、人格を含めた資質により人員が適正に配置されていなければならないのだ。御仲間成果主義による勘違いな評価や女謁内奏などにより、人員を不適正に配置すれば、共同体が衰退せざるを得ない。

 だいたいからして、例えば犬飼現八は関東足利家にあって、飛脚だった父と比すれば、所詮は卑職とはいえ牢獄の管理者にまで出世している。しかし現八は、足利家の司法が不当であったため愛想を尽かしてサボタージュを決め込んだ。此れは明らかに命令不服従であるが、不当な司法執行をしている時点で関東足利家は理念上、君主の要件を満たしておらず、よって現八を責める理念上の資格を失っている。関東足利家は現八を罰するが、「理念」は現八に可罰性を認めていない。現八は関東足利家にとって罪人であるが、八犬伝にとっての罪人ではない。挙げ句の果て現八は、関東足利家を見限って、一億人の恋人/信乃と逃避行を決め込んだ。
 まぁ己の良心をオブラートに包むことなく前面に押し出す「信」の犬士/現八なればこそって側面もあるが、同志/朋友の為に、天の理に逆らう暗愚の主君をキッパリ裏切る。【天】に直接、繋がっているのだ。現八は、目前の君主/足利成氏を透過し天に直接結び付こうとしている。
 実のところ、八犬伝が君主への絶対服従を喧伝するものであれば、芳流閣から転落後、正気を取り戻した段階で現八は、信乃を捕縛し帰参するべきであった。信乃は破傷風に罹り、美貌にベットリと汗を浮かべ桃色に染まって喘ぎ悶えている。簡単に犯れ……いや、捕縛できただろう。
 孝犬士/信乃の許嫁/浜路は、非道の養父/蟇六に対し必ずしも従順ではない。準犬士政木大全に至っては、唯々諾々と刑に服するかと思えば、出奔し里見家に見参する。
 犬山道策は、不義密通に至った十条音音・姥雪世四郎の二人を、密かに許容する。実のところ二人の逢引は、少なくとも十条家と道策が認知していなかったからこその「密通」であって、親と主君への隠匿が罪の構成要件となっている。結局は形式上の「忠孝」に悖るからこその「罪悪」であった。道策は、家内秩序の維持を考えつつも断罪はせず、世四郎を密かに追放した。音音と世四郎は、煉馬家/犬山家滅亡後の行為により、煉馬/犬山家に深い忠心を抱いていることを証明する。荒芽山で道節は、犬山家当主の名のもと、音音と世四郎を正式に婚姻させる。形式上の不忠は無罪化され、真実の忠が認定されたのだ。八犬伝は、行為の外形より、内面動機を重視する態度を採用しているようだ。玉梓を筆頭に前の政木・夏引・嗚呼善・於兎子ら、外形上の行為でも内面動機でも夫や主君を欺く正真正銘の不義密通を犯した者たちは、厳しく断罪されている。問題は、内面動機なのだ。

 一般に人間性を判断する場合、言葉より実際の行為を見るべきだ。八犬伝で登場人物が語る台詞は、えてして道学先生/朱子学者流だが、実際の行為は、それほど単純浅薄なものではない。十九世紀以降の幕府制式儒学/日本朱子学は、なるほど君主の絶対化に寄与したかもしれない。しかし本来、少なくとも孟子なんかの儒学は革命さえ容認する倫理体系をもっていた。主君だろうと何だろうと、悪い奴は悪いのだ。朱子学なんぞは、孟子から派生した傍流に過ぎない。
 字義からして「忠」は【心の真ん中】ほどだろう。「夫子之道忠恕而已矣」{論語・里仁}に云う「忠」は単に誠意ぐらいの意味だ。孔子の生き様といえば、ただ真心を以て人に対するものだ。「子以四教、文行忠信」{論語・述而}の「忠」も、やはり誠意ぐらいの意味しかない。孔子が教える四つのことどもとは、直接の経験だけに頼らず文を読み先人の言動まで知的経験を広げること、学び得た道を実際に行うこと、誠意を以て語り行動すること、虚偽を言わないこと。
 誠意/愛情ならば対象は、友人でも兄弟でも愛人でも犬でも猫でも良いわけだ。別に「忠」は、主君にのみ向けるべきものでは本来ない。忠の絶対化は即ち、我儘なオコチャマよろしく愛を独占したがる愚考に過ぎない。如斯き愚考/小人ぶりは、なるほど現実の君主には相応しいけれども、理念上あってはならぬ椿事に過ぎない。愛情/忠を理不尽に強制した時点で、君主失格である。

 孝経は論語と同様に当然、君臣父子の双務関係を主張している{礼記には父を三度諫めて容れられぬ時には泣いて従うと書いているけれども、此方は君臣と違って関係の解消が不可能である故の例外規定であろうし、孟子に至っては積極的に暗君の放伐を認めている}。それだけのことだ。

 八犬伝第百五十八回、里見義成が人を殺さない戦を標榜したとき、道節は面を侵し猛然と抗議した。諫争だ。無礼に感じられるムキもあるかもしれないが、これこそ忠犬士の面目躍如なんである。「不敬の罪を免れがたく候へども盗に糧を齎し讐に刃を借す事は聖賢のせざる所にて宋襄の仁にも過ぎたり」と捲し立てた。道節の晴れ舞台だ。

 「宋襄の仁」……此の言葉は一般に、要らざる仁義立てをして戦で大敗した宋の襄公の故事に拠る、と云っておこう。八犬伝読者には馴染みの言葉だ。早くも第五回、玉下城を攻めるに詭計を却下した里見義実を、堀内蔵人と金碗八郎が此の言葉で詰っている。ふと保元物語、源為朝が提案した夜討ちを藤原頼長が退けた逸話も思い浮かぶ{→▼保元物語関連部分}。八犬伝第八十五回、道節が此の言葉を使って重戸が現八・大角を救った件を論評している。注記として、故事の出典を春秋左氏伝だと明かしている。また、道節の議論を信乃が「刑名家の旨」と指摘し、反論している。第百八回、親兵衛が蟇田素藤を放免しようとしたとき、辰相が此の言葉を以て反対している。第百六十三回、荘助が義成の軍令は「宋襄婦人の仁に異也」としている。第百七十七回では、道節が扇谷上杉定正は敵の首魁なので殺さねばならないと主張、「宋襄の故轍を踏まば世の胡慮にならんのみ」と云っている。

 「宋襄の仁」は、理想主義に対する現実主義の立場を表明する場合に使われるようだ。信乃が「刑名家の旨」と指摘しているが、正当である。また、馬琴が言っているように、否定的なニュアンスの「宋襄の仁」は、確かに「春秋左氏伝」が出典である。
 実は孝経に於ける古文・今文の問題と絡むのだが、其れは措き、春秋の解釈には幾らかの流派があり、うち三つが有力であった。左氏・公羊・穀梁である。左氏伝と公羊伝は、宋襄に対する評価を激しく対立させている。

     ◆
冬十一月己已朔。宋公及楚人戦于泓。宋人既成列、楚人未既済。司馬曰、彼衆我寡、及其未既済也、請撃之。公曰、不可。既済而未成列。又以告。公曰、未可。既陳而後撃、宋師敗績、公傷股、門官殲焉、国人皆咎公。公曰、君子不重傷、不禽二毛、古之為軍也、不以阻隘也、寡人雖亡国之余、不鼓不成列。子魚曰、君未知戰、勍敵之人、隘而不列、天贊我也、阻而鼓之、不亦可乎、猶有懼焉、且今之勍者、皆吾敵也、雖及胡■孝の子が句/、獲則取之、何有於二毛、明恥教戦、求殺敵也、傷未及死、如何勿重。若愛重傷、則如勿傷。愛其二毛、則如服焉、三軍以利用也、金鼓以声気也、利而用之、阻隘可也声盛致志、鼓■讒の言がニンベン/可也{春秋左氏伝・僖公二十二年}。
…………………
冬十有一月己巳朔、宋公及楚人戦于泓、宋師敗績。偏戦者日爾、此其言朔何。辞繁而不殺者、正也。何正爾。宋公与楚人期、戦于泓之陽。楚人済泓而来。有司復曰、請■シンニョウに台/其未畢済而系之。宋公曰、不可、吾聞之也、君子不厄人、吾雖喪国之余、寡人不忍行也。既済、未畢陳。有司復曰、請■シンニョウに台/其未畢陳而撃之。宋公曰、不可、吾聞之也、君子不鼓不成列。已陳、然後襄公鼓之、宋師大敗。故君子大其不鼓不成列、臨大事而不忘大礼、有君而無臣、以為雖文王之戦、亦不過此也{春秋公羊伝・僖公二十二年}。
     ◆

 左氏伝では、襄公が礼を重んずる故に、渡河する敵への攻撃を行わなかった点を、厳しく批判している。公羊伝では、「天の理に沿っていたならば、国を滅ぼしても悔いはない」との言葉も含め、襄公を周文公と等価に考えている。当然、高く評価しているのだ。現実主義の左氏伝と、理想主義の公羊伝が、真っ向から対立している。左氏伝は、結果が最悪の大敗だからと、襄公を責めている。公羊伝は、結果は大敗だったが、原因となる襄公の志は文公と同じであり、責めるべきものではなく、寧ろ高く評価すべきだ、と考えている。現代に生きる読者は、恐らく左氏伝に賛同するだろう。馬琴も、「宋襄の仁」を一貫して否定的なニュアンスで使用している。

 しかし、左氏伝と公羊伝の対立は、実は其の侭、道節と義成との対立と重なっている。誰しも我が身が可愛いので、自分の身に引き付けて云えば、左氏伝に与せざるを得ない。うっかり公羊伝を肯定しようものなら、頭の悪いバカガキに言質をとられ、自己犠牲を強いられるとの虞れが発生するのだろう。げに小人/バカガキは養いがたい。しかし我が身から離れた事象を評価する場合、人は素直になる。ついつい理想主義的な行為に感動し、密かに賞賛してしまうものかもしれない。
 例えば、ハリウッド戦争映画なんかで、身を挺して戦友を救う場面なぞ吐いて捨て……もとい、掃いて捨てる程、頻出する。それが何故だか世界規模で膨大な興行収入を上げ、アメリカへの憧憬を喚起し、其の経済帝国主義を悦んで受け容れるスットコドッコイを量産するから剣呑なのだが、映画の場合は観客に自己犠牲精神を植え付け、以て利己主義の権化/米帝国に貢がせようという詐術だろうから論外だけれども、此の珍現象から察するに、人間一般には利他行為を賞賛する性根が元々植え付けられていると思しい{其処に付け込んでこそ詐欺が成立するのではあるが}。植え付けられた性根が即ち、天命である。実の所、万人が利他を心掛ければ、情けは人の為ならず、保身にかまけなくとも、回り回って自分も保護される。誰か一人でも自分だけ抜け駆けようとすれば、秩序が乱れ吾も吾もと、トンチンカンなことになる。此のトンチンカンが現実ではあるが、其れでも人は、利他行為の価値をコッソリとは認め、低俗映画にさえ涙する。人の真実は、利己に汲々とする日常にあるか、ひた隠しにしているココロの裡にあるや。昼間の巧言令色にあるか、夜間の夢にこそあるか。夢こそ真{まこと}かも……。

 筆者は、公羊伝の理想主義を、むげに否定し切れない者だ。史上実現したことはないけれども、もしも天の理が貫徹する世界があれば、心置きなく理想を信奉する態度を表に出せるだろう。そして八犬伝こそ、其の理想世界なのだ。現実によって心の奥に押し込められた良心が、解放される場と云って良い。里見義通掠奪事件時の如く、善に与した者が悪人に鉄炮で撃たれても、何故だか生き返り風が吹いて自国に送り届けられる、あり得ない理想世界、NowhereLand、其れが八犬伝世界なんである。

 南関東大戦に当たって里見義成が標榜した【仁戦】は、確かに「宋襄の仁」に見えるかもしれない。現実世界では、春秋左氏伝の如く、襄公は批判されて然るべきだ{但し春秋で襄公が守ろうとした者は礼であって仁ではないけれども、仁と礼は不可分なので、まぁ如何でも良いや}。

 論語に於いて、孔丘/孔子と子路の掛け合いは微笑ましい。匹夫の勇っぽいヤンチャさと純真さをもつ子路は、孔子に「シロや、シロ」と、犬みたいに可愛がられていた。「子曰、道不行、乗桴浮于海、従我者其由歟。子路聞之喜。子曰、由也好勇過我、無所取材」{公治長}。
 孔子は、「世に天道が行われないなら、いっそ筏に乗って何処か遠くの海へ乗り出そうか。そんな時でもシロは随いて来てくれるよね」と、珍しく愚痴った。何だか辛いことがあったんだろう。シロは嬉しそうに孔子を見上げ、ちぎれんばかりに尻尾を振った。続けて孔子は云った、「シロは私より勇敢だけど、筏を造る材料を集める術がないね」。筆者も犬が筏の材木を集める場面を見たことがない。シロは尻尾を垂れ、孔子を上目遣いに見ながら、キューンと鳴いた。
 己の信ずる理想を真に受けてくれない世に絶望し、孔子が愚痴る相手が、子路であった。「いっそ、おまえと二人きり、此の詰まらぬ世を捨て、粗末な舟で大海に乗り出そうか」。行き先は、ニライカナイか補陀落か、とにかく殆ど心中である。しかし天真爛漫な子路の脳内には、か弱い孔子を自分が雄々しく守り抜き東海の君子国へと辿り着く、一大活劇が思い浮かんでいた。欣然と見詰め返してくる子路の無垢な瞳に癒され、孔子は己の不明を恥ずる。癒されて立ち直り平常心/余裕を取り戻した孔子は、「二人っきりで隠棲するとして、世を捨てる勇気をオマエは持っているから随いてきてくれるだろうけれども、瞑想の裡に理想世界を想起するための知的材料すべてを私に与えてはくれないだろうね」と、からかった。愚痴り、からかう。孔子が心の根の部分で、子路に甘え且つ愛していたことが解る。依存し、依存されている。両想い、ってヤツだ。
 また、論語・先進は次の如く語る。「子曰、先進於礼楽、野人也、後進於礼楽、君子也、如用之、則吾従先進。……中略……子曰、由之瑟奚為於丘之門。門人不敬子路。子曰、由也升堂矣、未入於室也」。原点から離れるだけ原初の状態から劣化する、との観測経験からか、昔は、現代人は古人に比べ精神面で劣る、との下降史観があった。流麗な現代の音楽より稚拙で粗野な昔日の音楽を、孔子は選ぶ。音楽が演奏者の内面を映し出す、とのテーゼに依る。其の上で、或る日、孔子は子路に「私の弟子にしては琴が下手だな」と云った。孔子が子路にジャレ付いたのだ。しかし外の弟子は言葉通りに受け止め、子路を見下すようになった。孔子は慌てて云った。「子路が下手だと云っても、オマエら程ぢゃない。宮殿に昇って演奏するほどには巧い。ただ、天子の私室に招き入れられる程でない、と云いたかったのだ{……て、天子の私室に招き入れられると云っても、子路が琴になって全身をまさぐられ佳い声で鳴くってんぢゃないぞ、そ、そんな事は、相手が天子であっても、この私が許さんっ、はぁはぁ}」。善なる古人が奏でる野蛮な音楽の方が、浮薄な現代人が体裁よく演奏するより上等だ、と孔子は考えていた。……子路は恐らく真に琴が下手糞だったのだ。しかし技術の面では拙くとも、音楽が演奏者の内面を反映するものであるならば、子路の音楽は、愛すべきものであった筈だ、少なくとも孔子にとっては。愛らしいアイドルの拙い歌を多くの人が悦んで聴くではないか。愛される理由が、子路とアイドルでは違うだけで、愛する者の側から見れば、両者とも拙いけれども魅力的な演奏者であるに変わりはない{台湾の偶像組合S.H.Eは可愛いし歌も巧いので同日の論議は出来ないが}。
 だいたい孔子なんて、現象面のみで言えば、単なる犬好きな気のいいオッチャンに過ぎないだろう。いつも「シロや、シロ」と愛犬……ではなかった愛弟子を可愛がっていたし、礼記を読めば、何となく犬好きだったのではないかとの疑惑が浮上するのだ。
 大坂の陽明学者/大塩中斎も犬好きであった。彼は、孔子の飼い犬が死んだとき敝蓋で覆い葬った話を読み「なんちゅぅ仰山なオッチャンやねん」と嘲笑っていたが、実際に自分の飼い犬が死んだとき、初めて孔子の気持ちが理解できたと告白している{孔子之畜狗死、使子貢埋之以敝蓋、而貧無蓋、乃予之席、毋使其首陥焉、此所以語小天下、其能破焉也、而聖人於埋畜也、不使僕隷、而使高第端木氏、似甚過重矣、吾嘗疑之、乃因家犬死、而始覚使高第之不重矣、吁/洗心洞剳記・上}。
 太虚の獲得に努め錬成した中斎も、ペットロストに襲われたらしい。筆者にも経験があるので、痛いほど解る。中斎の元ネタは「仲尼之畜狗死。使子貢埋之曰、吾聞之也、敝帷不棄、為埋馬也、敝蓋不棄、為埋狗也、丘也貧、無蓋、於其封也、亦予之席、毋使其首陥焉。路馬死、埋之以帷」{礼記・檀弓}である。犬や馬が死んだとき敝帷を使うとか敝蓋を使うとか葬礼形式が問題なのではない。葬礼の執行を、信頼できる高弟に委ねた点が、孔子の畜狗に対する愛を伝えているのだ。
 そういえば、八犬伝第百六十六回にも走帆が死んだ折、親兵衛は「我聞唐山古昔の制度に狗を埋るに蔽蓋を以し馬を埋るに蔽帷を以すといへり。この事、礼記の檀弓に載てあり。蔽蓋は敗たるきぬかさにて、蔽帷はやぶれしたれ布也。有恁れども今我は旅にしあれば、然る東西なし。大袱はあるべきに、両箇許綴り合せて走帆の亡骸を裹せ給へ」と蘊蓄を傾けている。閑話休題。

 長々と孔子と子路のアヤシイ関係に就いて語ったが、此も筆者の深慮遠謀である{いやまぁ単に書きたかっただけだが}。武芸自慢で天真爛漫、人懐っこい積極的な性格で、孔子に寵愛された所から人好きする相貌だったと思われる子路は、政治の術に長けていた。政治力は、理想的には、相手を説得し仲間に引き込む人間的魅力を含有する。孔子に学んだのだから、知的水準も高かった筈だ。衛国の官僚として就職した。しかし、主君である輒と其の父との争いに巻き込まれた。敵兵の戈で冠の緒を切られた子路は、「君子は死んでも冠を外さない」と見得を切り、冠を正すうち殺された。巨田道灌は入浴時、扇谷上杉定正の配下に包囲され、道灌も帯を締めるうち暗殺された、と八犬伝も紹介し、道灌の最期を子路に重ね合わせている。

     ◆
[衛]姫姓。武王母弟、康叔封之所封也。後世至春秋、有霊公夫人南子之乱。子■萌にリットウ/■耳に貴/欲殺南子、不果出奔。公卒。立■萌にリットウ/■耳に貴/輒。■萌にリットウ/■耳に貴/入。輒拒之。子路与其難。太子之臣、以戈撃子路、断纓。子路曰、君子死冠不免。結纓而死。衛人醢子路。孔子聞之、命覆醢{十八史略・巻一春秋戦国}。
……………………
時に文明十八年七月二十六日、憲儀則一千五百の逞兵を従へて悄地に糟屋へ推寄て門戸を毀ち塀を破りて、短兵急に攻入りける。有恁る折しも道灌は、浴してありしかば、是を聞事遅けれども毫も噪ぐ気色なく、徐に湯盤を立出て身を拭ひづゝ衣を被て帯を結んとする程に、既に稠入る寄隊の軍兵、浴室の杉戸を蹴放ちて、鎗閃めかして、道灌の、骭を愚殺と刺す。然ども道灌敢仆れず、先其帯を結び果て、引抜んとせし敵の鎗の蛭巻楚と握禁めて、やをれ等ね一歌あり、と制めて又声高やかに、さま/\の莫妄想を容れおきし堪忍嚢今破れけり、と詠せも果ず鎗引抜て、吭を刺てぞ衝留ける。道灌がこの日の光景、在昔唐山、衛の仲由子路が戦歿の折、敵の矛に縫れながら兜の傾きしを正しけると、同日の談也とて識者は并て誉にけり」{第百八十勝回下編大団円}。
     ◆

 個人の行為レベルで見れば、劣勢であった宋の襄公が相手の布陣完了を待って開戦し大敗した事件と、殺気立った敵兵を前に子路が冠を正すうち殺された故事は、一般である。しかし、馬琴は前者を貶め、後者を高く評価している。恐らくは、多くの臣下に対し責任を負う諸侯と、より少ない影響力しかもたない大夫との差別により、評価が分かれたのだろう。周代は封建制であるから、諸侯は一定の独立性を保っていた{其れが故に春秋戦国となった}。独立性を有することは、重い責任をもつということだ。いつも己の理想通りに行動できるとは限らない、ってぇか出来ない。諸侯と大夫では、立場が大いに違う。諸侯である襄公は、より多くの臣下の生命を維持するため、渡河途中で体勢が整っていない敵を攻撃すべきであったし、遅くとも布陣を完了するまでに襲撃するべきであった。抑も、兵は詭道である。対して大夫/官僚に過ぎない子路の自由度は高い。まぁ家族・親族・郎党も路頭に迷うか殺されるけれども、諸侯ほどの犠牲は払わなくて済む。元より一つの命と総ての命に、価値の面では差はないが、量を以て軽重を測ってしまうのも、人間の悲しい性だ。人間は、純粋な獣でもなく、全く獣でないわけでもない{獣的側面のみ強調するムキは、構うことはないので、世のため人のため狩猟/マン・ハンティングの対象にすべきかもしれない、とも想ったりする}。
 加えて、前近代には、君主の家政と国家運営が、キッチリ分かれていなかった。財布だって、一つであった。自分個人の身を修め、家を和し、国を治めることは、同一直線上にあった。古き善き時代、国家さえ均一等質で濃密な小規模世界であった頃の、甘い思い出だ。恐らく数十万年に及んだ原始共産制の尻尾を、遅くとも秦代以降、二千数百年ばかり引き摺っていたんだろう。いやさ、まだ引き摺っているのかもしれない。天敵や外敵はいたとしても仲間内ではジャレ合い睦み合っていた甘い記憶と各時代相との落差が、即ち各時代で感じられる【社会矛盾】かもしれない。此の感覚が、和を尊重する精神ともなり、バカ同士が舐め合い利得を独占しようとする御仲間成果主義に堕しもする。人間は、獣ではないが、獣でもある。時代によって理想/中庸は変動するであろうが、とにかく両極端ではない。
 現代に於いて国家レベルに一個の家庭論理を持ち込もうとする者は則ち、家庭という甘やかな響きを悪用し以て国民から搾取せんとする悪辣暗愚のスットコドッコイに違いないのだが、前近代にあっては、君臣ともに家庭の倫理を公に持ち込んでいたと思しいため、比較して罪が軽い{尤も公の側面ではなく私の側面では家庭の論理を社会へ敷衍する事が、あながち間違いとも限らない}。即ち、前近代では公私の区別が現在よりも曖昧であっただろうから、襄公と子路の行為を、同一直線上に認識するも、可だ。結局、結果の深刻さ度合いで、襄公と子路の評価が分かれるのだが、動機は同一である。
 左氏伝は結果に重きを置き、公羊伝は内面動機のみ切り取って論じている。筆者が左氏伝を現実主義、公羊伝を理想主義と断ずる所以だ。付言すれば、世の中、実際には【結果論的現実主義】のみでは理解できない。例えば、Aの行為によりBが死んだ場合、殺意もしくは未必の故意があれば殺人罪が成立する。そうでなければ致死罪だ。前者なら最悪の場合、処刑される。後者ならば、書類送検の上、猶予刑で済んだりする。Bの死という「結果/現実」は同じであっても、内面動機によって、量刑には雲泥の差が開く。此こそが真の【現実】なんである。肉体側面のみならずココロの側面を統合してこそ、人間である、と広く観念されているからだ。

 八犬伝読者は現実を生きている。八犬伝は現実ではない。稗史を読むとは、取りも直さず、現実と理想の狭間に身を置く、互いに行き来する行為である。読者が現実に根を下ろしているならば、稗史は理想に肩入れせざるを得ない。此こそ稗史作法、勧善懲悪の理である。理想なんて真に受けちゃいない、でも信じたい。

 南関東大戦に当たっての里見義成に対する道節諫争は、現実と現実の狭間にある稗史世界の特殊事情を暴き出して余りある。対立する理想/義成と現実/道節は、何連も是である。義成は善であり、道節も正しい。実の所、「対立」ではなく【擦れ違い】であって、隣尾判官と姥雪代四郎との問答と、似通っている。また、義成に対峙して現実を代表する道節は、一旦は死んで埋葬されたくせに甦ったり、火焔に身を投じて火傷もせずに立ち現れたり、ほぼ在り得ない存在であって、大出太郎に化けたり甘利兵衛尭元に化けたり、素性を隠して毛野と出逢ったりと、深編笠が似合う百日髷の男前だ。
 道節は、【虚の犬士】なのだ。虚の犬士であるにも拘わらず、道節はイケシャァシャァと現実を代表する。云はば、道節の存在自体が、理想と現実、もしくは虚・実の流動を、明示している。筆者は馬琴を「江戸の大変態」と形容してきたが、此処で【天の邪鬼】との尊称を加えよう。
{お粗末様}

 

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