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■犬士の女性化を廻る若干の問題点■

 殿村篠斎は南関東大戦後の犬士配置に就いて、以下の如き推測を披露している。

     ◆
大全のおき所ももちろんながら又妙也大田木の実録なるいふ迄{/占}無し八犬士の城地(じようち)采邑云々なれバとて皆安房にてなるそのことわりハ元よりにて猶八犬を遠近(えんきん)とわくべきならじ親兵衛が館山云々げにこれハもとよりうごくまじき所也其余ハ那古(なこ)さてハ小長狭(こながさ)こ連らも又動(うご)くべからず其外にハ信乃が東条これ何とやらんよしある心地ぞセらるゝそのセらるゝといふよしハ八犬士いづれをいづれとわくべくハあら子ども信乃ハ第一番に出てさてそのすべての人がらヽ大が大輔たりしをりの人がらに何となくおもひよそへられて大輔冨山にて死したるにもあらバ其後身(こうしん)ともいふべき心地す又浜路の因(いん)よりにハあれどかの猿石(さるいし)の条にはやく浜路姫との赤縄(せきじよう)は結ばれありともいふべしかゝ連バかの大輔に伏姫をめあはセ聟(むこ)として東条の城主たらしめんと義実がおもひし内志(ないし)何やらんほうふつととぐるに似(に)たりと見て信乃が東条をよしありとおもはるゝハ例の独(ひとり)がてんわらひのた子にと筆にまかせつ道節が朝(あさ)夷(ひな)もかの快人(くわいじん)にあへりといはんか志かおもひつめて見れバ御厨ミくりや)も何やらん大角にふさはしく犬懸(いぬかけ)神余(じんよ)もはや一つ二つ也そも神余のかたがどこやら智玉によかりさうにもおもはる連どかくセられたるハおのれらが思ひ及バざるきつかけ有ての事にも有べし
     ◆

 さすが四知音の一人だけあって、説得力のある考察となっている。信乃が東条城主になることへの評に、馬琴も「当連り」と答えている。篠斎の評は、里見義実が金碗大輔に対し伏姫の婿にした上で東条城主にする内志をもっていたことと、最も早く登場し浜路と赤い絆で結ばれた信乃が東条城主となることを結び付けるものであった。
 筆者としては、信乃が伏姫を髣髴とさせるためにこそ女装し与四郎犬と睦み合った作中事実、及び、信乃の名が孝戍であり金碗孝吉・孝徳に繋がる点をも挙げたいところだ。男子でありながら女子であった信乃は、独りで伏姫とヽ大を象徴していたとも見える。流石に女装を解いた後には、信乃の女性性は許婚の浜路に引き継がれ、漸く二人して夫婦の体裁を整える。且つ、信乃・浜路が許婚同士でありながら一度は引き裂かれる悲劇は当然、{親が勝手に定めた}許婚同士である伏姫・大輔が引き裂かれた事実と重なり合っている。信乃が東条城主となるに、筆者は異論を持てない。

 ただ馬琴は、篠斎に対し「都て八犬士の領地ハ強て説をなすときハ鑿評にならさることなし古ゝらハ評なきか反ておくゆかしき也」と釘を刺している。八犬士全員が何等かの因縁あって領地を定めたのではないのだ。八犬伝読みとしては、犬士全員の落ち着き先に理由があると思いたいところだが、如何やら馬琴も其処までは考えていなかったらしい。

 また、「八犬伝篠斎評結局下編下」には以下の考察がある。

     ◆
八犬士おの/\児子(こども)ありてそれ/\二世犬士として又おの/\必ず立(た)つへき本姓(ほんセい)をもたて継(つぐ)べき家をもつぎ女子ハたがひに配偶(はいぐう)或ハ因(いん)あるに嫁(か)しなどかくあるべきハもちろんの事ながら猶その間配(まくはり)の動(うご)き無くおもぶきあるくはしいかな犬山が二男落(おち)鮎(あゆ)が壻(むこ)となり二女子ハ十条二人の妻(め)とな連るげにかゝるべくかゝるべし三男ハ出家を好ミ念戌の弟子となりて延命寺の三世とな連る奇妙也おもしろしおもへバいかにもヽ大の法脈(ほうミやく)ハ犬氏中よりも嗣(つぐ)べき也犬氏中いづれにてものやうなれど是又おもへバいかにも道節の子が動(うご)くべからぬところといふべし道節が気性(きセう)のきすくなるのミならず一時(いちじ)の謀計(ぼうけい)にハ有なれど寂莫道人(じやくまくどうじん)と称(しよう)して有髪(うはつ)の沙門(しやもん)たりし因(いん)をも自然(しゼん)に結ばれたるにやあらんおもしろし/\猶此道節の子の出家ハ道節へかけて今一段深趣(しんしゆ)もあるかとさへおもはるゝ事もあるやうな連どそこまでハ見過(ミす)ぎにていはゆる過不及(くわふきう)かへりてセんさく理論(りろん)になりもやセんよりてそハ筆をつひやさず犬川が一女子を蜑崎が孫嫁(まごよめ)げに蜑崎ハ犬士に因(いん)深し此一縁(いちえん)にて其因も結びつきたりともいひつべし扨それらハそれらにて犬氏たがひの配偶(はいぐう)に犬山犬阪とハ其事無し女子たらざるにハあらず犬江大八犬塚番匠那古小七郎と二重(にじゆう)にあまりてあり志かセられしハいかならん深き意もありや志ら子ども先づおのれら浅く見るところにてハあまりにこと/\く揃へつくされてハ事をそなへ過(すぐ)るになりてかへりておもぶきあらぬゆゑ少しく有余(ゆうよ)不測(ふそく)をばつけおかるゝところあぢはひなるべくおもへり其あぢはひハいかにもなれどさしもそれ/\取(とつ)たりやつたり上都(じやうつ)合(がふ)なる中に山阪二氏のミ■女に息/(よめ)の無きハ何とやらん遺(い)憾(かん)のやう也政木蜑崎その外にても似合(にあは)しきがあらまほしとおもはるゝ意も無きにハあらぬは猶そなハらんをもとむるならんか■女に息/(よめ)無きのミならず犬氏中へ■女に息/にやるも無く二氏を別にせられしハ猶意ありてにやと眼(め)もとめらる連どさる事も有べくあらず二よに取やり無きハ自然の欠(かけ)にて三世にて其おぎなひハ又自然に有にてあるべし
     ◆

 馬琴の答は、道節の三男が出家することに就いては「古の評尤的中たり作者に代りていふか如しかへす/\も知音なるか那」、犬川家と蜑崎家の婚姻に対する疑問に対しては「犬川蜑崎ハ旧族なる事第二輯見えたり評翁忘れら連たるらん」、犬山・犬阪家のみ犬士家系の娘と婚姻しない点には「評翁の言の如し精粗の筆と見る者則知音といふへし」、第二世代で通婚しなかった犬山・犬阪家が第三世代で婚姻を実現するのだろうとの予測に対しては「是ハ理評なり八犬士各其子女を交易して他を交へぬ事やあるこの後二世の犬士に要なけ連ハ要ある者を志るし要なき者を漏したるハ是も精粗の筆と見るへし」であった。

 なるほど八犬伝表記に拠れば、犬士第二世代の婚姻は、親兵衛・信乃・小文吾の三系統が、組んず解れつ絡み合い、信乃・荘介の二系統、現八・大角の二系統が各々結ばれる。道節・毛野の二系統は他の犬士系統とは交わらない。此の不均衡もしくは偏向に、何等かの意味を見出したくはなる。暗黙の裡、犬士同士は緊密に結び付くべきだとの前提に、八犬伝読者が囚われているからだろう。だからこそ、偏向が気になるし、篠斎は第三世代では犬山・犬阪両家も他犬士系統と婚姻すると推測した。
 しかし、馬琴本人の意識は、よりイーカゲンである。「別に犬士の家同士でのみ婚姻しなくても良ぃぢゃん」「だいたい八犬伝世界の総てを書いてるワケでもないんだし」。なるほど、尤もである。

 結局、八犬伝の設定は、個人および個人間のレベルまで総てをガチガチに定めているものでないと判る。城地に就いては、信乃が東条城主になることは動かないけれども、他犬士総てが何かの因縁により城地を決められたわけではない。
 また、婚姻関係の面では、抑も総てを書いているわけではなく、婚姻関係によって家同士の関係を表現せねばならないものだけ表記されていると思しい。「精粗の筆」である。
 裏返せば、信乃・親兵衛・小文吾の三家、信乃・荘介の両家、現八・大角の両家は、婚姻面で結び付く必要があったことが、強調されている。また、道節・毛野の両家は、犬士同士の姻戚関係から外れていても構わない{必要がないから書いていないだけで婚姻関係を結んでいないとは断言できない}。
 犬士系統同士の婚姻は九組で、現八の息子・娘が大角の娘・息子と、大角の娘と小文吾の息子、信乃の息子・娘と荘介の娘・息子、信乃の娘と小文吾の息子、信乃の息子と親兵衛の娘、小文吾の娘二人と親兵衛の息子二人、である。即ち、現八・大角、荘介・信乃、小文吾・親兵衛は二本の絆で結ばれ、大角・小文吾、小文吾・信乃、信乃・親兵衛の絆は一本だ。二本の絆で結ばれている三組は、何となく納得できる。物語上、関係が深い。しかし、それだけではなさそうだ。

 例えば、荘介・信乃は、最初に登場して出逢う犬士であった。信乃・荘介の馴れ初めとなった行水シーンは甚だ艶っぽい{第二十回}。金碗大輔に代わり東条城主となる信乃は、女性形態をとる少年期には伏姫の写し身、成人後は大輔に庶{ちか}い存在だと思しい。即ち荘介に促されるまま一糸纏わぬ姿となった数えで十一歳の時点では、まだ伏姫の写し身であった。
 凝脂を洗う全裸の美少女/信乃を凝視する荘介……肌身を晒すのだから暗黙の了解があると思われ流石に真っ昼間なので其の場では遠慮したとしても夜には忍び込んで……とまでは云わないが、荘介/下僕と信乃/主の親族との関係は、家臣と姫君に擬するも可であり、此の時点で信乃は伏姫の写し身だから、荘介を金碗大輔に擬してもよかろう。セクシャルな行水場面は、伏姫と大輔の、実現しなかった睦み合いを思い浮かばせる。こうした事情で、信乃・荘介両系統の婚姻は、伏姫・大輔の婚姻を{二世代後に}実現していることになろう。但し、荘助は虚花であって、伏姫が選んだ夫/八房を直接に表現し得る房八……其の房八の霊が憑依していると思しい親兵衛と、後には配偶する。南関東大戦で二人はベタベタしているし、ペアとなって四天王像{東/持国天}を構成する。信乃は、伏姫と金碗大輔を共に象徴し得るアンドロギュノスである。
 ならば小文吾・親兵衛両家の緊密な婚姻関係は、伯父・甥の関係故というより、若くして横死した沼藺・房八夫婦の再現と考えるべきか。誤って殺し合った、那古七郎・杣木朴平の更なる和解を含めても良い。

 だとすれば、現八・大角の二本絆は如何に説明し得るか。過去の満たされざる婚姻を復活させることが目的ならば、現八が雛衣に擬せられているのか。恐らく、そうではない。抑も過剰な男性性を有する現八を女性化するなんて不可能だ。大角・雛衣の満たされざる婚姻は、里見家の鄙木姫との配偶で埋め合わされた。信乃・浜路の場合と同様である。
 現八の女性化は無理だが、大角なら如何だろう。大角は穏やかで知的な色白美青年である。信乃・荘助の関係でも、許嫁のいた信乃こそウケ……女性/伏姫の側を象徴した。妻のいた大角が、女性化すべきだろう。
 しかも大角は、臀部の痣を見せるため、入浴シーンを現八に覗かせた{第六十七回}。荘助の目の前で美しい裸身を晒し凝脂を洗った信乃の描写を思い出させる。一応、大角入浴シーンは、重耳/晋文公の説話を引いた……よう馬琴は思わせたがっているようだが、イーワケに過ぎない。重耳は亡命先で衆人環視の中、裸に剥かれ嬲られ、辱められた。入浴シーンを覗かれ、怨みを抱いた。覗いた曹君は後に重耳に攻め滅ぼされた。曹国で唯一、重耳を大器と見抜き丁重に扱って食物を捧げた釐負羈だけは攻められなかった。此の説話の要点は、恩を受ければ感謝する/侮辱されたら復讐する、ぐらいの所だ。作用・反作用の法則、順逆の理を説く韓非子の逸話である{→▼原文}。則ち此の説話は、裸身を見られることは、一国の滅亡を以て購わせるほど激烈な復讐が許されるほどの、辱めであることを示している。実際には肋骨ぐらい、見せても減るもんぢゃない。そんなこと云っていたら、銭湯にもプールにも行けない。しかし、重耳にとっては、最悪の陵辱だったのである。
 重耳の被辱説話は、八犬伝第三十三回、薄暗い部屋で小文吾が白く豊満な尻を現八・信乃に差し出したとき、淮南子{→▼原文}から引かれて語られた。語った信乃は、片肌脱いで自分の痣を見せ、犬士の証とした。元々信乃の痣は腕だから、片肌脱げば十分に見せられる。しかし、荘介に対しては、わざわざ全裸になった。馬琴が、片肌脱ぐ状況、いやさ袖をたくし上げる状況さえ書けば、信乃の痣を荘介は認知できた。にも拘わらず、馬琴は女装子信乃を一糸纏わぬ姿に剥いた。セクシャルな目的がなかった訳がない。やはり信乃の入浴シーンは、荘介とのセクシャルな関係、即ち伏姫・大輔の実現しなかった婚姻を、埋め合わせようとするものであった。
 自ら申し出て入浴シーンを現八に覗かせた大角は、第八十五回、穂北で道節らに再び痣を見せた。が、「衣領を推開きて、左のかたなる乳の下より、腋の辺に及びたる、痣さへ這折見せしかば」とあって、何故だか痣が移動し、片肌脱いだだけだ。ヤンチャ系の小文吾が豊満な尻を堂々と差し出してくるのも可愛らしくて結構だが、大和撫子然とした大角が恥じらいながら白く引き締まった尻を曝す、深く抉り込んでくるような色気を発する場面を期待した読者は、一斉にガッカリしたことだろう。筆者はガッカリした。
 いや、そうではなく、理想的大和撫子の如く自制心が強く男性性の淡い色白美形/大角が、過剰な男性性を有する現八とペアリングするとは即ち、大角を現八が掠奪する物語でもある。現八の過剰な男性性を一般レベルまで低下させるほど両者の男性性を抜き出せば、大角を女性化させることになる。
 山里で許嫁との性交渉を避け仏道修行に没頭する大角は、伏姫の写し身となっている。此の場合は、八房犬ならぬ山猫/偽一角が、大角を世間から隔離し抑圧する役割を担う。雛衣は大角の女性性を象徴しているか。金碗大輔ならぬ現八が現れ、山猫に射掛け重傷を負わせる。但し、山猫は大角の維摩行で悔い改めたりしない。雛衣の切腹は、伏姫の切腹と淡く重なる。雛衣の胎内から飛び出したものは、八犬士の気ではなく一個の礼玉であった。伏姫の切腹と同日には論じられないが、無関係でもないだろう。雛衣の死は、大角の女性性が一応は消滅したことを意味するか。
 現八側から見れば、八房犬ならぬ山猫/偽一角を、鉄砲ならぬ弓で射る。抑圧されている大角を救い出し、南総に向かわせる。八房の妻となって富山に籠もる伏姫を解放することが、金碗大輔の志願であった。伏姫も大輔も知らなかったが、二人は里見義実が{勝手に}定めた許嫁同士であった。伏姫を救い出せば大輔は、伏姫と、社会的に許容されたセクシャルな関係/婚姻を結ぶ筈であった。

 入浴シーンを【覗かれる】ことは最悪の恥辱であり陵辱だ。レイプである。罰するに、国を亡ぼす残虐を行うが相当なんである。対して【覗かせる】ことは、陵辱の許容であり、真っ当な男女間なら、婚姻しかあり得ない。レイプの和姦化である。入浴シーンの窃視は、交合と紙一重のセクシャルな場面だ。「いと艶なるは、師直が塩谷の妻に掛想して、那出浴を偸見る条こそ堪られね」{第百三十七回}である。
 凝脂を洗う大角を凝視する現八。しかも視線の先は、引き締まった白い尻である。尻はセクシャルなイメージを立ち上げる部位だ。男性に産道はないが、大便道は産道と一寸{いっすん}すなわち三センチすなわち一寸{ちょっと}しか離れていないのだから、相手を女性だと思い込めば余り違和感なく性的使用も可能だろう。大角は、男女共有の性器を現八に曝したことになる。交合/婚姻の隠喩であろう。このとき大角は女性化しており理念上、伏姫として、荒らび男/大輔に擬された現八を、受け容れたと思しい。勿論、あくまで「理念上」の概念操作であるから実際に、現八が荒々しく大角にのしかかり姦した場面は、想像しなくて宜しい。

 大角と現八の遭遇が、伏姫と現八の満たされざる婚姻を修復するものであるならば、雛衣の存在は、微妙なものとなる。雛衣の割腹は伏姫を連想させる。しかし同時に、大角を愛しつつも偽一角と姦通したと決め付けられ死に追い詰められた雛衣の姿は、既に菩提心を発し伏姫に殉じようとしていた八房が、邪悪な者として大輔に銃撃され滅多打ちにされて殺された悲劇をも彷彿とさせる。大輔の原罪は、伏姫への過失致傷のみではない。後に八房は房八として、悪人を演じた挙げ句、小文吾に斬られた。結局する所、伏姫の悲劇は、換骨奪胎、手を変え品を変え時には逆転しながらも、表記されていくのだ。
 
 結局、荘介・信乃および大角・現八系統の婚姻は、実現しなかった伏姫・金碗大輔の配偶を、親兵衛・小文吾系統の婚姻は悲劇に終わった房八・沼藺の配偶を、満ち足らせるためのものであったと、筆者は考えている。城地は城地、婚姻は婚姻で埋め合わせる。其れが馬琴流の、稗史作法であったのだろう。{お粗末様}

……………蛇足……………

 一本の婚姻絆で結ばれているのは、小文吾・大角、信乃・親兵衛、信乃・小文吾だが、うち二つが玉眼関係に含まれている。玉眼でのみ繋がるのは、現八・荘介、そして毛野・道節だ。
 婚姻{と玉眼関係}で、信乃・親兵衛・荘介・小文吾・現八・大角の六犬士は繋がる。玉眼関係で、道節と毛野が繋がる。そして当然、信乃と道節は物語序盤で既に繋がっている。誰が何と云おうと、前浜路は、道節の妹/義妹だ。反論は認めない。信乃は道節と元々繋がっている。浜路姫は信乃の縁者だが、前浜路は道節の義妹だ。浜路姫と犬山浜路は、霊的に同一人物である。浜路を介して信乃と道節が姻戚関係を結べば、結局、八犬士全員が繋がることになる。
 玉眼関係と婚姻により八犬士全員が繋がる。叙述の順序からすれば、まずは玉眼関係により結び付け、足らぬ部分を婚姻により埋め合わせ、且つ二組目の婚姻を記すことで、馬琴は、伏姫・金碗大輔の満たされざる婚姻を購ったのだろう。更に復た惟{おも}うに、婚姻と玉眼関係の絆を線描すれば、道節は信乃・毛野へ一本ずつ計二本、親兵衛は小文吾と信乃へ二本ずつ計四本、小文吾は信乃へ一本と大角へ二本を加え計五本、大角は小文吾・現八に二本ずつの計四本、現八は荘介へも一本あって計三本、荘介は信乃へ二本あって計三本、そして信乃は最大数の計六本。一億人の恋人である信乃が最大数の絆を有しモテモテである所以は、やはり伏姫の写し身である点が影響していよう。同じく写し身の毛野は一本と単独最小数であるが、此れは信乃と、女性の優美さと冷酷さを分け合っていることが関係しているか。
 馬琴の用心、恐るべし。{お粗末様}

          親兵衛−−−−
           /    |
      {婚姻・玉眼} {婚姻二組}
         /      |
道節−{浜路}−信乃−{婚姻}−小文吾−{婚姻・玉眼}−大角−{婚姻二組}−現八
 |       |                            |
{玉眼}  {婚姻二組}                        {玉眼}
 |       |                            |
毛野      荘介−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 

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