■報われぬ恋■

 真葛の言に、気になる点は多々あるが、幾つかに触れよう。現代に於いて甚だ酷く誤解され得る議論としては、例えば、以下の如きがある。

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又聖堂を物しり人のつどひ所として考えを極めしめ国々なる学校もそれに準へて考をたてまつる箱をすえて貴賤をえらまず考をたてまつらせ彼是を照し見ば国の益となる事多からんとおもはれしは婦人の了簡に過ざることながら、あまりに浅ましうて、とかくをいふべくもあらず。おごそかなる考へといはるゝは紅毛などのえみしどもが精細なる工夫をたふとまるゝ故なるべし。これらのひが事なるよしは、上にあげつらひたれば、こゝに省きつ。およそ学の窓によるもの誰レか虚々として光陰を送るべき。まいてその職にあるとある刀祢ばら誰かおもふことなく考ることのなからん。しかりとて貴賤をえらまず考をたてまつらせて、よきをえらみて政の資とせば、国の益にはならで政を淫すのはし立なるべし。この故に孔子ノ曰、民可使由之不可使知之、又曰、中人以上可以語上也中人以下不可以語上也、これらの教は注釈を待ずして大かたはしらるべし。すべて事を商量するに多人数なれば衆議繽紜として一致せざるものなり。まいて民に政事の助言さすれば忌ミ憚る所なし。されば民には王者の恩徳に由しむべし。その恩徳をしらしむべからず。上その恩を恩とせざれば民■白に皐/■白に皐/如としてその徳に由ざる事なし。何ぞ民の智を籍て政の資とするよしあらんや。又中人以上とは賢才の学者をいふ。中人以下とは庸才の学者をいふ。上とは聖賢の事業なり。その材に勝ざるものは聖賢の事業を語るも益なし。まいて政の助言して可ならんや。思はざること甚し。
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 戦後の或る時期、人々は、何とかの一つ憶えみたく、とにかく「民可使由之不可使知之」を引用し政府の【秘密主義】を批判した。まぁ批判した人々の多くは論語すら読んだことがなかったんぢゃないかと筆者は疑っているけれども、其れは措き、当時の自民党政権に対する此の批判は正当なものであったのだけれども、馬琴に対しては如何か。注意せねばならぬ点は、孔子でさえ、「中人以上」には政治を語る事を許している。飽くまで、「中人以下」が好き勝手に語って議論を掻き回すことを禁じているのみだ。君主一人に政策決定過程全般を委ねているわけではない。「由{よ}らしむべし」「知らしむべからず」は、思考する資格の無い者を対象としている。此の主張を否定する者は即ち、日本国憲法を否定する者である。
 現在日本の国体は、参政権を成人にしか認めていない。且つ、国民に義務教育を課している。其れなりの知識・経験が無いと看做される者には、参政権を認めていないのだ。馬琴の主張を、「民可使由之不可使知之」、字面から単に近代以降かなり歪曲されて喧伝され政治的に否定された文字列を掲げ以て、乳幼児にも参政権を認めろと言い募る薄っぺらい頓珍漢に違いない。筆者は反対する。
 馬琴の主張は単に、【其れなりの見識がある者こそが政治を議論するべきだ】との甚だ穏当なものに過ぎない。其れを恣意的に、さも【議論一般を否定し絶対権力に服従せしめる性向】だと歪曲して決め付けるは愚か此の上ない。「其れなりの見識」は、なるほど馬琴の場合、現在の義務教育修了レベルよりは高いだろう。しかし、見識による限定はあっても、孔子や馬琴は、議論そのものは認めている。抑も孔子は、ほんの一時期しか権力側ではなかった。放浪しながら議論を重ね、権力に対し外部から、己の理想を主張し続けた。権力の恣意的行使から、最も遠い知性である。「民可使由之不可使知之」は単に、衆愚政治を批判しているに過ぎない。にも拘わらず、権力の恣意的行使の謂いであるとの、それこそ衆愚を惑わし日本を衆愚政治に貶めた議論は、孔子テクストを歪めた上で引用しているのだから、抑も不当な誹謗中傷だ。単に政治的歪曲に過ぎない。意識したや否やは別として、「民可使由之不可使知之」を恣意的に誤用した議論が、衆愚政治に堕した道行きを後押しした。唾棄すべき、穢らわしさだ。

 抑も真葛の議論だって、別に普通選挙を主張するものではない。「聖堂を物しり人のつどひ所として考えを極めしめ国々なる学校もそれに準へて考をたてまつる箱をすえて貴賤をえらまず考をたてまつらせ」と甚だ限定されている。此の時点で、普通選挙を実施できていた国は、革命を経たフランスだけである{しかも女人禁制}。真葛が主に参照したロシアなんざ、帝政であった。真葛が政治的発言を許した対象は学問をして「其れなりの見識」を有する者に限られていた。しかし例えば、江戸幕府に於いて、真葛の発言から百数十年遡り、里見家の血脈に連なる/八代将軍徳川吉宗は巷間から意見を募った。学者に限ったものではない。近代、「目安箱」と称されたパブリックオピニオン公募である{但し現在のパブコメ/予め政策を決定しているくせに市民の意見を聞きましたとのイーワケ、とは全く違い、小石川療養所など実際の政策に直接反映されたものもある}。
 実のところ真葛だって、「民可使由之不可使知之」の域に留まっている。武家奉公の経験からか町人出身の女性に根深い不信感を抱き、町人に憎まれているからこそ武家が経済的に困窮するのだと、御門違いな議論をする真葛と、町人の立場に立って反論する馬琴。何連が民主的な思考が可能であるか、自明であろう。にも拘わらず馬琴は、自分と似たような意見/高度な見識を条件に政治的発言を許す主張をした真葛に対し、何故に、いきり立って反論したのか。二人の論は実のところ、然程に懸け離れてはいない。

 多分、真葛に対する先入観が原因だ。例えば真葛は、ロシアの婚姻が両性の合意にのみ基づいて成立するとか、ロシア皇帝でさえ武家ほどの護衛を引き連れていないとか云って、日本は閉鎖的だと歎いている。なるほど当時の西洋は、より現在に近い社会ではあった。日本の武家に供人が多いことは渡辺崋山も指摘している。
 確かに筆者も、両性の合意に基づいてのみ婚姻は成立すべきだとは思う。しかし一方で、暗黙の了解として【良識ある両性の合意に基づいてのみ】と読み替えるべきものだろう。我が光輝ある国体では、本人の自由意思による婚姻は、成人であることを条件としている。良識なき両性の合意に基づいて婚姻した挙げ句、生まれた子供を虐待するなぞ以ての外だ。惚れた腫れたと熱狂のうちに婚姻したは良いが、熱が冷めて文字通り冷戦状態となる夫婦も多い。筆者の経験では、互いに我慢を重ねて相手を認める努力を積むうち、愛情は育まれる。弾けるような熱狂的愛情ではないかも知れないが深く強いものとなる。台湾偶像組合S・H・Eの歌う我愛雨夜花は絶品で特にEllaの声が素晴らしいのだが、歌詞はと云えば、媒妁人もしくは仲人を通じて娶された夫婦が、協働するうち深い愛で結ばれたっていぅ、老人の思い出話だ。筆者としては納得できるストーリーである。自由は大切だが、無秩序は個人の福祉に役立たない。一定以上の階層は媒酌人を立てて婚姻するべきだとの考えが染み付いている馬琴には、自由恋愛を説く真葛が無秩序な社会を望む方向性を有すると、思い込んでしまった可能性もある。なにせ真葛は、ロシアで「よき人の女もしばしたはれめのごとく多人を見せしめ其中に心のあひし人を妹背とさだむとなん」ことを「うらやましくぞおもはるゝ」と云っているのだ。真葛としては、西洋では貴族女性が舞踏会などに足繁く出席して社交界で彼氏を見つけることを云っているのかもしれないが、「たわれめ/戯女」なんて語彙を使っているため、ロシアでは相手構わず姦りまくった挙げ句に漸く正式な婚姻を結ぶよう聞こえる。只でさえ物堅い馬琴に、如斯き不用意な発言は厳に慎まねばなるまい{とはいえ独考を執筆した時点で真葛は馬琴の性格を知らなかった}。
 実のところ、少なくとも真葛の述懐に拠れば、二度目の結婚生活は、相手に恵まれていた。とっても善い漢だった。思い遣りがあり、病に伏した義父の工藤平助を気に掛けているし、平助を心配する真葛気にも心遣いを忘れない。強く束縛したようにも感じられない。但し早死にした点が残念であった。此で自由恋愛に憧れるなぞ贅沢ではないか、と思ってしまう。まぁ若い頃に嫁いだ夫は既に老人で色々不満はあっただろうが。閑話休題。

 真葛は、「聖堂を物しり人のつどひ所として考えを極めしめ国々なる学校もそれに準へて考をたてまつる箱をすえて」と、教育を受けた者のみに政治的発言を許すと限定しているし、馬琴だって別に権力の恣意的行使を認めているわけではない。但し、「其れなりの見識」のレベルは恐らく、馬琴が求める方が高い。馬琴からすれば、有象無象の「学者」なぞ、見識不足であった。見識不足の者に議論させれば、掻き回されるだけだ。参政権に必要な見識を低める努力は即ち結果として、決して民主主義ではなく、単に衆愚に堕とし、例えばテレビ番組などを通じて、社会心裡を得て勝手に引き摺り回そうとするものとならざるを得ない。馬琴は市井にあって、当時の教育体制に於ける一般的レベルを知っていたし、不十分だと感じたからこそ、「国々なる学校」にまで政治的議論を許そうという真葛の意見は即ち、不見識な者にまで政治的発言を許し無秩序状態に導く危険な考えであった。前に引いた如く、馬琴の認識では、「国々の学校」に通った筈の陪臣なんざ、文盲が多くて危なっかしいのだ。
 更に云えば、馬琴は独考論で「論者曰、余は嘗忌諱に触ることをいはず。まいて筆に載することなし。よに賎して貴きを犯すものは、枯レたる木をもてもゆる火を打がごとし。事に益なきのみにあらず、亦殃危を取るのはし立なり。しかれども今、独考をあげつらふに及びて、おぼえずして犯すことあり。只その作者の需に応じて、他見を許すものならねども、なほ群小の慍を懼る。秘よかし。作者の惑ひを解ことあらば、小補なしとすべからず」と、幕府の言論統制を鮮明に意識していた。経世済民/政治を説きつつ、真葛に口外しないよう念を押している。もう一度云おうか。馬琴は、経世済民/政治を論じているのだ。厳然たる事実である。此の事実を目の当たりにしつつも、馬琴が民間に於ける政治的論義を本気で否定していると主張するは、単なる統合失調に過ぎない。孔子に至っては、単なる放浪の老人の分際で、偉そうに政治倫理を論じているではないか。本来の儒学で、議論そのものは肯定されている{ってぇか儒学は政治倫理を中心的話題としている}。
 抑も馬琴は、{水滸伝からの流用であるが}傾城水滸伝でも聚議堂を設置している。聚議とは衆議に外ならない。一揆集団の総意を決する場だ。しかも勇婦たちの総意は、政権への抵抗行動として示されている。主張する所の者は、佞女・奸臣の排除である。臣民としての諫止行為だ。無法な政治的議論/プロテストに外ならない。
 また馬琴は、真葛が独考で提出した不思議現象「秋の比ほひ海上の水際にいとさゝやかなる羽虫生じて其身にほたるのごとき光あれど勝て小虫なれば眼にさへぎらず多くつどへば白く火のほのたつがごとし。筑紫のしらぬ火、是なり。龍燈とて海中より火の玉出て堂又は神木の枝などにかゝるといふも則此虫のわざなり。奇とするに足らず。まへに小虫すら多くつどへば燈をあらはすといひしはこの事なり」との記述を「いとあたらしくてよし」と誉めている。「憖にふさはしからぬ経済のうへをあげつらはんよりかゝるすぢを多くあつめて物にしるしおかば後々までも伝るべし」であるから、政治経済を論ずるより、猟奇的珍現象を紹介した方がライターとしての業績が残る、との助言だ。実は馬琴、独考は否定したが、真葛の紀行文は高く評価し出版を勧めている。
 しかし真葛が「筑紫のしらぬ火」を独考で書いた所以は、「まへに小虫すら多くつどへば燈をあらはすといひしはこの事なり」から明らかである。真葛は、此の不知火現象を念頭に、以下の如く書いた。「さだかにおもひとりし事の有ても同じ心ならぬ人に語るは徒なるあげつらひのみ起るゆゑ心にのみこめて朽しはつることも多からんをおのも/\もて出て奉るべき事なりける。心を起して考を極る人いや増々につどひつゝ百万人の智をまとめて国の益をなさばしもなるこがね争いくさ心も治りしづまりつべし。おごそかなることもて公よりおさせ給はゞ下はひし/\とこそならめ。小虫すらおほくつどへば燈を顕すときくを人としてもだしをるべからず」。
 真葛は、武家出身の女中として町人出身の女中と敵対した。個々人が相手より上に這い上がろうと足掻く自然状態を正確に認識してもいた。其の上で、万人が万人に敵対するのではなく、万人が【公共】にこそ向き合い、より善き高みに昇ろうとしたとき、無秩序な闘争状態が解消し社会が整然と調うと喝破している。三百字にも足らぬ文章だが、理想的な民主政体を表現できている。実のところ真葛の独考は全体として、なかなかにレベルの低い【偉そうなオバチャンの戯言】なんだが、此の一文を以て、近世女性思想のうちでも傑出した位置に就く。いやさ現在の自称思想家で、此処まで潔く民主政体を肯定できる者の在るや否や。元来、民主政体とは「心を起して考を極る人」が蝟集して成立するものだ。一人一人の存在は取るに足らぬ「小虫」かもしれないが、寄って集れば「燈を顕す」。此れぞ我等が光輝ある日本国憲法が提示する国体である。
 ただ一瞬の煌めきこそあれ、真葛自身も思想を確立できていなかったように思う。「小虫」の思想を延長発展していけば、武家と町人は融合すべきであるけれども、真葛は其処まで至っていない。恐らく真葛の意識内では、「小虫」民主制は、武家の内部で「心を起して考を極る人」に限り成立する。則ち武家内部の階層を無化する所までしか及んでいない。結局、優れた者ならば、例えば権力行使ラインに建前上は連ならない工藤平助のような医官でも、政策立案過程に関わるべきだ、との主張に過ぎない。激烈ファザコンの面目躍如である。
 さて出版統制の網をかいくぐるプロフェッショナル馬琴は、「小虫」民主制議論そのものではなく、不知火現象の紹介をこそ称賛した。筆者から見れば、【隠微の勧め】である。一個の龍ではなく無数の小虫による光輝。其の現象そのものを語ることで、読者を作者の意図する場所へ誘導するが、ライターの本懐である。言わぬが花、あからさまに書かぬまま、本当に云いたい事を伝える。傾城水滸伝を書いた馬琴は、実のところ、不知火現象ではなく、小虫民主制への指向にこそ反応し称賛したのではなかったか。

 「民可使由之不可使知之」は当然、政治的議論を階層として限定するものだ。しかし、政権運営の中核にのみ許すものでもない。【バカガキを議論に混ぜるな】と云えば乱暴だが、筆者は乳幼児にさえ参政権を認める者ではない。有効な政治論議には、其れなりの見識が必要であり、其れは取り敢えず、義務教育と成人になるまでの社会経験により養われると、仮定されている。其の上での【表現の自由】だ。勿論、未成年も自由に発言して良いのだが、本人達に深刻な影響を与える議論以外ではオブザーバーに留めねばならない。権利は責任に裏打ちされていなければならない。
 孔子時代、中国の教育程度は低かった。馬琴時代、日本の教育程度は現在ほどではなかった。参政権もしくは政治を有効に議論する者を、まったく限定せぬわけにはいかなかった。混乱を招くだけだ。其れを字面だけ見て現在の感覚で勝手に解釈し、【政治情報を全く隠蔽し議論を封殺するものだ】と単純化して強弁した結果が、現在日本の為体である。以前、近世に於いても、「君難不君、臣不可以不臣、父雖不父、子不可以不子」を、片務的な服従を強いるものだと誤解した者がいたと書いたが、「民可使由之不可使知之」を政治情報の隠蔽と議論の完全封殺だと強弁するむきは、明らかに論語読みの論語知らず、もしくは論語すら読んでいない族だと知れる。

 勿論、義務教育を修了した賢明なる読者諸氏に、「民可使由之不可使知之」を以て、真葛は近代国家を見通していたが馬琴は議論そのものの封殺を指向していた、なんぞと頓珍漢なスットンキョーを云うトーヘンボク/衆愚政治を愛するバカガキは、おられまい。今回は只管、義務教育を修了していない若き友人たちに送る贅言に過ぎない。老婆心である{老爺だけど}。
 因みに勿論、筆者は、真葛を上げ底し称揚する意見があるとすれば、其れは現代の大義名分/男女共同参画だか四角形だかの実現を後押ししようとする、一種のポジティブ・アクションではないかと、疑っている。如斯き論者の一部は或いは、主観的な良心に基づいて発言しているのかもしれない。白馬の王子様を気取っているわけだ。しかし残念ながら筆者は、【下手なポジティブ・アクションは余計に男女間心裡の溝を深め且つ本来有能な女性をスポイルし真の男女共同参画を却って遠ざける】との立場だ。実のところ色々云いつつ筆者は、前述の如く真葛の資質を高く評価している。ただ、真葛を贔屓で引き倒すが如きポジティブ・アクション論を全く評価していないだけの話だ。

 真葛の議論は、町人への憎悪を前提としている部分がある。多くの「物しり人」が集って政治・社会を論ずべきだと主張するとき、恐らく真葛の眼中に、町人はいない。そして、より高い蓋然性で、真葛の眼中に、町人の女はいない。これだけ町人への不信感をアカラサマに表明している真葛であるから、政治論としても、親藩・譜代大名・大身旗本で構成する幕閣が占有する国政参与権を、せいぜい知識を有する武士階級一般に開放せよ、と云っているようにしか聞こえないのだ。有り体に言えば、優秀な知識人であった父/工藤平助のような人物が活躍できる世の中になってほしい、との希望が根底にあったのではないか。「物しり人」に女性も含まれていたかもしれないが、所詮は支配階級内のみにヘゲモニーを解放する論に過ぎまい。単なる身内贔屓だ。
 が、其処に馬琴は町人側からの論理を提示し、「独考」の限界を厳しく指摘した。真葛が複眼的な、もしくは階級を超えた視点を得れば、如何な思想に到達したか、甚だ興味深い。しかし真葛が、馬琴の批判を受けて、自らの論説を如何に昇華したか、或いは思考を停止したかを、示す史料の存在は知られていない。残念ながら筆者は、後者だと思っている。馬琴の余りに重々しい愛が、真葛の可憐な思考を押し潰してしまった。馬琴が期待したのは、伏姫や箙大刀自といった女傑レベルの精神性だったのではないか。そんな人間は、まず存在しない。真葛も、工藤平助の娘という恵まれた環境で育ち、西洋事情など貴重な知識に触れる機会もあり知性にも恵まれてはいたが、家族思いの【常識的】な女性に過ぎなかった。馬琴の期待が過大であったのだ。
 真葛との短い交流は、馬琴の、見るに耐えぬほど不器用な、片恋に終わったようだ。{お粗末様}

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