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二年、王僚使公子光伐楚(見左伝昭公十七年、光諸樊子闔廬也)以報前來誅慶封也。呉師敗而亡舟(舟名余皇為楚所獲亦曰■舟に余/■舟に皇/)光懼、因捨、復得王舟而還(捨字不通■捷のテが女/当作■テに合ニジュウアシ/蓋■テに合ニジュウアシ/其不備取之以帰)光欲謀殺王僚、未有所与合議、陰求賢、乃命善相者為呉市吏。
五年、楚之亡臣伍子胥來奔呉(見左伝昭公二十年)。伍子胥者、楚人也,名員(音云)。員父奢、兄尚。其前名曰伍挙(前名当作前人挙即奢之父員之祖)。以直諫事楚荘王。
王即位三年、不聴国政、■サンズイに冗/湎於酒、淫於声色。左手擁秦姫、右手抱越女、身坐鐘鼓之間而令曰、有敢諫者死。於是伍挙進諫曰、有一大鳥集楚国之庭、三年不飛亦不鳴、此何鳥也。於是荘王曰、此鳥不飛、飛則沖天、不鳴、鳴則驚人。伍挙曰、不飛不鳴、将為射者所図、絃矢卒(音■ケモノに卒/忽遽貌倉卒也)発、豈得沖天而驚人乎。於是荘王(史記曰任伍挙蘇従以政国人大説)棄其秦姫越女、罷鐘鼓之楽、用孫叔敖任以国政。遂霸天下、威伏諸侯。
荘王卒、霊王立。建章華之台(杜預曰南郡花容県有台在城内)。与登焉。王曰、台美。伍挙曰、臣聞国君服寵以為美、安民以為楽、克聴以為聴、致遠以為明、不聞以土木之崇高、蟲鏤之刻画、金石之清音、絲竹之凄唳以之為美、前荘王為抱居之台、高不過望国氛(■侵ニンがコロモ/気也)大不過容宴豆、木不妨守備(不妨城郭守備之材)用不煩官府、民不敗時務、官不易朝常、今君為此台七年、国人怨焉、財用尽焉、年穀敗焉、百姓煩焉、諸侯忿怨、卿士■言に山/謗、豈前王之所盛、人君之美者耶、臣誠愚不知所謂也。霊王即除工去飾、不遊於台。由是伍氏三世為楚忠臣。
楚平王有太子名建、平王以伍奢為太子太傅、費無忌(左伝作無極更記亦作無忌)為少傅、平王使無忌為太子娶於秦、秦女美容、無忌報平王、曰、秦女天下無双、王可自取。王遂納秦女為夫人而幸愛之、生子珍。而更為太子娶斉女。無忌因去太子而事平王。深念平王一旦卒而太子立、当害己也、乃復讒太子建。建母蔡氏無寵、乃使太子守城父(服虔曰成父楚北境邑杜預曰襄城城父県)備辺兵。
頃之、無忌日夜言太子之短、曰、太子以秦女之故、不能無怨望之心、願王自備、太子居城父将兵、外交諸侯、将入為乱。平王乃召伍奢而按問之。奢知無忌之讒,因諫之、曰、王独奈何以讒賊小臣而疏骨肉乎。無忌承宴復言曰、王今不制、其事成矣、王且見擒。平王大怒、因囚伍奢、而使城父司馬奮揚往殺太子。奮揚使人前告太子急去、不然将誅。三月、太子奔宋。
無忌復言平王曰、伍奢有二子、皆賢、不誅且為楚憂、可以其父為質而召之。
王使使謂奢曰、能致二子則生、不然、則死。
伍奢曰、臣有二子、長曰尚、少曰胥、尚為人慈温仁信、若聞臣召輒来、胥為人少好於文、長習於武、文治邦国、武定天下、執綱守戻、蒙垢受恥、雖冤不争、能成大事、此前知之士、安可致耶。
平王謂伍奢之誉二子、即遣使者駕駟馬、封函印綬往許召子尚子胥。令曰、賀二子父奢以忠信慈仁去難就免、平王内慚囚繋忠臣、外愧諸侯之恥、反遇奢為国相、封二子為侯、尚賜鴻都侯、胥賜蓋侯、相去不遠三百余里、奢久囚繋、憂思二子、故遣臣来奉進印綬。
尚曰、父繋三年、中心切怛、食不甘味、嘗苦飢渇、昼夜感思、憂父不活、惟父獲免,何敢貪印綬哉。
使者曰、父囚三年、王今幸赦、無以賞賜、封二子為侯、一言当至、何所陳哉。
尚乃入報子胥、曰、父幸免死、二子為侯、使者在門、兼封印綬、汝可見使。
子胥曰、尚且安坐、為兄卦之、今日甲子、時加於巳、支傷日下、気不相受、君欺其臣、父欺其子、今往方死、何侯之有。
尚曰、豈貪於侯、思見父耳、一面而別、雖死而生。
子胥曰、尚且無往、父当我活、楚畏我勇、勢不敢殺。兄若誤往、必死不脱。
尚曰、父子之愛、恩従中出、徼倖相見、以自済達。
於是子胥歎曰、与父倶誅、何明於世、冤讎不除、恥辱日大、尚従是往、我従是決(決当作決別也)。
尚泣曰、吾之生也、為世所笑、終老地上、而亦何之、不能報仇、畢為廃物、汝懐文武、勇於策謀、父兄之讎、汝可復也、吾如得返、是天祐之、其遂■サンズイに冗/埋、亦吾所喜。
胥曰、尚且行矣、吾去不顧、勿使臨難、雖悔何追。
旋泣辞行、与使倶往。楚得子尚、執而囚之、復遣追捕子胥、胥乃貫(烏還切)弓執矢去楚。楚追之、見其妻。曰、胥亡矣、去三百里。使者追及無人之野、胥乃張弓布矢、欲害使者、使者俯伏而走。胥曰、報汝平王(平字当去王在安得先称其説不測当作君王下文平王則后人追書也)、欲国不滅、吾父兄、若不爾者、楚為墟矣。使返報平王。王聞之、即発大軍追子胥至江、失其所在、不獲而返。
子胥行至大江、仰天行哭林沢之中、言楚王無道、殺吾父兄、願吾因於諸侯以報讎矣。聞太子建在宋、胥欲往之。
伍奢初聞子胥之亡曰、楚之君臣、且苦兵矣。
尚至楚就父、倶戮於市。
伍員奔宋、道遇申包胥、謂曰、楚王殺吾兄父、為之奈何。申包胥曰、於乎、吾欲教子報楚、則為不忠、教子不報、則為無親友也、子其行矣、吾不容言。子胥曰、吾聞父母之讎、不与戴天履地、兄弟之讎、不与同域接壤、朋友之讎、不与隣郷共里、今吾将復楚、辜以雪父兄之恥。申包胥曰、子能亡之、吾能存之、子能危之、吾能安之。胥遂奔宋。
宋元公無信於国、国人悪之。大夫華氏謀殺元公、国人与華氏因作大乱(華子華亥華定也見左伝昭公二十年)。子胥乃与太子建倶奔鄭、鄭人甚礼之。太子建又適晋。晋頃公曰、太子既在鄭、鄭信太子矣、太子能為内応而滅鄭、即以鄭封太子。太子還鄭、事未成、會欲私其従者、従者知其謀、乃告之於鄭、鄭定公与子産誅殺太子建。
建有子名勝、伍員与勝奔呉。到昭関、関吏欲執之。伍員因詐曰、上所以索我者、美珠也、今我已亡矣、将去取之。関吏因舍(上声)之。
与勝行去、追者在後、幾不得脱。至江、江中有漁父乗船従下方泝水而上。子胥呼之謂曰、漁父渡我。如是者再。漁父欲渡之、適会旁有人窺之。因而歌曰、日月昭昭乎侵已馳、与子期乎蘆之■サンズイに猗/。
子胥即止蘆之■サンズイに猗/。漁父又歌曰、日已夕兮、予心憂悲、月已馳兮、何不渡為、事■ウカンムリに浸/急兮、当奈何。子胥入船。漁父知其意也、乃渡之千潯(潯当作尋四尺曰仭倍仭曰尋)之津。
子胥既渡、漁父乃視之有其飢色。乃謂曰、子俟我此樹下、為子取餉。漁父去後、子胥疑之、乃潛身於深葦之中。有頃、父来、持麦飯鮑魚羹■央皿/漿、求之樹下、不見。因歌而呼之曰、蘆中人、蘆中人、豈非窮士乎。如是至再、子胥乃出蘆中而応。漁父曰、吾見子有飢色、為子取餉、子何嫌哉。子胥曰、性命属天、今属丈人、豈敢有嫌哉。
二人飲食畢、欲去、胥乃解百金之剣以与漁者。此吾前君之剣、中有七星、価直百金、以此相答。漁父曰、吾聞楚之法令、得伍胥者、賜粟五万石、爵執圭、豈図取百金之剣乎。遂辞不受。謂子胥曰、子急去勿留、且為楚所得。子胥曰、請丈人姓字。漁父曰、今日凶凶、両賊相逢、吾所謂渡楚賊也、両賊相得、得形於獣、何用姓字為、子為蘆中人、吾為漁丈人、富貴莫相忘也。子胥曰、諾。既去、誡漁父曰、掩子之■央皿/漿、無令其露。漁父諾。子胥行数歩、顧視漁者已覆船自■サンズイに冗/於江水之中矣。
子胥默然、遂行至呉。疾於中道、乞食■サンズイに栗/陽(今建康属也)。適会女子撃綿於P水之上、筥中有飯。子胥遇之謂曰、夫人可得一餐乎。女子曰、妾独与母居、三十未嫁、飯不可得。子胥曰、夫人賑窮途少飯、亦何嫌哉。女子知非、恒人、遂許之、発其箪筥、飯其■央皿/漿、長跪而与之。子胥再餐而止。女子曰、君有遠逝之行、何不飽而餐之。子胥已餐而去、又謂女子曰、掩夫人之壷漿、無令其露。女子歎曰、嗟乎、妾独与母居三十年、自守貞明、不願従適、何宜饋飯而与丈夫、越虧礼儀、妾不忍也、子行矣。子胥行、反顧、女子已自投於P水矣。於乎、貞明執操、其丈夫女哉。
子胥之呉、乃被髮■ケモノに羊/狂、跣足塗面、行乞於市、市人観罔有識者。翌日(翌明也明日)、呉市吏善相者見之曰、吾之相人多矣、未嘗見斯人也、非異国之亡臣乎。乃白呉王僚、具陳其状。王宜召之。王僚曰、与之倶入。
公子光聞之、私喜曰、吾聞楚殺忠臣伍奢、其子子胥勇而且智、彼必復父之讎来入於呉。陰欲養之。
市吏於是与子胥倶入見王、王僚怪其状偉、身長一丈、腰十囲、眉間一尺。王僚与語三日、辞無復者。王曰、賢人也。子胥知王好之、毎入語語、遂有勇壮之気、稍道其讎、而有切切之色。王僚知之、欲為興師復讎。
公子謀殺王僚、恐子胥前親於王而害其謀、因讒、伍胥之諫(諫当作謀)伐楚者、非為呉也、但欲自復私讎耳、王無用之。
子胥知公子光欲害王僚、乃曰、彼光有内志、未可説(音税)以外事。入見王僚曰、臣聞諸侯不為匹夫興師用兵於比國。王僚曰、何以言之。子胥曰、諸侯專為政、非以意救急後興師、今大王践国制威、為匹夫興兵、其義非也、臣固不敢如王之命。呉王乃止。
子胥退耕於野、求勇士薦之公子光、欲以自媚。乃得勇士專諸(左伝作■魚に専/設儲)。
專諸者、堂邑(呉地漢地理志為臨淮郡堂邑県)人也。伍胥之亡楚如呉時、遇之於途。専諸方与人闘、将就敵、其怒有万人之気、甚不可当。其妻一呼即還。子胥怪而問其状。何夫子之怒盛也、聞一女子之声而折道、寧有説乎。專諸曰、子視吾之儀、寧類愚者也、何言之鄙也、夫屈一人之下、必伸万人之上。子胥因相其貌、碓■桑に頁/而深目、虎膺而熊背、戻於従難、知其勇士、陰而結之、欲以為用、遭公子光之有謀也、而進之公子光。光既得専諸而礼待之。公子光曰、天以夫子輔孤之失根也。専諸曰、前王余昧卒、僚立自其分也、公子何因而欲害之乎。光曰、前君寿夢有子四人、長曰諸樊(名■碣の石がシンニョウ/央記索隠曰■碣の石がシンニョウ/是名諸樊是其号)、則光之父也、次曰余祭、次曰余昧(春秋作為末)、次曰季札、札之賢也、将卒、伝付適長、以及季札、念季札為使(去声)亡在諸侯未還、余昧卒、国空、有立者適長也、適長之後、即光之身也、今僚何以当代立乎、吾力弱無助、於掌事之間、非用有力徒能安吾志、吾雖代立、季子東還、不吾廃也。専諸曰、何不使近臣従容言於王側、陳前王之命、以諷其意、令知国之所帰、何須私備剣士、以捐先王之徳。光曰、僚素貪而恃力、知進之利、不睹退譲、吾故求同憂之士、欲与之并力、惟夫子詮(択言)斯義也。專諸曰、君言甚露乎、於公子何意也。光曰、不也、此社稷之言也、小人不能奉行、惟委命矣。專諸曰、願公子命之。公子光曰、時未可也。專諸曰、凡欲殺人君、必前求其所好、呉王何好。光曰、好味。專諸曰、何味所甘。光曰、好嗜魚之炙也。専諸乃去、従太湖学炙魚、三月得其味、安坐待公子命之。
八年、僚遣公子伐楚、大敗楚師。因迎故太子建母於鄭、鄭君送建母珠玉簪珥、欲以解殺建之過(左伝昭公二十三年楚太子建故母在郢呉太子諸樊入郢取楚夫人与其宝器以帰杜預解諸楚呉王僚之太子按春秋襄公二十五年呉子■碣の石がシンニョウ/伐楚門於巣卒杜預解■碣の石がシンニョウ/諸樊也伝亦書呉子諸樊卒諸樊之死於是三十年矣此書云僚遣公子当是公子光非光之父諸樊也諸樊於僚為世父亦不得云王僚太子也豈伝与杜解倶誤耶)。
九年、呉使光伐楚、拔居巣鍾離(左伝昭公二十四年呉越遂滅巣及鐘離而還世家所記与止合巣今無為巣県)。呉所以相攻者、初楚之辺邑胛梁(史記作卑梁)之女与呉辺邑処女蠶、争界上之桑(史記曰小童争桑伍子胥伝両女子争桑)、二家相攻、呉国不勝、遂更相伐、滅呉之辺邑。呉怒、故伐楚、取二邑而去。
十二年冬、楚平王卒(左伝昭公二十六年九月楚平王卒索隠曰按年表及左伝合在僚十一年此書作十二年又以秋為冬皆誤)。伍子胥謂白公勝(即太子建之子其後恵王召勝帰楚使居辺邑服虔曰白楚邑夕大夫皆称公杜預曰汝陰褒信県西南有白亭勝奔呉事見前)曰、平王卒、吾志不悉矣、然楚国有、吾何憂矣。白公默然不対。伍子胥坐泣於室。
十三年(索隠曰拠表及左氏僚止合有十二年事今史記生家乃書云十二年此書似承世家之誤)春、呉欲因楚葬而伐之(左伝呉子欲因楚喪而伐之世家同喪作■器のした口ふたつが亡/字此書葬字恐是喪字之誤)、使公子蓋余・燭傭(左伝蓋作掩傭作皆王僚母弟)以兵囲楚、使季札於晋、以観諸侯之変。楚発兵絶呉後、呉兵不得還。於是公子光心動。伍胥知光之見機也、乃説光曰、今呉王伐楚、二弟将兵、未知吉凶、専諸之事於斯急矣、時不再来、不可失也。於是公子見専諸曰、今二弟伐楚、季子未還、当此之時、不求何獲、時不可失、且光真王嗣也。専諸曰、僚可殺也、母老子弱、弟伐楚、楚絶其後、方今呉外困於楚、内無骨■魚に更/之臣、是無如我何也。
四月、公子光伏甲士於■穴出/室中(左伝作堀室史記作窟室)、具酒而請王僚。僚白其母曰、公子光為我具酒来請、期無変悉乎。母曰、光心気怏怏、常有愧恨之色、不可不慎。王僚乃被棠銕之甲三重、使兵衛陳於道、自宮門至於光家之門、階席左右皆王僚之親戚、使坐立侍、皆操長戟交■車只/。酒酣、公子光佯為足疾、入■穴出/室裹足、使専諸置魚腸剣炙魚中進之。既至王僚前、専諸乃擘炙魚、因推匕首、立戟交■車只/倚專諸胸(戟有枝兵也周礼戟長丈六尺増韻双枝為戟単枝為戈■車只/説文車輪小穿周礼大馭祭両■車只/註■車只/謂両■車に彗/詩話曰車軸之■端の旁/貫轂者為■車に彗/轂未之小穿容■車に彗/者為■車只/此言立戟交 ■車只/謂戟之立如■車只/之交倚専諸之胸也戟)、胸断臆開、匕首如故、以刺王僚、貫甲達背、王僚既死、左右共殺専諸、衆士擾動、公子光伏其甲士以攻僚衆、尽滅之。遂自立、是為呉王闔閭也。乃封専諸之子、拝為客卿。
季札使還至呉、闔閭以位譲。季札曰、苟前君無廃、社稷以奉、君也、吾誰怨乎、哀死待生、以俟天命、非我所乱、立者従之、是前人之遺命。哭僚墓、復位而待。
公子蓋余燭傭二人将兵遇囲於楚者、聞公子光殺王僚自立、乃以兵降楚、楚封之於舒(按左伝掩余奔徐燭庸奔鍾吾呉使徐人執掩余鍾吾人執燭庸二公子奔楚此言以兵降楚与伍子胥伝皆云降楚舒春秋時舒国為楚所滅漢属廬江郡今廬州有舒城県)。
{呉越春秋巻第三・王僚使公子光伝}
 
二年、王僚、公子光をして楚を伐たしむ。以て前に来りて慶封を誅するに報いるなり。呉師敗れ而して舟を亡う。光懼れ因りて捨つ、復た王舟を得て而して還る。光、王僚を殺さんことを謀らんと欲す、未だ合議に与る所有らず、陰に賢を求む、乃ち善く相する者に命じて呉の市吏と為す。
五年、楚の亡臣伍子胥、呉に來奔す。伍子胥は、楚人なり。名は員。員の父が奢、兄は尚。其の前名は曰く伍挙。直諫を以て楚の荘王に事う。
王は即位して三年、国政を聴かず、酒に沈湎し、声色に淫す。左手に秦姫を擁し、右手に越女を抱き、身は鐘鼓の間に坐し而して令して曰く、敢えて諫する者有らば死なしめん。是に於いて伍挙は諫を進めて曰く、一大鳥有り楚国の庭に集{とど}まる、三年にして飛ばず亦鳴かず、此れ何の鳥か。是に於いて荘王曰く、此の鳥飛ばず、飛べば則ち天に沖{あた}る、鳴かず、鳴けば則ち人を驚かす。伍挙は曰く、飛ばず鳴かず、将に射る者の図る所為らん、矢を絃し卒発せば、豈に天に沖り而して人を驚かすを得んや。是に於いて荘王は其の秦姫越女を棄て、鐘鼓の楽を罷め、孫叔敖を用い以て国政を任す。遂に天下に霸たり、威、諸侯を伏す。荘王は卒し、霊王の立つ。章華の台を建つ。与に登る。王曰く、台は美なり。伍挙曰く、臣聞く、国君は寵に服するを美と以為{おも}い、民を安んずるを楽と以為い、聴を克くするを聴と以為い、遠きに致ることを明と以為う、土木を以て之を高しと崇めるを聞かず、蟲鏤の刻画、金石の清音、絲竹の凄唳、之を以て美と為す、前の荘王は抱居を之{これ}台と為し、国氛を望みて過ぎざるを高しとし、宴の豆を容れ過ぎざるを大とす、木して守備を妨げず、用いて官府を煩わさず、民は時務を敗らず、官は朝常を易えず、今や君の此の台に為すこと七年、国人怨み、財用尽き、年穀敗れ、百姓煩らい、諸侯忿怨し、卿士誹謗す、豈に前王の盛んにする所、人君の美たる者とせんや、臣誠に愚にして謂う所を知らざるなり。霊王即ち工して飾りを除き台に於いて遊ばず。是に由り伍氏は三世にわたり楚の忠臣為り。
楚の平王に太子有り名は建、平王は伍奢を以て太子太傅と為し、費無忌を少傅と為す、平王は無忌をして秦に於いて太子に娶らさんとす、秦女は美容、無忌は平王に報じて曰く、秦女は天下無双、王は自ら取るべし。王は遂に秦女を納め夫人と為し而して之を幸愛し、子の珍を生ましむ。而して更に太子には斉女を娶らしむ。無忌は因りて太子より去り而して平王に事う。深く念うに、平王一旦卒し而して太子立てば当に己を害せんや、乃ち復た太子建を讒す。建の母蔡氏は寵無し、乃ち太子をして城父を守り辺兵に備えしむ。
頃之、無忌は日夜、太子の短を言う、曰く、太子は秦女の故を以て怨望の心無きこと能わず、王に自ら備えることを願う、太子は城父に居りて兵を将い諸侯と外交し、将に入りて乱を為さんとす。平王は乃ち伍奢を召し而して之を按問す。奢は無忌の讒を知り,因りて之を諫めて曰く、王は独り奈何ぞ讒賊なる小臣を以てして而して骨肉を疏とするや。無忌は承りて宴{やす}んじて復た言いて曰く、王は今や制せず、其の事や成るか、王は且に擒せらるべし。平王は大いに怒り、因りて伍奢を囚え、而して城父司馬奮揚をして往きて太子を殺さしめんとす。奮揚は人をして前に太子に告ぐ、急ぎ去れ然らざれば将に誅さんと。三月、太子は宋に奔る。
無忌は復た平王に言いて曰く、伍奢に二子有り、皆賢こし、誅せざれば且に楚の憂と為らんとす、其の父を以て質とし而して之を召せ。
王は使をして奢に謂いて曰わしむ、能く二子を致せば則ち生かさん、然らざれば則ち死なしむ。
伍奢は曰く、臣に二子有り、長は曰く尚、少は曰く胥、尚は人慈温仁信為り、若し臣の召すを聞けば輒ち来たらん、胥は人少{わか}くして文に於いて好くし、長じて武に於いて習う、邦国を文治し、天下を武定せん、綱を執り戻を守り、垢を蒙り恥を受け、冤と雖も争わず、能く大事を成さん、此れ前知の士にして、安ぞ致すべけんや。
平王は伍奢の誉の二子に謂う、即ち使者を遣し駟馬を駕し、印綬を封函し往き許して子尚子胥を召す。令して曰く、二子を賀す、父奢は忠信慈仁を以て難を去り免に就く、平王は内に忠臣を繋囚せるを慚じ、外に諸侯の恥を愧ず、反りて奢を遇し国相と為し、二子を封じて侯と為す、尚は鴻都侯を賜い、胥は蓋侯を賜う、相去ること遠からず三百余里、奢は久しく囚繋され、二子を憂い思う、故に臣を遣し来りて印綬を奉げ進む。
尚は曰く、父の繋がれること三年、中心より切怛し、食味を甘くせず、嘗つて飢渇に苦しむ、昼夜感じ思う、父の活ならざるを憂う、惟、父の免を獲るに,何ぞ敢て印綬を貪らんや。
使者曰く、父の囚わるること三年、王は今や幸赦す、賞賜を以てするを無{なみ}するや、二子を封じ侯と為す、一言にして当至、何ぞ陳ぶる所あるや。
尚は乃ち子胥に報を入れて曰く、父は幸いに死を免かる、二子を侯と為す、使者は門に在り、兼ねて印綬を封ず、汝も使に見ゆべし。
子胥は曰く、尚は且に安坐せんとす、兄の為に之を卦す、今日は甲子、時は巳に於いて加う、日下に支傷す、気は相受けず、君は其の臣を欺き、父は其の子を欺く、今や往けば方に死すべし、何ぞ侯の有るや。
尚は曰く、豈に侯に於いて貪らんや、父に見えんと思うのみ、一面し而して別る、死するや生くるやと雖も。
子胥は曰く、尚は且に往くこと無かるべし、父は当に我を活かさんとす、楚は我が勇を畏れ、勢敢えて殺さず。兄は若し誤りて往けば、必ず死を脱れず。
尚は曰く、父子の愛、恩は中より出ず、徼倖相見え、以て自ら達するを済まさん。
是に於いて子胥は歎きて曰く、父と倶に誅され、何ぞ世に於いて明らかならん、冤讎除かず、恥辱日に大き、尚は是より往く、我は是より決{別}す。
尚は泣きて曰く、吾の生や、世の笑う所と為らん、終に地上に老い、而して亦、之は何ぞ、仇に服いること能わず、畢に廃物為らん、汝は文武に懐{なず}み、策謀に於いて勇あり、父兄の讎、汝は復すべきなり、吾、如{も}し返るを得れば、是は天の之を祐くるなり、其れ遂に沈埋せば、亦吾の喜ぶ所なり。
胥は曰く、尚は且に行かんとす、吾は去りて顧みず、難に臨ましむることなかれ、悔いると雖も何ぞ追えんか。
旋泣辞行し、使と倶に往く。楚は子尚を得て、執りて而して之を囚う、復た子胥に追捕を遣る、胥は乃ち貫弓に矢を執りて楚を去る。楚は之を追い、其の妻に見ゆ。曰く、胥は亡せし、去ること三百里。使者追いて無人の野に及ぶ、胥は乃ち弓を張り矢を布し、使者を害せんと欲す、使者は俯き伏せ而して走る。胥は曰く、汝は平王に報ぜよ、国に吾が父兄を滅ぼさざるを欲す、若し爾{しか}らずんば、楚を墟と為さん。使は返りて平王に報ず。王は之を聞き、即ち大軍を発し子胥を追い江に至り、其の在る所を失い、獲ずして返る。
子胥は行きて大江に至り、天を仰ぎ林沢の中を行きつつ哭す、楚王の無道に吾が父兄を殺すを言い、吾は諸侯に於いて因りて以て讎を報ずることを願う。太子建の宋に在るを聞きて、胥は之に往かんと欲す。
伍奢は初めて子胥の亡せる聞きて曰く、楚の君臣は且に苦兵せん。
尚は楚に至り父に就き、倶に市に於いて戮さる。
伍員は宋に奔る、道に申包胥に遇う。謂いて曰く、楚王は吾が父兄を殺す、之に為すや奈何。申包胥は曰く、於乎、吾は子に楚に報ずることを教えんと欲せば則ち不忠為り、子に報ぜざることを教えれば則ち親友を無{なみ}することを為すなり、子は其れ行くか、吾は容れずと言う。子胥は曰く、吾は聞く、父母の讎とは天を戴き地を履むことを与にせず、兄弟の讎とは与に域を同じせず壤を接せず、朋友の讎とは与に郷を隣せず里を共にせず、今や吾は将に楚に復し、辜以て父兄の恥を雪がんとす。申包胥は曰く、子は能く之を亡ぼし、吾は能く之を存す、子は之を危うくするを能くし、吾は之を能く安んずる。胥は遂に宋に奔る。
宋の元公は国に於いて信無し、国人は之を悪む。大夫華氏は元公を殺さんことを謀る、国人は華氏と与に因りて大乱を作す。子胥は乃ち太子建と倶に鄭に奔る、鄭人は甚だ之に礼す。太子建は又晋に適く。晋の頃公は曰く、太子は既に鄭に在り、鄭は太子を信ずるや、太子は能く内応を為し而して鄭を滅ぼせ、即ち鄭を以て太子を封ず。太子は鄭に還る、事未だ成らず、會て其の従者を私にせんと欲す、従者は其の謀を知る、乃ち之を鄭に於いて告ぐ、鄭の定公は子産と与に太子建を誅殺す。
建に子有り名は勝、伍員と勝は与に呉に奔る。昭関に到る、関吏は之を執らんと欲す。伍員は因りて詐して曰く、上の我を索する所以は美珠か、今や我は已に亡くす、将に之を取らんため去らんとす。関吏は因りて之を舍す。
勝と与に行き去る、追う者の後に在り、幾{ちか}くして脱することを得ず。江に至る、江中に漁父有り船に乗り下方より水を泝けて而して上る。子胥は之を呼びて謂いて曰く、漁父よ我を渡せ。是の如くすること再びなり。漁父は之を渡さんと欲し、適きて会すれば旁に人有り之を窺う。因りて而して歌いて曰く、日月昭昭として侵して已に馳せる、子と与に期すか蘆の波。
子胥は即ち蘆の波を止める。漁父は又歌いて曰く、日は已に夕、予の心は憂い悲しむ、月は已に馳せる、何ぞ渡を為さざるか、漸く急ぐを事とす、当に奈何とすべきか。子胥は船に入る。漁父は其の意を知るや、乃ち之を千潯の津に渡す。
子胥は既に渡る、漁父は乃ち之を視れば其れ飢色あり。乃ち謂いて曰く、子よ我を此の樹下に俟て、子の為に餉を取りにゆかん。漁父の去りて後、子胥は之を疑い、乃ち身を深き葦の中に於いて潛む。頃有りて、父来たり、麦飯鮑魚羹■央皿/漿を持つ、之を樹下に求めて見えず。因りて歌い而して之を呼びて曰く、蘆中の人、蘆中の人、豈に窮士に非ざるや。是の如くすること再びに至り、子胥は乃ち蘆中を出で而して応ず。漁父は曰く、吾は子に飢えの色有るを見て子の為に餉を取る、子は何ぞ嫌うや。子胥は曰く、性命は天に属す、今は丈人に属す、豈に敢えて嫌うこと有るや。
二人は飲食し畢る、去らんと欲して胥は乃ち百金の剣を解きて以て漁者に与う。此れは吾が前君の剣、中に七星有り、価直は百金、此れを以て相答う。漁父は曰く、吾は楚の法令を聞くに、伍胥を得る者は粟五万石を賜い執圭に爵さる、豈に百金の剣を取るを図らんや。遂に辞して受けず。子胥に謂いて曰く、子は急ぎ去りて留まること勿れ、且に楚の得る所と為らんとす。子胥は曰く、丈人の姓字を請う。漁父は曰く、今日は凶凶、両賊の相逢う、吾は所謂、渡楚賊なり、両賊の相得る、形を獣に於いて得るに何ぞ姓字を用いて為さんや、子は蘆中の人為り、吾は漁丈人為り、富貴しても相忘るること莫かれ。子胥は曰く、諾。既に去るに漁父に誡めて曰く、子の■央皿/漿を掩い、其れ露せしめんこと無かれ。漁父は諾す。子胥の行くこと数歩、顧みて視れば漁者は已に船を覆し自ら江水の中に沈む。
子胥は默然とす、遂に行きて呉に至る。中道に於いて疾む、■サンズイに栗/陽に食を乞う。適きてP水の上に綿を撃つ女子に会う、筥の中に飯有り。子胥は之に遇いて謂いて曰く、夫人よ一餐を得べけんや。女子は曰く、妾は独り母と与に居り、三十にして未だ嫁がず、飯は得るべからず。子胥は曰く、夫人よ窮途のものを少しの飯にて賑すことを亦何ぞ嫌うや。女子は非を知りて、人に恒にするごとく、遂に之を許す、其の箪筥を発して、其の■央皿/漿を飯さす、長跪し而して之に与う。子胥は再び餐し而して止む。女子は曰く、君は遠逝の行に有るや、何ぞ飽かずして之を餐せんや。子胥は已に餐し而して去る、又女子に謂いて曰く、夫人の壷漿を掩いて、其れを露せしむること無かれ。女子は歎きて曰く、嗟乎、妾は独り母と与に居ること三十年、自ら貞明を守る、従いて適くことを願わず、何ぞ宜く饋飯し而して丈夫と与になるべけんや、礼儀を虧けるに越す、妾は忍ばざるなり、子は行くや。子胥は行き、反りて顧りみれば、女子は已に自らP水に於いて投ぐ。於乎、貞明執操、其れ丈夫なる女かな。
子胥は呉に之{ゆ}く、乃ち被髮■ケモノに羊/狂、跣足塗面、行きて市に於いて乞う、市の人は観て識る者有る罔し。翌日、呉の市吏の善く相する者の之を見て曰く、吾、之れ人を相すること多かりき、未だ嘗て斯くの人を見ざるなり、異国の亡臣に非ざるか。乃ち呉の王僚に白して、具さに其の状を陳ぶ。王は宜く之を召すべし。王僚は曰く、之と倶に入れ。
公子光は之を聞き、私かに喜びて曰く、吾は聞く楚は忠臣伍奢を殺し其の子の子胥は勇にして且つ智あり、彼は必ず父の讎を復するに来りて呉に入らん。陰に之を養わんと欲す。
市吏は是に於いて子胥と倶に入りて王に見みゆ、王僚は其の状偉にして身の長一丈、腰は十囲、眉間は一尺なるを怪しむ。王僚は与に語ること三日、辞して復する者無し。王は曰く、賢人なり。子胥は王の之を好むを知り、入る毎に語り語る、遂に勇壮の気有り、稍其の讎を道して而して切切の色有り。王僚は之を知り、讎を復するに師を興すことを為さんと欲す。
公子は王僚を殺さんことを謀る、子胥の前に王に於いて親しうして而して其の謀を害さんことを恐る、因りて讒す、伍胥の諫{謀}は、楚を伐つ者は呉為るに非ず、但自ら私の讎を復さんとするのみ、王は之を用いること無し。
子胥は公子の王僚を害さんと欲することを知る、乃ち曰く、彼の光は内志有り、未だ外事を以て説くべからず。入りて王僚に見えて曰く、臣は聞く、諸侯は匹夫の為に師を興し兵を比国に用いることをせず。王僚は曰く、何を以てか之を言う。子胥は曰く、諸侯は專ら政の為にす、急を救うを意うを以て師を興すに非ず、今や大王は国を践み威を制す、匹夫の為に兵を興すは、其の義は非なり、臣は固く敢えて王の命の如くせず。呉王は乃ち止む。
子胥は退きて野に於いて耕し、勇士を求め之を公子光に薦むるに、自ら以て媚せんと欲す。乃ち勇士專諸を得る。
專諸は堂邑の人なり。伍胥の楚を亡せて呉に如{ゆ}く時、途に於いて之に遇う。専諸は方に人と闘わんとす、将に敵に就かんとす、其の怒には万人の気有り、甚だ当たるべからず。其の妻の一たび呼べば即ち還る。子胥は怪しみ而して其の状を問う。何ぞ夫れ子の怒りの盛んなるに、一女子の声を聞き而して道を折るや、寧ぞ説有るべし。專諸は曰く、子は吾の儀を視るや、寧ぞ愚者に類するとせん、何ぞ之を言うに鄙なりとするや、夫れ一人の下に屈すといえども、必ずや万人の上に伸びん。子胥は因りて其貌を相するに、碓■桑に頁/にして深目、虎膺にして熊背、難に従うに於いて戻る、其の勇士たるを知る、陰に之と結び、以て用と為さんと欲す、公子光と遭いて謀有るを知るや、而して之を公子光に進む。光は既に専諸を得て而して之に礼して待す。公子光曰く、天は夫、子を以て孤の失根を輔けよ。専諸は曰く、前王の余昧卒し、僚は自ら其の分を立つ、公子は何に因りて而して之を害するを欲するや。光は曰く、前君の寿夢に子は四人有り、長は曰く諸樊、則ち光の父なり、次に曰く余祭、次に曰く余昧、次に曰く季札、札は賢たり、将に卒せんとし、適長に伝え付し以て季札に及ばしめんとす、季札を念ずるに使と為りて亡きて諸侯に在りて未だ還らず、余昧は卒し、国は空し、立てる者有るとすれば適長なるべし、適長の後、即ち光の身なり、今や僚は何を以てか当代に立つや、吾は事を掌るの間に於いて力弱く助け無し、能く吾が志を安んずる力有るの徒を用いるに非ず。吾は代りて立つと雖も、季子の東に還りても、吾は廃さざるなり。専諸は曰く、何ぞ近臣をして王側に於いて前王の命を陳べ、其の意を諷するを以て、国の帰する所を知らしむるを従容として言わしめざるや、何ぞ私に剣士を備えるを須{もと}め以て先王の徳を捐{す}てるや。光は曰く、僚は素より貪なり而して力を恃み、進むことの利を知り、退譲を睹せず、吾は故に同憂の士を求め、之と与に力を并せんことを欲す、惟、夫れ子の斯の義を詮するところのものなり。專諸は曰く、君の言は甚だ露わ、公子に於いて何をか意ふ。光は曰く、あらず、此れ社稷の言なり、小人は奉行すること能わず、惟、命に委ねるかな。專諸は曰く、願わくば公子よ之に命ぜよ。公子光は曰く、時は未だ可ならず。專諸は曰く、凡そ人君を殺さんと欲せば、必ず前に其の好む所を求む、呉王は何をか好む。光は曰く、味を好む。專諸は曰く、何の味ぞ甘しとする所か。光は曰く、魚の炙りたるを嗜むを好む。専諸は乃ち去り、太湖に従い魚を炙るを学ぶ、三月にして其の味を得る、安坐して公子の之に命ずるを待つ。
八年、僚は公子を遣りて楚を伐たしむ、大いに楚師を敗る。因りて故太子建の母を鄭に於いて迎う、鄭の君は建の母に珠玉簪珥を送り以て建を殺すの過を解かんと欲す。
九年、呉は光をして楚を伐たしめ、居巣・鍾離を抜く。呉の相攻める所以の者は、初め楚の辺邑、胛梁の女と、呉の辺邑の処女の蠶するに、界上の桑を争い、二家は相攻め、呉国は勝たず、遂に更に相伐ち、呉の辺邑を滅す。呉は怒る、故に楚を伐ち二邑を取り而して去る。
十二年冬、楚の平王が卒す。伍子胥は白公勝に謂いて曰く、平王卒す、吾が志は悉からず、然りて楚国有り、吾は何をか憂う。白公は默然として対えず。伍子胥は室に於いて坐し泣く。
十三年春、呉は楚の葬に因りて而して之を伐たんと欲す、公子の蓋余・燭傭をして兵を以て楚を囲ましむ、晋に於いて季札をして、以て諸侯の変を観ぜしむ。楚は兵を発し呉の後を絶つ、呉の兵は還ることを得ず。是に於いて公子光の心は動く。伍胥は光の機を見るを知る、乃ち光に説きて曰く、今や呉の王は楚を伐つ、二たりの弟は兵を将て、未だ吉凶を知らず、専諸の事は斯に於いて急なり、時は再び来たらず、失うべからず。是に於いて公子は専諸に見えて曰く、今や二たりの弟は楚を伐つ、季子は未だ還らず、此の時に当たりて、求めざるして何をか獲んや、時は失うべからず、且に光は真の王の嗣たらんとす。専諸は曰く、僚は殺すべし、母老いて子弱し、弟は楚を伐つ、楚は其の後を絶つ、方に今や呉は外に楚に於いて困ず、内には骨■魚に更/の臣無し、是れ如くは無し、我は何するぞ。
四月、公子光は窟室の中に於いて甲士を伏せ、酒を具し而して王僚を請う。僚は其の母に白して曰く、公子光は我が為に酒を具し来たるを請う、変悉く無きことを期さんや。母は曰く、光の心気は怏怏として、常に愧恨の色有り、慎まざるべからず。王僚は乃ち棠銕の甲を三重に被る、兵衛をして道に於いて陳ばし宮門より光家の門に至る、階席の左右は皆、王僚の親戚を、坐さしめ立ちて侍さしむ、皆、長戟交■車只/を操る。酒の酣となり、公子光は足の疾為りと偽り、窟室に入りて足を裹む、専諸をして魚腸剣を炙魚の中に置かしめ之を進める。既に王僚の前に至る、専諸は乃ち炙魚を擘し、因りて匕首を推す、戟を立て■車只/を交え專諸の胸に倚す、胸断ち臆開き、匕首は故の如し、以て王僚を刺す、甲を貫き背に達す、王僚は既に死す、左右は共に専諸を殺す、衆士は擾動す、公子光は伏せし其の甲士を以て僚の衆を攻め、尽く之を滅す。遂に自ら立つ、是、呉王闔閭為るなり。乃ち専諸の子を封じ、拝して客卿と為す。
季札は使もて還り呉に至る、闔閭は位を以て譲らんとす。季札は曰く、苟も前君の廃する無し、社稷は君を奉るを以てす、吾は誰をか怨まんや、死を哀み生を待し以て天命を俟つ、我は乱れ立つ所の者に非ずして、之に従う、是れ前人の遺命なり。僚の墓に哭す。復位し而して待す。
公子の蓋余・燭傭二人の兵を将て楚に於いて囲みに遇えば、公子光の王僚を殺し自ら立つを聞き、乃ち兵を以て楚に降る、楚は之を舒に於いて封ず。
{呉越春秋巻第三・王僚使公子光伝}

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