★伊井暇幻読本・南総里見八犬伝「時を支配する者」★
八犬伝には七月七日と並んで重要な日付が存在する。「四月十六日」である。八犬伝が幕を開けた四月十六日(結城合戦)から四十二年後の四月十六日、八犬士が初めて会同した。また対関東管領戦で勝利を収めた里見家は、天皇から勅使を遣わされ、直接に房総の国司に補せられ支配を承認される。此までに、京へ赴いた親兵衛が、室町幕府の実力者・細川政元に対し、人間としての優越を見せつけていた。また義実は治部卿に任じられている(家基は三等官の治部少輔で義実は二等官の大輔に進んでいた)。「五行マジック」「MockingBird」で述べた通り、治部省は周制の春官である宗伯(馬琴の息子の名前でもある)に比定できる。春は木気、東に配当される。上総介や安房守は実在の土地を支配する権限を持つが、治部卿は天皇の東に在って補佐する役目とも言える。以前に述べたように、各種史料では一般に、義実の官職は「刑部少輔」であって、管見では、治部関係のものはない。「家基」→「季基」と共に「刑部」→「治部」は、馬琴による転換だ。
四月十六日は、里見家が幕府権力から名実共に独立し、天皇と直接に繋がった日である。そして、後の四月十六日に、八犬伝開始時の主人公である里見義実が死ぬ。また後の四月十六日、八犬士が里見家当主・義成のもとに集まり、牡丹痣の謎解き即ち八犬士が何者であったかを種明かす。此処で実質的かつ完全に、里見家と八犬士の縁が切れたと筆者は考えている。後の関係は、単なる惰性だろう。
即ち【四月十六日】は、「八犬伝」というより「里見家」にとって、重要な画期となっている。結城合戦で一旦は里見家が滅亡する。色々あって八犬士が里見家に集う。犬士それぞれが関東の大名に睨まれる存在となるが、其の集大成として、里見家にとって結城合戦の仇である関東管領との戦闘が繰り広げられる(主筋の関東公方ってぇか古河公方も加わっているが既に悪役化し影も薄い)に圧勝、天皇に房総の領有権を認証され、且つ【東の藩塀】となる。義実が賜る治部卿は治部の最高官だが、治部は東官(木気の官)と考えられる。しかして義実は死に、八犬士も里見家から離れていく。大きな節目は、いつも「四月十六日」だ。
斯くの如く里見家は四月十六日なる【時】に支配されている。時は天文の動き、日月星辰に依り表現される。仏教でも二十八宿を用いた占法・宿曜経やら北斗七星年誦義軌やらが、人の運命を説明する。中国では、北斗が死を、南斗が生を司る。一方で対関東管領戦に於ける犬士は、如意輪観音(観音といえば伏姫)が訶梨帝母(変成男子たる毛野)と北斗七星(毛野以外の犬士)を率い、自らを数の上で圧倒する敵を殲滅する呪術を込めた如意輪曼陀羅をも思い起こさせる(「輪宝剣」)。星に関わる里見家は、即ち「時」に関わっている。名詮自性に拠って八犬伝世界を構築しようとする馬琴にとって、時/星に関わる里見家の祖は、「家基」ではなく「季基」でなくてはならなかったらしい。即ち「家」より「時」を優先している。
さて、ことほど左様に重要な「四月十六日」に語られた事柄は、注目されねばならない。季基の大蛇退治、即ち、季基と賤民であるべき狙公との対等交流である。此の対等交流は、現実政治に於いて幕府を内在的に唯一超越する存在/家康(新田氏流)と里見家(新田氏流)との重なりをも意識させる。里見家は、【幕府】から独立した存在なのだ。幕府からの独立とは、八犬伝刊行当時の読者にとって、ほぼ【現実世界に於ける支配/被支配関係のキャンセル】と等しい。そして、其の世界では、支配者が賤民との対等交流する。現実に於ける、階級差別の破壊へと繋がっている。
飽くまで付け足しだが、狙公に就いては、安房に纏わる話もある。其の筋(どの筋?)では有名な、「勝扇子」事件(小林新助芝居公事)だ。宝永五(一七〇七)年の訴訟だが、京都から下ってきた役者が安房で興業した。興行主は、正木村穢多善兵衛と庄兵衛の両人。芝居の準備をしている所へ、偶々弾左衛門配下の者が通りかかった。役者は賤民であるから、関八州の内で興業するときには、弾左衛門に金を差し出さなければならないと主張した。しかし役者が断った。このとき、安房の穢多頭は弾左衛門の管轄外であり、其の穢多頭自身が興行主だから、弾左衛門に金を払ういわれはないとの主張がなされた。日光祭礼供奉だけでなく、安房も特殊な扱いだったらしい(実は上総も……)。
しかし別の場所での興行で、三百人の穢多が押し掛け、芝居小屋を襲撃した。結局、訴訟を持ち込まれた江戸町奉行は、歌舞伎役者を弾左衛門支配外と判断した(が江戸庶民感覚としては賤民視されてはいた)。で、何故に此の事件が「勝扇子(かちおうぎ)」事件と呼ばれるかってぇと、当該役者から日記を借りて書写した江戸役者が「俺たちは弾左衛門支配ではない(賤民ではない)」との勝利宣言(勝扇子)として家宝にしたからなんである。まぁ勝訴側の一方的な記述だから全面的に信じることは危険だけれども。
上述した八犬伝の、賤民支配への否定的態度は、或いは馬琴の芝居好きと関係があるのかもしれないが、そりゃそぉと、芝居と言えば、筆者は芸能に疎いが、名作として知られる「源平布引滝」がある。並木千柳、三好松洛が作った人形浄瑠璃(寛延二年)を、歌舞伎に写したものだ。前半の主人公は、読者御馴染み、悪左府・藤原頼長の愛人で木曽義仲の父・帯刀先生義賢、後半は斎藤別当実盛だ。「名作歌舞伎全集」などから要約を交えつつ、少しく引く。
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多田満仲の末裔・蔵人行綱は、世を忍んで折平と名乗り、木曽源帯刀先生義賢の僕となっている。行綱は近江小野原村の百姓・九郎助の娘・小万と結婚し、太郎吉なる息子をもうけていた。ある日、義賢のもとへ、行綱宛の密書を託した折平が、行綱を見つけられなかったと帰ってくる。しかし渡せなかった筈の密書の封が切られているため義賢は、折平こそ行綱と見破り、平家討伐の志を打ち明ける。そこに平清盛の使い・高橋判官長常、長田太郎末宗が来て、白旗を渡せと迫る。実は平治の乱で源義朝が討たれた折、源氏の象徴的な旗印・白旗も奪われていた。後白河院が白旗を手に入れ、密かに義賢に与えていた。知らぬ存ぜぬを通そうとする義賢に、長田は義朝の死首を持ち出し、本当に知らぬなら踏んでみろと脅す。義朝は義賢の兄である。無体な言い掛かりに怒る義賢に、高橋は恐れて逃げ出し、長田は殺される。覚悟を決めた義賢は、金碗八郎と姦した濃萩ではないけれども、実は既に折平の子を宿す娘の宵待姫を属けて折平こと行綱を逃がし、源氏再興の望みを託す。行綱は義賢と共に討ち死にすると駄々を捏ねるが、「この義賢に犬死にさせるか」と強いて逃がされる、里見季基/義実を思い出させる御約束。逃げるとき、宵待姫は、義賢の子を宿した葵御前も連れ出す。これは家の存続などというよりも、命を宿す女性としての本能か。九郎が現れ、嫉妬に狂う小万(当たり前だ)には言い聞かせたから、行綱らの共をすると申し出る。別れの杯を交わすところへ、討手の進野次郎宗政、横田兵内が攻めつける。行綱らは逃げ出す。残っている小万に義賢は白旗を託す。義賢は大見得を切って、討ち取られる。
近江堅田浦は九郎助の家、妻の小由と甥・矢走の仁惣が葵御前らを匿っている。庄屋が源氏の胤を捜索していると告げ、捕手の瀬尾十郎兼氏、斎藤別当実盛が登場。実は仁惣の密告により、既に葵御前の正体はばれている。前段で「左孕は男子のしるし」と、男子懐胎を暗示してもいる。男なら殺せとの命を受けた捕手方は、葵の子が男か女かを追及する。実盛は自分が検分役だからと、瀬尾より先に子を受け取る。実は実盛、源氏恩顧の武士で、どうにか子を救おうと考えている。男子であっても、「男子を女子と変生男子と」と言いくるめようとするが、瀬尾も確認はするだろうと苦慮する。しかし、小由から抱き取り見れば、子供ではなく、血に塗れた女性の片腕。瀬尾と共に驚く。機転を利かせた九郎助が、「木曽の先生義賢の御台が腕を産んだとしれてはお名の穢れ、なぜ隠しとげおらぬのじゃ」と小由を叱る。小由も合わせて、「あまり御詮議が厳しさに、是非のう持って出ましたわいの」。瀬尾は「ハテ、巧んだり拵えたり、日本はさて置き、唐天竺にも腕を産んだ例はない。鳩のかいの売僧(まいす)め」と、真に受けない。が、実盛は「ホ丶オ、コリャ手前が申さぬまでも御存じあらん。かの唐土蘇(楚)国の后桃客婦人は、常に暑きを苦しみ鉄の柱をいだく、その精宿って終には鉄の丸がせを産む。陰陽師に占わせこれを剣に打たす。干将莫耶が剣これなり。さっするところ葵御前も、常に癪じゅ(積)の愁いあって、かしずきのものに介抱させしに、その手先の心通じて、しぜんと妊めるものならん。ハテ争われぬ天地の道理、今より此所を……、手をはらむ、ム丶、手孕村と名づくべし」。瀬尾も煙りに巻かれて、取り敢えずは納得する。こうして赤子こと木曽冠者源義仲は、窮地を脱する。
因みに、血に塗れた女性の腕は、九郎助娘・小万のものだった。平宗盛が竹嶋詣に向かったとき、酒宴半ば、矢走の方から二十歳余りの女性が抜き手を切って泳いできた。見れば、口に白絹を銜えている。実盛に助けられた女性は小万と名乗り、源氏の白旗を隠し運んでいると答えた。船中の男どもは、奪い取ろいうと打ち騒いだ。実盛は源氏の旗を奪われじと、事に紛れて女性の腕を切り落とした。女の腕には白旗が、しっかりと握られたまま、琵琶湖を流れ行く。小万は、殺された。切り落とされた腕は堅田浦に流れ着き、息子・太郎吉に拾われた。「廻り廻りて、このうちに、白旗もろとも帰りしは、親を慕い子をしたい、流れ寄ったか、ハ丶ア」(実盛台詞)。漁師たちが小万の遺体を運んでくる。また、この場面で太郎吉は、「母の筐(かたみ)」と呼ばれている。タイトルの「布引滝」は、クライマックスで、平重盛が行綱に矢を射懸けられた場所。使われた矢は、源氏に伝わる水破兵破の矢であった。白旗の白布を晒す水流も掛けたか。
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八犬伝第十二回に、「唐山楚王の妃は、常に鉄の柱に倚ることを歓びて、遂に鉄丸を産しかば、干将莫邪剣に作れり。我邦近江なる賤婦は、人に癪聚を押することを歓びて、竟に腕を産しかば、手孕村の名を遺せり」とある。八犬伝第九輯下秩下編中総口絵に河堀刀祢が三方に腕を載せているが、挿絵其のものは上記文楽から引用とも言はば言えるが、河堀には積極的な役割が与えられていないので、ストーリー上の直截な関係はないと見て良いだろう。しかし、ところで手孕村は、実在の地名で、手原とも書いた。旧滋賀県栗太郡栗東町手原(現栗東市手原)である。上記の歌舞伎と符合する。しかし実は、実話として言われていた物語は、そんなにドラマチックではない。ってぇか、トンチンカンだ。仏教系作家・浅井了意が書いた小説仕立ての紀行「東海道名所記」(万治四年頃/膝栗毛ほど面白くないが、それだけ直接間接に実際に伝聞した話を集積していると疑われる)巻五に拠れば、
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石部より草津まで二里十二町
…中略…
手ばら村をうち過る。草津のもどり馬に大坂男をのせていく。馬かた申けるは。「爰に手ばらと申す事は、もとの名をば、手孕と文字にもかきけるよし。いにしへ、この村の某、他国にゆくとて、その妻の年いまだわかく、かたちうつくしかりければ、友だちにあづけて、三年まで帰らず。友だち、これをあづかり、わがもとにをきたりしに、人のぬすみ侍らんことをおそれて、夜は女の腹に手ををきて、まもりしに、女はらみて、十月といふに、手ひとつうみけり。それより、この村を、手ばらみといひけるを、略して手ばらといふ」と、かたりぬ。
…後略…
◆
俗に十字軍の騎士たちは、妻に貞操帯を着けて遠征に赴いたという。洗うにも苦労して不衛生ではないかと思うが、妻たちも合い鍵ぐらい作ったことだろう。
貞操帯と言えば、我らが万葉集(巻第十一古今相聞往来歌類上)にも「高麗錦(こまにしき)紐の片方(かたへ)ぞ床(とこ)に落ちにける明日の夜し来(き)なむと言はば取り置きて待たむ」(二三五六)がある。この高麗錦が貞操帯に当たり、男女共用である。局部に結び目をつけ使用不能にするものだ。互いに複雑で自分流の結び目をつけるため、余所で勝手に解いて結び直したらバレる。紐の結び目は、結ぶ向きが逆になれば、余計に難しくなるから、自分で結び直すことは殆ど不可能だ。結局、西洋のモノは強制的に「貞操」を守らせようとするもので心までは拘束しないのだが、万葉の貞操帯(高麗錦)は、やろうと思えば遣れるけれども、自発的に貞操を守った証拠となるものだ。
ところで、上に引いた万葉歌は、解釈が難しい。互いに結び合った公認の仲なら、「片方ぞ床に落ちにける」が解らなくなる。いや、屁理屈なら何とでもつくが、それでは御先祖様がたに申し訳ない。少なくとも自分が最大限楽しめる解釈を探すことこそ、作法であろう。公認の仲なら、紐が落ちることは当然であり、描写の必要はない。だいたい公認の仲同士なら、自分だけが結ぶ、即ち自分だけが解くためにこそ、高麗帯を相手に着けるのだから。よって、この歌からは、不倫の香りが漂う。
落とした高麗錦の結び方を、器用な不倫相手は熟知していた。即ち、インターコースする以前に、指なり舌なり唇なりを使ったか、とにかく、まじまじと見る機会があり、結び方を記憶したのだ。記憶したと聞いたからこそ、安心して行為に及べた。が、終わって、相手に結んで欲しいと頼んでも、ぐずぐず言って結んでくれない。「本当は、俺/アタシのことは遊んだだけだろう」と拗ねている。どうやら【満腹】とまでは満足していないらしい。こんなとき、西洋の貞操帯なら力ずくで鍵を奪う選択肢もあるだろうが、此方は相手の協力が必要だ。困じ果て「明日も来るから」と頼み縋る。相手はニヤリと笑い、「だったら、その時に結ぶ。別に一晩ぐらい誤魔化せる筈」。まぁ確かに一晩ぐらい、【公認】の配偶者にばれないようすることは難しくない。しかし、二晩三晩と長引くと、それだけ露見の危険度は増す。明日といわずとも、近いうちには来なければならない。高麗帯を質に取られ、軽い気持ちだったのに泥沼化しそうな雲行きを感じつつ、すごすご帰るは、男か女か。はたまた不倫は異性間か同性同士か、全く手掛かりはない。
……危うく何を書いているか忘れる所であった。上記「源平布引滝」と「東海道名所記」両者のうち、馬琴は前者を採択している。関西旅行をしたこともある馬琴が、旅行記に載す手原村の由来を知らなかったとは余り思えないので、小説家の馬琴は、こと此に関する限り、面白さとか通りの良さで前者を優先したのではないかと疑える。尤も、浅井了意も中国怪奇譚の翻案者であり、妖しい日本昔話を書いていた浄土真宗大谷派の僧侶(京二条・本性寺/正願寺住職)で、本人が書いたか確認できぬ「著作」が数多ある、まぁ出版仕掛け人みたいな人物であって、リアルとフィクションの狭間って感じの作家だ。とにかく此処では、馬琴が積極的に演劇挿話を採用していることを確認したかっただけだ。
但し、馬琴が必ず演劇挿話を優先すると考えることは危険だろう。広い意味での【リアリティ】も問題になる。東海道名所記と源平布引滝、両者は【女性が手だけを孕んだ】と共に信じ難い現象を提出しているのだが、前者の「いつも持病の癪を抑えていたから手の気が働き、手だけ孕んだ」とする方が、せっかく女性に添い寝して「他の誰かに寝取られまいとするためのみに女性の下腹部に手を当てて毎日寝ている男」の存在を思い浮かべるよりは、まだしもマシだ。勿論、預かった女性と関係を持たないなら持たないと決意して履行するは全く難しいことではないのだが、毎晩その女性の下腹部に手を押し当てるだけなんて中途半端な関係を持続するとは、常軌を逸している。姦るなら姦ればよいのだ。やはり「東海道名所記」より「源平布引滝」の方が、人間心理面でのリアリティーがある。……いや、だから、話が一向に前進せぬが、無駄な情報も八犬伝を読む雰囲気ってものに影響すると思うので、敢えて提出したわけだが(←完全にイーワケ)そろそろ話を戻そう。(お粗末様)