★伊井暇幻読本・南総里見八犬伝「阿耨多羅三藐三菩提」★

 レインボーマン! ……いや、何でもない。独り言だ。

八犬伝の国府台合戦で登場する猪は六十五頭であった。「六十五」の持つ意味は現在の所詳らかではないけれども、二四的寄舎五郎ら六十五人と暗合していることは明らかだ。或いは日本三大摩利支天のうち京・建仁寺禅居庵の像は七頭の猪に乗り六頭の猪狛犬に守られている。合計十三頭の猪を従えているのであるが、十三かける五は六十五、未詳であるが摩利支天は「十三」によって象徴されている可能性がある。六十五頭の猪によって信乃は駢馬三連車陣を破り、後に成氏を捕獲する。親兵衛は二四的寄舎五郎ら六十五人を得て、里見義通の危急を救う。此処でも「六十五」に依って信乃と親兵衛の行為は関連付けられている。自分の身代わりとなった房八の埋葬に当たって親兵衛を抱くのは信乃であるし(第三十九回)、第百六十八回で信乃は穴に落ち込んだ親兵衛を助け、庇護者ぶりを見せつける。信乃と親兵衛の関係は、甚だアヤシイ。浜路・荘助・現八とモテモテの信乃だが、親兵衛までタラシ込んでいたか。全き色男振りであるが其れは、さて措き、青海波を同行しなかった親兵衛は走帆を必要とした如く、やはり京でも現地夫ならぬ信乃の代理を欲しただろう。秋は金気であり西に配当される。よって「秋」は「西」であって、「秋篠」は「西/京の信乃」にも通ずるか。また、姥雪代四郎は富山で親兵衛を養育した実績があるけれども、結城法会に合流し他七犬士と邂逅した親兵衛と緊密に結ばれていく。もう代四郎は道節なんて振り返らない。親兵衛一筋に生きていく。第百四回で久々に登場した姥雪世四郎は、何故だか「与四郎」になっている。この不可思議な現象は第百二十三回で説明されている。

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犬江腋子に倶して出世の那日より数ならでども我通称の世四郎の世を与に改めて与四郎と喚れ候ひき。こは惶うも君が名乗(忠与←道節)の与の一字を賜りし心操にて候なり。恁れば君が御名代に身は逸早く安房に在り。世四郎ならぬ君が名の一字を戴く名頭こそ故を忘れぬ愚僕が本性この義を饒させ給へかし
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 要するに、主人道節の名「忠与」の一字を勝手に使っていたのである。事後承諾を求められた道節は、

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そは左も右の事ながら、同じくは与四郎の与を改めて代の字に做さば即我に代るの義あり。又与の字も捨がたくは今よりして姥雪代四郎与保と名告りねかし
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 あっけなく「与四郎」は却下され、「代四郎」となった。これまで、「与四郎」は信乃の愛犬と同名であり、「代四郎」は与四郎犬の「代わり」だとの解釈が通用してきた。是である。そして、いま一歩進めば、此は親兵衛と信乃のアヤシイ関係が、尚も緊密化することを意味している。妙椿狸の詐術に陥ちた里見義成は親兵衛と浜路の関係を疑うけれども、浜路は信乃としか結び付けない女性だ。姫は他に七人もいるのだし、もっと歳のバランスを考えて不倫を設定すれば良いものの、浜路を持ち出した不自然さは、親兵衛と信乃のアヤシイ関係を前提にすれば、理解が可能となる。結論を先んずれば、【親兵衛と信乃は、ちょっとカブってる】のだ。また妙椿狸に唆された恰好ではあるが、蟇田素藤が浜路姫に劣情を催し陵辱せんがため養女として所望した事から、里見家と素藤の戦闘が起こり、姉が駄目なら弟で良いや、と思ったワケでもなかろうが、素藤は義通を緊縛して辱める。陰なる日本武尊の死因は伊吹山に在ったが、伊吹山出身の蟇田素藤は「蟇」なんだから、当然、信乃に覆い被さりネチネチと苛んだ蟇六と無関係でないと知れる。また蟇六は、浜路を養女にしていた。蟇は土性であり、土剋水の理に於いて、水気の信乃を責め立てる。結局、蟇六により簸上宮六と無理に結婚させられそうになった浜路は自殺を企て、網干左母二郎に略奪された挙げ句、殺された。しかし蟇田素藤は浜路姫を得ることなく、【信乃と、ちょっとカブってる】木気の親兵衛を敵に回すこととなった。木剋土、親兵衛は当然の如く勝利した。

 別に特別な論理ぢゃぁない。「日本ちゃちゃちゃっ」シリーズでも述べた如く、火の王朝を標榜した天武は正統近江王朝の当主で甥でもあった大友皇子を金気と決め付け、火剋金、死に至らしめた。が、天武の妻・持統は皇位を継ぐに当たって何等かの呪法を行ったと見られる。日本書紀の記述に、犬と蛇がセックスしたと思ったら、いきなり死んだ。と書かせねば気が済まなかったことは確かだ(実際に日本書紀は持統の孫の代に成立したが王朝としては連続しているし編纂開始は天武期だったかもしれず、当然のことながら、持統を否定できはしない)。火の王朝が存続する為には、水剋火、水は予め滅んでくれていなきゃなんない。だからこそ、自分が滅ぼした金気(犬)と自分を滅ぼすであろう水気(蛇)は、一緒くたに死んでくれてなければならぬ。何せ、金生水、水は金の子であり、金を滅ぼせば当然、子の水は仇を討とうとし、水剋火、復讐は成就する。此の関係が木気の親兵衛と水気の信乃の間にも見られるのだ。土剋水、水は土に侵され苛まれるが、水生木、水の子である木は、木剋土、水の復讐を代行し土を倒す。水気の姫・浜路略奪を廻り里見に弓引く素藤は、まぁ里見は源氏の白旗、金気の一族であるから、土生金、土気の素藤に実は頭が上がらない。母は(子を束縛するが故に)凶、である(あくまで「五行大義」の説であり現実の親子関係に対し筆者が思うところとは違うんだけれども)。恐らくは唯一の木気犬士・親兵衛の力なくして、素藤討伐は成らなかったであろう。親筋の信乃が親兵衛と良好な関係にあるは、束縛していないからだろう。
 そう、親兵衛の素藤討伐は、五行説上の一致せる敵役、信乃を囲い苛み続けた蟇六もしくは浜路を市に至らしめた蟇六への復讐を、親兵衛が代行したものと読める。復讐を代行する為には、本人と無関係ではイケナイ。親兵衛の実父房八が信乃と瓜二つであるとの設定は、房八が信乃の身代わりとして死ぬ為だけではなく、其れゆえ信乃が恩義を感じて親兵衛の父代わりに後見をしようと決意するのみならず、霊的な父信乃の代理として親兵衛に浜路守護すなわち素藤討伐をさせるのだ。また、それ故、第一回上洛時に於ける親兵衛唯一の失態、駅鈴の借り受けを、糊塗するために「あき信乃」が登場する。変態管領・政元のことだ、駅鈴を私用で持って行った粗忽の罪を殊更に言い募って公の捕り手を派遣、赤い縄を白く豊満な膚に食い込ませる亀甲縛りで蝋燭垂らし、石抱き海老責め三角木馬、お好きな方は荘助よろしく水責めは別料金(な、何の?)、船虫だったら吊るし責め、噛んではならぬが舌を絡め四肢を絡め、アンナコトやソンナコトや、此処には書けない事どもを、しようとしていたに違いない。秋篠が、そ知らぬ顔で駅鈴を逸早く返却したとき、政元の「苦咲(にがわらい)」が、事情を語っていようか。あき信乃は、(霊的な)親(の其のまた代理)として親兵衛の操を守ったのである。

 復た同時にヨツシロ走帆に乗るdesired親兵衛は、与四郎犬に乗る女装美少年・信乃とダブる。元々親兵衛と信乃は濃密に繋がっているが、秋篠と親兵衛の関係に依って、裏面からも証明できる。かてて加えて、親兵衛の【現在】と信乃の【過去】がダブっている(作中)事実は、親兵衛は過去の信乃が変形し理想化し繰り返され描かれた存在であることを示している。また理想化を貫徹する為にこそ、信乃/秋篠は、親兵衛を庇護し導く。馬琴は、大塚家に同化しているとも考えられるので、人の親でもあった馬琴が夢見た理想の親子関係こそ、親兵衛と信乃/秋篠の関係であったかもしれない。
 また一方で、「母殺し」で述べたように、【善なる(祖)母】妙真と表裏一体の【悪しき母】八房の養母・妙椿狸(房八を犬士の霊的な父とすれば母であり、房八の母とすれば祖母となる)は、親兵衛に滅ぼされねばならなかった。先立って親兵衛は、もう一人の【善なる母】伏姫を独占して、富山で育つ。伏姫が天照皇太神の神話を纏っていることは、夙に述べた。傍証として、親兵衛が再登場する段になって「田税(たぢから/田力雄)」なる里見配下の武士が登場することを挙げた。結局、伏姫が親兵衛となって再来したってことだ。勿論、伏姫その者としてではない。イデア世界に於ける、伏姫と根を同じうする何者か(天照への繋がりから太陽のイメージか)が、親兵衛にも繋がっている、ぐらいの意味だ。言い換えれば、伏姫の雄々しい部分が親兵衛に凝縮されたか。
 では、伏姫の女性性は何処に行ったのか、散ったのか? そうではない。親兵衛に先行して、いや犬士全員を代表して、伏姫との繋がりを、犬に乗る美少女との形で強調された信乃の事例がヒントになる。信乃は形こそ女性的であるが、純然たる男の子であった。対して伏姫は、恐らく女性である。信乃が女装を解き、少年として成長し、男として旅立つと、許嫁の浜路は、すぐさま殺された。恐らくは伏姫から分化した女性性の権化が、浜路であった。言い換えれば、浜路は(作中で)実在する人物であったが、信乃のアニマであったと考えられるのだ。男として旅立つとき、(心理学からすれば不健全かもしれないが)信乃のアニマは一時的にせよ否定されねばならなかった。勿論、アニマとかアニムスとかって言葉を、馬琴が知っていたとは思えない。が、所詮、心理学とか精神分析とか、昔から(西洋近代で)常識とされている所を小難しく説明している部分が多いようだ。ブルジョア道徳の枠から出れば、変態だと判断したがる。真実の曠野は、より広い。今まで縷々述べてきたように、絶え間なく流動しつつ確固たる存在の表出を描いた八犬伝が、そんな単純な分析手法で捉えられる筈もない。が、用語としては便利だから使うんだが、伏姫は死ぬ直前に【変成男子】、自らの女性性を断ち切ろうとしたが、信乃は自らのアニマを旅立ちに当たって切り捨てた。アニマの表現たる浜路は、闇に葬られてしまう。しかし、旅の中で仲間と出会いつつ、信乃は(後の)浜路と巡り会う(第六十八回)。アニマを再び獲得したことになる。直前には大角が、現八の支援を受け、【悪しき父】からの独立を果たしている(第六十六回)。此の辺り(第七輯から第八輯)で、犬士が大きく成長し、互いの連帯を強めていく。各キャラクターが、内包するモノを分化し結合し継承し変化する様は、いかにも目まぐるしい。此の土壌には、恐らく仏教がある。この上ない不信心者である筆者だが、若干の説明を試みてみよう。

 犬士の玉は天地開闢時に生まれ出たものだ。其れは神に等しいかもしれない。「開闢」とは、混沌なる宇宙が天(陽)と地(陰)に分かれた現象を謂う。犬士の玉は、明るく光る水晶ってんだから、陽と思える。就中、田税逸友(←従姉妹の田税戸賀九郎逸時と共に田力雄の移し身と思量される)の登場によって、天照/伏姫に代わって再登場する親兵衛は、照り輝ける存在だ。「仁」は少陽ではあるが、陽極まって陰萌す、太陽は既に下降を余儀なくされている。少陽の方が、上昇ベクトルが大きい。三日会わざれば刮目して対せねばならぬ、成長期の少年(女性含む)だ。故の放射、光である。対して丹波国桑田郡産の甕襲の玉は、表面が毛皮であった。毛色によって異なろうが、狸だから暗褐色であろう。陰のイメージである。陰なる玉を操る妙椿狸は、輝ける少年犬士/親兵衛仁と敵対する。拝火教ではないが、陰と陽との戦いだ。結局(ってぇか、あっけなく)、陰/妙椿狸は敗れ去る。背には「如是畜生発菩提心」の八字が烙印されていた。現世に於いて【陰】を表現した一つの魂が、無に帰した途端、救済された、と見るべきだろう……。さて、八百比丘尼が操った陰の玉を使い、洲崎沖海戦で丶大は巽風を起こした。後に、甕襲玉の毛皮が破れ八個の「白玉」が現れた。陰が陽に転換された。玉の各々には文字が浮かんでいた。並べ換え、「三」を二度読めば、「阿耨多羅三藐三菩提」となった。此の玉は洲崎沖法会に供された。
 「然る程に夕陽西に斜にして、法会の読経果しかば(中略)一蓮托生、等見菩提(中略)当下丶大は阿耨多羅三藐三菩提の識算ある数珠をうち揮りうち払ふ、縦横無碍の法力に、奇しきかな、識算の八の玉を串きし数珠の緒、弗と振断離られて海へ■(水のした入/ザンブ)と入よと見へける、那時遅し這時速し、渦く潮水に波瀾逆立て、百千万の白小玉、忽焉として立升る、白気と倶に中天に、沖りて宛衆星の、烏夜に晃くに異ならず。又其許多の白小玉、亦只数万の金蓮金華と変じて、赫奕光明粲然、没日と共に西に靡きて、掻銷す如く見へずなる随に、天には残る二藍の、瑞雲の中に音楽聞えて、暮果るまで奏々たり」(第百七十八回下)。正に渾身の筆致である。洲崎沖火計と共に、八犬伝中最大級のスペクタクルだ。
 法会の遙か後、里見義成は延命寺で八犬士と会同し、牡丹花を賞翫する(明応九年四月十六日/第百八十勝回中編)。結城落城から還暦、六十年目である。暦の一回り最後の時だ。其の最後の時、犬士から此の日までに【玉の文字が消えた】【牡丹の痣が消えた】事実が報告される。丶大は説く/解く「甕襲の玉は変じて金蓮金華と做りて、散乱して消滅したり。今按ずるに、蓮は其の字、艸に従ひ走(ホンジのソウニョウ)に従ふ。輪回は車の回るが如し。則是当館の仁心善政の積徳にて恩怨応報の輪回、正に尽るの兆なるべし。又各所蔵の霊玉は仁義八行の文字ありといへども、君仁にして臣も亦仁ならば、別に仁義八行と名る者なし。老子に所云、大道廃れて仁義起るとは是なり。所云大道は至仁至善なり。人至仁至善なれば、不仁不善と名くべき者なし。大道廃れて不仁者あり悪人あり。於是乎、聖人仁義礼智忠信孝悌の八行を立て、もて人を教、人を警めたり」(第百八十勝回中編)。
 則ち、犬士が「八行」なる理想を掲げたは、周囲が陰であったからだ。周囲が陰でなければ、陽は存在し得ない、若しくは、周囲が陰であっても陰でなければ、即ち陽だ。逆に、影は光ありてこそ存する。周囲が陰に覆われているとき、陰に与しなかった故に、犬士は犬士となり、陽となった。易きに流れる人の性、しかし犬士は、流されなかった。流れの中で流されないためには、抗力、エネルギーが必要だ。多くの場合、其のエネルギー源は、【恨】であったかもしれない。犬士は、典型として、不幸に見舞われている。若しくは、父親だか誰だかの、糠助の如く或いは弱々しいものであったかもしれないが、善/光/陽を指向する心性を受け継いだのかもしれない。とにかく正の走光性が、犬士の条件であった。「大道廃れて仁義起こる」「大道廃れて不仁者あり悪人あり」これは、大道が維持されていれば、仁義(善玉)も無ければ、悪人も存在し得ない、と言っているに等しい。仁義を喧しく求める者があるとは、大道が廃れている証拠だ。馬琴の時代が、そうだったのだろう。一方、求める者がいなくとも、大道が維持されているとは限らない。求めることにも、エネルギーが必要だからだ。
 喩えば、宇宙の姿は元来、とてつもなく冷たく、この上なく暗い。無である。しかし、其処は全くの無ではない。顕れていないだけで、光の元、熱の元になる資質が存する。無にして、無ならず。空にして、空ならず。伏姫とは、人(明)にして犬(無明)であるとは、以前に述べた。混沌である。何かの拍子に光が発生し、熱が生まれる。闇や冷たさが、太一……ぢゃなかった対置するものとして、顕れる。色々あって、現在の宇宙になる、ってぇのが、仏教の宇宙論だろう。しかし、陰に対置する陽は、エネルギーなくして陽たり得ない。エネルギーが全く無くなれば……冷たく暗い宇宙が広がるだけだろう。人も同様である。肉体の裡に何等かの化学反応もしくは活動あってこそ、生きている。生きるとは、エネルギーを要することなのだ。人は少陽であり、其れが故に仁/木気に配当される。虚飾を脱ぎ去れば、人は仁(ひとし)く、仁(ひと)となる、仁(たね)を有する。性善説だ。また、此を恐らく「阿耨多羅三藐三菩提」と謂うのだろう。
 八犬伝に拠ると、「阿耨多羅三藐三菩提」は、「按ずるに、瑯■(王に邪)代酔篇に、阿耨多羅を等見の義と注し、三藐三菩提を成正覚とす。是則、等く正覚を成を見るの義にて、正覚を菩提とす。又一説に、阿耨多羅三藐三菩提は、儒に所謂仁に同じ」(第百七十八回下)だ。ところで「瑯■(王に邪)代酔篇」(和刻本では「琅邪代酔編」とも表記する。以下「代酔篇」)は、明の拗ね者インテリ張鼎思の読書ノートだ。翰林学士(唐から始まった役所で国家最高の文人が列した。王朝により或いは政治の枢密に与ったけれども明では専ら皇帝に親しく講義する役だったりするブレーン集団)だったのだが権門勢家の意に逆らい地方の卑閑職/駅丞に左遷された。こうなりゃ酒を飲むしかないが、酒を飲んで酔う代わりに万巻を繙き万感の思い慰めた。「酔う代わり」だから代酔篇だが、読んだ本で気になった箇所を抜き出しノートに連ねたものだ。其の代酔篇を読んで、「阿耨多羅三藐三菩提」ほか、気になった箇所を以下に引く。

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菩薩
梵語菩提此云覚梵語薩■(ツチヘンに垂)此云有情言菩薩者本云菩提薩■(ツチヘンに垂)欲簡於称呼故者文言菩薩此云覚有情也凡有生皆有情菩薩乃有情之中覚者耳仏有覚性而無情菩薩亦未免有情故謂之覚有情
阿耨
梵語阿此云無梵語耨多羅此云上梵語三此云正梵語藐此云等梵語菩提此云覚阿耨多羅三藐三菩提者乃無上正等正覚謂無上真性也
涅槃
梵語涅槃此云無為楞伽経云乃不生不死之地一切修行之所依帰仏説施燈文云願一切衆生皆得涅槃微妙光明世人誤認以為死大非也(以上巻三十二)
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夜明杖
隠士郭林有一柱杖色如朱染叩之則声毎出処遇夜則此杖有光可照数十歩之内危陟険未嘗失足蓋杖之力焉(開元天宝遺事)(巻二十三)

北斗為人
童謡国史纂異李淳風奏北斗七星当化為人至西市飲酒使人候之見七僧共飲一石太宗召之七人笑曰此必淳風小児言我也忽不見(巻二十九)
女子化丈夫
女子化為丈夫者漢末好徐登化為丈夫有幻術晋安豊女周世寧八歳漸化為男至十七八遂能御女寧康初江陵女唐氏劉聰時内史女人唐光啓二年■(眉にオオザト)県好宋乾道三年水州支氏女慶元三年袁州黄念四女括異志広州粛氏女大娘子並化為男丈夫化為好者華陽国志武都丈夫化為女子蜀王寵之至下国漢哀帝建平中豫章男子化為女嫁人生一子建安七年越雋男子劉曜時武功男子蘇撫陜男子伍長平並化為女京房易伝曰女子化為丈夫茲謂陰昌賤人為王丈夫化為女子茲陰勝陽厥咎亡洪景盧謂為釈證南渡後有之不為災矣偶因戊辰年記此(■荅にニジュウアシ/州巵言)
魏世家襄王十三年女子化為丈夫不著其姓名文王四十二年武王之元年也有女子化為丈夫見竹書紀年(巻三十三)

桃花犬
淳化中綿州貢羅紅犬嘗循於御■(ツチヘンに日したに羽)前太宗不豫犬不食上仙犬号呼涕泗以至疲瘠見者隕涕参政李至作桃花犬歌以寄史館末云赤麟白鳳且勿喜願君書此懲浮俗(巻三十八)


陸機有駿犬名曰黄耳甚愛之機在洛●無家問笑語犬曰我家絶無書信汝能斎書取消息否犬揺尾作声機乃為書以竹筒盛之而係其頸犬尋路南走遂至其家得報還洛(夢弼)(巻三十八)


鉄囲山叢談云嶺右俗淳物賤始吾以靖康丙午来愽白時虎未始傷人独村落間竊羊豚或婦人小児呼躁逐之筆委置而走有客嘗過墟井繋馬民舎籬下虎来瞰籬客懼民曰此何足畏従籬旁一叱而虎已去村人視猶犬然十年之後流寓者日衆風声日変百物湧貴而虎浸傷人今則啗人与内地殊風俗澆厚亦及禽獣耶先王中孚之道信及豚魚知筆不誣(巻三十八)

兎烏
旧伝兎無雄故望月而孕吐而生子博物志嘗言之王充論衡兎舐雄豪而孕及其生子従口中出古楽府雄兎脚樸■(キヘンに漱の旁)雌兎眼迷離二獣逐地走安能知我是雄雌然則兎自雄雌雄得雌雄難弁耳詩曰■(ゴンベンに巨)曰予聖誰知烏之雌雄是烏之雌雄亦難弁者古者曰烏月兎相伝已●伝曰日無光則烏不現烏不現則飛鳥隠竄漢元帝永光元年日中無光其日長安無烏而今世卜兎之多少者以八月之望月明則兎多月暗則兎少故説者謂天下之兎皆雌而顧兎為雄然無謂天下之烏皆雌而三足為雄者禽経曰慈烏反哺蓋烏始生母哺之六十日稍長子反哺其母如其日数烏知未然故所在人忌之而西南人事烏為鬼亦以其先知也太公曰愛人者愛其屋上烏憎人者憎其儲胥言愛憎因人而遷如此羅願曰日中烏三足故説者以為烏三点者法三足然説文烏足以七皆従七無三足之義且■(寫の旁)焉皆鳥名従烏之類豈筆皆三足耶此与数馬足者類矣(巻三十九)

象膽
象膽随四時在足春在前膊左夏在前膊右熊膽春在首夏在腹秋在左足冬右足■(虫に冉)蛇膽随日転上旬近頭中旬近心下旬近尾或云■(蛇に冉)蛇膽随繋而応■(魚に嘗)魚膽春夏近下秋冬近上鼠膽在首或云鼠無膽■(キエモノヘンに章)亦無膽■(魚に侯)■(魚に夷)亦無膽(巻三十九)


戴仲培曰戦国策趙威后問斉使歳無恙耶王亦無恙耶晋顧■(リッシンベンに豈)之与殷仲堪牋行人安穏布帆無恙隋日本遣使称日出処天子致書日没処天子無恙風俗通云恙毒蟲也喜傷人古人草居露宿相労問曰無恙神異経云北大荒中有獣咋人則病名曰■(ケモノヘンに恙)■(ケモノヘンに恙)恙也常入人室屋黄帝殺之北人無憂謂無恙蘇氏演義亦以無憂病為恙恙之字同或以為蟲或以為獣或謂無憂病広千禄書兼取憂及蟲事物紀原兼取憂及獣予看広韻其義極明於恙字下云憂也又■(クチヘンに筮)蟲善食人心也於■(ケモノヘンに恙)獣如師子食虎豹及人是■(ケモノヘンに恙)与恙為二字合一之神異経誕也(巻三十九)

返魂香
劉家河天妃宮永楽初建一日僧自外帰見鼎中二鶴卵命還之巣行者曰卵已熟矣僧曰吾豈望其生但免鶴之悲鳴而巳後数日忽出二雛僧異之探其巣見一木尺余許五彩錯雑成錦紋香風馥郁持供仏前後有倭人入貢道劉家河入寺見仏前所供木問僧買之僧給之曰有盖造後殿観音閣則与之倭請酬之以価五百金僧遂与之去後数年倭人復来訪前老僧已故矣因留金作享其徒詢所取之香何物也曰此■(ニンベンに遷の旁)香也焚之死人之魂復返聚窟州所出返魂香是也(客座新聞)
十洲記聚窟州在西海中北接崑崙二十六万里州有神島山多大樹与楓木相類而花葉香聞数百里名曰返魂樹伐其根心於玉釜中煮取汁更■(徴の王が一と口)火煎如黒■(食に錫の旁)状令可丸之名曰驚精香亦曰震霊丸或名反生香或名震檀香或名神鳥精或名却死香武帝時月支国献香四両大如雀卵黒如桑椹帝以付外庫後元元年長安城内病者数百亡者太半試取香焼之死未三月者皆活於是信知其神物也(巻四十)

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全体を通して、上記の如き塩梅だ。怪しい事どもも書き連ねてあるが、まぁそんな時代だったのだろう。但し表記は簡潔で、備忘録として巧く要約している。「阿耨多羅三藐三菩提」に至っては、要約し過ぎだ。私の引いた宝暦三年の和刻本と馬琴の引用には表記に異同はあるが、意味は同じである。また代酔編(即ち馬琴)の説明は、現在流布している仏教辞典なんかと同様のものだ。特別な解釈ではなく、しかも表記が最小限かつ穏当至極であり、何等かの特殊な立場を暗示する者でもない。即ち、常識の部類であり、別に代酔編など持ち出すまでもなく説明しても然るべきものだ。故に、馬琴が代酔編を持ち出した理由は、或いは秘められたものがあるかもしれぬが、現時点では代酔編自体の権威を纏ったのみと考えておく。
 「阿耨多羅三藐三菩提」を常識的な意味として解釈することを馬琴も支持していると見做し、話を続けよう。即ち阿耨多羅三藐三菩提(梵語として訳すると絶対至上の悟り、ぐらいになる)は、「誰もが絶対至上の悟りに至ることが出来る」との確信、即ち、人には本来ならば其の資質がある、との信念を持つこと其のものが、「絶対至上の悟り」だと、馬琴は考えているようなのだ。
 では何故に、筆者も含めて「絶対至上の悟り」を得ていないのだろうか。仏陀が得た、最高の悟り、即ち最高の真理は、「人は皆、絶対至上の悟りに至ることが出来る」ではないのか??? 簡単に云えば、【修行が足りない】のである。いや、抑も「菩提心」を発生させていないからかもしれない。では「如是畜生発菩提心」との呪文で悟りへのスタートを約束された八房/玉梓(と伏姫)の子供たち、犬士は、阿耨多羅三藐三菩提の境地に至ったか? 結論を言えば、至った。(恨み辛みが原動力だったのかもしれぬが)苦闘勉励した犬士は、阿耨多羅三藐三菩提の境地に至った。何故なら、八犬伝に於いて、玉に浮かぶ文字は、持つ者の性格を現すが、近しい未来の状態を予言することもある。上に挙げた「如是畜生発菩提心」が例である。此の文字が浮かび、玉梓は成仏した。八房すなわち畜生となって里見家に仇なした玉梓が成仏することを約束したのが、玉に「如是畜生発菩提心」が浮かんだ現象であった。ならば、「阿耨多羅三藐三菩提」が玉に浮かんだ以上、其れは実現されねばならない。故に、犬士たちは、阿耨多羅三藐三菩提の境地に至ったと考えられる。で、其の境地が如何なものだったかといえば、仙人となることだった。阿耨多羅三藐三菩提の説明で、いきなり老子が引っ張り出されていることからも、解る。合理的処世術(儒教)を道具として駆使し闘い抜いた犬士たちは、仏教・道教ないまぜの最高地点に至る。前近代の(仏教側からの)理想像、三教融合だ(一方、儒教は仏教を貶そうともしていた)。

 阿耨多羅三藐三菩提は、通俗に見れば、誰もが絶対至上の境地に至るのだから、努力は必要ない、と思われがちだし、善を為しても為さずとも同じ、易きに流れる人の性、本来からして欲望の儘に生きることこそ正直な生き方、とばかりに、困ったときにはウルトラマンが助けてくれる、と思っているのか、いないのか、周囲に只迎合し、期待される人間像を決め込む、こともママある。確かに現代でも、性善説を背景に平等な共生を理念として掲げるべきだと、筆者も実は思っている。しかし既に通俗に謂う所の「本能」から実は逸脱しちゃってる人間(逸脱していなければ時候・環境によって発情する筈だし生理的欲求に直接繋がらぬことにも情熱を捧げる事例を説明できない)を、其の通俗の謂う所の「本能」で説明して悦に入っている次元(即ち虚妄作為の次元)では、幾ら口先で「平等」なんぞ言うたところで、其れ自体、菩提心を発していないのだから、阿耨多羅三藐三菩提には遙かに遠い。仏陀の別名は莫迦梵(ばかぼん)ではあるが、王子様だったからって、馬鹿ボンではないのだ。
 私は単なる日曜史家として、気が向いた時にのみ気が向いた僅かな経典を繙くに過ぎぬが、仏陀ほど喧嘩腰の強い奴ぁ他に余り知らない。非暴力に生きる勇気とは、最大の喧嘩腰だ。喧嘩腰では犬士も負けてはいない。金剛石の如き堅固な心の持ち主だ。が、仲間に対しては、連帯と友愛の精神で当たる。同じ家中なのだから、競り合っても良さそうなものだが、競り合いは、準犬士/政木大全と小文吾の間に起こった風流を纏う【鯛争い】ぐらいのものだ。まぁ道節は毛野の陰口を叩いているようにも見えるが、毛野の評価を貶めようとしているのではなく(毛野が智恵第一等であるとの評価は動かしようがない)、単に愛情深い音音に甘やかされた馬鹿ボンだから、拗ねた時に甘えたい気分になって、口を滑らしただけだろう。目くじら立てる程の事ではない。しかし犬士は、極端な迄に勉励する。勉励とは、他者との相対的位置関係から見れば【競争】と言い換えられる。が、別に競争している風でもない。犬士は、横並びの相手を気にして勉励するのではなく、ただ真っ直ぐ前を向いて、とにかく前に見える理想に最大限近付こうとしているに過ぎない。各々が前だけ向いて勉励(己との競争)をするから、足の引っ張り合いや離合集散、誹謗合戦など、全体にとって無駄な足踏みをしない。連帯しつつの競争、故に極めて効率的に総合力が向上する。理の当然だ。対して、現代社会は、「成果主義」(伯楽はあらず。実は【お仲間同士舐め合い主義】に過ぎない)とか何とか、生産性の面で余りに無駄が多すぎる……。
 結局、犬士は現世の栄達を放棄し、霞を食って生きる仙人となった。彼らは亀笹を船虫を、そして其の他の悪役たちを、如何様に思い出していただろうか。彼らが仙人になったことから、彼らが仙人となるべき特殊な資質を持った人間であることが判明する。……いや、人間ではなかったのだ。鬼神/精霊と呼んでも良い。元々伏姫と八房犬の気が相感し出来たんだから、少なくとも普通ぢゃない。普通でない彼らも、八行の文字が浮き出た玉を持っていた間は、曲がりなりにも人間であった。玉の文字が消え牡丹痣が消えた後、彼らは仙人となっていく。玉と牡丹痣が、如何にか彼らを人間(じんかん)に引き留めていた如きだ。玉は伏姫から分与されたもの、牡丹痣は八房から分与されたものと見ることが出来る。二人(一人と一匹?)の【思い】によって、漸く彼らは人間に引き留められていたのだ。二人(一人と一匹?←以下「二人」)の思いによって、犬士は里見家を扶けることを使命とされた。使命を終え、自分を限定していた玉を失い痣を失い、犬士は本来の、人ならざる人へと戻る。一切は空、しかして空は絶対的虚無ではない。彼らの道行きは、無ではない。始点と終点が一致したからと言って、何もしなかったことにはならない。膨大な有を含む空……。彼らは無に帰し象徴となったが、其の記録された行為によって、後世にプチ犬士を生ぜしめ得る。稗史の真骨頂である。さて、次回は「阿耨多羅三藐三菩提」を面白く表現している経典を紹介しよう。読んで下さっている方に贈るオマケである。(お粗末様)
 

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