八犬士伝第二輯自序

稗官新奇之談、嘗含畜作者胸臆。初攷索種々因、果無一獲焉。則茫乎不知心之所適。譬如泛扁舟以済蒼海。既而得意、則栩々然独自楽。視人之所未見、識人之所未知。而治乱得失、莫不敢載焉。世態情致、莫不敢写焉。排簒稍久、卒成冊。猶彼舶人、漂泊数千里、至一海嶋、邂逅不死之人、学仙得貨、帰来告之于人間也。然如乗槎桃源故事、衆人不信之、当時以為浪説。唯好事者喜之、不敢問其虚実、伝■シンニョウに台/数百年、則文人詩客風詠之、後人亦復吟哦而不疑。嗚乎書也者、寔不可信。而信与不信有之。自国史絶筆、小説野乗出焉。不啻五車而已、屋下加屋、当今最為盛。而其言■言に灰/諧、甘如飴蜜。是以読者終日而不足、秉燭猶無飽。焉然益於其好者、幾稀矣。又与夫煙草能酔人、竟無充飲食薬餌者、無以異也。嗚乎書也者、寔不可信、而信与不信有之、信言不美。可以警後学、美言不信可。以娯婦幼、儻由正史以評稗史、乃円器方底而已。雖俗子、固知其難合。苟不与史合者、誰能信之。既已不信、猶且読之。雖好、又何咎焉。予毎歳所著小説、皆以此意。頃八犬士伝嗣次。及刻成、書賈復乞序辞於其編。因述此事、以塞責云。

 

文化十三年丙子仲秋閏月望抽毫於著作堂南■片に聰のツクリ/木■キヘンに犀/花蔭

 

蓑笠陳人解識

 

稗官新奇の談、かつて作者の胸臆に含畜す。はじめ種々の因果を攷索して、一も獲ることなきときは、則ち茫乎として心の適{ゆ}く所を知らず。譬えば扁舟を泛{うか}べて、以て蒼海を済{わた}るがごとし。既にして意を得れば、則ち栩々然として独り自ら楽しむ。人のいまだ見ざる所を視{み}、人のいまだ知らざる所を識る。しこうして治乱得失あえて載せざることなく、世態情致のあえて写さざることなし。排簒やや久しうして、卒{つい}に冊を成す。なお彼の舶人が漂泊数千里にして一海嶋に至り、不死の人に邂逅して仙を学び貨を得て、帰り来りて之を人間に告げるがごとし。しかれども乗槎桃源の故事のごとき、衆人は之を信ぜず。当時、以て浪説と為す。ただ好事の者は之を喜ぶ。あえてその虚実を問わず、伝えて数百年に至れば、則ち文人詩客が之を風詠す。後人もまた復た吟哦し、しこうして疑わず。ああ、書はまことに信ずるべからず。しこうして信と不信と之あり。国史の筆を絶えしより、小説野乗出る。ただ五車のみならず、屋下に屋を加え、今に当たりて最も盛んとなる。しこうしてその言の■ゴンベンに灰/諧は、甘きこと飴蜜のごとし。是を以て、読者は終日にして足らず。燭を秉り、なお飽くことなし。しかれども、その好む者に益あること幾{ほとん}ど稀なり。また、それ煙草はよく人を酔わしむれども竟に飲食薬餌に充ることなきに与{ひと}しく、以て異なるはなし。ああ書は、まことに信ずべからず。しこうして信と不信と之あり。信の言は美ならず。以て後学を警むべし。美言は、信ならず。以て婦幼を娯しますべし。もし正史に由りて稗史を評すれば、乃{すなわ}ち円器に方底するのみ。俗子といえども、もとよりその合わせがたきを知る。いやしくも史と合せざれば、誰かよく之を信ぜん。既に已{すで}に信ぜずして、なおかつ之を読む。好むといえども、また何ぞ咎めん。予が毎歳著す所の小説は、皆この意を以てす。ちかごろ八犬士伝を継ぎ出す。刻成るに及びて書賈の復た序辞をその編に乞う。よりてこの事を述べて以て責めを塞ぐと云う。

 

文化十三年丙子仲秋閏月望毫を著作堂南■片に聰のツクリ/木■キヘンに犀/花蔭に抽く

 

蓑笠陳人の解き識す

 

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八犬士伝第二輯口絵

 

【花見客が酔い浮かれている前で、軍木五倍二が亀篠を踏まえている。貸樽から口に酒を注がれ藻掻く亀篠。樽を右手で押し返そうとしている。向かって左横には、手束の胸ぐらを掴み包丁を突き立てようとする犬塚番作。仰け反り番作の腕を押し返そうとする手束の口には書状が銜えられている。井丹三・大塚匠作の間で交わされた二人の婚約を記す手紙か】

 

酔ぬともいはれぬ春の花さかりさくらも肩にかかりてぞゆく

 

軍木五倍二亀篠

 

春風のやしなひたてしさくら花またはるかぜのなそちらすらむ

 

犬塚番作手束

 

★試記:酔ぬとも言はれぬ春の花盛り、桜も肩に懸かりてぞ往く/春風の養い立てし桜花、また春風の、なぞ散らすらん。共に抵抗力の少なそうな相手/この場合に限っては「女性」にも暴力を発動し得る性格が語られているが、両者は対称的に描かれている。共通点である、女性に暴力を揮う一瞬をそれぞれ切り取り、「対称」を際立たせている

★肇輯口絵は漠然とでも全体の構想を読者に示す為、まだ登場しない八犬士も描かれている。第二輯では「およそは七巻十四回を前帙とせまほしかりしに、書肆の好み已ことを得ず、かくて毎編五巻を年々嗣出す事になん」と、何やら馬琴も投げ遣り気味に書いている。

実際、十四回に於いて伏姫の胎内から犬士精が奔出するし、十五回からは初出犬士/信乃および父親/犬塚番作の物語となる。かなり区切りがよい。仮に十四の二倍、二十八回までを第二輯とすれば、信乃は既に旅立ち、犬山道節が異母妹/浜路と出逢う段までだ。二十九回で道節と犬川荘介が絡み合い、新たな展開が見られる。十四回までと違って、必ずしも二十八回で切らねばならぬこともないが、此処辺りまでは、馬琴は自然な呼吸で書いたのではないか。二十八回までには、軍木五倍二・網干左母二郎・土田土太郎・交野加太郎・板野井太郎も登場する。彼等は第二輯{二十回迄}の口絵に描かれながら、第三輯まで登場しない面々だ。

「右の簡端なる出像中にも、第三輯の巻々にて、はじめて説出すものあり。そは軍木五倍二・網乾左文二郎・土田土太郎・交野加太郎・板野井太郎、則これ也。予ては発端のみにして、八士のうへは定かならぬに、書肆が責を塞んとて、稿本はまだ其処へ至らず。すぢすらいまだ考起さで、無心にしてまづ画をあつらへ、後にその画にあはしつゝ作りなしたるところもあれど、縡大かたはたがへるものなし」である。

本来なら、肇輯は十四回まで、第二輯が二十八回前後までであったのだろう。様々な蘊蓄を垂れつつ馬琴が思う様に書いた息継ぎが十四回もしくは二十八回であったのだが、書店の意向で十回宛でブッた切られたのだろう。第三輯口絵は、道節と犬飼現八、糠助・大塚蟇六、背介・簸上宮六であり、第三輯までの登場人物に収まっている{現八は三十回末尾でギリギリに登場する}。本文が口絵に追い付いている。馬琴の筆が、十回の呼吸に合ってきたのだろう。

則ち、現行八犬伝は、肇輯・第二輯で口絵と本文がズレていると想定できる。それでも肇輯口絵は全体への導入であって肇輯だけのためのものではないから、第四輯あたりで漸く出揃う犬士全員が描かれている。丶大こと金碗八郎孝吉だって肇輯では、二十歳過ぎの若武者である筈なのに、スケベェそうなメタボリック体型の中年オヤジとして描かれている{彼の名誉のため申し添えると、こんな体型で描かれることは以後、一度もない}。第二輯口絵は専ら同輯のためのものである筈だが、同輯本文に登場しない軍木五倍二が描かれている。しかし上記の如き事情から口絵は、第十五回から二十八回まで【幻の第二輯】に合わせて描かれたと思しい。二十八回までに五倍二は登場し、第二十九回で亀篠を殺す。

八犬伝の口絵は全編を通じ、概ね当該輯に登場する人物のキャラクター紹介となっている。見開き若しくは同一画面に描かれる複数の人物は、敵対したり同一グループに属したり互いに相似であったり対比されたり、とにかく何等か顕著な物語上の関係が見られる。ならば此の口絵で、五倍二・亀篠、大塚番作・手束の両ペアの間にも、何等かの関係がなければならない。但し、五倍二は、番作・手束の死後に登場する。取り立てて因縁もないようだ。

五倍二は、大塚城主大石家の陣代簸上宮六の属役だ。宮六が浜路の肉体を欲し婚姻を望んだとき、媒酌人となった。浜路の養父大塚蟇六と接触し、強引に婚約を結ぶ。それまで亀篠は、元より信乃を浜路の許嫁とは考えておらず、管領家の浪人網干左母二郎を聟にしてもよいと考え、浜路と接触する機会をつくってやっていた。浜路の心を信乃から離すことが目的だった。左母二郎が自分で、すぐにも帰参できそうだと云っていたためでもあった。しかし、亀篠は宮六の申し出を受けて翻意する。帰参できるか不確定の左母二郎より、実際に大塚陣代を務めている宮六を選んだのだ。即ち、蟇六・亀篠は、嘗て【戯言】として、履行する積もりのない、信乃・浜路の婚約を設定した。亀篠は、媚びを売ってくる左母二郎を聟にしようと目論む。そして亀篠は、左母二郎を裏切り、宮六からの申し出を受け容れる。受け容れるが、左母二郎にも望みを持たせ、村雨の擦り換えに協力させる。

信乃には浜路と婚約している自覚が感じられない。当初から信じていなかったようだ。真に受けていた者は、浜路だけではなかったか。対して左母二郎の場合は、下手に期待を持たせられた分、亀篠の裏切りを知ったときの怒りは大きかった。宮六との婚姻を強いられ自殺しようと庭に出た浜路を捕獲して、大塚を出奔する。しかし、まずは駕籠かき交野加太郎・板野井太郎に邪魔され、追っ手となった土田土太郎に妨げられグズグズしていたため、犬山道節に討たれ村雨さえ奪われてしまった。討たれる直前に左母二郎は浜路を切り苛み致命傷を与えた。左母二郎は浜路を獲得できなかったのだが、自分を裏切った蟇六・亀篠夫婦にダメージを与えることには成功した。婚礼の場に浜路が現れないことを怒り、宮六・五倍二は、蟇六・亀篠を殺す。

亀篠は、自らの欲に迷って殺されたのだ。浜路の婚姻相手を、信乃から左母二郎に乗り換えた迄なら、亀篠は死なずに済んだ。左母二郎から宮六に乗り換えたため、左母二郎の怨みを買って浜路を奪われ、其れ故に宮六・五倍二を怒らせ、殺された。左母二郎から宮六に乗り換えた理由は、将来が不確実な浪人よりも現役の陣代の方が良いと考えたからである。但し、浜路との婚姻は、宮六側から申し出たもので、躊躇する蟇六を強引に説得したのが、五倍二であった。亀篠は、五倍二によって無理強いされ欲に迷わされたことになる。口絵に目を転ずれば、五倍二が亀篠を抑え付け、貸樽から無理に酒を呑ませている。

「酔ぬともいはれぬ春の花さかりさくらも肩にかかりてぞゆく」。此の歌は、春の謳歌である。第二十九回、婚礼の席で宮六・五倍二に殺される直前まで、亀篠は、陣代の姑になる栄華を幻視していただろう。欲を抱いて見る夢は、人をして陶酔せしむる。酩酊とは、欲に絡んで理性的判断力を欠落させた状態の比喩ともなり得る。第二十八回までの【幻の第二輯】に於いて、亀篠は、己の欲のため、浜路を養女にとり、左母二郎に目を掛けるが、ただ利用するのみである。欲によって理性の目が曇っている状態であるが、五倍二が持ちかけた婚姻を受け容れ、左母二郎の復讐さえ考慮しないほど、欲に眩んだ。結果として、浜路を死に追い遣り、自らも殺される。曲がりなりにも浜路を養い立てつつも、浜路を死に追い遣った責任を、「春風のやしなひたてしさくら花またはるかぜのなそちらすらむ」と読み上げるは、美しきに過ぎるか

★口絵で軍木五倍二の持つ樽は、所謂「貸樽」だ。守貞漫稿などに見られる。昔は瓶缶やペットボトルはなかったので、こういった樽に詰めて量り売りした。客は空いた樽を店に返す。毎日規則正しく一定量以上呑み頻繁に入れ替えるなら、余り洗う必要もないかもしれず、リサイクルでもある。貸樽には「丁丑百八拾八番」とある。店の管理用番号だろう。第二輯は文化十三丙子年の十二月が発販と奥付にあるので、文化十四年「丁丑」年の年玉向けであった。樽の容量は二、三升だろうか。背景にも同様の樽を担ぐ男の姿が見える。管理用番号「百八拾八番」に、八犬伝らしい「八」への拘りも見える

★口絵では、番作が手束を包丁様のもので刺し殺そうとしている。第十六回の場面である。番作が手束を誤って殺そうとした事件には、まず以て、里見家との対比が前提として在る。第一に、結城合戦で敗残したものの新天地安房で創業し鯉の瀧登りの如き盛運に向かう里見義実と、同じく敗残し本貫地大塚に戻って不遇を託つ大塚番作との、鮮烈なる対称である。新天地と本貫地、幸と不孝。第二に、伏姫が父の勝手に決めた許嫁の金碗大輔に誤って傷つけられた悲劇と、番作が父の勝手に決めた許嫁の手束を殺してしまいそうになる事件との、対称である。

義実と番作との鮮烈な対称は、家柄云々よりも、仁気の多寡に依るか。義実は、一つ間違えば脳天気なボンボンで、玉梓を助けようとするほど仁気に溢れている。番作は、確かに冷徹怜悧な義士ではあるが、悪僧蚊牛を殺し庵を焼き払って逃げる場面なぞ近世説美少年録の珠之介を思い起こさせ、仁には遠い。

大輔の誤射は伏姫の致命傷になっているのか評価が難しいけれども、話の流れとしては、繋がっている。本人たちは、現世に於ける最悪の悲劇へと墜ちていった。大輔は総てを捨てて、二十余年もの間、諸国を行脚し彷徨った。しかし且つ、伏姫の死は、八犬士の里見家参集ひいては関東連合軍撃退へと結果する。番作が手束を殺そうとした事件では、誤解が解けて、二人は深く愛し合うようになる。勿論、八犬伝にはベタベタした描写なぞない。しかし本文から立ち上る香気が、余りにも濃密な愛に溢れた家庭を感じさせる。

「さらぬだに番作は、行歩不自由なるものゝ、はやく鰥夫となりしより年々に気力衰へ、齢五十に満ずして歯は脱、頭白くなりつ、病煩ふ日の多かるに」{第十八回}。手束を喪い番作は、めっきりと老け込む。手束を深く愛していた故である。手束が死ぬまで、犬塚家は、貧しいなりに幸福だったのではないか。村人たちにも愛されていた。

里見家と対称的な犬塚家の婚姻に於いて、番作が手束を殺そうとする場面が設定されている意味は、金碗大輔孝徳が八房を殺し伏姫にさえ傷を負わせることとの対称であろう。蚊牛が八房に対応する。則ち、玉梓怨念の後身で且つ犬である八房が伏姫の読経により解脱したに対して、人間であり読経のプロフェッショナルである僧侶の蚊牛が悪徳に塗れている、との鮮烈な逆説的対称を読者は見せつけられることになる。八犬伝に描かれる、悪徳武士どもが、強調/戯画化された現実の武士であったならば、蚊牛の登場そのものが現世に於ける僧侶への批判を含んでいるかもしれぬ。

また、大輔孝徳が{里見義実がコッソリ勝手に定めた}婚約者である伏姫の死に直面するに対し、番作は、大塚匠作・井丹三両人が定めた婚約者/手束と現世に於いて固く深く結ばれる。此の点でも、里見家と犬塚家は、対称である。

ところで、番作は一瞬ではあるが、手束を蚊牛の情婦か何か、共犯者の淫奔美少女だと思い込んだ。かなり心が荒んでいたらしい{或いは手束の容貌が其れらしかったのか}。義実は玉下/滝田城を奪ったとき、淫奔美女の玉梓を許そうとさえした。だが、二人も股肱臣を引き連れてノンビリしている義実と、たった一人で金蓮寺の大乱戦を切り抜けた番作とでは、状況が違い過ぎる。道なき道を辿り逃走する番作にとって、周りは総てが敵、暗闇に揺れる木立は敵兵の槍にも見えたろうし、いきなり飛び立つ梟を追っ手の待ち伏せとも感じたであろう。刃物をチラつかせる蚊牛と言葉を交わす手束を、盗賊の一味と疑ってしまっても、仕方がない。仕方がないのだが、手束に手紙を見せられアッサリ信じ込む所は、脇が甘い。手紙が本物だとて、其れを持つ手束が本物かは別問題だし、本物の手束としても、善人とは限らない。まぁ、如何でも良い話ではあるが。

実年齢としては、里見義実と同年配で、しかも結城合戦を敗残したとの共通点がある番作だが、犬士の父たる点では、伏姫・大輔らと同世代でもある。番作は、上記の如く、義実・大輔の両人と対照されていると思しい。番作は、匠作と信乃を結ぶ「番{つがい}」の役割を担っている

★軍木五倍二・亀篠近くに記された歌が「酔ぬとも云はれぬ春の花さかり桜も肩にかかりてぞゆく」{Aとする}、犬塚番作・手束近くの歌が「春風の養なひたてし桜花また春風のなそ散らすらむ」{Bとする}である。

Aは、平凡だが明るい春の歌である。背景に描かれている賑やかな花見の光景が似合う。酔っ払い片肌脱いでブラブラ歩くと、桜吹雪が肩に散りかかってくる。ストレートな春の謳歌だ。花見の席で悪のりした軍木五倍二が、亀篠に酒を無理強いしているようにも見える。また、亀篠の仇を討った荘介を水責めにする場面との関連もあろうか。

更に云えば、此の歌の「酔」は、【無明の酔】とでも謂うべきものであって、煩悩ゆえの迷いを示すか。即ち、五倍二{と宮六}は、嫁に出すことの嫌さに浜路を隠され且つ愚弄されたと思い込んだ故に、亀篠{と蟇六}を殺した。勘違いと偉そうな性格、そして酩酊状態であることが相俟って、刀を抜いた。無明ゆえの乱暴であった。一方の番作は、手束を悪僧蚊牛の相棒と思い込んで、殺そうとした。甚だしい勘違いであるが、美濃垂井金蓮寺で、圧倒的優勢にある長尾勢と単身戦い、遙々逃れてきたのだ。当て所ない逃避行を続ける番作にとって、自分以外すべてが敵、との状況が結城敗残以降、続いている。平常時ならば抱かない猜疑も、生きるためには抱いて当然である。とはいえ、「生きるため」も煩悩であり、番作も無明ゆえに手束を殺そうとした。

Bは、惜春の秀句である。手束を番作が殺そうとする場面に引き付ければ、味方であるべき者が何故か敵として現れることを歌っている。何たって一億人の恋人信乃の母であり、筆者の見るところ艶っぽい腰つきナンバーワンの手束である。花に喩えるべき美少女であった。手束は、既に父井丹三からの手紙で大塚番作なる許嫁の存在を知っていたのであるから、歌の解釈は、【父の手紙によって未だ見ぬ番作の妻となるべく美しさに磨きの掛かった手束、すなわち番作の存在を知ったが故に美しくなった手束を、何故に其の美しさの原因となった番作が手に掛けて殺そうとするのであろうか】ともなり得る。しかし、歌の便利なところで、背景を変えれば内包も変わる。則ち、養女浜路を美しく成長させた蟇六・亀篠が、簸上宮六との縁談を歓迎し承知する場面を背景とすれば、別の解釈も成り立つのだ。宮六と婚約させられた浜路は、信乃を想って自殺しようとまでする。自殺をしようと庭に出たため、網干左母二郎に掠奪され、殺される。異母兄の道節は、浜路を見殺しにして、村雨を奪い去る。結局、宮六との婚約が、浜路を死に追い遣った。桜のように美しく儚い浜路を散らした者は、養父母の蟇六・亀篠であった。

結局、AもBも、五倍二・亀篠、番作・手束の二組いづれにも掛かる。五倍二も番作も、無明ゆえの誤解によって、亀篠に手束に、襲いかかる。しかし、信乃・左母二郎と浜路との婚約を反古にし裏切った亀篠は五倍二に殺され、父の定めた婚約者を待ち望んだ手束は番作の妻となり貧しいなりに相愛の連理となった。現実世界で生活する必要のない稗史の登場人物にとって、誉れは読者の賞讃である。作中で苦難に沈もうとも、番作・手束は読者に同化され、永遠の命を与えられた

★手束の着衣の模様は、伏姫・玉梓とは色彩の違った桜文

★上記を総合すれば、此の口絵は現行第二輯本文の範囲を超えた世界を見せている不具合があるものの、極めて隠喩に富むものであった。新春発刊のため、春らしい絵を冒頭に掲げたと思しい。そして、「酔はぬとも云われぬ春の花盛り」である。春を謳歌する歌で、読者は、すんなりと挿絵の世界に入り込む。しかし、長閑に春の桜花を謳歌する和歌を掲げつつ、亀篠・手束といった女性二人が虐待されるショッキングな場面を描き、読者の注意を喚起する。且つ、「酔」は、無明/煩悩/迷いを意味している。口絵に大きく描かれている二組の男女、特に男は、此の瞬間、迷いの海に沈み込んでいる。番作は一瞬の後に自らの過ちを気付かされ、手束と愛し合う。五倍二は迷いの海底を彷徨い続ける。また、此の口絵だけでは番作が悪役に見えてしまう。読み進むと美少女/手束を殺そうとしていた番作は、犬士の父であり魅力的な善玉であった。悪女面の亀篠を懲らしめているように見える五倍二こそが、悪役であった。一種のドンデン返しでもあろう

 

【奴姿の荘介が毛槍を手にして決めポーズと、女性用の駕籠内に腰掛け柄杓を持ち片足を踏み出す前髪姿の信乃】

 

遠泉不救中途渇独木難指大厦傾

 

遠き泉は中途の渇きを救わず、独木では大厦の傾くを指{ささえ}ること難し

 

奴隷額蔵

 

★本文にも引かれている譬え。第四回「大厦の覆んとするときに一木いかでこれを挂ん」は、光弘に諌言を容れられなかった孝吉が出奔する折の心境。第十五回「大厦の傾くとき一木をもて挂がたし」匠作が番作に村雨を託すときの詞。荘介が懐に幼児を抱いている所は、恐らく、御家騒動モノの芝居に登場する忠義の奴を引いているとも思える。また、袖に斧の模様が見えることから、山東京山の鷲談傳奇桃下流水にも関わりがあろうか。伊吹山で樵が鷲に食われそうになっている幼い少年を助けた。勿論、浜路の後身である浜路姫が鷲に攫われた話と関わろう。因みに、東大寺初代別当の良弁大僧都は幼い頃に金色の鷲に攫われ東大寺に放り込まれたとの伝説もある。人の子が鷲に攫われることは、前近代のオハナシに於いて、さほど突拍子もない話ではなかったようだ

 

いせのあまのかつきあけつつかた思ひあはびの玉の輿になのりそ

 

一万度太麻・犬塚信乃

 

★試記:伊勢の海女の担ぎ上げつつ片想い、鮑の玉の輿にな乗りそ/鮑は一枚貝なので、【対する相手がいない】即ち【片想い】を象徴する{配偶者なきまま独り立つ北方の女王/箙大刀自は、【片貝】に住む}。鮑貝の内側は虹色に輝き美しいため、真珠貝や青貝などとともに装飾に使われた。漆面に嵌め込むと「螺鈿」となる。高級な装飾で、「あわびの玉の輿」とは、螺鈿模様の輿であるか。かなりのレベルの「玉の輿」を暗示すると共に、それが「片想い」である悲劇をも意味していよう。また、前髪姿の信乃が手にする柄杓は、伊勢への抜け参りを意味するアイテム。丁稚など奉公人が主人に無断で伊勢参りを敢行する際に柄杓を手にしたと云われている。家出である。

★女性用の駕籠に女物の着物が掛けてある。桜模様であり、肇輯口絵で伏姫が纏っていたものに酷似している。駕籠は梅模様で、浜路の着衣の柄に似ている。信乃が里見家の浜路姫への逆玉の輿に乗っていることになる。浜路の信乃に対する純愛が、成就する予言である。二人の仲を引き裂き愛の成就を妨げた蟇六と亀篠に擬したと思しい蝦蟇と亀を、信乃と荘介が退治したが如き構図である。しかし実際に蟇六・亀篠を殺す者は、信乃でも荘介でもない。ないのだが、此の口絵からすれば、何者が殺そうと、其れは信乃の代行者であると想定できる。且つはまた、梅を八房の梅と解すれば、駕籠の梅は犬士を指し、掛けられた桜模様の着衣がを伏姫の象徴と考えれば、其れは伏姫と犬士との完全には成就しなかった婚姻が、里見家姫君と犬士との間に位相を移して成就することを予言している可能性もあろう

★簸上宮六が何者かといえば、大塚の陣代である。父は蛇太夫{第十七回などで大塚の陣代は大石兵衛尉だが、二十三回で兵衛尉は大塚城主、陣代職は簸上蛇太夫から宮六に継承されている}であった。蟇六に実子はいないが、昔から蛙の子は蛙と決まっている。ならば、蛇の子は蛇かもしれない。記紀神話に於いて、素盞嗚尊が八岐大蛇を退治した現場は、出雲国簸川の川上であった。簸上宮六を蛇に擬する論者もあろう。因みに第七十八回で、宮六の弟/社平の刀には、巴蛇{おろち}の銀製目抜き、鍔に「上」字の間彫があると言及されている。簸上家は確かに、蛇と縁がありそうだ。

信乃を特徴づけるアイテムは、村雨だ。信乃は伏姫/天照太神の遺伝を濃く受け継いでいる。八犬伝は、記紀神話世界に逆流している。村雨は天叢雲剣に擬すべきものだ。ならば、信乃は素盞嗚尊か日本武尊/倭健命だろう。神話でさえ、天叢雲剣を手にする者は、此の二人に限られる。素盞嗚尊は、出雲国簸川で八岐大蛇を退治した。古事記に於いては倭健命が肥河{/簸川}で出雲建を騙し討ちにした。出雲建が土着神/国津神の子孫であるならば、即ち八岐大蛇の末裔でもあろう。出雲建は、八岐大蛇と同様に、剣を奪われている。出雲国簸川で土着の者が彷徨える征服者により、二度に亘って殺されたのだ。

ついでに云えば、八犬伝では与四郎犬が簸河原で紀二郎猫を噛み殺した。氷川神社の本社は下総だが、江戸にも支社があった。信乃んチの近く、簸川神社である。日本武尊・弟橘媛・大己貴を祀る。簸川神社の近くには、猫俣橋があり、網干{あみぼし}坂がある。紀二郎殺害現場の簸河原は、礫川か支流沿岸で簸川神社近くにある河原であろう。信乃んチの近くとは、蟇六・亀篠宅の近くでもある。簸上宮六は、犬川荘介により、蟇六・亀篠宅で殺された。蛇太夫の息子は、簸川の辺りで殺されたのだ。

 

八岐大蛇は、美少女/奇稲田姫を欲し、酒に酔って、素盞嗚尊に殺された。そして、簸川宮六は、美少女/浜路を欲し、酒に酔って{蟇六・亀篠を殺したために}、荘介に殺された。ならば宮六が八岐大蛇、荘介が素盞嗚尊となるべきだが、単純な近代的一対一対応を筆者は採らない。荘介は素盞嗚尊と重なるだけではないし、犬士のうち荘介だけが素盞嗚尊と重なるわけでもない。例えば、素盞嗚尊・日本武尊の必須アイテムは天叢雲剣だが、八犬伝に於いて天叢雲剣は村雨と重なっている。荘介は村雨を陰ながら見守っていたであろうが、さほど縁が深いとは云えない。やはり村雨と云えば、信乃だろう。何より、宮六を八岐大蛇、浜路を奇稲田姫とすれば、日本書紀に於いて素盞嗚尊は奇稲田姫の許嫁であるから、信乃が素盞嗚尊に当たる。また、強奪という形ではあったが、村雨は一時、犬山道節の手に落ちる。道節は、荘介より村雨と縁が深い。

実のところ、筆者は、犬士の少なくとも過半は潜在的に素盞嗚尊であり日本武尊だと考えている。富山に籠もった伏姫が天照大神の岩戸隠れを演ずる以上、伏姫の子どもたちには、素盞嗚尊の要素が与えられている筈だからだ。もう一人の女装犬士/毛野は、女装して宴に潜入し、馬加大記を殺した。日本武尊そのままである{因みに、景行紀では小碓尊が女装し宴に潜り込み酒に酔った取石鹿文を殺す。且つ、古事記には一連の物語として、倭健命が肥川/簸川で出雲建を殺す。或いは、取石鹿文・出雲建二人の虐殺を一つに纏めて素盞嗚尊神話が捏造されたにも拘わらず、日本書紀は素盞嗚尊神話を採用しつつも出雲建暗殺伝承を省略してしまったのかもしれない。とにかく日本武尊は、色気と酒で相手を騙し討ちにした。素盞嗚尊直伝の戦術であろう}。

 

さて、犬士、就中、信乃に素盞嗚尊が覆い被さっているとして、八犬伝に於ける其の意味とは何かを考えてみよう。第四十三回、信乃・現八・小文吾が雷雨暴風に助けられ荘介を救出する。「僉鳥銃を携たり。既にして城兵等は、はや四犬士に近づきて箭来程よくなる随に筒頭を揃へ連掛て火蓋を切らんとする折から俄然として降そゝぐ夕立の雨、繁を紊して忽地火縄を滅たりける。城兵等は思ひかけなき暴風に度を失ふて且く捫択する程に轟々然と鳴わたる疾雷に電光して、雨なほ烈しかりければ、城兵はいよ/\騒ぎて……」。此の他、暴風舵九郎に親兵衛が殺されそうになったとき、雷が舵九郎を虐殺した。龍を操る観音の冥助と思しい。伏姫の正体が観音であるからこその、展開だ。また、信乃が村雨を揮えば鉄砲の火縄ぐらい消せたであろうが、このとき肝心の村雨は道節の手にあった。第二十八回挿絵に於いて、道節が握る村雨から龍の気が立ち上っている。村雨は、龍神の剣という側面ももつ。伏姫は天照大神の要素をもつので太陽神ではあるが、馬琴が明示する如く観音菩薩でもあるから龍を召し使い雨をも制御する。よって喪われた村雨を補うため、刑場荒らしの場では伏姫自らが雨を降らせた、と考えるべきであろう。則ち、村雨は天叢雲剣に擬すべきものではあるが、龍を統括する観音/伏姫の冥助を伝導するアイテムでもある。神話と仏教の混淆である。

 

荘介を救った信乃らは、荒芽山へと向かい、犬山道節と合流する。荒芽山では、姥雪世四郎・音音が覚悟の自焼を図る。脱出しようとする犬士の行く手に敵兵どもが立ちはだかる。背後から火の手が迫る。「風はいよ/\烈しくなりて、西に吹ては東にかへし南へ巻ては北に旋る音凄しく沙礫を飛して山林過半焼つべき、勢ひ犯しかたければ、母屋へ赴くことはさら也、五犬士は在つる侭にて、ひとつに聚合ことも得ならず、武尊駿猟の災、田単火牛の謀も、これにはいかでかますべきや」{第五十一回}。

因みに此のとき火気犬士、狂獣サラマンダー道節は、「{火は}彼此となく犬士のほとりに間なく隙なく降かゝれば、襟に袂に燃うつるを、払ひ落しつ■テヘンに委/滅しても、なほ生憎に焦熱の地獄の責に異ならず。そが中に道節は、火遁の術をみづから非として、今朝しも破棄たれば甲斐なし。よしやその術ありとても、身ひとつ遁れて何にせん、囲は解けて火に焼るゝも、みな是過世の業報ならん、と思ひ定めつなか/\に、観念の外なきものから」と覚悟を決めている。道節にとって此の危難は、犬士の隊に入り邪術を捨て正道に立ち返った途端に、降り懸かった火の粉であった。

さて「犬塚信乃がほとりへは、墜る火焔の殊さらに多かりければ、霎時も得堪ず右へ走り左に避て、身は狂へども心には、正しく思ひつくよしありて、腰に納めし村雨の大刀を、ふたゝび引抜てちからの限りうち振れば、刀刃の奇特舛たず、その刀尖より濆る、水気は遠く散乱して、百歩二百歩あなたなる、道節現八荘介等が、ほとりに閃めく火焔すら、うち滅されつゝ落てけり」と漸く水芸の御姉さん、ウンディーヌ信乃が本領を発揮する。

五犬士に迫る火焔の凄まじさを表現するに馬琴は、「武尊駿猟の災、田単火牛の謀{→*史記}」の二つを引き合いに出している。前者は当然、日本武尊が東征の折、駿河で焼き討ちに遭い天叢雲剣で草を薙いで助かった故事を指す。後者は、南関東大戦時、信乃が火猪計を繰り出す際に再び引き合いに出される。此処では勿論、前者が重要である。何故ならば、迫り来る火炎の凄まじさを表現している「武尊駿猟の災、田単火牛の謀」であるが、信乃は村雨の御蔭で難を逃れている。「武尊駿猟の災」で草薙剣が活躍した故事と、より親近性が強い。

また、信乃らは刑場破りに成功し荒芽山に向かう途中、雷電神社に立ち寄った。刑場で雷雨によって助けられ、その足で辿り着いた場所が雷電神社なのだから、話が出来すぎている{小説だから当たり前だが}。信乃は此処で浜路を偲ぶ。「某諸賢の資によりて名を揚家を興すとも、又正妻を娶るべからず、子孫の為に已ことなくは妾のみにて事足りてん、こは彼義女の為にして古人寒食足下の微意也」。翌早朝に雷電神社を出発し、一行は霊場を巡拝する。七月六日には上野国甘楽郡、白雲山、明巍神社に参詣する。明巍山は、扇谷上杉定正が在城しているという白井城の北隅に在り、西北には碓氷郡を背にして同郡の荒芽山と南北に相対していた。

雷電山で浜路を偲んだ後、信乃は碓氷郡を遠望し明巍神社に参詣する。参詣するのは勝手だが、わざわざ碓氷郡を引き合いに出している。当然、直前にあった浜路を偲ぶ場面の余韻を漂わせている。碓氷峠は日本武尊が弟橘媛を偲び「吾嬬者耶」と叫んだ場所だ。全く用のない碓氷峠まで出張ることはストーリー上できなかったが、信乃に浜路を偲ばせた直後、馬琴は碓氷峠を遠望させた。読者に日本武尊を想起させるためだったろう。

但し、信乃に取り憑いているのは、日本武尊だけではない。筆者はロリコンでもショタコンでもないので羨ましくも何ともないが、信乃は少年の頃、滝野川弁才天に母の平癒を祈り全裸で瀧垢離をした挙げ句に失神し、糠助に助けられた。悪戯されなかったか心配だが、抑も信乃は、手束が滝野川弁才天に願を掛けた結果、弁才天と見間違うほどに美しく神々しい伏姫に玉を授けられ、儲けた子だ。弁才天は観音の眷属であり、天照大神の娘である宗像三女神や宇賀神と習合したこともあって、神龍/蛇に縁がある。宗像三女神は龍宮とも繋がる。

また、信乃の受領国信濃では一宮諏訪大社の祭神が大国主の裔なる大蛇神だったりする。太平記や平家物語などにも採用された中世神話「剣の巻」で、八岐大蛇は龍王の皇子であった。信濃は龍王の眷属が統べる国であり、龍王剣/村雨を携える弁財天の申し子/信乃には、打って付けの受領国だ。

 

信乃は、日本武尊でもありタツノオトシゴ……ではなく龍の申し子でもある。日本武尊である側面は、嬬/許嫁/浜路と死に別れて愁嘆する場の風味付けとなっており、物語に深みを与えている。信乃の龍なる側面は、「蛙の子は蛙」法則から、母の伏姫が龍女であることを導き出す。また、此等の性質は、信乃が独占すべきものではなく、他の犬士にも潜在的に共有されていると考える。性質が共有されることにより、犬士は互いに代替可能となる。犬士同士が代替可能であることは、第四十七回に於いて、既に荘介が語っている。

「曩に和殿と某と、ゆくりなく玉を相換て、その玉いよ/\われに利あり、某は大塚にて彼奸党に誣られて緊しく禁獄せられし日、心地死ぬべく覚し時、その玉を口に含めば快然たらずといふことなく、その玉をもて身を拊れば杖瘡忽地愈たり、且はからずも某が主の讐を撃たるは、知らで和殿と易たる玉の忠字号の誼に称へり、和殿は亦思はずも村雨の大刀を獲て今犬塚に返さんとす、これわが玉の義字号に称へり、忠は義を兼、義中に忠あり、かゝれば犬士たらんもの、異姓にして骨肉の如く、玉の字号は同じからで、その感応異なることなし、こも亦自然の妙契也」

また、伊井暇幻読本シリーズで縷々述べてきたように、犬江親兵衛は信乃の代行として館山に蟇田素藤を討って浜路姫を救い、犬士全員を代表して玉面嬢妙椿を退治した。南関東大戦に於いて信乃は、親兵衛の節刀を預かり、山林房八/親兵衛の分も併せて奮戦した。親兵衛は犬士を代表して、独り京師へ上り、妙椿の後身である画虎とも対決した。犬士は互いに、置換可能である。

 

置換法則は、犬士間でのみ成立するのであろうか。筆者は、網干左母二郎による浜路虐殺は、浜路の母に一度は毒殺された犬山道節の復讐を代行したものだと主張してきた。勿論、一度殺された道節は何故だか甦ったわけであるから、浜路も浜路姫として復活を果たす。現実では不可能だが、物語上で浜路は、【仮に殺された】だけなのだ。浜路と浜路姫は、肉体も記憶も共通してはいないが、名詮自性、存在の本質として共通であるによって、物語上は、同一の存在である。浜路は道節の復讐によって殺され、蘇って信乃に愛を注がれる。しかし流石に、道節が直接手を下しては、マヅイ。幾ら八犬伝内の論理を貫徹するためであっても、読者は納得しないであろう。浜路ほど純粋な少女はいない。幼少期に、美しい御姉様/信乃を婚約者だと規定され真に受け、御姉様一筋に生き、途中からは御姉様が実は御兄様だったと気付いただろうが、「Well,nobody'sperfect」{SomeLikeItHot}と受け流したのか如何か、とにかく御姉様への愛を貫いたレズ……ではなくトレビアンな浜路こそ、女の中の女である。彼女を敵に回すことは、読者の殆ど総てを敵に回すことを意味するだろう。其れ故に、信乃んチ近くにあった「網干{坂}」なる地名を用い、且つ浜路も水気であろうから水気を「干」し消滅させるべき火気関連の名を与え、火気犬士たる道節の代理としたのだろう。代理として浜路を殺した左母二郎は、徐に登場した本物/道節によって排除され、退場を余儀なくされる。

 

大塚蟇六は、簸上宮六によって殺された。蝦蟇が蛇に殺されることは当然と考えるムキもあるかもしれないが、其れだけではないだろう。実のところ、蟇六が殺されることで、溜飲を下げた読者もいるのではないか。蟇六・亀篠によって、番作は財産を失い貧困に喘いだ。蟇六は村雨を狙い、詐術を以て、番作を死に追い込んだ。番作としては積極的な深慮遠謀により死を選択したのだが、何連にせよ蟇六の如き者が存在せねば、番作は死にもしなかったし、貧困に陥ることもなかったであろう。しかも女の中の女、美少女浜路は、純粋な愛を蟇六・亀篠に踏みにじられ翻弄され、其れがもとで左母二郎に掠奪されてしまう。宮六による蟇六殺害は、悪人同士のイザコザではあるが、天罰が下ったようにも思える。蟇六は殺されるべくして殺されたのだ。

筆者を含めた読者は、本来なら、怨んで然るべき者に蟇六を殺させたいのではないか。村人からも怨まれてはいるだろうが、物語上、蟇六を怨み得る者は、村雨擦り替えに協力したにも拘わらず裏切られた左母二郎、財産を奪われ父を死に追い遣られた信乃、こき使われた荘介、信乃への愛を否定された浜路、ぐらいか。左母二郎は浜路を掠奪して復讐を企てたので除外、浜路も掠奪されて復讐どころでないから除外せねばならない。荘介は、こき使われたが、殺す程の怨みは義人として抱いてはならぬ。ただ独り信乃のみは、父を死に追い遣られた債権を回収する権利がある。公権力による司法が未熟な前近代に於いては、私的復讐が容認されていた。養われたと云っても、既に村雨を譲るに当たって番作は信乃に、大塚家の財産は本来なら番作のものなので恩に着る必要はなく、真情による養育を受けた場合にのみ、伯母夫婦に孝養を尽くすよう命じていた。八犬伝では「忠」も決して片務的ではないのだけれども、如何やら「孝」とて双務的なものであったらしい

 

荘介・信乃の足下に、蝦蟇と亀がいる。どうも死んでいるか瀕死の状態らしい。二匹の周辺には蝶が舞い飛んでいる。八犬伝で蝶は妖しい機能を有する。蝶は、死霊もしくは死者の復活を象徴する場合がある。梁山泊……ではなかった、梁山伯と祝英台の悲恋は、中国四大物語の一とされているが、甚だ興味深い。先学によれば東晋時代に成立した話らしいが、唐代の宣室志にも載っている。但し、現行の物語の肝は愛し合いつつも引き裂かれ死んだ男女が蝶へと変成したエピソードである。宣室志では、梁山伯を追うように祝英台が死ぬところまでしか描かれていない。二人が蝶に変成する形になったのが何時か筆者は知らないが、森鴎外が小説を書く際のカンニングペーパーとして使った「情史類略」には蝶の話が明記されているので、遅くとも西暦十七世紀前半、皇紀二二九〇年頃までには梁山伯・祝英台と蝶が結び付いている。

 

     ◆

以下同死

祝英台

梁山伯・祝英台、皆東晋人。梁家会稽、祝家上虞。嘗同学、祝先帰。梁後過上虞、尋訪之、始知為女。帰乃告父母欲娶之、而祝已許馬氏子矣。梁悵然若有所失。後三年、梁為■謹の旁にオオザト/令、病且死。遺言葬清道山下。又明年、祝適馬氏、過其処、風涛大作、舟不能進。祝乃造梁塚、失声哀慟。地忽裂、祝投而死。馬氏聞其事於朝、丞相謝安請封為義婦。和帝時、梁復顕霊異效労、封為義忠、有事立廟於■謹の旁にオオザト/云。見寧波志。

呉中有花蝴蝶、橘蠹所化。婦孺呼黄色者為梁山伯、黒色者為祝英台。俗伝祝死後、其家就梁塚焚衣、衣於火中化成二蝶。蓋好事者為之也{情史類略巻十情霊類}。

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また、同じく明代、徐樹丕の識小録にも、

 

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梁山伯

梁山伯祝英台皆東晋人梁家会稽祝家上虞同学於杭者三年情好甚密祝先帰梁後過上虞尋訪始知為女子帰告父母欲娶之而祝已許馬氏子矣悵然不楽誓不復娶後三年梁為■勤の力がオオザト/令病死遺言葬清道山下又明年祝為父所逼適馬氏累欲求死会過梁葬処風波大作舟不能進祝乃造梁塚失声乃哀慟塚忽裂祝投而死焉塚復自合馬氏聞其事於朝太傅謝安請贈為義婦和帝時梁復顕露異助戦伐有司立廟於■勤の力がオオザト/県廟前橘二株相抱有花蝴蝶橘■蠧所化也婦孺以梁称之按梁祝事異矣金楼子及会稽異聞皆載之夫女為男飾乖矣然始終不乱終能不変精誠之極至於神異宇宙濶ス所不有未可以為誕。

{梁山伯と祝英台は皆、東晋の人。梁家は会稽、祝家は上虞にあり。杭に同じく学ぶこと三年。情を好くし甚だ密なり。祝は先に帰る。梁は後に上虞を過ぎて訪ね、始めて女子たるを知り、帰りて父母に告げて之を娶らんことを欲す。しかして祝は已に馬氏の子に許さる。悵然として楽しまず、復た娶らざるを誓う。後三年にして、梁は■勤の力がオオザト/令となりて、病に死す。遺言によりて清道山下に葬る。又、明くる年、祝は父の逼る所のため馬氏に適く。累ねて死して会うを求めんとす。風波は大にして、舟を能く進ましめず。祝は乃ち梁塚に造り、声を失い、乃ち哀慟す。塚は忽ち裂く。祝は投じて死す。塚は復た自ずから合す。馬氏は其の事を朝に聞く。太傅謝安は請い贈りて義婦とす。和帝の時、梁は復た異を顕露し戦伐を助く。有司は■勤の力がオオザト/県に廟を立つ。廟前の橘二株は相抱きて花あり。蝴蝶と橘■蠧は化する所なり。婦孺は之を、梁を以て称す。按ずるに梁と祝の事か異なるか。金楼子及び会稽異聞は皆、之を載す。夫れ女が男飾をなして乖きしか。然りて始終、乱れず。終に能く精を変ぜず。誠の極み神異に至る。宇宙の閨Aいづくにかあらざるや。未だ以て誕となすべからず}

     ◆

 

とあり、且つ、台湾の偶像組合S.H.Eも「ロミオは就ち是、梁山伯。祝英台は就ち是、ジュリエット……中略……我ら一双の蝴蝶に変成す」{茱羅記}と歌っており、MVに於いてElla氏が特に可愛いのであるが其れは措き、現世で結ばれ得なかった愛し合う二人が胡蝶に変ずるとの物語は、今もって流布していることが判る。

 

また、文楽の「契情倭荘子」に「蝶の道行」なる場面がある。皇紀二四三〇年頃の初演らしい。馬琴が六歳ぐらいか。心中する二人を、春に花を廻り短命に死する蝶に見立てている。蝶よ花よと二人だけの甘く濃密な時間を過ごす二人であった。とにかく蝶は、てふてふ舞う儚さ故か、華やかでありながらも、死と隣り合わせの悲恋と結び付き易いようだ。

 

愛し合いつつも引き離されてしまった男女が、愛し合いつつ此の世では共に生きられない男女が、蝶の姿で現じ得る点に注目せねばならない。浜路と信乃、伏姫と大輔、八郎と玉梓……。此の世で、結び付け得なかった一組の男女が、あの世で固く結ばれたことを現世に示すが一双胡蝶ならば、則ち蝶は、彼岸での現象を現世に投影していることになる。蝶は、此岸と彼岸を繋ぐものである。繋ぐとは何かと云えば、両者に属すことを意味している。此岸にも彼岸にも属する蝶は、二つの世界を行き来できるだろう。

但し、八犬伝挿絵に現れる蝶は、一双/二頭ではなく、ウジャウジャ登場する。よって、配偶すべき一組の男女が彼岸での愛の成就を示すため現れるものではなく、より昏い、蝶というより不吉な蛾、かもしれない。此岸と彼岸を行き来する者、幽鬼の供かもしれないのだ。端的に言えば、浜路姫に浜路の幽鬼が憑依したときの口絵描写は、着衣の蝶紋であった。

尤も、蝶も蛾も、似たようなものだ。蛾のうち、日本人が美しいと感ずるものを、蝶と呼んでいるだけだろう。日本語としての区別に、生物学は余り必要ない。但し或いは、俗説に、蝶は羽を立てて留まり、蛾は羽を伏せて留まると云うが……

 

さて、既に死んでいるか瀕死の状態にある蝦蟇/蟇六と亀/亀篠を、美しい悲恋の主人公に見立てる趣味はない。蝶と云えば、信乃である。此の口絵で信乃は市松模様の着衣だが、少年期に於いては一貫して浮線蝶模様の衣装を着ている。

大塚/犬塚家の家紋が桐であるとは夙に指摘してきたが、挿絵に於いて、少年期の信乃は一貫して、浮線蝶模様の着物を着ている。女装時代には美少女らしい振り袖で、多くは全体に幾つも大きな浮線蝶模様が描かれている。番作の喪に服している第二十一回挿絵では、袂と下半身部分のみに浮線蝶模様があり{礼服バージョンか}、信乃は二種類以上、蝶模様の着物を持っていたことが判るのだが、其れは措き、前髪姿で八房梅の前に立つ信乃は、やはり全身に浮線蝶模様の入った着物を纏っている。前髪を落とした初出挿絵は第二十一回末尾だが、初めて浮線蝶模様以外の着物だ。文庫版のため見えにくいが、花柄で、恐らくは桜花模様だ。桜花模様は、伏姫の着衣であり、対称的に薄墨を全体にかけた桜花模様なら、玉梓の着衣となる。

少年期の信乃が専ら浮線蝶模様を付けること自体の意味は、浮線蝶{ふせんちょう}を一般に「伏蝶{ふせちょう}」とも呼ぶ点に求められよう。道節が繁く使う揚羽蝶は羽を垂直方向に立て揚げた形だが、浮線蝶は羽を水平に倒し伏せた形である。羽を伏せて留まるを蛾と謂うが、伏蝶は昔から蝶とされてきた。蛾と蝶の区別は、余り意味がない。蝶を霊と置換すれば、伏蝶は、伏霊となり、伏姫の霊とも解せられる。伏姫との関係を示すためにこそ女装し犬に跨った信乃は、伏蝶模様で伏姫の霊が纏わっていることを読者に確認させている。

蝶が、蝦蟇と亀の死を、見詰めている。蝶/信乃には、蝦蟇/蟇六・亀/亀篠を殺すべき理由もあった。しかし馬琴は、信乃に直接手を下させはしなかった

★龍の眷属である信乃の秘められた怨念は、蛇たる簸上宮六によって晴らされた。信乃・宮六とも意識にはなかったであろうが、八犬伝の絶対神馬琴は、因果を糺し均衡を保たねば気が済まない。直接に手を下せない場合は、或いは事故を装い、或いは代理に執行させる。とにかく少なくとも結果としては、均衡を保つ。しかも蟇六の場合、事故では手緩い。一億人の恋人信乃を敵に回したのだ。万死に当たる。酷たらしく殺されねばならぬ。代理人は、誰でも良いわけではない。何等かの相関がなければならぬ。善なる龍女の眷属信乃の代理は、信乃をリバースした陰の存在、裏側に蠢く否定的な者が、請け負うべきだろう。信乃の本質に於ける善なる部分が信乃自身として物語を紡ぐが、信乃の本質の裏の昏い部分が宮六として現象していると考えるべきだろう。信乃が心の奥底に押し込んだ少年期の怨念、【蝶の時代の怨念】は、ココロ/異次元の世界を通じて、宮六と通じた。信乃/善龍と宮六/悪蛇は、表裏一体である。

此処で読者は疑問を生ずるかもしれない。筆者は村雨/天叢雲剣を通じて信乃を素盞嗚尊・日本武尊と重ね合わせてきた。宮六と八岐大蛇を重ねもした。では何故に、八岐大蛇と、退治した側の素盞嗚尊が、通じていなければならないのか、と。筆者に云わせれば、其れ故にこそ、両者は相通じている。記紀神話に書かれてある素盞嗚尊の八岐大蛇退治は、極めて興味深いものだ。素盞嗚尊は幼少期に泣き喚いてばかりいて、ために暴風雨が起こり多くの人が死んだ。根国に行かされることになり、姉天照大神に挨拶しようと高天原に赴いた。高天原で乱暴狼藉を働き、遂には天照大神を岩戸の中に閉じ籠もらせた。下界に追放された素盞嗚尊は、八岐大蛇に喰われることになっている少女と婚約し、救出を約束した。八岐大蛇を酔い潰して殺した。死骸から天叢雲剣を発見した。天叢雲剣からは雲気が発していた。天叢雲剣を天照大神に献上し、素盞嗚尊は根国/黄泉へと降る。

素盞嗚尊が暴風雨の源であること、高天原で騒ぎの元凶であったにも拘わらず豊葦原瑞穂国に降っては騒ぎを鎮静する者へと逆転していること、八岐大蛇から発見された天叢雲剣は暴風雨の源たる雲を発すること、の三点に注目する。天叢雲剣が雲を発することから、素盞嗚尊と本質を共通するものだと知れる。但し剣は、使わなければ只の鉄塊であり祭器/装飾品に過ぎないが、濫用すれば凶器となる。両義性を持っている。制御不可能な暴風雨とは違って、制御可能な暴力を象徴し得る。天照大神との賭に勝利し、有頂天となって荒れ狂い、宇宙を暗黒に陥れた素盞嗚尊が、雲気を発する八岐大蛇を退治し、制御可能な暴力/天叢雲剣に変換して天照大神に献上し、姿を消す。神には和魂と荒魂がある。高天原で暴れ狂った素盞嗚尊は、荒魂であった。一方、豊葦原瑞穂国で少女を喰らう八岐大蛇も、荒魂である。対して八岐大蛇の荒魂を沈静化/無化しようとする素盞嗚尊は、和魂である。共に暴風雨の源である、荒魂としての八岐大蛇と、和魂としての素盞嗚尊、両者は同一の存在ではないか。同一の存在の裏表、荒魂と和魂ではないか。天照大神を岩戸に閉じ籠もらせた罪を問われ、素盞嗚尊は全身の体毛や爪を毟り取られ剥ぎ取られた。暴力性を抉り取られたのだ。荒魂を強奪された素盞嗚尊には、和魂しか残らない。荒魂は何処へ行ったのか。彼の荒魂は、簸川の川上に蟠っていた。八岐大蛇である。素盞嗚尊は、和魂となって、自分の荒魂を退治したのだ。此処までを現代風に云えば、幼児的暴力性を克服し社会性を身に着けた、と何やら心理学者流っぽくなって陳腐極まりないのだが、全体として、天照大神が、前には自分を凌駕した程の暴力を、制御可能な形に変えて掌中とした物語となっている。結局は、天照大神が労せずして陰陽兼備し絶対的パワーを手に入れる話に過ぎず、甚だ政治的な妄想譚に仕上がっている。

勿論、上記の如く馬琴が記紀神話を読んでいたと強弁する者ではない。また、筆者は一般論として記紀を論じているわけではなく、ただ、あり得べき読解を抽出し、八犬伝との整合性を求めているに過ぎない。そして上記の如く、八犬伝読解に資すべき読みも可能である。

 

網干左母二郎は犬山道節の代理として浜路を虐殺し、簸上宮六は信乃の代理として蟇六を惨殺したのだ。犬川荘介は信乃の代理として宮六を殺したと思しい。左母二郎のように用済みとなった代理は、本物に排除されるべきだ。しかし信乃は既に大塚を去っており、伯母夫婦の仇討ちは出来ない。孝の犬士たる信乃が現場に居合わせたら、冷酷な伯母夫婦であっても、成り行き上、何等かの対応を迫られる。まさか宮六と一緒になって蟇六に斬りかかるわけにもいくまい。其れが出来たら、端から代理は必要ない。荘介救出作戦で、信乃は亀篠を手に掛けた軍木五倍二を「今こそ復す伯母の仇、思ひしるや」と殺している。一応は、信乃が蟇六・亀篠の仇を討つべきらしい。荘介の説明に依れば、円塚山で期せずして道節と玉を交換してしまった荘介は、忠の権化/道節に成り代わり主人である蟇六の仇を討ったことになっている。犬士同士に置換法則が成立するならば、荘介は忠の犬士道節に成り代わっただけではなく、孝の犬士信乃の代理としても、番作の敵といえる宮六を討ったと思しい

 

【板野井太郎を組み敷く網干左母二郎に向かって土田土太郎と交野加太郎が身構えている。左母二郎の刃は土太郎に向けられている。土太郎は後ろに引かれる破れ傘をグイと前に引く形。見開き画面左三分の一には、月夜に佇む浜路】

 

三保谷かしころに似たる破傘風にとられしと前へ引く也

 

巻舒在手雖無定用舎由人却有功

 

巻舒、手にあり。用舎は定なきといえども、人によりては却って功あり

 

土田土太郎・網乾左文二郎・交野加太郎・板野井太郎

 

また色のおとしつくして又さらに見るこそよけれ新の月影

 

浜路

 

★試記:三保谷が錣に似たる破傘、風に取られじと前へ引くなり/源平屋島合戦を描く平家物語巻十一には、後の人口に膾炙する名場面が詰まっている。例えば、源氏方の那須与一が遠矢で船上の扇を見事に射落とした場面は、合戦のくせに雅で暢気な場面だ。戦争というより何かの遊び/ゲームの如き状況を描く。が、続く「弓流」で読者/聴取者は、現実に引き戻される。与一の弓術に感じ入ったか、平家の船上に齢は五十ばかり黒革威の鎧着て白柄の長刀を持った武士が舞い始める。平家方としては、まだ戦端の火蓋を切っておらず、エール交換の段階だったのだろう。が、源氏方の総大将・義経は無情にも、船上で舞う武士を与一に射殺させた。平家方はシンと静まりかえる。やがて平家方三騎が浜に乗り上げ、「仇寄せよ」と決闘を申し込む。義経は冷静に、「馬づよならん若党どもはせよせてけ散らせ」。下知に応じて飛び出したは、「武蔵の住人みを{三保}の四郎同藤七同十郎上野国の住人丹生の四郎信乃国の住人木曽の中次」の五騎であった。うち先駆けの三保谷十郎は馬を射られ地に墜ち小太刀を構えるが、平家の武士は大長刀。十郎、不利を覚って背を見せ逃げ出す。平家の武士は右手を伸ばし、「甲のしころをつかまんとす。つかまれじとはしる。三度つかみはづいて四度のたび、むンずとつかむ。しばしぞたまッて見えし、鉢のつけいたよりふつとひつきッてぞにげたりける」。十郎は、残る四騎が見物している所まで帰り、乱れた呼吸を整える。件の平家武者は追いもせず「長刀杖につき甲のしころをさしあげ大音声をあげて日ごろは音にも聞きつらん、いまは目にも見給へ。これこそ京わらんべのよぶなる上総の悪七兵衛景清よ、と名のり捨ててぞかへりける。続いて義経を主人公とした「弓流し」の段となる。……平家物語は好きなので、つい長く引用したが、「錣引き」は、「壇浦兜軍記」などの浄瑠璃や、謡曲などに取り上げられている。但し、シコロ引き其の物を中心的テーマとしているのではなく、平家滅亡/没落の悲哀を描くダシ、【皆さんお待ちかねのハイライト】として用いられている

★「巻舒在手雖無定用舎由人却有功」は、土太郎・加太郎・井太郎の三悪と左母二郎に掛かる。村雨は蟇六・亀篠の計略により信乃から奪われた。其の村雨を左母二郎は横領した。村雨が蟇六のもとにあれば、亀篠ともども殺されることはなかった。村雨は簸上宮六の手に渡っていただろう。荘介が蟇六・亀篠の仇として、宮六を殺すこともない。八犬伝物語は、動けなくなる。左母二郎の糸とは関係なく、彼は村雨を大塚村から持ち出す役目を担っている。「却って功あり」である。土太郎・加太郎・井太郎も、持ち出された村雨を円塚山で暫し留め、緊縛された女性が浜路であること、刀が村雨であることを、暗闇の火影に潜む犬山道節に伝える機会を作る。平家物語まで持ち出して土太郎が破れ傘を担ぐ絵画表現は、彼が【引き留め役】を割り振られていることを明示している。則ち、悪人が悪人らしく悪事を働いただけであっても、例えば宮六が蟇六を殺すなど、悪同士が潰し合い、却って善の手間が省けることもあるのだ。禍福は糾える縄の如し

★「また色の落とし尽くして、また更に、見るこそ佳けれ新の月影」。虚飾を取り去った上で更に虚色を拭い去り、初めて新月の玄妙な美しさが解る。仏典などでも、夜毎に月の形が変わる理由を、それぞれ別の月が天の宮から出たり入ったりするからだと説明していたりするが和漢三才図絵は、地動説ながらも、月の満ち欠けは一つの惑星が太陽の光を反射する際に出来る影が原因だと論じている。太陽・地球・月の相対位置関係に依る、とのレベルでは現在の科学と一致する。「新月」もしくは其れに近い月齢で、完全に見えなくなるのではなくて、極めて淡く円形が浮かび上がっている状態を、「虚花」浜路に喩えたと思しい。また、浜路が、いつになく黒ずくめであることは、自身が新月の状態にあるとの表現か。浜路なる「新月」は一旦姿を消し、後に目映い浜路姫となって再び出現する

 

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第十一回

 

「仙翁夢に富山に栞す貞行暗に霊書を献る」

 

【上下姿で黒駒に跨り鞭を揮って疾駆せしむる堀内貞行、鞍は梅模様か。供の者が木瓜紋の入った柄杓を持って併走】

                                        

馬を飛して貞行瀧田に赴く

 

この画の解第十六張の背に見えたり

 

堀うち貞ゆき

 

★此の挿絵で貞行の上下に付いている紋は「内」字紋

 

【城内の座敷に立つ里見義実と座って「如是畜生発菩提心」の書を開く堀内貞行。書から雲気が漂い、太刀を担いだ雑色姿の役行者が浮かぶ。帯に三巴紋。襖の向こうから里見義成が窺っている】

 

霊書を感して主従疑ひを解

 

よしさね・貞ゆき・よしなり

 

★書は「如是畜生発菩提心」。貞行の紋は引き続き「内」字紋。床の間には弓矢、破魔を意味するか

 

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第十二回

 

「富山の洞に畜生菩提心を発す流水に泝て神童未来果を説く」

 

【朽ちた衣を纏った狂女の如き伏姫。黒牛に跨り笛を持つ童子】

 

草花をたづねて伏姫神童にあふ

 

伏姫

 

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第十三回

 

「尺素を遺て因果みづから訟雲霧を払て妖■クサカンムリに嬖のツクリ、下に子/はじめて休」

 

【流れ逆巻く川に足を踏み入れる金碗大輔孝徳。川面の上に山伏姿の神変大菩薩/役行者と穏やかな表情の玉梓】

 

妙経の功徳煩悩の雲霧を披

 

金まり大すけ・玉つさ・神変大菩薩

 

★神変大菩薩/役行者が厳かに立ち、傍らには満ち足りて穏やかな表情の玉梓。怨霊が解脱した瞬間だ。此を以て、玉梓の怨みは解消する。しかし後に里見家および犬士たちに、数多のマガツミが襲いかかる。余波は如何とも為し難い。蛇口を閉めれば水は落ちない。しかし盥に一旦落ちた水は波を広げ続ける。蛇口を閉めた途端に波立つ水面が急に治まったりはしない。【余波】とは、そういうものだ。玉梓怨霊は、一旦発動してしまった以上、色々と影響を及ぼす。「八百比丘尼」なる名称設定からすれば八百年程度は生きた狸なんだろうが、霊獣・玉面嬢を呼び寄せた。其れとは知らぬ里見家は、玉面嬢を祀ることなど思いもよらず、結果として新たな怨みを発生させた。玉面嬢は、玉梓が解脱しようが関係ない。玉梓怨霊は伏姫をして八房の子を懐胎せしめた。懐胎しちゃたのだから、後戻りは出来ない。そして、其れから発生した因果が、番作・亀篠の葛藤など其れ以前に発生していた因果と絡み、また新たな因果を発生させていく。関東連合軍対里見家の大戦で多くの因果は解消される。そして里見家が滅亡して、総ての因果は真に終息/収束し、無に帰する

 

【腹に懐刀を突き立てる伏姫。切り口から立ち上る気に赤子形の犬士精八体が這う。左に諦めきった表情の柏田と突っ伏す梭織。右には跪き祈りを捧げる金碗大輔。太刀を抜き翳す里見義実は犬士精を見詰め、腕組みして立つ堀内貞行は眺めている】

 

肚を裂て伏姫八犬士を走らす

 

ほり内貞行・里見よしさね・金鞠大すけたかのり・伏姫・おさめつかい・をとめ使

 

★本文では霧が晴れ、富山の奥へと進んだ金碗大輔だが、伏姫切腹は急使たる柏田・梭織の名前からして天照皇大神の岩戸隠れに擬せられていることは明らかであり、此の後に犬士たちの【暗黒時代】が幕を開ける。八犬伝後半、田力雄神から名をとったと思しき田税兄弟が登場したかと思えば、神隠しに遭っていた親兵衛が里見義実を救出する輝かしい再出を果たす。岩戸が開き、再び世界に光が差し始める

★「宿祢姓金碗氏の謎」に於いて、筆者は伏姫を金碗八郎の後身と考えた。「女子にして男子」である。だいたい素盞嗚尊は高天原に入るとき、武装した姉に強要され子供/分霊を発した。男子が産まれたことを以て、赤誠心を証明した。天照大神が疑ったように、高天原奪取の下心はなかった。古事記に謂う所の「勝佐備」である。実際に素盞嗚尊は乱暴狼藉を働くのだが、姉の天界支配権を奪う積もりはなかったのだろう。彼は、【純粋な暴力】であって、何等かの政治戦略が背景にあったわけではないのだ。ただ只管、荒れ狂う【荒魂】が前面に出た状態であったに過ぎない。

対して伏姫は、自らの子宮を曝し犬士の精を奔出させながら叫んだ。「歓しや、わが腹に物がましきはなかりけり。神の結びし腹帯も疑ひも、稍解たれば、心にかゝる雲もなし」{第十三回}。自ら清浄なることを証明し宣言している。「勝佐備」である。八犬士は殊更に「約莫這八個の弟兄は、皆男子なれば純陽なり」{第百八十勝回中編}と云われる。犬士八人全員が男子であることに、重大な意味があるのだ。犬士が「純陽」であることは、純陽の花たる牡丹の如き八房に八斑によって約束されていた。そして「約束」は、八房とスピリテュアルな交合、交感を遂げた伏姫の孕んだ犬士精こそ、伏姫の純潔もしくは「赤誠心」を証明するものでもあった。

馬琴は、「陰」と書くべき所で、■コザトヘンに月/と表記していたりもする{第百十一回}。また玄同放言では月神を「月夜女命」と明らかに女性化してみせた。馬琴の意識の何処かに{いや前近代日本人に刷り込まれてた意識として}、太陽を陽、月を陰と感じる部分があったと知れる。また、道節の台詞として「宗廟は是万物の父母、天津日月の神になん」{第四十四回}と云ってみたりもしている。「父母」が「日月」と対応しているならば、父が陽、母が陰となろう。此は男子を陽、女子を陰とする考え方に通じる。が、太陽神たる天照大神が女性であるとは{現在水準読解からの憶測は別として}衆目の一致する所であり、玄同放言で馬琴も天照大神を女神と認めている。しかし、陽/男神であるべき太陽神が女神であり、太陽を覆い隠す暴風雨すなわち陰なる存在であるべき筈の素盞嗚尊が男神であるとの逆転が、記紀には厳然と存する。八犬伝に於いては、陽である筈の牡犬/八房は陰の極致たる淫女玉梓の後身であった。陽でありながら陰の本質を抱く素盞嗚尊に当たる。ならば陰である筈の伏姫の前身は、陽の極致たる義士八郎ではないか。表面上は陰でありながら陽を本質とする天照大神に当たる。

素盞嗚尊の産んだ五男神、天照大神から発した三女神を足せば、男女八神である。そして紀に於いては男神の発生を以て、清浄心の証明とする。ならば伏姫・八房の{霊的な}共同作業の結果として生まれた八子全員が男子であることを以て、伏姫・八房とも清浄心を持っていることが証明できる。伏姫は元より、八房も犬士精が結ばれるまでには完全に浄化されていたことが判る。

更に云えば、「八は則陰数の終にて陽中の陰也……中略……陽は独不立、陰は独不行」{第百八十勝回中編}と馬琴は当時の一般常識を殊更に提示している。陽だけでは存在できないし、陰だけでは活動できない。混じり合ってこそ物質が活動できる。物質として活動していることは、陰と陽が既に混合していることを示している。此の原理を象徴的に示すものが、天照大神と素盞嗚尊の陰陽逆転である。確かに太陽は陽の極みであって陰の混入する余地はないよう思えるが、其れでも物質として活動している以上、純粋な陽ではなく陰が混入している筈だ。即ち、太陽は現実世界の中では【陽の極み】ではあるが、其れは此の世で最も陽性が高いだけのことであり、理念上の純陽ではない。陰陽は混合してしまっている。例えば人間も、陰陽混合の結果として生まれる。陰と陽が混合しなければ生まれないのに、生まれた者が、理念上の純陽であったり純陰であったりする筈がない。大雑把な自然観察から天理を推し量ろうとした前近代は、陰陽混合宿命論に落ち着いていた。

即ち八犬伝に於いては、当時のパラダイムの枠組み内で作品世界が構成されていただけの話だ。伏姫・八房ともに清浄であることを示すために犬士全員が男子でならなかったし、「陽中の陰」の理を示すために犬士は八人でなければならなかった

 

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第十四回

 

「轎を飛して使女渓澗を渉錫を鳴してヽ大記総を索」

 

【既に川を渡り黒駒を引き振り返る堀内貞行。提灯に「内」字紋。川を乗り物と女中が渡っている】

 

使女の急訟夜水を渉す

 

堀内貞行

 

★如何でも良いが、挿絵の度に貞行の着衣が変わっている。衣装持ちであることは判るが、いつ着替えているのか。馬琴にとって、貞行の着衣なぞ如何でも良かったようだ。絵師の趣味に任せたのだろう。対して、亀篠や信乃は、一貫して同じ着衣を纏う時期がある。無意味ではないのだろう

 

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第十五回

 

「金蓮寺に番作讐を撃つ拈華庵に手束客を留む」

 

【左手に春王・安王の生首を掴み、右手で村雨を揮う大塚番作。口に匠作の髻を銜えている。首を切られた錦織頓二。牡蛎崎小二郎が袈裟掛けに斬られている。牡蛎崎の胴と、ひっくり返る兵の袴に巴紋】

 

怨を報ひて番作君父の首級をかくす

 

大塚番作・にしごり頓二・牡蛎崎小二郎

 

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第十六回

 

「白刃の下に鸞鳳良縁を結ぶ天女の廟に夫妻一子を祈る」

 

【手束の帯を踏み押さえ包丁を突き付ける蚊牛。まるで凶暴時の八房。奥の間から窺う番作。襖に般若心経の一部。木魚はホルスタイン柄……八房の如き模様】

 

山院に宿して番作手束を疑ふ

 

庵主蚊牛・たつか・大塚番作

 

【巨犬に跨り右手で玉を手束に投げ渡す伏姫。左手には幾つかの玉。庚申塚の前で横様に倒れる手束。蚊牛に襲われたときと同じ恰好。愛くるしい子犬の与四郎が伏姫/八房を見上げる】

 

庚申塚に手束神女に謁す

 

たつか

 

★背景に道標、「庚申塚」「左り岩屋道」。犬に乗る女性が注目を集めるニハチ十六回挿絵だが、思えば第八回挿絵で役行者が初めて登場した。折角の「八犬伝」だから、此の回ぐらいまで八の倍数だと気にしてしまう。果たして此は、重要な場面だ。偶々だろうけども。実は筆者、此の挿絵を余り好きではない。画面に隙がある。犬に乗る女性・手束・子犬が互いに離れすぎており、且つ各々小さい。写実的ではあるかもしれないが、やや説明的なキライがある。ただ、熟女・手束の腰つきが、絵師の手柄か。番作さんには悪いけれども、ついつい目がいってしまう。流石は、一億人の恋人・信乃の母親だ。さて、犬に乗る女性が伏姫として、犬/唐獅子に乗る所から、文殊菩薩に擬する論がある。また、弁天・吉祥天女だとする説もある。筆者が過去の日本を見る場合の視点は、多神教もしくは汎神論であるので、何連の論も正解であり誤答であると考えている。伏姫の【正体】は、八犬伝本文が明記しているように、観音菩薩だ。それ以外には、あり得ない。但し筆者の立場からすれば、日本の神々は揺らぎつつ各種仏格と習合されており、仏格同士も揺らぎつつ痴漢可能なほど接近している、ってぇか置換可能だ。一対一の対応を考えると、無理がある。本地と垂迹の関係も一律ではなく祀る寺社に拠り規定が異なるし、仏格同士の因位などの相互関係も一律とは言い難い。神々それぞれの輪郭はブレており、時に依り場所に拠って入れ替わる。これを筆者は、「神々の輪舞/ロンド」と表現してきた。例えば、八幡神は一般には阿弥陀仏と習合されているが、馬琴が縁起を書いた豊後・両子山では観音とかすっている。密教では、阿弥陀が濁世に於いて観音として現ずると考える。八幡→阿弥陀→観音の置き換えは、余りにも容易である。一方、伏姫が天照皇大神と密接な関係にあると読本では執拗に述べてきたが、天照は観音の垂迹と考えられる場合もある。しかも岩戸に隠れたときには白い狐の姿であったとも伝えられている。善玉の超大物・政木狐が八犬伝後半で登場するが、彼女と河鯉孝嗣の関係は、伏姫と犬士なかんづく親兵衛との関係とダブっている。弁天と吉祥天女は混淆していたが、共に女性神である所から、博く女性っぽいと考えられていた観音と密接な関係を有していた。神格もしくは仏格を高次元の存在と考えれば分かりやすい。観音は如来に次ぐ存在・菩薩だから、天や王より高い次元だと仮定できる。高次元の存在が低次元に現れるとき、同時に別の場所・異なる形で存在し得るだろう。観音が、同時に異なる場所で、吉祥天女・弁天と違った形で出現することは可能なのだ。ってぇか、其の様なことが出来る存在が、観音菩薩なのである。それに抑も観音は【変態菩薩】なのだ。いや、「変態」と言っても、日本に於ける男色の祖とされていた弘法大師空海に斯道の佳さを仕込んだ文殊師利菩薩ではない。文殊は「師利菩薩」すなわち「しり菩薩」であるから鶏姦を司る、との冗談から派生した近世の俗説なのだが、強いて八犬伝の登場人物に重ねるとすれば、文殊は智恵の神だし、鎌倉蹇児にさえ男色関係を求められる尻菩薩、天然自然の媚びを以て小文吾さえ蕩かす毛野に決まっている。抑も男色を「変態」と呼ぶことは宜しくない。……えぇっと、だから、観音は三十三の化身を以て衆生を教化することになっているので、変態が沢山あるのだ。近世には、西国・阪東・安房などの観音霊場巡り「三十三箇所」が博く行われた。三十三観音なんてのもあって、数合わせの為の無理遣りとしか思えないのだが、多くの観音が捏造されている。結局、伏姫は八犬伝に明記されているように「観音」なのだが、抑も一神教ではないのだから、仏格を固定化して窮屈に考えることはない。神仏に於いては、多対多の緩やかな関係性をこそ、認識すべきだ。また、犬に乗っているから文殊とは限らないし、玉を持っているから吉祥天女だと考えることも危険だ。犬/獅子に乗って伏姫になるなら、三十三観音のうち「阿■麻のしたに玄■齒の右に來/アマダイ」観音も獅子に乗っている。別名は無畏観自在菩薩である。観音の徳のうち、施無畏の側面を切り取り独立させた者だ。施無畏とは多分【彼我の差を認識することによって起こる恐怖心・警戒心というものを全く持たずに相手と一体となるほど親身の慈愛を注ぎ難しい教理を相手が最も理解し易い形で提示する】智恵と勇気と博愛の複合概念ぐらいではないかと思っている。如何しても「智恵」が先立つよう感じられる文殊より、やはり観音の方が伏姫には似合っているのではないだろうか。そしてまた、玉を持つ仏格は、枚挙に遑がないほどだ。其の内で、まだしも注目に値する者は、やはり薬師如来ではないか。実は吉祥天女は、薬師の眷属である。だいたい筆者は印度のダイナマイトバディむちむち女神のヤクシーがお気に入りだ。まぁヤクシーは夜叉女なんだが、薬師は観音、薬王、弥勒、無尽意、勢至、薬上、文殊、宝蓮華の八菩薩を引率している。また、光背に七つの分身すなわち善名称吉祥王如来、宝月智厳光音自在王如来、金色宝光妙行成就如来、無憂最勝吉祥如来、法海雷音如来、法海勝慧遊戯神通如来、薬師瑠璃光如来を背負っている。像となれば「七仏薬師」と呼ばれる。安房鋸山・日本寺には、巨大な七仏薬師の磨崖仏が安置されている。現存する者は昭和四十四年の作だが、原型は天明年間に完成したらしい。八犬伝では五百羅漢が言及されており、房総随一の仏地とされている、あの鋸山だ。所謂十二神将も、薬師の眷属だ。薬師は法隆寺金堂壁画に描かれていたぐらいで、古く信仰されていた。勿論、筆者は此処で伏姫と薬師を重ねようというのではない

 

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第十七回

 

「妬忌を逞して蟇六螟蛉をやしなふ孝心を固して信乃瀑布に祓す」

 

【立派になった与四郎犬に跨る女装の信乃。浮線蝶模様の着物。赤ん坊を背負い、湯呑を頭の盥に載せて左手に薬缶を提げた熟女が親しそうに近付く。釣り道具を持った老爺も笑顔で信乃を見ている。丸に三星紋。屋敷の中から亀篠に抱かれた浜路も信乃を見詰めている】

 

思ひくまの人ハなかなかなきものをあハれ子犬のぬしをしりぬる

 

犬塚しの・亀笹・はま路

 

★試記:思い隈の人はなかなか無きものを、あわれ子犬の主を知りぬる/思い隈ある心の行き届いた人は、なかなかいない。それに引き替え感慨深いことに、子犬が主を知って深く交感していることだ。「犬は主を知る」との俗語があるように、犬は忠実な動物とされていた。ただ、「子犬のぬしをしりぬる」の「子犬」は信乃を指しているが、「ぬし」は、伏姫はじめ里見家を意味していないことには、注意を要する。信乃はまだ里見家と自分の繋がりを知らない。ただ信乃は、女性として育てられながらも武芸・学問を磨いており、里の子供たちと付き合うこともしなかった。即ち、環境/感情に流されることなく、若しくは与件たる子供達の集団に対する本能的凝集力を無視し、恐らくは父・番作の薫陶に依ろうが、既に漠然たりとも抱いている理想に甚だ忠実であった。故に此の場合、「ぬしをしりぬる」は、【理想に忠実】ほどの意味となろう。更に言えば、「忠」が対象個人へ無批判・無条件に向けられているのではなく、あくまで主体本人の理念と照らして発動すべきものであったことが解る。このような「忠」は、八犬伝では早く里見季基・大塚匠作の言動に共通して見られる。同時に、結城合戦から義実が離脱し足利成氏と敵対したこと、信乃が里見家部将として成氏と敵対し且つ大戦後まで村雨を返さなかったことが、少なくとも八犬伝世界中、決して不忠とされない行為であると了解される。一方で、信乃は大戦時、房八の血で染まった衣を手放さず、房八の息子・仁を救う。再生の恩/負債を踏み倒してはいない。既存システム内の【死んだ無意味なルール】としての「忠」ではなく、血の通った自由意思をもつ主体個人たる人間としての「忠」を、信乃は示している

 

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第十八回

 

「簸川原に紀二郎命を隕す村長宅に与四郎疵を被る」

 

【番作の肩を揉む信乃。浮線蝶模様の着物。糠助が何かを知らせに来る。庭に手習い帳を干している。手前の茅葺き屋根上で紀二郎猫が別の猫と挑み合っている】

 

牝を追ふて紀二郎糠助が屋棟に挑む

 

犬塚番作・しの

 

★猫の紀二郎は、番作切腹の契機をつくる呪われた猫だ。また、第四輯口絵に続き馬琴狂題として「一犬当戸鼠賊不能進矣犬乎犬乎勝於猫児似虎」とあり虎に似た縞模様の猫が犬と敵対し打ち負かされる存在と規定されており、且つ、第七輯冒頭で偽一角を評した句に「子をおもふ夜の鶴よりかしましや妻思ふ宿の雉子猫の声」とある。紀二郎猫が与四郎犬に殺されるに至った経緯は第十八回にある。【番作が背門近き荘客糠助が厠の屋根に友猫と挑てをり……中略……友猫にいたくカマれて堪ざりけんコロコロと輾びつ丶厠のほとりへ撲地と落】ちたことが直接の原因とされている。発情期の猫が、「友猫」に挑んで却って噛まれ屋根から転げ落ちたのだ。前出、偽一角に対する評が、【発情期の猫は五月蠅い】ぐらいの和歌っぽい狂歌となっていることから、紀二郎猫と偽一角の山猫が、互いに繋がった存在であることが解る。なるほど、偽一角が一角を殺し擦り替わった動機は、美しい妻を寝取らんが為であった。きっと発情期だったのだろう。一方、紀二郎と紛らわしい名前に、直塚紀二六がいる。彼の場合は猫ではなく、あくまで【本家】のキジであって、鳥だ。蜑崎照文の娘「山鳩」と結婚したところから判る。紀二郎と紀二六は、まったく逆の存在だろう。但し、名を共通しつつ逆であるとの、対称関係にある。則ち此の場合、紀二郎猫と紀二六は、根を同じうする。紀二六は紀二郎猫の後身であり、且つ対称的な存在だ。

姥雪代四郎は、結城大法会準備の段階から、直塚紀二六と連{つ}るむ。紀二六にフケ専疑惑が生じるほど、親密に同伴する。イヤラシイ程に、二人は一緒なのだ。

代四郎は当然、与四郎犬と繋がっている。読本で論じた如く、犬塚番作の死に責任のある与四郎犬は、信乃に債務を返済せねばならない。山林房八の死に責任のある信乃は、親兵衛に債務を返済せねばならない。債務を付け替えて、与四郎犬/代四郎は親兵衛に奉仕する。犬山家の忠臣たる代四郎が、荒芽山危難後、親兵衛に乗り換える所以である。与四郎犬/代四郎は、紀二郎猫/紀二六を殺した過去がある。にも拘わらず、代四郎と紀二六は、まるでデキてるかの如く、親密なのだ。

上で「にも拘わらず」と書いたが、結論を云えば、「だからこそ」だ。直塚紀二六は、結城大法会の準備段階で登場する。主人の蜑崎照文は名前の示す如く、武勇の人というより文官能吏であるが、紀二六も同系列だろう。彼の本質は雉であって、名字の直塚{ひたつか}は、古事記の血に塗れた故事、「雉の頓使{ひたつかひ}」からの連想であろう。紀二郎猫の名は、雉猫だったからだ。紀二六の前身たる紀二郎猫は与四郎犬に噛み殺されたが、番作は、猫が地面上で犬に殺されることは道理の内であり復讐法を適用できないと宣言する。復讐とは何かと云えば、理不尽により崩された均衡を回復するための行為だ。道理の内であれば均衡が崩れたとはいえず、故に復讐の前提が成立しない。地面は犬の縄張りであり、縄張りを侵した猫が殺されることは、道理の内であった。番作の論理では、座敷は人の領分であり、犬が侵して殺されても、文句はなかった{但し与四郎犬の場合は、蟇六の小者たちによって地面上から座敷に追い上げられたので、本来なら違法性を棄却されるべきであった}。且つ、犬が猫を追うことは本性による、とも番作は云う。「形の小大によるもの也。もし犬を猫の仇とせば、猫を鼠の仇とせん。そを仇として死を貲ふは、人倫のうへにあり」{第十八回}である。現代風に言葉を足せば、本性に従って犬が猫を殺したことを取り上げ、人間の目から見て断罪することは、自然を断罪する僭越を犯すことになるのだ。実際、動物の喧嘩に人が出るとは、みっともない。

馬琴は動物を例に挙げて、【復讐とは何か】を読者に考えさせている。更に簸上宮六・社平兄弟が登場し、応用問題を提示する。宮六は酩酊し蟇六・亀篠の無礼を怒って、理不尽に刀を抜いた。宮六は蟇六を斬り殺す。偶々帰ってきた荘介が、主人の仇として宮六を殺す。中世には、あり得る光景であろう。しかし宮六の弟/社平は、荘介を怨んだ。虚偽の陳述までして、荘介を死刑に問うことに成功、自ら執行人となった。彼は、兄の仇を討とうとしたのである。兄の復讐を果たすなら、其れは悌でもあろう。美徳である。が、読者は社平が理不尽であることを知っている筈だ。理不尽に蟇六を殺し均衡を崩したのは、宮六の方である。荘介は、マイナス方向ではあるが、崩された均衡を回復したのだ。元より前近代日本に於いては、{様々な条件はあったにせよ}未熟な司法制度を私的に補助するものとして、復讐法/仇討ちが容認されていた。荘介により均衡が回復した以上、事態は終息した筈であった。復讐の余地はない。社平に、仇討ちの権利は認められない。「冷静」に考えれば、社平が荘介を怨むことこそ理不尽である。復讐は認められない。

しかし、まぁ、兄弟を殺されて「冷静」に思考を巡らせる方が、希有であろう。「冷静」になれない理由は、人が感情をもつ動物だからだ。感情を洗練し気取って云えば、或いは孝、或いは悌、或いは忠ともなろう。所詮は煩悩の裡である。……とは云え、筆者は、煩悩だから無価値であると考える者ではない。人は煩悩ゆえに悩み、愛し、そして生きる。煩悩が全く消滅してしまえば、それこそ雨月物語の青頭巾、存在自体が消え失せてしまうかもしれない。生とは、煩悩である。

しかし昂ぶった感情、孝なり悌なり忠なりに燃え上がり、狂気の裡に殺戮を繰り広げたとしても、狂気が収まれば、空虚な感覚だけが残るのではないか。一時の狂気に任せ、船虫を殊更残虐に刑戮した犬士たちは後悔し、愁然と佇んだ。均衡を回復するため、船虫は殺されなければならなかった。しかし、牛の角に劈かせ嬲り殺しにする必要はあったのか。此処で馬琴は再び読者に【復讐とは何か】との問題を突き付けている。ややあって、船虫刑戮を言い出した冷酷の美女/信乃が、扇谷上杉定正の居城五十子を攻略する。やや不自然ながら、本人は君父の讐を理由としている。城を毀ち兵を殺し尽くせと主張する道節の言を退け、信乃は、庫を開いて領民を賑わせるのみに止めた。領民への仁を以て、定正への復讐に代えた。信乃の瞳は何時しか、慈愛に満ちていた。時は恰も、結城大法会直前であった。同じ頃、直塚紀二六が登場し、姥雪代四郎と、睦まじくジャレ合い始める。紀二郎猫と与四郎犬との間に、やはり怨念なぞ存在しなかったのだ

 

【縁側で武張っている蟇六。庭に立つ三人の小者も竹槍を持ち自慢そうな表情。亀篠は扇を広げ背後から蟇六を扇ぐ。庭に荘介が畏まっているが、既に前髪を落としている。体つきは子ども。着物には打ち出の小槌の模様】

 

怨をかへして蟇六小ものを労ふ

 

庄官ひき六・かめささ・小ものがく蔵

 

★犬一匹との戦いで殊更に武張った様子を見せる蟇六の小人ぶりを示す

 

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第十九回

 

「亀篠奸計糠助を賺す番作遠謀孤児を託す」

 

【女装の信乃が左手で鞘立て右手に紙燭、口に袂を銜える。浮線蝶模様の着物。牡丹唐草模様の座布団上に胡座を掻いた番作が村雨を抜いて信乃に見せる。畳の上に足利氏の二引両紋付いた袋】

 

番作遺訓して夜その子に村雨の太刀を授

 

番作・しの・犬塚番作

 

帯雨南禽楚知春北入燕

 

帯雨、南禽は楚に春を知り、燕に北入す

 

つるき大刀さやかに出る月のまへに雲きれて行むら雨の雲 玄同

 

★古代中国世界に於ける最南の国・楚で渡り鳥は、二十四節気の立春の次・雨水の頃に春潮帯雨、春が来たことを察知して、最北の国・燕へと向かう/春が来ると旅立つ鳥を、信乃に擬したか

★冤を呑んで死ぬなら愁嘆場となる筈だが、自らの切腹を、信乃を守り且つ信乃の巣立ちへの策謀と位置づける番作にとっては、己の存在感と機能を十全に発揮すべき晴れ舞台となる。番作は蟇六の犠牲者/行為対称ではなく、逆に、利害を察し自由意思によって積極的に行為を選択した行為主体なのである。勿論、此の冷徹さの背景には、信乃を思う熱い心が在る。まるで驟雨の如く見通しの利かない混沌たる世界で、ただ母に父に孝を尽くしながら自らを鍛えてきた信乃が、果たすべき目的を見つけ自らを主体とする人生を始める。父の自死によって彼は孤独となったが、後顧の憂いもなくなった。ただ、視界を遮る驟雨を切り払った水気を制御する剣・村雨を帯び独り、輝く月に向かって足を踏み出す

★五行説に於いて、母/親は凶である。何故なら、子は親に孝養を尽くし倒さねばならない。親は子どを生み、子は親を扶ける。しかし、此れでは子たる者、親の孝養に消耗し尽くしてしまう。孝子は立つことなく潰える。孝子が起つためには、親が死なねばならない。孝の対象が消滅し、初めて孝子は自由を得る。「自由」とは、自らの裡にある天/良心に由{よ}って行為するを謂う。良心は、両親から日常を通じて伝えられるものだ。

番作の切腹を考える場合、対称の位置にある里見義実の事例を参照すれば、より解り易い。父の里見季基は結城合戦の場で玉砕を覚悟した上で、義実を諭した。源姓新田流で元々南朝方だった里見家は、南朝滅亡後、仕方なく関東公方足利持氏に従った。持氏の恩顧に報いるため、季基は、安王・春王に殉ぜねばならなかった。しかし恩顧は里見家累代のものではなく、{里見家存続が目的だったとしても}季基一身の都合に依る。季基は、自らの死を以て足利家の恩顧を解消し、義実に自由を与えた。里見家再興というイーワケすら与えて、義実に生き抜くよう命じた。季基は八人の従卒と共に、結城で華と散った。

 

季基と同様、大塚匠作は息子の番作を戦線から離脱させた。此のとき番作へ向けた匠作の遺訓は、主君{まだ永寿王/成氏の存在は語られておらず文脈から見れば春王・安王を指しており必ずしも成氏まで視野に入れていたとは思えない}が生き長らえれば村雨を持って一番に馳せ参じ、主君が殺されたならば村雨を主君と思って菩提を弔え、であった。しかし実際には、番作の関東足利氏に対する忠は、美濃国垂井で春王・安王が殺された時点で、ほぼ解消されたと思しい。

匠作の遺訓は、あくまで春王・安王が存命の場合は忠節を尽くせ、と極めて限定されたものだったからだ。村雨を信乃に譲るとき、番作は「この宝刀は姉夫婦が、いかばかりに賺すとも、素より親の遺命あり、人と成る後許我へ参りて督殿{/成氏}にこそ献らめ、この事のみは承引かたし、と固く阻みて常住坐臥に、その盗難を禦げかし」と云う。あくまで村雨を守る方便として成氏を引っ張り出しているだけの話だ。

「村雨を成氏朝臣へ進らせざりしは、姉をおもふのゆゑのみならず、春王・安王、永寿王、みな持氏のおん子なれ共、わが父は春王安王、両公達の傅たり、この両公達撃れ給はゞ宝刀を君父の像見として、おん菩提を弔奉れ、と親の遺訓を承たるのみ、永寿王へ進らせよ、といはれし事はなきぞとよ」である。何だか屁理屈にも聞こえるが、武士の忠が【家】に向けられたものではなく、主君【個人】に向けられたものだとすれば、成る程、番作の論理は成立する。忠が家でなく個人に向けらるべきものだとするならば、忠の主体も個人であろう。忠とは、個人と個人の関係だと解る。

 

また、番作は「このおん佩刀は君父の像見、首陽に蕨を採ずといへども、二君に仕ぬ番作が、最期にこれを借奉りて、奇特を見せん」とも云っている。此の「二君」の字句解釈は難解だ。春王・安王および足利持氏が匠作・番作の故主ではあるが、結城合戦時、番作は少年だったため、正式な御恩奉公関係にはなく、故に匠作から討ち死にを止められた。しかし、「二君」と云う以上は、故主がなくてはならず、春王・安王・持氏を想定せねばならない。もっとも番作も、当初は成氏を主君として頼り仕官しようと考えていた。成氏は春王・安王の弟であり、関東足利氏の連枝である。春王・安王の【代理】として、主君にしても良さそうだ。

ただ、姉の亀篠が野合同然に蟇六と婚姻し、先に蟇六が匠作の女婿として荘官に任命されていた。番作の手には村雨があるため、番作本人であることの証明は容易であったが、「骨肉牆を鬩ぐが如きは、わがせざる所也」、姉を相手どっての訴訟は気が進まず、浪人の道を選んだ。番作は、村雨を足利家に返さず、死蔵することにした。「かゝれば此おん佩刀も鎌倉殿{/成氏}に献じがたし」である。

村雨を足利氏伝家の宝刀とのみ考えれば、曲がりなりにも関東足利氏を継いだ成氏に返すべきである。結果として番作が亀篠を相手に訴訟することになっても、其れは仕方がない。身内が先走ったからといって、村雨を足利家に返さない言い訳にはならない。番作は、家督を巡って姉と争うような下劣な人間になりたくない、との私的な感情論から、復活した関東足利家との関係を自ら断ち、村雨を隠匿したのだ。単純な、返す/返さない、の関係ならば、とにかく返さねばならない。しかし番作にとって村雨は、仕官と引き替えにのみ、足利氏に返すべきものであった。則ち村雨は、半ば大塚/犬塚家の財産となっている。但し、仕官と引き替えといっても、結城で敵対した山内上杉家に走るなぞ、番作は思い付きもしなかっただろう。

番作は、積極的に成氏の家臣となるほど関東足利氏一般へ忠は抱いてなかったが、上杉家の家臣にならないほどの消極的な忠……ほぼ郷愁と同義の「まこころ/忠心」を維持していたに過ぎないようだ。結果として{正式な関係ではないにせよ}春王・安王を最後の主君とした番作は、「二君」に仕えない。成氏にすら仕えない。二君に仕えないまま、春王・安王に村雨を「借奉」りて切腹する。切腹の理由は、関東足利氏への忠なんざ全く関係なく、信乃を蟇六・亀篠のもとに送り込むためであった。

 

色々あって村雨を偽物と擦り替えられた信乃は、成氏にスパイと間違われ、殺されそうになった。成氏の狭量を示す挿話であるが、信乃は疑われても仕方がない立場であった。程なく信乃は本物の村雨を手に入れるが、成氏に返そうとしない。犬塚家も村雨に対し一定の権利を有しており、仕官と引き替えに、献上すべきものであった。もし忠云々で預かっているだけ、とにかく返さねばならぬものなら、仕官できるか否かは措き、本物の村雨を成氏に献上して、前に擦り替えられた失態を謝罪すべきであった。しかし信乃は、村雨を揮って十全に活躍、剰つさえ成氏の軍勢と対決し、打ち破った挙げ句に漸く、村雨を成氏に返す。成氏は春王・安王の弟であるが、信乃には成氏を故主筋だと本気で考えている素振りは見られない。信乃は村雨を成氏に返すに当たって、次の如く云う。

「曩に御聞に入れ奉りし村雨丸の一刀は、いかで君に進らせて愚父犬塚番作の末期の遺訓を果さばや、と思ひしのみにて稲村にては、御同居の敗将達に憚りあれば、稟し出る便宜もなく……中略……持氏朝臣の御紀にて春王安王君の御遺物なれば、いかで君に献らせよ、と教えたる亡父の志を今果しぬる臣等が歓び」

まず信乃が「愚父犬塚番作の末期の遺訓を果さばや」と思ったのは、成氏が里見軍に捕らわれて後だと解る。「御同居の敗将達に憚り」返せなかったからだ。客観的に見て、実は返す機会は芳流閣一件後に何年間もあったのだが、信乃はツテを求めることも含め、一度もアクションを起こさなかった。しかも此処に来て、返せなかった理由が、他の虜囚への憚りだったと云う以上、成氏が捕らえられて初めて返す気になったと考えねばならぬ。「君に献らせよ、と教えたる亡父の志」を、信乃は其れ迄キッチリ忘れていたのだ。

信乃は孝の犬士である。ブルドッグみたいな頬の成氏を嫌うのは当然だが、番作の「遺訓」を忘れて良い筈がない。ならば「遺訓」ではなかったのだ。少なくとも、重大な「遺訓」ではなかった。「気が向いたら、成氏に村雨を返してやってくれ」ぐらいの重さしかなかったのではないか。

上述した如く、番作は信乃に、村雨を成氏に自分で返すと言い張るよう遺訓するが、成氏に返せ、とは云わない。村雨を守ることが困難になったら大塚から出奔しろ、とは云うが、許我に行け、とは云わない。成氏に村雨を返す云々は、あくまで、蟇六・亀篠から村雨を守るための方便であった。番作の口振りからすれば、信乃に譲った時点までに、村雨は事実上、既に大塚家の財産となったと見て良い。

青年となった信乃は村雨{の偽物}を持って許我に赴くが、其れは村雨を元の持ち主である関東足利家に返すためと云うよりは、信乃自身が立身し侍になるためであった。父の番作同様、村雨と引き替えに、仕官しようとしたのだ。身分の対価として村雨が機能するならば、信乃は村雨に対し少なくとも部分的な権利を持っていることになる。返さなくても良いものを返すからこそ、報われるのだ。信乃にとって当初、村雨は立身のヨスガであったが、里見家に仕えて後、初めて成氏に返す。成氏に「返す」と云っても、「もう要らないから、上げるよ」ほどのことだ。だからこそ成氏も一度は受け取りを辞退する。「やよや義士、志は然ことなれども、我一介の微恩もなきに、いかにして其名刀を得受んや。願ふは和郎の家に伝へて子孫の宝貨にせよかし」である。成氏の側からすれば、信乃に恩を与えて初めて、村雨を受け取ることが出来るのだ。成氏は、村雨の所有権を半ば放棄している。信乃は重ねて「匠作番作、父子二世の忠心」だから受け取ってくれ、と申し出る。此の場合の「忠心」の振り仮名は「まこころ」であった。

確認すれば、匠作は春王・安王が生き延びた場合に村雨を返すよう番作に命じた。殺された場合は村雨を隠匿し菩提を弔え、との条件付きであった。番作は、一時は匠作遺訓を拡大解釈して成氏に仕えようと考えたこともあったが、姉に先を越されたため、再び遺訓を狭義に解釈して、浪人の道を選んだ。成氏は番作にとって、主君にしても良いが、しなくとも良い、中途半端な奴であった。主君にせねばならぬ相手なら、匠作の遺訓を守るためにも、万難を排して成氏に仕えねば義理が立たぬ。則ち、番作の忠は最終的に、春王・安王に限定されており、関東足利氏一般を主君とは思っていなかったのだ。よって、「匠作番作、父子二世の忠心{まこころ}」とは、必ずしも関東足利氏一般を対象とするものではなく、特に番作の場合は、春王・安王への郷愁に庶{ちか}い感情であった。よって信乃が成氏に村雨を返しても、匠作が劇的な殉死を果たしたこと、番作が村雨を携え故主に郷愁を抱いて二君に仕えなかった「まこころ/真心」を伝える表面上の意味しかない。

村雨を成氏に返して信乃は、「既に這年来の志は仕りぬ。人各其君の為にす。許我は隣国也といへども、今より後は君の為に寸忠だも致すべからず」と言って席を立つ。匠作の激烈な殉死、番作の郷愁、と代を重ねる毎に薄まってきた大塚/犬塚家の関東足利氏に対する忠は、信乃に至って完全に解消されている。

また信乃は、番作の死によって、もう一つの自由を得る。即ち、蟇六・亀篠からの精神的自由だ。養育という形で信乃の肉体は、蟇六・亀篠から拘束を受ける。しかし番作の宣言により、蟇六・亀篠が真心を以て接してこない場合は、孝養を尽くさなくてよくなる。此が孝の犬士/信乃の信条である。礼の犬士/犬村大角のように、{偽}親の無理難題まで受け止めなくて良いのだ。それが本来の【孝】であると、八犬伝は密かに指摘しているのだろう。信乃は勝手に出奔することを、番作に許可される。また、番作の自死は、犬塚家と大塚家との間に積み上げてきた確執を、解消するものでもある。蟇六・亀篠からすれば、言い掛かりをつけたものの、当の本人の番作が自死しちゃったため、標的を失ってしまったのだ。蟇六・亀篠は、信乃に下手な手出しが出来なくなる。極めて緊張した「自由」であるが、信乃は人格支配を受けなくて済んだ。

鮮烈な対称をなす大塚/犬塚家と里見家であるが、父祖の義死により主人公に当たる信乃・義実が、自由を得た点は共通している。言い換えれば、過大な犠牲を払わねば自由が得られなかった前近代の社会矛盾を表現しつつ、其れでも自由を獲得し次の世代に与えようとする義人たちの苛烈な生き様が、眼前に迫ってくる。八犬伝の真骨頂である

 

【女性向けの髪型から何時の間にか前髪立てした美少年形態の信乃。浮線蝶模様の着物の上半身を脱ぎ与四郎を介錯し村雨を拭う。玉が宙に浮いている。死んだ与四郎の視線が玉に向いている。垣根越しに亀篠・蟇六が覗いている】

 

自殺を決て信乃与四郎を斫る

 

しの・亀ささ・ひき六

 

★番作の前に血の手形が幾つか。向きからして番作のものと思しいが、苦悶の跡か。信乃を膝下に押さえ割腹した以上、信乃には父親の血が注がれた筈だ。後に山林房八・沼藺の血も注がれる。毛野は斬り殺した仇の血に塗れるが、信乃は専ら義人の血を注がれる

 

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第二十回

 

「一双の玉児義を結ぶ三尺の童子志を演」

 

【雪が舞っている。跪き母の裾に縋る幼児形の荘介。荘介の笠が風に飛ばされる。笠を見上げる母。荘介の着衣は、肇輯口絵で道節が着ていたものに似た将棋齣模様】

 

七歳の小児客路に母を喪ふ

 

犬川衛二が妻・荘之助

 

★非常に劇的な図。笠を見上げる母親の顔に無念さが滲む。冷たい風に翻弄される我が身と息子に思い至っているか

 

 

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