オマケ
ある日、馬琴は友人から手紙を受け取りました。それには、男装の女性が女性の愛人と同棲している話が書かれていました。馬琴は、既に解散した兎園グループ(当時の物好きが集まり奇談を持ち寄り互いに発表していた。その記録が『兎園小説』)の記録を一人で引き継いで書いていましたが、ソレに載せています。ただし、馬琴には刺激が強すぎたのか、「男装の女性というより、それは半陰陽なのだろう」と勝手に解釈しています。
偽男子宇吉
吾友松坂なる篠斎の来書に云、(壬辰冬十二月の郵書なり)、京都祇園町(←花柳街)に宇吉といふものあり、こは女也、元は曲妓なりしよし。いつの程にか男姿になりてあり、最元服天窓也、衣服より立振舞まで、すべて男にかはることなし、但し是は悪事あるものにはあらず、曲妓の時より皆人知居候へども、男の女にて人々済し居候様子也、怪しくをかしき事は、やゝもすれば其辺娼妓抔と情を通じ、いはゆる間夫に成候事、一人二人ならず、当時はある曲妓の勤を引たる美婦と、右宇吉夫婦の様子、一つ家に住居候由に御座候、猶くはしく申さまほしく候へども、頗筆頭に載がたき所も有之候故、それらの事は省き候、右両婦衾中の私語など密に聞候へば、真に男女の様に候よし、わかしくいぶかしき事に御座候、右宇宙の広き、様々の奇物もあるものに御座候、右宇吉を琴魚などはよく存居候事に御座候、但し曲中などには姉妹分などとて、男女の間より親しき筋抔も有之ならひに候へば、宇吉はその長じたるものともいふべし、嚮に仰越され候かの吉五郎は、今一段奇怪の婦と存候云々、
この書によりておもふに、件の宇吉は半月なるべし、半月は上半月男からだにて、下半月女体なるもあり、又陰門と男根と相具するものもあり、その男根は陰門に隠れてあり、事を行ふとき発起しぬる事、禽獣の陽物の如しといふ説あり、吾旧宅近辺の商人の独子に半月ありけり、そが幼少の折、母親の将て銭湯に浴するを荊婦などは折々見きといふ、陰門の中に男根あり、廷孔のほとりに亀頭少許垂れたり、なすびといふものゝ如し、母親は人に見られん事を傍ら痛く思ひて、下に居よ居よといへども、小児の事なれば恥もせで、立てありしと也、七八歳までは女子のごとくにしてありけるが、十歳以上になりてより、名をも男名に改めて男装に更たり、近ごろその父は●して、親の活業を嗣てあり、小男にして温柔なり、半月は嗣なしといふ、寔にしかなり、
按、斎東野語(巻第十六)云、大般若経載五種黄門云、凡言扇●(手篇に蓆)半釈迦唐音黄門、其類有五、一曰半釈迦、総名也、有男根用而不生子、二曰、伊利沙半釈迦、此云●(女篇に召)謂他行欲、即発不見、即無具男根、而不生子、三曰扇●(手篇に蓆)半釈迦、謂本来男根不満、亦不能生子、四曰、博叉半釈迦、謂半月能男、半月不能男、五曰、留拿半釈迦、此云割、謂被割刑者、此五種黄門名、為人中悪趣受身処、然周礼奄人、鄭氏註云、奄真気蔵者、謂之宦人、是皆真気不足之所致耳(摘要)、この余黄門の事は、五雑爼などにも見えたり、文多ければ亦贅せず(兎園小説余録第二)
さて、上記の文中にある「吉五郎」も、『兎園小説』に登場する人物です。
偽男子
麹町十三丁目なる蕎麦屋の下男に(かつぎ男といふものなり)、吉五郎といふものあり、此もの実は女子也、人久しくこれを知らず、年廿七八許月代を剃り常に腹掛をかたくかけて乳を顕さず、背中に大きなるほり物あり、俗に金太郎小僧といふもののかたちを刺りたり、この余手足の甲までも、ほり物をせぬところなし、そのほり物にところどころ朱をさしたれば、青紅まじはりてすさまじ、丸顔ふとり肉にて大がら也、そのはたらき男に異なることなし、はじめは四谷新宿なる引手茶屋にあり、そのゝち件の蕎麦屋に来てつとめたりとぞ、誰いふとなく、渠は偽男子也といふ風聞ありければや、四谷大宗寺横町なる博奕うち、これと通じて男子をうませけり、是により里の評判甚しかりしかば、蕎麦屋の主人、吉五郎には身のいとまをとらせ、出生の男子は主人引とりて養育す、かくて吉五郎は木挽町のほとりに赴きてありし程今●(玄を並記)天保三年壬辰秋九月、町奉行所へ召捕られて入牢したり、これが吟味の為、奉行所へ召呼るゝとて、牢屋敷より率出さるゝ折は、小伝馬町辺群集して、観るもの堵の如くなりしとぞ(こは十一月の事なり)、或はいふ、此ものは他郷にて良人を殺害して、迯て江戸に来つ、よりて偽男子になりぬ、世をしのぶ為也など聞えしかども、虚実定かならず、四谷の里人に此事をたづねしに、何の故に男子になりたるか、その故は詳ならず、四谷には渠に似たる異形の人あり、四谷大番町なる大番与力某甲の弟子に、おかつといふものあり、幼少のときよりその身の好みにやありけん、よろづ女子のごとくにてありしが、成長してもその形貌を更めず、髪も髱を出し、丸髷にして櫛簪をさしたり、衣裳は勿論女のごとくに、広き帯をしたれば、うち見る所誰も男ならんとは思はねど、心をつけて見れば、あるきざま女子のごとくならず、今●(玄を併記)は(天保三年)、四十許歳なるべし、妻もあり子供も幾人かあり、針医を業とす、四谷にては是ををんな男と唱へて、しらざるものなし、年来かゝる異形の人なれども、悪事は聞えず、且与力の弟なればや、頭より咎もあらであるなれば、彼偽男吉五郎は、此おかつ男をうらやましく思ひて、男の姿になりたるか、いまだ知るべからずといへり、とまれかくまれ珍説なれば、後の話柄になりもやせん、遺忘に備ん為にして、そぞろに記しおくもの也(兎園小説余録第一)